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終わりの日の佐美(サミ) 9  神々とご利益(りやく)追求のキュンルン

 佐美、オレフ、マリーチカの三人は、縛られたまま峠まで追い立てられた。ただ、追い立てているシムシャールの大神官や彼らに従う兵隊たちは、吹雪の中でも不気味に峠を見下ろす黒く鋭い峰々を不安そうに見上げた。

 彼らには、その背後に巨神である雪男たちも頼れる味方として控えていた。それでも、彼らはゴグの軍勢を恐れているようすだった。今はまだ何も動きは見えず、彼らは峠を登り続けた。


 はるか後方のシムシャールの村では、女神官ミナが周辺の山々と峠の様子をうかがっていた。彼女は、佐美やオレフ、マリーチカを捕まえるように雪男たちを操り、今は雪男たちが護衛するシムシャールの軍勢が峠を登っていく様子を見上げていた。

「彼らは、異分子......わたしの未来視を乱す存在......ゆえに彼らは取り除かれるべきね」

 彼女は紫、黄、朱色と黒からなる縞の旗を見上げながらそう独り言を言った。ゴグの国もシムシャールのカラコラムの国も、似た旗を国家の見印として有していた。ただ、両者の違いは上下に並べる紫、黄、朱色と黒からなる縞の順番が異なっていた。

「ゴグの核心たる悪霊たちは、このままカラコラムの悪霊たちと一緒になって大きくなっていくはず……そして、我々とともに歩みを始めることが見えている。だからこそ、我々は両方の用済みになった人間たちを互いに殺し合わせなければならない......したがって、ゴグもカラコラムも互いに対立を深めていく……ただし、私の目論見を邪魔させ兼ねない彼ら三人がいる.......彼らはこの地で消さなければならない……そして、この戦いを激しくさせて犠牲として得られた人間たちの命を触媒にして......」

 そのひとりごとが終わるか終わらないうちに、雪煙で見えない峠の最高地点で鬨の声が、村にまで聞こえてきた。 


「前方にゴグの先鋒、両翼に伏兵、いや主力です」

「敵の陣形は?」

 その掛け声の中、ゴグの軍勢が両峰から峠道のカラコラム軍めがけて殺到してきた。

「両側の峰に陣を展開しています……今まで気づきませんでした」

「全軍、防衛陣形をとれ」

「遅すぎます......わが軍の陣形は崩壊しつつあります」

「巨神を前面に出せ」

「兵士たちを撤退させろ」

 この指示とともに、巨体を揺らしながら十数体の巨神、すなわち雪男たちがカラコラム側両翼前面に立った。彼らは、潰走する味方の兵士たちをかばうようにして、攻撃に出て来たゴグの兵隊たちを次々に粉砕した。他方、ゴグ側は、今まで前面に出ていた兵隊たちが雪男たちの戦闘を避けたところへ、代わりに、ゴグ側の暗く寒い谷底から膨大な数の悪霊たちが峠道を上がってきた。


 この時、佐美たちは峠を越えてカラコルム側からゴグ側へ追い出されたところだった。彼らが少し降りたところで、三人を追い立てたカラコラムの軍勢は、峠の両翼の峰から待ち伏せ攻撃を受けたところだった。

「マリーチカさん、オレフさん、さあ、今のうちに」

 彼らは、流れ弾を避けるために峠道から横に反れたくぼみに身を隠した。その直後、その峠道を雪男たちが峠道をゴグ側へと突進していき、その先ではゴグ側とカラコラム側との間で空間の亀裂のような黒い刃が交差され、カラコラムの精霊たちとゴグの悪霊たちとが激突しているように見えた。


「今です、この戦場から脱出しましょう」

 佐美はオレフとマリーチカに合図を送ると、くぼみから峠道に飛び出した、峠から下る道は、潰走したカラコラム側の軍勢がわれ先に走り下りている中で混乱の極みにあった。彼らはその兵隊たちの群れの中にまぎれながら、一気にカラコラム側すなわちシムシャールの谷へと駆け降りて行った。


 三人は生き残った兵士たちや群衆に紛れ込みながら、村へと入り込んだ。周囲の人間たちは恐怖に震えながら、逃げてきた方向を見つめたり、周囲の音におびえながら、村の建物の中に次々に逃げ込んでいた。

「マリーチカさん、オレフさん、これで私たちは自由になれると思えたのですが、周囲の皆は怖がって建物の中に隠れています。そんなおどおどした群衆の中で、私たちだけ外に出ているわけにもいかないですね」

「そうね、じっとして居ましょう」

「幸い、この小屋には食べ物もある」

 彼らは、周りのカラコラム王国の住人たちがおどおどしている中で、こうしてしばらく潜むことにした。 

 峠の戦況は、佐美たちを追ってきたゴグの悪霊たちとカラコラムの精霊である雪男たちとは、突然戦いを止めていた。ゴグ側の兵士にもカラコラム側の兵士にもそれは謎だった。いずれにしてもカラコラムの人間たちは、大勢が戦死し、残っているのは大神官とその取り巻き立ち、そして敵前逃亡に近い形で逃げ帰った者たちばかりだった。

_________________________


 この時、シムシャールの谷のゴグがわとうげくち側ではないキュンルンがわとうげぐちに近いシムシャール村の廃墟から、この谷の様子を観察している者がいた。女神官ミナ・バハバーディだった。

「さあ、カラコラム全地の精霊たちよ、巨神たちよ、今こそ異分子ごと人間たちを死滅させてしまいなさい。これによって、私の大切な霊たちの宗教が此処で確立されるわ」

 ミナがそう言うと、キュンルン口の峠の向こうから、不規則な地響きが伝わってきた。


 シムシャールの大広場の前に立つ神殿内では、大神官たちが作戦会議を開いていた。そこに、報告が入った。

「たいへんです、大神官様。キュンルン方面から巨神たちが押し寄せています」

「巨神たちが? キュンルン方面から?」

「大神官様、キュンルンの巨神たちは我々の巨神たちとは違い、完全魔装、武装をしてこちらに向かってきているとのことです」

「完全魔装? なぜ武装を?」

「わかりません......しかし、峠から下りきったところで、戦列を組み始めているとのことです」

「そ、それはこちらに攻め込んでくるということなのだろうか?」

 カラコラムの軍には、倒れた巨神たちはいなかった。数の上から言えば、カラコルム川の巨神たちはまだキュンルン側からくる巨神たちに負けはしなかった。だが、カラコラムの軍には、巨神たちを動かす神官はいなかった。大神官たちが真っ青になったのは、今のシムシャールには実質的に対抗する力が残っていなかったからだった。

「我々の神官ミナはなにをしているのか?」

「神官のミナ様は、村のどこにもいません......彼女が、キュンルンへ向かう姿を見たというものがいます」

「なんだと、女神官ミナは、我々を裏切ったのか?」

_________________________


「オレフさん、マリーチカさん、飛び出す準備をしてください。キュンルン口から侵入者が来ています。大騒ぎになったら、この家を飛び出てこの地域から脱出しましょう」

 そう言いながら佐美は窓の外をうかがった。そこからは、キュンルン側の峠口から押し寄せてくる巨神すなわち雪男の大部隊がみえた。既に村の中は、やけくそになった兵士たちが雪男の大部隊めがけて絶望的な戦いを挑み始めていた。鬨の声と悲鳴とが村中に響き始めた頃を見計らって、佐美たちは飛び出した。

 既に村の大通りは、戦場となっていた。在ろうことか、先ほどまでカラコラムの戦列に加わっていたはずの雪男たちまでが、自分たちの味方である兵士たちを放り投げ、薙ぎ払い、押しつぶし始めていた。佐美たちも、そのただなかに踏み込んでおり、一人の雪男の兵士が佐美たちの前へ来るところだった。


 不思議なことに、雪男は佐美たちを避けるようにしてとおりすぎて行ってしまった。狐につままれたような顔を三人は互いに見合った。しかし、すぐに彼らは雪男たちの進んできた道を逆行していった。

「この匂いで、彼らは私たちをよけて行ったんだね」

「この匂いが強いからでしょ?」

「これって、排せつ物の匂いだったわね」

「そうだよ、これってあの雪男たちのあれのにおいか?」

「そう、う○ち」

 佐美たちはそう言って笑いながらキュンルンの峠口へと向かった。だが、そんな笑顔を凍りつかせる光景がゴグ側の峠口から見えた。それは、撤退したと見せかけたゴグの軍勢が、シムシャールの谷へ一気に駆け降りてくる姿だった。

「早く、どこかの建物に隠れないと…」

「演説に使った広場の奥に、石造りの神殿があった......とりあえず、あそこに入り込めば外からの攻撃に耐えられるのでは?」

「では、急ぎましょう」

 彼らはそう言いながら、中央広場に面していた石の神殿へ逃げ込んだ。そこには、シムシャールの大神官たちが、対策を練っているところだった。


「お、お前たち」

 大神官たちは佐美たちの姿を見て驚いた。佐美はその反応を無視しながら、彼らを説得しようとし始めた。

「武力による平和が何の意味もないことが分かりましたか」

「なんだと? 我々は彼らの武力に負けた。だがまだまだだ。こちらにはまだ雪男の軍団がある」

「まだ、わからないのですか? 武力によって相手を滅ぼして平和を達成しようとするものは、悪であり、許されることがないのですよ。この道は、悪魔を崇拝していることになります、すなわち滅びに至る道です」

「なんという侮辱だ!」

 大神官はそういうと、佐美たちに向けて発砲した。しかし倒れたのはオレフとマリーチカだった。彼らはそれと同時に影が薄くなり始めた。

「オレフさん、マリーチカさん!」

「私たちは、ここまでね」

「佐美、ありがとう」

「なぜ?」

 佐美は、ここで彼らが通常の人体を有していなかったことに、初めて気づいた。それを認めるかのように大神官が指摘した。

「おお、残ったおまえは亡霊ではないのか」

「なんてことをしたんだ!」

 佐美の目の前で、オレフとマリーチカは消え去ってしまった。

_________________________


 ちょうどその時、ゴグの軍勢がシムシャールの村の中へ一気に攻めこんできた。

「待っていたわ、ゴグの精鋭たちよ」

 キュンルンに通じる道端にある村の廃墟から、女の大声が響いた。それは、実質的な神官であったミナのこえだった。それとともに、村に入り込んでいたゴグの軍勢に向かって雪男の一群が突進してきた。ゴグの軍勢は、村の中でシムシャールの残党に気を取られていたため、虚を突かれ、次々に全滅していった。雪男たちは、驚いたことに、ゴグばかりでなく家屋に隠れていたシムシャールの人間まで殺し始めた。

 この時、村に攻め込んだゴグの総司令官は、佐美のよく知る康煕だった。

「何が起きている?」

彼が部下にそう訊ねた時、部下は最後の言葉とともに連絡を絶った。

「総司令官、キュンルン側から雪男たちの大軍が押し寄せ、我々を襲っています。また、シムシャールの雪男も攻撃に出ています。あ、我々だけではなくシムシャールの人間たちまで粉砕されつつ......」


 総司令官康煕とその側近たちは、急ぎ上部に見える村の広場の神殿の中へ駈け込んだ。そこには、すでに駈け込んでいたシムシャールの大神官たち、そして佐美たちがいた。


 シムシャールの大神官も、康煕も驚いて、敵を威圧するような声を上げた。しかし、その姿に冷や水をかけるように佐美が続けた。

「まだ、わからないのですか。あなたたちはここで滅びることになるのですよ』

 その声に畳みかけるように、ミナの声が響いた。

「そう、あなたたちがこの谷での最後の人間たちね。外の人間たちはすべてが全滅したわ」

「我々の部隊もか?」

 康煕は思わずそう訊ねた。そうするとミナが続けた。

「そうね、外にいたすべて人間たちは死んだ。なかには、頼りにしていた味方の武力によって......、つまり雪男によって死んだ奴らもいたわけね」

「な、なんだと」

 康煕は呻くようにして声を出した。彼らは、殺戮を繰り返す雪男たちの様子を思い出し、やっとのことで雪男たちの指揮を誰が執っているかを悟った。そして、彼らは、女神官ミナを目掛けて殺到してきた。康煕はとくに大声を出した。

「お前があの雪男たちを操っているのだな?」

「そう、キュンルンからの雪男たちも、私の指示でここに来たのよ」

 女神官ミナはそう答えると、康煕は大声で呼びかけた。

「お前は何者か」

「シムシャールの神官ミナ」

「シムシャールの神官が、ここで味方の人間たちまで殺すのか?」

「私は、ゆくゆくはカラコラムの全ての精霊たちを統べる神官となるのよ」

「なんだと?」

「そう、すべての悪霊たち、精霊たち、ゴグに集まった魔術の全て、そして圧倒的なベンガル魔術は、すべて私の奉ずる宗教の形を整えて魔國(マゴグ)に達することになるわね」

 康煕と彼の部下たち、そして、佐美たちも、この言葉に驚愕した。康煕は女神官の言葉に強く反感を感じて怒鳴り返した。

「いや、ベンガル魔術は我々のものだ。そして、あんたの魔術も我々のものだ」

 康煕の言葉とともに、彼とその部下たちはミナに襲い掛かった。その途端、ミナの足元に飛び込んできた雪男に部下たちは粉砕された。康煕もまた大けがを負った。皆は彼らを嘲笑した。

「無様な人間たち......あんたたちは、互いに殺し合って自滅していくのよ......それによって、私たちは活きるのよ」

「『私たち』だと?」

 康煕は痛みをこらえながら、上体を起こしてミナを睨み付けた。その目の前に、康煕の直属の上司であるはずの、ゴグの指導者トバルカインが立った。

「ここまで、ご苦労であったな......これでカラコルムで我らの存在に疑念を持ちかねない人類は、康煕、お前と佐美だけになった」

「陛下? なぜここに? なぜ敵とご一緒にいらっしゃるのですか?」

「愚か者め......まだ気づかないのか?」

「陛下?」

 康煕はあまりの事態に、ショックを受けて座り込んだ。佐美は彼の傍に駆け寄った。

「康煕!」

「佐美、俺は愚か者だった......」

 彼はそういうと、トバルカインへ武器を発砲しようとした。だが、それはかなわぬことだった。

「康煕、死なないで」

 佐美の腕の中で、康煕は息を引き取った。


 しばらく佐美は動かなかった。ミナは佐美に勝ち誇ったように話しかけた。

「あなたは、ここまで引きずり込まれ、目の前で友人を失い、そして恋人まで失ったわけね。どうかしら、ここまで引きずり込まれ、挙句に絶望を感じる気持ちは?」

「......」

 佐美は考える気力を失っていた。ミナの問いかけや提案にも反応しなかった。これを好機と見たミナは、佐美を強力な洗脳催眠状態に落とした。

「まあ、佐美、私と一緒にキュンルンに来るといいわよ......キュンルンで、私が究めようと思う神官、それも神々に仕える、いや神々と話すことのできる最高位というものを、見せてあげるわ。」

_________________________


 佐美達は、カラコラムから、雪男たちとともに東の峰々の中へ入り込んでいった。その先にあるキュンルンは、今までのカラコラムの谷あいとは異なり、幾分かなだらかな山々に囲まれたところだった。そして、谷の町々には、今まで見てきたゴグやシムシャールの人々とは異なる装いの男女たちがいた。

 谷の中心には、白銀城と呼ばれる寺院が威容を誇っていた。寺院というよりも、多種多様な精霊たちが指導者として出入りする、僧侶・神官の教育養成機関だった。

 ミナは佐美を連れたまま、この教育機関に入学するつもりだった。だが、加入するには、入学試験にパスする必要があった。しかも最高位クラスにパスするには、何が質問されるかわからない口頭試問を克服する必要があった。


 入学試験とされた日、ミナは多くの受験生たちとともに、白銀城の試験室へと昇って行った。もともとシムシャールで実質的な最高位神官を務めていたミナは、自信満々だった。対照的に、ミナの後ろに控えて来た佐美は、強い洗脳の下にあり、絶望した心は死んだままだった。それゆえに彼女は無表情なまま、ミナに機械的に従い仕えていた。

 さて、最高位クラスの受験者はミナをふくめ十数人だった。その十数人に対して、口頭試問官の口にした問いは、以下のようなものだった。 

「では、尋ねる。天と地の生じる遥か前から、この末法の時の来たることに対する教えを用意していた者は誰か?」

 口頭試問の問いかけは、ミナに限らず他の受験者にとってもちんぷんかんぷんだった。それでもミナは答えられないことに我慢がならなかった。ミナは、従者の佐美を一瞥して立ち上がり、試験官に対して答える意思を示した。

「ほお、この問いに答えられる者があるのかね」

 試験官はこういうと、ミナを嘲るように見て次の部屋へ来るように指示した。佐美はこの主の問いかけに非常に豊かな知識を持っており、何のためらいもなく小声でミナに耳打ちをした。

「これ、ビラマンの教えです.....主人公が存在するかのような問いかけですが、だれかを答えては間違いです」

 この時の佐美は幼く見えたため、試験官は付き人の子供が励ましたのだと判断して無視した。しかし、ミナはその言葉を受けて、彼女なりに編集して試験官に対して答えた。

「この問いかけは、ひっかけですね。神々の教えによれば、この時空に初めはないことになっています。であれば、この末法の教えは誰によるものでもない。それは時空とともにあったもの。それゆえ、末法のために用意したと言うのは誤りです」

「ほう、そのこたえかたは、ふたつのことを同時に答えているな。ヨシ、合格だ。最高位クラスへの入学を許す。そして、我々の仲間に入れ」

 こうして、ミナは口頭試問にも合格し、最高位神官養成コースに入学することが許された。そして、月の改まった日、ミナは佐美をおつきの侍女として伴いながら、白銀城に通い始めたのだった。

_________________________


 ミナの所属する最高位クラスには、「神々関係と戦争」「来訪精霊」「土地精霊」「精霊拝礼論」「精霊とご利益りやく」「ご利益最適化のための神々選択論」「円満具足陣学」など、さまざまな学科が用意されていた。先輩として様々な神官候補生たちがおり、彼らの講師たちは人間ではなかった。候補生たちは直接に高位精霊たちの指導を受けて、もしくは心の一部を明け渡していった。その中で、佐美は洗脳催眠状態にありがちな無気力さを示したまま、教室の隅にほかの付き人と同様に無言のままで控えていた。


 二年間が経った。


 最高位クラスの習得コースの終わりが近づき、最高位クラスの講師たちがそろって集団で講義を行う最終期となった。この時始まったのが、「神々とご利益論」だった。この学問は、さまざまな神々を習合させ、そのけっかもたらされるご利益を最大化させる方法論を学ぶもので、典型的なご都合主義だった。その内容は、付き人として講義を聞いていた佐美にとって、非常に嫌悪感を呼び起こす刺激の強い内容だった。いままで無気力なままの佐美は、ミナについて単に教室に出入りし移動しているだけだった。しかし、今、「神々とご利益論」の講義は、洗脳催眠状態にあった佐美を目覚めさせるに十分な刺激だった。


「さて、あんたたちは我々精霊を神としてあがめることを、ここで学んでいる。我々は、この多次元時空世界とともに存在している。それゆえ、あんたたちが学び知ったように、各地、各所に神々として各精霊たちがやどり、またさまざまな物に神々として各精霊が宿り、また精霊の上位には万物の智恵を究めたわれらがおり、そして我らの上には、万物の智恵と時空の智恵とを究めたことでこの地を支配する方がおられる....」

「それはどなたなのですか?」

「われらは最高位の神官ですから、その名を知っておく必要があります」

 ミナをはじめとした候補生たちが、一様に講師に対して声を上げた。講師は、その不定形の姿を揺るがせながら、答えた。

「確かに一理ある…我々の中では絶対的存在である……名前を呼ぶなど畏れ多いのだが……それは、この時空の最奥土(スカード)にいらっしゃる最高霊イブリーズ・タサガタ様だ」

 講師はさらに続けた。

「我々神官は、拝礼に来た人間たちの欲望や願望を聞き、最高霊、つまり最高神タサガタ様に帰依感応しつつ、心に感じられた神々を選び、さらにその神々に人間たちの欲望や願いを申し届けるのだ」

「その、帰依感応というのは何でしょうか....詠歌や舞踏、口説による感応を言うのでしょうか」

 生徒の一人が問いかけると、講師は体を震わせて、喜びをあらわした。

「おお、その指摘は正しい……そなたはよくわかっているな……それでは、なぜ、このように神々を選択する仕方があるのかを理解してもらおう……では、とくにこの世における平和の願いと、戦争が起きる理由とを考察してみよう」 

 この問いに、学生たちは勝手に答えた。しかし、ことごとく間違いだと指摘された。

「答えを言うと、神々の選び方を間違えているから戦いが生まれるのだ」

「え?」

 講師たちは、生徒たちがそんな声を上げたので、彼らがまだ学問を理解していないことに気づき、そこで再度指摘した。

「神々選び方についてもう一度、言及しよう」

「はい」

「神々を選ぶことについては、すでに触れたとおりである……だが、愚かな人間たちは勝手に神々を選んでしまう……神々を選ぶ際に最高身さまを忘れているからだ…我々神官は、拝礼に来た人間たちの欲望や願望を聞き、最高霊つまり絶対にして最高の神タサガタ様に帰依感応しつつ、心に感じられた神々を選び、さらにその神々に人間たちの欲望や願いを申し届けるのだ、と教えたはずだ...ところが、人間たち、いや多くの神官たちは勝手に神々を奉じて、最高神を忘れてしまう......それゆえに、関係する人類すべてに矛盾なくご利益が施されるはずが、矛盾を生じて争いになるのだ......ということは、まず人間たちは、それぞれがいろいろ、神々を選んでその際にご利益が最大となるように、神々を選ぶのが良いのだが、その際、正しい選択となるように、最高神への帰依感応が必要なのだよ」


 この時、やり取りを聞かされたことによって洗脳睡眠状態からはっきりと覚醒した佐美が、ブツブツと声を上げ始めた

「神々を試して選ぶのではなく、唯一の神がおり、しかもその神から選ばれることが重要…」

「そこの付き人、なにをいいだすのかね?」

「神々は、ご利益が目的なのですか」

「そうだ、それのどこが悪いのか」

「それは、人間たちに魂を差し出させること、魂が抜けて怠惰にさせることを意味します」

「人間たちが御利益を得ることは、幸せを意味すると思うが? それによって神々である我々精霊も元気になることじゃよ」

「それって、悪魔のような所業です」

「悪魔だと?、確かにそう我々を呼ぶものはかつていた。しかし今、このあたりのそんな奴らは皆死んだはずだ」

「いいえ、わたしがいます」

「そうなのかね......愚かな奴だ」

「そうですね、私はあなたたちの言う愚か者なのでしょう...ここでは私とは反対に、悪魔たちとともに、それを崇める人々だけが残っていますね」

 佐美が皮肉めいてそう言うと、途端にミナが佐美に走り寄り、平手打ちをくらわした。

「お前、今まで無気力だったから、可哀かわいそうに思って使ってやったのに......」

 この声と同時に、講師の呼んだ検非違使が佐美を縛り上げ、教室の外へ連れ出してしまった。


 佐美は白銀城の最も深い地下牢に押し込められた。その際、教室で教壇に立っていた講師が様子を見に来た。

「お前は、今地上に残っている人間たちとは非常に異なる人間だな......悪魔と我々を呼ぶ者たちは皆死んだはずだった。だが、なぜかここにお前ひとりが此処に残っていたとはね」

 講師の言葉に、佐美は無言だった。講師はさらに続けた。

「お前は友人たちを失い、恋人を失った…。。地上に残っている人間たちは、欲望・願望に会ったご利益を受けて、それぞれ幸せなはずだ......それに対して、お前はどこが幸せなのかね」

「唯一の神のみを愛し、人々を愛することこそ、唯一の神に帰依しその意志に従うことこそ幸せなのです」

「ほお...確かに昔そんな人間たちもいた......我々を『許されない悪霊たち』と呼びさえした......そして、信仰を無くす者たちもいた......そんな奴らがいても、どうせ信仰がなくなれば、我々精霊は別の神になればいいのさ。お前たちと同類の人間たちから『許されない悪霊たち』と言われていた我らは、このようにして人間の欲望とご都合によって活躍するものだからね......そうそう、ここで祈りをされては困るなあ。ちょうどお前は年頃の女に成長したようだ。それならば、心の中でさえ祈りがささげられぬように、頭の中に刺激が響き続けるように、肉形に処しておこう」

 佐美はこうして白銀城の地下深くで、祈りもままならない状態で幽閉された。


 他方、最高位神官クラスのコースは終わりを迎え、ミナたちは不思議な儀式にくわわることになった。そこでは、最高位神官となったミナたちが、最適のご利益を戻るために詠歌し、唱え、踊る儀式だった。彼らの歌い唱え踊る姿は、欲望を持つ者たちの利益の為に、彼ら最高位の神官たちが踊りつつ錯乱状態になる姿をあらわにしていた。この歌い唱え踊る儀式をきっかけにして、この日からキュンルン周辺各地の神殿で、ミナたちは歌い唱え踊った錯乱状態のままに、不特定の祈願者たちと交わうのだった。このようにして、ミナたちは「最高位神官」を務めることとなった。その中で、皆が最も優れた最高位神官は、ミナだった。

_________________________


 さて、カラコラムの山々の外、この地上は、もはや以前とは違う異世界になりつつあった。

 以前、トバルカインは、チベットカラコラム一帯の時を遡らせ(そのかわりに他の地域の時の流れを未来へ向かって早めさせて)たことがあった。それは、核戦争の際に滅んだ筈のチベット侵略支配軍残存部隊をカラコラムへ招き入れるためだった。

 しかし、このいびつな処理は、世界の人類をまきこんで世界中で破壊的な変化を起こしていた。周囲の時間を早めたことは他にも、トバルカインたちにとってみれば、人類の滅びを促進することだった。他方、周囲の時間を早めたことは、佐美の村建設の成立条件を、容易にすることだった。それでも、トバルカインはその策を採用した。

 このとき、トバルカインによるこのいびつな時間の流れの異変を、佐美は自らの若返りで気づいていた。すでに、あのとき彼女はそう思い、空を仰いで絶望した。

「もう、このカラコラム一帯には、囚われの聖徒たちは一切いないのかもしれない」

 このとき、すでに佐美は大きな希望を失い、力を失っていたともいえた。

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