執事陥落
「お呼びですか、──王子様?」
ミステールは一人、校舎の裏に訪れていた。
『三十分後、誰にも伝えずに、校舎裏に来るように』
との伝言を生徒から受け取り、ミステールはその通りにした。
「改まって僕を呼び出すなんて、一体どういったご要件で?」
呼び出した本人は何も言わず、ミステールの後ろに目を向けている。
不思議に思ったミステールは振り向いた。
そこにいたのはアナスタシオス達の宿敵──【博愛の聖女】レンコだった。
「やっと捕まえたわよ、ミステール・ルダス?」
「……【博愛の聖女】様。なるほど。君達は手を組んだということか」
「だって、仕方ないじゃない? いつまで経ってもアデヤ様とあの女が婚約破棄しそうにないんだもの」
レンコはミステールににじり寄る。
「これじゃあ、私が〝あのお方〟と結ばれる日は来ない……」
ミステールは後ずさるが、後ろにはレンコの協力者がいて、逃げられないように押さえつけられる。
「くっ……!」
「安心して。これから、私が貴方にたーっぷり愛を与えてあげるわ」
レンコは手でミステールの頬を包み込み、顔を近づけた。
「貴方は私のものよ。私のために動きなさい……」
□
「ふいー。すっきりしたぜー」
アナスタシオスはハンカチで濡れた手を拭きながら、男子トイレを出た。
女装しているとはいえ、生物学上の男が女子トイレに入るのは憚られる。
授業中の人気のない時間帯は、アナスタシオスの絶好のトイレタイムであった。
「兄さん、人払いしてあるとはいえ、気を抜き過ぎじゃないか?」
「良いだろお。こういうときじゃないと素を出せねえんだからよお」
クロードは呆れてため息をついた。
ふと、クロードは周囲を見回す。
「……今回もミステールは来なかったな」
「ああ、なんか用事があるとかで」
「最近、ずっとそうだよな。秘密のお茶会にも来ないし、必要以上に言葉を交わしてない」
クロードはそこまで言って、ハッとした。
「おれ、もしかして、避けられてる……? あの写真集のせいか……?」
「流石にその程度じゃ引かねえよ。あんときみすちーも笑ってたし」
「だ、だよな! 健全な男だったらそれぐらい買うよな!? じゃあ、なんで避けられてるんだ……?」
「みすちーも一人になりたいときくらいあんだろ。その内ひょっこり来るようになるんじゃね?」
「そんな適当な……」
そう話していると、アナスタシオスの教室の前に来た。
アナスタシオスは体面を整え、教室の扉を開けた。
アナスタシオスが教室に入ると、皆一斉にアナスタシオスを見た。
クロードは驚いて、ぎょっとする。
「……あら? 皆様どうされましたの? 今は体育の時間ではなくて?」
アナスタシオスはそう言って、上品に笑う。
誰も何も言わないのを見兼ねて、シュラルドルフが前に出る。
「アナスタシア嬢、今まで何処へ行っていた?」
「え?」
──便所に行ってたけど……。
そう言う訳にもいかず、何とか誤魔化そうと口を開く。
「少し私用で席を外しておりまして……」
「言えないのか」
「本当に私的なことですので」
──お手洗い、だからな。
紳士が令嬢に休み時間に何をしていたか聞くのは、デリカシーがないと言わざるを得ない。
「それで……何かありまして?」
「レンコの制服が切り裂かれていたんだ」
「えっ……」
アナスタシオス達が机の上を見る。
そこには、ズタズタに切り裂かれたレンコの制服が置かれていた。
その前で、レンコが手で顔を覆っている。
泣いているらしく、すんすん、と鼻を啜る音が聞こえた。
「なんて酷い……」
「貴女がやったのですか?」
ゼニファーが前に出て言う。
「ゼニファー王子……」
「今の時間、休んでいたのはアナスタシア嬢だけです。一体何処で何を?」
「ですから、それは私用で……」
「それを証明出来る人は?」
「弟と我が家の使用人のメイが証明してくれますわ」
「身内の証言なんて当てになりません!」
レンコが叫ぶ。
「口裏を合わせているに決まってるわ!」
「事実ですわ。わたくしは疚しいことなど何もしておりません」
アナスタシオスは毅然とした態度を押し通した。
均衡状態が続く中、ある男は現れた。
「──何の騒ぎだ?」
アナスタシオスの婚約者、アデヤである。
アデヤは良くない雰囲気を感じ取っているのか、訝しげな顔で教室に入ってくる。
「アデヤ様、実は……」
ゼニファーが一連の話をアデヤに伝えた。
レンコの制服が何者かによって破かれていたこと。
それが行われたのは、体育の時間の間であること。
その時間、アナスタシオスにだけアリバイがないこと。
アデヤは難しい顔でそれを聞いていた。
「……そうか。動機は?」
「え?」
「だから、私のアナスタシアがそこの女に嫌がらせをする動機が何か聞いているんだ」
「それは、レンコ嬢が【博愛の聖女】だからでしょう。昔から、アナスタシア嬢が次期聖女だと言われていたのに、レンコ嬢が聖女に選ばれたから嫉妬で……」
「アナスタシアは美しいんだ」
さも当然のようにアデヤは言う。
「そこの醜い女に劣るところなど一つもない。故に、嫌がらせする動機はない!」
アデヤはアナスタシオスを抱き寄せた。
周囲の人達は「何言ってんだ、こいつ?」と言いたそうな顔をしていた。
──これ以上、話をややこしくしないでくれよ……! せめて、少し黙っててくれ!
クロードはそう願った。
「アデヤ様! 貴方は騙されているんです! 美しい顔だからって、何もかも許してはいけません!」
レンコは涙ながらに至極真っ当なことを訴える。
「話にならないな。行こう、アナスタシア」
しかし、アデヤは聞く耳持たず、アナスタシオスの肩を抱き、くるりと踵を返す。
レンコはぎりり、と歯を噛み締め、口を開く。
「──彼女は弟と夜な夜な密会しているんですよ!」
アデヤはその言葉を聞いて、ぴたりと足を止めた。
生徒達の視線がアナスタシオスに集中する。
アナスタシオスは首を横に振る。
「眠る前に、少しお茶をしているだけですわ」
「婚約者がいるのに他の男を寝室に連れ込むなんて普通じゃないわ!」
「クロードは弟ですわ。弟と一体何をするというのです?」
「それは勿論──!」
「黙れ」
アデヤが制止した。
「それ以上、僕の女神を愚弄してみろ。【博愛の聖女】とて許せない」
アデヤはレンコを睨みつける。
レンコは怯んで、言葉を詰まらせる。
「レンコ、それ以上は……」
シュラルドルフが首を横に振る。
「……そうね」
レンコはシュラルドルフとゼニファーに連れられ、その場を引いた。
「大丈夫かい、アナスタシア」
「え、ええ……。ありがとうございましたわ、殿下」
「全く、シュラルドとゼニファーは何をしてるんだ。あの女の言うことを信じるだなんて……」
アデヤはため息をつきつつ、ちらりとアナスタシオスを見た。
「……なあ、アナスタシア。君は本当に何もしてないんだね?」
アデヤは不安そうにアナスタシオスを見つめた。
それは、レンコの制服を破いたことについてだろうか。
それとも、弟との関係のことだろうか。
アデヤの確認に対して、アナスタシオスはとびきりの笑顔で応える。
「ええ。誓って、何もしていませんわ」
それを聞いて、アデヤは少しホッとしたような顔をした。




