クズ女ばかりの女系家族で育ってきた俺が、学園の聖女様と友達になったら
この街随一の名家・毒島家は女系家族だ。
何代にも渡り女当主が実権を握っており、特に現当主である俺の祖母は史上最強の権力者と謳われている。一族の男で祖母に頭が上がる人間は一人もいないとか。
女系家族という特徴は、本家にこそよく表れている。本家の家族構成は祖母、母、二人の姉と一人の妹、そして俺。
俺・毒島茂以外全員女という、まさに女社会なのだ。
……え? 父親はどうしたのかって?
婿入りという形で母さんと結婚した父さんは、女主体の生活に耐え切れなくなり、数年前に逃げ出した。
今どこで何をしているのかは、まったくわからない。
祖父は既に亡くなっており、父さんも行方をくらませたお陰で、俺は毎日肩身の狭い生活を強いられているわけで。特に我が家の女たちは、揃ってクズ女ばかりだ。
祖母は当主という地位を利用してやりたい放題で、家族の意見なんて無視して物事を決めてしまう。
逆らえばただじゃ済まないから、周りは何も言えなくなってしまっている。
母は夫に逃げられて以来、毎日のように男遊びに興じている。
家に帰ると日替わりで知らない若い男がいるなんて、若干恐怖心さえ覚えてくる。
長女は謂わゆるわがまま娘だ。「あれ買って来い」だったり「これやっとけ」と言って、事あるごとに俺をパシってくる。
次女は毒島家きっての浪費家。身に付けるものは全てブランド物で、宝石類も腐るほど持っている。
次女にたかられて破産した男は、少なくない。
三女は一番害がないのだが、引きこもりのニートだ。そういえばもう1年近く会話していないな。
部屋から出ないで済むように、自室の中にトイレやお風呂まで完備させている。引きこもりもここまで極めれば尊敬に値するだろう。
「美人な女性ばかりなんて、最高の暮らしじゃないか」。何も知らない男友達はそう言うけれど、正直寝言は寝て言えと返してやりたい。
この生活はハーレムなんかとは程遠い、まさに奴隷生活だ。出来ることなら、代わって欲しい。
今日も今日とて、俺の窮屈な暮らしは続く。
祖母には「◯◯大学に進学しろ」と命じられ、気分転換にシャワーを浴びようとすると母が知らない男と入浴していて、ゲームをしようとすれば長女に部屋の掃除(俺のではなく、長女の部屋のだ)を押し付けられ、次女の通販の代引きを代わりに支払わされる。そして三女は姿すら見せない。
そんな中、俺は通っている高校で出逢ってしまったのだ。見返りを求めず俺に優しくしてくれる、可愛らしい聖女様に。
◇
聖女の名前は、湯浅凛花。
母子家庭かつ5人きょうだいの長女ということもあり、家事の大半を担っているという苦労人だ。
末の弟は今年保育園に入園したばかりで、余計に手がかかるようになったらしい。それでも文句一つ言わず弟の面倒を見ているのだから、本当に出来た姉である。どこかのクズ姉妹にも見習って貰いたい。
町内屈指の金持ち一家に生まれた俺と、言い方はアレだけど貧乏な家に生まれた湯浅。一見対極的な俺たちが出逢ったのは、駅のデパートだった。
その日長女から「口紅を買って来い」と頼まれた俺は(嫌だと言っても無駄なので、素直に従うことにしている)、学校帰りにデパートの化粧品売り場に来ていた。
口紅なんてしたことがないから、何を買えば良いのかわからない。メーカーとか色とか沢山種類があるみたいだけど、正直俺には全部同じに見える。
そして「これかな?」と思ってショーケースに近づくと、すかさず店員が「彼女さんへのプレゼントですか?」と声をかけてくるのだ。
いいえ。わがままな姉への上納品です。
下手なものを買って行って怒られるのも嫌だし、かなり散財するけど手当たり次第買って行くとするかな。
そんな愚かな思考に至った俺が、秘密兵器・クレジットカードを財布から取り出そうとしたところで、湯浅に声を掛けられた。
「あれ、毒島くん?」
「おぉ、湯浅か。買い物か?」
「ちょっと地下の食品売り場まで。そういう毒島くんも?」
「まぁな。俺の場合食品じゃなくて、口紅を見に来たんだけど」
「口紅、ですか……」
言いながら、湯浅は俺の唇に視線を向ける。……もしかしなくても、誤解してるパターンじゃないですかね。
「あー、一応言っておくが、俺が使うんじゃないぞ? 姉に頼まれたんだ」
「お姉さんに? そうだったんですか。……趣味嗜好は人それぞれですし、別に毒島くんが使っていても良いと思いますけど」
やっぱり、勘違いしていたんじゃねーか。
「買って来いと頼まれたのは良いが、一体どれを買えば良いのかわからず困っているところだ。ひと口に口紅と言っても、色々あるんだな」
「まぁ化粧品メーカーも、あの手この手で他社製品と差別化を図っていますからね。……よろしかったら、お手伝いしましょうか?」
「……良いのか?」
女性のことは、女性に聞くのが一番だ。湯浅の提案は、願ってもないものだった。
「だけど急いでいるんじゃないのか?」
「5時の弟のお迎えに間に合えば、大丈夫です。それに困っているクラスメイトを放っておけませんし」
そう言って微笑む彼女は、確かに聖女という肩書きに相応しいといえた。
「取り敢えず、お姉さんからはどんな口紅をお願いされたんですか? わかっている情報だけで良いので、教えて下さい」
「えーと、確かだな……」
俺は長女から聞かされていた商品の特徴を、湯浅に伝える。特に値段は恐ろしいくらい高かったので、しっかり覚えていた。
商品の特徴を聞いた湯浅は、「成る程」と一つ頷く。
「それでしたら、多分わかります。ついてきて下さい」
湯浅に案内されて、俺は某有名化粧品メーカーのブースに向かう。
購入する前に一度その商品を写真で撮り、確認がてら長女に送信すると、
『それよ、それ! あんたもやれば出来るじゃない』
人をパシっておいて、何上から目線で言ってんだよ。
若干の苛立ちを覚えたものの、折角褒められた(?)のだからこちらから文句を言うことはしない。
「湯浅、本当に助かったよ! ありがとう!」
「いえいえ。大したことはしていませんよ」
「いいや、大したことしてくれたって! 湯浅のお陰で、俺は姉に怒られずに済んだ。……お礼をしたいと思うんだけど、何が良い?」
「お礼だなんて! 本当、気にしなくて構いませんから!」
湯浅は全力でお礼を拒むも、それではこちらの気が済まない。
是非ともお礼をしたい旨を伝えると、湯浅は少しの間考えてから、
「それでは、一緒に地下の食品コーナーに来て下さい。荷物持ちをしてくれると、助かります」
お礼に荷物持ちを要求するなんて、なんて謙虚な子なんだろうか? 次女だったら、確実にブランドバッグを所望していたぞ。
荷物持ちを頼まれたものの、結局湯浅が買ったのは卵と牛乳だけ。全然重たくない。
その上「寄り道させるのは悪いから」と言って、交差点で別れることになった。
湯浅凛花……なんて素敵な人だろうか?
彼女との出逢いは、俺の中の女性という概念を大きく変えたのだった。
◇
部活や委員会に所属していない俺は、基本「さようなら」と同時に下校している。
理由は単純なもので、放課後の学校にいてもやることがないからだ。
家ではやることが沢山あるぞ? 長女の部屋の掃除とか、次女のお財布係とか。
しかしこの日の俺はすぐに下校せず、図書室で本を読みながら時間を潰していた。
俺は図書室をあまり利用しない。なぜなら読みたい本は、借りずに買ってしまうから。
だから図書室に読んでみたい本なんて一冊もなくて。なんとも贅沢な悩みだろうか。
読みたい本はない。だけどそれ以上に、家に帰りたくない。
取り敢えず俺は、然程興味のない偉人の伝記に目を通していた。
二、三十ページ読んだところで、「あれ?」と聞き覚えのある声が耳に入ってくる。
声のした方向を見ると、やはり湯浅だった。
「毒島くんが学校に残っているなんて、珍しいですね。それも図書室にいるなんて」
「今日は家に帰りたくないんだよ」
「お姉さんと喧嘩でもしたんですか?」
「いいや。……母さんの誕生日なんだ」
母親の誕生日に家に帰りたくないなんて、親不孝な息子だと思うだろう。
だけど、考えてみて欲しい。俺の母親は、普通ではない。
普通じゃない母親の誕生日が普通であるはずもなく、毎年この日は母さんの愛人たちが大勢我が家にやって来るのだ。
そして深夜まで続く品のないパーティーが始まる。帰りたくなくなるのも、頷けるだろう。
日頃俺から家族の愚痴を聞いている湯浅は、全てを聞かずとも大体の事情を察してくれた。
「でしたら毒島くん、私の家に来ますか?」
「えっ!?」
予想だにしない、湯浅からのお誘い。驚きのあまり、つい変な声を出してしまった。
すると湯浅も自身の発言が大胆であったことに気付いたようで、慌てて言葉を付け加えた。
「変な意味じゃないですよ! なんていうか、その……荷物持ち! 帰りにスーパーに寄るんで、また荷物持ちをして貰いたいなぁって!」
「荷物持ち。あぁ、そういうこと……」
他意はないと言われて、安心するどころかどこかがっかりしてしまう自分がいた。
しかし、湯浅の家か。
彼女と友達になってもう数ヶ月が経つけれど、そういえば一度も行ったことがなかったな。
プライベート空間たる自宅に誘われるということは、それくらいには俺に友好的だということだろう。
そう思うと、なんだか嬉しくなった。
「良かったら、夕食も一緒にどうですか?」
「良いのか?」
「その代わり料理を作っている最中、弟たちのお世話をして貰うことになりますけど。それでも良かったら」
そんなの、一向に構わない。
母や姉と接するより、ずっと楽な筈だ。
◇
湯浅の自宅は、築30年のアパートだった。
間取りは2LDK。6人で生活するには、手狭だ。
それでも彼女の弟妹たちは、楽しそうに生活していた。
「ねぇねぇ、姉ちゃん! 今日の夜ご飯は何?」
「今夜はカレーですよ」
「ていうか姉ちゃん、いつの間に彼氏出来たの? もうチューした?」
「なっ! キスなんてするわけないでしょう!? というか、彼氏でもありません!」
確かに彼氏じゃないけれど、そんなに全力で否定しなくても良いのに。
湯浅の返答に若干の不満を抱いていると、彼女の妹が俺の服の裾を引っ張ってきた。
「お兄さんは、凛花お姉ちゃんとどういう関係なの?」
「それは……ただの友達だよ」
「ただの」なんて、わざわざ付ける必要なかったのにな。
自分で言って、俺は後悔した。
湯浅がカレーを作っている間、俺は彼女の弟妹の相手をしていた。
近頃の子供は、特撮ヒーローや魔法少女に憧れるものなんだな。「変身!」って真似までしているし。
俺の子供の頃は……祖母から言われて英会話やテーブルマナーを習っていた思い出しかないや。
湯浅は料理も上手なようで、夕食のカレーは絶品だった。
夕食後はみんなで仲良くテレビを見て、9時を回る頃には疲れたのか子供たちは眠ってしまっていた。
俺は湯浅と協力して、彼女の弟妹たちを寝室に移動させる。一室で雑魚寝している子供たちを見ながら、俺はふと呟いた。
「なんていうか、こういうのって良いよな。家族って感じがする」
「そうですか?」
「あぁ。俺なんか姉からは道具か財布としか見られていないし、妹からはそもそも認知されているのかどうかさえわからない。家族らしいことなんて、一度だってしたことないからさ」
そして今までそのことを悲しいとは思わなかった。だってそれが、普通の家族の在り方なのだと思っていたから。
「俺もいつか、こういう家族が欲しいよ」
「それって、どういう……?」
「そのままの意味なんだが?」
別段意味深なセリフじゃないと思うんだけど……そう考えるのも、普通じゃないのだろうか?
湯浅家の居心地が良すぎた為、この日の帰宅は11時を回ってしまっていた。
この時間なら、寝ている人間がいてもおかしくない。俺はなるべく音を立てないように、そーっと自室へ向かった。
階段を登ろうとしたところで、突然明かりがつく。
「茂さん、こんな遅くまでどこへ行っていたんですか?」
帰宅した俺を待っていたのは、祖母からの追及だった。
◇
「どこって……友達の家ですよ。一緒に勉強していたら、こんな時間になっちゃいました」
湯浅の弟妹たちが寝た後、少しだけだが勉強していた。だからあながち嘘というわけじゃない。
勉強していたと言えば、祖母も大目に見てくれるだろう。しかし祖母の着眼点は、俺の帰宅が遅いことではなかった。
「例の女子生徒の家に行っていたのですか?」
「! どうして、湯浅のことを?」
「あなたが最近仲良くしている女子生徒ですよ? 調べさせて貰いました。……彼女はおおよそ、毒島家の人間が関わるべき相手ではありません」
「……でも、良い奴ですよ?」
「大切なのは友好関係を結ぶメリットがあるかどうか。あの女子生徒に付き合って、毒島家に得があるでしょうか?」
「でも!」
「口答えは許しません」
ピシャリと、祖母は言い放つ。
……いつもこうだ。祖母はその一言で、俺から何もかもを奪い去っていく。
メリットがないって? 当たり前だろう? 俺はそんなものの為に、湯浅と友達でいるわけじゃない。
彼女と友達以上の関係を望んでいるわけじゃない。
「良いですか。金輪際、あの女子生徒と関わることを禁じます。これはあなたの為に言っているのです」
俺の為……心にもない祖母のセリフに、俺の堪忍袋の緒はとうとうブチ切れた。そして、
「……お断りします」
生まれて初めて、俺は祖母に逆らったのだった。
祖母の眉が、ピクリと上下に動く。
「何ですって?」
「断ると言ったんです。たとえあなたに命令されても、湯浅と二度と会わないなんて無理です。俺にとって湯浅は大事な友達なんです。大切な……人なんです」
気付くと俺は、家を飛び出していた。
向かう先は決まっている。湯浅の家だ。
こんな夜遅くに尋ねるなんて、迷惑に決まっている。そんなこと、重々承知だ。
だけど俺は今、彼女に会いたいんだ。
相手の迷惑も考えず自分のわがままを通すなんて、初めての経験かもしれない。
湯浅の家に着いた俺は、扉をノックする。
湯浅は眠そうな目を擦りながら、家の中から出てきた。
「はーい。……って、毒島くん? 忘れ物でもしましたか?」
「忘れものといえば、忘れものかな。どうしても今日中に伝えたいことがあって」
俺は息を大きく吸い込む。そして名前がついたばかりのその感情を、声に出すのだった。
「湯浅、好きだ。俺にとってお前は、この世で一番大切な人間なんだ」
「……っ」
俺の突然の告白に、湯浅は目を見開いて驚く。
「毒島くんが、私のことを好き? どうしてあなたみたいな人が、私なんかを……」
「私なんかじゃない。俺の周りの女は家族を含めて、クズばかりだった。でも、お前だけは違う。お前だけは、見返りをなしで俺に仲良くしてくれた。そんな人間、生まれて初めてだった」
他の誰が何と言おうと、俺にとっては彼女こそが聖女なのだ。
俺の言葉を聞いた湯浅は、小さく首を横に振った。
「私は、聖女なんかじゃありません。無償の奉仕をする程、出来た人間じゃありません」
「じゃあ、目的があって俺に近づいたと?」
もしかして……目的は金だったのか? いずれは次女のように、俺をたかるつもりだったのか?
しかし湯浅の求める見返りは、そんなものじゃなくて。
「目的というより……下心がありました」
顔を真っ赤にしながら、湯浅は言った。
「私も、毒島くんのことが好きです。だから、私をあなたの彼女にして下さい」
俺の周りの女性は、揃ってクズ女ばかりだ。でもたった一人、最高の女性が恋人でいてくれる。それだけで人生、十分なんじゃないだろうか?