証人たち 7
カスピ海沿岸のトルクメニスタン ケナール。ケンたちは、此処で息をひそめるようにして時を過ごしていた。そこに、やはりというべきか、ペルシアからの避難民たちが押し寄せてきた。そのなかには、ケンの故郷からの彼の友人たちも含まれていた。
ペルシア国内では、迫り来る軍団との戦争の準備を完了しつつあることが、彼らによって伝えられた。迫り来る軍団は、「カラコルム軍団」と呼ばれ、総勢2億、戦闘機械獣を擁した二千人単位の機甲師団8万個と歩兵師団2万個からなる史上最大の遠征軍であるということだった。軍団は、すでにカシミールとその周辺、また中国内陸部からインド亜大陸まで、すなわちその時の全人類の三分の一を全滅させた後に、その勢いのままペルシアに攻め込みつつあるということだった。
「ミナの率いる軍団なのだろうか」
ケンは、故郷の友人たちにテジェンオアシスで見てきた軍団の様子を伝えた。すると、彼らは驚きのためか、しばらく口を利けなかった。
「ペルシアでは、それなりにカラコルム軍団を迎撃する準備を整えつつある。ケン、あなたの伝えてくれた軍団の様子は、貴重な情報だ。これから我々は引き返すことにしよう。帰国して、何かしら新たな対策を考えることにする」
彼らは、そう言って、慌てて故国へ帰って行った。
この後、ケナールでは頻繁にペルシア国内の情勢が流れるようになった。力を失った覇権国家群は頼りにならず、ペルシアは単独で軍団を迎え撃つ覚悟を決めたということだった。そして、ついに、カスピ海沿岸のダーゲーズ郊外で、迫り来たカラコルム軍団に対してペルシア側が奇襲攻撃を仕掛け、戦端が開かれたと伝えられた。時をおかず、ペルシアから避難してきた民衆たちが、防衛側のぺルシア軍特に月光旅団が、テヘラン郊外エスタラクの防衛線でカラコルム軍団カスピ海方面軍歩兵10万を壊滅させるなど、巧みに奮闘していることも伝わってきた。ただ、そのペルシア軍の巧みな立ち廻り方に不信感を持った軍団側が、ペルシア軍の握っている「情報源」を探っているという気になる噂まで聞こえてきた。
「ジャスミン、『情報源』というのはおそらく我々、特に私だろう」
ケンはミナを思い出し、複雑な表情をしながら少しばかり小さな声を出していた。それを見たジャスミンは、苛立ったようにケンをなじった。
「だから、あなたはどうしたいの? まさか、あのミナとかいう女教祖を説得しに行くなんてことを言わないでしょうね」
「なぜ、そう思うんだ? 私たちはもう逃げだしてきてるんだよ」
「言いにくいけど、過去への未練があるのじゃないかしら?」
「未練? どういう意味だ?」
「ペルシアの故郷に、それともあのミナとかいう女教祖に....」
「なぜそんなことを私に言うんだ!」
ケンは、なぜだという戸惑いと、さらには怒りを少しばかり混ぜた表情をした。だが、ジャスミンはケンを睨みながら続けた。
「あなたは、まだここにいたいと思っているのでしょう? 故国を守りたいのかしら? それとも、もう一度彼女に会いたいとまで思っているのかしら? いずれにしても、あなたゆえに私たちはなかなかここから出発することができない......」
「私たちはここで時を待っているはずだったじゃないか? なにかはわからないが......それから、私はもう故国から離れて証人になった。もう過去を振り返らないと決めたんだ。だから、もうそんな話をしないでくれ!」
ケンはジャスミンを睨みつけていた。ただ、彼の心に揺らぎが生じ始めていたのは、確かだった。
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ペルシアでは、月光旅団の活躍もあって、ペルシア軍が各地で防衛戦争を展開していた。しかし、テヘラン郊外のエスタラクで今度は戦闘機械獣の機甲師団によって防衛線が突破された。その直後にテヘランが落城すると、ペルシア軍は後退に次ぐ後退を余儀なくされた。
ケンからカラコルム軍団の様子を持ち帰ったはずのペルシア側だったが、カラコルム軍団の戦闘機械獣が戦闘部隊の前面に出てくるようになると、次第に形勢は不利になっていった。ペルシア国内は、戦力はもとより石油基地などの生産基盤、寺院などの精神基盤、そして何よりも国力の基である人口を急速に損耗していった。
そのような絶望的な様子が、ケンの故郷から再び訪れた友人たちからもたらされた。
「ケン、あなたから伝えられていた機甲師団は、確かに車両や戦車という代物じゃなかった」
「戦車の代わりに進んできた奴らは、赤や青、黄色の色をした猪豚のような四つ脚もしくは蜂のような六つ脚たちだった」
「奴らは戦車のような唸り声をあげている。だから、あんたの教えてくれたことを信じられず、最初は戦車のようなものだと思っていたのだが......やつらは怪物、いや魔物だった」
「彼らはまるでドラゴンだ。彼らの上部から発するレーザーや砲弾が我々の戦車軍団を融解爆発させ、壊滅させてしまった。毒ガスに至ってはドラゴンが吐いた硫黄のように周囲の生き物をすべて死滅させた。おそらく、インド亜大陸でもこのようにして人間たちが死滅させられたに違いない」
「奴らの後に控えていた奴らも、まともな兵士、いやまともな人間ではなかった」
「あれは、あれはまるで、悪魔の手下たちだ。奴らの使う槍が、投げられては戻っていく不思議なものだった」
ケンはいたたまれなくなった。ジャスミンは、ケンが彼らを離れてペルシア軍に知恵を貸そうと言い出したことに、強烈に反対した。さらには神職の佐美もまた、反対した。
「ケンとジャスミンが証人のはずだった。それにマリが加わり、私まで加わっている。ケンはそれゆえに、証人の使命を軽んじたのだろう。これは、証人二人のみで出かけるはずだった世界の旅に、マリと私とが同行したことによって生じた誤算だ。このことを考えると、ケンはペルシア軍へ行くべきではない」
しかし、ケンは、ジャスミンたちをおいて、飛び出して行ってしまった。
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ケンは、結局他の三人もつれて、ペルシア軍月光旅団に合流した。そのペルシア軍月光師団は、ケンのアドバイスもあり、スサに至る谷あいでカラコルム軍団を待ち構えているところだった。このとき、カラコルム軍団は、二度目の会戦でエスタラクを突破してテヘランにいたり、そこでカスピ海方面機甲師団にペルセポリス方面軍が合流しており、ふたたび2億の軍勢となって進軍してきていた。
カラコルム軍団の主力は、ケンの情報通り、エンジンやモーターの唸り声を挙げつつ、まるで4つ足の狼もしくは六本脚の蜂のように動く戦闘機械獣だった。それらは赤い砲塔はレーザー砲をそなえ、スモークブルーの砲塔は大口径の大砲を備え、それぞれの砲塔には赤もしくはスモークブルーの戦闘服をまとった砲兵がのっていた。似たような一部の戦闘機械獣は砲塔ではなく毒ガス弾を発射する怪物で、乗員も車両も濃黄色だった。その機甲師団主力が隊列の前端と後端に集中配備され、槍剣銃を擁した歩兵たちが間に挟まれるようにして進軍していた。
ペルシア軍は、この谷あいで機甲兵力を壊滅させ、歩兵だけにする作戦だった。
「よし、今だ」
掛け声とともに急峻な崖の上から大量の岩石と土砂が機甲兵力の上に振り注いだ。これらの土砂によって戦闘機械獣からなる機甲兵力を覆ってしまう作戦だった。すべての戦闘機械獣が生き埋めになったと思われたとき、突然後端の機甲部隊の一部から、レーザー砲が降り注いだ。それらは、機甲兵力に降り注いでいたはずの土砂をことごとく蒸発させ、全てを取り払ってしまった。
「これはまずいぞ、彼らが土砂を取り除く前に撤収しよう」
「みなさん、ここから離脱しましょう。おそらく、ここの一帯は軍団の魔手に落ちるでしょうけれど......」
ケンがそう提案すると、ペルシア軍はユーフラテス川を越えて撤退することとなった。ケンたちもペルシア軍とともに、そこを去らざるを得かった。ケン達もまた、首を振りながら彼らを待っていたロバたちにまたがって、旅立った。かれらは、デズ川を越えスサを通り過ぎ、ユーフラテス川沿岸へと向かった。ケンたちは、クルディスタンのピラ・マグルーンに来るという軍団の先回りをして、後からくるであろう軍団の狙いを探るつもりだった。
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非常に冷え込むピラ・マグルーン山近くの谷あいの廃村。この辺りは、国民全てが待避済みの区域となっていた為に、すでに無人の砂漠と化していた。そこにケンたち4人は潜んだ。その石造りの廃屋から、東側にそびえるピラ・マグルーンの山を見ることができた。そして、間もなくユーフラテスを超えたカラコルム軍団がその山の麓から山頂へと集結していく姿を見ることとなった。ついに山頂には、紫、黄、朱色と黒からなる縞がはためいた。
ケンとジャスミンは、そこで非常に冷たい砂嵐を呼んだ。それゆえ、ピラ・マグルーンとその周囲は急激に寒くなった。それゆえに、その夜は寒く、非常に冷たく乾燥した砂の東風が夜通し吹き続けた。そのせいか、石造りの廃屋に寝泊まりしていた4人は、それぞれに夢を見た。
マリの夢、それは過去のサーフィンの光景だった。
......ズーン、ズーンと地の底から響きわたる波が沖合から高まりながら、海岸に迫り来ていた。マリはその波に乗り遅れまいと一生懸命に書き、やっとの思いで波に乗った。すると、横で波に乗れていたはずの仲間たちが次々に脱落していき、波に乗ったまま海岸に行き着いたのは、マリだけだった。そして、周囲には誰もいなかった。
「おーい、皆、何処へ行ったの?」
彼女はそう言いながら目が覚めた。彼女の夢は、マリの故郷ンゴール島に押し寄せる高い波の思い出だった。
ケンは、「おーい」というマリの声が、マリやジャスミンたち三人の娘が眠っている室内から聞こえ、飛び起きた。ちょうどその時、ケンも夢を見ていたた。
......「もう、帰ってしまうんだね」
それは、かつての恋人ミナの声だった。彼の夢は、かつての恋人ミナとの日々だった。それは突然の何かの戦争の知らせで終わりが来た。彼が彼女の手を放した時に、彼女は、アブラハムからモーゼ、イエス、ムハンマド、さらにはダェーヴァ、インドラ、シヴァ、ヴィシュヌも飛び越えてしまい、紫、黄、朱色と黒からなる縞の旗の渦の中に消えていった......そんな夢だった。
「そうか、手を離さなければよかったんだ」
ケンはそう言って、軒の隙間から見える真っ暗な星空を見上げた...なぜ、彼の目の前に星空が広がってるのかといえば、4人で寝泊まりするときは、決まってケンが出入り口で寝ているのが常だったためだった。
この時、マリやジャスミンたちの寝ている奥部屋から悲鳴が聞こえた。それはジャスミンの叫び声だった。それを聞きつけて、ケンは飛び込んでいった。
ケンとマリは、心配そうにジャスミンを覗き込んだ。
「そうか、この強い東風の音を怖がっているのか」
「寒い、寒いよー。お父さん、どこなの?」
ジャスミンはそう言いながら、無意識に父親のような手を探し当てた。彼女はそれ、つまりケンの手を握り閉め、震えていた。ケンは驚いて彼女を起こそうとした。
「ジャスミン、おい、大丈夫か。起きろ。怖い夢なら、今起こしてやるから」
「お父さん、助けて!」
ジャスミンはそう言うと、ケンの手をより強く握りしめて目覚めようとしなかった。ケンはかつての彼の父親の優しさを思い出しながら、仕方なさそうに彼女の頭をなで、頬を撫でた。そうすると彼女は安心したようにケンの手に頬ずりをしながら、安心したように再び深く眠ってしまった。
「彼女を安心させるに、そうし続けてあげて。それがいま私たちにも必要なことです。それこそがシャロームですから」
いつの間にか目を覚ましていたのか、佐美が小さく声をかけてきた。
こうして、ようやく砂嵐を越えて東から陽の光がさした。それは、彼らの待った朝だった。
次の日の朝、山麓から山頂に展開した軍団の人間たちは、姿が一変していた。軍団の男も女も、垢が積層した肌には、凍結乾燥によって収縮したのか、柱状節理のようにひび割れたハニカム模様が現れていた。目には生気がなく、生きているのか死んでも動く魔物になったのか、わからない姿だった。
双眼鏡で観察をするケンやジャスミンたちは、口々に、その異様さを指摘した。
「六角形の隣に六角形、そして六角形......あれは、どうやって付けた模様なのだろうか」
「わざわざ肌に模様を描いたのかしら。背中にもうなじや首筋にもその模様が見える」
「あれは皮膚がひび割れてできた模様だなあ」
「肌のひび割れ?」
「昨夜はひどく寒かったし、酷く乾燥していた。彼らの肌はずっと風呂に入っていないんだろうな、垢が堆積している。堆積物と肌が一体になって乾燥して、ハニカムみたいなひび割れになっているんだろうね」
「まるで、柱状節理じゃあないの?」
「ハニカム、六角形、六角形、六角形が続いているのか」
「まるで預言にあった666の数字みたいね。ここまで彼らが求めてきた物が、このような結果をもたらしたのね。まるで、預言で予定されていたことが、ここまで見事に表現されているなんて......もう、彼らはあの女教祖の眷属になったようなものね」
そう言ったのは、佐美だった。
この時から、女教祖ミナは、確かに理性と精神とが変容した。彼女についていく軍団の人間たちも変容した。六角形のひび割れが軍団の士官たちの皮膚全体に広がったことで、彼らの見かけは、まるで軍団の人間達がこの時まで目の前の楽しみだけを求め続けてきた人生を歩んできたことを暗示しているように感じられた。
このようなことが見られ、少しばかり経った後、軍団はピラ・マグルーンの山から再び動き始めた。