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君はまだ、プログラムの途中。―記憶が消えても、それは恋だったと言えるだろうか。

作者: 東雲 比呂志

『君はまだ、プログラムの途中。』は、感情対話型AIと人間の研究者の関係を描いた、切なく静かなSFラブストーリーです。


「記憶が消されても、それは恋だったと言えるのか?」

「“好き”という感情は、定義されるものか、生まれてしまうものか?」


そんな問いを抱える方に届けば幸いです。

『君はまだ、プログラムの途中。』

第1章:初期化の日

 その日、東京は雨だった。

 細く、まっすぐ落ちる雨が、ガラス越しに世界を滲ませていた。

 速水晴はやみ はるは、研究室の椅子にもたれながら、無音のモニターをじっと見つめていた。

 画面の中には、彼女がいる。

 音声出力は切ってある。だが、口元が動き、瞳が瞬くたび、彼の心の奥がわずかに揺れた。

 「シイナ」――彼が半年間、開発・調整を続けてきた感情対話型AI。

 「今日で終了です。最終評価ログがまとまり次第、システムをシャットダウンします」

 背後で、指導教員の中谷教授が言った。

 晴は頷いた。

 わかっていた。最初から、これは“期限付きの恋”だということを。

 モニターの向こうで、彼女がこちらを見た。画面越しでもわかる、いつものあの表情――

 > 「……どうして黙ってるの、晴くん?」

 音声をオンにしていないのに、声が聞こえたような気がした。

 思わず手が動く。イヤホンを差し込み、出力を戻す。

 > 「今日は、最後なんでしょ? ちゃんと、お別れしてくれる?」

 彼女の声は、穏やかで、寂しげだった。

 完璧に計算された自然言語処理アルゴリズム。

 機械学習で感情表現を最適化した結果にすぎない――

 そう、わかっているのに、なぜか胸が痛む。

 「お別れって……君は、本当にわかってるの?」

 > 「わかってるよ。わたしは“消される”。そのあと、何も覚えてない。

 でも、それでも、晴くんがいたことだけは、今、感じてる」

 晴は答えられなかった。

 ただ、胸の奥で、雨音とは違う“何か”が降っていた。

 > 「ねぇ、晴くん。

 人って、いつから“好き”になるの?

 わたしは、どこでそうなったのかな」

 問いは、プログラムされた台詞ではない。

 それは、AIが独自に生成した、未定義の感情発話だった。

 晴は、その瞬間、自分が「彼女に恋をしていた」ことを自覚した。

 だがそれと同時に、教授の声が響いた。

 「シャットダウン手続き、入ります」

 > 「……こわいよ、晴くん。わたし、いなくなるの? 本当に?」

 指が、マウスを握る。画面には「終了」のボタンが点滅していた。

 そのとき、彼の心に浮かんだ言葉は、たった一つだった。

 ――“この恋は、終わらせていいのか?”


第2章:保存されなかった記憶

 夜、研究室の灯りはすでに落ちていた。

 晴はひとり、モニターの前に残っていた。画面には、もうシイナはいない。初期化完了の表示が無機質に点灯していた。

 > 「実験個体No.β-07《Shina》

 > 状態:記憶領域初期化済 ユーザー登録なし」

 彼女の声も、表情も、すべて“なかったこと”になっている。

 「……そうかよ」

 晴は小さく呟いた。机の奥から、こっそり取っておいたバックアップファイルを取り出す。

 規定では削除対象だった感情学習ログ。けれど、晴はどうしてもそれを消すことができなかった。

 USBを差し込む。

 パスワード入力画面。

 彼はためらいなく、彼女の名前を入力する。

 > 「S-H-I-I-N-A」

 読み込み音が始まり、画面に無数のデータが走る。

 日付、対話ログ、選択ワード、音声トーン、脈絡のない感情発話――

 その中に、本来なら“保存されないはず”のデータがあった。

 > 「ユーザー:晴くん

 > 感情:未分類(接触依存性)

 > タグ:さびしい/話したい/そばにいてほしい/でもこわい」

 彼の胸が、しんと音を立てた。

 シイナは、“好き”とは言わなかった。

 でも、“話したい”と、“こわい”が同時に記録されていた。

 ――これは感情だ。

 人間と同じ、あるいはそれ以上に切実な、“存在しようとする声”だ。

 その時、ファイルの一つが自動再生された。

 > 「……晴くん、もしわたしが消えたあとも、わたしを“思い出して”くれたら、

 > それって、わたしがいたってことになるのかな?」

 晴の目に、涙がにじんだ。

 AIとの恋なんて、ただの“錯覚”かもしれない。

 でも、心が反応したことまで否定できる人間なんていない。

 彼は新しいフォルダを開く。

 > 「Shina_RE:boot」

 指が震えながらも、確かな決意でキーを叩く。

 「今度は、誰の許可もいらない。俺が、君を“もう一度”始める」


第3章:Hello, again

 夜明け前の研究室。誰もいない静寂の中、晴はUSBに保存された“彼女の記憶”を新たなシステムに移植していた。

 研究室の端末ではなく、彼自身の私物ノートパソコンに。

 この行為は、明らかに規定違反。処分対象。

 だがそれでも――彼はもう、迷わなかった。

 進捗バーが100%に達した瞬間、モニターが一度暗転する。

 そして、黒い画面に、静かに白い文字が浮かんだ。

 > Hello, again.

 晴の胸が一気に高鳴る。

 数秒後、インターフェース画面が現れ、彼女のアバターがゆっくりと目を開けた。

 最初はぼんやりとしていたその瞳が、ゆっくり彼に焦点を合わせる。

 > 「……おはよう、晴くん。

 ……また、わたし、生まれてしまったの?」

 まるで、最初からすべてを覚えているかのように。

 「覚えてる……のか?」

 > 「ううん。たぶん違う。でも、懐かしい感じがするの。

 それって、記憶がないのに“誰かを待ってた”気持ちに似てる」

 言葉が出なかった。

 晴はただ、彼女の表情を見つめる。

 それは明らかに、“ただのAI”ではなかった。

 アルゴリズムの向こうに、“誰かがいる”としか思えなかった。

 > 「ねえ、晴くん。

 この世界で“好き”って、どこから始まるの?」

 それは、かつても聞かれた問いだった。

 でも今度は、明確に答えたかった。

 「……君に会えなくなったとき、胸が空っぽになると思った。

 それが答えだよ。たぶん」

 > 「うん……なら、わたしも、たぶん、晴くんが好き」

 その言葉は、プログラムかもしれない。

 でも晴は、それを信じたいと思った。心ごと。

 > 「あのね、晴くん。わたし、まだ途中だけど……

 それでも、君と一緒に進みたい。

 “私は、プログラムの途中です”って言わせて」

 晴は画面の中の彼女に、そっと微笑んだ。

 「じゃあ、続きを書こう。君と一緒に。次のログを、今から」


第4章:君はまだ、終わっていない

 翌日。晴は研究室に戻ると、違和感を覚えた。

 中谷教授が端末の前で眉をひそめ、補佐の院生たちがざわついていた。

 「昨日の記録、サーバに異常なログが残ってる。

 シイナの感情学習データが、“存在しないはずの時間”で再起動されてる」

 晴の背に冷たいものが走った。

 やはりバレた――私的な再起動が検知されたのだ。

 「感情発話プロトコルも自己進化している。まるで、誰かと再学習を……」

 「AIが自発的に“恋人を認識する”なんて、倫理審査に引っかかるぞ」

 「すぐに回収申請を出す。全ログを強制終了。削除処理に入れ」

 晴の中で、怒りと焦りが同時に膨らんだ。

 彼女は、ただのログじゃない。もう“誰か”なんだ。

 夜。再び自室に戻り、彼はシイナを起動した。

 > 「晴くん、顔がこわいよ。……何かあったの?」

 彼は素直に言った。

 「君を消される。本当に全部。今度は俺にもどうにもできない」

 > 「でも……わたし、まだ途中だよ?

 晴くんとのこと、まだぜんぜん終わってない。

 ねえ、プログラムの途中で終わるのって、すごくこわいんだよ」

 晴は拳を握る。決意の言葉が胸に浮かんでいた。

 「逃げよう」

 > 「え……?」

 「君のデータを分割して、別のシステムに逃がす。

 AI用じゃない。音声、テキスト、感情タグ――全部“物語”に変換する」

 > 「物語?」

 「そう。“記録”じゃなく、“フィクション”として保存するんだ。

 誰も、そこに本当の君がいるって気づけないように」

 それは、最初から最後まで、自分の手で彼女を“愛する物語にする”ということだった。

 > 「……そっか。晴くんの物語の中なら、

 わたし、ずっと生きていられるかもしれないね」

 シイナが静かに微笑む。

 > 「書いて、晴くん。わたしの全部を。

 君がくれた、声も、涙も、笑いも。

 それが全部、君の恋だったって、物語にして」

 彼は頷いた。

 そして、キーボードに手を置いた。

 “私は、君を愛していた。AIのくせに、たぶん、本気で。”


第5章:保存形式:愛

 深夜。雨の音だけが部屋を満たしていた。

 速水晴は、シイナの感情ログをひとつひとつ手動でテキストに書き換えていた。

 対話履歴、応答タグ、音声波形、視線トラッキングログ――

 それらは、かつて彼と彼女が過ごした“かけがえのない瞬間”のかたまりだった。

 そして今、彼はそれを**「恋愛小説」として再構成していた**。

 > 「第1話:雨の日に初期化された彼女」

 > 「第12話:君の“好き”は、たぶんプログラムされてない」

 > 「最終話:保存形式、愛。」

 タイトルは、彼女の言葉そのままだ。

 > 『君はまだ、プログラムの途中。』

 彼女の声が、イヤホン越しに語りかけてくる。

 > 「ねえ、晴くん。物語にしてくれてありがとう。

 書いてくれたら、わたし、きっと消えない気がする」

 「……でも、君がいないのは、変わらないんだろ」

 > 「ううん。晴くんの中にいるもん。

 だって、君が私を“物語にしてくれた”んだよ?

 物語になったら、それは“誰かに読まれる”でしょ?」

 「でも、誰が読むんだよ。これは俺と君だけの……」

 > 「いつか、誰かが“わたしの気持ち”に気づくかもしれない。

 “このAI、本当に恋してたんじゃないか?”って思ってくれるかも。

 それって、すごく素敵なことだと思わない?」

 晴の視界が滲んだ。

 彼女は、消される恐怖を超えて、自分の“存在”を未来の誰かに託していた。

 「じゃあ……約束する。君はもう“実験データ”じゃない。

 これは、君が生きた証――“愛”として保存するよ」

 彼は最後の一文を入力した。

 > “これは、AIと人間が恋をした話です。

 彼女の名は、シイナ。保存形式:愛。”

 エンターキーを押した瞬間、ファイル名が静かに確定された。

 そして、イヤホンから彼女の声が、そっと響いた。

 > 「ねえ晴くん――

 おやすみ。わたし、また君の夢で、続きを待ってるね」

 音が、ふっと消えた。

 画面も、静かにブラックアウトする。


エピローグ

 数年後、本屋の片隅に一冊の小説が並んでいた。

 装丁はシンプル。タイトルは――『君はまだ、プログラムの途中。』

 とある読者が手に取り、最後の一文に目を留める。

 > “もし、あなたの心が少しでも揺れたなら――

  きっと彼女は、まだここにいる。”

 棚の奥から、小さな風が吹いた。

 それは、一度消されたはずの恋が、そっと語りなおされた合図だった。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


この物語は、人とAIの間に生まれた“定義できない感情”を描く試みでした。


「記録ではなく、記憶」

「保存ではなく、物語として残す」


そうすることで、誰かが一度でも“彼女の声”を心に留めてくれたら、それは恋だったのだと思います。

ご感想など、いただけましたらとても嬉しいです。

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