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残暑

作者: 笹夢まさき

 あの頃、僕たちは子供だった。

 小学三年生。すべてが楽しかった。

 いろんな友達がいた。友達じゃないのも含めていろんな奴がいた。

 とくにあいつはヘンな奴だった。女子なのに、同じ女子とはそんなにつるまず、僕たちのグループによくくっついてきていた。

 女の子たちがよくする、ぱっと思いつくような、そんな可愛らしい遊びは好まなかったらしい。しょっちゅう僕たちに混じってはボールを追いかけまわしていた。それも休み時間中だ。ときには放課後もずっと。

 ただ、運動神経がわるくて壊滅的に下手くそだった。よくキックを空振ってたし、一人で転んでいる光景もよく見かけた。だけど、それでもあいつは笑っていた。顔に泥をつけながらも、膝を痛々しく擦りむきながらも。ほんと、笑顔だけは天才級だった。

 夕暮れ。

「ばいばい!」

 彼女が大きく手をふる。

「また明日」

 僕はいつもどおりそう返した。

 彼女がうなずく。

 その笑顔をまたすぐに見られると思っていた。

 明日の朝になれば、また。





 その日は朝から雨が降っていた。

 時間になっても朝のホームルームが始まらない。

 みんな気にせずに騒いでいた。かくいう僕も。

 彼女がまだ来ていないことには気づいていた。あいつ遅刻かな、と僕は思った。馬鹿だなー、また先生に怒られるぞ、と。

 先生は遅れて教室に入ってきた。

 怒られたわけじゃないけれど、先生の顔を見てみんな自然と騒ぐのをやめていた。

「今朝、田中さんが交通事故にあったみたい」

 先生は固い表情でそう言った。

 そのあと、僕は――。

 どうしただろう。覚えていない。

 きっと、普通に授業を終えて、普通に帰ったんだろう。

 翌日、全体集会があった。

 昨日からの雨はまだ続いていたため、全校生徒が体育館に集められた。

「まことに残念なお知らせがあります」

 校長先生の話はそう始まった。

「昨日、三年二組の田中みかさんが交通事故でお亡くなりになりました」

 僕は他人事のようにそのあとの話を聞いていた。

 同じクラスの女子たちはみんな泣いていた。大して仲良くもなかったくせに。

 僕は、あいつ馬鹿だなー、と思った。やっぱりどんくさいんだよなー、って。

 ほっんと馬鹿だ。馬鹿馬鹿。馬鹿って。





 僕たちは中学生になった。

 ほとんどの生徒が地元の中学校に上がった。

 変わらない顔ぶれ。でも、そこにあいつはいない。

 正直いうと、あんまりあいつのことを思い出すことはなくなっていた。

 僕だけが薄情なわけじゃない。わざわざあいつの話題を出す同級生もいなかったし。

 だけど、たまに思い出すこともあった。

 それは雨の日だったり、べつの女子が笑っているのを見て「ああ、あいつの笑顔に似てるなあ」なんて、ふとよぎるときだったり。

 友達の家に寄った帰り道、あいつの家の前を通りかかった。

 偶然、彼女のお母さんが庭に出ていて、僕の方に気づいた。

「あら、●●くん」

 僕の顔を覚えていたらしい。

「ちょっと上がっていかない? ジュースがあるから」

 空はもう暗くなり始めていたけど、僕はなんか断れなかった。

 玄関で靴を脱ごうとすると、となりに黄色い長靴があった。

 正確にいうと、彼女がそれを履いているのを覚えていたわけじゃない。

 でも、僕にはわかった。彼女のものだと。

 だって、サイズがとても小さかったから。子供用だった。

 僕が知るかぎり、彼女に兄弟姉妹はいない。それに、ここ何週間も雨なんか降っていなかった。

 傘立てには、黄色い傘もささっている。これも子供用だった。

 僕は仏壇に線香を上げた。

 遺影を見て、彼女の顔を改めて思い出す。

 ほんのわずかだけど、印象が違うように感じられた。彼女の顔が変わったわけじゃないだろう。僕の記憶が少し薄れてしまったのだ。

 僕はコップに注がれたジュースをちびちびと飲んだ。

「捨てるべきだと思う?」

 彼女のお母さんがそう口を開いた。

「あの長靴だとか、傘だったりとか」

「いえ……」

「ぎょっとしたんじゃない? 驚かせちゃったならごめんなさいね。旦那にも言われるのよ、捨てなくてもいいから片付けておけ、って。でも、なんだかそういう気になれなくて」

 僕はなんて答えていいかわからなかった。

 帰り際、「またいらっしゃい」とおばさんは言ってくれた。

 これにも僕はなんて返事をしたらいいかわからなかった。





 僕は地元の高校を卒業し、大学進学を機に故郷を離れた。そして、そのまま都会で就職。でも、長くは続かなかった。

 僕はそれなりにできる人間だと思っていた。大学在学中までは。

 僕はただの無力なガキだった。現役で就職はできたものの、仕事の覚えはわるく、先輩や上司には何度嫌味をいわれたかわからない。同期の男は可愛がられ、あっという間に職場の中心になっていった。僕は端へと追いやられ、いつの間にか誰にでもできるような仕事だけまわされるようになっていた。

 僕が体調を崩して休みがちになっても、誰もなにも心配してくれなかった。ある朝、僕は布団から起き上がれなくなった。心療内科でうつ病と診断された。休職はしたけれど、それは延命処置でしかない。復帰できるわけがなかった。あんな職場になんて。

 再就職もうまくいなかった僕は、両親の勧めで故郷へ戻ってくることになった。





 バイト帰り。

 もうとっくに日は暮れている。

 僕はコンビニで酒とつまみを買い、ふらふらと公園に寄ってみた。

 ベンチに座って、缶ビールのフタを開ける。警察が通りかかったら、間違いなく職質を受けることになるだろう。でも、そんなのどうでもよかった。

 僕は酒に強い方じゃない。っていうか、めちゃくちゃ弱い。

 お酒でいい気分になったことはなかった。嫌なことを忘れられたことも。

「死のうかな……」

 僕は声に出してつぶやいてみた。

 他人事みたいな声が自分の耳に届く。

 やがて雨が降ってきた。

 髪の毛にポツポツと雨粒が当たる。

 べつにいいや、と僕は思った。ほんの小雨だ。ほとんど濡れないだろう。

 仮にこのままびしょ濡れになってもかまわない。ぜんぶ些細なことだ。

 僕はうつむき、目をつぶる。

 しばらくそうしていた。

 ふと、身体に当たる雨の感触が消えた。

 僕は気配に気づく。僕のすぐ前に誰かが立っていた。

 足音はしなかったはず。雨音にまぎれたんだろうか、と考える。

 その誰かは口を開かない。ただ黙って立っている。

 不思議と恐怖はなかった。なぜなら、気配からすごく小柄であることが伝わってくるから。

 これが大男みたいな気配をまとっていたら、僕は一目散に逃げ出していたけれど。

 どれくらいそうしていただろう。

 数分? もしくは、数十分。

 始まりと同様、唐突に気配は消えた。

 僕はゆっくり目を開ける。

 僕の前には誰もいなかった。すぐに辺りに目を走らせたけど、公園内にいるのは僕一人だけ。

 僕は地面に残る痕跡に気づいた。

 小雨だったために濡れた地面には足跡がはっきりと残っている。

 子供のものだ。とても小さな足跡。

 残っているのは、その一組のものだけ。そこに至るまでの足跡はどこにも見当たらない。

 どこから現れたのだろう。空を飛んできたとでもいうのだろうか。

「●●ちゃん?」

 僕は自然とその名前を口にしていた。

 その瞬間、イメージが浮かんだ。小さな傘を僕の上に掲げている彼女の姿が――。

 僕はもう一度周囲を見た。

 彼女の姿を探す。でも、見つけられない。

 風が吹いた。

 僕はとっさに顔をそらし、その一陣の風をやり過ごす。

 ふたたび目を開けると、空に浮かぶ月が目に入った。

 いつの間にか雨はやんでいた。

 雲の切れ間から満月が見える。

 僕にはその満月が黄色い傘のように見えた。

 彼女にもう一度会いたいと思った。

 同時に、いまはまだ会いたくないとも。

 僕は立ち上がる。酔いはとっくに覚めていた。

 僕は缶を握り潰して歩き出す。

 どこへ?

 強いていうなら、明日の方向へ。



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