三つ星冒険者リース
朝の喧騒が満ちる大通りを歩く。
荷車を引く男。店先で呼び込みをする女性。朝の手伝いを終えて遊びに出かける子供達。犬を連れて散歩する老人。
老若男女、様々な職の人たちでごった返す道を、スルスルとすれ違う人たちにぶつかることなく歩いていく。
やがて目的の場所、地図と剣が描かれた看板のかかった建物にたどり着いた。
地図と剣の紋章、すなわち世界中の未知とロマンを求めて旅し、同時に人外の脅威から人々を守ることを理念に掲げた、ここは冒険者ギルド。
その玄関扉を開けて、中に踏み込む。
入ってきた人物を見て、たむろしていた冒険者たちがニヤリと悪い笑みを浮かべた。……違う、強面だからそう見えるだけで実際には友好的な笑顔だ。
その証拠に、次々に声をかけてきてくれる。
「よお、リースの嬢ちゃん。今日も薬草採取かい?」
「なんだよリースちゃん、そろそろ次のステップに行ってもいいころ合いだろ?」
「魔物の一匹でも討伐できないと、一人前の冒険者は名乗れない、ぜ?」
「一人じゃ怖いってんなら俺達と組みゃいい。手取り足取り教えてやるよ」
「ざけんな、おっさん。組むんなら同年代で近いランクだろ。だから俺と組もうぜ、リース!」
「てめぇこそ下心満載だろうが、思春期が。礼儀を教えてやるわ!」
『おー、やれやれー』
流れるような自然さで、ケンカという名のじゃれ合いを始める冒険者たち。
「おはようございます、皆さん」
そんな同業者達に、リース――半年前まではシェルファリース・エッジブレイクを名乗っていた少女は、挨拶と共に柔らかく微笑んだ。
☆
ルーメリア王国。
エルシャード王国の南側の国境に位置するテルセア公国の、さらに南側の国境に面した国である。
一年を通して温暖な気候、周辺国家ともそれなりに良好な関係を維持し、どこぞの毎年戦争している修羅な国とは違い、いたって平和な国である。
そんな国の北西にある町が、現在リースが滞在しているシバラの町だ。
彼女がエルシャード王国を出奔してから、もう半年が経過しようとしている。
故郷の国を南に抜けて、テルセア公国を縦断し、途中二回ほど盗賊に襲われたりしつつも、おおむね順調に移動を続け、とりあえず腰を落ち着けたのがこのシバラだった。
住む町を決めたのなら、あとは食い扶持を稼がなければならない。が、流れ者で住所不定の小娘が得られる職など、ほとんど選択肢がない。さらに言えばリースには、一般的な手に職を持てるような技術はなく、あるのは貴族令嬢としての教養と軍人としての戦闘能力(激高)のみ。
それらを最大限活用するとなると、冒険者一択だった。
というわけで、リースはこの町にやってきてすぐに冒険者ギルドの門戸を叩いた。
それから約半年、特に妙なトラブルもなく、今では町の冒険者達とも馴染みつつあった。
ギルド内にある依頼掲示板を眺める。
依頼掲示板とはその名の通り、冒険者への依頼を記した用紙を張ったものだ。用紙には依頼者の名前、依頼内容、ギルドが判断した難易度、報酬が書かれている。
リースの目当ては採集依頼。貴重な植物や珍しい食材などの調達だ。もっとも期待はしていないが。
低ランクである彼女が受けられるような、危険度が少なく、かつ希少な植物などそうあるわけがない。あくまでも念のため、あったらいいなあくらいの気持ちだ。
予想通りそんな都合のいい依頼はなく、その場を離れようとしたところ、声をかけられた。
「あ~、リース、毎度悪いんだが、頼めるか」
話しかけてきたのは、四十歳前くらいのおっさんだった。
「おはようございます、ガーランさん。構いませんよ、どんな内容をお求めですか?」
「とりあえず討伐系で――」
ガーランと呼ばれたおっさんの要求する条件にあう依頼を、リースは吟味しながら見繕う。
最終的に候補として選んだのはふたつ。
「このふたつが良いと思いますよ。せっかくですので両方受けてもいいのではないかと。生息域が互いに近いですから、一晩野営すれば次の日には帰ってこれそうです」
「おお、そうか。お前さんが言うんならそうしておくか。ありがとよ」
「随分と信頼してくれてますけど、受付の人にもちゃんと内容の確認してくださいね」
ざっと依頼内容を説明して手渡した依頼書二枚を持って、ガーランは受付窓口まで歩いて行った。
リースがやったのは代読だ。この世界で識字率というのは、地域差はもちろんあっても全体的に高くはない。大きな争いがなく、おおむね平和でそこそこ豊かなこのテルセアでも、読み書き計算が習えるのは商家の子供くらいまで。農村では村の代表と他数人がいるくらいで、町でも下級階層以下は生活にそんな余裕などない。
そして、冒険者の多くは元が農民の次男以下だったり、孤児やスラム街の住人だったりする。そういった人たちの救済措置としての受け皿でもあるのが冒険者ギルドなのだが、なかなかに世知辛い。
というわけで文字が読めない冒険者というのは結構いるわけで、リースは頻繁に代読してあげてたりしていた。
最初の方は単に依頼書を読み上げていただけなのだが、それだと時間がかかって面倒だったので、希望の条件を聞いてそれに合致する依頼を選んであげたら、思いの外好評。以来、何かと頼まれることが多くなったのだ。
「リースちゃん、良かったら俺のも頼むわ」
「次は俺にも」
それからさらに何組かのパーティの依頼を斡旋してあげる。
その間、リースは一切嫌そうなそぶりは見せなかった。実際に嫌ではないし、大した手間ではない。それにいかにもいいとこのお嬢さんといった容貌で、読み書きができるというのは、妬みやっかみの基になりやすい。しかし、こうして彼らにも益があると示して見せることで、余計な悪感情を抱かせないようにする、という狙いがある。
そして、こうして好印象を持たれると、色々と有益なことが聞けたりするのでいいことずくめなのだ。それは冒険者だけではなく、ギルド職員からもだ。代読はもともとは職員の仕事なのだが、受付に並ばれるたびに条件に沿う依頼を探して、となると時間がかかって渋滞が起こることもしばしばだ。そこにリースのように、代読どころか依頼の選別までしてくれる存在というのは、非常にありがたいのである。
おかげでこの半年の間で、ギルド内はリースにとってだいぶ居心地のいいものとなっていた。
「――よお、ご苦労さん」
すべての代読を終えたところで、ちょうど仕事の受諾を完了したらしきガーランが、再び声をかけてきた。
「結局、私が選んだのを両方受けることにしたんですか?」
「おう。受付のミレルも太鼓判押してたぜ。これからパーティの連中と行ってくる」
そこでガーランは言葉を切って、リースをじっと見つめた。
「? なんですか?」
「……なあ、なんで魔物の討伐依頼を受けないんだ? お前さんが実は相当にデキるってことくらい、ここのベテラン連中ならとっくに見抜いてるぞ」
「まあ。流石は六つ星昇格間近、というべきですか?」
「茶化すなよ。この歳になって六つ星じゃ、大したことねえ」
からかうような口調で贈られる賛辞に、ガーランは顔をしかめた。
冒険者にはランクが存在し、それは十段階に分かれている。それを星の数表現しており、増えていくことで受注できる依頼の難易度も上がっていく。
ガーランは現在、星五つ。ど真ん中の中堅だ。自己申告によれば、すでに二十年は冒険者を続けているらしい。危険と隣り合わせのこの職業で、それだけ続けられるというのもある種の才能かもしれないが、それだけの年数をかけて、六つ星がせいぜいというのは、確かに凡庸なのだろう。
「けどよ、見る目には多少の自信はあんだよ。俺は大したことねえが、お前さんは大したことありそうなんだよな」
「随分と高く買ってくれてるのですね。でも、私は冒険者として大成したいわけではありませんので。幸い採集の常駐依頼だけでも、食べていくぶんには問題ありません。ですので、まだ娼婦に転職する予定はありませんね」
「……悪かったよ、あん時は」
ばつが悪そうに言うガーランが思い出すのは、リースが初めて冒険者ギルドにやってきた時の事。
ギルドの玄関扉を開けて入ってきたその少女を見て、冒険者たちは一様に感嘆の表情を浮かべた。中には口笛を吹く者もいる。
それほどに少女は美しかったからだ。
柔和そうに見えて鋭さも含んだ美貌に、印象的な紅い髪が肩口ほどで揺れている。着ている物は男物で質素な旅装束だが、よくよく見る上質な布でできているのが分かる。
こりゃ、どこぞの貴族のお嬢様がお忍びで依頼でもしに来たか? などと予想して注視していたら、赤髪の少女は強面どもの視線などまるで意に介さず、平然とした態度でギルドの受付までやってくると、澄んだ硬質の響きをもった声音で、言った。
「冒険者登録をお願いします」
ざわっ、と空気が不穏に揺れた。
次いで方々から野次が飛ぶ。
「おいおい、お嬢ちゃん、冒険者ってのがなんなのかわかってんのかぁ?」
「冒険者ってのはガチガチの体力勝負だぜ? そんなほそっこい体で務まるかよ」
「むしろそんな綺麗な顔してんなら、娼婦の方がずっと稼げるぜ」
「ちげぇねぇ。そしたら俺が客として買ってやるよ」
「おう。俺も俺も」
ぎゃははははは、と笑う冒険者たち。
女性が聞いたら憤慨ものの下品な物言いだが、赤髪の少女の前に座る受付嬢は顔色を変えなかった。
いわばこれは洗礼のようなものだ。この程度で動揺するようなら、それこそ冒険者などやっていけない。
受付嬢が少女の様子を窺ってみると、なんと彼女はうっすらと微笑んだ。温かいものを見るように、あるいは懐かしいものを見るように。
「お気遣いありがとうございます」
ピタリ、と喧騒は止んだ。
「娼婦の皆さんの仲間入りすることも考えていました。冒険やとして立ち行かなくなれば、そちらに転職することも検討していますので、それまではよろしくお願いします、先輩方」
『……あ、お、おう』
顔を赤くして怒ったり逃げ出したりすることを予想していた彼らは、笑って流された上に丁寧に頭を下げられるという事態に、毒気を抜かれて間抜けな反応を返すしかなかった。
「あん時は妙なお嬢ちゃんが来やがったなあ、とか思ったもんだよ」
当時を振り返って、ガーランはしみじみ言った。ちなみに娼婦の方が稼げる発言をしたのが彼だった。
見た目や言葉遣い、物腰にいたるまで、最初の印象に違わず育ちの良さが察せられるのに、新米以下に回される町の掃除や草むしり、荷運びなど、きつい割には実入りが少ない仕事を文句も言わず、しかもやけに手際よくこなし続けた。
よくよく観察してみれば、立ち居振る舞いには隙がなく、足運びや重心の置き方などが明らかに経験者だとわかった。
これは将来有望な新人が出てきやがったか、という予想通りにあっという間に三つ星にまで上がり、しかし予想とは違ってそれ以上のランクには上がらなかった。
「魔物の一体くらいひとりで狩れるだろうがよ。大猪、簡単に仕留めてこれるんだからよ」
ランクを上げるためには位階ごとに必須条件がある。二つ星になるためには、ギルドから斡旋された雑用じみた仕事を三十回以上こなすこと。三つ星は食料になる一定以上の大きさの野生動物を単独で狩ること。そして四つ星は、魔物を一人以上の人数で討伐することだ。
魔物は基本的に通常の動物よりも大きめではあるが、最弱の部類であれば大猪とか暴れ牛の方が脅威度は高いのだ。
リースは三つ星に上がる際に大猪を狩ってきたので、これなら四つ星もすぐだな、とは誰もが思ったのだが、彼女は魔物の討伐は全く受けなかった。
「いつまでも半人前扱いされててもいいことなんかねえだろ。ランクが上がらなけりゃ、いい依頼も受けられねえし」
冒険者は四つ星でようやく一人前とみなされる。これは魔物の脅威から人々を守ることが、冒険者の仕事であり責任だと認識されているからだ。
当然、それができない半人前に回せる仕事など、割と誰でもできるようなものしかない。
特に義務がついて回るわけでもなし、上げられるのに上げないというのは、ガーランには理解しがたかった。
「いいんです。殺生は、嫌いですから」
その言葉が相応しいような穏やかな口調で、リースは言った。
「食べるために、生きるために動物を殺すのは仕方ないです。私もお肉は食べますからね。でも、そこに棲息している生き物の縄張りに分け入って、殺していくというのは違う気がするのです」
そういった仕事を否定するわけではないんですよ、と付け加えておくことも忘れない。
ただ、リース個人がそうだというだけ。
そして、そうした仕事上での主張やこだわりに口出しすることは、周りに迷惑が掛からない範囲でならマナー違反だ。
「……じゃあまあ、仕方ねえか。けど、俺らがもったいねえって思ってることは覚えておいてくれや。――それじゃあ、俺は行くぜ」
「はい。気をつけて行ってきてください」
おう、と短く応えて、ガーランは待たせていたパーティ仲間に歩いて行った。
彼を見送ってから、リースもこの場を離れる。
ギルド一階にある小部屋に入り、その中に置かれているレンタルの背負いカゴを手に取り、貸出帳に名前を記入する。このカゴは木の皮と蔦で組まれた簡素極まりない造りで、大きさも微妙にまちまちで結構壊れやすい。が、壊したらさすがに弁償が必要だが、無料で持ち出すことができるのだ。
なんとこのカゴ、町の孤児たちが作っている。材料も木工職人たちが出す廃材を使っており原価はゼロ、孤児たちの貴重な収入源となっていた。
なので、冒険者たちはなるべく使うようにして、適度な頻度で壊してあげて弁償代を払い、需要を生み出すのが暗黙のルールとなっている。
実際、狩った獲物などの重たい物は無理でも、薬草といった軽い物なら十分支えられるので、リースは重宝していた。ついでに、この仕組みを聞いた時は、元は為政者側だった者として、いたく感心したものだ。
それはともかくお仕事だ。やるのは常駐の薬草採取。常駐依頼とはつまり、常に需要が発生しており、いちいち受付を通さなくても採取した量と質で、報酬を受け取れるというものだ。
採取するものは、ほとんどが生活用の消耗品になる物、ちょっとした傷薬とか、軽い火傷薬とか、肌荒れの薬とかである。こういったものは生活の上で欠かせない物、あるいはないと困る物ばかりなので、需要が途切れることがない。
リースはカゴを背負って、ギルドを出る。
これから町の外でせっせと薬草摘みだ。英雄を夢見る男の子なら不平不満のオンパレードな地味な仕事、しかし、リースには夢のようなのんびり穏やかな仕事なのだった。
冒険者ランクの同業者から見たランク別印象。
一つ星:さあて、一体どれくらいもつかねぇ。
二つ星:勘違いすんなよ。まだスタートラインに立ったばかりだ、ぜ?
三つ星:はっ、ようやく半人前になりやがったか。
四つ星:ほう、どうやら少しは使えるようになったようだな。
五つ星:フッ。背中を預けるのに不足はないな。
六つ星:六つ星、か……。その力、侮れぬ。
七つ星:べ、別に大したことなんかねーし(震え声)
八つ星:まさか、これほどの猛者がいようとは……!
九つ星:バカな! 奴はまさか英雄の器か!?
十つ星:俺はいま、伝説を目にしている……!
ランクは十段階ですが、実質には九つ星が最高です。なぜかというと、十つ星の条件というのが「人類では解決不可能とみなされる災厄を退けること」だからです。つまり神授の聖剣を得て、事態を解決しなければならないということです。
十つ星は過去に一人しか存在せず、現在では空位。ぶっちゃけその一人のための名誉位階のようなものです。
中堅扱いは六つ星まで、そこから上が一流で、〈剣〉の二つ名を得られるようになるのは八つ星からとなります。夢と希望にあふれた少年たちは、みんな八つ星以上を目指すのさ!