次期【博愛の聖女】
クロードがアナスタシオスに前世の記憶の話を打ち明けてから、六年の月日が流れた。
「どうしましょう……」
キュリオ学園の中庭。
眼鏡の女子生徒は木の上を見て、木の周りをうろうろとしていた。
「どうされましたの?」
そう問われ、眼鏡の女子生徒は振り向く。
そこには長い銀糸の髪と、アメジストとサファイアの色の瞳を持つ、美しい女性がいた。
ポニーテールの女子生徒は彼女の名前を知っている。
「あ、アナスタシア様!? うわあ。近くで見るとますますお美しい……」
アナスタシア・フィラウティア。
あまりの美しさに、男女問わず心を奪う、学園のマドンナだ。
眼鏡の女子生徒は緩む頬を引き締めた。
「いえ、子猫ちゃんが木に登って降りられなくなったようなんです」
彼女が指を差した先、木の枝の上に真っ白な毛並みの子猫がいた。
子猫はぷるぷると震えて、下に降りられないようだ。
「あら、それは大変ですわ」
アナスタシアはそう言ったかと思うと、スカートの裾を絞り上げ、袖をまくる。
そして、あろうことか、木によじ登り始めたのだった。
「あ、アナスタシア様! 何を!?」
ポニーテールの女子生徒が驚きの声を上げる。
「早く子猫ちゃんを助けないと。きっと怖い思いをしていますもの」
「そ、そうですけど……! 危ないですよ!」
「大丈夫。わたくしは田舎の男爵令嬢ですもの。木登りは得意でしてよ!」
アナスタシアは子猫の方を向き、「待っていてね、子猫ちゃん」と笑いかけた。
アナスタシアが木を登るのを、周囲にいた人々は固唾を飲んで見守るしかなかった。
木を登るという野蛮な姿も、アナスタシアがすると美しく見える。
「あ、アナスタシア!? 何をやってるんだ!?」
その姿を、偶然通りがかったアデヤも目撃した。
アデヤ・グレイス・エロスは美国の第一王子であり、アナスタシアの婚約者である。
アナスタシアは木にしがみつきながら、アデヤににこりと笑いかける。
「あら、アデヤ様、ご機嫌よう。木の上から失礼しますわ」
「何をやってるんだと聞いてるんだ! 早く降りてきなさい! 危ないだろう!」
「子猫ちゃんを助けたら直ぐに降りますわ!」
アナスタシアは心配するアデヤを他所に、木の上へと登っていく。
そして、ようやく、子猫がいる枝まで辿り着いた。
「お待たせ、子猫ちゃん。怖かったでしょう」
そう言って、枝に腰掛けると、子猫に手を伸ばし、片手で抱き上げる。
そのとき、アナスタシアの体がぐらりと大きく揺れた。
「あっ」
アナスタシアが声を上げると同時に、彼女の体は地面に落ちていく。
「アナスタシア!?」
アデヤは思わず叫び、駆け出した。
「よっと」
しかし、助けはいらなかった。
アナスタシアは膝をクッションにして着地の衝撃を吸収し、ふわりと華麗に着地したのだ。
おお、とアナスタシアと子猫を見守っていた人々が歓声を上げる。
それに驚いたのか、子猫はアナスタシアの腕からするりと抜け出し、走って逃げてしまった。
「子猫ちゃん、今度は降りられる木に登るのよ~」
アナスタシアは去り行く子猫に手を振った。
アデヤはハッと我に返り、アナスタシアに駆け寄る。
「アナスタシア! ああ、また無茶をして……! 君の美しい顔が汚れてるじゃないか!」
アデヤはハンカチでアナスタシアの顔についた泥を拭う。
「幻滅しました? 王家と男爵家、元々身分違いの婚約ですもの。婚約破棄して頂いても……」
「何度も言わせないでくれ。君と婚約破棄するつもりは毛頭ない。君と出会って六年……君にどんどん惹かれていくよ」
アデヤは愛おしいものを見るように目を細めて、アナスタシアの頭についた葉っぱを取ってやった。
アナスタシアは恥ずかしそうに顔を赤らめて、視線を逸らした。
「あ、あの!」
先程、子猫を心配していた眼鏡の女子生徒が、アナスタシアに向かって頭を下げる。
「ありがとうございました! アナスタシア様!」
アナスタシアは優しく微笑む。
「お礼なんて。わたくしがやりたくてやったことですもの。子猫ちゃんが無事で良かったですわね」
「はわあ……」
眼鏡の女子生徒は頬を赤らめさせて、うっとりと立ち去るアナスタシアを見つめた。
「アナスタシア様は見た目も美しく、人柄も良い! 正に完璧な淑女ね!」
「【博愛の聖女】様がいるとしたら、あんな感じなのかしら」
「【博愛の聖女】様と言えば、聞きまして? 近々、新しい【博愛の聖女】様が選ばれるとか……」
「じゃあ、次の【博愛の聖女】様はきっとアナスタシア様に決まってますわね!」
□
「──でも、残念! その次期【博愛の聖女】様と呼び声高い〝アナスタシア〟は男なんだよなあ!」
ゲラゲラと下品に大笑いするのは、次期【博愛の聖女】と呼ばれていたアナスタシア、もとい、アナスタシオスである。
「美しく優しい完璧な淑女アナスタシア様がこんな下品な笑い方するなんて知ったら、みんな驚くでしょうねえ」
「ははは……」
ミステールの言葉に、クロードは苦笑するしかなかった。
通例となった秘密のお茶会。
このお茶会には、アナスタシオスが男であるという秘密を共有する者達しかいない。
アナスタシオスとクロード、メイばあや。
そして、その中には攻略対象の一人、ミステールも加わっていた。
クロードは紅茶を一口飲み、ティーカップをテーブルに置く。
「──で、またアデヤに呆れられたのか?」
「仕方ねえだろ。人が困ってたら助けたくなる性分なんだからよお」
「昔からそうだったもんな」
人助けなんて、ゲーム本編の〝アナスタシア〟ではあり得なかった。
──心に余裕があるってことなんだろうな。
六年で、アナスタシオスは立派な悪役令嬢〝アナスタシア〟になった。
美しい美貌はそのままに、大人の色気を放つようになったのだ。
成長したら逞しくなると思いきや、しなやかな体つきに成長した。
流石に、胸の膨らみはどうしようもなかったが、アデヤ曰く「むしろ控えめで魅力的だ」だと言う。
それを聞いたアナスタシオスは、笑いを堪えるのに必死だった。
声変わりのときにも一悶着あったが、何とか言いくるめた。
今や、アナスタシオスは常に裏声である。
「お姉様、立派になられて……」
「メイばあやみてえなこと言うなよ」
攻略対象とは良好な関係が保たれている。
アナスタシオスの協力を得たことで、スムーズにことが進んだ。
今や〝アナスタシア〟は学園の人気者だ。
「さあて。いよいよ、主人公様のご登場って訳か。一体どんな奴なんだろうなあ? 俺より綺麗じゃなかったら承知しねえぞ?」
「承知してくれ。兄さんが主人公に嫌がらせしたら、死亡ルート一直線なんだからな。気になるからって安易に近づくなよ」
「わかってるよ。俺を死に導く死の女神様だからなァ」
アデヤとの関係は今のところ良好。
シュラルドルフとゼニファーの好感度も悪くない。
シルフィトはクロードと友人関係にある。
ラヴィスマンはアナスタシオスと同じ乗馬クラブに所属しており、親交を深めてきた。
ミステールはフィラウティア家に忠誠を誓っている……。
「出来ることはした。あとは──」
アナスタシオスはニヤリと笑った。
「なるようになるだけだ」




