その85 正義と鉄拳
勇者祭五日前。
刻一刻と、勇者祭本番が近づいている。
『えー、今日は三年生のー、確か……天王寺エイダンさんが来てくれてまーす』
朝のホームルームで、まるで特別客かのように、担任はエイダンを紹介した。
教室の扉が乱暴に開かれ、不機嫌そうな表情の男子生徒が入場する。
明らかに申し訳なさそうでない巨漢は、入ってくるなり俺を一睨みすると、スワンが立っていた位置に立ち、深く頭を下げた。
「この前は……すまねぇ……」
言わされている感満載だが、俺は別にあの一件を怒っているわけでもない。
クラスメイトはそれぞれ、面倒事はやめてくれ、とか、あの後休暇になったしいいじゃん、とか思っている風な装いだ。
謝罪にしては態度悪過ぎなエイダンを、責めるような声は特になかった。
――もう早く出ていってくれ。
おそらく、ほとんどの生徒がそう思っている。
彼の放つ威圧感から逃れたい生徒もいそうだ。
教室を半壊するほどの力を示したわけなので、当然それがトラウマになっている人もいるだろう。
クルリンはぷんぷんしている様子だったが、エイダンに何か言えるほどの度胸を備えてはいない。
ミクリンはエイダンの変わらない態度に呆れた様子だ。
セレナは俺の隣で静かにエイダンを睨んでいる。
グレイソンは一度俺と目を合わせてきた。
――全然反省していないようだから何か文句を言ってもいいかい?
そういう意味の視線だ。
張りついた偽りの貴公子笑顔の中に、全部書いてある。そういうところも全部含めて、彼は最高だ。
俺は静かに首を横に振り、要注意人物の暴走を回避した。
三秒間頭を下げると、また憎しみのこもったエイダンの瞳が上がってくる。
その紅の瞳は燃えていた。一週間という謹慎期間の間、俺への対抗心をこれでもかと燃やし続け、今もこうして燃料を蓄えている、というわけだ。
こういう時、普通は教師が、もう少し丁寧に頭を下げろ、と注意してくれるのが常識だと思うが、我らが担任にそれを期待することほど愚かなものはない。
俺はただ、余裕のある微笑みをエイダンに返していた。
クラスメイト達も、エイダンが誰に注目しているのか知っている。その視線がどこを向いているのか、しっかり理解している。
ちらちらと、視線が俺に集まっていく。
そして目にする余裕の表情。
やはり、西園寺オスカーには何かあるのだ、と確信を持たせる効果を発揮する。
すると、ひとりの男子生徒が急に立ち上がった。
『兄上……!』
俺とエイダンだけに注がれていた視線が、もうひとりの関係者に一気に集約された。
もうひとりの関係者とは、天王寺エイダンの弟、天王寺テオだ。
反応を確認してみてわかったことだが、テオがエイダンの弟であるということを知っていた生徒は思っていたより少なかったようだ。
テオが打ち明けていなかったというのも大きいかもしれないが、エイダンもまた、弟の存在をなかったことにしていた。
名字が同じであることに今気づいたような生徒もいる。
そういえばそうだな、とでも言いたそうだ。
ちなみに、この二人の兄弟関係について知っていたような素振りを見せたのは、俺が注目している葉加瀬と、仙石、獅子王、神道の四人だった。杠葉は興味なさそうにボーっとしている。
「西園寺くんだけじゃなくて、お、おれとも、勝負して欲しい! おれも、強くなったから……だから、勇者祭で――」
「黙れよ」
エイダンが肩から発火した。
「嫌だ! おれだって、強くなった姿を見せたいんだ!」
「いいから、一回黙れっつってんだ!」
「嫌だっ!」
エイダンの目が見開かれる。
そこには猛烈な殺意があった。
決して弟に向けていいものではない。勇者が宿敵である魔王に倒して向けるような、崇高なものともまた違う、虫けらを見下すような、蔑んだ目。
その中に、あからさまな殺意が混じっている。
険悪な雰囲気に包まれる教室。
抑止力になるはずの担任は、失望と呆れの混じった表情で窓の外を眺めている。
テオの席は前から二番目の窓側だ。
一番後ろの俺の席からは、少しばかり距離があった。テオの前の席に座っている男子生徒の獅子王は、興味なさそうに大欠伸している。
「おめぇ、一回ぶっ殺されてぇか? 俺様は西園寺オスカーにしか興味ねぇんだよ!」
「確かに、西園寺くんは凄い――」
おいおい。
「――でも、おれだって兄上と――ッ!」
テオが後退りした。
エイダンが一歩、テオの方に踏み出したからだ。
「これが答えだ、あ? おめぇは本能的に俺様に怯えてやがる! いざ戦おうにも、まともに攻撃を当てることもできずに逃げ回るだけじゃねぇのか?」
「そ、そんなことは……」
テオの声には震えがあり、少しずつ弱く、小さくなっていくのがわかった。
――本能的な恐怖。
確かに、長年兄よりも劣っている存在として生きてきたテオにとって、兄は何よりも恐ろしく、遠い存在だ。
『もうやめてください、天王寺先輩!』
天王寺兄弟の言い合いの場と化していた教室に、新たな声が響き渡る。
その透き通った声には、かつてないほどの怒りが込められていた。
グレイソンだ。
ずっと拳を震わせていると思ったら、遂に我慢ができなくなってしまったらしい。
少し前にもエイダンに意見し、顔を覚えられているグレイソン。急に上げられた怒号に、エイダンは、またおめぇか、とでも言うように飽き飽きした視線を送った。
「テオ君は先輩を超えようと必死に努力しています! だから、そんな言い方で彼を突き放さないでください!」
「グレイソンくん……」
「おい、なんだ、こいつはテオの友達か? 大した力もないくせして、くだらねぇ兄弟の話に割り込もうってか?」
「くだらなくなんかない!」
グレイソンが声を張り上げる。
彼がここまで怒りを露にするのを初めて見た。
どちらかというと、グレイソンは冷静で落ち着いた方だ。俺に決闘を申し込んできた時、冷静に俺の煽りに対処することだってできていた。
そんなグレイソンが、声を荒らげながらエイダンと対峙している。
俺はこの光景が美しいと思った。
不謹慎かもしれないが、誰かのためにここまでできるグレイソンが、神のように輝いて見えた。
その灰色の瞳からは、正義という名の強い意志を感じる。
「よえー奴が調子に乗りやがって」
エイダンがまた一歩踏み込んだ。
一歩。また一歩。
体を震わすテオを通過し、グレイソンの方へ。
グレイソンは一切動じることなく立っていた。怖気づいた様子もない。自分の信じた正義を貫くグレイソン。
そんなグレイソンを殺す勢いで近づく、荒くれ者。
グレイソンに向かい、拳を振り上げる。
俺にした時と同じように、気に食わない存在を排除するために。
クルリンはぷるぷる震えていた。
ミクリンは瞠目し、エイダンを前に動けなかった。
セレナは怒りに任せて立ち上がった。
『やめろ!』
テオが叫ぶ。
だが、体は恐怖で動かない。
グレイソンは拳を受け止めようとしていた。かわすならともかく、今の彼の器では、あの巨漢の攻撃を吸収できるとは思えない。
仮にもエイダンの鉄拳を食らってしまえば、防御に使った両腕は勿論、反動で全身の骨が粉々に砕け、再起不能に陥ってしまう可能性だってある。
『天王寺さん? それは――』
スワンが事の恐ろしさに気づいた。
だが、もう遅い。
絶対に間に合わない。
数秒後に広がるであろう絶望的な光景を想像し、多くの生徒が目を伏せた。




