その81 弟であることの苦しみ☆
『お前はどうして長男みたいに強くなれない!?』
テオがはっきりと覚えているのは、父親の残虐な握り拳。
兄と同様に大柄で、過去にエンシェント・ドラゴンを討伐したほどの猛者だった父親の拳は、超硬金属よりも遥かに硬いように思えた。
そんな拳骨に頬を殴られ、反射的に吐血する。
少し距離を取ってこの光景を見つめているのは、冷酷な母親。
自分が産んだ息子なのに、軽蔑するような氷の瞳で、テオを眺めている。そこに哀れみはない。ただ、テオを息子と思いたくないというような、絶対零度の冷気があった。
『立て! お前に寝る時間なんてない!!』
テオの体はボロボロだった。
――もう起き上がれない。
慈悲を求めるような目で父親を見たとしても、さらに強烈な一撃が待ち構えている事実に絶望するだけだ。
一方で、兄は一族の英雄だった。
かつては貴族として名を馳せていた天王寺家。平民に堕ち、没落していた一族を再興するため、エイダンとテオは産み落とされた。
過酷な訓練は生後三ヶ月から始まった。
自力で立ち上がり、歩けるようになるまで。
大人でも重いと感じるような大剣を握り、振り回せるようになるまで。
驚異的なスピードで成長していく二人。二つ年上のエイダンと同じく、テオも五歳までは彼と同等、もしくはそれ以上に期待されるほど成長していた。
しかし、両親に言わせれば、テオは失敗作だった。
筋肉がつきにくく、病気にかかりやすい体質だったのだ。
厳しい訓練を課しても、すぐに高熱を出して体調を崩してしまう。そんなことはお構いなしに訓練させられた結果、さらに症状が悪化し、死の淵を彷徨う。
そんな負のスパイラルに陥ってしまい、気づけばテオとエイダンの差は天と地までに開いてしまっていた。
テオには、誰ひとり味方はいない。
「兄上……」
「あ? 俺様に喋りかけんじゃねぇ」
エイダンが味方を求める弟に向けたのは、兄弟愛でも家族愛でもなく、純粋な敵意だった。
「おれは……どうすれば兄上のように……」
「俺様はおめぇが大っ嫌いだ。そんなクソみてぇな顔しやがって、自分で何もできねぇから、誰かに助けてもらおうなんて思ってんのか?」
「兄上……」
「――いねぇんだよ! 俺様の味方も! おめぇの見方も!」
「……ッ」
「強くなるしかねぇんだ……俺達は」
ボソッと。
いつもの威勢を失いながら呟いたエイダンの横顔。
テオはその悲しみに満ちたような横顔を、十七歳になった今でも忘れられなかった。
――強くなるしかない。
その事実は、テオにとって残酷なものだ。
どうあがいても、兄のように強くはなれない。テオ自身も、必死に努力していた。その努力の積み重ねはエイダン以上かもしれない。
誰も見ていない屋敷の中庭で、ひとり黙々と剣を打ち込み、地味な筋力強化に勤しみ……それでも、残酷なまでに飛躍しない自分の実力。
一足先にゼルトル勇者学園へと入学し、その優秀さを周囲に見せつけていったエイダンと自分は、違うのだ。成功作と失敗作なのだから。
ゼルトル勇者学園は全寮制で、夏休みの一定期間しか個人的な外出や帰省は認められていない。
その期間が来ても、エイダンは帰省などしなかった。
彼の活躍もあり、徐々に勢力を伸ばしつつある天王寺家。実家に帰れば少しは良い待遇をされるかもしれないのにも関わらず、彼は絶対に屋敷に帰ろうとはしなかった。
そして、テオも。
兄に遅れること二年、ゼルトル勇者学園に入学する。
『兄上!』
入学式が終わり、エイダンの姿を見つけたテオは走った。
ほんの少しだけ、会っていなかった二年間で成長した姿を見て欲しかった。
ゼルトル勇者学園に入学できたこと、自分もいつかエイダンと同じように生徒会役員になりたいという憧憬。
乱暴で、自分を突き放してばかりの兄に。
知って欲しかった。
「もしかして、エイダンさんの弟様でしょうか?」
生徒会の幹部五人はまとまって行動していた。
真っ先にテオの声に気づいた生徒会長が頬を緩ませる。
凄く優しそうだ、と。
テオは思った。
同時に、こんな綺麗な人がいるものだ、と。
アリアは決して派手な超絶美少女ではない。しかし、その洗練された自然体の美しさには、誰もが目を奪われ、見惚れてしまう。
「へぇ。エイダン君に弟君がいたなんてね。なんでボクに教えてくれなかったのかな? ボク達、親友だろ?」
「うるせぇ。おめぇのこと親友だと言った覚えなんてねぇ!」
「やっぱりツンデレだなぁ、エイダン君は」
「ぁんだと!!」
テオは目の前で繰り広げられる副会長と兄のやり取りに驚いた。
あの横暴で屈強な兄が、こんな風にからかわれている……エイダンが気を許しているからなのか、藍色の髪の少年がエイダンよりも強いからなのか。
(流石は、ゼルトル勇者学園……)
ゼルトル王国が莫大な費用をかけて勇者を育成する、教育施設なだけはある。
特に生徒会の連中は溢れ出る強者の雰囲気から畏れ多く思うほど。
「やあ、エイダン・ブラザー君!」
「こっ、こんにちは! 天王寺テオっていいます! あの、おれ――」
「俺様はおめぇの顔なんて見たくもねぇ。失せろ」
「――ッ」
そこでエイダンが見せたのは、今まで何度も目にしたことのある、炎を押し殺した、冷たい表情だった。
場が凍りつく。
いつも燃えている炎が、突然吹き消されてしまったかのようだった。
「阿保、自分の弟にその言い方はないだろう」
この状況をどうにかしようとしたのか、それとも純粋にエイダンに文句を言いたかったのか、片眼鏡の少年が彼を睨む。
「兄として最低ね」
超絶美少女も、その艶のある顔を歪めた。
エイダンに軽蔑の視線を送り、テオを守ろうとする。
「あいつは弟なんかじゃねぇ」
エイダンが吐き捨てた。
その言葉はあまりにも、強過ぎた。
バリっと。
テオの中で何かが壊れる。
目の下から徐々に頬にこぼれ落ちるのは、一滴の涙。
――男は泣くもんじゃない。
幼い頃から、ずっとそう言われ続けてきた。
ずっと我慢していた。どんなに辛くても、涙は流さず、力に恵まれた兄を妬むこともなかった。
溢れ出る液体を片腕で留めながら、何も考えずに走る。いや、逃げる。
兄から。
現実から。
「――弟君! ちょっと待ちたまえ!」
余裕のない、必死な副会長の声が聞こえる。
だが、兄がそれを望んでいるとは思えない。アレクサンダーからの言葉は、兄に拒絶された可哀想な弟を哀れむ、憐憫の情でしかない。
この時、テオは誓った。
――兄を超える。
今までは兄に敵うなんて思ってなかった。遠い存在として、ただ神を見るかのように眺めていただけ。
これは確かに、競争相手として、エイダンを見据えた瞬間だった。
しかし、優し過ぎる少年には、残酷な兄を恨めなかった。
エイダンだって、自分と同じように、両親の、一族の道具として作られた存在に過ぎないから。同じ苦しみを背負っているはずだから。
勇者祭では三年生であるエイダンとも正式に戦うことができる。
――だからこそ、そこで彼に勝利し、認められたい。
暗闇の中を泥塗れになりながら進んできた、同じ天王寺家の兄弟であると。ずっと兄の背中を追い続けてきた、愛に飢えた弟であると。
テオは暗い表情で話を聞くオスカー達に、その想いを伝えた。




