許してほしい
許してほしい。私のわがままを。
私は由緒正しいとある貴族の娘だった。正統な後継者だった。そうなるはずの血を持って生まれたはずだった。
けれど私は父に愛されなかった。憎まれてすらいるのだと幼いながら知っていた。母は私を産み落とした代わりに死んでしまった。
父は母を愛していないらしかった。小さな頃は、父から母を奪った私を父が嫌うのは仕様がないことだと思っていた。使用人達が私に冷たいのも、私が母の命を踏み台にして生まれてきたからだと思っていた。
しかし、物心ついて気付く。父には愛人とその間にできた娘がいる。社交界という煩わしいものから切り離すために、父は彼女を後妻にはしなかった。ただ愛するために、優しい世界に囲っていた。私の知らない、三人だけの家族の世界だった。
愛人と娘を見ることはほとんどなかった。それこそ、幼い頃は全く無かった。それで良かったと思う。自分の母は嫌われていること、自分が愛されていないこと、これからも愛されることはないこと。それらを知ってから私は父に冷たい目を向けられるたび、冷たい言葉を投げ掛けられるたびに悲しくなり、彼女らに嫉妬して苛立ち、勝手に憎んでいたからだ。
期待されてもいないから、淑女教育なんて大嫌いだった。魔術や剣術を好み、ドレスや宝石を嫌う。私は、後継ぎとして出来の悪い娘だった。
それでも。
それでも家を継ぐのは私だと思っていた。それだけが私の唯一であったから。
成人を迎えた15歳のある日。鬱屈した日々の中で、私がとても楽しみにしていた日。大嫌いな淑女教育も放棄することはなかった、この日のためだけに。誰に認められずとも、私は私の血を認めていた。いや、すがりつくしかなった。後継者という椅子は、私の持つ唯一の希望であったから。
「お前の代わりにローラを後継にする。」
冷たい声に目眩がした。ローラ。それは愛人の娘の名前だった。ローラ、ローラ、ローラ!私は、15歳の誕生日に、私の全てがちっぽけなゴミだと知った。
追い出されるように屋敷を出た。代わりに屋敷に入った愛人とその娘を、その時にほんの一瞬見た。私は、これでもかと唇を噛み締めて、拳を握り締めて、俯いて屋敷を出た。とんでもなく惨めで、今思い出しても吐き気がする。
その後私は、騎士団に入った。魔術や剣術を活かすにはちょうど良かったから。国境を守る騎士団は、名前こそ大層だが要は使い捨ての防衛壁であった。これも都合が良い。私には生きる理由がなかったから。
騎士団は命懸けの仕事だ。そのかわりに、給与は高い。ならず者からわけあり貴族まで、様々な人がいた。けれど私はいつも俯いていた。殺して殺して、傷を負って、殺して傷付け壊し殺して、傷を負う。その繰り返し。そんな中で君に出会った。
君は変わっていた。私より後に入ってきたくせして、騎士団での序列も、年齢も上の私にやたらと絡んだ。俯いてばかりの私に。
「好きな人がいる。」
君はそう言って聞いてもないのに好きな人の話をしてきた。やれあの子は笑顔が可愛いだの、やれあの子は歌が上手いだのと。プレゼントをあげたいが何が良いのかと騒ぎ、どんなものが良いかとしつこく聞いてくる。彼女とうまくいかなければ1日中しょげかえって、彼女を喜ばせた次の日はずっと上機嫌だ。不思議だった。どうしてそんなに誰かを好きになれるのか。誰かのために生きられるのか。
君の彼女を愛する態度、そのあまりの分かりやすさに、私はいつの間にか毒気を抜かれて君の話をちゃんと聞くようになっていた。二人で一緒にあれだそれだと考えて、どうやれば付き合えるか作戦会議を行った。君は女心ってものが全く分かっていなかったし、私は愛され方を知らなかった。そのせいで二人で頓珍漢な計画を立てたりした。
久々に大きな戦があった後、君はあの子に想いを告げると決意した。いつ死ぬか分からないから、言っておきたいと言って。死んでから後悔するなんて、死んでも死にきれないからと。
戻ってきた君は、見たことがない顔で笑って。初めて見る泣き顔に、私は動揺した。座り込んでぽろぽろと涙を流す君が、小さく呟く。
「愛されたかった…。それだけだった、」
心臓を貫かれたかと思った。そう。愛されたかった。それだけだった。
悲しいのは彼なのに涙が出てきた。私は気付けば言っていた。
「私が君をきっと愛すよ。」
君は驚いた顔をして。へにょりと笑って。
「…じゃあ、付き合ってみる?」
掠れた声で呟いた。
それから、私達はその態度が大きく変わることは無かった。君は煩いくらいに、ああだこうだと以前と変わらずまとわりついてくるし、私もそれに笑っていた。けれど私の中では着実に何かが育っていた。こうしてあげたい。ああしてあげたい。ああすれば喜ぶか。こうすれば楽しいだろうか。そんな考えで頭がいっぱいになり、訓練中に上司に殴り飛ばされることもあった。
愛されたい。見てほしい。そういう気持ちがなかったと言えば嘘になる。どこを好きなのかと問われてもきっとうまくは答えられない。けれど、不思議なくらいに、愛したいと思ったのだ。大切にしたい。泣かないで。笑顔でいてほしい。できれば私がすることで喜んでほしい、楽しんでほしいという気持ちが、溢れて溢れて止まらない。
私は、君があの子の話をしていた時のように、好きだなんだと騒ぎ立てたりはしなかったが、君と二人きりの時には目線や態度にはっきり好意を表した。真っ直ぐに君を見て、にっこりと笑う。なにも貰っていなくても、何故だか満たされた。思えばこの頃が、私にとって一番幸せな時だったように思う。
数年後、君が真剣な顔をして私を呼び出した。真夜中に騎士団の拠点、演習場の真ん中で色とりどりの花を抱えて君は私に跪いた。
「俺と付き合ってください!」
私はぽかんと口を開ける。だって私は、付き合っているつもりだった。君がそう言ってくれたことは本当に嬉しい。とても嬉しいことだったが、なんとも言えない気持ちになった。君は私が君と付き合っているつもりだったこの数年間、他の誰かを好きになったりしたのだろうか。
俯き、ぽつりぽつりと素直な気持ちを伝えると、君は焦って首を振る。最初は、寂しいから繋がりを持ちたいだけだったと。けれど次第に居心地が良くなって、私を好きになって、だからこそあんな風な始まり方をしてしまったことを後悔したそうだ。だから、もう一度言わせてほしいと。
「愛しています。俺は貴女を愛しています!」
まっすぐな言葉だった。君は私の名前を呼んだ。屋敷の誰にも、一度も呼ばれなかった私の名前を。私は気付けば泣いていて、君は私を抱き締めた。真夜中に騒いだせいで皆にバレて上司に拳骨を落とされた。それでも、君と二人で目を合わせて笑った。
私達はそれからもしばらく騎士団で働いて、大きな戦争を経験した。君は大きな成果を上げて、それは国に表彰されるほどだった。給与も沢山貰って、これを機にどこか穏やかな所で二人で生活しようと計画を立てていた。そんな折だった。
私は父から呼び出しを受けた。騎士団では、私は家名を名乗ってはいなかった。勘の良い人はきっと気付いていただろうが、成人の儀式もせずに家を出された私は、家名を名乗らなければ貴族だとは思われなかった。
会いたくはなかった。けれど、最後にしようと思った。何の用か知らないが、私は家名を捨てて自由になるつもりだった。
隊服に身を包んで、私は屋敷へ向かった。そして、広間に通された私が見たのは。
恥ずかしそうに微笑む後継ぎになった娘と、真っ青な顔をした君だった。息が出来なかった。ただ君が私を見て目を見開き、微かに手を伸ばす。私はその手をとってあげたかった。なのに、ピクリとも動けない。
---冷たい父の目が突き刺さる。
「彼をローラの婿とする。」
がつんと殴り付けられたような衝撃だった。そんな、まさか。父は淡々と語る。表彰のためのパーティーで、ローラが君に一目惚れしたこと。君の生家は没落寸前の貧乏貴族で、この婚姻に賛成だということ。他にも何か言っていたが、頭に入ってこない。よく分からない。私は恥ずかしそうに、幸せそうに、笑うローラの顔を見た。
君は震えていた。悔しそうに、唇を噛み締めて震えていた。君が、没落寸前の貴族の血筋なのだということは知っていた。両親と仲が悪く、勘当されていると言っても過言ではない状態だが、残してきた幼い兄弟のために騎士団での給与のほとんどを信頼できる家の使用人に渡していること。幼い兄弟が病気だということ。医者にかかろうにも、その病気が珍しいものだから莫大なお金が必要なこと。
それでも、君は私と二人の生活を選んでくれた。私は腕に、君は脚に戦いで深手を負って、騎士団でやっていくには不安があったから、だから、幼い兄弟のために贅沢は出来ないけれど、それでも良いなら一緒にいてほしいと君は言った。私は贅沢がしたいわけではなかった。ただ、君と生きていきたかった。
私は、全てを察した。君は、この婚約に納得していない。けれど、君の生家は納得したのだろう。大きな金が動いたはずだ。父は、医者の手配もしたのかもしれない。それどころか、脅しすらかけたかもしれない。私の家は由緒正しい、とても古く力の強い貴族だ。口約束の、権力のない男女の仲なんて、簡単に引き裂ける。
私は君を愛していた。だから分かる。君は今、決して幸せではない。手を伸ばして、拐ってあげたい。誰もいないところへ。二人で。
けれど、それが叶わないことを私は知っている。父は私を愛していない。父が大切なのは愛人とその娘だけだ。きっとなんでもするだろう。愛する娘のためならば。
それでも。それでも。私が君を愛していることは、この場の全員に伝えなければならなかった。
「…父上、わたしは…っ、」
「彼をローラの婿とする。」
ぴしゃりとはね除けられた。私は、情けないことにもう一言も声を発することが出来なかった。父は冷たい目で使用人を一瞥する。私は彼らに半ば引きずられるようにして部屋を退出した。力を振り絞って振り返ると、君が泣きそうな顔で私を見ていた。愛している、と。その口が確かに動いたのを私は見逃さなかった。ごめんね、と。続いて口が動いて、君はぽろりと涙を溢した。そして扉が閉まる。私は初めて怒りで頭が真っ白になった。
泣かせたな、泣かせたな、泣かせたな!力一杯使用人を振りほどいたつもりだった。けれど、思う力の半分も出ずに、私は腕を捕まれて屋敷の外へ出された。私は暫くその場で俯いて、ただ黙って立っていた。
そして。
私は今、空を見ている。宙を舞っている。青い空、晴れやかな空だ。今日という日に相応しい。古き良き貴族の娘と、戦で成果を上げた勇敢な青年の結婚式である。ちらりと見た白いドレスを身に纏う娘の美しいこと。
ぐしゃり。私は吐き出す血をそのままにして笑う。黒いドレスが、赤い絨毯に広がっている。私はドレスは動きにくくて好きじゃない。けれど、君は時々演劇に連れていくのに私にドレスを着せたがった。きっと似合うと度々ドレスをくれた。幼い兄弟のためにその給与の殆どを渡しているのに、残りの少ないお金で自分のためのものなんて買わずに。このドレスは、その中でもとびきりお気に入りのドレスだ。
私の周囲には色とりどりの花が散らばっている。私達は、その愛を証明するのに子供みたいに花の本数を競いあった。だから、高い花を贈り合うことはあんまりなかった。さっき、皆が祝いのために空へと投げた純白の花弁。あんな高級な花は買ったことがない。草原へ行って沢山花を摘んで帰ることもあったくらいだ。けれど今日は特別だから。私は抱えきれないほどの様々な花を持って、結婚式を行っている教会の上から、二人が出てきた後に飛び降りた。体がぐちゃぐちゃにならないように魔法をかけている。流石に、愛する人の前で肉の塊になるのは気が引けた。君が綺麗だと言ったその姿のまま覚えていてほしかったから。けれど魔法は体の表面だけにしかかけていない。だから体の中はぐちゃぐちゃだ。口から目から、血が吹き出す。
ぶれる視界の端で誰かが走ってくる。女の悲鳴は遠い。けたたましい声だ。私は笑う。
「フェイっ!!」
その声を聞くだけで安心する。私の名を呼ぶ、私の唯一。ああ、そんなに泣いて。可哀想に。でも、これで、私を忘れないでいてくれる?
あの娘は、なんでも手に入れてきた。全てを。けれど私には君だけなのだ。
私は君を愛しているし、君が私を愛していることを知っている。けれど世界はこうも理不尽だ。君が始めに好きだったあの子に振られて、一緒にいた私を次第に好きになってくれたように、いつかあの娘を好きになってしまうかもしれない。それだけは嫌だった。あの時、父の前で君を愛していると言えなかったこと、とても情けないよね。でもそれでも、私は君に覚えていてほしい。一番に。一番のまま。忘れないで。手に入れてしまったら、もう二度と手放したくないんだ。誰にもあげたくない。ごめんね。ごめんなさい、勝手なことをして。そんなに泣かせて。君は私を抱き締めて咽び泣く。
「…あいしてる、」
掠れた声で囁いた。私はもう俯かない。愛する人の腕の中で、空を見上げて笑みを浮かべる。
君は泣きながら何か言っている。もう声は聞こえない。けれど、何を言っているかは分かる。知ってるよ。だから私も、力一杯ふりしぼって唇を開いた。
「…あい、してるから、…いきて、ね…、」
一緒に死にたいとは思わなかった。君には生きていてほしい。狂おしいほど私を抱えたまま。誰のことも考えられないほどに。
声は聞こえないが辛うじてぼんやりと白いドレスの娘が見える。私は笑う。嗤う。くれてなどやるものか。私のものだ。お前ではない。
ああ私は君を愛していた。愛している。とても。とても。
私のわがままを許してね。
愛する人の絶叫を最後に、私の意識はぷつりと切れた。