その78 高みを目指す者
昼休み、ボルケー神殿に向かう前に、東雲に捕まった。
捕まったというのは大袈裟だが、四校時目の授業である〈神話学〉の教室から出るタイミングで話しかけられた、というだけだ。
「西園寺くーん、ちょっといいかなー?」
裏の東雲ではなく、いつものふわふわとした東雲だ。
だが、その奥に闇を感じるのは俺だけだろうか。
俺のすぐそばにはセレナとグレイソン、そしてミクリンがいた。クルリンは桐生に呼び出され、小さな彼女に適したサイズの剣を求める旅に出ている。
セレナは東雲に対し嫌悪感むき出しという表情を作り、グレイソンは軽く身構えた。
ミクリンは静かに東雲を睨んでいる。
三人とも、随分俺に懐いたものだ。
ペットの犬が見知らぬ人にシャーっと警戒するような勢い。気持ちはありがたいが、俺は誰かに守られるつもりなどない。
「そんなに警戒しないでいいよー。ルビー、なんとなくわかったから」
「何? あんたが間違いで、オスカーが正しいっていう世界の秩序が?」
セレナが驚くべき台詞を口にし、反抗した。
敵意しかないその言葉に、東雲が引きつった笑みを浮かべる。内心ブチ切れているのかもしれない。
だが、俺が感心したのは、セレナの言葉の選択だ。世界の秩序、というのはなかなか才能がある。今後もそういうところを磨いていって欲しい。
「二階堂さん、ちょっと酷いよー。この前のことは謝るからー」
「――ふんっ」
「東雲さん、『わかった』って、何がわかったんだい?」
見かねたグレイソンが話を進める。
「西園寺くんの隠してること、みたいなー? あの剣術を見せられたら――」
「どうする、オスカー?」
東雲が核心を突いたことを言おうとすると、すかさずグレイソンが俺に指示を仰ぐ。
――こいつ、帝王様の秘密に気づいたみたいです。排除しますか?
そういう風に問われているとしか思えない。
幸い、俺は彼が思うほど残忍な人間ではなかった。
「なに、気にするな。彼女に剣術の心得があったというだけのことだ」
視線を流し、瞳を細めて言う。
グレイソンはまだ満足していないようだった。
「東雲さん、絶対にこのことは――」
「わかってるよー。ルビー、そんなに信用されてないのー?」
「当たり前でしょ。今でも心の中では何考えてるのかわからないのよ? いい加減本性見せて――」
「セレナさん、それは少し言い過ぎのような……」
――もしこの情報を漏らせば殺す。
そう言いたげなグレイソンに、セレナが加勢する。誰よりも冷静なミクリンは、今にも手を出しそうなセレナを優しく制止した。
やはりミクリンがいなくては、二人を――それに加えて一番の問題児クルリンを――抑止することができないのだ。
「東雲、勇者祭ではお前でも見たことのない、究極の剣技を見せてやろう」
混沌としたこの場面で、俺の黄金の瞳は依然として輝きを放っていた。
***
呼び出しには、真摯に向き合う必要がある。
テオが俺を求めひとりで待つのなら、俺もそれに応じてひとりで向かうのが礼儀というものだ。
東雲と別れた後、少し用事があると言って、グレイソン達を撒いた。〈刹那転移〉と〈視界無効〉を使えば容易なことだ。
本館から少しだけ離れた〈神降臨の場〉。
そのネーミングもなかなかだが、広がる光景は至って真面目だ。スペイゴール十二神の神殿が列挙し、白亜の輝きが生徒達を導く。
俺はスペイゴール十二神を信仰していない。
おそらく、この学園で唯一の生徒だ。
だからこの場所には滅多に足を踏み入れない。
「なかなか壮観な眺めだ」
「そうだね」
炎の神ボルケーが祀られたボルケー神殿。
その前で俺を待っていたのは、天王寺テオ。
俺との会話も慣れたのか、すっかり打ち解けた話し方になっている。それにしても、兄弟で随分と違うものだ。兄の持つあの横暴さもなければ、鍛え抜かれた筋肉も、みなぎる自信もない。
本当に兄弟なのか、と疑ってしまう。
真っ赤な髪と瞳だけが、彼らの共通点といったところか。
顔つきはテオの方がずっと優しい。天王寺――エイダンに比べ、目尻が少し下がっていることも関係するのかもしれない。
「西園寺くん、おれ、もっと強くなりたいんだっ! だから、剣術を教えて欲しい!」
単刀直入に、テオが言った。
熱い風が吹きつける。
この言葉を絞り出すのにかなりの勇気を要したようだが、そこには純粋に力を求める意志が存在していると、俺は感じた。
「お前はなぜ、力を求める?」
熱い風を全身で受け止めながら、双眼を細めた。
力を求める旅路には、必ず動機及び目的が存在する。重要なのは、その動機を知り、正しい目的を持たせること。それが導く者の在り方だと、俺は考えている。
「兄上に、認められたい……」
そこには悔しさと、己への自責の念が含まれていた。
テオの熱い気持ちだけは本物だ。
だが――。
「その程度の気持ちでは、強くなることなどできない。ここで好きなだけ神に祈るといい」
俺は渇望者に背を向ける。
もう興味はない。
話は聞いた。
これ以上、彼の祈りに付き合っている暇はない。俺にも勇者祭の準備がある。
「どうしてっ!? おれは本気なんだ! どんな過酷な訓練でも、乗り越えられる! だからっ――」
「誰かに勝ちたい――そういう気持ちも大切なのかもしれない。その気持ちの方向はライバルか、あるいは宿敵か……様々だが、お前は最も重要なことを忘れている」
「――ッ」
「確かに気持ちは伝わった。エイダンに勝ちたい。そのためならどこまでも努力する。だが、その強い気持ちがあれば、お前はすぐにエイダンを超えるだろう」
「――?」
「仮に今から訓練を積み、エイダンを超えたとする。俺からしてみれば、あの男を超えることなど大したことではない。お前の目的はエイダンに勝つこと――とすれば、もうその時点で目的が達成されてしまう」
ここまで台詞を紡ぎ、俺はようやく振り返った。
テオは何も言わない。
ただ、純粋な疑問と、その奥でたぎる情熱を俺に向けている。
「他人を目的に置くことの恐ろしさはそこにある。俺達は己と戦わなくてはならない。誰かに勝つ、それも立派な目的だ。だが、努力を続ければ、必ずそこに辿り着く。そしたら? お前は満足し、そこで燃え尽きてしまう」
「でも、また新しい目的を作れば――」
「ほんの僅かな綻び……一秒の油断――自身を昇華し続ける俺達にとって、あってはならないものだ。次の目的、目標を見つけるには時間がかかる。一秒も立ち止まってはならないのに、必ずそこで立ち止まってしまう」
テオはここで悟ったようだった。
彼が見つめるのは俺ではない。どこまでも続く青い空。
――目線が上がる。
それだけ。
たったそれだけで、人間は成長できる。
――自分より遥かに大きな存在に果敢に立ち向かい、逆境も自分の力に変える。それができれば、もう勇者だ。
俺の近くにいるような者が、天を見ないなどあり得ない。目指すのは高み。どこまでも続いているからこそ、どこまでも努力を続けることができる。
「お前にもいろいろと事情はあるのかもしれない。それは後でじっくり聞いてやろう。だが、これだけは忘れるな――常に上を見続けろ」
「西園寺くん……おれ……」
何か言いたげなテオ。
だが、俺は右手でそれを制した。
「放課後、〈闘技場ネオ〉に来るといい。そこに、お前が目指すべき高みがある」




