おれ達の小さな復讐
アデヤは時折、婚約者の〝アナスタシア〟にお忍びで会いに来る。
〝アナスタシア〟の屋敷にいる者ならば知っていることだ。
しかし、約束の時刻より早めに来ることは、対応した者しか知らない……。
「アデヤ殿下! こんにちは!」
アデヤの到着をメイばあやから聞いたクロードは、いち早く玄関に来た。
「君は……誰だっけ?」
「アナスタシアの弟のクロードです」
「……ああ、弟君!」
アデヤはそう言いつつも、ピンときてない様子だった。
──美しくない顔は覚えないってか。ゲームと同じだな。
クロードは呆れながら、出来るだけ笑顔で対応する。
「ええと。姉は今ダンスレッスン中でして……」
「ああ、知ってるさ。いつも通り、庭で待たせて貰うよ」
「あ! お待ち下さい、殿下!」
庭に向かおうとするアデヤをクロードは呼び止めた。
「お姉様、ダンスが上達したんですよ! 踊る姿はまるで天からの使いのようで……!」
「ウム。当然だ。アナスタシアは美しい! その美しいアナスタシアがダンスをしたのなら、美しくない訳がないだろう……」
「はい! 凄く素敵なんです! お姉様が美し過ぎて、周りに羽が舞っているように見えるんですよ!」
これは大嘘である。
ダンスレッスン室にアデヤを導くために、話をこれでもかと盛ったのだ。
──まあ、兄さんに羽が生えたら素敵だろうけど。
「なんと、羽が! そこまで言われたら、アナスタシアのダンスを見てみたくなったな。弟君、アナスタシアのところに案内してくれたまえ」
「はい! こちらです! 殿下!」
クロードが先頭に立ち、ダンスレッスン室に急いで向かう。
目的地の近くまで来ると、スピードを落とした。
「どうしたんだ、弟君? 急に足取りが重くなったようだが」
「す、すみません。少し迷ってしまいまして」
──兄さん、アデヤを連れてきたぞ。上手くやってくれよ……。
そう願いながら、クロードはアナスタシオスの言っていた合図を待った。
──バチン!
何か叩れた音が廊下に響き渡る。
これが、アナスタシオスの言っていた合図だ。
「なんだ、この美しくない音は……?」
アデヤが首を傾げる。
クロードはすかさず言った。
「ダンスレッスン室から聞こえてきたような。覗いてみましょう」
クロードは扉を少し開けて、中を覗き見た。
「ええっ。そんな……」
クロードはわざとらしく、驚いた様子を見せた。
「どうした?」
そうしたら、気になったアデヤが続いて中を覗き見る。
「この田舎者! 何度も言ったらわかるの!」
「申し訳ありません! 申し訳ありません!」
アナスタシオスは頭を床に擦り付けて謝る。
ダンス教師はアナスタシオスの背を、手に持っている扇子で何度も打っていた。
──兄さん……!
クロードは今にでも飛び出したい気持ちを抑える。
一番に飛び出すのは、自分ではない。
「何をしている?」
アデヤが扉を開けて、ダンスレッスン室の中に入った。
「えっ。アデヤ殿下……!?」
ダンス教師はアデヤを見て、目を見開く。
アナスタシオスも目を見開き、驚いたふりをしていた。
「僕の美しいアナスタシアに何をしていると聞いているんだ」
アデヤは眉間に皺を寄せて、怒りを露わにする。
ダンス教師がアデヤの前に出る。
「で、殿下! これはレッスンのためで……」
「なんて醜い顔だ……」
アデヤはまるでゴミでも見るかのような目で、ダンス教師を見た。
「美しいものを慈しめない君には失望した。王家に仕える資格はない。父に報告させて貰う」
「そ、そんな……!」
ダンス教師は顔を青くさせ、その場に崩れ落ちた。
続いて、アデヤは控えていたメイド達に目を向けた。
「君達もだ」
メイド達がどよめく。
「美しいものが穢されるさまを黙って見ていられるだなんて、美国の民として恥ずかしい限りだ。処分は追って連絡する」
そう言い終えると、ダンス教師とメイド達に背を向け、アナスタシオスに近づいた。
「アナスタシア、立てるかい」
アデヤは優しくそう言い、アナスタシオスに手を差し伸べる。
「は、はい……」
アナスタシオスは戸惑いながらその手を取る。
「ああ、アナスタシアの美しい顔が……。額に擦り傷もあるなんて! 直ぐに綺麗にしよう」
アデヤはアナスタシオスの手を引いて、ダンスレッスン室を後にした。
アナスタシオスはアデヤが見ていないところで、小さく笑みを浮かべた。
全て、彼の思惑通りだった。
□
その夜。
アナスタシオスの寝室で、再び秘密のお茶会が開かれた。
そのお茶会は優雅なものではなく、祝勝会といった様子だった。
「滅茶苦茶上手くいったなー! ざまあみろ、クソ女教師とクソメイド共!」
ぎゃはは、とアナスタシオスは下品に大笑いする。
「小さな勝利を祝して、乾杯ー!」
アナスタシオスとクロードは、紅茶の入ったティーカップを上に掲げて乾杯をした。
浮かれ気味のアナスタシオスに対して、クロードは浮かない様子だった。
「どうした? クロード。腹でも空いたか?」
「いや、アデヤ殿下の美への執着心は凄いもんだったなって」
「まあ、確かに? 全員クビにするなんて、思い切ったことするよな。あのファザコン」
「……あれじゃあ、まるで独裁者じゃないか」
──あの強引さ……。兄さんに向けられたら……。
婚約破棄からの国外追放、そして最終的には……。
クロードは恐怖で体を震わせる。
「クロードの言う通り、俺にベタ惚れだったなあ、あいつ。もっと我儘言っても聞いてくれっかも……」
「だ、駄目だ!」
──死亡フラグへの第一歩になってしまう!
そう思って、クロードは力強く否定した。
「お、おう……。急にどうしたよ。いつもなら、『兄さんの美貌なら何でも聞いちゃうなあ!』って言うのによ……」
──前世の記憶取り戻す前の俺~! 面食い過ぎだろ!
クロードは過去の自分を殴りたくなった。
「で、殿下を敵に回したら大変なことになるだろ? ご機嫌は取っておいた方が良いと思うなぁ〜?」
「あー、確かに。一理ある」
アナスタシオスは「はー」とため息をついた。
「次に来る教師は、教え上手で美人の姉ちゃんにして貰おうと思ったんだけどなあ」
「兄さんより美人な人は来ないと思う……」
クロードは呆れて、ため息をついた。