秘密のお茶会
クロードはアナスタシオスの部屋をノックする。
「誰かしら?」
扉の向こうから、アナスタシオスの声が聞こえてきた。
「兄さ……じゃなくて、お姉様。おれ、クロードだ」
「クロード……?」
アナスタシオスは扉を開いた。
扉の隙間から見えた彼の顔に、クロードは顔をこわばらせた。
眉根を寄せ、感情を削ぎ落としたような冷酷な表情。
ゲーム画面で幾度となく見てきた、悪役令嬢アナスタシアの顔だ。
──順調にゲーム開始の準備が進んでいるってことか……。
「どうしたの。こんな遅くに」
「あ、ええと。ね、眠れなくて……」
クロードは目を伏せて、悲しそうな演技をする。
こうすれば、弟に甘いアナスタシオスは入れてくれるだろう。
そうクロードは踏んでいた。
「……わかったわ。中に入って」
「ありがとう」
──作戦通り!
クロードはアナスタシオスの寝室の中に入る。
寝室には、必要最低限の家具しか置かれておらず、まるで生活感がなかった。
──前の部屋には虫の標本とか、手製の木彫りの馬とか、剣のレプリカとかあったのにな……。
女の子が持つものではないからと、捨ててしまったのかもしれない。
クロードは少し寂しく思いつつ、早速本題に入った。
「兄さん」
「クロード、言ったでしょう。わたくしのことはお姉様と……」
「ここにはおれとばあやしかいない。おれは〝兄さん〟と話しがしたいんだ」
クロードはアナスタシオスの目をじっと見つめる。
アナスタシオスは暫く見つめ返していたが、観念したようにため息をついた。
「……そうだよな。兄ちゃんがいきなりお姉様なんて、訳わかんねえよな」
アナスタシオスはドカッと椅子に座る。
クロードは今一番聞きたかったことを尋ねた。
「どうして、婚約したりしたんだよ。おれのために、なんでそこまで……」
「お前のためなんかじゃねえよ」
「え?」
「俺のためだ。全部。俺の不注意で弟が死ぬなんて、情けねえったらありゃしねえ。だから、これは俺の我儘なんだ」
アナスタシオスが覚悟を決めた顔して言う。
それが何故だか腹立たしくて、クロードは顔が熱くなった。
「そうやって、全部、一人で背負い込むつもりか?」
クロードの声と拳が怒りで震える。
「……クロード?」
「おれにも背負わせてくれよ。兄さんの重荷、全部!」
「はあ?」
アナスタシオスは呆れた顔をする。
「背負うって、お前なあ……。お前も女のふりするつもりか?」
「そうじゃない! 兄さんを支えるって言ってるんだ」
「はあ? ガキに何が出来るってんだよ?」
「兄さんの方がガキだろ! ガキの癖に、なんで人に頼らないんだよ!」
「あんだとお!? 弟の癖に生意気だ!」
ヒートアップする二人の間に、メイばあやがバスケットを差し出した。
ふんわりと甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「お二方、ばあやはクッキーを焼いてきましたよ」
メイばあやはそう言って、優しく笑う。
「メイばあや……」
アナスタシオスがメイばあやを見た。
「でも、歯磨きしたあとだぜ?」
「歯磨きはもう一度すれば良いんですよ」
「えー。面倒臭え……」
「おや、ばあやのクッキー食べないんですか? じゃあ、クロード坊ちゃまに全部あげましょうかね……」
「はあ? クロードばっかり狡い! 俺も食べる!」
アナスタシオスはクッキーを摘み、口に運んだ。
「まあ、座れよ」
アナスタシオスが対面の椅子を指差した。
クロードはうながされるまま、腰掛ける。
「どうでしょう。ばあや特製のクッキーのお味は?」
「久々にゆっくり食ったけど、やっぱり美味いな。なんか、ホッとする味っつうか」
「ふふ、そうでしょう? ばあやの愛情たっぷりですからね」
「……愛情か。そりゃあ、世界一美味くって当たり前だな」
アナスタシオスはフッと微笑んだ。
──……あ。笑った。
クロードは兄の微笑みを久々に見れたことに喜んだ。
「クロードも食えよ。俺が全部食っちまうぞ」
「ああ、うん」
言われるがまま、クロードはクッキーを口に運んだ。
サクサクしていて、程よく甘い。
クロードもメイばあやのクッキーが好きだった。
「なあ、兄さん。ダンスレッスンのとき、足を引っ掛けられてただろ。大丈夫だったか?」
「大丈夫じゃねえよ! 痛いったらないぜ! あの女、何回も何回も転ばせやがって! こちとら、曲がりなりにも王子の婚約者だっつうの!」
「何回も……。やっぱり故意だよな、あれ」
「そうに決まってらあ。ど田舎者だとか、王子に色目使ったとか。うるさくて仕方ねえ。ま、俺が美人過ぎるからいけねえんだけど。嫉妬は見苦しいなァ」
そう軽口を叩いて、アナスタシオスは「がっはっは」と笑った。
対して、クロードは真剣な顔で言う。
「兄さん、アデヤ殿下に告発しよう。明日、お忍びで殿下が来られるから、そのときにでも」
「告発なあ……。あっちの言う通り、ぽっと出の俺達と、代々尽くしてきた家庭教師の言い分、どっちを信じるかは目に見えてらあ」
「そうか? 殿下、兄さんにベタ惚れだぞ?」
ゲーム序盤では、主人公が間に挟まることが出来ないくらい、甘やかしていた。
ゲームでの“アナスタシア”はそれを軽くあしらっていたが……。
「つっても、顔だけだろ? それに、中途半端な告発は、相手を怒らせていびりをエスカレートさせるだけだ」
「まあ、そうなんだけど……」
アナスタシオスはニヤリと笑った。
「俺に作戦がある。クロード、耳貸せ……ごにょごにょ」
「……ええっ!? その方法だと恨みを買うだろ!? もっと穏便に……!」
「クロードは兄ちゃんの味方じゃねえのか?」
「え」
「そうなったら、兄ちゃん、一人で戦わなきゃなんねえな。心細いぜ……」
アナスタシオスは涙ぐむ。
昔から、クロードはアナスタシオスのその顔に滅法弱い。
「み、味方に決まってるだろ!」
思わずそう言ってしまった。
すると、先程までの涙は何処へやら。
アナスタシオスは悪戯っ子のようにニヤリと笑った。
「じゃあ、決まりだな。やるなら徹底的にやろうぜ? 弟よ」
そう言って、アナスタシオスは肩を組んできた。
──上手く踊らされてるな、俺……。でも、不思議と悪い気はしない……。顔が良いからか?
クロードはため息をついた。