その83 麗人の水浴び
勇者祭まで、残り一週間を切った。
授業でも明らかにお互いを意識したバチバチの空気が漂う中、俺は最後の調整としてこの一週間を使おうと決めていた。
まずは初日に行われる一次予選と二次予選だ。
ここで実力を見せるのはまだ早いと思っている。決勝トーナメントの前の余興に過ぎない。
どんな内容なのかは機密情報で、本番の適応力も重要になってくる予選では、盛り上げてくれそうな生徒を見極める段階として使い、無難に突破することを目標にしよう。
勝負は二日目の決勝トーナメントだ。
予選を勝ち抜いた三十二名の実力者達が競い合う。
組み合わせは予選で好成績だった者が有利に進められるそうなので、優勝するために予選から本気を出してくる生徒も多いだろう。
個人的には、グレイソン達にも残って欲しいし、テオにはエイダンと直接対決して欲しい。
俺の力ではどうすることもできないが、彼らの訓練を手伝い、彼らに実力をつけることで協力することはできる。
これまで、誰かと一緒に頑張りたい、などと思ったことはなかった。
それを考えれば、俺も変わったものだ。
***
勇者祭ではさほど役に立たなそうな〈勇者史〉の授業を終え、久しぶりにひとりで昼食を取ろうと中庭の噴水に来ていた。
クルリンとミクリンの〈水追跡〉だけが脅威だったが、どうにか隙をついて逃げ出したのだ。
『読書パーティーぶりかしら、オスカー』
予感はしていた。
よほど噴水が好きなのか、今度は俺よりも先に、女神のような麗人が水を浴びていた。
彼女の裸体を隠すものなどない。
こんなところで堂々と水浴びできるのは、俺と月城ルーナぐらいだろう。
セレナ以上の膨らみを持ったむき出しの乳房に、人間を超越した細い腰。瑞々しい臀部からは水が滴り、長く艶のある生足は日の光を反射し神々しく輝いている。
その完璧に等しい女体を、恥ずかしがることなく披露していた。
濡れた菜の花色の長髪を絞り、水を落としている。
視線はずっと俺を向いていた。
そして俺も、一切赤面することなく、表情を変えずにその美貌に見惚れる。ルーナを見ることは、芸術作品を鑑賞することに等しい。
「あら、興奮してくれないの?」
「愚門だな。その一言で芸術が台無しだ。早く服を着ろ」
興がそがれた、とでもいうように、冷たい言葉を返す。
ルーナはふふっと微笑むと、裸のまま俺に近づいてきた。ぽたぽたと、彼女の裸体から水がこぼれていく。
俺は動じない。
一歩も動くことなく、ルーナを見据えている。
「二人きりみたいね。アナタも一緒に水浴びする?」
「断る。俺はただ、太陽を背景に噴水を眺めたかっただけだ」
気づけば、すぐそこにルーナの顔があった。
水浴びしても、彼女の香りまでは流されないらしい。どこか甘い、煽情的な匂いを感じた。高くて通った彼女の鼻が、俺の傷のある右頬に当たる。
意外なことに、彼女の鼓動が聞こえてきた。
こういう誘惑行為には慣れているものかと思っていたが、意外とそうでもない?
どこか緊張した様子で、俺の頬をペロッと舐める。
ルーナの舌は温かく、滑らかだった。
「何がしたいのか聞きたいところだが、それもまた愚門だろうな」
「よくわかってるじゃない」
「今回の勇者祭、誰が優勝すると思う?」
「あら、そんな焦らなくてもいいのよ? 時間はたっぷりあるわ。勇者祭の話より、愉快な話でワタシを笑わせてちょうだい?」
「それは白竜に頼んでくれ。俺の仕事ではない。それより早く服を着ろ」
トーンを変えず、淡々と話す。
どこか冷めたように、麗人の誘惑も相手にすることなく。これぞまさに、「かっこよさそう」なムーブだ。
早く服を着て欲しいのは本音だが。
「やっぱり、つれない男。でも、そういうところ、大好きよ」
俺の気持ちが伝わったのか、彼女はようやく服を着てくれた。
ただの白い学園制服も、月城ルーナが着れば高級な純白ドレスに早変わりだ。
「そういえば、エイダンの件は大変だったわね。アリアから聞いたわ」
「いい迷惑だ。白竜も何か言ってたか?」
「あら、気づいてたのね。アレクサンダーがアナタを見物してたこと」
「当然だ。あれだけ堂々と見られていて気づかないはずがない。白竜もなかなかに俺を気に入ってくれているようだな」
「勇者祭でアナタと戦うのを楽しみにしてたわ。それで、アナタはそれに応えるつもり?」
――どこまで本気を出すつもり?
そう聞かれているような気がした。
ルーナの含みのある笑みは、俺の実力を示唆している。
彼女も、そしてアリアも、白竜も、九条も、俺の実力を大方わかっているのだ。魔王セトを討伐した謎の少年が俺であることも、知っているのだ。
俺はすぐには答えなかった。
噴き出る水を手ですくい、喉を潤す。これも余裕から生まれる動作のひとつ。
「俺はいつでも全力だ。君はどうだろうな」
さっと視線を流し、この場から立ち去ろうとする。
ルーナは生徒会の幹部。
実力者である以上、この勇者祭を盛り上げるために主役級の活躍をしてもらわなくてはならない。
「ワタシだって勇者祭は本気よ。きっと、アナタの強敵になるわ」
魅惑的に吐息を漏らし、俺の背中に寄り添う美少女――いや、彼女はもうすでに、熟した美女の域に達している。
「その言葉が聞ければ満足だ。楽しみにしておこう」
ルーナが俺を抱こうと腕に力を入れる。
だが、それは空振りに終わった。俺の残像を抱く美女は、しばらくその場に立ち尽くしていた。




