終わりの日の佐美(サミ) 12 再びの神殿の丘、そして救われるべき者たち
さて、ヨルダン川を越え、彼等は神殿の丘を見渡す山に登った。
神殿の丘はすっかり陽奈葉側に占領されているように見えた。以前は土壁さえ無かった周囲には、いまでは周囲が高い城壁に囲まれ、またいくつもの楼閣が城壁に沿って外の全てを見張るように聳え立っていた。この様子から見て、彼等は、すでに帆船側からの攻撃と呪いを何度も受けて、すっかり用心深くなっている見えた。行き交う街の者から聞いたところでは、神殿の丘へ向けて帆船側の浮動要塞が接近してくると言う知らせがあった時から、彼等は高くそびえる城壁を張り巡らせて始めたという。
彼らは城壁の要所要所から、また内部の出撃基地から、周囲への防御攻撃体勢を強化しており、近づく者は、敵対的かそうでないかに関わらず、力づくで阻止し撃滅していた。そして、今は、神殿の丘からは周囲に対する守勢から、逆に次々に攻撃へ転じていた。このような状況から見ると、帆船側が分派内紛の末にほぼ壊滅したように見える今は、陽奈葉の時代が来ているようにも思われた。
城壁の一部に設けられたゲートには、都市の入国管理事務所が設けられていた。その点から見ても、ゲートから内側の街に入ることは、簡単ではなさそうだった。
佐美たちは、やはりあっさりとゲートの管理官に見つけられてしまった。色々と言い訳やら抗議やらをしたのだが、三人はバラバラに事務所の奥の尋問室へと連れていかれてしまった。
そこで佐美を待ち構えていたのは、屈強で抜け目のなさそうな尋問官だった。
「あんたはどこから来たのか?」
「最近崩壊した浮動要塞都市から逃げてきた者です」
「ほお? ということは、あんたは帆船の教えを受けたものだな」
こんなところで、佐美は帆船の教えを奉じる者と見られたくはなかった。また、なるべく自らの目的を露呈させたくもなかった。佐美は、様々な考慮をしながら、はっきりとした答えをしないように気を付けた。尋問する側にしてみれば、まるで禅問答をしているように感じられたであろう。
「尋問官さん、貴方から見て、私が彼らのような初めの愛を忘れてしまった教えを、奉じているとお考えでしょうか」
「ほお、確かに彼らの教えをそのように看做すのであれば、お前は帆船たちの仲間ではないのだろうね......それなら、あんたたちは何者だというのだね?」
「私は啓典の主の真実を求めて旅をしてきた者です」
「啓典の主の真実というと?」
「私たちは、どこかに啓典の主の御心を正しく受け取った人々が存在すると考えているのです......ただ、今まで旅を続けてきましたが、この地表のどこにも、啓典の主の御心を悟った人々をみいだすことができませんでした」
「なるほど………うーん………どうやら、あんたたちは帆舟の一派ではなさそうだ.....だかなあ…『啓典の主の御心を悟った人々』ねえ………まあ、我々がそれに該当するのか?………それならば、あんたが追及しているその問いに、我々が答えることができると思うよ……その答えは我々の中にあるかな………さあ、中へ入る許可をとってやろう」
尋問官がどこかに連絡をすると、ゲートの守備兵や尋問官たちとは異なる人間が、エネとヤッハを伴って佐美のところにやってきた。彼はひどく尊大な態度をとっていたが、服装から言って神職たちの世話係、使用人程度のものであろうと思われた。高位の僧侶もしくは神職の補佐であれば、つまらない少女一人にわざわざ尊大な態度をとるとは考えられなかった。
「あなたが佐美か? 俺は神職陽奈葉様の司る神殿で、神殿に向かおうとする者たちについて、礼拝にふさわしいかどうかを見抜く職に就いている、いわば神殿の守り人だ」
佐美は、この自己紹介を聞きながら、「要は神殿の門番ね」と結論付けた。それでも、一応敬意を払うつもりで、神妙に返事をした。
「ええ」
「貴女か? 俺は、貴女ら三人が、啓典の主の御心を正しく受け取った人々を探して旅して来たと、聞いたぞ」
「ええ」
「結論から言うと、それはこの神殿の丘とその山麓に建設されたこの都市に住む我々のことだね」
「え?」
佐美は、相手が堂々とこう指摘したことに多少驚いた。それを満足そうに眺めながら、その男は続けた。
「急に言われても、面食らうかもしれんがね」
「あなた方が、啓典の主の御心を正しく受け取っている......そうなんですか?」
「ああ、そうだ! 我々は、啓典の主の御心を実践してこの神殿の丘に戻ってきた啓典の民だ」
佐美は、改めて目の前に置かれた事実に驚愕した。陽菜葉に対立していた帆船の勢力が崩壊した今、陽菜葉の側が「選ばれた民である」と主張しても、それを否定する論理は今のところ見当たらなかった。それどころか、すでに神殿の丘では、陽菜葉自身がしっかりと啓典の主にふさわしい神職を務めているように見えた。それならば、佐美があの村から迷い出てここに至ったことは、ある意味で幸いなことだったのかもしれなかった。
「我々は、過去に土地を奪われて以来、激しく迫害され続けた…そして、神殿の丘を取り戻してからも、帆船と争い、包囲され、十分に耐えた………つまり十分に『小さくされた者』と言っていい」
佐美は、目の前の男が「小さくされた者」という言葉を発したことにも驚いた。
「『小さくされた者たち』となって、選ばれたということですか......」
佐美はこれ以上、なんといっていいかわからなかった。とりあえず結論は出せないにしても、否定することはできなかった。ただ、佐美は何か引っかかることが感じられ、もう少し「小さくされた」こと
について問いただそうとした。
「帆船の勢力との戦いで包囲され、十分に耐えたことで、十分に小さくされたとおっしゃいましたね」
「ああ、そうだ......かつての欧州カロリング朝の時代から、我々は圧迫と差別、迫害と絶滅危機の中で十分に耐えてきた。ひどい歴史だった......また、再びこの土地は帰ってきて以来、厳しい戦いの中にあった………彼らは突然襲い来るんだ......聖なる礼拝の日に、また夜に...また、急に襲い来ては人質を大量に連れ去って人の楯にし、ついには人質を死に至らしめてしまう…そんな戦いに我々は敵を撃退し、全滅させ、皆殺しにし、ついに勝利した......こんな苦しみを経たのだから、我々は十分に小さくされた者であると言っていいだろう…だから、我々は自信をもって選ばれたと言えるのだ」
佐美はこれ以上問いかけを止めた。それが真実かもしれないし、それを素直に受け止められない佐美は、従順さがなく傲慢でなのかもしれなかった。若しくは、彼らの言葉の響きに彼らの傲慢さを感じたためかもしれなかった。そんな考えで逡巡している佐美に、目の前の男は、結論付けるようにこう言った。
「選ばれた民ゆえ、周囲の啓典の民たちはもちろん、全人類が我らに従順に従うべきなのです」
この言葉を背中で聞きながら、佐美は無気力なまま案内されるままにその日の宿泊場所に帰った。
その夜、佐美は居室から出て、ホテルの展望室の窓から外を眺めていた。神殿の丘と言われたこの領域は、既に陽菜葉の勢力によって都市として開発されていた。丘の頂上では、反対する帆船たちが以前に建てていた寺院が破壊しつくされ、その上に新しい神殿が再建されていた。その丘の中腹から麓にかけては、様々な機関やおそらくは司令部の建物群が立てられていた。麓から周囲への広がりには、町の建物や民家が広がっていた。
この構造は、帆船側の浮動要塞都市やほかの町と同様に、かつてのトレドに似た啓典民族特有の城塞の構造だった。ただし、帆船側の浮動要塞都市では、陽奈葉側から受けた攻撃で多くの部分が破壊されて廃墟になっていたうえ、残された多くの建物もその後の内部抗争によって破壊され尽くしていた。
外の街並みとそれに続く建物群、神殿を見つめていると、その佐美に話しかけて来る者がいた。
「娘さん、貴女はずっと神殿を見上げているんですね」
「ええ、昔、この町に来て、スパイとして掴まって拷問を受けたことがあるのです」
佐美は、この都市の民たちが、師匠絵里の禁じた犠牲と拷問とを、日常のこととしているかどうかを試したいと考えていたこともあって、わざわざ昔に経験したことを相手にぶつけた。もし、これらのことが市民たちにも日常のことであるなら、それは絵里の教えから遠く離れてしまった証しともいえた。謎の男は、問いかけの裏に隠れている本当の同期には気づかずに、さも驚いたように答えた。
「ほお? それは穏やかな話ではありませんね」
「ええ、なぜか、雷があってから、私は解放されたのですけれど......」
佐美は、相手が驚いた態度を示したばかりでなく、なぜか佐美を見つめていることに気づいた。その次の瞬間、佐美は、相手が偶然にも以前佐美を尋問した係官であることをはっきり思い出した。それゆえ、それを確認するかのように、彼に至極簡単ななぞかけのように露骨に訊ねた。相手もそれを感じてか、はっきりと自らの素性を明かすように答えていた。
「それは、貴女を尋問した男の兵士たちが裁判を受け、あなたは補償を受けた......そして、男たちは神職様の祈りによって許された...という事件ではなかったですか?」
「ええ、そんな裁判だったと思います......私は私自身が裁かれると思っていたのに、まさか尋問をしていた兵士さんたちが被告人になっていたのですから......驚きましたよ...でも、贖いの儀式によって罪が許されたのは、印象的でした」
佐美は、もうあからさまに相手が旧知の仲であるかのように扱っていた。また、相手の男も同様だった。
「そうですね、そんな贖いによって、いや、貴女によって罪が許されたのを、私はよく覚えています」
「え?」
「わたしは、あの時の兵士のリーダー、ナタナエルでした」
相手が裁判に関わった者であることはわかっていた。ただ、佐美を直接に拷問し、裁判で被告人とされ、佐美が直接に対峙した相手であることは、やはり驚きだった。
「え、ええ? うそ!」
「いや、佐美ユエルさん、私は、今でもあなたの横顔は忘れていませんよ......私はあの時あなたに許されたのですから」
ナタナエルとの二人の間の会話によって、佐美はかつての裁判でどのようなことが行われていたのかを、やっと精確に思い出した。
「私が許す権能を持っていたわけではありませんよ。ただ、陽菜葉様もそんな儀式の司式をする能力を有していないと、私は思っています......」
「ということは、貴女が特別の力を持っていて......」
「私は、何の力も持ち合わせていません...ただ存在しているにすぎない者ですから......」
佐美はこう言って返事をすると、ナタナエルは軽く会釈をして去っていった。佐美はその後ろ姿を見ながら、つぶやいた。
「少なくとも救われるべき人が、意図的にそんな自らの素性を明かすことはあまりないわね」
次の日、佐美は自分にあまり時間がないように感じられ、とりあえず今のうちにこの町のあれこれを知ろうと考え、まずは神殿に行くことにした。そこで、必要であれば、佐美は神殿の中を見て歩くことも考えていた。
神殿には、ヤッハとエネも同行した。彼らも何か佐美に相談することがある様子だった。
「佐美さん、昨夜俺たちに接触をしに来た奴らが居たんですよ」
「え?」
佐美は驚いて、ヤッハとエネを見つめた。彼らは佐美の様子に少しばかり驚いて、説明を加えた。
「どうやら、俺たちの素性はばれているのかもしれませんね。昨日の奴らは、俺たちの素性を調べている様子でした」
「そうね、私にも、昨日、過去に会ったことのあるナタナエルという元尋問官の男でしたね」
「どんな話をしたんですか?」
「私が、昔この神殿の丘で掴まって尋問を受けた時に、彼らは間違いを犯して裁判沙汰になったんです...私が覚えていたので、それを確かめるために彼の接触を積極的に利用したんです......そして分かったことは、彼らは私が絵里様から神職を受け継いだ佐美であると、どうやら気付いている様子ですね」
「でも、彼らはなぜ佐美さんに、こだわっているのでしょうね? 佐美さんだけが、神職を正式に絵里様から受け継いだからでしょうか?」
「そうね、それはまだ私にもわからないわ」
佐美はそう言いながら、神殿を見上げた。佐美は神殿の丘を注意深く観察した。ちょっとした時間であっても、一度迷うとなかなか出て来られそうにない規模の大きい建物だった。
そこに、三人に話しかけてくる男がいた。長身の男で、佐美が今まで見たことの無い美貌を有し、佐美さえも一瞬で心が奪われていた。
「みなさん、お揃いで観光ですか?」
目の前の謎の男は、佐美たちの素性を必ず知っていると佐美は確信した。それゆえ、内心相当に警戒しながら受け答えた。
「ええ、この神殿の荘厳さに、ここで神職を務める陽菜葉様、そのほかのお弟子さんたち、お役人さんたちのことを考えていたんです」
「そうですか......確かに、この神殿は立派ですよね......ただ、これで啓典の主の栄光を現したとお考えなのでしょうかね? あ、これは失礼しました.......私はエロイクと申す者です」
目の前の彼は、この都市の権力者のはずの陽菜葉たちに批判的とも思えることを口にしていた。佐美は内心驚いて、これは何を意味するのかを考えこんだ。
「ええ? 啓典の主の栄光とは、どういう意味でお使いになっているのですか?」
佐美は、エロイクが陽菜葉たちと親しい勢力なのか、陽菜葉を批判できる独立の勢力なのか、それともエロイクが佐美たちに近づくためにわざと陽菜葉たちを批判しているのか、見極めようとした。
「啓典の主の栄光とは、われらがこの世の中で最も勝利を得られることですね。我々がそんなグループであることを喧伝することで、我らのところへ多くの兄弟姉妹たちが来ることになるでしょう。そんな様子からうかがわれることは、われらとおなじ選びによって我らの本来の兄弟姉妹たちが次々に加えられていく未来であると思いますよ」
「そのように理解なさっているのですね.......絵里様や私とは少し違うなと感じましたね」
「それならば、絵里様の弟子のひとりである貴女様が正しくお判りになっていらっしゃる、と?」
「私は、その答えを尋ねて旅をしてきたのですが......陽菜葉様ならばはお分かりになっていらっしゃるのでは?」
「確かにお分かりになっている......かな? いや、まだお分かりになっていないかもしれませんね......だからこそ、我々がいるのです」
佐美は、エロイクが神職の取り巻き、いやそれ以上に神職を超える存在として近くにいるのかもしれないと考えた。それは、この町では神職であった者が、さらに教えを乞うことができる存在を伴っているということだった。
「『我々』とおっしゃったのですか? エロイク様はいったいどんな権限で神職より上に立つのですか?」
「上に立つ? 我々はともに歩んできただけの存在ですよ」
佐美は、魅惑されたのかそれとも疑問を持ったゆえかはわからないが、エロイクから目が離せなくなった。
その後、エロイクと称する謎の美男子は、毎日、佐美のところへ訪れた。そのたびごとに、彼は神殿の丘に建てられた町 陽菜葉の様子を称賛しつつ、様々な問題を指摘もした。また、佐美に対しても、彼女の過去を聞いては賞賛し、または敵対的な言葉で批判し、彼女の心をほんろうし続けた。
エロイクが毎日佐美にモーションをかけ、色仕掛けまでして佐美に働きかける姿は、エネとヤッハから見ると、まるでジゴロが女を誘惑して迷わせようとする男の様々な手管のようにも感じられた。当然、エネとヤッハは面白くなく、嫉妬心を抱いて佐美に警告した。その指摘は当を得ていた。佐美も、エロイクが佐美の能力を探りに来たのだ、とわかってはいた。それでも、佐美は、彼の仕草と態度の柔らかさ、そして美貌にすっかりはまっていた。そして何よりも彼の言葉の巧みさと啓典への理解の深さに引きずられていた。まるで、佐美にとっては、彼が本当の救い主であると考えてもよいほどであった。
ある日、この男は今までにない話題を持ち出した。これも、佐美の様子を見ながら口説く作戦の一つのようだった。
「帆船の一派は、内紛で自滅したようですな」
「はい......」
「それは、指導者が慢心して救い主に近いという誤った自覚を持ったのに対して、彼を信じてついてきた信徒たちが、指導者に少しでも疑問を持ったところから、内部に軋轢を生じていくのです」
この指摘は佐美も同意した。本当に、この人は正しい人なのではないか、と確信してしまうほどだった。佐美は同意するしかなかった。
「そうですね」
そのまま進んでいくと、神殿の入り口に立った。そこにいた守り人は、以前佐美を問い詰めに来た門番だった。彼がエロイクの顔を見ると、佐美たち三人はすぐに「啓典の主の教えを共に受ける者」として、神殿へ入ることを許された。これは、エロイクたちを含めた陽奈葉の側の自信の表れのようにも見えた。
あとで佐美が悟ったことだが、神職と共にいるエロイクたちは、無意識に悪霊たちから様々な情報を教えられていた。彼らは、その情報を無意識にながらも確認したいと感じていたのだろう、佐美たち三人を神殿へと受け入れることを無意識に当然と感じていた。それは、佐美たち三人を彼らの土俵である神殿へと招き入れることでもあった。神殿へ引き込んでしまえば、エロイクたちの言葉に載せられて、佐美たちが敵対的考え方を変えることも期待した。
「佐美さん、そしてヤッハとエネ。よく来てくれました」
「私たちを歓迎していただき、感謝を」
「皆様方は、そろそろ察していただけましたかな。ここが啓典の主が、われらを小さくされた民として選んだことを」
「あなた方自身が、自らを啓典の主によって選ばれたと、とあなた方自身がお考えですね」
「ええ、いささかそれは不正確ですね……我々は確信しているのです」
「その確信は、何処から来ているのですか?」
佐美は思わず声を上げた。
「それは、我々以外の者たちが間違っていたからです」
「あなたたち以外が間違っていた?」
「そう、私たちに対抗していた帆船たちです」
「私たちも間違っていた、と?」
「『あなたたち』? 『あなたたち』というより、貴女だけの存在......」
「ど、どう言う意味なの?」
佐美は驚いた。その時、ヤッハとエネが佐美を離れた
「ヤッハ、エネ、私から離れるということ?」
「そうです、佐美さん......残念ながら」
「な、なぜなの?」
エネとヤッハは佐美の呼びかけで、足をとどめた。その二人をさらに誘うように、エロイクたちが続けた。
「佐美さん、貴女が主催するらしい啓典の民たちの集団は、貴女だけにすぎない小さな存在だ......つまり、ここにいてもいなくても、私たちに何の影響も与えないつまらない存在......それゆえ、あなたたちの存在を考慮に入れる必要がない。そして、いまはっきりしたことだが、単に帆船たちが間違っていた......それゆえに、他方の我々だけが正しい、つまり我々は正しい者として啓典の主によって選ばれたことを証していることになる。つまり、我々が小さくされた者であることがあきらかなんです」
「あんたたち、おかしなことを言っていることが分からないの? エネ、ヤッハ、もう行きましょう!」
佐美はエネとヤッハに、今の式の独善と傲慢さを指摘した。すると、神殿の最奥、聖殿に至って拝礼していた佐美だけがそこから引きはがされ、最奥の白一色の至聖殿に放り込まれた。
そこには、いつか見た神職の陽菜葉が玉座につき、その横にいつか質問をしたエロイクなどの最高神官団が立っていた。ところがエネとヤッハは本格的に佐美を離れて、対向して立っていた陽菜葉の方へ走り去った。
「佐美さん、申し訳ないが、もう彼ら二人は私たちと同じところに立っている......」
「エネ、ヤッハ。あなたたち、私と見た初心を忘れたの? わたしとともに目指した啓典の主の栄光を見ようとはしないの? 忘れたの?」
「佐美さん、俺たちは今までわからなかったんだ」
「何を言っているの? エネ! ヤッハ! 血を流され肉を裂かれたお姿を幻で示されて我々に臨在くださった啓典の主の栄光を、お忘れになったのですか」
「佐美さん、あんたの言うその栄光は弱さをさらけ出しているだけじゃないか......本来ならば強くなければいけないんだ」
「あんたたちまで、そんなことを言うなんて......」
佐美は絶望的になった。この時、佐美をさらに追い込むように、神殿の至高殿の中へ帆船の若い民たちが追いこまれてきた。帆船の若者たちや子供たちは、すでに何度も散々に脅迫されていたのだろう。恐怖と悲しみと絶望のどん底にあった彼らはおどおどしながら、彼等とは違って全く動じた表情を見せていない佐美を見つめた。
「おい、帆船の若者どもよ、お前たちに、仲間を紹介してやろう。佐美だ」
エロイクがそう言うと、帆船の若者たちや子供たちは、最後の希望に頼るような顔を佐美に向けた。
「お姉さん、僕たちを覚えているだろ? 浮動要塞で一緒に働いたじゃないか......どうか、僕たちを助けて......」
「え? 誰なの?」
そう言いながら、佐美も戸惑いながら彼らを見つめ返した。佐美は彼らが誰だかわからなかったものの、彼らの目の奥に、ただ諦めと悲しみを見て取ることができた。その姿に、佐美は、若い彼等や子供たちが既に何度も脅迫され、さらには肉親を人質に取られもしくは殺されて此処に至ったことを悟った。佐美は自らのはらわたが引き裂かれたように感じた。
彼らを追い詰めるかのように、彼らの背中にエロイクが追い打ちをかけるように声をかけた。
「お前たち、ここにいられるだけでも幸せだと思え」
「お前たちは、ふたたび不平を態度に表すのか.....不従順な反逆者となるのだな!」
「お前たちは、それほどのことをしたのだ....いっそ死んでしまえばよい!」
さらに、陽菜葉やその横に立つ他の神官団の者たち、さらには下っ端役人さえ、こぞってこれらの言葉を口にした。啓典の民である特定の集団が、これほどまとまってほかの啓典の民たちへの呪いの言葉を吐くのだろうか、佐美には悲しく、つらい光景だった。
絵里の実子であるはずの陽菜葉から、また、陽菜葉を通じて神職絵里から、それぞれの指導者たちから何らかの薫陶を得たはずの者たちが、そろって呪いの言葉を吐いている姿に、佐美は衝撃を受けつづけた。これらの姿が明らかになったことから見れば、陽菜葉の勢力が「小さくされた者」として「啓典の主に選ばれた民」であることはあり得なかった。さらには、彼らが啓典の主への信仰を有しているのだ、といくら主張しても、その信仰は死んだものであり、また、陽菜葉たち主だった者たちが、このような言葉を吐くということに対して、誰も何も指摘しないことに、佐美は陽菜葉の周囲の人たちは全て死にかけているといってよかった。
佐美は悲しみに撃たれるようにうなだれた。佐美は、自らや周囲の帆船の若者たちや子供たちが、このまま最後の時を無気力に待つしかないのかもしれないと、と考え始めた。佐美と佐美の傍にいたすべての若者たちと子供たちは、陽菜葉側の大人たち、それも陽菜葉やエロイクたち神官団という偉い大人たちから投げかけられる言葉によって、次第に追い詰められて従順な反応しか示さなくなっていた。そして、ついに佐美も含めた彼らは、抵抗することを止め、ただただ涙を流すだけになっていた。
夜になり、陽菜葉やエロイクたち神官団などは、佐美や帆船の若者たちの周囲からいなくなっていた。つらい厳しい時間が過ぎ、暗闇だけが優しく佐美や帆船の子供たち若者たちを包んだ。佐美は涙に疲れた子供たちを周囲に集めて慰めた。ようやく訪れた静かな時、眠りの時だった。
払暁のころ、、佐美の横にそっと立った男がいた。彼は、押し殺した声で、佐美に話しかけた。
「やはり、佐美は帆船の奴らと一緒にされてしまったんだな......俺の予想通りだ......悪いことは言わない、この実態をしっかりとみるんだな。これが陽菜葉たちの勢力の現実の姿だぞ」
この言葉を聞き、その男を見上げた時、佐美は非常に驚いた。佐美の尋問担当であったナタナエルが、佐美の横に来ていた。
「さあ、みんな、静かに.......これからここを脱出したほうがいい」
こういうと、ナタナエルは、佐美や周囲の子供たち若者たちを先導して、静かに外へと導きだした。
外へ出ると、町のあちこちで夜の間ずっとデモ行進が行われていた。それは、神殿の丘へ収容された帆船の民たちが、陽菜葉側の扱いの酷さを告発するデモだった。
「私たちをなぜ迫害するのか!」
「私たちは抗議する!」
佐美たちは、その姿を凝視しして、合流しようとした。それを、ナタナエルがとどめた。
「彼らは、陽菜葉側の軍に睨まれている......合流すると、簡単に掴まってしまう」
「デモをしている彼らを助けなくていいのですか?」
「ああ、今は逃げることが第一だから」
「でも......」
佐美のこのためらいが、災いをもたらした。デモを警備していた軍の一団が佐美たちに気づいてあっという間に佐美たちを囲んでしまった。
「待て、お前たちは帆船の若者じゃないか......デモに参加するつもりか? そんなことは許さん」
彼らはそう言うと、あっという間に佐美たちを検挙した。彼らをよく観察すると、それらは、啓典の主を守る「天の万軍」と言われた陽菜葉の軍だった。その軍が大挙してナタナエルや佐美や子供たちを捕らえた。また、先にデモ行進をしていた帆船からの避難民たちは、やはり軍隊によってあっという間に逮捕されてしまった。
今までこの光景を見ていた陽菜葉側の住民たちは、驚いたことに、こぞって帆船からの避難民たちへ驚くべき声を投げた。
「われらに敵対するのか?」
「われらを批判するのか?」
「われらに反対するのか! それならお前たちこそが、啓典の主に反逆する者どもだ! われらの敵! ここから出ていけ! でていけ!」
「われらにケチをつけるのか! われらを糾弾するのか、我らこそ選ばれた民だぞ! 我らこそ、啓典の主に選ばれた残りの者だ! お前たちは滅びるべき反逆者だ! 出ていけ!」
この非難の声に、帆船の逃亡者たちを逮捕した兵士たちも、声を合わせるようになった。それは次第に激高したためか、次第に過激な呪いの言葉になっていった。
「あくまでも、われらに従わず、反論するのか、反抗する者たちよ! お前たちは、全滅させてやる!」
誰からともなくそんな言葉が飛びだすと、それをきっかけにして陽菜葉の民たちは、兵士たちに逮捕されていた帆船からの避難民たちを襲い始めた。帆船の避難民たちは、逃げ惑った。だが、襲う者たちは、戦乱を避けてこの年まで逃げ惑ってきた者たちに向けて、「敵性組織」[テロリスト]と決めつけて排除し、殺戮さえしはじめかねなかった。
佐美は、心の中で再び陽菜葉やエロイクたち神官団、そして民衆の言っていた言葉と態度とを、一瞬にして振り返った。陽菜葉たちの言葉や態度は、神殿の丘にいる彼らの中に、生きている者を支配する死霊たちが既に蔓延りつつある状態であることを示していた。ほとんどの人々は死んでおり、残りの者たちも死にかけているといってよかった。彼らは、彼らの行いが啓典の主の前に完全なものであると主張し続けていた。彼らは、衣を血で汚しながらさらに不完全なこと、いや啓典の主の御心とは反対の行為を重ねてさらに衣を血で汚していた。
すでに絵里が失われ、帆船が失われていた。そして今や、陽奈葉は、救いどころか迫害と戦いによって征服をし始めようとしていた。陽奈葉は啓典の主を捨て、啓典の敵の永年転生王トバルカインの手先の悪霊を一切警戒していなかった。いやむしろ率先してトバルカインや悪霊たちを崇拝して力を得ているにちがいなかった。永年転生王トバルカインの影響下に入った陽奈葉にとって、正式に絵里から神職を受け取った佐美は存在してはならず、陽奈葉や悪霊たちにとって佐美は明らかな敵だった。
暴徒たちが襲い来る中を、ナタナエルや佐美、帆船の民たちは逃げ惑った。そして、彼らはほとんど捕らえられ、広場のようなところに集められていた。周囲の陽菜葉側の住民や兵士たちは、いつ襲いかかるかもしれないほど殺気立っていた。それを肌で感じていた、帆船の民たちは、子供たちや若者ばかりでなく、大人でさえ泣き叫んでいた。佐美は、彼女に縋ってすすり泣いている子供たちをかばいながら、暴力的な群衆の前で、もう何もできないこと、自らには力の無いことを悟っていた。彼女はいつもこのような時祈ることしか残されていなかった。
突然の稲妻と激烈な爆音。まさに突然だった。佐美の祈りは、始めた途端に巨大な上昇気流をもたらし、激しい雷雲を呼び起こした。それとともに鋭い雷撃が雷鳴のはるか上空に響き渡った。これは、間もなく激しい雷撃が起こる兆候だった。
「ナタナエル、こっちよ…みんなも私と一緒に附いてきて!」
佐美は、そっと伝言のようにして逃げる準備をするよう、帆船の避難民たちに伝えた。
雷撃は、まるで飽和攻撃のように神殿の丘の空を満たした。次第に重層化し、激しくなっていく雷撃は大雨とともに激しい破壊を街にもたらした。佐美たちを包囲していた陽菜葉の側の群衆は恐ろしさとともにチリジリになって逃げだした。
他方、佐美の周辺に集まった者たちは、一斉にいくつもの関門を突破し、神殿の丘から逃げ出した。彼らの背後の神殿の丘には、丘の情報の空いっぱいに巨大な雷雲が立ち込めていた。それらは佐美たちが神殿の丘を出ると、佐美を守りつつ動いていった。他方、雷撃の破壊がおわると、雨の中で神殿の丘はことごとく破壊された姿を現した。
それらの雷が閃きのようにもたらした明るさが、佐美の目に押しつぶされ薙ぎ倒された神殿の丘の姿を見せた。佐美の目には、その光景に幻のゴルゴタの丘が重なった。そこで、佐美は神殿が崩壊する姿を見た。崩れ行く神殿や火に包まれる市街の姿の上に、佐美は、木に掛けられたまま、肉を裂かれ血潮を滴るままの姿で、選ばれた少数の残りの民に臨んでくださる啓典の主のお姿を見たように思った。
この後も、雷撃が次々に神殿の丘につき刺さった。光景を目にして、佐美たちは立ち止った。佐美は、疲れを覚えて座り込むと、ふと一緒に逃げてきた集団を見渡した。そこには、佐美には見覚えのある顔がいくつかあった。
「アーザーブさん?、それにアブデルさんじゃないの?」
佐美の突然の呼びかけに、その二人の男は仰天してのけぞった。その二人は、食堂長アーザーブ・アワド、料理長アブデル・ハラーウィーだった。彼らの後ろには、給仕長エリッサ・カラーミー、そのほか料理人やウェイターのベテランたち、新米たち、そして佐美のような子供の下働きが一団となって、佐美の横に座っていた。
「え、あんたは佐美じゃないのか? どうしてこんなところに? どうして会えたんだ?
今までどうしていたんだ?」
彼らは、今まで絶望の中にいたはずが、一気に顔がしわくちゃになって涙さえ流していた。
「さあ、まだまだ先は長い......歩きましょう」
佐美の呼びかけで、一同は歩みを早めた。
長い時間がたった。佐美とナタナエル、そして十数人の帆船の民たち、十数人の陽菜葉の民たちは、遠く離れた山から神殿の丘を見つめていた。
そこに、コトコトという小さな蹄音とともに、ロバたちがやってきた。上空には烏たちが、また遠巻きにして狼たちが、それぞれロバたちを見守るように、やって来ていた。ロバたちは、ナタナエルや数人の民たちの横に、それぞれ立った。......そして、佐美の横にもロバが来た。
ロバたちは、人間たちを乗せて、あの村へ帰っていくことになっている。今、絵里の教えを受けた民たちから、小さくされた者たちが啓典の主によって選ばれ、烏や狼たちとともに村に行く時が来ていた。そして、佐美にとっても村に帰る時だった。