春の腕輪(前編)
前後編、連続投稿です。
よろしくお願い致します。
金属製の小花が連なった、繊細な燻し銀の腕輪がある。ブルームコーヴの町に古くから伝わっているが、持ち主は転々として定まらない。
それは、春の腕輪と呼ばれている。
その腕輪を真実愛する人から贈られた魔女は、吹雪を納め、嵐を追い払う。そんな伝説がある逸品だ。
◆
数百年もの昔。ブルームコーヴの漁港が出来て間もない頃のこと。ヒルタウンという都会から旅人がやって来た。町にとっては初めての客人だ。
彼は、画材屋のエドワード。若く物静かな若者である。茶色に近いブロンドに艶はないが、小綺麗に櫛を通している。人懐こそうな暖かい榛色の瞳。鼻も口も平凡で、中肉中背、これと言った特徴はない。
エドワードは画材となる特殊な貝殻を求めて、この田舎町に来た。彼のすむ都会、ヒルタウンから2ヶ月の旅をしてまで求めたのは、白い絵の具の材料だ。
ブルームコーヴの漁港は、数年前に政府主導で建設された。町が出来た時、エドワードの従兄のサムが開港団に参加していた。サムは、都会の勤め人だった。しかし今では立派な漁民である。
彼が里帰りで持ってきた貝殻を、エドワードは試しに砕いてみた。不純物を取り除き、膠で溶いてみる。美しい白だった。精製を重ねれば、きっと素晴らしい色となるだろう。
その貝は、牡蠣の一種だと言うことだ。ブルームコーヴの海岸で、風雪にさらされた丸っこい貝殻である。ヒルタウンまでは馬車で2ヶ月かかるので、身の入った状態では運べない。サムは、乾いた貝殻だけをいくつかお土産にくれたのだった。
「可愛らしいだろう?窓辺に並べて楽しんでくれよ」
サムは、日焼けした顔に健康な白い歯を覗かせる。顔立ちこそエドワードと似ている従兄だが、たった数年の環境の差で2人は随分と印象が違う。
「ありがとう。試しに砕いてみてもいいかな?」
「砕く?まあ、好きに使ったらいいさ」
エドワードは画材屋なのだが、絵具工房での研修を受けていた。その時から、時々自分でも画材の開発をするようになった。良さそうなアイディアは、取引先の工房に頼んで製品にしてもらう。
これがなかなか好評で、エド印のブランドは、海外からの注文まで来る程の成長を遂げている。
雪の平原を、乗り合い橇が軽快に走る。2月の凍った空気のなかに、雪を蹴立てて橇は走る。
粉雪のように穢れの無い白を、エドワードは貝殻に夢想する。春告げ鳥の歌に送られて白い貝殻の町を目指す。
いくつかの宿場町を過ぎる内に、季節は冬から春に変わる。
満開のアーモンドが、枝を埋め尽くすように底紅のある白い花を咲かせている。花の下には人々が集まり屋台が設置されている。春祭だ。
街道のアーモンドが早咲きの白から遅咲きの濃桃色に変わる頃、エドワードは、漸くブルームコーヴの港町に到着した。
貝殻を求めて来た町では、丁度、船祭が行われていた。春の訪れを祝い、大漁祈願をする祭だ。
赤白のだんだら模様を染めた布で飾り立てた船が、連なってブルーム湾を一周する。カラフルな吹き流しが陽気に揺れていた。
船の列が海上に花を撒きながら、甲板では祝いの音楽が奏でられる。その様子に町中の人が浮き立つ。
最後に、入港した船から花の形をした小さなキャンディーを撒く。オーガンジーの小袋に、8個ずつ入っている。8は無限の循環を表し、縁起が良いとされていた。
必ず帰港する、との安全祈願に使おうと、開港団が始めた花の飴袋だ。港で見学する人々は、嬉々としてオーガンジーの袋をキャッチする。
迎えに来た従兄のサムに連れられて、エドワードも港に来た。始めて見る海辺の祭に、エドワードは、物珍しそうにきょろきょろしていた。
開けた港の広場で、小物や食べ物、あるいは鮮魚を売る屋台がひしめき合っている。
どの屋台にも思い思いの飾り付けがなされていて、祭の気分を盛り上げる。
「フェンネル、ディル、バジルにオレガノ~」
突然、祭の広場に優しい声が響く。魚料理に合うハーブを売っている屋台のようだ。
街路に面した市場の隅で、手押し車が停まっている。車の側面には、束になった乾燥ハーブが下がっていた。麻の袋には、スパイスとして使う種やフレッシュハーブが山盛りだ。足元には、木箱に入った苗もある。
この屋台で、漁師のおかみさん達に一番人気の商品は、小瓶に入ったブレンドハーブだ。売り子の乙女オリジナルのレシピで混合された、数種類のハーブである。
エドワードは、その豊かなアルトの物売り歌に魅了されてしまう。明るい栗色の髪は、しなやかに纏められ、清潔な白い頭巾の下に収まっている。そして、神秘的な琥珀色の瞳は、円く生き生きと辺りを見回していた。
「ハーブソルトがお奨めだぜ。都会でも手に入らない絶品ブレンドだと思うよ」
呆けたように売り子を眺めるエドワードに、サムがアドバイスをくれる。この従兄は、単に絶品ハーブソルトを教えてくれた訳ではない。そこまで鈍感な従兄ではなかった。エドワードが、ハーブ売りの乙女に話しかける切っ掛けを、提案してくれたのだ。
「フェンネル、ディル、バジルにオレガノ~
ブルームコーヴを訪ねたならば
フェンネル、ディル、バジルにオレガノ~
小舟の乙女に逢うがよい
フェンネル、ディル、バジルにオレガノ~
月もない夜の波間に揺れて
わたしのことを伝えておくれ」
歌が一区切りつくまでは、エドワードはじっと待つ。
「こんにちは。不思議な歌詞ですね」
エドワードはサムに背中を押されて、ハーブ屋台に声をかける。続きを歌おうと息を吸い込んだ乙女は驚いた様子もなく、にこやかにエドワードを見る。
呼び込みの歌など、いつでも断ち切られるのだろう。慣れきった様子だった。
「私の故郷も海岸町で、春になると、この歌を歌いました」
「故郷の歌なんですね」
「はい、町の名前だけ入れ替えて歌っています」
「何か謂れがあるのでしょうか」
「海の魔物の誘いを打ち消す、魔除けの呪文と言われています」
それから2人は、薬草や魔除けの素材について話をした。
途中、他の客とのやり取りを挟みながらも、気がつけば昼過ぎになっていた。
従兄のサムは、とっくに家に帰ってしまっている。今朝着いたばかりのエドワードであるが、サムの家は解っている。小さな町なので、迷う心配はない。
「あの、お腹、空きませんか?」
「ええ、そうですね」
「ご一緒しましょう。お勧めはありますか?」
2人は自然な流れで、昼のひとときを共にした。港の屋台を眺めて歩き、海鮮パスタや名物の擂身団子を分け合って楽しむ。
魚のフライを挟む堅いパンには、ハーブがふんだんに使われていた。
「このハーブも、ローズマリーさんが作ったのですか?」
2人は、既に名前で呼び合う仲になっていた。
まるでかなり以前から、友達だったような気安さだ。2人の間には、和やかな空気が流れている。
夕方にまた会う約束をして、エドワードは、サムの家に帰って行く。ローズマリーは、その後ろ姿をにこやかに見送った。
その日から1週間、エドワードは海岸やサムの家の裏庭で白い貝殻を集めて暮らした。種類や乾燥の状態、採取した場所毎に、小さな木箱に入れて置く。
そして夕方になると、毎日ローズマリーの薬草園に出掛けた。町外れの畑には、うっすらと魔法の膜が張られている。海岸地方では生育が難しい種類のハーブが、植えられているのだ。海風に強い植物は、野生のものを採りに行くという。
エドワードが訪ねて行くと、ハーブの話を色々としてくれた。染色材料にもなるため、2人の話は尽きない。エドワードは、防虫や防カビ、防臭等の効能も熱心に聞く。画材の保存にも使われる伝統的な保存用包み布に、ローズマリーの魔法が加わると、不思議に幸せな気持ちになる。
1週間の休暇は、飛ぶように過ぎていった。ヒルタウンの画材店を、いつまでも閉めておく事は出来ない。エドワードは、貝殻の入った小箱をリュックサック一杯に詰め込んで、都会へと帰って行く。
「手紙を書きます」
「私も」
「次の春にも、必ずまた来ます」
「ええ、是非」
離れ難く見詰め合う2人。手を取り合うことすらないが、2人の作り出す柔らかな雰囲気は、町の皆に歓迎されていた。
互いに仕事があり、住む場所の距離は馬車で2ヶ月もの道のりである。すぐにまた逢う事は出来ない。
郵便馬車が、2ヶ月毎に2人の手紙を運ぶ。
ラヴェンダーの香りや、ミントの香りが染み込んだレターセットで届く、ブルームコーヴからの便りは、エドワードの心をしっとりと満たす。
その間もエドワードは、貝殻の絵具を絵具工房と試行錯誤しながら進めている。
「やはりこの、円い牡蠣の貝殻が良さそうですね」
「春の休暇に、またブルームコーヴに行ってきます」
「往復だけでも4ヶ月ですよね」
「そうです」
「今年は誰か、店番を雇ったらどうですか?」
「そこまでの余裕は、無いんですよねえ」
「そうですか……」
ローズマリーは、エドワードから送られてくる手紙を心待ちにしている。画材商ならではの上質な紙に、珍しい色のインクで綴られた都会の暮らしは、ローズマリーの眼も心も楽しませる。花を漉きこんだカードや、エンボス加工のレターペーパーを手にする度に、真剣に選ぶエドワードの姿を想像して微笑む。
次の春、再び同じ貝を求めてブルームコーヴにエドワードがやってくる。待ちに待った再会の時だ。
前回よりも、時が経つのはもっと速く感じられた。あっという間に別れの日が訪れる。
一週間の会瀬のあと、また文通する2人。心はどんどん近くなる。
3年目の春。
エドワードは、求婚の腕輪を持ってきた。
この国では求婚する時に、花模様の腕輪を送る。2人の象徴となる花が、女性側に受け入れられたら婚約成立だ。これからの人生をどんな風に送りたいかを示す、大事な花。
エドワードが選んだのは、春の訪れを告げるアーモンドだ。
ブルームコーヴの船祭で配られる飴の形と同じ花、アーモンドの花を集めたような腕輪である。燻し銀で造られた小花の連なる腕輪は、ローズマリーに良く似合う。
はにかんで手を差し伸べる可愛らしい魔女に、エドワードがそっと腕輪を嵌めた。薬草園を吹き抜ける静かな風が、ヘリオトロープの甘い香りを2人に届ける。
次の日は、船祭の開幕だった。
例年通り、ローズマリーはハーブ屋台を引いて行く。
「フェンネル、ディル、バジルにオレガノ~
ブルームコーヴの波間に揺れる
フェンネル、ディル、バジルにオレガノ~
月の小舟に乗るがよい
フェンネル、ディル、バジルにオレガノ~
星もない夜の水面に映る
乙女の姿を伝えておくれ」
今年も、ハーブソルトはよく売れている。買いに来るおかみさん達に腕輪を冷やかされながら、ローズマリーは愛想よく対応していた。
突然、辺りが暗くなった。風も急に強くなる。飾り立てられた祭の船を、船上スタッフが慌てて片付けはじめた。
「ローズマリーさん!拡声魔法をお願いします」
体格の良い町長さんがハーブ屋台に走ってきた。ローズマリーは優秀な魔女なのだ。
「今年の船祭は中止です!みなさん、速やかに避難を!!」
町長さんの声が、ブルームコーヴの町中に響き渡る。
人々は、慌てて屋台を畳み、一目散に港を離れてゆく。
「ロージー!」
「屋台をお願い、エディ」
帰ろうとしないローズマリーに、エドワードが焦る。
「この嵐、自然のものでは無いわ」
「そんな!だったら余計に早く逃げないと」
「大丈夫よ」
ローズマリーは、にっこりと余裕の笑みを浮かべる。
「エディは、屋台をお願いね」
「解ったよ」
エドワードは、自信たっぷりのローズマリーを信じることにした。
ローズマリーは、エドワードが屋台を引いて港を立ち去るのを見送った。
それから、婚約の腕輪に触れる。愛おしそうにそっと撫で、手持ちのハーブと魔法の歌で腕輪を祝福した。
白い花弁の吹雪が起こる。
雲が割れ、太陽が顔を出す。
海も静かに高波を納める。
「フェンネル、ディル、バジルにオレガノ」
ローズマリーは歌う。
「海にお帰り、魔物たち」
子守唄だろうか。
「フェンネル、ディル、バジルにオレガノ」
歌は海面を滑って行く。
「波は砕け、海は凪ぐ」
力強く、それでも優しい歌は、晴れ渡った海に消えて行く。
「フェンネル、ディル、バジルにオレガノ」
魔法の言葉を繰り返し、ローズマリーは薬草園へと戻るのだった。
町の店舗を閉めたエドワードは、ブルームコーヴに画材屋を開く。店舗は閉めたがヒルタウンの工房とは取引を残し、海外からの注文も変わらず受け付けている。
しっとりと深みのある柔らかい白の貝殻絵具は、やがてブルームコーヴの名物に加わった。
幸せな生涯を終えた薬草園の魔女ローズマリーは、1つの遺言を残す。
「エドワードの腕輪を、海に流して欲しいの。船祭の花弁と一緒に、海に捧げたら、きっと次の世でもエディに逢えるわ」
だんだら模様 ギザギザ縞のこと
後編もよろしくお願い致します。