春の腕輪(後編)
前後編、連続投稿です。
町を魔の嵐から救った魔女は、幸せな老後を送り、やがて静かに息を引き取った。その死は、多くの人に惜しまれた。同時代を生きた人々は、もう僅かしか生きていない。しかし、子供や孫は生きている。あの時、嵐が港を蹂躙していたら、生まれなかった人々だ。
腕輪を海に流すのは、船祭初日に決まった。遺言の「花弁と一緒に」を、町をあげて実現するのだ。
ローズマリーとしては、「船祭の花弁みたいに」という比喩のつもりだった。しかし、それを聞いた町の住人達が、是非、本物の船祭で海へ捧げよう、と決めたのだ。
10歳の少女、メロディアは、籤引きで引き当てた献花少女の役目に興奮していた。献花少女は、船べりから花弁を撒く10歳から15歳の少女達だ。
腕輪の担当は最年長の乙女だったが、たまたまメロディアのすぐ側であった。
甲板では、吟遊詩人が勇壮な歌を吟じる。嵐に立ち向かう魔女と、魔女に勇気を与えた求婚の腕輪を物語にした曲だ。
本当は、ローズマリーが嵐を納めた所を見たものはいない。エドワードも、嵐を納めた事しか聞いていなかった。
だが、港に一人残ったローズマリーは、町中が認める優秀な魔女だった。状況から、嵐が自然のものとは違うこと、彼女が嵐を納めたことは想像に難くない。
腕輪が勇気をくれた、とローズマリーが言ったので、詩人はたちまち飛び付いたのだ。
『春の恋歌』と冠された2人の物語が国中に広まった為、船祭には例年観光客が来るようになった。首都から馬車で2ヶ月もかかる上、首都は寒い2月に出発する。そんな辺鄙な漁港故に、大勢が詰めかける程ではなかったが。
お土産は、エドワード印の白い貝殻絵具とローズマリーレシピのハーブソルトが定番だ。2人の腕輪を模した、アーモンドの腕輪も人気となった。
◆
それから50年の歳月が流れた。
腕輪を流したときには10歳だった女の子が、老婆となって海辺で腕輪を拾う。献花少女だったメロディアだ。長い間海にあった筈なのに、腕輪は新品のような輝きを放っていた。
繊細なアーモンドの小花は、風が吹けば溢れ落ちそうな程の出来映えだ。
エドワードとローズマリーの恋に憧れていたメロディアは、急いで2人の家族に知らせに走る。
息子夫婦が、ローズマリーの薬草園を継いでいる。ローズマリーとエドワードの次男が、園芸好きで受け継いだのだ。ただ、残念なことには、魔法を使える者は生まれなかった。魔女は血ではなく才能なので、仕方がない。
「海岸で拾ったのです」
「それも何かの縁でしょう。腕輪は、貴女が持っていて」
老婆は、嬉しそうに腕輪を受け取り、頭を下げて家に帰った。そして、ローズマリーの婚約腕輪を、密かに春の腕輪と名付けた。春に咲くアーモンドの花をモチーフにしている腕輪だ。しかも、船祭と深い関わりを持った腕輪である。相応しい名前と言えよう。
老メロディアは、蝶番で蓋が開く木箱に腕輪をしまう。メロディアは2人の恋物語を書き留めていた。恋物語が綴られた紙と共に、春の腕輪は宝物として大切に保管された。紙には、船祭のお土産品とは違う、本物だとも書いておく。
わざわざ書かずともローズマリーの魔法が留まっている為、一目で特別なのだと解る。しかし、メロディアは腕輪が海に投げられた時、実際に見ていたのだ。
その日近くにいた献花少女として、証言を残しておきたかったのである。
やがて老婆は、幸せに世を去った。形見分けのとき、孫息子ヘンリーがアーモンドの花が彫られた小さな木箱を見つけた。
中の腕輪を眺めて添えられた恋の物語を読むと、両親にせがんで譲り受けた。孫息子は、とある魔女に恋していたのである。
その魔女は、町外れの小屋に独りで住んでいた。去年の船祭に訪れた旅の歌い手である。ローズマリーの声は深く豊かなアルトだったが、この魔女は、鈴を降るようなコロラトゥーラだった。
ローズマリーは、薬草売りの呼び込みで魔法の歌を歌っていた。ヘンリーの想い人は、歌うことが仕事だった。小さな町では、殆んど収入がない。
「この海に、歌を捧げたいと思ったの。それだけ」
歌の魔女サニーは、崖の上で自給自足をしながら、自由に歌い暮らしている。太陽の光を集めた金髪に、深い海の蒼を宿した瞳。細く白い手は、海辺で暮らしていても柔らかなまま。伸び伸びと空に弾むサニーの歌の数々が、ヘンリーは愛しくて仕方がない。
船祭で奉納する歌を、サニーは崖に咲く水仙の群生地で練習している。ヘンリーは漁師だが、絵を描くのが好きで、早春の崖には毎年スケッチに訪れた。2人の出会いは必然であった。
ある風が強い朝のこと。雪が残る崖の上で、2人は海を眺めていた。
「春の恋歌を知ってる?」
サニーは外から来た魔女だ。ローズマリーとエドワードの生前は知らない。しかし、初めて訪れた船祭で、魔の嵐から町を守った魔女と求婚の腕輪を歌った物語を耳にした。
「素晴らしい歌ね」
「あれは、本当にあった話なんだよ」
ヘンリーは、持参した木製の小箱を取り出す。アーモンドの花が彫られた、素朴な箱である。
メロディアの書き付けを読み上げてから、改めてサニーへと向きなおる。
「これを、君に送りたい」
ヘンリーは箱を開いて、春の腕輪を取り出す。亜麻色の髪が海風に揺れる。薄緑色の瞳は、真剣にサニーを見つめる。上空ではトビが輪を描いて、互いに呼び交わす。
「本物の、ローズマリーの腕輪」
サニーは、触れることを躊躇う。
「素晴らしい魔力を感じるわ」
少し頬を紅潮させながら、静かに腕輪を観察する。
「力強く、幸せで、穏やかで、暖かい」
ヘンリーは魔法使いではないので、魔力の事は解らない。しかし、驚きと称賛を称えたサニーの眼差しは美しいと思った。
「受け取ってくれる?」
ヘンリーは、不安そうに息を詰める。
「うん、嬉しいわ」
破顔したサニーに、いそいそとヘンリーが腕輪を嵌める。アーモンドの花弁が舞い上がる幻影が見えた。ローズマリーからの祝福のようだ。
始まりの若者と魔女であった夫婦は、生まれ変わって出会いを果たし、ブルームコーヴへの恩返しとして腕輪を届けてくれたのだろう。
サニーは、春に花咲く魔女の恋には、ローズマリーがことのほか喜んでくれるのだろうと思った。
2人の喜びが崖の上から溢れ出る。すると、まるで孤独な『海の魔物』や、暗闇に生きる『小舟の乙女』が嫉妬するかのように、天候が崩れ出す。
朝から強かった風が悲鳴のような音をたてて、崖端を越えてくる。まだ昼だというのに太陽が灰色の雲に覆われた。
重たい空から白い欠片が落ちて来た。
今はまだ2月だ。雪が降るのは珍しくない。暗い冬の海に落ちては消える雪も、ブルームコーヴの風物詩だ。
「吹雪になるな」
今のところは見渡せる沖の空を眺めて、ヘンリーが眉を寄せる。
「家に避難しよう。崖の家は危ない」
「あははっ、大丈夫よ。これは自然の吹雪ではないわ」
「海の魔物に浚われるぞ!」
ヘンリーは、明るく笑うサニーを心配して腕を引く。
「貴方の愛があるから、平気よ!」
サニーは、ローズマリーと同じように求婚の腕輪を撫でた。満足そうに、幸せそうに、そっと指先で触れる。
春の腕輪は、暖かな光を放つ。
崖の上は、凍える寒さになっていた。空は急速に暗くなり、視界が白く染まって行く。恐ろしい程の猛吹雪だ。細かい雪が肌に突き刺さってくる。2人の髪は、あっという間に真っ白に凍る。
「水仙、イソギク、連理草」
サニーの故郷に伝わる魔法の歌だ。彼女も、岩場を持つ海岸地方出身なのだ。
「フェンネル、ディル、バジルにオレガノ~」
ヘンリーが、船乗りに伝わるローズマリーの物売り歌で応える。海の魔物の誘いを跳ね返す、魔法の呪文だ。ヘンリーのような魔法が使えない漁師でも、効果を期待出来るのだと言う。
「ブルームコーヴの淋しい崖で」
「フェンネル、ディル、バジルにオレガノ」
「雪の夜明けに訪ねてみてよ」
「水仙、イソギク、連理草」
「小舟の乙女は夢を見る」
「フェンネル、ディル、バジルにオレガノ」
「水仙、イソギク、連理草」
2人の立つ水仙の群生地に雪が舞う。先程まで吹雪は、鋭い硝子片のように2人を苛んでいた。しかし、2人が歌う魔法の歌は、雪から暗黒の魔力を削いで行く。不思議なメロディーに乗って、フレークスノーがアーモンドの花弁のように渦巻いていた。
その時の光景を元にして、ヘンリーは大きな絵を描きあげた。船祭の様々な催しのひとつ、人物画コンクールに出す為だ。
町議会館のエントランスホールに幾つかの絵が並び、ブルームコーヴの住民達が投票でトップを決めるのだ。
トップの商品は、エド印の白い貝殻絵具が用意される。
「素敵、ありがとう」
サニーは完成した絵を見るなり、ヘンリーに抱きついた。照れたヘンリーは、もじもじと身を捩る。
2人の身長よりも丈の高いその絵画には、残雪の水仙野が描かれている。春の足音が聞こえる雪融けを見せながら、空はどんよりと垂れ下がる。
画面を襲う吹雪のなかで、金色の髪を広げた乙女が踊るように歌う。音のない世界の筈なのに、不思議と観るものに音楽を運ぶのだ。
その手を取るのは、逞しく日焼けした漁師の若者だった。若者も、拙いながらに歌っている。若者は亜麻色の髪を逆立てて、吹雪に挑むように魔法の詞を紡ぐ。
この絵には、様々な白が使われていた。なかでも金髪の乙女を取り巻く魔法の光には、エドワードの貝殻から作る白がふんだんに使われていた。
その為、コンクールで大絶賛されたヘンリーの『水仙』は、祭の後、エドワード画材店の壁に飾られる事になった。
この絵と共に、ヘンリーとサニーの物語も歌になる。題を『水仙の花嫁』と言う。
それから腕輪は、血縁ではなく魔女に恋する青年に託されることになった。サニーの末期の望みであった。
彼らが求婚するときに前の持ち主から渡され、必ず春に魔女へと贈る。腕輪は、相応しいカップルにもたらされる。まるで、腕輪自身が選ぶかのように。ローズマリーの魔法は、いつまでも留まっているのだ。
◆
時は巡り、今や魔法列車がヒルタウンとブルームコーヴをたった1日半で繋ぐ。
魔女に恋する若者たちは、ブルームコーヴにやってくる。ローズマリーの子孫が受け継ぐ薬草園や、崖の上にある水仙畑は、 観光名所である。
魔女ではなくとも若い恋人たちが、ひっきりなしに訪れる。
エドワードの画材店も、ローズマリーとエドワードの子孫が引き継いでいる。エド印の画材は、今や老舗の商品だ。
なかでも、ここブルームコーヴでしか採れない特殊な牡蠣から作る貝殻絵具は有名だ。その品質は勿論のこと、『春の恋歌』と『水仙の花嫁』を繋ぐ、重要なアイテムとして知れ渡っているのだ。
一方、サニーの小屋はいつしか廃屋になっていたが近年復元されて、老若男女が訪れる。小屋の中には、腕輪のレプリカやローズマリーとサニーの記念品が色々飾られている。小屋は、『春の腕輪記念館』と名付けられた。
記念館では日に何度か、ブルームコーヴの魔女を称えるミニコンサートも開かれる。
始まりの夫婦ローズマリーとエドワードを称える『春の恋歌』は、やはり一番人気だ。
腕輪を魔女へ贈る町の伝統を生んだサニーとヘンリー夫婦の『水仙の花嫁』も、鉄板プログラムだ。
他にも、実在と創作を取り混ぜた『ブルームコーヴ魔女の恋歌ヴァリエーション』は、日々観光客を楽しませている。
記念館の前から崖に向かう道は、早春に白く小振りな水仙で埋め尽くされる。ただし、今では野生の群生地ではない。ローズマリーの子孫が経営する薬草園で働くスタッフが、丹精込めて育てているのだ。
◆
きりりと澄んだ早春の光の中で、ローズマリーの子孫モーヴが薬草園で歌っている。エドワードのような艶のない金髪だ。瞳は、祖先である魔女と同じ色。神秘的な琥珀色だった。
「フェンネル、ディル、バジルにオレガノ」
彼女のアルトは、光を纏うかのようだ。どこか寂しげな声なのに、春の穏やかな陽射しを思わせる。
ローズマリーの声が凪いだ夕方の海を思わせたなら、彼女の喉は午睡の微睡みを呼ぶ。
海風から薬草園を守る、先祖ローズマリーの魔法の膜は、衰えることなく子孫を包む。モーヴの声は、ローズマリーの魔法によく馴染む。以前よりも、膜に籠る魔法が強まっているようだ。
モーヴは分厚くゴワゴワした手袋で、手際よくハーブの手入れをする。
「フェンネル、ディル、バジルにオレガノ~」
口ずさむ歌は魔除けの呪文。ローズマリーがブルームコーヴに持ってきた、薬草魔女の物売り歌だ。
ローズマリーの故郷には、薬草魔女が集まり住んでいたそうだ。
現在のブルームコーヴでは、住んでこそいないが訪れる魔女は多い。
今この町は、ローズマリーとエドワードが出会った頃の、開港間際の鄙びた田舎町では無くなっている。豊かな海の恵みと、若者が憧れる恋物語の町だ。
それでもモーヴは、先祖の薬草園で昔ながらの歌を歌う。古い魔除けの曲である。
寄り添う青年の手には、アーモンドの花をあしらった素朴な木箱が握られていた。青年は小箱を握る両手を背中に隠し、緊張した面持ちでモーブを見ている。
ヘリオトロープの甘い香りが風に乗る。青年は、大きく息を吸い、決意と共に口を開いた。
最後までお読み下さり、ありがとうございました。
初の200字連載スピンオフ。200字、悲恋が書きたくて書いたのに、ハッピーエンド症候群が発症しました。
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