4.タイル磨きの罰
お茶会まであと二週間。お義母様からマナーや貴族としての初歩的な教養をみっちりしごかれた。お姉さまたちと比べるとまだまだだけれど、苦手なお裁縫もサマになってきた。
「うふふ、もっと頑張っておねえさまと並べるようになりたいわ」
ピンクの扇で口元を隠す。
この扇は、お義母様が職人に作らせたものだ。扇にはふわふわの飾りが付いていてとてもかわいらしい。私なんかに似合うか不安だった。けれど、シエスティーナおねえさまが「よく似合っているわ」と言ってくれたから、いつも肌身離さず持ち歩いている。
推しとの暮らしはとても充実している。なのだけれど……。
「なんだこれぇぇぇっ!!!!」
自室に入ると、視界にはたんぽぽの綿毛がカーペットや本棚、ドレスにまでびっしりと散乱していた。これはもしかして……。
「私がおねえさまのために頑張っているのを見ていた神様からのご褒美!?」
私は散らばった綿毛の上にダイブした。
懐かしいなぁ。子供の頃、よく綿毛で遊んだっけ。
前世の実家は農家で、家の近くにはゲームセンターや大きなショッピングモールなんてなかった。だから、学校から帰ると男の子たちに混じって草むらで駆け回っていた。よくやった遊びは鬼ごっこ。捕まりそうになると、たんぽぽの綿毛で妨害したりしたっけ。
『ちょ、お前それはズルいだろ!』
『悔しかったら捕まえてみろ!』
大学生になってすぐ上京して以来、一度も会うことはなかった。もう一度だけでいい。あの子に会いたい……。
なんてね。それもあって私はたんぽぽが好きなのだ。
幼女に合うっていうのが一番だけどね〜! おい。(セルフツッコミ)
思い入れ(と邪心)のある綿毛と戯れていると、お義母様が凄みのある笑みを浮かべて入ってきた。
「ひっ……!」
「エラ、この部屋……どういうことかしら。説明して下さる?」
このあとめっちゃ怒られた。
最近、不思議なことばかり起きる。先程の綿毛もそうだけど、この前は黒のインク壺に赤いインクが入っていたり、部屋の物が私の留守中に歩いたかのように大移動していたり。ただ中世っぽい世界に転生したと思ったけれど、もしかするとこの世界は魔法の力があるのかもしれない。
ふと時計を見ると、三時の十分前を指していた。そろそろアフターヌーンティの時間。お庭に行かないと。私が庭に向かおうと、マルシアおねえさまと会った。
「マルシアおねえさま、今日もとても素敵ですわぁ……」
思わず息が荒くなる。マルシアおねえさまは一瞬険しい顔をしたがすぐに笑顔に戻った。ヤバい、引かれた……!?
「お母様もシエスティーナもあなたのことをとてもお褒めになっていたわよ。あ、そうだわ。お母様が今日のアフターヌーンティの時間は30分遅れだと言っていましたわよ」
「あ、ありがとうございます! おねえさまが教えてくださらなかったら、準備中に行ってしまうところでした」
「いいのよ、別に……」
お、ツンデレですか? この反応はまだ引かれていないということなのでは……! よかったぁ。
「あ、おねえさま! ドレスになにか付いていますよ、取りますからじっとしていて下さいね……取れました!」
「そう……」
マルシアおねえさまはそのままそそくさと去っていった。塩対応、でもそれがイイっ!! にしてもどうしてこんなものつけていたんだろう。
―――たんぽぽの綿毛なんて。
「エラ。貴婦人たるもの、時間は厳守するものだとあれほど言ったはずなのだけれど」
「でも、お母様が今日は30分遅れだって……」
「言い訳はよろしい。罰としてそこのタイルを掃除なさい!」
「……はい」
お義母様は使用人にバケツとボロ雑巾を用意させた。
「奥様、ご用意いたしましたが……良いのですか」
「ええ。これは罰なのだから」
私は汚れても良い服に着替えさせられて、バケツとボロ雑巾を渡された。
タイルの床を拭きながら、私はずっと考えていた。
どういうことだろう。まさかとは思うがまさか。
「マルシアおねえさまのドッペルゲンガーだったんじゃ……!」
ドッペルゲンガーを本人が見ると、早死すると言われている。もしマルシアおねえさまがドッペルゲンガーに会ってしまったら……!
「だれがドッペルゲンガーですの?」
振り向くとそこにはマルシアおねえさまが立っていた。
「えっと、ドッペルゲンガーというのはですね……」
「それは知っているわよ!」
「実はさっき、おねえさまのドッペルゲンガーに間違った時間を教えられたのです……。おねえさまはとても優しい方なのでそんなことするはずございません。今度会ったら、おねえさまの名誉のためにも捕まえて……っ!!!」
―――バシャッ!
バケツの水が思いっきりかかった。
「どう……して……?」
マルシアおねえさまがバケツの水を私に? やっぱり、さっきので引かれたの? いや、他にも思い当たる節が……。食事のときにおねえさまの横顔を舐め回すように見ていたこと? 他にも……。
「どうしてって? わたくしはあなたが大っ嫌いだからですわよ!」
推しに嫌われた……。でも、罵声を浴びせかけられるのも悪くない。きっと私を虫でも見るような目で……。そう思っておねえさまを見ると、目には涙が溜まっていた。
「あなたの、あなたのせいで! 元々、お母様はわたくしよりシエスティーナのことばかりだった! そこにあなたが来たせいで、もっとお母様はわたくしを見てくれなくなった! あなたさえいなければ……!」
「それは違います、お義母様はマルシアおねえさまのことをちゃんと見ています!」
「嘘よ!」
「本当です! この前のお裁縫のときも、おねえさまが作った小物入れの出来を見て喜んでいました!」
お義母様はマルシアおねえさまの小物入れが出来たとき、言葉にはしなかったけれど、とても嬉しそうに目を細めていた。これは私がおねえさまとその周りをストーカーの如くジロジロ見ていたから気づいたことだ。
「そもそも、お義母様が私やシエスティーナおねえさまをよく見られるのは、マルシアおねえさまが完璧にいろんなことをこなしているからです! お義母様はマルシアおねえさまを信頼しているんです!」
お義母様はマルシアおねえさまが優秀だから、安心して何をしでかすかわからない私を見張っていられるのだ。
「信じられないとおっしゃるなら、直接お義母様に聞いてみてください」
その時だった。
「何をしているの!」
タイミングよく、お義母様が現れた。
「私がついうっかりして、バケツの水を零してしまいまして……。水を拭き取るのをマルシアおねえさまが手伝ってくれていたのです」
「そう……」
納得のいかないような表情をしつつも、お義母様はその場から立ち去ろうとした。
「待ってください! マルシアおねえさまがお義母様に聞きたいことがあるそうです。……おねえさま、もうここは大丈夫ですのでお義母様とお話してきてください」
「よかった……」
おねえさまとお義母様が部屋に入るのを見届けた後、私の意識はプツリと途切れた。
だいすきなぎりのあねにみずをかけられたエラ。おお、かわいそうなエラ。またエラはたおれてしまいました。
つづく
エラちゃん、どうなっちゃうの……?