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証人たち 6

 6か月後、トルクメニスタンのカウズカーン貯水湖畔のテジェンオアシス。その周辺には、偉大な先祖オグズ・カーンの伝説につながる人々が住んでいた。彼らは、しぶとい静けさを維持している人たちだった。そして、マリたちは、今、そのような威光が残る草原で、しばしの平和な日時を過ごしていた。


 マリたちロバの隊列は、トルクメニスタンのカウズカーン貯水湖畔のテジェンオアシスに達していた。そこは、ところどころにブッシュが目立つ広々とした草原地帯、そして世界大戦とは無縁の場所だった。テジェンオアシスにはひろく灌漑設備が整っていたこともあり、そこにはのどかな畑地帯が広がっていた。その一角には、ここ少しばかりの期間ケンたちが逗留できるキャンプ地があった。

 彼ら4人が此処に長く逗留するには訳があった。これから乾燥地帯を通ることから、ロバたちのために刈り取り後に現地の人々が残してくれた落穂や牧草の残りを、荷車に詰めるだけ拾い集めるておく必要があったためだった。この時、ケンとジャスミンは、少しばかり能力を使って落ち穂を効率的に見つけた。


 そんなある日、テジェンオアシスの住民たちは、ある知らせでもちきりだった。それは、ここから少しばかり離れた砂漠地帯に、巨大キャラバンが到着したという報告だった。

「草原をいっぱいに埋めるような戦闘機械たちと人間たち......」

「人間たちは知らない言葉を話しているぞ」

「あれは、ウルドゥー語だ」

「そうだ、奴らはいろいろな民族が紫、黄、朱色と黒からなる縞の旗の下に集ったということらしい。およそ、2億だそうだ」

「奴ら、ラクダのかわりに、生物みたいな機械を使っているぞ」

「そうだ、うるさい音で動く四本脚もしくは六本脚の赤、青、黄色の怪物だったな」

「それだけじゃないぞ。奴ら、背中の口からの雷や煙、硫黄で獲物を一瞬で焼いてしまうらしい」


 ケンたち4人は、そんな現地の住民たちのうわさ話を聞いて、顔を見合みあわせていた。最近では、ケンたちの周辺にもキャラバンのメンバーたちが出没するようになった。そのこともあって、ケンたちは、キャラバンメンバーの言葉が英語ではなくウルドゥー語であることに気づいてもいた。それは、ケンに昔の恋人ミナ・バハバーディを思い出させた。

 そんな昔にケンは思いをはせた。

___________________________


 ケンとミナが知り合ったのは、ケンが故郷ラミンの村から出て、パキスタンのカラチにあるダウ大学医学部に学んでいた時だった。そのころ、ミナもまた枯れた湖の畔の村シムシャール(shingshal)からその大学に看護学を学びに来ていたのだった。

 彼ら二人が知り合ったのは、クリフトンビーチだった。それぞれがクラスメートたちと遊びに来ていた時だった。その後、彼らは二人だけで過ごすことが多くなった。キャンパスばかりでなく、そのうちにクリフトンビーチ近くのサンデールズクリフトンやカフェ・アイラント、トリフュエルカフェで、二人だけの時を過ごすことが多くなっていた。二人とも啓典を信じる信徒であったこともあり、そのころの二人は、それぞれ週末の祈りの時を大切にしながら、二人の愛を育てたときだった。


 しかし、彼ら二人は、別れる時を迎えた。それは、アメリカと長年対立関係にあった中国と、アメリカ側に立ったインドとが対立を深めた時だった。その影響で、ミナの故郷カラコルムでは、中国インドの間の局地的紛争が激しくなったため、ミナは郷里の仲間たちとともに看護師として働く決意をした。

 ケンも国際的な対立と紛争が深まる中で、国境なき医師団で働くためにカラチを離れることになった。彼もまた、ダウ大学を卒業するとともにソルボンヌ大学へと留学することが定まっていた。

 ミナとケンは、二人の未来の再会を約束しつつ、カラチを去っていった。

______________________________________


 ケンたちは、巨大キャラバンの補給の様子を見に行った。それは、巨大キャラバンによって、ケンたちが十分な補給ができない可能性があったためだった。

 キャラバンは湖畔周辺の広々とした草原に展開していた。ケンとジャスミンたちがそこで目にしたのは、二億の部隊だった。彼らは紫、黄、朱色と黒からなる縞の旗をひらめかせ、その下にキャラバンを構成する機甲師団の大群が整列していた。どうやら、キャラバンはこの地域が豊かな食料生産地域であることもあって、補給に最適なこの草原を休憩ポイントとしたようだった。これらの光景を見たケンたちは、その数の多さに圧倒され、しばし自分たちの場所からそんな風景を見つめていた。それと同時に、ケンたちは補給を急ぎ、出発することにした。

 

 この時、ケンはあることに気づいた。

「あれは...そんなはずはないのだが...でも確かにミナだ。そうか、彼らはたしかにウルドゥー語を話している」

 彼はそう言うと、キャラバンの中へと飛びこんでいった。呆気に取られてジャスミンたちがその後を追うと、かれが入り込んだ先には、リーダーたちが集まっているらしいキャンプがあった。そのキャンプの中に、一番奥の玉座のような席に、美しい身なりの女が座っていることが見て取れた。彼女は周囲から「聖下」と呼ばれながら、数人の側近とともに、おそらくは地図を広げながら何かを検討しているようだった。

 ケンは、「聖下」と呼ばれた女とその周辺をしらべるために、下男を装って側近の周辺を構成する衛視たちの中に潜入した。そして、間もなく彼は、キャラバンのリーダーたちが集まっている指令部らしいキャンプの中に入り込むことに成功した。まもなく、彼はリーダーたちに交じって目の前に「聖下」と呼ばれた女、すなわち教祖を仰ぎ見た。


「ミナ!」

 ケンは思わずそう呼びかけた。すると「聖下」と呼ばれていた女教祖が、驚いたように顔を振り返らせた。同時に、女教祖の周りにいた側近たちは、声がどこから掛かったのかと、周りを見渡した。ケンは立ち上がり、ふたたび教祖に向けて呼びかけた。

「ミナ!」

「無礼者!」

 途端に側近たちや周囲の信者たちがケンを押さえつけた。だが教祖は大声でその動きをたしなめていた。

「お待ちなさい!」

 さらに彼女は、ケンに顔を向けて話をつづけた。

「彼を放しなさい。そして、あなたは誰なの? なぜその呼び名を知っているの? それはかつての私の愛称よ!」

 しばらく彼女はケンを見つめ、次の瞬間にケンを認めて驚いた顔をした。

「ケン、なぜここに?」


 教祖はケンのかつての恋人 ミナ・バハバーディだった。ケンと同年齢だったミナは、今一番美しい年齢になっていた。

 ミナたちのキャラバンは、もともとはカラコルムの山岳都市から発していた。ベンガルを出て2億ほどの集団に膨らんだキャラバンは、ピラ・マグルーンを目指す集団だった。彼らはベンガルに至ると、そこからカシミールを抜け、タジキスタン、トルクメニスタンのカウズカーンの湖畔に来たところだった。

「久しぶりね。あいたかった」

 ミナは、視線を周囲にも振りまきながら、ケンに微笑みかけた。

______________________________________


 次の日から、ケンとミナは二人だけで会うようになった。カウズカーンのほとりは、二人だけの昔を取り戻すのにふさわしいように、草原一杯に花が咲き乱れる季節となっていた。二人は、しばし昔話に花を咲かせた。カラチ・ダウ大学での出会い、クリフトンビーチに、その近くのサンデールズクリフトンやカフェ・アイラント、トリフュエルカフェでの二人で過ごした記憶。風に舞いあがる花と、朝露に反射する陽の光が、彼らの時を輝かせ続けた。


 そんな昔話の種が尽き欠けた時、ケンは大キャラバンを率いていることについて、ミナに尋ねた。

「この集団はすごいね」

「ええ、今では二億になっているわ」

「どこを目指しているの?」

「クルディスタンのピラ・マグルーンの山頂。そして、その先はまだ啓示が与えられていないわ」

「つまり、西をめざしているのか? それは神殿の丘なのか?」

「今はわからない。あなたの言う通りかもしれないし、メッカかもしれないし。別のところかもしれない」

「啓典の導きがあるのか」

「啓典......昔は私とあなた、二人がそれを信じた時もあったわね。でも、今は少し違うわ。私は常に新たな啓示を得て、此処に来ているのよ」

 ミナの返事に、ケンは顔色を変えた。

「常に新たな啓示? どんな啓示なのか。教えてくれないか」

「そうね。いうなれば、かつてのアブラハムからモーゼス、イエス、ムハンマドにいたり、さらにはダェーヴァ、インドラ、シヴァ、ヴィシュヌ、そして私に至るまでに与えられた様々な啓示ね」

 ミナの言葉に、ケンは驚いた。

「様々な啓示だというのか。それはどういうことか」

「その時その時に私たちに与えられる啓示よ。私たちは、啓示を与えてくださるその時その時の方を、つまりアブラハムからモーゼス、イエス、ムハンマドにいたり、さらにはダェーヴァ、インドラ、シヴァ、ヴィシュヌを信じるの。その時には信じ切って愛するわ」

「その時その時の啓示者に対して、信じて愛するということなのか?」

 ケンは次第に大きな衝撃をにうろたえ始めた。ミナはその変化を予想したかのように、表情を変えずに話をつづけた。

「私たちは、どの神も分け隔てなく信じて愛する人生を生きているのよ。その時その場でお会いして啓示を与えてくださった神を、その時その場ではその神を信じて愛するわ。別の時にはその時に啓示を与えてくださる別の神を信じて愛するの......」

「その時その時の神を信じて愛する、とでも言うのかい?」

「そうよ。だから私たちは、その愛、その信仰を象徴するように、ある時はある人を愛し、ある時は別の人を愛するわ。それが私たちの愛なのよ」

「それは......それは、まるで利益を与えるその時の神を愛して信じるということなのか。それは、信じる者にとってその時その時に都合のいい神を選ぶという自分勝手さがあり、その時その時の神々にあわせて都合のいい愛を実践することになる。それでは、特定の神、特定の人を愛しつづけることにならない」

「いいえ、そのときそのときに特定の神、特定の人の愛を全うしているわ。だからこそ、私たちは、その時その時に与えられた啓示を伝える預言者たちによって明らかにされた神を、愛しているの。ある時のその神、別の時の別の神は、その時その時の神々ごとに様々な名前を持っているけれど、私たちはその時その時のその神を愛しているわ」

「それは唯一の神を愛していることにならない」

「いいえ、その時その時の神々ごとに愛していることで、全うしているわ。そう、その時その時に目の前にいる相手を、真剣に愛していることと同じよ!」

 これを聞いて、ケンやジャスミンたちがいまさらに気がついたことは、教祖たる彼女と彼女の後ろにいた集団は、いつの間にか不特定多数同士の性的なふるまいを始めていた。そんなふるまいのかしらには彼女がおり、彼女が不特定多数同士のふるまいを象徴する紫、黄、朱色と黒からなる縞の旗を振ることで、集団を指導して来たのだった。

 しかし、ケンはもう一度言い直した。

「ミナ、あなたの言うそれは、愛ではない。慈愛や憐れみなどと言うものではない。都合のいいご利益主義、意や主義などというものでさえない。欲そのものじゃないのか......」

「ケン、何を言うの!」

 ミナは、ケンを今までになく厳しく睨みつけた。

「私たちは、多くの相手を真剣に愛しているわ。それゆえに様々な福祉を行っているわ。それをみれば、私たちの愛の仕方があなたの言う特定の相手のみ愛することよりも優れていることが分かるはずよ」

 確かに、彼等は福祉を謳い、病院や育児院、孤児院をつくっていた。しかし、彼女は救いと愛を謳いながら、その愛はその場その場に存在するらしい謎の霊を愛し愛されることだった。彼女は、その愛に基づいて愛と救いを語り続け、ケンとジャスミンたちをこだわりすぎだとと主張した。いつの間にか、ケンの近くに来ていたジャスミンとマリは、ミナの言う説明に少なからずショックを受け、ケンが口を開く前に反論し始めた。

「ミナ。あなたたちは知るべきです。特定の相手に特別の愛を誓うことは、つまりそれが特定の相手同士でのみの結婚にもあらわれている理想の愛の姿です。それゆえに、私たちは唯一の方のみを神としてあがめるのです。それによって、私たちは神からの愛を注がれて愛を知ることになり、それが隣人を愛すること、福祉の様々なわざのスタートラインになるはずです」

「ケン、あなたの連れが言っていることは戯言よ!」

 気色ばんだミナは、ケンの後ろにいたジャスミンたちを睨みつけた。そしてケンにありったけの親しみを込めて語り掛け、彼女のところに来るように声をかけた。

「ケン、あなたならわかるわね。昔、私と交換した愛は、あの時確かに祝福されていたわ。だから、あなたのもとを去って郷里カラコルムで人々のために動くことになってから、私は本当の愛を知ったわ。その時その場所で出会う神々に恵みを願い、愛を願うことを知ったの。その愛ゆえに人々を助けることを学んだのよ」

「いや、ミナ。神と呼ぶべき方は、この時空を創造された唯一の方の他に、いない。それゆえ、私たちは、この世において与えられた一人の伴侶のみを愛しとおす誓いを立てるのだよ」

 ケンはミナにそう指摘した。ミナは彼の言葉が重ねられるごとに、表情を曇らせた。ケンはその表情を見つめ、心に痛みを感じがらもさらに続けた。

「ミナ。私とあなたは、金曜礼拝の時に唯一の神『在って在る神』の臨在を経験していた。思い出してほしい。だから、今、あなたたちは『有って有る神』と言う名による信仰に立ち返ってほしい。我らの神は、一人の人を心の中まで見通される。あなたも、この方の導きを知ることによって、誰が本当の唯一の神であるかを、知っていたはずだ」

 ケンはそう言って、一生懸命に恋人だった彼女に回心を促した。しかし、ミナはもはや彼の目を見ることはなく、自分の信じていること以外を聞こうとはしなかった。


 この時、ミナは足元を見つめながら合図をした。すると、ミナとケンたち、その周囲にいる側近や兵士たちの周囲に、大きな音とともに様々な戦闘機械獣ともいうべき機甲兵器たちの混成集団がガラガラと集まって来た。それらは、エンジンやモーターの唸り声を挙げつつ、まるで4つ足の狼もしくは六本脚の蜂のように動く自動機械だった。それら戦闘機械獣はいずれも砲塔の前方にはレーザー砲と後部には大口径の大砲を備え、砲塔には赤やスモークブルーの戦闘服をまとった砲兵がのっていた。似たような一部の戦闘機械獣は砲塔ではなく毒ガス弾を発射するようで、乗員も車両も濃黄色だった。また歩兵たちは、異様な姿に発達させられた動物たち、また人間たちだった。

 それらがケンやジャスミンたちを囲んだ時、ミナはケンを見ることなく、低い声でこの場所を去るように言った。

「私たちの邪魔をするなら、あなたたちもすべて滅びるわよ」

 この声の意味するところを悟り、ケンはジャスミンたちに引っ張られるようにしてその場を去ったのだった。


「ねえ、ケン、あなたとあの女との間に、昔何があったの?」

 キャンプに戻ると、ジャスミンはいままで我慢しつつもずっと心が乱れていたらしく、ようやくこのときになって質問をぶつけた。彼がこれからどうしたいのかをなかなか言わなかったことも、周りをイラつかせていたからだった。

 今では、ケンやジャスミンたちの前で蠢くミナと彼女の2億の集団は、明らかにケンやジャスミンとは相いれない存在だった。しかも、いまや彼らはケンたちの前で明らかな示威行動に出ていた。それを見つめながら、ケンはようやく心の奥底の苦い思い出を口にした。

「私と彼女はダウ大学に通う学生だった。そう、私と彼女は恋人だった。共に礼拝に通い、ともに時を過ごした......」

 彼は、カラチ・ダウ大学での出会い、クリフトンビーチに、その近くのサンデールズクリフトンやカフェ・アイラント、トリフュエルカフェでの二人で過ごした記憶を語ったのちに、彼が求愛をした時、彼女は受け入れた。ただ、その後、彼女が故郷カラコルムでの看護活動にあたるために去った時、あまりにあっさりと去っていったことを思い出した。

「彼女は躊躇なく郷里へ帰ってしまった。もしかしたら、私が奥手で彼女に対して愛をなかなか伝えられなかったことが、許せなかったのかもしれない。それなら私が彼女の下へ行って、もう一度説得してみようか......」

「そんな必要はないわ。かえってあなたにも、私たちにも危険かもしれない」


「みなさん、そろそろ此処を移動しましょう」

 今までほとんど話をすることがなかった神職(アミール)佐美(サミ)が、ポツリと言った。確かに、そろそろ潮時のようだった。食糧などの準備も整いつつあった。今では、ミナが彼女の巨大キャラバンの秘密をケンたちに見せた理由は、示威のためなのかもしれなかった。そうであれば、ますます彼らの上に危険が迫っているようにも思えた。その後、4人は逃げるようにしてカスピ海沿岸のケナールへと逃れて行った。

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