証人たち 3
彼らは海岸に面したゲートから街中へと入って行った。
三人が逃げ出した蜂の巣ビルは、まだ大騒ぎのままだった。街の中に入った三人は、神経がすでに冷静さを取り戻していたせいもあって、蜂たちが興奮状態を辿って追ってくることはなかった。
市街地は、すでに多くの建物が立て替えられていた。そして、中には人間たちがいた。しかし、彼らは自由に歩き回ることができていないようだった。早速、マリは建物の中に入り込み、人間たちに接触を試みた。
「あなたたちはここにいていいのか?」
ケンは建物の玄関付近で寝ころんでいる若い男女たちに、問いかけた。すると、何人かがうるさそうに顔を向けた
「なんだよ。あなたたちは、管理者か?」
「管理者? まあ一応、管理者の手先かな」
ケンは、あいまいな答え方をした。寝転んでいる若者たちは、決して自由にしているというわけでもなさそうに見え始めたからだった。
「そうか、それでここで寝ている若者を逃がさないように、見張りに来たのか?」
ケンはその問いに応えなかった。すると、若者たちはけだるそうに起き上がり、ぞろぞろと建物の奥へと消えようとした。ケンは、彼らに再び語り掛けた。
「そうか、あなたたちは囚われて圧迫されているようだね。私たちは囚われている者たちに自由を告げるために来たんだ。圧迫されている人を自由にするために来たんだ」
この問いかけは、あまりに安易だった。途端に若者たちはケンたちに振り返った。
「私たちが囚われて圧迫されているというのか? 誰に? どうやって?」
「え?」
彼らの答えは、さすがのケンたちをためらわせた。その態度に、若者たちは余計にけげんな表情を強めた。
「そもそも、『あなたたちはここにいていいのか?』などと、問いかけをして来るのかね」
ケンたちはこの問いにどのように答えるべきかを知らなかった。すると、若者の中の賢そうな一人がさらに問いかけてきた。
「そうか、私たちは警告されていたんだ。証人とかに命ぜられたおせっかいが、此処に来ることをね」
「あなた方は、苦しみの中に閉じ込められているのでは?」
「苦しみ? そんなものはないね」
「でも、この建物から外へ出ようとしない.......」
「それは当然だ。ここにいれば、甘い完全食品が与えられる」
「蜂蜜.......か」
「そうさ、蜂蜜以外にも、様々なものが与えられるのさ」
「そうか、あなたたちは蜂蜜を与えられながら、あのスズメバチの巣で幼虫育成に利用されているんだろ? 女は卵を植え付けられ、男は体液を吸い取られる」
マリがそれを指摘すると、さすがの若者たちはのけぞった。いや、それは、マリたちの後ろにいつの間にか見知らぬロボットのような異形が現れたせいだった。それは、機械音のような人工的な言葉を発していた。
「発生音声信号解読。音声信号の特異的意味、そして監視下における異常行動のパターンから、外から侵入した人間たちであると判定。捕獲して消尽的利用を図り、抹殺する」
こうして、三人は捕らえられてしまった。
三人は、男女別に収容された。そこは、最初に侵入したスズメバチの巣と同様の構造で、やはりセルロースとバインダ樹脂の建材で作られた地下施設だった。彼ら一人一人は巣房の中に納められた。
少し経つと、ジャスミンとマリの悲鳴が聞こえてきた。
「うわあ」
「いやだ、いやだ」
悲鳴は続いた。他方、ケンはバンドによって縛られたまま、吊り下げられていた。ケンの力でも彼を縛っているバンドは解けなかった。
バンドの性質は感触から見てセルロースとバインダ樹脂で、建材に比べても湿気を多く含む状態で使われていると考えられた。彼は、バインダ樹脂がタンパク質であると想定した。乾燥に弱いと見た彼は、傍にあった壁の建材を崩し、乾いた外気をバンドに当てた。ほどなく、バンドはカリカリに乾燥してもろくなった。ほどなく彼はバンドを割って自由になることができた。
彼は、途中、壁という壁に穴をあけつつ、マリやジャスミンの声がした巣房へ駆けあがった。既に、二人の声は聞こえなかった。それでもケンは巣房を片端から破壊し始めて、中に収められている人間たちや幼虫たちを片端から引っ張り出した。人間たちは、服をむしられ、バンドで結束されたうえ、麻酔をされていたのか、全員が動かなかった。
そんな騒音と振動に気がついたのか、ふたたびジャスミンとマリの声が聞こえた。
「ここよ」
「あ、助けて! 急いで! もうすぐ、女王バチの卵を産みつけられてしまう。でも、助け出すとき私を見ないでよ!」
麻酔は彼女たちには効いていないのか、まだ効き目が出ていないのか、二人はふたたび暴れたこともあって、巣房は穴が開くとともに崩れ始めていた。そこから転げ落ちるように二人が出てきた。とはいっても、結束バンドはすでに取れており、彼女たちは、落ちてからなんとか着ていた服を再び着用することができていた。
「あ、あなた、見たわね!」
ジャスミンのこの言葉は、ケンにしてみれば言いがかりだった。完全な言いがかりだと思ったケンは、すっかりジャスミンの言葉を無視して脱出作業を進めた。
「あ、ケン。ジャスミンをかまってあげて! 私たち、すっかりむしられてしまって、巣房から出る前に着られる物だけで体をやっと覆えた程度だから、ちょっと恥ずかしいのよ」
「あ、わかってます」
これを横で見ていたジャスミンが声を上げた。
「ケン、やっぱり見てたのね!」
「違うよ!」
今度は喧嘩が始まりそうだった。マリはケンに声をかけなければよかったと反省しつつ、険悪な二人を外へと引っ張り出した。また、閉じ込められていた男女たちも、外へと引っ張り出していた。
外へ出たところには、あの建物の玄関付近で寝ころんでいた若い男女たちが、出てきたケンたちを待ち構えていた。
「君たちも逃げよう!」
ケンは思わず彼らに呼びかけた。すると、
「ほお、何処へ行こうというのかね?」
「私は、あなた方を閉じ込めているここから、解放しようと思っている」
「何からの解放かね? 管理者の手先は、私たちの敵を根絶やしにしてくれた。そして、いま、我々は喰うに困らない。すでに我々は救われているんだよ!」
はなしがかみ合わなかった。彼らとケンたちとは結局結論の出ないやり取りをした後、ケンたちは三人だけでそこをあとにした。
確かに彼らは蜂たちのために生きながらえているだけのようだった。抱いている望みは恨み、今だけの娯楽、自分だけ良ければ良い、そんな者たちばかりだった。そのためか、残っているのはほとんど痩せ細った人間だけであり、明らかにバランスを崩した人間社会だった。
結局、三人は誰にも証しを伝えられずにこの地を離れた。その時、マリは思い出した。
「そんな、あの町がわたしのダカールだったなんて.....」
そこは大西洋に面したダカールだった。
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マリは、その都市で見舞った恋人マッキー・ティアムと家族ティアム一家を見舞った時を思い出していた......それは、あの村に連れて行かれる直前のことだった。マリの恋人マッキーは、マリと同様にヨルダン川西岸地区のベツレヘムで、連合国機関の平和維持軍として警備業務に従事していたのだった。
マリがヨルダン川西岸地区からダカールに一時帰国したときのことだった。彼女の恋人 も、ヨルダン川西岸から帰って来ていた。彼は、ベツレヘムでそこで爆撃と砲撃に逃げ惑い、やっと脱出した時にうけた酷い銃傷で、ダカールに帰国していたのだった。
「奴らは、住民や僕たちが生活していた家を破壊しやがった。どっちが悪い? そんなの決まっている......僕たちは、さらに奪われ、追い立てられ、怪我をさせられた。この時に、仲間も周囲の人たちも殺された。挙句に入院先で爆発に遭ったんだぞ。僕の仲間と周囲の人々は全て殺された。僕も怪我をして、此処に帰ってきた」
マッキーは、以前の彼とは異なり、語る言葉が敵意と殺意に満ちていた。奪われ、追い立てられ、殺される者たちには、祈る言葉さえ失わせてしまうのだろうか。確かに、彼は復讐に自らをゆだねてしまっていた。マリ自身も同じように地獄に追い込まれていたはずなのだが、彼女は祈りの中に自らを投げ出し天にゆだねていた。
「ここへ帰ってきたなら、もう今は体だけでなく、心も休ませようよ。もう、思い出さなくていいから......決して怒り続けてはいけない、復讐は父なる神のなされることだから。」
マリはマッキーにそうささやいた。だが、彼からの答えは違った。
「奴らを皆殺しにできるなら、僕はこの身を捧げる」
マリはマッキーの言葉に驚いた。そ
「誰に捧げるというの?」
マリはマッキーの言葉に驚いた。言葉の意味、言葉を発した心、彼も彼女も潜ってきた地獄の記憶......。潜ってきた地獄は同じでも、マッキーは祈りを失うほどに追い詰められ、逃げるしかなかった。マリも追い詰められたが、彼女には「たとえ死の影の谷を歩むとも」と言う預言によって、奈落の底に落ちていくのを踏みとどまった記憶があった。おそらくは、そのちょっとした違いが彼と彼女との間に存在した。
「愛する人々が殺されたから怒るというの? その愛する人々は父なる神様の所有物よ だからこそ、復讐は父なる神のなされることよ。しかも、相手も父なる神様の所有物なのに......」
マッキーは、マリが見つめる目を見返して、ふたたびつぶやいた。
「それなら、その神によって奴らに思い知らせてやるよ。僕たちは皆んな戦い抜く。奴らはわれらが神を犯す。奴らは悪心をもって動いているに違いない。だから、騒擾がすっかり無くなるまで、全世界が我々の教え一条になるまで、彼の地でもこの地でも、彼らを皆殺しにしなければいけないんだ」
「あなたの言うことが分からないわ。あなたのいう神って誰なの? 私たちが二人で信じた天の父ではないの?」
「僕たちは、『騒擾がすっかり無くなる時まで、宗教が全くわが神ただ一条になるまで』戦わなければ、苦しみが無くならないと、教えられたんだ。だから、このことを教えてくれたわが神によって生きるんだ。わが神がともに戦ってくださる」
彼はそう言って、目をつぶってしまった。
「確かに『騒擾がすっかり無くなる時まで、宗教が全くわが神ただ一条になるまで』とは書いてあるけど、貴方は曲解している…そのような教えは間違っている。あなたにそう教えたあなたの『神』とは誰なの?」
マリはそう言って、彼の返事を待った。だがその後、マリは再びマッキーと語り合うことはなかった。日をおかず、彼は衰弱し、彼の望み通り命を捧げてしまった。マリは、マッキーや彼の周辺の人たちが考えをいつの間にか変えていたこと、それによって彼らとマリとは越えられない裂け目によって裂かれてしまっていることを悟った。