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9/22

終わりの日の佐美(サミ) 8 カラコラム神国の武装平和

 目の前の光景は夢もしくは幻に違いない、と佐美は思いたかった。佐美が知っている記憶によれば、ズルナの響きに乗ってコチャリの踊りに八歳の佐美と康煕が興じる姿しかないはずだった。それは佐美の見た遠い日の忘れられない楽しい記憶だった。そして、その思い出から我に返った時、佐美の目の前には、見知ったほくろのある顔、15歳の権康煕(チュアンカンチー)が敵として立っていた……。彼は部隊士官、佐美たちに襲い掛かってきた西蔵占領軍残存部隊の士官だった。

……………


 厚手のブルガを着込んだ佐美、そして山岳服に身を固めたオレフとマリーチカは、ゴグの谷を去って谷あいの西端にある峠道へ向かった。

「この峠を登るのか?」

 オレフとマリーチカは不安そうに佐美を見上げた。先行して登っていく佐美は、改めて太陽と六分儀、そしてゴグの地で手に入れた地図を手にしながら、確信を得たように返事をした。

「確かですね...地図と緯度経度から言ってこの峠が答えです」

「これは、ゴグの谷の西の端のはずなのだが......」

「そうです。この峠を越えれば、絶乾寒冷のゴグの谷から逃れられるはずです」

 佐美はそう言いながら、オレフとマリーチカたちを励ました。そして、峠を越えて少し下がった時、佐美は思わず口にした。

「湿気……」

 この言葉を口にした時、佐美は彼女自身も実は不安感が先に立っていたことに気づいた。


 シムシャール(shingshal)の谷。今まで、彼らは、カラコルムの南東の果て、タクラマカン西部とチベット北西部の果て、絶乾寒冷のゴグの谷あいにいた。彼らはいま、峠を越えたところで湿気を感じ取っていた。シムシャールん谷あいは、ヒマラヤ山脈の最奥の荒涼とした山々に囲まれた谷あいではあっても、インド洋からの湿気が雪となって蓄積されていた。谷あいにはいくつかの川筋のあとが見え、谷底に湖が形成されていた。佐美は、ゴグの地で聞いていた湖が確かにあったことに、安堵した。


 佐美がゴグの地で知った限りでは、その湖畔には核戦争の前までは、かつてシムシャール(shingshal)という村があったはずだった。そこで、佐美たちは谷川すじ沿いに湖畔へと降りて行くことにした。湖水に降りて、水などの補給を確保するつもりだった。しかし、当目に見た村の廃墟に、居るはずのない人間たち、しかも大陸東に棲む東洋人たちが行きかっている姿を見て、彼らは急いで身を隠した。

「あれは、人間たちですね。ゴグの地でも、悪霊たちのいるエリアの周囲に、彼らの姿を見たように思います。おそらくは、大陸東から来た西蔵占領部隊の一部ですね」

 佐美の見立てに、オレフが驚いたように彼女を見つめた。

「なぜわかる?」

「彼らは東洋人なのですが、わたしからみると彼らの顔つきと北京語、そして白いバウヒニアの旗をひらめかせていることからして、大陸東を根拠とする軍の一部隊のように見えます.......ただ、大陸東の彼らは、核戦争で壊滅したはずなのです」

 オレフとマリーチカは佐美の推定に驚き、また大陸東の東洋人と聞き、分からないという顔をした。

「大陸東の奴らが、いまになって、ここに何しにやってきているのだろうか?」

「彼らは、本国から直接派遣されたのではないと思います.......おそらくは、本国が壊滅した時、彼らの部隊は西蔵チベットに取り残された、と……」

 佐美は、歴史の動きに合わせて推定を積み重ねた。その推定に、オレフが疑問を重ねた。

「西蔵からここに何しに来たというのだろうか?」

「おそらくは、西蔵に残された彼らにしてみれば、周囲を調査する一環なのでしょう...今になって推定できたことですが、ゴグの地に居る悪霊たちも、周辺やゴグの地であやつられている人間たちも、それだけ追い詰められているのかもしれません」

 佐美がそう結論すると、彼らは廃墟の区域に紛れ込み、湖で水を得ながら歩き回る東洋人たちを観察することにした。

.......。。。。。。。。。


 水のなくなるところで、佐美たちは慎重に音を立てずに谷の底へ行くことにした。その谷底には、予測したとおりに凍り付いた湖があった。ただ、凍り付いた湖からは、簡単に水を得ることは難しかった。

「氷として運び出さなければならないね」

 オレフはマリーチカと佐美にそう言うと、氷を叩きながら氷の薄い場所を探した。慎重に音を立てないようにして穴をあけると、湖水を慎重に汲み上げていった。


 彼ら三人は汲み上げることに夢中になった。そのせいか、彼ら三人は既に周囲を囲まれていた。いや、現実のところ、彼ら三人が来ることを彼らは待ち構えていた。

「お前たちは、もう包囲されている。逃げられないよ。よし、つかまえろ、そして全軍撤収するぞ」

 三人を包囲していた東洋人部隊は、その命令とともに全部隊が移動し始めた。佐美たちは、あまりに簡単に掴まってしまった。

「なぜ、こんなに簡単に見つかったのだろうか?」

 荷車に乗せられて護送される間、佐美は自戒しつつ、隣のオレフとマリーチカに問いかけた。オレフは、佐美の問いかけに付け足すように、続く疑問を上げた。

「まるで予想されていたように、彼らはわれらをすぐに包囲したね」

「待ち構えていたのではないにしても、ある程度わたしたちの行動を予想していたんじゃないのかしら?」

 マリーチカの指摘に、佐美は今までの佐美たちの行動を振り返りつつ、推定した。

「多分、それは違う…ただし、私たちはゴグの谷にまで引っ張り込まれるようにして誘い込まれ、長い時間を過ごさせられ、逃げようとしたとしてもこの地に来るように仕向けられていた、ということなのでしょうね。今までの私たちの行程はすべて彼らの手の内だった……そして、私たちは何かのためにここまで来させられたということでしょう」

 佐美は、「手の内だった」という言葉とその現実に衝撃を受けながら、自分の愚かさを呪った。しかし、今は脱出することを考えなければならなかった。

...........................。。。。。。。。。


 佐美たちを捕らえた東洋人部隊は、シムシャール(shingshal)の谷から、ゴグの谷へ至る峠道へと戻っていた。佐美たちがゴグの地を囲む風景を見上げると、峠の先は、今までのカラコラムの山々をはるかに凌駕する山々がつらなり、一帯にはモンスーンの風が吹きつけていた。白い魔境の山々は全身に白い衣のように厚く雪をまとい、その周りには数十万もの白い悪霊たちが狂い踊っていた。ゴグの地の内側からは、分からなかった光景だった。

 吹雪の中、東洋人部隊は、山々の谷分け入って行った。峠を登っている間は風雪が強まり、峠を登り詰めると風雪は止まった。峠がちょうど国境なのだろうか、その地域が本来のゴグ王国であることを示す紫、黄、朱色と黒からなる縞の旗が閃いていた。その旗の一角には、チベット文字で”ゴグ王国”と記されていた。

 峠を下ってしばらくすると、雲が張れて青空が見え始めた。この谷の下方には、凛と冷え切った空気の中で何度も雪崩が重なって雪原となった谷が広がっていた。谷の奥には、人工的な縦横の道筋と設備群とが見えた。最初、人気ひとけはなさそうに見えたが、近づくと、道筋に沿って、多くの人々の動き回る姿がみえた。

 そこには、アララトの寒い地に育った佐美にとっても、見たことの無い光景がひろがっていた。

 雪をまとった岩場に張り付くように、いくつもの層に分けてくみ上げられた数百メートルにもなる灰色の石垣が積み上げられていた。さらに、そのうえには面合わせで石造りの白壁の長大な御殿が立てられていた。屋根はドーム状ではなく、四隅からせりあがるようにくみ上げられた石と、つり橋の橋脚のようにその石柱とアンカーとを使い、石柱から吊るされたワイヤーによって、屋根全体が吊られて保持されていた。その周囲には、小さな民家が密集していた。それらの壁は、おそらくは石垣に用いられた石材の余りであり、屋根は近くの針葉樹林から得られた木の皮を赤茶色に塗って葺いたものだった。

 三人を護送する部隊は、これらの民家の間をすり抜け、御殿へと入って行った。

_________


 三人は大部屋に運び込まれた。その天井ははるかに高く設けられ、最奥には玉座、そして祭壇が設けられていた。そこは、神殿を兼ねた宮殿だった。その最奥では、永年転生王トバルカインが玉座に座っていた。

「トバルカイン陛下、ターゲットの娘たちを捕まえました」

「よろしい、私の前に引き出せ」

「はっ」

「よく来たな。ゴグ神殿へようこそ」

 佐美も、オレフもマリーチカも、トバルカインを前にして、何も話さなかった。

「ここは、ゴグの聖地だぜ。お前たちが入り込んだゴグの谷間から、さらに奥に入り込んだところだ。ここは誰も手が出せない場所だ。私もここでずっと暮らしてきた。あんたたちが見かけた私の姿は、私の遣わした幻影だ。佐美、まんまと罠にはまってくれたよ」

「よし、閉じ込めて置け。いいか、雷の入り込めない地下深くに閉じ込めるんだぞ」

 三人は、こうして神殿の地下牢に捕らえられてしまった。

_________


 佐美は、自らの危機、そして一緒にいるオレフとマリーチカのために、祈りを捧げ始めた。しかし、地下深くに閉じ込められた佐美にとって、祈りが聞き届けられていないのではないか、と思うしかなかった。他の二人も、何も変化を感じとることはなかった。それでも、佐美は祈り続けた。

「深い淵の底から、啓典の主よ、あなたを呼びます... 啓典の主よ、この声を聞き取ってください... 嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください......」

 彼女はもともと一切の武器を持っているわけではなく、また魔術などを自在に操れるわけでもなかった。周囲が恐れる佐美の雷の効力は、直接彼女が制御しているわけではなく、祈りの中での思いの強さなどによって経験的に雷を大まかに強弱させているにすぎなかった。雷をもたらす祈りは、彼女にとって力ではなく、生きるための糧だった。

 祈りが続くある日、佐美は牢の周辺が騒がしくなっていることに気づいた。この時佐美は初めて何かを予感した。


 実は、雷は、佐美が祈り始めてからすでにカラコラム神殿には雷が降り注いでいた。カラコラム神殿の避雷針構造は難なく雷撃を無力化させていた。雷が大きくなるにしたがって、その無力化システムの容量限界近くとなった。そして、ついに無力化システムの容量を突破した雷撃は、神殿の床、地下回廊、そして地下牢レベルにまで達する直前だった。

 そのせいで、地下牢の係員やその責任者の間で通常とは異なる緊迫したやり取りが繰り返されていた。

「地下牢の建築構造に亀裂が入っています」

「なに?」


 そのやり取りが神殿の永年転生王に伝わった時、雷はちょうど神殿の屋根から地下牢までを一気に貫き、大きな亀裂を生じた。その時佐美の目の前では雷が牢の壁をいくつも崩壊させて、外気に牢の内部が露出したのだった。

「オレフさん、マリーチカさん、起きて!」

「脱出だ!」

 彼らは着の身着のままで外に飛び出していった。


 彼らの脱出する姿は、永年転生王トバルカインの玉座からも見ることができた。石垣さえも穿ち崩した雷が、その電撃の鑿岩作用によって彼らの脱出する経路まで作り上げていた。

「衛兵、奴らを捕らるように、全軍に指令せよ」

「はい」

「待て、あの雷撃の前に今の戦力では歯が立たないだろう……私がこれから召喚する兵たちをつかえ」

 トバルカインは何やら術を為すと、郊外の広場いっぱいに、かつて核戦争によって壊滅したはずの西蔵方面征服遠征軍のすべてがよみがえった。この時、トバルカインはカラコラム一帯の時を遡らせ、滅んだはずの彼らを召喚したのだった。そして、召喚された遠征軍を含めた全軍は、すぐに活動を開始した。脱出しようとする佐美たちと、それを追う大軍とがカラコラムの谷の中で、火花を散らすこととなった。


 佐美たちは、追手が迫っていることを認識していた。その緊迫感の中で、佐美たちは彼ら自身が若返っていることに気づいた。佐美はおのれの年齢が15歳ほどの見かけになっていることにも気づいていた。

「オレフ、あなた、少し若返ったの? 髪の毛が......」

「マリーチカ、俺の髪の毛を愚弄するなよ」

「違う......いや、違わないの。あなた、ふさふさになっている......」

 オレフは、マリーチカの指摘を確認するように、マリーチカの瞳に映る自分の姿に驚いて、マリーチカを抱きしめていた。

「お、おれ、若返っているぞ」

「何か、おかしいですよ。オレフさん、マリーチカさん」

 佐美は、抱き合っている二人に冷たく指摘した。その冷や水のような佐美の声に、さすがの二人も我に返って佐美を見つめた。

「何が起こっているのかしら?」 

「われらの意識の外で、何が起こっているのだろうか?」

「そうですね。私たちの意識は変化がないのに、私たちの外見や周囲の様子が変化しています」

 佐美たちは周りを注意深く観察した。

「私たちは若返っていて、周囲の風景は変わっていますね...つまり、時が遡っている......」

「どういうことなのかしら?」

「私たちを追って来る者たちは、たぶん力不足なのでしょう......だから、過去にさかのぼって装備の充実した軍団を呼び出したのかも......」

 佐美の推定を、オレフは笑った。しかし、単に時間が遡るはずはなく、その事実が語ることは、過去の人物たちの召喚以外考えられなかった。

「そうか、それなら急がないと......」

「でも、もう遅いかもしれません......」

 佐美の指さした方向、彼らが来た雪道の峠を、黒い大量の影が群がっていた。

 

 佐美は若くなった声で祈り始めた。それは再び雷を呼んだ。迫ってきた最初の軍団たちは、次々に雷撃によって焼かれ、倒れた。しばらくすると、後続の特殊部隊が前進してきた。彼らは特殊な伝導体服を着こんだ戦士であった。彼らには雷撃は無力だった。佐美たちは、簡単に包囲されてしまった。

「さあ、追い込んだぜ...もう逃げられないぜ」

 指揮官らしいのだが、いやに若い戦士が佐美たちを見てそう言った。その声とほくろのある顔は佐美に聞き覚えのあるものだった。

「康煕!」

「えっ? 誰?」

 佐美に名前を呼ばれた若い戦士は、ほくろのある顔を凍りつかせ、動かなくなった。


 目の前の光景は夢もしくは幻に違いない、と佐美は思いたかった。佐美が知っている記憶によれば、ズルナの響きに乗ってコチャリの踊りに八歳の佐美と康煕が興じる姿しかないはずだった。それは佐美の見た遠い日の忘れられない楽しい記憶だった。そして、その思い出から我に返った時、佐美の目の前には、見知ったほくろのある顔、15歳の権康煕(チュアンカンチー)が敵として立っていた……。彼は部隊士官、佐美たちに襲い掛かってきた西蔵占領軍残存部隊の士官だった。そして、彼は佐美の婚約者だった、いや今でも婚約は破棄されていなかった。

「な、何で佐美がここにいるんだ?」

「康煕こそ、なぜここにいるの?」

 佐美にとって、もちろん相手の康煕にとっても予期せぬ敵味方での再会だった。


..............


 権康煕の父母は、敬虔な聖徒だった。それゆえ、彼ら二人は、神職(アミール)であった絵里(エリ)を慕って日本からアララトの神殿周辺に移住していたのだった。それは、佐美の母ハナがアララト周辺に住むエルカーナーの元に結婚して移住したと同時期だった。その後、康煕が生まれ、またエルカーナーとハナの間に佐美が生まれたのだった。その後佐美は神殿の中で養母となった神職(アミール)絵里(エリ)によって育てられ、神殿のそばに住んでいた康煕とよく遊びまわったものだった。

 佐美が覚えている康煕との記憶は、数多くあった。


 啓典の民たちの春の祭り、昇天祭ミラージュの夜に、5歳となっていた二人は仲よく連れ立って歩いた。毎年、その夜には、色とりどりのろうそくやオイルランプ、イルミネーションが飾られた通りを、二人で手をつなぎながら讃美歌を歌い、啓典の主をたたえながら歩き回るのが常だった。時には、大人たちの集う集会所に忍び込み、見つからないように息を殺しながら、慈善のために配られる菓子や食物をもらって一目散に飛び出していくのだった。


 6歳の小学生になっても、二人は仲よく連れ立った。同じクラスメイトたちからはたいそう揶揄からかわれた。それでも、やはり彼ら二人は大人たちの礼拝にこっそり付いて行き、二人はちょうど男たちの席と女たちの席の間を仕切る板の下に隠れて、二人で祈りと讃美を捧げていたものだった。


 7歳となって一般の少年少女が分かれて教育を受けるころになっても、二人は人目を忍んで逢瀬を重ねるようになっていた。もちろん、教職(アミール)であった絵里(エリ)は二人の間柄に気づかないはずもなかった。

 それゆえ、彼ら二人がそのような年齢になった時、少年少女たちが一緒に(クラスは分けられて)イスタンブールの大聖堂を訪問した際のことだった。佐美と康煕は二人だけで見学コースから外れて隠れたことがあった。さすがに、クラスメイト達が騒ぎ、教員たちはこのことに気づくことが多くなった。7歳にも拘わらず早熟な二人は、教師に説教を受けることを繰り返し、ついには7歳になったばかりのはずの二人は、アララトの最高位の宗教者による扱いとなった。しかも、それは佐美の養母である絵里えりの前に呼び出されることだった。

 養母である絵里(エリ)のことばに、佐美は素直にもうしないと誓った。しかし、康煕は思いを貫く意思を示した。

「僕は、佐美のためだけに生きているんだ」

「そうなのね」

 絵里はそう言うと、二人を連れて神殿の大礼拝堂の前へと誘った。

「あなたたち二人は、ここで誓いなさい。二人が互いに互いを将来の夫婦として認めることを。。。。。。」

 絵里は、まだ8歳にもなっていない二人を、啓典の主の祭壇前に呼び出して、そう言い聞かせた。


 8歳となった佐美と康煕は、神職(アミール)絵里(エリ)によって、啓典の主の前で許婚者同士として宣言された。二人は、目立つ公道を連れ立って歩くことは無くなったものの、二人の世界を住むようになっていた。やがて、彼等もまた小麦の取入れを本格的に手伝う年齢だった。周囲の大人たちは、8歳になったばかりの二人が、そろって祈りとともに労働を始める姿に、いくばくかの敬虔さを見た。


 こうして二人が8歳の終わりに近づいたころ、早熟な二人は二人だけの空間、例えば二人だけで洞窟に行っても、互いの家を訪問するにしても、互いに接触を増やすことが多くなった。康熙は佐美に将来を語り、しきりと触れるようになった。佐美も成長したゆえにそれに応じた。佐美は康熙の膝の上に座ることが多くなった。

 ある親戚の結婚式に、二人は呼ばれたことがあった。二人は、ズルナの音がひびき始めると、結婚式の祭りのコチャリの踊りの輪に加わった。その後、大人のカップル達が思い思いに過ごす砂丘の丘に、二人も一緒に行って、将来の愛を語った。

 こうして、二人は16歳になれば結婚するはずだった......


 ある時、康煕の家族は、帆船ホフネのキャンペーンに触れてその集団に加わって、アララトを去ってしまった。幼い佐美は、彼らを止める手立てを知らなかった。二人は、手紙をやりとりすることを約束して、分かれたのだった。

_________________________


「佐美、あんたたち三人は、もう包囲されて逃げることはできないよ。だから、今なら我らに加われば、なんとかなる....俺たちの仲間にならないか? 合流するなら歓迎するぞ」

 佐美は、懐かしさと愛しさもあって、無意識に幼なじみだった康煕に耳を傾けていた。結果的にそれは時間稼ぎになった。オレフとマリーチカが不安そうに佐美の服を引っ張ったこともあって、佐美はわれに返った。彼女は、彼女ら三人がすでに包囲されてしまった状況から、少しでも逃げる隙を見つけるべきであることを再認識した。そこで、佐美は、その気づきを顔色に出さないように気をつけながら、目の前の康煕の話を聞くことで引き続き時間稼ぎをすることにした。

「康煕、あんたは今までどうしていたの?」

「俺は......佐美、あんたたちがアララトを去った後、俺は帆船(ホフネ)様の軍団で戦いを続けた。戦闘能力を買われてね.....そのあと、あんたたちと別れた後は..核の冬となった時、俺の所属したホフネさまの軍団は...壊滅してしまった......俺はコーカサスを放浪した......手には暗器と大剣のみだった。偶然通りかかった軍団に拾われたんだ。その軍団は核戦争で壊滅した北の大地から大陸の東の地へ帰還する途中だった。そこでいまでは、西蔵征服軍にくわわって60の戦闘群の指揮を任された戦闘群士官になっているんだぞ」

「そ、そうなのか?」

 さすがの佐美も、驚き圧倒されて、言葉がつづかなかった。その反応を見た康煕は、さらに続けた。

「僕たちの軍は、神々の下に様々な地域へ軍を派遣している。国連機関の残存部が残っている米大陸やアフリカにはもちろん、東瀛や東南アジアにも派遣している。ただ、欧州からインド洋沿岸辺りまでは、生き残って散在している邪魔者たちがいるために、なかなかうまくいかないんだ。得体の知れない巨神たちやベンガルの神々を奉じる者たちが我々の神々と対立しているんだ」

「へ、へえ」

「佐美も、一緒に来ないか」

「私……」

 佐美は、康煕の「神々の下に」「邪魔者たち」「神々と対立している民」という言葉に引っかかりを覚えた。そのためか、康煕の言葉に違和感を感じ、さらには危うささえ感じた。

「私、正直言って今戸惑っているのよ!。今の貴方が分からないわ......そして、そんな疑問を持つ自分の心を裏切れないわ……」

 佐美の言葉に、康煕は15歳の若さの勢いで佐美との仲を取りもどそうとした。

「そんな戸惑いなんか、僕と佐美との間には邪魔にならないよ……だから、僕と……」

「康煕、あなたは変わっていないわね」

 佐美はそう言うと、雷の不意打ちを生起させ、周囲を金縛りにさせた。

「さあ、逃げましょう」

 佐美は、オレフとマリーチカに合図をすると、金縛りにあっている康煕や軍団の間をすり抜けて逃げ出した。彼らはそうしてシムシャール(shingshal)に至る峠道へと逃げだした。

_________________________


 シムシャール(shingshal)の谷。そこには、村の廃墟が残っているはずだった。しかし、時を遡ったいま、そこには謎の住人達が住んでいた。


........................................


 星明りを頼りに、佐美たちは低層住宅地に入り込み、昼間に峠から目をつけていた廃屋に入り込んだ。寝待ち月が出るころには、廃屋から村の中を観察できる態勢が出来上がった......廃屋は、村から外れたところにあるため、身分の低い者が住んでいた場所に思われた。それでも、穴の開いた屋根から村の中、そしてシムシャールの中心部を監視することができた。


「おい、兵士たち、出て来い」

「兵士たちとその家族全員は、村長の前広場に集まれ」

 下士官と思われる男女たちが、低層住宅の一つ一つを覗き込んでは中にくつろいでいた兵士たちやその家族たちを追い出していた。次第に、佐美(サミ)の隠れている廃屋にも下士官たちが近づいてきた。

「ここは誰も住んでいないはずです」

「そうらしいが、だが、中に人がいる気配があるぞ」

「なに?」

「それはおかしいぞ」

「なまけの兵士が隠れているのかもしれんぞ」

「探せ、探し出せ」

 大勢の下士官たちが、佐美(サミ)たちの隠れている廃屋に入り込んできた。佐美たちは、慌てながらも屋根裏から床下へと隠れた。そこは冷たく乾燥しきってまるで凍結乾燥した謎の有機物が溜まっていた。

「この天井裏、妙に暖かいな」

「人肌の温度だ....誰か隠れていたのか? おーい、人が隠れていたような形跡があるぞ」

「家じゅうを捜索しろ」

「台所、居間、祭壇までありますね......床の下も探しましたが、それらしい人影は見当たりません」

 下士官たちは、佐美の真上にも来た。

「ここを探せ!」

「え、こ子はあの方々の…トイレですよ」

「なに? 人間じゃないのか? 奴らの?」

「そうです。ここは人間の住居じゃなくて、そして「奴ら」じゃなくてあの方々のお住まい.....いや、神殿です。...つまり、.あれはあの方々のトイレですね」

「こんな臭いところに、まさか隠れるなんて、それはそいつらも人間じゃないな」

「じゃあ、ここから早く退散したほうがいいじゃないか?」

 下士官たちは、急に慌てるように出て行った。


 先ほどの床下では、佐美たちが背中側にある堆積物を改めて調べなおしていた。それは、ほのかに臭いもした。明らかに乾燥しきった大量の排せつ物の積層体だった。佐美もまた、あわてて床下から這い出て来た。

「うへえ」

 彼女たちはそう言いながら、上着を脱いで手持ちの清拭綿で念入りにふき取った。その後、ふき取った綿を捨てるわけにも行かず、持ち運ぶしかなかった。それも、懐にしまうと体温で暖まり臭ってくるため、あくまでも外気に触れる部分で持ち運びするしかなかった。

「どこか捨てる場所を探さないと、臭いで私たちの居場所がわかっちゃう」

 佐美たちは、ようやく留守の民家にトイレを見つけると、そこに臭う綿を捨てて下士官たちを追っていった。

_________________________


 佐美たちは、下士官たちが降りて行った村の中央広場へと、眼下に、村の中央広場を見下ろす岩場が見えた。その岩場に、佐美たちから見て人が一人隠れる場所があり、そこに一人の若い娘が心配そうに広場を見下ろしていた。その村の中央広場では、集められた士官から兵士たちを前にして、大声が響いていた。広場に設けられた祭壇のまえで、総司令官もしくは大神官らしいものが演説をしていた。

 その演説の内容は、彼女にも、佐美たちにも、よく聞こえていた。その内容は、どうやら”三国の対立するこの地域に、武装の平和維持武装中立弾を作り上げ、それによって平和を維持しようとする決意”だった。

「今、世界は大戦のさなかにある。超大国はすでに核戦争を引き起こし、火炎弾の雨がその地を滅ぼし、水没させたという。しかし、いまだに超大国は残滓となって力を残している。この地においても、そうだ。そうであれば、いまこそ、この地において平和を確立し、世界に及ぼす時と覚えよ。見よ、彼らの棲む峠の向こうを。あの峠の向こうで彼らは蠢いている。かつての大陸東の残滓たる西蔵征服軍残存部隊が、神聖(パーク)旅団とともにカラコルム全体を手に入れようとして......しかし!......しかし、だ。我々は彼らに対して、巨神そして彼らとともにあるベンガル魔術とによって対抗してできる。われらの力は彼等にとって強大なのだ。だが、今、彼らは彼らが扱いに困った異分子をわれらの中へ送り込み、毒を毒で制するがごとくに、我々をその異分子によって弱体化させ、攻め込もうとしているらしい。我々は、外からの異分子を警戒しなければならない。我らは今こそ、少しでも異なる者たち、異物を見つけ次第、捕まえなければならない。......他方、別のベンガル湾岸諸国が国境沿いに蠢いている。ちょうど西蔵征服軍残存部隊に対抗するようにして、われらを狙っているのだ......今、我々はこれらの勢力に対して、ベンガル魔術の魔装と巨神たちとによって武装しつつ彼らの間に立ち、平和をもたらすのだ。これこそが我々の力、我々のもたらす正しい世界だ。我々は、この実績を得た後、巨神の国 魔國マゴグとして世界に進出して武力による平和を広げ、さらに世界を助けるために立ち上がるのだ」

 村の広場いっぱいに犇めいていた観衆からは、この演説に大きく歓声が上がった。

「カラコルム神王万歳」

「カラコラム神国万歳」


「大神官様は、私の作った通りに演説してくれたわ。一応これでオーケーね」

 岩場から大神官や慣習たちを見下ろしながら、そういったのは、ミナ・バハバーディという、もと看護師の二十前後の女神官だった。

「さあ、巨神たる雪男たち、ベンガル魔術の真価を発揮して!」

 彼女がそう声をかけると、積もった雪に見えた道端や軒下、川筋に沿って積み重なっていた雪の積み重ねから雪の白いを纏った大男達が急に立ち上がって現れた。彼らは次々に先の大神官の前に集まり始めた。彼らはやがて峠付近を睨み唸り始めた。巨神たる雪男たちの視線の先、その峠口に姿を現していたのは、佐美たちを追ってきた永年転生王の大軍だった。雪男たちはその時、佐美たちの隠れている岩場にも一瞥をくれた。

「あ、彼らは私たちにも気づいている......」

 佐美が独り言を言った時だった。

「ゴグググ......ダブブル」

 そんな唸り声とともに、地響きが起きた。佐美たちのところに届く不規則な地響きが、次第にそろい始めた衝撃音となった。それらは、峠へと突進していく雪男たちの足音だった。他方、峠からは雪の上を音のないままに駆け下りてくる人間たちと、人間たちを束ねて先導するようにして頭上を跳梁する白い悪霊たちの姿が見えた。

 雪男たちは、白い悪霊たちが絡みつくのを意に介さず、敵陣を中央で突破した。すぐさまに逆方向に向くと、粉砕されて二手に分かれて坂を下る敵軍を、今度は掃討し粉砕し始めていた。

「さあ、今だ、雪男たちよ、精霊としての力を発揮して、人間たちもろとも全滅させてしまえ」

 ミナの大声とともに、雪男たちが腕と脚とを振り回す時、敵の人間たちは全て粉砕された。残っていたのは遊撃している悪霊だったが、雪男たちの腕にからめとられるようにして、次々に引き裂かれ始めた。この様子を見ていたのだろうか、峠道で第二撃を加えようとしていた永年転生王の大軍は、慌てた様子で峠の向こうへと消え去った。

 巨神としての役割を果たし意気揚々として見えた雪男たちは、ゆっくりと戻ってきた。彼らは、ミナの前に来ると、一斉にミナに向けて頭を垂れた。それは、この谷で実際に力を持っているのが、大神官ではなく、この女神官であるミナであることを示していた。ミナは体を乗り出して巨神たちに語り掛けていた。

「精霊たる雪男たちよ、いやいまはこの谷の守護たる巨神たちと呼びましょう......あなたたちによって、この谷の平和は再び力によって保たれたのです。これがこのカラコルム一帯における平和を実現しているのです」

 彼女はそう言うと、口を結び、佐美たちの隠れている岩場を睨みつけた。

「しかし、ここに、大神官の言った通りの異分子が潜んでいます……大神官、今です」

 ミナのその呼びかけによって突き動かされたように、いや、まるで皆に操られているかのように、大神官が立ち上がって再び声を上げ始めていた。

「シムシャールの民よ、上を見上げよ、今、我々を救ってくださった巨神たちが、外からの侵入者、異分子を見いだした......さあ、巨神たちとともに奴らを捕らえよ……決して逃がすな」


「オレフさん、マリーチカさん、まさかとは思ったのですが、どうやら彼らは私たちも敵だと認識しています……というより「異分子」というのが私たちなのでしょう......このまま掴まってしまうと、ゴグの谷に連れ戻されてしまいます.......逃げましょう」

 佐美たちは、慌てて逃げ出した。しかし、気付くのが遅かったため、すでに行く手を雪男たちが立ちはだかった。佐美たちは谷を駆け下りようとしたが、その行く手にも雪男たちが立ちはだかった。結局、佐美たちは雪男たちに囲まれるようにして、谷底の村の入り口前で立ち止まるしかなかった。


 留まった佐美たち三人のところに、一人の男が近づいてきた。

「観念したかね。ここからあんたたちが逃げうる場所は無いんだぜ。さあ、あんたたちは来た道へ戻っていくんだ」

「私たちは、ゴグの谷から脱出してきたのです......ゴグの彼らは、私たち三人の敵です......あなたたちも彼らを敵と認識しているはずです」

「そうだ、彼らは確かに我々巨神たちと共に生きる我らにとって、敵だ....しかし、あんたたちも我々にとって、在ってはいけない存在だ」

「なぜですか?」

「我々は知っているぜ…あんたたちは我々の戦力を知っているのだろうさ……ベンガル魔術によって得た巨神、そして魔装…これらは我々だけのものだ......あんたたちはそれを狙ってきたに違いないのさ……だから、この地には長らく平和がなかった。あんたたちも、ゴグの谷の奴らも、平和を乱す存在、つまりは我々の目指す平和を乱す反対者だ……だからこそ、我々はを犯すものはみな的であり、敵たちを圧倒する力がなければ平和は与えられないのだ」

「あなたたちは、圧倒的な武力によって平和を作り出そうとしているのですか?……しかし、その武力はついには他人の物になってしまうのに……」

 このやり取りをしながらも、シムシャールの大神官たちは、佐美たちをゴグの谷へ通じる峠道へ引っ立てて行った。しかも、彼らはゴグの軍勢を恐れてか、全軍を峠道周辺に配置していたのだった。


 実質的に指導者の立場を握ってきた女神官ミナは、これらの様子を静かに見つめていた。彼女は、これで一安心だ、と確信していた。だが、シムシャールを後に無人の廃墟としてしまう戦闘が、すでに迫っていることに、誰も気づいていなかった。

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