証人たち 4
白い帆船がダカールの使われなくなった岸壁に接岸しようとしていた。帆船は原始的な仕組みらしく、風に翻弄されているように見えた。結局、帆船の乗組員達は接岸をあきらめてしまったらしかった。三人は仕方なく、岸壁から小舟を雇い、少し沖で待つ帆船に乗り込んだ。やっと乗り込んだ三人は、操舵に手間取っていたらしい乗組員に向かって大声で叫んでいた。ただし、その帆船には、乗組員の人影は一切見当たらないなかった。
「ねえ、操舵手は誰なの? 出てきなさいよ」
「なんで風の方向を見て、何処へ舳先を向けようかと考えないのかなぁ?」
「せめて、安定させてくれないと、乗り込むのが大変だよ」
三人が大声で文句を言っているところに出てきたのは、神職の佐美だった。
「思いのままに吹く風に文句を言っているのですか?」
「あ、神職様がなぜここに?」
ケンが驚いて思わず質問を返していた。彼らの表情と、彼らが先ほどまで大声でぶつけていた内容とが、あまりにおかしかったのだろうか、佐美は少し笑いながら口を開いた。
「私たちは聖霊に導かれるままに行く。使う船もまた、風の思いのままに吹かれて動くものです。それが霊から生まれた者の生き方です......この答えで分かりましたか」
三人は、この時村で心に刻まれた言葉を思い出した。
「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くのかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである」
彼ら三人にとっては、神職が一人で帆船を操作して来たことが驚きだった。神職が彼等に何かを悟らせようとした、とも思えた。そう思い、三人は神職の顔をしばらく見つめていたのだが、彼の表情からはまるで「風を感じる事ができてもその全ては分からないように、神の世界のこと、霊の世界のこと、そしてこの船の動き方は、あなた方にはわからないかもしれないね」と言っているように思えた。
帆船はいつの間にか、岸から離れていた。操舵輪は風を感じているように勝手に動いた。操舵輪に身を任さざるを得ない三人は、乗組員が佐美だけだったことに驚きつつ、そんな船の行くままに自らを託すしかなかった。まもなく三人は、その白い帆船に乗ってダカールを去って西へと向かいはじめた。
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風は東から来た。3か月の間、佐美と三人とを乗せた帆船はその風に吹かれ、滑るようにまっすぐにアメリカ大西洋岸のニューヨークへと進んだ。帆船我慢小さいゆえだろうか、不思議なことにニューヨークのイーストリバー川岸のフェリーターミナルは着岸することを、当然のことのように許可して来た。米国東海岸のところどころが壊滅し、フェリーはほとんど行き来が絶えていたこともあって、使われていない船着き場の管理者にとって、あまり問題にならないことだったのかも知れなかった。
「佐美様、帆船はなぜニューヨークに来たのでしょうか」
ジャスミンには、ここに導かれたことが意味のあることと思われた。それゆえ、預言に親しく接しているであろう神職の佐美に直接訊ねたのだった。しかし、佐美は何も知らなかった。
「私にはわからない。ただ、ここにあなた方が連れて来られたのであれば、それについて何かしらの意味があるかもしれないし、ないかもしれない」
「ありがとうございます」
ジャスミンは質問したことを後悔した。ジャスミンが航路について意味があると考えているとしられたことによって、神職の佐美が、ジャスミンとケンの証人たる意志を強くしつつあると、確信を強めるに違いなかった。
今更県とジャスミンの決意のほどを考えても仕方がないと思い、ジャスミンはケンとマリ、さらに佐美を連れてニューヨークの市街へと、入って行くことにした。風に吹かれるままにイーストリバーの自動車道の廃墟沿いに進んでいくと、灰色の巨大な墓石のような薄い建築物が目に入った。すると、風にハタめく音がいくつも聞こえて来た。その音のする側へ廻っていくと、そこは連合国機関本部の正面玄関であり、前庭には各国の旗が風にあおられている姿がみえた。
その姿に、三人は預言された言葉を思い出した。
「お前たちは、立ち返って静かにしているならば救われる。
安らかに信頼していることにこそ力がある。
しかし、お前たちはそれを望まなかった
......
残るものがあっても、山頂の旗竿のように
丘の上の旗のようになる」
確かに、世界大戦は、小国ばかりでなく大国さえもが互いに敵陣におびえて攻撃を仕掛け、それによって滅びを招いているのだった。それはまるで、神の御意志の前には、人間はおろか大国でさえも吹きとばされてしまったことを示唆しているように見えた。
機関本部は玄関が開け放たれていた。ちょうど、各国の代表団が続々と到着している最中だった。三人は、なぜか各国代表団とともに総会議事堂へと案内されていった。
議事堂は静まり返っていた。三人は、ある席に案内された。そこには臨時に作られたことが分かる真新しい白い表札があった。
「千年国」
彼ら自身も多少の驚きはあったものの、なぜかそこに座ることがふさわしいように感じていた。既に、議事堂には十数か国の代表団が着席していた。それに続いて、他の代表団もつぎつぎに到着し、静かに着席しつつあった。彼らは、中央の連合国の旗を見つめたあと、手許の合意文書案に目を落としていた。ジャスミンたちも手許に配られた文案を見た時、それらが新しい平和条約の下となる合意文書原案であることを理解した。ただし、過去の有力な大国が参加しておらず、この合意案を採用したとしても、それが意味のあることなのかは、はなはだ疑問だった。
この時、世界大戦の激烈な戦略核の打ち合いで、ロシアと中共は壊滅し、米国も生き残ったごく少数の者たちが行政機構の回復に奔走していた。ニューヨークにかろうじて存続していた連合国機関本部でも、瓦解した様々な部署の残骸だけが細々と活動をしていた。ただし、顔を見せていたのは、数えるほどの国々、それも戦争当事者でない国々の代表団ばかりが議論を繰り返すばかりだった。
「今は壊滅したとはいえ、戦争を拡大した権威主義体勢側に責任を糾せ」
「当事国全てを糺すべきだ」
「それは誰がやるのか?」
「今の我々参加国が力を持っているとは言えない。それに加えて、責任を取らせる、それによって平和をもたらすということでは、解決にならない」
彼らは中立の国々と言われてはいたが、彼らに仲裁する力はなかった。彼等は、積極的に両陣営に通って平和を作り出すことはしなかった。彼らの本国は、情報によって右往左往してもっといいものを求めていても、どちらの陣営に属そうかと利益ばかりを考えて、結局は何も決められない人々の国ばかりだった。一応は、少しでも再建をしていくために、残った彼らが何とか言葉を選んで合意案を作成したことがうかがわれた。残った彼らが人間同士で戦っている者たちに働きかけるには、そのような文章しかなかったのかもしれない。
「両陣営も、あなたたちも、これで安らか互いに信頼していることになるのか、甚だ疑問だ」
「この文案では、両陣営に対しても真に相手を受け入れさせることにはならない」
「ゆえに、あなたたちにも、両陣営にも、一致して平和を勝ち取る力を有していない」
四人は議事堂に響く声で、そう叫んだ。しかし、議事堂の誰もが嘲笑した。
「あんたたちは、何処から来たのかね」
「この合意案以上の智恵が、あんたたちの言うところにあるというのかね? 全く私たちやほかの国の代表団を馬鹿にしている。聞くに堪えない」
「なんだね、千年国とは? 誰が名札を用意し、彼らを此処に参加する資格を与えたのか?」
しまいには、議事堂にいた各国代表団が怒りさえ表明し始めた。その反応は、あまりにも現状認識が甘すぎているとしか言いようがなかった。かつて、温暖化を防ぐ訴えが、経済活動を大切に考えた多くの人々に受け入れられなかったことと、よく似ていた。
「みなさん、既に、アフリカ・欧州では、ウラル・シベリアの権威主義国家が作り上げた自立兵器が、勝手に動き始めて人々を捕らえ、あるいは支配し、あるいは殺しているのですよ。今はそれらに対して、全ての人々が一致してたち向かわなければならないというのに」
「その為に私たちには、乗り越えなければならないことがあります。それは糺すことではなく憐みをもって立ち回ることです。愛する者を奪われればこそ怒るでしょう。でも、そうならば、敵をもそのように愛せよ、ということであるはずです。そもそも愛とは、正義を取り戻すために糺すのではなく、人々全てへの憐れみによって全うしようとするものです。ゆえに決して怒りつづけてはならないのです。復讐は父なる神のなされることです」
しかし、その言葉を誰も受け止めようとする者はいなかった。ジャスミン達4人は、議事堂のすべての人々の意志の中に、四人の提案を受け入れる素直さがほんの少しも無いことを確認した。彼等はがっかりして席を立ち、議事堂を去って行った。
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神職の佐美でさえも、疲れ切っているように見えた。4人の知恵を絞った働きかけは無駄に感じられ、彼らは歩く力さえ失っていた。
しばらく歩いたとき、ジャスミンは昔のことを思い出した。昔の恋人は無事だろうか、と。
ジャスミンは、かつてハワイの民主党下院議員の事務所で働いていたことがあった。同じ事務所には、ジャスミンの元恋人 ジョニー連凱雄もいた。彼は、その下院議員秘書として、平和運動家として、また国内融和運動の一員として、活躍していた。彼とは民主党集会、平和集会、さらには同じお御堂で行われていた礼拝にも通うことさえあった。
ジャスミンは初め、一人で元彼の家を訪ねるつもりだった。しかし、神職の佐美は微笑みながら言った。
「その人の家に祝福を祈りに行きましょう」
4人はそろってニューヨークから一時間ほどの郊外の街レゴ・パーク地区を訪ねたのだった。
「おじさま。お元気そうで何よりです」
「えっ?」
ジャスミンに話しかけられた東洋系の老人が、驚いたように顔を上げ、次の瞬間懐かしさとうれしさ、そして悲しみと残念さを混ぜたような顔をした。
「ジャスミン、か? なぜ、今、此処に?」
「おじさん! いや、もう、今はミスター連と呼ぶべきですね。ご無沙汰しています」
「ジャスミン、ジョニーはもういない」
「え?」
ジャスミンの期待していない話が、彼の父親の口から伝えられた。彼女の元恋人は、二つのデモ隊の対立の犠牲者になったのだと言うことだった。
「私の息子 凱雄は、二つの対立する集団の間を仲立ちしようとした......
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......そのころ、ワシントンに、連日押し寄せた二つの対立するグループが叫び合っていた。
ある時、首都に響いた声は妊娠中絶の是非だった。
「宿った胎児は人間だ。中絶は、その時に逃げ惑う胎児を殺している。殺人だぞ」
「胎児を宿すかどうかは、女性に判断する権利があるんだ。女性の権利を侵すな」
この時に、ジョニーは叫んだ。
「胎児の権利を言うのはいい。しかし、意に沿わぬ妊娠に女だけを責めるのか。男が責任を取らないのか」
「女性の権利を言うのはいい。しかし、胎児もまた神の子供。それを殺す権利が女性に、男性にあるのか」
仲立ちをしようとした彼は、この言葉を双方にぶつけて正しさを求めた。彼はその時、正しさを回復しさえすれば、双方が従うはずだと思い込んでいた。しかし、人間たちは素直ではなかった。
別のある日にワシントンで響いた声は、丘の側と包囲側との間で続く戦いに関係したものだった。この頃、丘の側の味方と、包囲側は、互いに非戦闘員を殺戮する絶望的で酷い戦いを続けていた。
「包囲側の武装勢力が丘の側の子供や非戦闘員を殺した。あの武装勢力を全滅させろ。包囲側の小さな民族はあの武装勢力の存在を許しているのだから、その子供や非戦闘員を殺してしまっても仕方ない。丘の側は神に選ばれた民だから許されるはずだ」
「包囲側の武装勢力によって丘の側の非戦闘員が殺されたとしても、丘の側による攻撃が包囲側の小さな民族の子供や非戦闘員をも巻き込むことは、糾弾すべきだ。包囲側の小さな民族を救え」
彼は、双方が主張し合う様子と、双方の妥協点の無い主張に立ち尽くした。それでも、彼は双方を仲立ちをしようとした。ただ、そのやり方はやはり正しさを求めて、双方を糾弾するものだった。
「丘の側が神に選ばれた民だとあなた方は言うのか。あまりに傲慢な行為を行っている」
「小さな民族だからといって、神に選ばれるというのか。彼らの武装勢力もまた相手を全滅させようとしていることを忘れてはならない」
ジョニーは双方から刺殺されてしまった。そして今も、その対立は続いていた......
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......私の息子は、正しさを主張し続け、戦い続けた。そして、今はここにはいない。彼は求めることを間違っていたのだろうな。求めるべきは、正しさではなく愛し合うことだったのだろうな」
ジョニーの父親ミスター連はそう言って、寂しそうに笑った。ジャスミンは、一連の話を聞きながら涙を流し、他の三人もまた、ジョニーの父親の言葉をかみしめ、預言の言葉を思い出した。
「わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない」
「セオヤン。もし、新しい恋人がいるなら、もう私の息子 凱雄のことは忘れた方がいい」
ジョニーの父親は、ジャスミンを見つめてから同行の三人を見て、少し明るく笑って言った。ジャスミンは戸惑ってケンを見ながら、顔を赤くした。
「え、新しい恋人?」
この後、四人はレゴ・パーク地区のセント・ジョン墓地にジョニーの墓参りに行った。ジョニーの父親ミスター連によれば、ジョニーの墓は角の小さなところにあると言うことだった。彼らは墓地の管理人とともに、苦労してようやくジョニー・連凱雄の墓碑を見つけた。
「ジョニーが葬られている墓地がセント・ジョンという名前なのか? 偶然だね」
ケンがそう言いながら、周囲を眺めた。遠く十字架の見える白い建物を眺めながら、ジャスミンは寂しそうにつぶやいた。
「そうね。ここでよかったわ。ここで彼の人生が何だったのかを、私はここで振り返ることができたわ」
「さて、ニューヨークを出る時だね」
そう声を上げたのは、佐美だった。三人が顔を上げると、いつの間にか4頭のロバが傍に来ていた。
「少し回り道になるけど、道はロバたちが知っているから、私たちは風に任せて乗って移動するだけでいいよ」
「近くなの?」
「いいや、これから長い旅になる。行き先も分からない。でも目的地は必ずある」
こうして、4人は再び旅を始めた。
「ヘイトクライムが始まってから、この国では愛が冷えきっていたのね。こんなに暗い大陸になってしまって......」
ジャスミンは一言そう言って、冷え冷えとしたニューヨークの遠景に別れを告げた。
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ニューヨークから西へロバは進んでいった。3か月をかけて、アメリカ大陸のロッキー山脈を越えて西海岸に達したのだが、西海岸一帯は核攻撃の爪痕が深く刻まれ、ほとんどが水没していた。それゆえ、彼ら三人はロッキー山脈の西側を、北へと辿って行った。氷河と風雪の厳しい中を、4人は進んだ。彼らは6か月をかけて北のベーリング地峡を通り、ユーラシア大陸へと渡って行った。