証人たち 2
彼らは海辺の街路でロバを降りた。ロバは首を縦に振りながら、どこかへ行ってしまった。
目の前には、綺麗に整理されている都市。かつては夏服で闊歩する老若男女であふれていた街だった。大戦で世界中が荒れ果てた今もまた、さまざまな都市廃墟よりも多少とも多く生き残りの人間たちが集まっていた。
この都市では、不思議にも、かつての都市が誰かの手によって再建されているように見えた。かつて高層ビル群があった辺りには、形こそ異なるものの多くの多層階建築物があった。
なにかがおかしかった。
「あれは建物だから、あそこは都市だよね?」
マリは前方を見上げながら期待と不安を交えた問いを後ろの二人にぶつけた。ケンは上を見上げながら、注意深く観察を続けていた。しばらくすると、ケンは一言を追加した。
「人影は見えないね」
「そうね、あの建物の中を動き回っているのは、機械? まるで自動倉庫の配送車のようだね」
ジャスミンはそう言って、さらに説明を加えた。
「うーんと、動き回っているけど、車輪がない。足が六本かな?」
「まるで羽根の生えたイナゴのような形の昆虫だね」
マリは、人間が見当たらないことにがっかりして、吐き捨てるように感想を述べた。
都市部の近くに達しても、人間の影は見えなかった。それでも三人は、証しを伝えるために人間を探し始めた。まずは町の入り口に建てられた三十階層のボール状の丸い建物に取り付いた。
入り口は丸い横穴が一つだけ。そこはまるでヘリポートのように、多くの巨大な虫たちが猛烈な羽音を立てながら出入りしていた。
彼らは近くに行って、昆虫たちの反応を確かめることにした。しかし、彼らが建物の横穴の様な入り口に行っても、出入りする虫たちはまるで何もないかのように、ひたすら出入りを繰り返していた。
「こいつらは蜂だな。ただ今は、私たちを侵入者として認識していないようだ」
ケンは、上空を飛び回っている虫たちを見上げながらそう指摘した。すると、ジャスミンが面白そうにケンに質問した。
「それなら、彼らはミツバチでしょ? 蜂蜜の匂いがする。中に入って蜂蜜を食べられるんじゃないの?」
「それなら、私も行きたい」
マリも乗り気だった。二人はケンを残して、さっさと建物の中へ入り込んでしまった。ケンは別の意味で何か問題がありそうだと感じたこともあり、また彼女たちを守るためもあって、彼女たちを追って中へと入り込んだ。
中に入って行くと、ケンは建物の構造を注意深く観察した。ジャスミンもマリも、セルロースとバインダ樹脂から作られた構造に驚いていた。通常の人類のビルであれば、中に行きかう蜂の背丈ほどのコンクリート製のフロアが重ねられているはずだった。だが、ケンが驚いたのは別の意味だった。というのは、彼が期待した構造は、裏表の巣房が半分ずつずれて互い違いに組み合わされ、六角形の辺が交差する点が裏側の六角形の中心になっている巣房群だった。また両面の巣房群が、上向きになっているはずだった。ところが、建物の中にあったのは、何段にもなった巣盤からなる構造だった。
ジャスミンもマリも、ケンの疑念を気にすることもなく、巣盤の上へと昇って行った。
「蜂蜜の匂いがする。蜂蜜はどこかしら」
「こ、これって」
二人の悲鳴に、ケンは急いで巣房群の一つを覗き込んだ。彼は、危惧したとおりの物を見つけた。そこには、衣類をはがされた人間たちが生きた状態で収容されていた。しかも、それらに張り付いて巣房を移動している一匹の一段と大きな蜂を見つけた。その蜂は、人間たちの衣服をはがしては巣房に押し込んでいた。おそらくは、そこで幼虫を育てる準備をしていたのであろう。人間たちは生餌としてあてがわれているらしかった。随分前に巣房に閉じ込められた女たちは既に差し入れた輸卵管で幼虫の卵を産みつけられており、男たちは孵化した幼虫のイナゴのような顎で嚙まれ続けて血を吸い取られ続けていた。
「ここには生みつけからさなぎに至るまでの各段階が見られる。観察した様子からすると、人間の男女たちは蜂蜜を与えられている。先ほどの蜂蜜の匂いはこれだ。彼らは数か月の間おそらくは五か月の間ここで閉じ込められ、女は卵を孵化させ、男は幼虫を育む。そして、用が終わった人間たちは街へと追い出される。ここは......」
ケンがここまで説明すると、ジャスミンもマリも凍り付いていた。しかし、次の瞬間、ジャスミンはケンの両目をふさいで、これ以上巣房の中をのぞくことを阻止した。
「これ以上、人間たちの裸を見るべきではありません」
「でも、観察しないと、危険性を評価できないよ」
「もうわかったはずよ」
「そうか、じゃあ、今までの情報で判断をするよ。ここは......スズメバチの巣だ」
ケンはそう言いながら、ジャスミンのするがままに任せた。
ケンの代わりに、ジャスミンが巣房を眺めながら言った。
「彼女たちを救い出す必要があるのでは?」
「いや、彼女たちの額を見てごらん。刻印がない......」
ケンがそう指摘すると、
「そうね」
ジャスミンは少し怒ったように、短く返事をした。すると、ケンはさらに質問をした。
「なあ、先ほどなぜ私の両目を手で目隠ししたんだ?」
「だって、あなた、巣房の中の、その......裸の......女性たちを見つめていたじゃないの!」
「私は、男女を観察していただけだよ」
「エッチ!」
「え? 私たちは医者だから人体は見慣れているはずだ。それに私たちは証人のはずだ。それに私は幼い時から『情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである』という戒めによって、女性をそのように見ることはないように自己を律してきた。ましてや触れることなどもなかった。それゆえ、あなたの指摘するそんな事柄に心は留まらないはずだよ」
「あなたはそんな変人だったの? でも、先ほどの貴方の女性を見る目はしつこかった」
「そ、それは、...そんなことはないよ。私たちはまだ人間だから......すこしは関心を持つ程度のことは残っているかもしれないが......」
「エッチ!」
「ジャスミン、あなたこそ、それはやきもちじゃないのか?」
ケンはジャスミンを睨みつけ、ジャスミンはぷいと横を向いてふくれっ面になっていた。そんな二人を見つめ、マリは複雑な表情をしながら指摘をした。
「罪の残り滓をそう指摘し合う時ではないと思うが....そろそろ、逃げる算段をした方がいいかもしれない。下層巣盤の働きバチたちが、私たちを認識し始めているよ。あなたたち二人が、あまりに人間的なやり取りをしたからじゃないの....。彼らは人間的な感情の脳波を認識しているみたいね。私はずっと冷静に徹していたから......」
ケンとジャスミンもその指摘に、自らの脳裏を冷静な空気で満たした。
「さあ、今のうちに一気に飛び降りましょう」
マリはそう言ったが、建物の最下層まで6階ほどの高さがあった。
「叫ぶなよ」
「心を冷たく保てよ」
三人は小さく言い合った。
「建物の最下層はセルロースとバインダ樹脂の床だから......」
ケンはそう言うと、マリとジャスミンを促した。
「そうなの?」
「じゃあ」
娘二人はそう言うと、飛び降りる準備をした。それを確認しつつ、ケンは声をかけた。
「弾力があるから大丈夫......」
ケンは、二人を落としつつ最後の言葉を口にした。
「かな......多分ね。お返しだよ」
それがよくなかった。ジャスミンはすぐに反論した。
「覚えていなさいよ!。あっ、キャー」
二人は悲鳴を上げて落ちて行った。ケンもすぐに続いて飛び降りたのだが。働きバチが再び人間的な脳波を感じ始めて、動きを激しくし始めていた。三人はやっとのことで外に逃げ出すことができたのだった。
また、逃げ出す際に、三人の付近で互いに衝突した働きバチの身体が壊れた時に、その構造と音とをケンは見逃さなかった。奴らの身体は、エンジンのような音が響いて羽根が動き、脚が動いていた。
「アバドーンか」
ケンには、それらが遺伝子工学で作られた生物兵器のように見えた。
「あなたねえ、なんてことをするのよ」
「えっ?」
ケンはとぼけたが、ジャスミンは睨みつけていた。
「あなたのやったこと、私は忘れないからね」
「仲のいいことで......」
マリはそう苦笑すると、先に立ち上がってさっさと先に行ってしまった。