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血染めの聖剣  作者: 真夜中
序章
3/9

王城にて

 シェルファリースが夜の王都を馬で駆けている同時刻、王城では王立学園のパーティ会場で起こった事の顛末が、王の耳に届いていた。

 第二王子の動向を陰から見守っていた軍の情報部の者が、青い顔で駆け込んできて、報告されたその内容に、現国王ウィンデル・ウル・エルシャードは耳を疑った。

「……待て。それは一体何の冗談だ? 冗談だろう? 冗談だと言え」

「……残念ながら、事実です」

 ウィンデル王の期待もむなしく、情報部の男は非情な現実を告げてきた。

 事の重大さが正確に理解できているらしく、情報部の男は今にも卒倒しそうなほど顔色が悪い。

 だが卒倒しそうなのはウィンデルも同じだ。

 二人目の息子が聖天教の聖女と共にシェルファリース嬢を糾弾? しかも勝手に婚約破棄宣言?

 なにがどうしてそうなるというのか、王にはさっぱりわからない。わからないので、もっと詳しく話を聞く必要がある。

 しかし、悠長に報告を聞いていては、事態はより一層悪くなる可能性がある。

「宰相とカイラスを呼べ! それからアルファスを学園から呼び戻せ! エッジブレイク家にも使者を送り、当主を召喚せよ! 大至急だ! 貴様はこの場に残り、二人が来た際にもう一度詳しく説明せよ」

 前半はそばに控えていた侍従に、後半は目の前の報告に来た男に対してだ。

 指示を出し終えたウィンデルは、目を閉じてひじ掛けを強く握りしめる。誰が見ても分かるほど、焦燥と苛立ちに満ち満ちているのが分かっただろう。

 情報部の男にしてみれば不運もいいところだ。王子達の影の護衛は、数人の持ち回りで行われるが、よりによってなんで自分の担当の時にあんなとんでもないことをしでかすのか。おかげでこんなストレスで胃に穴が空きそうな報告を、陛下と宰相、第一王子のカイラス殿下にしなければならないという拷問じみた時間に晒されなければならない。

 彼の中で、第二王子に対する好感度はこの数時間で一気にマイナス方向に振り切れていた。

 やがて慌ただしい足音が王の執務室前までやってくると、第一王子と宰相の来訪を告げる声が聞こえてきた。ウィンデルが入室を許可する旨を告げ、二人の人物が入って来る。

 片方は四十台の細見で目つきの鋭い男。いかにも切れ者といった雰囲気の、この国の宰相だ。

 もう一人はアルファス王子と似た容姿の、少し年を経て精悍にした感じをした、第一王子であるカイラス・デル・エルシャード。彼は政務を学ぶべく、宰相補佐の任についている。

「急に呼び出してすまんな。だが緊急事態だ」

「随分と慌てておりますな。いかが成された」

 賢君として名高い主君の、常にない焦りに、どんな厄介事が起こったのかと宰相は警戒感を強めた。が、聞かされる事件は、そんな心構えをあっさり打ち破るものとなる。

「それを今から報告させる」

 目線で促された情報部の男がますます顔色を悪くしながら、学園のパーティでの騒動を事細かに話し始めた。

 そうしてすべてを聞き終えた後、宰相はどこか遠い目をして、

「……それは、あ~、質の悪い冗談ですな?」

「余と同じような反応をするな、宰相よ。気持ちは分かるが」

 諦観の混じった声で突っ込んでから、ウィンデルはいっそもう殺せと言わんばかりに恐縮している情報部の男に、退出を促した。

「報告ご苦労だった。下がってよい」

「はっ。御前、失礼いたします」

 ようやく救われたような顔をして、胃の辺りを抑えながらふらつく足で去って行く男を見送ってから、宰相は重々しく口を開いた。

「それで陛下、此度の件、どのようにするおつもりで?」

「まずは当事者達からも話を聞かねばならん。特にエッジブレイクに対しては丁重にせねばな。すでにエッジブレイクとアルファスの両方に迎えを寄越している。とりあえず今は待つだけだ」

「なるほど、すでに対応済みでしたか。流石でございますな」

「やめよ。皮肉にしか聞こえんぞ」

 宰相の世辞に、王は苦々しく応えた。

 確かに王の与り知らぬこととはいえ、自分の息子がしでかしたことだ。この状況で流石とか言われても、それは確かに皮肉に聞こえるだろう。

 とりあえず現状ではもう打てる手はない。聞いた限りではもはやシェルファリースとアルファスの婚約は解消せざるを得ないだろうが、その際の責任の所在、どちらに非があるかで大きく変わってくる。

 とはいえこの場合は間違いなくアルファスが全面的に悪い。悪いのだが、厄介なことに王子というのが問題になる。加えて聖天教の聖女まで加担したというのだから、始末に悪い。

 大陸全土に影響力のある聖天教は、この国でももちろん無下にはできない。なにせ、神から祝福を授かった聖職者は、聖術という人を癒す術を扱えるようになるのだ。彼らは人の生活になくてはならないものとして、深く根を下ろしている。

 特に神託に選ばれた聖人は、ほとんど無条件で崇敬の対象となる。その聖なる者の一人に糾弾されたというのがまずい。

 三人は待っている間、さてどういった話の持って行き方をするべきかと頭を悩ませた。が、そんな懊悩は全くの杞憂、というかとうに手遅れとなっていることに、彼らはまだ知らない。

 そんな悩める時間は、思いの外早く終わりを告げた。

 王への謁見を望む報せが舞い込んできたからだ。しかもその相手が、

「なにっ、エッジブレイク家の者だと!? すぐに通せ! ――しかし、やけに早いな。いや、当主ではなく家の者だと? まさか……」

 呼んだのはシェルファリース当人だ。だが、やってきたのは配下の者だという。

 この時、ウィンデルの胸中に嫌な予感が湧き上がった。想定した最悪をさらに上回る悪い出来事が起ころうとしているような、そんな予感だ。

 そして訪れてきたのは、ウィンデルも見覚えがある老紳士、確かエッジブレイク家の執事長を任されていた男だったはずだ。

 老執事クラウドは、入室すると臣下の礼を取って跪いた。

「陛下に置かれましては、拝謁の栄に欲しまして恐悦至極に存じます。このような夜分にて無礼とは存じますが、火急の用にて参上仕りました」

「よくぞ参った。だが、余が呼んだのはシェルファリース嬢本人のはずだが?」

「はて、わたしは主の命にて陛下にお届け物をお渡しに参った次第です。どうやら行き違いとなったようですな」

「届け物だと?」

 王の前であっても委縮することなく飄々とした物言いをする老執事が、なにやら重厚な造りの箱を持っていることに、ウィンデルは遅まきながら気が付いた。

 同時に、先ほどの嫌な予感が確信めいたものにまで上昇した。

「どうぞ、陛下。我が主からです」

 恭しく差し出された箱を、侍従を経由してウィンデルに手渡される。

 ……開けたくなかった。

 もの凄く開けたくなかったが、そういうわけにもいかない。

 ことさらゆっくりと蓋を開けてみれば、中には一通の便箋と、エッジブレイク侯爵家の家紋が封された印璽が。

ウィンデルの口から、ぎりっと音が鳴る。

 家紋の入った印璽は王の玉璽と同じ意味合いがある。これを紛失した場合、爵位を降格されても仕方がないほどの失態であり、そして王に明け渡すということは、爵位を返上するという意味になる。

 いったん箱を机に置いて、ペーパーナイフを取り出し、便箋を切り開ける。手つきが荒くならないようにするために、多大な努力を必要とした。

 取り出した手紙に目を通し、最後まで読み終えると、ウィンデルは深く深く息を吐いた。

「――エッジブレイク女侯爵は、どうしている?」

 奇妙なほど凪いだ声音で、老執事に問いかける。

 するとエッジブレイク家の執事長は、人を食った口調で返答した。

「我が主人であれば、旅に出ましたな。行く先も告げずに行きましたので、さて、いつ帰ってくるものやら見当もつきませぬ」

 この物言いに色めき立ったのは第一王子と宰相だ。

 どういうことかと問いただそうと口を開いたところを、王に手ぶりで制された。

「用件はこれだけだな? であれば下がるがいい」

「はい。御前、失礼いたします」

 老執事が退出すると、カイラスと宰相が泡を食って詰め寄ってきた。

「陛下! 一体何が掛かれていたのですか!?」

 ウィンデルは無言で持っていた手紙を差し出した。

 恐る恐る読んでみれば、学園のパーティ会場で起こったことの詳細と、婚約破棄を了承する旨、王族から明確に不要と断じられては、武力しか取り柄のない当家は潔く爵位を返上いたします云々、といった内容だった。

「「………………」」

 二人は揃って押し黙った。

 いたたまれない沈黙が続く中、不意にウィンデルがくつくつと笑い出した。

 ぎょっとして我に返ったカイラスと宰相は、必死に声をかける。

「陛下、お気を確かに!」

「ショックなのは分かりますが、気を強く持ってください!」

「案ずるな。余は正気だ。ただ、己の愚昧さを嗤っただけの事よ」

 ウィンデルはぐったりと椅子の背もたれに体重を預けた。

「賢君などともてはやされておきながら、ふたを開けてみればこの体たらく。よもや、我が国至高の宝剣を余の代で失う羽目になろうとはな」

 すっかり意気消沈した王は、一気に老け込んだように見えた。

 それを気の毒に思いながらも、宰相は現実的な問題への対処に言及しなければならない。

「陛下、エッジブレイク女侯爵――いえ、爵位は返上したのですな。シェルファリース嬢を連れ戻すことはいかが……」

「無駄だ。連れ戻すことなど出来んよ」

「しかし、それでは内外の影響が……」

「分かっておる。だがどのような顔をして、戻って来いなどと言える? 政に私情は挟むべきではないが、恥は知らねばなるまい。それ以前の問題として、あの娘は自分の意志で出て行ったのだ。王国最強の戦力を相手に、誰がどうやって連れ帰れるというのだ?」

 その質問に、宰相は答えることができなかった。

 沈黙する宰相に代わって、カイラスが言葉を続ける。

「ですが、彼女がもしも敵国である帝国に寝返った場合、事態は深刻なものになるかと。エッジブレイクという戦力が消えるというのはこの際仕方がないにしても、動向だけでも探るようにしなければならないのでは?」

「有り得んな。シェルファリース嬢は元来が争いを厭う性格だ。それでも戦場に身を置いたのは、それがエッジブレイクの役割であり責務だったからだ。その責から外れたのなら、もはやあの娘が戦争に加担することはあるまいよ。第一、あれが復讐など考えたなら、どこぞの国になど身を寄せる必要もない。我らなど、とうに死んでおるわ」

 それは遠回しに、シェルファリースが王都の戦力を総動員してもなお止めることができないことを告げていた。

「それよりも、エッジブレイク家が消えた影響をどう抑えるかを考えるべきだ。国内に関しても頭が痛くなる問題だが、それより不味いのが――」

「――帝国ですな」

 すでに頭痛が起こったかのようなしかめ面になる三人。

 西の隣国であるルトガルド帝国は、エルシャード王国の倍以上の国土を持つ軍事国家だ。毎年、恒例行事ように戦争を吹っかけてくる困った国なのだが、今年は目に見えてやる気が感じられなかった。

 その理由がシェルファリースにあるところは明白である。

 初めて戦場に立ってから毎回、多大な戦果を上げる彼女は、去年に至ってはついに対軍魔術――それ一度の行使で一軍に壊滅的打撃を与えうる魔術――を発現させ、王国の軍上層部はシェルファリースを戦場で殺すことは不可能という評価を与えた。

 帝国側も同じ意見だったようで、今年の帝国軍はシェルファリースの存在を確認した途端に撤退する、というのを繰り返した。

 そのおかげで今年の王国側の被害は、戦争したとは思えないほど少ないものとなり、そのせいでシェルファリースは最前線を駆けずり回る羽目になったのだった。

 敵国に間諜を潜り込ませない国はない。今回の騒動はすぐにでも帝国側に伝わるだろう。そうしてシェルファリースの不在を知った帝国は、来年にはそれはもう大喜びで攻めてくるに違いない。

 来年以降の被害の大きさを考えると、頭が痛いでは済まないレベルだ。

 とりあえず軍備の拡張は急務として、予算の確保、人員の補充、治安維持の強化など、考えることはいくらでもある。

 正直なところ、シェルファリースがいてくれたなら来年の戦費を別のところに回すつもりだったのだ。彼女には負担が圧し掛かってしまうが、国策と天秤にかければ致し方ないし、シェルファリース自身も決して文句は言わなかっただろう。

 それもすべてご破算になってしまったが。

 本当に、アルファスはやらかしてくれた。

 そうこうしているうちに、件の当事者のもう一人の帰還が告げられた。

 やってきた自分の二人目の息子に、ウィンデルは怒鳴り散らしたいのを堪え、静かに問いかけた。

「よく来た。なぜ呼び出されたかはわかっているな?」

「――はい。シェルファリース・エッジブレイクとの婚約を破棄した件ですね」

「ならば問うが、なぜあのような真似をした? あの娘をとの婚約を解消するにしても、公の場で恥をかかせる必要などなかったはずだ」

 事前に叱責されることは了承済みだったのだろう、アルファスは迷いなく答えた。

「恥をかかせることが目的ではありません。確実に破棄するためには、ああすることが一番だと判断しました」

「……何が不満だった? お前にとって、シェルファリース嬢との婚姻はそんなにも受け入れ難いものだったか?」

「陛下も彼女の戦場での振る舞いは知っているでしょう。無慈悲に殺戮を繰り返し、それでいて表情をまったく変えない冷血ぶり。そのような女性と結婚を望む男がいるとでも? なにより私は平和と慈愛を説く聖天教の信者でもあります。彼女とは相容れません」

 ウィンデルはアルファスの言い分を聞くと、無言でシェルファリースの手紙を放ってよこした。

「……これは?」

「読んでみるがいい」

 アルファスは手紙を一読すると、さすがに動揺して顔色を変えた。

「お前の身勝手で軽率な行いで、我が国最強の剣を失ったのだ。これを一体どう捉える?」

「っ。……お言葉ですが、我が国の軍はたった一人いなくなっただけで立ち行かなくなるほど、脆いものなのですか? 彼女が欠ければそれでおしまいだと?」

 ウィンデルは激昂した。

「馬鹿者が! お前の言う通りそれだけで崩壊するほど軍は脆弱ではない! だが居ると居ないでは大きく違うのだ! 国益を考えればそんなことは口が裂けても言えんわ!」

「ですが! 彼女の所業は徒に恨みを買うばかりではないですか! あれではいつまでも戦争が終わりません! 国益というならば、いかに早く戦争を終わらせるべきかを考えるべきではないですか!?」

 必死に反駁するアルファスだが、その物言いはてんで的外れだ。

 そもそもこちらは迎え撃っているだけで、一方的に仕掛けてくるのは帝国側だ。相手が諦めない限り、戦いが止まることなどない。

 だがそれよりもウィンデルを苛立たせたのは、アルファスがエッジブレイク家について碌な知識がないことだった。

「お前は、自分が婿入りする予定の家の歴史も学んでいなかったのか? なぜエッジブレイク家が〈血染めの聖剣〉と呼ばれているか、それすら知らずにいたのか」

 アルファスは何も言えず押し黙る。称号の由来など知らない。ただ、その字面からは良い印象を受けなかったことは確かだ。由来もまた碌でもないものだとも。

「――戦争というものは、始めるに易く、終わらせるに難い。その理由は、お前が今言った通りだ。きっかけはいくらでも作ることはできるが、一度始めて被害が出れば怨恨が生まれ、収まりがつかなくなる」

 突然の話の転換に戸惑いながら、アルファスは頷く。

「故にエッジブレイクはあえて戦場において苛烈に振る舞う。戦争を終わらせる落としどころを作るためにな」

「何を言っているのですか!? それはまるで真逆の行いではないですか!」

「そうではない。ひとたび戦が起これば犠牲は避けられん。ならばと、エッジブレイクは生まれる怨嗟と憎悪を一身に受け止めることを選んだのだ。いざ和平や休戦の協定を結ぶ際、自らの首を差し出すことで敵のの溜飲を下げさせるために」

 アルファスは呆気にとられた。当然と言えば当然の反応だろう。そんなものは損以外何もない役回りだ。国に尽くすにしても常軌を逸している。

「〈血染めの聖剣〉という称号はな、我が国が贈ったものではない。帝国の皇帝が、その誇り高さと潔さに感じ入ったがゆえに贈った称号なのだ」

 事実として、過去に二度、休戦協定の折にエッジブレイク家の当主が命を差し出している。

 その称号が送られるきっかけとなった一度目の休戦協定。帝国の西側で起こった反乱のため、王国と争っている場合ではなくなった帝国は、向こう二十年の不戦の条約を持ちかけた。王国側としても願ったりの提案だったが、条件の一つに当時にも猛威を振るっていたエッジブレイク家当主の命があった。

 当時のエッジブレイク当主は、それを聞くと快諾、使者を一人伴って帝国に渡り、影武者でないことを確認させた後、朗らかに笑って自らの首を落として見せた。

 怨敵とはいえ、その天晴れな死に様にそれ以上遺体を晒す気も起きず、皇帝は調印の際にその亡骸をエッジブレイク家に返還した。

 遺体を運んで行った将校に、次代の当主、つまりは死したエッジブレイクの息子は頭を下げて礼を言ったという。

 父の体を返してくれてありがとうございます、と。

 恨み言を吐くでもなく、逆に死体を晒さないでいてくれたことに感謝されたのだ。

 その将校は思わず訊いてしまった。憎くはないのかと。父の死の原因となったものを恨んではいないのかと。

 次代の当主の返答はこうだった。

 ――それは我々には赦されておりません。

 戦場で強大な暴力でもって死を撒き散らす自分たちが、無数の悲劇を生み出す自分たちが、身内を殺されたからといって憎むのは筋違いだと。あくまで加害者である自分たちは、報いを受けただけの事なのだと、そう告げていた。

 その話を聞いた皇帝は、後日、正式な声明でエッジブレイク家に〈血染めの聖剣〉の称号を贈った。

 たとえどれほどの血で刃を染めようと、その高潔なる魂に一片の曇りなし、とほかならぬ敵国の皇帝が認めたのだ。

 加えて、彼らエッジブレイク家は決して他国へと攻め入ることはしない。とある代の国王がエッジブレイクの強大さに気を大きくし、帝国に逆侵攻すべしと命じても、それだけは頑として服し得なかった。

 彼らがその力を振るうのは、自国とその民を脅かす侵略者という刃に対してのみ。

 王家がエッジブレイク侯爵家に格別の便宜を図っても、ほかの貴族家、特に軍系列の家が何も言わないのは、彼らの忠誠に対する信頼と、なによりも多大な犠牲を捧げているからにほかならない。

 その在り方に、敵味方問わずに畏敬を込めてこう呼ぶのだ。

 刃を砕く血染めの聖剣、と。

「分かるか。お前のしたことは、エッジブレイク家がこれまで積み上げてきた忠誠に、犠牲に、泥を塗り踏み躙る行為だ。それは彼らに多くの負担を押し付けることを容認していた、我ら王家だけは決してしてはならない行いなのだ」

 喋っているうちに落ち着いてきたのか、ウィンデルの口調は幼子に言い含めるようなものになっていた。

 己の仕出かしたことの重大さにようやく理解が及んだアルファスは、顔色を失くして俯くしかない。

「……エッジブレイク家を失った影響は計り知れん。その原因となったお前に、周囲の風当たりは相当に厳しいものとなるだろう。だが、かばいだてはせぬ。その責を、しかと受け止めるがいい。

 ――追って沙汰を下す。それまで自室で謹慎していろ」

 悄然とうなだれ、言われるがまま退室しようとしたアルファスだが、ふと動きを止めてウィンデルに向き直った。

「陛下、いえ父上。ひとつだけ聞いてもよろしいでしょうか」

「……許す。申してみよ」

「……なぜ、私をシェルファリース嬢の婚約者にしたのですか?」

 わずかな躊躇いをもって尋ねられた息子の質問に、父は数舜の間をおいて答えた。

「あれは優しい娘だ。家の責務ゆえに戦場に立ち続けたが、元々が争い事には向かん性格をしている。お前と同じようにな」

 驚きに目を見開く息子に構わず、父王は続ける。

「なればこそ、似た気質の持ち主同士、互いに理解し合い、穏やかな関係を築ける良き夫婦になってくれる。……そう、思っていたのだがな」

「……父上は、私のことなどどうでもいいのだと思っておりました」

 今にも泣きだしそうな顔で、アルファスは心中を吐露する。

「私と会話するときは、いつもシェルファリース嬢の話題ばかり。私を彼女にあてがうのも、彼女を身内に引き込むためのものと、父上にとって私は道具や駒でしかないのだと、ずっとそう思い込んでいました」

「………………」

「無礼な発言でした。――御前、失礼いたします」

 トボトボと頼りない足取りで去って行く王子を見送って、王は重い息を吐きだして背もたれに体重を預けた。

「お疲れ様でございます、陛下」

 もう一人の息子の労いに、父王は苦笑を返した。

「余は王としても親としても、不出来な人間だったのだな。今回の件は、それを痛感させられた」

 アルファスが去り際に言った言葉、あるいはあれこそが今回の暴挙に至った、最初の動機だったのかもしれない。

 不出来な息子、というわけではなかった。先にも述べたように、穏やかで純朴、努力を怠らず相応の能力を身に着けた。王族としては頼りないが、人間としては好感が持てる。

 だがそこまでだ。努力相応ということは、逆を言えば努力以上のものが身に着かなかった。ありていに言えば凡庸だったのだ。

 シェルファリースと気質こそ似ていはしたものの、才能ではまったくの逆。それに嫉妬や劣等感を覚えても仕方のないことかもしれない。

 だからと言って、仕出かしたことを許すことはできないのだが。

「して、アルファス殿下の処遇、如何するおつもりで?」

 宰相の質問に、王は数舜の黙考の後、決断した。

「廃嫡する。そのうえで軍に預け、帝国との戦端が開かれれば前線に送るよう計らう」

「それは……死ぬのでは?」

「仕方あるまい。それくらいせねば、軍部の溜飲は下がるまいよ。そなたらも、シェルファリース嬢の人気ぶりは知っていよう」

 シェルファリースの軍部における信望は絶大である。特に最前線で戦う末端の兵士にそれは顕著で、シェルファリース教という新手の新興宗教でも興ってるのかというぐらいだ。

 さもありなん、彼女が立つ戦場では勝利が確定し、救われた兵士は数知れない。ごく自然な流れで戦女神扱いである。

 そんな軍部がシェルファリースの失踪とその原因を知ったらどうなるか。はっきり言って暴動が起きても不思議ではない。

 そんなところに元凶であるアルファスを放り込んだりしたら。正直なところ、戦争が始まる前に、味方の兵士にいびり殺される可能性のほうが高いのではないだろうか。

 しかし、それらを含めて責任なのだろう。

 政治に私情は挟めないのだから。

「――そういえば、アルファスも一つだけ正しいことを言っておったな」

 ふと思い出したようにウィンデルは呟いた。

「シェルファリース嬢がいなければ崩れるほど、軍は脆いのか、か。その通りだ。特定の個人や一族に負担を押し付けるなど、組織としては不健全だ」

 それでもエッジブレイク家があまりに献身的過ぎて、あまりに強くて、頼りきりになってしまった。

 要は甘え過ぎていたのだ。だから、人ひとりいなくなっただけで、こんなにも慌てふためくことになる。

 そのツケを払う時が来たということなのだろう。

「覚悟せよ、二人とも。これより王国は苦しい時代に入るだろう。だが、それこそが本来辿るべきだった道程である。これを乗り越えられぬようでは、それこそ国を担う資格などあるまい。遠方より、あの娘に嗤われんためにもな」

「「御意に。我ら、身命を賭しまして」」

 国を背負って立つ王としての言葉に、第一王子と宰相は、臣下の礼を取って応えた。

 


 この事件がエルシャード王国のひとつのターニングポイントとなった。

 後世、王国の歴史に、そう記されることとなる。


 序章終了。次回からシェルファリースの旅です。


 この世界における聖剣は、大きく分けて三種類あります。

 ひとつは神授の聖剣。神が実在するこの世界で、人間では対処不可能な事態と神が判断した場合、神威の代行としてしかるべき者に与えられ、事態の収束が図られます。そして、事が終わって役目を果たした聖剣は、神の下へと送還されます。つまり恒常的に存在する神授の聖剣はない、ということです。

 次に人造聖剣。文字通り人の手により鍛えられた剣です。強力な魔物や特殊な材料を元にして作られることがほとんどで、神授ほどじゃなくても十分チートじゃね? という武器。

 最後に人物に与えられる称号。偉業を成した英雄英傑に贈られる栄誉の証です。その功績の内容で○○の剣だとか○○剣という付けられ方をします。そのなかでも聖剣は誇り高さや高潔さ、といったものが不可欠となります。

〈血染めの聖剣〉はもちろん三番目の枠。ただしその中でも異例です。称号は基本、一個人に贈られるものですが、これはエッジブレイクという一族そのものに贈られたものだからです。

 ちなみに、帝国でも〈不壊の剣〉と呼ばれた将軍がいました。由来はシェルファリースの前の当主、つまり彼女の父と、彼女の兄を討ち取った功績によるもの。ですが、その数か月後にシェルファリースに敗北したことにより、現在ではその称号は取り下げられています。

 当時のシェルファリースは十五歳。その時点で自分の父親よりも強かったということですね。

 シェルファリース、恐ろしい子!

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