終わりの日の佐美(サミ) 4 神殿の丘
突然、その部屋の天井から床までを貫く雷がおちた。上空に大きな雷鳴が響きわたると、男たちは震えあがった。
「これは、まずい...雷をまとった砂嵐まで来ている...これは啓典による警告ではないのか。我々は大罪を犯したことになるかもしれん」
「神職様に告白して、贖いの儀式を用意せねばならない」
男たちは慌てて佐美に毛布をあてがうと、女性兵士に後を任せて牢を出て行った。
次の日、佐美は神職宮法廷に召喚された。初めはスパイとしてつるし上げられるのかと覚悟したが、どうやら被告人は昨日の尋問官たちであり、佐美は検察側の被害者証人として召喚されていた。裁判官席には神職を務めているらしい女性が座っていた。
「これから罪を犯した男の兵士たちに対して裁判を行い、父なる神の前に罪を明らかにする手続きに入ります」
「被告人たちはすでに先ほど自らの罪を、御前に立つ神職陽奈葉の前にて告白しております」
「被告人は、被害者に許しを請うために賠償行為によって贖いを行う。また、この地において憐みによる平安を保とうとされている主に、憐みによる許しを請うために、贖いの儀式をおこなう」
どうやら佐美の前で、彼らは裁判というより被害者救済と正義回復の儀式を行おうとしているようだった。確かに、その後佐美には十分な補償が与えられるとともに、贖いのいけにえが捧げられた。すべてのくくりとして、神職が祈りをささげると、それによってようやく儀式が終わった。
其の後、佐美は法廷に残され、神職自らが尋問する次第になった。
「ここは、この神殿の丘を守る民たちの軍事基地になる。あんたは少女兵士として、この地に斥候に来たのか?...いや、違うね...単なる斥候にすぎないはずのあんたに、尋問しようとした際、なぜか雷が天から放たれた。あんたは誰なんだい?」
佐美は、ふたたび黙ったまま神職を睨み返した。神職席に座っている彼女は、明らかに陽奈葉だった。
「不思議な少女だな、あんた......謎の少女よ、私の側近にならないか」
「側近ですか?」
佐美はやっと口を開いた。だがその声には否定のニュアンスが響いた。陽奈葉はそれに構わずに言葉を継いだ。
「そう、あんたは、何か不思議な力を持っているのだろ?」
「私がその不思議な何かを持っていると? その力で、あなたの偉業を助けるのですか?」
「そうだ、私は神職としてこの神殿の丘に改めて神殿を建設している...」
「戦いをしながらですか? 敵を撃ち滅ぼすことを目指しながらですか?」
「戦いは避けられない...なぜなら、今、奴らは悪心をもって動いているに違いないから...奴らは私たちの神を犯す存在だ。奴らに因る騒擾がすっかり無くなるまで、そして全世界が私たちの教え一条になるまで、彼の地でもこの地でも、奴らを皆殺しにしなければいけないんだ...私たちは、わが神によって奴らに思い知らせてやるよ...私たちは皆んな戦い抜く」
「それは、啓典の教えに反します。あなた方も奉じる啓典によれば、私たちの神は互いの憐みのためにこの世をおつくりになったはずです。互いに憐みを施すために作られたこの時空において、殺人を是とするとは...」
「啓典の教えに反する、と言いたいのか?」
「あなた方は、世俗的すぎる...」
「そうか、あんたの言いたいことはわかった。あんたはやはり敵の回し者だ」
陽奈葉はそういうと、衛兵たちに佐美を捕らえさせた。佐美はわかってもらえていないことに失望した。
「先ほども申し上げた通り、私はなんの力も持ち合わせていませんのに…」
衛兵たちは、そんな言葉を聞きながらも、佐美をとらえて雷さえ通さない最奥の牢獄に放り込んでしまった。雷さえなければ、彼らは佐美を恐れなかった。女の尋問官が佐美に拷問を加えた。
「奴らは、あんたを此処に潜入させて何をしようとしているのか?」
「そうか、奇襲攻撃をするつもりか?」
佐美は、彼女らから拷問を加えられても、ずっと何も語らなかった。彼女達から拷問を面白がる感情以外何も感じられず、語りきかせて回心へ導く取っ掛かりを見出せなかったからだった。
その夜、地震があった。それは未明から大規模な都市破壊を招いた。神職宮の陽奈葉の居室も、佐美のいる地下牢さえも地震によって崩れ始めた。それでもまだ振動は収まらなかった。
「お、恐ろしい」
「陽奈葉様、お力で、この地揺れを止めてください」
寝所からようやく出て来た陽奈葉は、側近たちと祈りを合わせた。祈りは聞かれずに、地震はさらに激しくなった。ようやく揺れが収まったころ、建築途上の神殿さえも崩れ落ちていた。
「衛兵!」
「は、ここに居ります」
「至急、軍と都市機構の幹部を招集しなさい」
陽奈葉は、すぐに行動を始めた。しかし、行動できたのは彼女だけだった。衛兵たちは次々に幹部たちの状況を報告した。彼らに因ると、主だった軍や都市機構の幹部たちは瓦礫の下敷きになっているということだった。しかも、その後も余震が繰り返し襲ってきていた。
「幹部は現在のところ、軒並み行方不明です」
「これらの地震は、あの雷の彼女が起こしたに違いありません」
「また、いつ大きなゆれがくるかもしれません」
全体の状況を知るにつれて、衛兵たちはうろたえるばかりだった。
「あの少女は、化け物です」
「この事態に対処できる幹部は、現在のところいません」
「それなら、神職である私みずからが追い払いましょう」
陽奈葉は衛兵たちとともに、地下牢の佐美を見に行った。ただ、陽奈葉の頭にはどのようにして少女の怪物を扱うかについて、妙案はなかった。
「彼女がどうやってこんな地震を? どうやって彼女を退散させる? 神職の能力でか?」
地下牢の佐美は、激しい地揺れを感じていたはずなのだが、まだ牢の中で眠っていた。
「むすめ! 起きろ」
それでも佐美は目覚めなかった。衛兵の一人が牢を開けて揺り動かすと、佐美はやっと目覚めた。
「お前は化け物なのか?」
「地震で建物が崩壊状態なのに、あんたは眠っていたのか?」
「この地震は、私がここに閉じ込められてからからでしょう...私に危害は及びません...ただし、このままではあなたがたは皆死んでしまいます」
「お前は、やはり敵の破壊活動工作員だな…」
「違います...私は何もしません、いいえ、何かをする力も与えられていません...ただ、存在するだけです」
「存在するだけで、何かができるのか?」
「いいえ、私は何もしません...私はただ、教えられた啓典の御言葉『私の求める者は憐れみであって、犠牲ではない』に忠実にあるだけです...あなたたちはそれを忘れ去っています
...つまり、あなたは絵里さまのことも忘れ去っているのです」
「何を言っている? 何を忘れ去っているというのか? 昔の母の何をお前は知っているというのか?」
「陽奈葉様、私をお忘れなのですか?」
「お前は誰だ? まさか...佐美...なのか? そうか、義理の妹よ、それならば、私たちに味方してくれるな」
「私は、神職絵里様の最期をお伝えに来たのです」
「母は亡くなったのか...それならば、私が名実ともにただ一人の正統な神職)だな。これぞ、今の戦いで私たちが正義であることを示す錦の御旗....」
「お待ちください....私は、ご母堂様の御遺志を受け継ぎました...それゆえ、私はこの戦いを支持しません...あなた方二人とも自らの正統性を主張し続けて対立しています...おそらくこの事態を絵里様は予想していたのです...それゆえ、ご母堂の絵里様は、陽奈葉様にも、あなたが敵として憎む帆船様にも、正統的な神職を託しませんでした」
「いや、私こそが、正統的な神職のはずだぞ...そうか、つまり、お前は私たちに味方しないということだな...それなら、もう言葉は不要だ」
「言葉が不要ですか..そうですね...まもなく、全て与えられなくなります...雨は降らず、大地は食物を生み出さなくなるでしょう....人々は飢えと渇き、そして神の言葉の飢えに襲われるでしょう...まるで、啓典の主の怒りを表すような天変地異...その原因は、啓典の主が神職を通して与えた言葉を、陽奈葉さまも帆船さまも軽んじているからです」
佐美はそう指摘して、陽奈葉の顔を睨んだ。
「この生意気な少女は、我々の味方ではない。ここから出せ。そうすれば、この局地的な地震は収まるだろう...だが、この少女を、この都市にこのまま置くわけにもいかない...追い出せ...この都市の外は、彼女の言うように飢えと渇きしかない! 憐みは不要だ」
「残念です」
こうして、佐美は神殿の丘から追い出されることになった。
佐美は、丘のふもとの城門の外に追い出された。だが、門番は気の毒そうに声をかけて来た。
「佐美ユエル。神職陽菜葉様の命令により、追放する......気の毒だが、ここから追い出せという命令なのでな...助けてやりたいが、こちらが捕まっちまうからな...せめて無事を祈っているよ」
こうして、佐美ユエルは、ふたたび白いヒジャブをかぶり、さまようこととなった。彼女が預言したとおり、神殿の丘周辺の地に限らず、ウラルの大地からペルシア、カナン、アラビア、アフリカ北部一帯は、一切雨が降らず、渇ききった大地になっていた。佐美は途方に暮れながら乾いたヨルダン川の形跡を辿りながら、数日歩き続けた。
「あれは何?」
佐美には、前日から黒い蝙蝠のような影たちが付きまとうようになった。彼女は数日前から飢えに加えて乾きも加わっていた。それゆえに悪霊の幻覚を見ているのかとも思えた。佐美は警戒し、近づくこと、声掛けはおろか、見ることも避け続けた。不思議なことに蝙蝠のような影たちも、佐美を遠巻きにしながらついてきた。彼らも佐美を警戒しているのだろうか、近づくこと、声掛けはせず、じっと見ることをさけ、さも気にもしていない格好をさえしていた。
佐美は、神殿の丘から彷徨い出てすでにもう二週間もたっていた。既に三日も水なしで過ごしていた。幸い川に沿った崖の一部に強い日差しを避ける洞窟を見出した。そこで、やっと横になることができた。洞窟の奥には、湧き水もあった。
次の日、彼女は病を得た。そのため、彼女は水源近くで倒れたまま、洞穴から出ることはおろか、立ち上がることさえできなかった。
三日たった夜、ササッササッと彼女に近づく音が聞こえてきた。佐美は、眼を開けることすらできず、その音が近づくのを待っていた。それらは、洞穴外の星明りを背に黒い影を浮かび上がらせていた。それらは烏たちだった。
「干肉」
「これって、干肉なの?」
「摂食命令」
「食べるのか?」
「肯定」
「わかったわよ」
このあと、別の烏たちも干し魚、海藻、木の実、果物などを持ち込んできた。
「あんたたち、どこから持ってきたの?」
「カァア、カァカ」
「わからないわ」
カラスたちは、しばらく佐美の許にせっせと食べ物を持ち込んだ。彼女は再び元気を取り戻した。彼らは共に湧水を飲み、飢えと渇きをしのいだ。ただし、カラスもさすがに持ち込む食べ物を事欠くようになった。
「食べ物はもうないわね。それなら、狩りをしてみましょう」
彼女は、簡単な弓と矢を作ると、洞窟から出た。烏たちは、彼女を不思議そうに見守りながら後をついてきた。
しばらく進むと、烏たちが上空から騒ぎ始めた。
「カア、カア、カア」
それは仲間たちに危険を知らせる泣き声だった。すべての烏たちが上空を待っており、地上にはカラスはいなかった。それにもかかわらず、彼らは危険を知らせ続けた。それは、佐美に対する警告だった。
「何かが近づいている...」
独特のシュルシュルという音が聞こえた。大蛇だった。その音に気づいたとき、佐美は距離をとりつつ、鋭い石矢で大蛇を射抜いた。一撃で大蛇はくるくるとのたうち回ると、そのまま絶命した。
「さあ、烏たち、蛇が焼きあがった...ともに引き裂いて食べよう...」
こんな狩猟が続いた。獲物のほとんどは大蛇たちだったが、時にはヤギを捕らえることもあった。また、カラスを獲物として近づく猛禽類たちや猛獣たちを、佐美が追い払ったり弓矢で撃破することさえあった。
こうして、狩りをする日々をつづけた。佐美にはいつのまにか多くの烏たちが周囲を囲むようになった。水は足りなくなり、佐美と烏たちはいつも洞窟の他に水場を探さなければならなかった。
佐美は、遠くから戻ってきたカラスたちが彼女の周りで、いつになく騒ぐことに気づいた。
「井戸、井戸」
カラスたちはどうやらこの道の先で井戸を見つけたらしい。佐美は、烏たちに引っ張られるようにしてその井戸にたどり着いた。
確かに、井戸には水があった。それは、はるか深いところに水面がありそうだった。だが、烏たちが騒いでいたのは、陽菜葉たちの旗印のついた棒が突っ込まれたままになっていたことだった。注意深く中を覗き込むと、井戸の底には棒の先に着いた桶があり、それによってせっかくの水がかき混ぜられて泥水になっていた。
烏たちがせっかくありついた水、そして他の旅人たちも利用するはずの井戸が、神職の許にあるはずの者たちによって荒らされていたのであった。佐美と烏たちは、仕方なく、泥水をくみ上げ、砂によってろ過しながらかろうじてのどの渇きをいやしたのだった。
牧者が
自分の羊が散り散りになっているときにその群を探すように
わたしは自分の羊を探す
わたしは雲と密雲の日に散らされた群を
全ての場所から救い出す。
わたしは彼らを諸国の民の中から連れ出し
諸国から集めて彼らの土地に導く
わたしはイスラエルの山々や谷間すなわち居住地で彼らを養う
お前たち、わたしの群れよ
啓典の主はこう言われる
わたしは羊と羊 雄羊と雄山羊との間を裁く
お前たちはよい牧草地で養われていながら
牧草地の残りを足で踏み荒らし
自分たちは住んだ水を飲みながら
残りを足でかき回すことは
小さいことだろうか
わたしの(真の)群れは
お前たちが足で踏み荒らした草を食べ
足でかき回した水を飲んでいる
こののち、佐美は、啓典の民であったはずの者たちから追い出され、迫害まで受けている今、彼女は孤独のままに地表の各地を訪ねる旅に出る覚悟をした。彼女が目指したのは、いまなお啓典の主に属する民たちの「残された民」を訪ね、ラプチュアの先にある隠れ里へ導くことだった。しかも、人間を信じてはいけないことを悟った佐美は、一人でその旅をはじめた。そんな佐美にとって、烏たちは最初の同行者となった。