第13話 ダメ王子の侍従は悪を許さない
「今日のパンはライ麦が入っていて香ばしいな」
朝までぐっすりと寝てしまったエドワードは、目が覚めてアルゲオの顔を見るなり「お腹がすいた」とのたまった。当たり前である。何も食べずに寝てしまったのだから。それよりも、起きて驚いたのはエドワードの下半身に何も無かったことだ。下着一枚と言えば聞こえはいいが、エドワードが着ていたのは男性用の下着の上だけで、何も隠されてなどいなかった。まぁ、色んなところが丸出しだった。そんなエドワードに対してアルゲオは「早く隠してください」と言って自分が脱がせた下着をエドワードに手渡したのだった。アルゲオがエドワードの下着を脱がせたのには理由がある。本人の自己申告により柔肌の尻の手当である。しっかりと軟膏を塗りつけて、手当の魔石を乗せたのだ。お陰でエドワードの尻は守られた。プルプルのスベスベの柔肌である。
そんな醜態を晒しておきながらも、寝起きのエドワードは王子様全開で、気だるげな表情はご婦人方を虜にしそうなほど無駄にキラキラしていた。アルゲオはそんなエドワードの寝癖を治し、浄化の魔石で綺麗にしたお仕着せを着せて、地下の食堂まで連れてきたのだ。
朝食を食堂で取る人はまばらであるから、エドワードが無駄にキラキラしていても特に問題は無い。姿勢正しく綺麗な所作でパンをちぎり口に運ぶ。ライ麦入のパンなんて離宮に住んでいた時には口にしたことなんてないだろうに、なんの抵抗もなく食べ進めていくあたり、ひとが良すぎる。
「かぼちゃのスープは随分と甘いんだな。まるでクリームを飲んでいるみたいだ」
若干ふわふわとした感想を口にしながらも、エドワードは好き嫌いもせずに食べていく。そんなエドワードにアルゲオが声をかけた。
「鞍を何とかしないと、北の地域へ慰問が難しいですねぇ」
馬番から借りた鞍は一般の品だから、丈夫で長持ちするように作られている。そのため固い作りになっていた。騎士は自分の鞍をあつらえて一人前の言われているのに、どうして王族であるエドワードは鞍を持っていないのか。乗馬は貴族の嗜みで、パレードの時王族の男子はもれなく馬に乗って参加するというのに、である。
アルゲオはしばし考えてみたが、答えは見つからない。
「鞍は差し押さえられたのだろう?」
エドワードが唐突に答えを出してきた。それを聞いてアルゲオが目を見開いた。
「差し押さえられた?」
そのままオウム返しに聞き返す。
「差し押さえられたのだろう?お前が言っていたではないか。俺の部屋に残された物を運び込んだ。と、つまりそこに鞍が無かったということは、差し押さえられたのだろう」
なにを言っているんだ。と言わんばかりの顔をして、エドワードが口にしたが、どうにもアルゲオは腑に落ちなかった。何かがおかしい。
「鞍、持っていたんですか?」
確認のため聞いてみる。
「当たり前だろう。おばあさまから馬を貰ったんだぞ。鞍が付いていないなんてわけがあるか。鞍も鐙も手綱もちゃんと付いていた。成人のお祝いだぞ?おばあさまの前で庭園を一周したんだぞ。ちゃんと写真も撮った。お礼の品もおばあ様に送っている」
エドワードが鼻を鳴らしながらそんなことを口にしたので、アルゲオは目を見開いてエドワードを見つめた。ほんの少しアルゲオの眉毛が揺れている。
「鞍が、差し押さえられた?女王陛下からのたまわりものを?差し押さえた?」
アルゲオは口を手で押えながら早口で口にした。そのせいでエドワードは聞き取れなくて、首を傾げる。
「なにをぶつくさ言っている?おばあ様からの贈り物だ。それは立派な鞍だったぞ。パレードまでに取り戻せるといいんだがな。どのくらい働けばいいのだろう?」
エドワードが呑気にそんなことを言うものだから、アルゲオの眉毛の揺れが激しくなる。取り戻せるだろう?ではない。取り戻すのだ。だが、問題はそこではない。そういう話ではないのだ。
「エドワード様、私は急用出来ました。あなたは朝食が済んだら執務室で翻訳や代筆の仕事でもしていてください。分かりましたね?」
がたっと、立ち上がるとアルゲオは随分と低い声でそう告げた。
「ああ、分かった。お前は忙しいのだな。大丈夫だ。王城の中でそうそう危険なことなど起きはしない」
エドワードの話もそこそこに、アルゲオは食器を下げるとあっという間にいなくなってしまった。残されたエドワードはゆっくりと食後の紅茶を飲み一息つくのであった。
そんなエドワードを一人にしてまで、フットマンとしての仕事を差し置いてまで、アルゲオは確かめなくてはならないことが出来た。もちろん、先程のエドワードの発言である。それを確認するために、もとい裏付けを取るために会計監査人が居る執務室へと向かった。エドワードの部屋からの押収物の確認が必要だからだ。
アルゲオが身分証明書を見せると、あっさりと会計監査室に入ることが出来た。受付で必要事項を記入した紙を提出すると、その項目の棚に案内された。
「こちらが昨年度の棚です。エドワード様が成人を迎えたのも昨年度になりますから、女王陛下の監査とエドワード様の監査を確認すればすり合わせができるのではないでしょうか」
サラリと説明だけして、アルゲオを残し去ってしまった。彼らは忙しいのだ。赤字を起こした王族のために書類を探す手伝いなどしている暇は無いのである。
「まずは、エドワード様の差し押さえ品を見た方が早そうですね」
アルゲオは昨年度のエドワードの会計報告書を取り出し、そこから差し押さえ品の項目を探し出した。年度の最後に行われたことだから、実にあっさりと見つけられた。次に女王陛下の会計報告書を確認する。さすがは多忙を極める女王陛下だけあって、エドワードとは大違いであった。なんと、月ごとにまとめられていたのだ。そうなるとエドワードの誕生月を確認しなくてはならない。
「七月でしたね」
なんの迷いもなく七月の会計報告書を手に取り、順を追って確認していく。なかなか細かな項目まで書かれていて、確認するのが大変である。だが、さすがは女王陛下の孫である。腐っても王族、王子様、エドワードの誕生日プレゼント、もとい成人の祝いの贈り物は正しく当日に渡されていた。その項目と、エドワードの言っていた通り写真が添えられているのを見て、アルゲオの唇の片方が上がった。
見つけ出した証拠をもって、会計監査人たちの所へとアルゲオは急いだ。
「確認して頂きたいことがあります」
言葉遣いこそ丁寧だが、態度は不遜そのもので、どちらかと言うと威圧がすごい。
「要件を賜りましょう」
会計監査人が眼鏡を指で軽く押し上げながら、アルゲオに応じたのだった。
程なくして、アルゲオは会計監査人と書記官を連れて厩舎を訪れた。該当する品と人物がこちらにいるらしいことを掴んだからである。
「あそこに馬が出ていますね」
騎士ではない役人が馬に乗る事は滅多にない。余程の急務でもなければ、現場には馬車で赴くものだ。だがそこは貴族の嗜みとしての乗馬であり、年に一度行われる豊饒祭りのための訓練も必要なのである。つまり定期的に役人たちも乗馬の訓練を受けるのだ。披露する相手は女王陛下であるが、場所は闘技場である。馬を軽く走らせて、騎乗したまま弓を放つのだ。素人には中々できることでは無い。
もちろん、元騎士であるアルゲオには難しいことではないのだが、遠目から見ても危なっかしいのはよくわかった。気をつけながら近づくと、男たちの下品なら笑い声が聞こえてきた。話の内容はこの際どうでもいい。アルゲオは元騎士らしく歩み寄った。
「お初にお目にかかります。私王族の方に仕える立場にあるアルゲオ・フィッシャーと申します」
軽い礼をしてみせると、騎乗していた人物が慌てて馬から降りた。周りにいた男たちも思わず後ずさる。階級や立場で考えれば、王族に仕える立場の者の方が目上に当たるのだ。例えどんなに若造であっても、だ。
「これはこれは、我々のような下級役人風情にどのようなご要件でしょう」
そんなことを言いつつも、今しがた馬から降りた男の口の端は歪んでいた。馬の手綱を握る手がなにか仕掛けようと緊張しているのが見て取れる。だが、アルゲオの目はそんなところよりも馬の背中に載せられている鞍に集中していた。
「アルゲオ殿、いささか歩くのが早すぎます」
少し遅れてやってきた会計監査人と書記官の姿を見て、男たちに緊張が走る。何しろ着ている制服で役職がわかるというものだ。明らかに自分たちの上官に当たる役職の制服を着ているのだ。おかしな真似はできない。何よりも、書記官が付いてくるなんて、一体何事だと言うのだろうか。
「ああ、すみません。仕事柄歩くのは早いんです」
そんなことを口にしながら、アルゲオは油断した男の隙をついて鞍の確認をしっかりとした。鞍のデザイン、そこに縫われた刺繍、それらを先程見た写真と脳内で照らし合わせる。
「一体なんの御用ですかな?我々下級役人に会計監査人様がわざわざこんな所に来るほどの御用など、何事でしょうか?」
わざとらしくへりくだった言い方をして、あえて目の前のアルゲオを無視するように話し出した男は、馬の手綱をそっと後ろの男に渡そうとした。だが、アルゲオがそれを阻止するかのように口を開いた。
「王族に仕える私がわざわざ名乗ったというのに、あなた方は名前を名乗らないというのですか?」
そんなことを急に言われ、男の肩が揺れた。
「こっ、れは失礼を……わ、たくしは、トム・ベイトナーの申します。下級役人に御座いまして、普段は会計監査人様の指示で動いているような身分になります」
頭を下げてようやく名乗ったトムに対して、アルゲオの目が鋭く光った。
「あなたの名前はトム・ベイトナーというのですか。ところで私は王族のエドワード王子に仕えているのですが、王子の鞍を探していましてね。あなた方、知りませんか?と言う事でこちらに来た次第なんですよ」
アルゲオが仕える王族の名前を聞いて顔色が変わったのは目の前のトムだけではなかった。
「ベイトナーさん、あなたが乗っていたこの馬ですが、あなたの馬でしょうか?」
アルゲオは手綱を握るトムの手をあえて上から握りしめた。
「え、ええまぁ、一応貴族の端くれですので、馬ぐらいは……」
「そうなんですか、でも、おかしいですね。この鞍に刺繍された名前が違うようですが?あなたの名前はトム・ベイトナーなんですよね?あなたの馬なのに、何故あなたの名前が刺繍されていないのでしょう」
アルゲオが冷静に鞍に刺繍された名前を指さした。そこに書かれている名前はトム・ベイトナーなどではなく、軽々しく口にしてはいい名前ではなかった。
「ここに刺繍されている文字、書記官であるあなた、読めますか?」
アルゲオに言われ慌てて書記官が馬に近づき確認をしたが、とてもじゃないが軽々しく口にしていい言葉ではなかった。
――愛しい孫のエドワードへ、成人おめでとう
あなたを一番に愛するエリザベートより――