パーティの夜
「――シェルファリース・エッジブレイク女侯爵。君のこれまでの冷酷な行い、もはや到底看過できない。君との婚約は破棄させてもらおう」
そう、淡々と、しかし会場中に良く通る声で言い放った青年のこの言葉に、一体何事が始まるのかと注目していた周囲の者たちが、水を打ったように静まり返った。
その静寂を生み出した青年―—アルファス・ロア・エルシャードは、目の前の少女に向けて激しい非難を込めた眼差しを向けた。金髪銀眼に端正な容貌と穏やかな気質から市井での評判も高い彼こそは、このエルシャード王国の第二王子その人だ。
そんな彼に睨まれているその少女はシェルファリース・エッジブレイク。弱冠17歳にして、王国最強の武門の名家エッジブレイク侯爵家を継いだ女侯爵である。
癖のない紅く腰まで届く髪と、深海のように濃い蒼の瞳。怜悧さと柔らかさを矛盾なく同居させた美貌に、女性らしさを主張するメリハリのある身体。装飾の少ない薄紫のシンプルなドレスに身を包み、一切のぶれなくまっすぐ立つ姿勢は、ある意味で淑女の模範の体現と言えるかもしれない。
そこに加えてまったく感情を窺わせない無表情、それこそ今自国の第二王子にして婚約者である男から婚約破棄を突き付けられても、微塵も動揺の素振りも見せない徹底ぶりから、実は精緻な人形でも置いてあるのではないかと疑いそうだ。
そんな無機質じみた少女は、美しく澄んだ、しかし詩歌を吟ずるには不思議と似合わないと思える硬質な声音で、訊いた。
「突然にそのようなことを仰られても、返答は致しかねますが……理由をおきかせねがえますか?」
この質問に、アルファスは視線だけでなく顔つきまで険しくし、
「先程の言葉通りだ。君の戦場での行い、あまりに度が過ぎている。君のやっていることは、もはや戦いではなく殺戮だ」
「……度が過ぎている、ですか」
「そうだとも。あくまでも話に聞いただけで、実際にわたし自身が目にしたわけではないが、多くの軍人からの証言を得た信頼性のある話だ」
そうして語られたのは、王子の言とは裏腹に、にわかには信じ難いものばかりだった。
敵の部隊を単独で迎え撃ち、降伏を受け付けずに文字通りに全滅させただの、山間部に潜んだ敵部隊を発見、単騎で一人残らず抹殺しただの、逃げ出した敵兵を容赦なく皆殺しにしただの、敗走する味方の殿に立ち、逆に返り討って血の雨を降らせただの。
確かに多くの命を奪ったという点を見れば残虐非道と言ってもいいだろう。
というかいくら彼女が希代の天才魔術師とは言え、個人が成し得る事とは思えない。はっきり言って嘘くさかった。
そんなありえないような所業をつきつけられて、シェルファリースは、
「――確かにそれらは私のやってきたことに相違ありません」
何の躊躇もなく肯定した。
むしろ、とシェルファリースは心の中でつぶやく。
その程度は話半分――――話のほうが半分にも満たないのですが、と。
しかし、周りの者にしてみれば、それだけでも充分に化物じみている。同時に彼女にまつわる偉業は大なり小なり聞き及んでいたらしく、俄かにざわめきが巻き起こった。
耳を傾ければ、そのひそひそとした会話の中にいくつもの不穏な単語を拾うことができた。
――冷血戦姫。
――殺戮人形。
――紅の吸血姫
随分と物騒な二つ名がついたものです、と胸の内でつぶやく。
彼女の感覚から言っても酷い異名の数々ではあるが、シェルファリースに反論する気はなかった。事実として、そう非難されるだけのことはしたのだから。
しかし、己の所業を認めてなお眉ひとつ動かさず、弁解もしないその姿がお気に召さなかったらしく、アルファスは不快気に顔しかめた。
「まるで反省の色なしか。一体その手をどれだけの血で染めてきた? 降伏する者、戦意を失くした者、関係なしに手にかけておいて、何ひとつ思うところがないと?敵とはいえ、彼らにも愛する人、帰りを待つ人たちがいるというのに」
知っている。
そんなものは分かり過ぎるくらい理解している。
今わの際に誰かの名前を呼びながら、息絶えていく敵兵士を幾度となく見てきたのだから。
そして、それに対して何も感じていないわけでもない。ただ顔に、表に出せないだけであって。
だがそんな心の内も、外見に表れないのであれば他人が察せられるはずもない。
「まるで本当に人形のようだな、君は。戦場に行ってはひたすらに人を殺す殺戮機械だ。こんな血も涙もない、尊敬することができない女性を伴侶とするなど、到底許容できない。これが婚約破棄の理由だ」
どうだ、と言わんばかりに胸を張る王子だが、言ってることは相当に酷いことだと理解しているのだろうか。
――まあ、いいです。
「分かりました。それでは私、シェルファリース・エッジブレイクとアルファス・ロア・エルシャード殿下との婚約を破棄することを、エッジブレイク家側は承諾いたしましょう」
あっさりと、シェルファリースは了承した。
本来ならば家同士での取り決めである婚約、ましてや片方が王家ともなれば、国王陛下と当主が互いの主張を擦り合わせて、慎重に時期や情勢を見極めて角が立たないようにするべきなのだが、幸いと言っていいのか悪いのか当事者の片方はまさにその当主だ。おまけにここには多くの貴族の子息子女が居並んでいる。そんな中で王族の一員が公言し、さらには声高に相手を侮辱したとあっては、撤回などできないだろう。
「それでは急用ができましたので、これで失礼させていただきます。皆様ごきげんよう」
淑女の礼に則って、完璧なカーテシーを披露してから踵を返す――
「待ってください!」
――寸前で、呼び止められた。
人垣を割って進み出たのは、銀髪紫眼の美しい少女だった。小柄で可憐な面差し、大きな瞳に強い意志を漲らせて、決然とした表情で向かってくる。
だがそれよりもシェルファリースの注意を引いたのは、その少女の出で立ち。純白の法衣に聖銀の糸で刺繡された特別な紋様は、大陸中に影響力を持つ聖天教、その特別な立場の者にのみ許された正式礼装。
現在、この国でその衣装を纏うことができるのは、シェルファリースの知る限りたった一人。
すなわち〈聖女〉アリスレーゼ。
神託によって選ばれる聖人の一人が、なぜか大敵に挑む勇者の如き面持ちで、こちらに真っ直ぐやってくるのはどういうことか。
面倒事を確信して、内心で溜息を吐きつつ、それでもシェルファリースは律義にその場で待ち受けた。
アリスレーゼはアルファスの隣に並ぶと、ややぎこちなく貴族式の礼を取った。
「初めまして、シェルファリースさん。私は聖天教の聖女を務めさせていただいています、アリスレーゼといいます」
「お初にお目にかかります、聖女アリスレーゼ。ご存じのようではありますが、シェルファリース・エッジブレイクと申します」
対照的にごく自然な所作で淑女の礼を取るシェルファリース。
「それで私に一体何用ですか?」
「――なぜ、あんな事ができるのですか?」
主語を省いたその質問に、何が言いたいのかおおよそ見当をつけつつも、シェルファリースは聞き返す。
「あんな事、とは?」
「アルファス殿下が言ったことです! 貴女は全部認めたでしょう、戦争でしてきたことを! どうして貴女は、そんな酷いことができたのですか!?」
「どうして、と言われましても。それが必要だからそうしたまでのことなのですが」
「ひ、必要!? 人を、無抵抗になった人まで容赦なく殺すことが、必要なことだっていうんですか!?」
「はい」
躊躇なく肯定するシェルファリースに、愕然と絶句する聖女。
そして、その様子を気づかわしげに見るアルファスに、シェルファリースはそういう事なのかな、となんとなく察した。
どうやら殿下と聖女様は随分と仲が良い様子。恋人というわけではないとは思うが、問題はそこではなく、アルファスが聖女の影響を強く受けているらしいということだ。それで良識とか倫理観だとかを肥大させて、シェルファリースの戦場における無慈悲な所業とやらに我慢できなくなった、ということか」
しばらく言葉を失っていたアリスレーゼは、やがてワナワナと震えだして、
「……おかしいです」
声を絞り出し、ばっと顔を上げた。
「おかしいです! 必要だから殺しただなんて、殺されなければならない人なんているはずがありません!」
それから彼女は、なにやら切々と訴えはじめた。人と人とが手を取り合う大切さとか、言葉によって理解し合うことが大事だとか、そうして平和の輪が広がっていくのだとか。
そういったことを、本気で信じているのだろう。アリスレーゼは一切の疑念も持たず、ただ純粋に熱意をもって言葉を並べていく。
さすがは神託で選ばれる聖女といったところか、その心根は清らかで高潔。愛と平和を説くその姿は確かに人の心を惹きつけるものを持っている。
言ってることも実に立派だ。高い志の下に語られる理想は、間違いようもないほどに正しい。
そう、理想的過ぎて、とても現実味が感じられないほどに。
しかし、そんな感想をもったシェルファリースは少数派だったらしく、多くの子息子女は感銘を受けた様子だった。そして一番それが顕著なのがアルファスだった。
シェルファリースは再び心の中だけで溜息をつく。
自分はここで一体なにをしているのか、と。
今年の春先から戦場と王都を何度も往復し、最前線を駆けずり回り、冬前の停戦期に入ってようやく休めるようになり、義務として形だけ在籍している学園に、年に一度も顔を出さないというのも体裁が悪かろう
と、年送りのパーティに出席してみれば、コレである。
出席するのではなかった、と絶賛後悔中だ。
「――ご高説、大変素晴らしいものです」
いい加減、らちが明かなくなりそうなので、シェルファリースは口を挟んだ。
「ですが、それを私にお聞かせくださって、何をお望みなのでしょうか?」
「償いましょう」
間髪入れずに答えてきた。が、正直言って、意味が分からない。
「償い、ですか?」
「そうです。貴女のしてきたことは罪深い行いです。ですが、戦争中なのですから多少は情状酌量の余地はあります。ですから、これからは罪を償うべく、我らが聖天教の教えと共に、人々を救うためにその力を振るいましょう」
手を組んで、祈るようにスラスラと口上を並べ立てられた。が、やはり意味が分からない。
今の言い方だと、シェルファリースがとんでもない犯罪行為を犯しているように聞こえるし、なんかさりげなく聖天教に勧誘してるし、先ほども言ったように戦場での行いは必要だからやってきたのだ。
「……せっかくの申し出ですが、お断りさせていただきます。私はこれまでの行いで恥ずべきことなど何ひとつありませんし、報いを受ける時が来るのであれば、それはすでに決まっておりますので」
この発言に、アリスレーゼは信じられないという顔をした。
「それでは貴女は、これからも同じように戦場で殺戮を続けるというのですか!? そうしてその手を血で染め上げて、なにも感じ入ることもないって言うんですか!? そんなの――間違っています!」
間違っている。
その言葉を聞いた瞬間、能面のようなシェルファリースの無表情が、ほんのわずか乱れた。
「聖女様、不用意な発言は――」
「その通りだ!」
シェルファリースは、これはこの国の政治にも関わることだから、不用意な発言は控えてください、と言おうとしたのだが、それをアルファスが遮った。
そして、決定的な言葉を発してしまった。
「君のしていることは、徒に被害を広げ、憎しみを積み重ねていくだけだ。それでは平和など生まれない。いまこそ過ちを認め、罪を償うべきだろう」
今度こそ、シェルファリースは硬直した。
「……過ち、と。私が、エッジブレイク家がやってきたことが間違いだと。王族の一員である殿下、貴方がそれを言うのですか」
押し殺した声音で、そう問いかけるシェルファリースに、ようやく感情がうかがえる反応を示したことに気をよくしたアルファスは、躊躇なく肯いた。
「そうだ。あるいは建国当初であればそれもよかったのかもしれない。だが時代は変わる。今や暴力でもって国を守る時代ではなく、言葉による対話でもって他国と関わる世の中に変わろうとしている。聖天教がここまで広く布教されているのがその証拠だ。もはやエッジブレイク家のような武力にだけ頼った一族は時代遅れ、不要なものとなる」
そう、アルファスはより致命的なことを言ってしまった。
直後、
『――!?』
会場中を強烈な悪寒のようなプレッシャーが襲った。
まるで目の前に殺意を滾らせた猛獣が立ったかのような、背筋に氷の刃を突き付けられたかのような、心臓を死神の手に握られたかのような。
全員が瞬間的に死を予感させる気配に支配されていた。
その発生源であるシェルファリースは、久方ぶりに味わう強烈な怒りを何とか抑え込もうと、懸命に努力していた。会場を襲った圧力は、それでも抑えきれずあふれ出た、彼女の憤怒の奔流だ。
――過ちだと。時代遅れの不要物だと、そうぬかしますか。
戦場を駆け回っていた。全身を血で汚してきた。年頃の少年少女がするような趣味や遊びなど、ついぞ記憶にない。ただひたすら戦うための力を研鑽する日々。
そしてそれは彼女だけではなく、これまでのエッジブレイク家の人間、そのほとんどがそうだった。
嫌悪されてもかまわない。侮蔑だって受け入れる。憎悪されることだって耐えられる。
数えきれないほどの罪業に塗れ、いつかその清算に首を差し出すことすら覚悟している。
それもすべては国のため、民のため。国の安寧と民の平穏を守るためだ。
その覚悟を、誇りを。エッジブレイク家が払ってきた代償の数々を。
間違いだとすることだけは、許さない。絶対に。
何も知らない小娘が思い込みで囀る程度ならば、まだ許容できる。
だが、これまで忠義を示され続けてきた王族の一員が、しかも婿入りしようという婚約者がそれを口にするのは、どうあっても許し難い。
シェルファリースは大きく息を吐いた。胸の内に湧き上がった怒りと共に吐き出すことで、なんとか発散していた威圧を抑え込む。
圧力が消えてあからさまに安堵する会場。
そんな中で、いまだにアルファスは恐怖から逃れられないでいた。
なぜならシェルファリースが、これまでとは打って変わって強い視線で見据えてきているからだ。
「殿下。聖女様。もはや言葉を交わす意義が見出せませんので、失礼させていただきます。皆様方、会場を騒がせてしまったこと、お詫びいたします。私はお暇しますので、パーティを楽しんでください。では」
有無を言わさぬ口調でそれだけ言うと、シェルファリースは踵を返した。
もはや貴族の令嬢の外面を取り繕う意味もない、と判断した彼女は、武人のごとくキビキビとした動きで、颯爽と会場から去って行った。
その様を、誰もが呆気にとられて見送るしかなかった。