その40 初めての危機?
俺は魔王セトと向き合っていた。
二М以上はある魔人で、筋肉質な体に紫色の肌。真紅の邪悪な瞳に、闇を彷彿とさせる漆黒の長い黒髪。
子供が見たら泣き出すほどの、歯並びの悪さ。どこからどうみても、そこに美は存在しない。
奴の放つ魔力と俺の放つ魔力。
双方の魔力がぶつかり合い、空気に溶けていく。魔王が紫のオーラを身に纏っていることに対し、俺のオーラは黄金色。
――勇者と魔王。
これまで八柱の神を殺してきた。
魔王と戦うことは初めてだ。
無名の神々は無抵抗で、力さえあれば殺すことができた。だが、魔王は違う。全力で俺を殺しにかかる。
これまでとは異なる緊張感。
王都に広がる惨い光景は、魔王セトの残忍さをよく表している。
ギリギリの戦いになるかもしれない。
「俺の名は西園寺オスカー。貴様の名は何という?」
貴族らしい高慢な口調で、魔王に話しかけた。
緊張の汗は一切流さない。誰がどう見ても、俺の方が余裕という雰囲気を作る。ギリギリの戦いに美しさはない。俺が追求するのは、余裕のある戦い。
不利な状況に立たされたとしても、高笑いできるだけの強さ。
演技が上手ければ観客は気づかない。
「オレハ、セト」
俺の問いに魔王が反応した。
人間の言葉は理解できるらしい。
戦いにおいて最も重要なこと。それはアクションの激しさでも、剣技の華麗さでもない。思想の衝突だ。
争いは双方の意見が反発するからこそ起こる。
お互いに自分の思想が正しいと主張し、その決着をつけるために武力行使をするのだ。だが、この邪知暴虐の魔王はどうか。
「貴様の目的は何だ?」
「モクテキ、コワス。スベテ、コロス」
実に魔王らしい言葉をいただいた。
魔王らしい、というのは他の知性的な魔王に対して失礼かもしれない。とはいえ、この邪知暴虐の魔王であるセトは、幼い子供が想像する「魔王」そのもの。そこに崇高なる目的は存在しない。
戦うこと、支配すること、蹂躙すること。
要するに、それはただ自分の欲に溺れた未熟な奴の特徴。そんな奴に負けるわけにはいかない。考えもなしに吠えるだけでは、ただの魔獣。
――魔王セトは、俺に倒されるためだけに登場した。
「悪いが、これ以上王国を壊されるわけにはいかない」
雨が降り始めた。
黒雲が広がり、ざーっとナイフのような鋭い雨が落ちてくる。
「俺と対峙した時点で、貴様は詰んでいる」
***
剣を抜き、跳んだ。
軽やかに振り下ろされた俺の剣を、紫色の金属でできた大剣で受け止める魔王セト。
「オマエ、ダレダ」
攻撃には魔力を乗せている。
軽いはずの俺の片手剣がずしっと重くなり、一撃に深みを増す。その衝撃で魔王セトの足場が崩れた。
硬く整備された〈王国通り〉の石の道が重量に耐えられなくなったのだ。
衝撃を逃がすために力を分散した結果、吸収することさえできずに拡散して消えた。
「さっき名乗ったはずだ。俺は西園寺オスカー。貴様の処刑人だと言っておこう」
剣での攻撃を重ねる。
邪知暴虐の魔王だけあって、戦いのセンスには光るものがあるか。感覚で相手の剣を受け止め、流すようにして攻撃を繰り出す。それは魔王セトでないと至難の業となり得るものだった。
魔王セトが吠えた。
獣のように憎しみのこもった目で敵を見て、剣で斬りかかる。
剣は俺のすれすれ三CМ横を通過。
間髪入れずに次の攻撃が繰り出される。
これは剣で受け止めず、優雅に身をかわしてよける。
今の俺は半分貴族のようなものだ。
正体がバレないようにしているのだが、やるからにはしっかりと役を演じきりたいと思うことは当然のこと。貴族の服装をすれば、俺はもう貴族になる。
魔王セトの剣が俺の左腕を軽く斬った。
瞬間、内臓を突き刺されたような強烈な痛みが全身に走る。
ほんの少しかすっただけ、のはずだ。それなのに、痛みは一瞬で体全体に拡大し、ピリピリとした痺れをもたらした。
足を踏ん張り、高質力の魔力を放出する。可視化できるほどの、まがまがしいオーラ。
活力がみなぎり、痺れていた手足にも力が入るようになった。
「――ッ」
魔王セトが瞠目する。
俺の耐久力を侮っていたようだ。
とはいえ、ほんの少し攻撃がかすっただけで、ここまでのダメージを与えられるとは……俺もまだまだだ。
再び剣を構え、飛び上がる姿勢を作る俺。
だが――。
「オマエノ、マケダ」
奴は歯並びの悪い歯を見せ、にたーっと気持ち悪い笑みを浮かべた。
勝利を確信したような覚醒感。
この戦いが始まってまだほんの三十秒。あるのは激しい剣の打ち合いと、鋭く響く金属音のみ。
一撃の威力ではまったく敵わない相手だ。
スピードは互角か、魔王の方が僅かに劣っている。といっても、耐久力も、体内に持つ魔力の量も、純粋な腕力も、俺の方が圧倒的に劣っていることがわかった。
「まさか俺とここまで渡り合うとは。なかなかやるではないか」
高慢な態度を見せつけたまま、俺は剣を鞘に収める。
はっきり言おう。
これは虚勢だ。ここままだと、「かっこよさそう」な演出をすることにこだわり、犠牲になってしまうかもしれない。
「もはや俺に剣など不要……〈魂の拳〉!」
利き手である右拳に力を込め、筋肉を集中させる。
神能〈魂の拳〉が可能にするのは、利き手拳の硬化。
金属のように硬くなった拳は、最硬金属や至高の金属でない限り、どんなものを殴ってもそれ相応のダメージを与えられる。
それに加え、俺は一切拳に痛みを感じない。
「原始的な殴り合いで、魔王を穿つ」
腕を後ろに引き、攻撃の準備をする。
途中でセトから攻撃を食らわないよう、しっかりと距離を取っていた。間合いの管理はこれまでの厳しい修行で嫌というほど身についている。
風のようなスピード。
疾風の加速で、魔王との間合いを詰めた。僅かに瞠目する紫の敵。
西園寺オスカーの渾身の拳が放たれた。
「クダラナイ」
この攻撃を魔王セトは嗤ってかわす。
空中を蹴り返し、慌ててまた距離を取った。
(まさか……速度でも劣っていたのか、俺は……)
意図しない汗。
額から頬を伝い、俺の隠せない驚愕を世界に知らせる。唯一勝ると思っていたスピードでさえも、魔王セトの前では通用しなかった。
「貴様もなかなかなものだ」
手で汗を弾き、余裕の微笑みを魔王に向ける。
俺は窮地ではない。
これは決して強がりなどではなく、事実だ。
――俺には切り札がある。
それを使えば間違いなく、魔王セトにも勝る一撃を繰り出すことができるだろう。邪知暴虐の魔王を、一瞬で葬ることが可能であろう。
だが、俺が目指すのは何か。
――「かっこよさそう」なこと。
かっこよくては駄目だ。
わざわざ似合ってもない貴族の格好をして、髪色を変えてまで貴族のふりをすること。それは決してかっこよくはないが、かっこよさそうだと思う。
俺の目指す道は誰にも理解できない。
〈魂の拳〉を解除し、次の段階に移ろう。
剣を鞘から抜き、全身を振り出しの魔力の状態に戻した。
今は観客が到着するまでの時間稼ぎをしているだけに過ぎない。
「次はどんな遊びをして――ッ」
急に、脚の力が抜けた。
体勢を崩し、横にぶれる。
視界があやふやになり、負傷した左腕が焼けるように痛み出す。魔力で包み込むことによって、一時的に忘れていた痛みだ。討伐が終わってからゆっくりと〈超回復〉で治療しようと思っていたのだが……。
(まさか……これは……)
ふらふらと森を彷徨っている。そんな気がした。今の自分はそんな状態だ。
『オマエノ、マケダ』
少し前のセトの言葉が蘇る。
奴が負わせた左腕の傷から、見たこともない紫色の血が流れている。
一応俺の体にも赤い血が通っているわけなので、紫色の血に衝撃が走った。
(なるほど。あれが伝説の魔剣――〈暗黒剣〉か)
剣だけは落とさないように強く握り締め、構えを取り直す。
魔王セトが使用する紫の大剣。
まだ授業では習っていないところだが、〈勇者史〉の教科書に何文かの記載があった。
かつて最強と謳われた勇者アッシュルが、この大剣を前に敗北を喫したという。
混沌の魔王ギド=レンケがドワーフの奴隷達に鍛えさせ、五百年もの時を経て完成したという伝説があった。
その剣で斬られれば致命的だ。
徐々に傷口から侵入する闇の呪いは、対象を闇の世界に引きずり込み、堕落させる。
伝説が本当であれば、勇者アシュルはこれにやられ、勇者から闇の住人へと闇堕ちしてしまったらしい。
「俺を闇の世界に勧誘するつもりか?」
「西園寺オスカー、オマエノ、マケ。シヌノ、オマエ」
魔王セトの狂気が蠢いている。
邪知暴虐と聞いて、暴れ回るのが好きな性格なのかと誤解していたが、根は陰湿な奴のようだ。
勝ち誇った形相で、魔王セトが大剣を振りかざす。
俺は力強く振りかぶったセトの攻撃を大ジャンプでよけ、五Мほど後方に着地した。雨が地面に打ちつけている。
だが、ここで、魔王襲来の闇に包まれる王都に、一筋の光が差し込んだ。
「俺がこの程度の攻撃に屈するとでも思ったか?」
光は俺を照らし、過酷な状況にある現在の王都における、唯一の希望となる。
絶体絶命のピンチ。
闇堕ちの呪いを受けたはずの俺は、まだ高貴な余裕の笑みを浮かべたままだった。
「――ナゼダ? ナゼ、ヤミオチ、シナイ?」
「時は来た。これで時間稼ぎは終わりだ」




