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血染めの聖剣  作者: 真夜中
序章
2/9

エッジブレイク家最後の夜

「――おや? お嬢様、随分とお早いお帰りで……!? どうなさいました、お嬢様!?」

 王都のエッジブレイク侯爵家邸にて、家の管理と雑多な業務を任されている老執事のクラウドは、帰ってきた主の様子に、思わず動揺に声を荒げてしまった。

 表情こそ普段通りの鉄面皮。しかし、常の淑女らしい気品ある所作は鳴りを潜め、ツカツカと歩いてくる様からはただならぬ迫力は滲み出ていた。

 ――怒っている。

 シェルファリースが生まれた時から彼女を知っているクラウドにしても、ここまで怒りの気配を露わにしているところを見るのはついぞ記憶にない。

 いったい何事が起こったのかと、恐怖すら混じった驚愕を覚えるのは仕方ないと言える。

「詳しい事情は後で皆と一緒に説明しますが、簡潔に言うと、我がエッジブレイク家を否定され、婚約破棄されました」

「…………は?」

 予想だにしない返答に、クラウドの思考は止まった。

 婚約破棄された、とはシェルファリースが? それはつまり婚約者である第二王子が三行半を叩き付けてきた? なぜ? エッジブレイク家を否定? 

 混乱の坩堝に叩き込まれたクラウドだったが、次のシェルファリースの言葉で我に返った。

「とりあえず、皆をロビーに集めてもらえますか? 全員、一人残らず。大切なことを話しますので」

「……あ、は、かしこまりました。失礼いたします」

 動揺から立ち直らずとも指示には従って即座に動く。流石はエッジブレイク家の執事長だ。

 足早に去って行く老執事を尻目に、シェルファリースは自室、当主の執務室に入ると、机の抽斗から最も格式高い便箋と手紙を取り出し、さらさらと淀みなく筆を動かしていく。ほどなく書き終え、手紙の最後にエッジブレイク家の印璽を押し、きっちりと封蝋をする。その便箋を、印璽と一緒に重厚な造りの箱に納めた。

 次にシェルファリースは、その箱と机から取り出した鍵をもって私室に行き、ドレスを脱いで着替えた。貴族の令嬢が着るには似つかわしくない、頑丈で丁寧な縫製ではあるものの簡素な男物の平服だ。

 さらに平民が着るような衣服を数着と、いくつかの道具と小物を大きめのバッグに詰め込むと、それを肩にかけて便箋と印璽の入った箱をもって金庫室へと向かった。

 金庫室に入ると、すぐに金庫の鍵を開けて、やたらと重厚な扉を苦も無く開け、用途別に仕分けされている棚の一つに積まれている金貨を、備え付けの袋にすべて突っ込むと、扉を閉めて鍵をかけた。

 すべての用意を終えて、荷物を持ってロビーに行けば、屋敷に勤める使用人の全員がすでに集合していた。

「――皆、突然に集まってもらってすみません。これから事情を説明しますので、まずは落ち着いて聞いていてください」

 そう切り出した自分たちの主人に、一体どんな重大事を聞かされるのかと身構えていた使用人一堂は、パーティ会場で起こった一幕に、驚愕し、動揺し、最後に大いに憤慨した。

「それでお嬢様、あのボンクラ王子はいつ血祭に上げますか?」

 すべて聞き終えた後、使用人の一人がごく自然に問いかけた。建国当初からなる最古にして最大の武門の家に仕えるだけあって、彼ら彼女らも基本的に武闘派である。

「いえ、そんなことはしません。我らはエッジブレイク、私怨で武力を行使することはあってはなりません」

「しかしお嬢様、長年にわたって忠義を尽くしてきたエッジブレイク家に、何より身を粉にして国を守ってきたお嬢さまに対して、これはあまりにも非道な仕打ち! これは我らがエッジブレイク家の面子の問題もあります。黙して容認するなどありえません」

 また別の使用人が気炎を吐き、シェルファリース以外の全員が同意に頷いた。

 その様を見て、シェルファリースは嬉しくなる。自分とその一族が、とても慕われていることが分かるから。

 だから、これから告げることを、申し訳なく思う。

「そうですね。でも、私を糾弾したのは第二王子殿下だけではなく、聖天教の聖女様もいました。この二者から揃って非難されては、我が家の失墜は避けられません。糾弾の内容も、まあ真っ当と言えば真っ当でしたからね」

 そう、エッジブレイク家を知る軍部関連の者ならば理解を示すが、一般的な視点から見れば残虐な行為であることも、彼女はきちんと理解していた。

 それを踏まえたうえで、婚約者の王子と聖天教の聖女がセットになって糾弾し、婚約破棄されたとなればとんでもない醜聞だ。

 きっとものの数日で噂となって国中を駆け巡り、社交会での物笑いの種になることだろう。

 この状況でアルファスになんらかの直接的報復をしようものなら、それこそエッジブレイク家が代々積み上げてきた、国と民に尽くす剣という信頼に泥を塗ることになってしまう。

 つまり、すでにどうにもならないということだ。

「ですから、もう終わりにしようと思います」

 それらをすべて理解して、シェルファリースは言った。

「……終わりにする、とは?」

 なんとなくその意味を察して、使用人を代表してクラウドが訪ねれば、想像通りの返答が返ってきた。

「陛下に爵位を返上します」

 我ながら思い切った決断だと思う。いささか短慮だとも。

 しかし、

「間違っている、と言われました。時代遅れで不要だとも」

 その時の事を思い出して、収まっていた怒りが再燃する。

「ですので、ご要望通り消えて上げようかと思いまして」

 婚約破棄などどうでもよかった。

 社交界での嘲笑も侮蔑も、それこそなんの興味もない。

 ただ一点、エッジブレイク家の在り方を否定した、それがシェルファリースの逆鱗に触れていた。

 戦場に出るようになってから、感情を表に出すことがなくなっていた主人の、初めて見る怒りに、誰もが何も言えなくなった。

 そんな使用人達を見て、すぐに怒りの気配を霧散させ、謝罪する。

「ごめんなさい。あなた達から職を奪うことになってしまいます。本来なら次の就職先を斡旋するべきなのですが、その時間がありません。ですので、これを」

 差し出したのは、金貨がぎっしりと詰まった袋だ。

「退職金と迷惑料代わり、といったところでしょうか。爵位を返上する以上、エッジブレイク家の公的資金に手を付けるわけにはいきませんが、これは私個人が軍役で得た賃金です。これを皆で――この場の全員と領地の皆に分配してください」

 エッジブレイク家は軍関係において、王家からかなりの裁量を得ている。ほとんど独立した武力組織と言ってもいいくらいのエッジブレイク家の当主ともなれば、その待遇は准将相当。基本俸給もかなりのものになる。

 加えて目覚ましい活躍をしたものには特別褒賞として、勲章と褒賞金が与えられる。

 その褒賞を毎度のごとく獲得していたシェルファリースの給金は、個人が稼いだものとしてはとんでもない額だ。

 具体的に言うと、エッジブレイク家に仕える全従業員――使用人だけではなく役人を含めて――が一生働かなくても暮らしていけるくらいである。

 こういう時に出し惜しみをしない自らの主の性格を把握しているクラウドは、その袋に入っているのが、シェルファリースの個人資産の全額であることを察した。

 察して、しかし何も言わずに受け入れる。こういう時の決断を翻すこともないと、知っていたから。

 だから、訪ねるのは別の事。

「本当に、爵位を返上してよろしいのですね?」

 その問いに、シェルファリースは束の間目を伏せ、すぐに顔を上げた。

「代々続いてきたエッジブレイク家を、私の代で終わらせることには申し訳なく思います。ですが、先に私達の忠誠を踏み躙ったのはあちらです。非難されるいわれはありません」

 それに、と続ける。

「皆も言ったでしょう。報復はするべきだと。思い知ってもらいましょう。不要だと断じた私達がいなくなれば、どんなことが起こるのかを」

 一般的な視点から見ればエッジブレイク家の所業は非道徳的。しかし、理解ある軍関係の者たちからすれば、エッジブレイク家は英雄の一族も同然、特にシェルファリースへの信望は非常に篤かった。

 自分の持つ自国の軍への影響力、そして敵国に対しての影響力、そういったものが突如として消えてしまったら。消えてしまった原因に対してどんな目が向けられるか。

 シェルファリースはそれらを正確に理解していた。

 そんな主人の言葉に、血気盛んな使用人たちはニヤリと悪い笑みを浮かべた。

「それではあまり時間もないので。――クラウド、貴方に最後の命を下します」

 エッジブレイク家の執事長は、居住まいを正した。

「この箱を、陛下の下へと届けてください。夜分に先触れもなく失礼ではありますが、貴方が王城に着く頃には、陛下にも今回の一件が伝わっているでしょう。すぐに通していただけるはずです」

 そう言って差し出されたのは、便箋と印璽の入った箱。

 中身が何かを知らされなくても、簡単に推測できる。

 クラウドは恭しく受け取った。

 あとこれも、とついでのように金庫の鍵も渡される。

「鍵は貴方が持っていてください。やってくる代官なりなんなりに引き継ぎの際、渡していただければ。それでは皆、そろそろ――」

「お待ちください、お嬢様」

 主の話を途中で遮り、クラウドは隣にいたメイドに箱を預けると、足早に屋敷のどこかに消えて行った。

 あんなに素早く動いているのに、足音ひとつ立てないのは流石ですね、などと妙なところに感心しているシェルファリースは、おとなしく彼を待った。

 普段のクラウドなら、主の台詞を遮るような不敬はしない。であるならば、この後の要件は大切なことなのだろうと察したからだ。

 一分も経たずにクラウドは戻ってきた。

 その手に大粒の紅い宝玉と見事な装飾が施されたネックレスを持って。

 それを飾り気のない、しかし美貌の少女主人に差し出す。

「お嬢様、どうぞこれだけはお持ちください。これはエルラーナ様、貴女の御母君がご実家より引き継がれてきたもの。いわば形見のようなものです。貴女様以外に、これを所持する資格を持った者はおりませんので、ぜひ」

「……わかりました」

 シェルファリースは、そっとネックレスを手に取った。

 母との思い出はほとんどない。五歳のころに、亡くなった。元々、体が弱かったのもあって、流行り病に罹ってそのまま逝ってしまった。

 それでも覚えていることはある。自分と同じ紅い髪だったことや、頭を撫でられたこと、優しく抱きしめてくれたこと、そうして子守唄を歌ってくれたこと。

 そうして記憶を思い返しながら、ネックレスを首にかけた。

「よくお似合いです、お嬢様」

 クラウドの賛辞に、ほかの使用人たちも一様にうなずく。

 実際に、シェルファリースの髪色と美しい面貌に、紅い宝玉の付いたネックレスは似合っていた。これが伝来の家宝だというのなら、母の実家は代々紅い髪だったのだろう、と思わせるくらいピタリとはまっていた。

 数秒の間、母へ想いを馳せることを許したシェルファリースは、改めて長年仕えてくれた、家族にも準ずる使用人たちを見渡した。

「皆、これまでよく仕えてきてくれました。最後がこんなことになってしまって申し訳ありません。不甲斐ない主人をどうか許してください」

 そう言って頭を下げる主に、全員が慌てて止めるよう口々に言葉を投げかける。

 そんなことはないのだと。むしろ自慢の主人だったのだと。

「頭を上げてください、お嬢様。そして我らの想いをお受け取りください」

 クラウドの言葉に、シェルファリースは顔を上げて皆の顔を見渡す。

 するとクラウドをはじめとした使用人一同が最敬礼の構えを取り、代表として老執事が口上を並べた。

「我々、家臣一同、シェルファリース様とエッジブレイク家に仕えることができたことは、生涯の誇りであり、誉れであります。どうか貴女様のこれからに、多くの幸運と平穏がもたらされることを願っています」

 そして送られる、ひとりひとりの感謝と別れの祝辞。

 みんな分かっているのだ。シェルファリースが、決して戦いを好んでなどいないことを。それどころか忌避していることも。

 しかしエッジブレイク家の者として、それは許されない。加えて彼女には才能と実力があってしまった。

 争いを厭いつつ、しかし家の責務を放り出すことなど責任感が許さず、そして誰よりも強いがゆえに戦場で屍を積み上げていく羽目になった。

 そうした板挟みに、シェルファリースはどんどん心を鈍くし、表情を失くしていった。

 そんな優しく誇らしい主人が、辛い思いをしているのを、周りの者が歯がゆく思っていないなどあるわけがないのだ。

 だからこそ、彼女に仕える者たちは、その重責から解かれることを心から祝福してくれた。

 思わず、久しく流していなかった涙が出そうになった。

 でも、そうじゃない。

 この場に涙は相応しくない。

 見せるべき顔があるのなら、それは泣き顔ではなく――

「ありがとう、皆。家の責務を放り出して逃げる無責任な私が言うのもなんですが、どうか健やかに生きてください」

 少し申し訳なさそうに、ややぎこちなく、けれども確かに微笑んだ。

 長らく見ることが叶わなかったその笑顔を、誰もが尊いものとして心に焼き付けた。

「――ああ、そうです。忘れていました。もはや故郷の地を踏むことは叶わないでしょうから、これだけ家族の墓前に持っていってください」

 と言って、シェルファリースは無造作に自分の髪を掴むと、風の魔術を使って肩口辺りで切断した。

『!?』

 騒然となる使用人に、紅い絹糸のような髪を差し出すと、いち早く立ち直ったメイド長が受け取った。

 お願いしますね、と渡された髪を、常に持ち歩いている布で大事に包みながら、恐る恐る聞く。

 一房もらってもいいか、と。

 別に構わないので了承すれば、今度は別の意味で周りが騒ぎ出した。

「メイド長だけずるいですよ! 私にもください!」「それなら俺だって!」「なら僕も!」「儂も!」「あたしだって!」

「うるさいですよ! これは託されたわたしの特権です! あなた達は遠慮しなさい!」

「横暴だ!」「だったらあたしが届けます!」「いや俺が!」「僕が!」「儂が!」「私が!」「自分が!」「我こそが!」

「静かにせんか、お前たち! お嬢様との大事な別れだぞ!」

 とうとう落ちるクラウドの雷。

『申し訳ありません!』

 一糸乱れぬ謝罪の姿勢を見せる一同。

 そんな愛すべき家臣たちを見て、思わずクスクスと笑うシェルファリース。それはさっきよりもずっと自然な笑顔で、綺麗だった。

「それではみんな、今度こそ本当にお別れです」

 いよいよとあって、使用人全員が居住まいを正し声を揃えた。

『行ってらっしゃいませ、お嬢様。良い旅を!』

 それは今生の別れには似つかわしくない挨拶。いつでも帰ってきてもよいのだと伝える、門出を祝う言葉だった。

 もちろん、そんな心遣いに対する返答は決まっている。

「はいっ。行ってきます」

 多くの温かな想いに見送られ、シェルファリースは厩舎に向かい、体躯のいい黒毛の軍馬を連れ出して、その背に跨った。

 この馬もエッジブレイク家の財産なのだが、流石に徒歩では時間がかかり過ぎる。なのでこれだけは大目に見てもらうことにした。

 目指すは南。

 一応、追手が掛かることを考慮して、速やかに王都を離れる必要がある。

 夜の王都をシェルファリースを乗せた馬が、勢いよく駆けて行った。



 こうして、エルシャード王国建国以来より続いたエッジブレイク家は、その歴史に幕を下ろした。

 当主であり唯一の生き残りであるシェルファリースの行方を知る者は、誰もいない。

時刻は夜、王都は塀に囲まれてますので当然門があって、夜には閉まります。

でも、シェルファリースは単独で軍事行動をしたりする場合があり、時には危険な夜間でも王都の外にまで足を運ぶことがままあります。

というわけで王都の門は顔パスでスルー可能。門兵もシェルファリースの熱心なファンが多数存在します。

日頃の行いというのは大切ですね。

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