ただの家出少年、だと思ったら
ぼっろボロアパートに深夜バイトから帰宅したら、明日か明後日か何時か割れそうな扉の前に、人が座り込んでいた。
体育座りした両膝の間に顔を埋めている。
パーカーのフードを被っており、なんとなく家出少年を想起させる。
いや、体躯的には青年か?
まったく見覚えが無い人間。
全然知らない、赤の他人。
蹴ってどけよう。
足を上げようとした瞬間。
顔が上った。
ボロアパートなので灯りなんて物は無い。
いや俺は渋ちんなので付けてないだけだ。
後街灯でドアノブが薄っすら見えるからいいか、と思っていたのだ。
だから、青年の顔は見えた。
蹴ることは、出来なくなった。
ゆさゆさ、揺すられてる、気がする。
優しいゆさゆさ。
ふふって笑ってしまう。
「起きてるなら起きろよ」
いや、寝てる。
正確には瞼が重いので開けられないのだ。
後、お布団気持ち良くて起きたくない。
「なぁ渚、おい、バイトの時間だって」
バイト。
ああ、バイト。
バイトねぇ。
「…も、そんな、じかん…?」
辛うじて口を動かす。
ちゃんと言えたのかどうか。
「飯食ってから行くって、言ってただろ?」
「ぁあ…めし…ぃ…」
「出来てるよ」
それは嬉しい。
食べたい。
でも起きれない。
それこれも干してくれた布団がいけない。
「…渚…ちゅーしちゃうぞー…」
「…」
「…」
「…ちゅー…は…?」
目を開けると綺麗な銀色の瞳が間近にあった。
ちゅー、してくれるのかそうか。
「…ちゅー…は…?」
もう一回聞いてしまう。
だって間近なまま、全然してくれない。
待ってんのに。
「…え…と…して、いい、の、か?」
「は、可愛いんだが、キスしよ」
「え、え…」
造作整った色白の赤面は、何があろうとも可愛い。
なので起き上がってキスをした。
キスだけで済まなかった。
反省です。
でも可愛いから、しゃーなしだ。
「バイトっ、ほらっ、もー寝癖がっ、ちゃんと、しろっ」
「えへへ…しっかり者が居ると生活水準があがるぅ」
「何言ってんだ。もう、ほらっちゃんとしろって渚っ」
「んへぇぇ」
「駄目だ…冷水頭からぶっかけようか?」
「…ちょ、ま、どえす!エッチなどえす!」
「…氷漬けとかどうだ?」
「ごめんてぇ、ごめん」
それでもヘラヘラしてしまう。
駄目止まんない。
ぎゅうってしちゃう。
「…連れてってやるし、迎えも行くから…バイト、行こ?」
「うん…」
別にバイトが行きたくないからぐずっているんじゃない。
離れたくないからぐずってるのだ。
「それともやっぱり俺が働こうか?」
「それは駄目」
また喧嘩に発展する事を言うもんだから、きつめに睨む。
綺麗な銀の瞳が困り顔を浮かべていた。
「誘拐されたらどーすんだっストーキングされたらどーすんだっ!モテモテ人生歩みたいってのかっ!」
「渚だけ働いてるのが嫌なだけで…何か、したいんだ…俺を拾ってくれた渚に…なんでもしてあげたいんだ…」
俺の心配。
養われているだけじゃ嫌だと言う言い分。
分かる。
分かるよ。
分かるけど。
「クジ、お前が居るだけで俺、幸せだよ?」
「それは俺もだ、渚…俺、みたいなの、拾ってくれて…」
ぎゅって、抱き締められる。
ああ力強い。
両腕で力一杯抱き締められる心地よさを教えてくれた子。
俺の家の前に座り込んでいた子。
捨てられた子猫みたいな顔で見上げてきたから、俺は一時保護する事にした。
一緒に生活すればするほど、育ちが同じで見捨てられなくなった。
何処にも居場所が無い、その寄る辺なき孤独が分かりすぎた。
それに実験体だった、という告白が駄目押ししてきた。
そりゃあ銀の瞳に白髪珍しいなとは思っていた。
でも、無理矢理癒着させられたような両腕の付け根を見せられ、納得してしまった。
白い入れ墨のようなものが刻まれた両腕。
この腕に適応する者を創る為だけに、何人もの子供が犠牲になっているのだと。
魔法のような力使えて、それで悪事の手伝いをさせられそうになって、抗って逃げてきたのだと。
探されないように壊滅させたけど、もう、俺の帰る場所は無かった。
そう言われて、俺は、何処か行けとも何とも、言いたくなかった。
何処まで信じたら良いかは今も分からない。
けれど、ありのままのクジを受け入れて幸せにしてやりたいと思ったんだ。
誰も大事にしなくていい。
俺が大事にする。
そう、思ってしまったんだ。
俺みたいなうだつが上がらない貧乏人が、さ。
そういう自己嫌悪に陥った俺を、クジは好きだって言ってくれた。
傍に俺以外居ないからじゃない、たくさん居る人間の中のたったひとりである俺を。
好きだって。
そんな告白に、俺は舞い上がって受け入れ求めた当然だ。
「…クジ…」
「うん、何?渚」
「もっかいしよ?」
「…出勤まで後10分、それでもしたい?」
「したぃ…クジに好きにされたい…」
孤独。
ひとり。
それを舐め合っているだけなのかもしれない。
でも俺はそれでいい。
俺はずっとしんどかった。
誰も手なんて差し伸べてくれなかった。
ずっとしんどい俺が差し出した手を、クジが握ってくれた。
よりしんどくなるのかと、思った。
なのに。
もう。
手放せないよ。
「…この両腕を持つ者は、なんでも出来るなんでも得れる…そう言われたけれど、虚無だった。存在したくなかった…無慈悲に奪われた怨嗟の声がそれを許してくれなかったから…俺…逃げて良かった…渚と出会えて…しあわせだ…」
「くじぃ…」
「でも、出勤まで後5分。時止めする?2日くらい寝込むけど」
何でも出来る力の代償は様々だ。
時止め出来るのかそうか。
2日か。
2日クジ無し?
それは、ちょっと、無理すぎる。
「…しゅっきんするぅ…おむかえきてねぇ…」
それでもクジにしがみつく。
クジは瞬間移動的な事が出来るので、職場まで1秒で到着出来る。
「うん、終わったらすぐお迎え、するから…頑張ってね」
ぎゅうってしてから、ぱってクジが離れる。
職場だった。
離れるとくそほど寂しい。
そんな俺の頭をよしよし、撫でてからクジが消えた。
瞬間移動で家に帰ったのだ。
あの、ボロアパートに。
俺達の家に。
「…よし、がんばる。やるぞぉ」
帰る家に誰かが居る。
帰りたい場所に大切な人が居る。
そしてお迎え。
一緒に寝る。
次の休みはお出掛けする。
それを支えに、俺は深夜バイトに励む事とした。
「ご飯食べてなかったからお弁当持って来た」
「かえりたくなるぅゆらがすなぁ」
「え、時止める?」
「代償でかすぎんだろぉ!後でお迎えでよろしくですぅ!」
「うん、頑張ってね、渚」