6話:芸術師の一日
朝、窓から差し込む光でアシリギは目を覚ます。
まだ眠たそうに目元を擦り、小さく欠伸を漏らす。そして毛布を退かすと、ゆっくりとした動作でベッドから起き上がった。画材が散らかっている部屋を歩き、台所へと向かう。だがその途中、足に何かがぶつかり、彼は歩みを止めた。
「んんぅ……」
何だと思って視線を下に向ければ、そこには毛布に包まる銀髪の少女の姿があった。幼さを残した整った容姿に、頭の両横から黒い角を生やした不思議な雰囲気を纏う少女、クロアだ。彼女は寝返りを打ち、静かな寝息を立てながら眠っていた。
それを見てアシリギは昨日のことを思い出し、面倒なことに関わってしまったとため息を吐く。
「……やれやれ、子猫みたいに寝やがって」
クロアは毛布で作った布団で眠っている。華奢な身体を更に小さくして、毛布にすっぽりと収まっているのだ。その姿は動物が身を守るような仕草にも見える。
アシリギは彼女を起こさないよう、静かに歩きながら台所へと向かった。顔を洗い、服を着替えて支度をする。そしてティーポットを取り出すと、紅茶を淹れる。次に棚からパンとチーズを取り出し、それらを散らかっているテーブルの上に置いた。用意した二つのカップに紅茶を淹れ、彼は満足そうに頷いた後近くにあった椅子に座る。
すると毛布に包まっていたクロアも匂いに気が付いたのか、モゾモゾと動き出して身体を起こす。まだ少し寝ぼけているらしく、瞼を半分だけ開けてぼんやりとした表情を浮かべていた。
「ん……」
「よぅ、おはようさん、お姫様。朝ごはん食うか?」
「……食べる」
アシリギの問いかけにクロアは夢心地のまま頷く。その頷き方もカクカクと不安定で、今にもまた眠りの中に落ちてしまいそうな程危なげな動作だった。
クロアは目を覚ます為に顔を洗い、支度を済ませるとアシリギと同じく席に座る。そして二人はいただきますと口にし、朝食を取り始めた。
「……今日は、何かすることあるの?」
「ああ。お前に街を見せようと思う。迷子になった時とか、いざという時の為に土地勘がないと困るからな」
クロアの質問にアシリギはパンを千切りながら答える。
街の構造を頭の中に入れておくことは大切だ。特にクロアのような素性を明かせない人物はもしもの時の為に逃走経路を用意しておく必要がある。そういう意味も兼ねてアシリギは街を周ることを提案した。だが当の彼女はアシリギの言葉を聞くと目をキラキラと輝かせ、手に持っていたパンを落としそうになっていた。
「じゃぁ、街を周れるの?」
「観光じゃないぞ。あくまでも道順とかを確認するだけだ」
純粋な反応を見せるクロアにアシリギは呆れたようにため息を吐く。
いかんせんクロアは幼い子供のような反応をする為、やり辛いところがある。それが彼女の美点なのかも知れないが、どうしても慣れない。アシリギは紅茶を飲み干し、お代わりを淹れた。
その後、食事を終えた二人は支度をして街を周ることにする。
アシリギは普段着の上に白いマントを羽織った格好。クロアはいつもと変わらず全身を黒いローブで覆い、しっかりとフードを被った格好。頭まですっぽりと隠れ、角も見えない為一見魔族には見えない。
「お前それ暑くないのか?」
「すごい暑いよ」
宿を後にしながらふとアシリギが気になった為尋ねてみると、クロアは真面目な顔つきで答えた。
やはり暑いらしい。今日は天気も良い為、ローブの中はさぞ蒸れているだろう。だがアシリギは「ふーん」と興味無さそうに言うだけで、スタスタと街の中を進んで行く。クロアも街を探索出来ることの方が楽しみのようで、軽い足取りでアシリギの後を追った。
街を歩いている間、クロアはキョロキョロと辺りの建物を見渡している。魔族の彼女からすれば建物一つ一つが珍しく感じるのだろう。フードで顔が隠れている為表情は分からないが、仕草からかなりはしゃいでいる様子だ。
そうしてクロアが勝手にどこかに行かないよう注意を払いながらアシリギは広場へと辿り着く。その中心には大きな人間の銅像が建てられていた。
「ほい、ここがこの〈アルファルマの街〉の中心。この広場を経由して多くの街の人が行き来してる所だ」
アシリギは銅像の前に立ち止まり、クルリと振り返ってからクロアにそう説明をした。
広場には幾つものまっすぐな道が繋がっており、その道を使うことで様々な場所に行けるようになっている。役所や冒険者ギルドといった大きな施設へもスムーズに移動出来るのだ。
「良い眺めの場所だね。絵になりそう」
「だろう? 俺もまぁまぁ気に入ってる」
「銅像の人物は誰なの? 有名な人?」
クロアは広場を一望し、目に入った銅像を指差す。何か特徴がある訳でもなく、至って普通な男の銅像。アシリギはそれを見て答えに困ったように頬を掻いた。
「あー……確かにこの街の一番偉い人の像だったかな。現役の」
「……そこはこの街を作った人とか、歴史ある戦士の像とかじゃないんだ」
「自己主張が激しい種族なんだよ。人族ってのは」
人間界では芸術文化が浸透していない。この銅像も芸術的視点から作られたものではなく、街の権力者が自分の偉さを知らしめる為に用意したものに過ぎない。
故にアシリギはこの銅像を好きになれなかった。美しさも何もない、人間の欲深さから生まれた銅の塊。薄汚れた見た目と同じく、この像の中身は酷く濁っている。
「あそこに見える大きな建物はなに?」
「あれは冒険者ギルド。昨日のレオンが所属してる組織だ。気を付けろよ? 短気な連中が多いから正体バレたら大変だぞ」
遠くに見える建物を指差して質問するクロアにアシリギは注意をしながら答える。
冒険者はクロアが兵士の次に警戒しなければならない連中だ。冒険者は依頼さえ払えばどんな仕事もしてくれるが、逆を言えばそれだけ金に困っている連中が多いということである。中には気性の荒い輩も居る為、クロアが魔族だと知ればすぐに捕まえて報酬金をもらおうとするだろう。そのような連中にも警戒しなければならない。
「ギルドは各地にあって、場所によって施設や仕組みが少し違ってたりする。アルファルマの街は結構規模が大きいから、依頼も多くて冒険者がよく集まる」
アシリギは冒険者ギルドに対して興味ない表情を浮かべながらも丁寧に説明をする。一応魔族であるクロアは知っておいた方が良いと思ったからだ。
「アルファルマは周りにたくさん村があるからな。出稼ぎにやって来る連中や、俺やレオンみたいになりたい職業があって移り住む奴らが多いんだ」
アシリギもレオンもこの街出身ではない。むしろアルファルマの街にはそういった身の上の者の方が多いだろう。皆何らかの目的の為にこの街へとやって来る。ある意味クロアもその内の一人だ。
「アシリギは冒険者じゃないんだっけ?」
「俺は芸術師一筋だ。時々レオンの仕事を手伝ってやったりしてるけどな」
ふとクロアはアシリギの方に振り返り、その綺麗な紫色の瞳で見つめる。アシリギは彼女の質問に対して懐から取り出した金の筆を見せながらそう答えてみせた。すると彼女はクスリと笑みを零す。
「仲良いんだね。レオンと」
「ただの腐れ縁だよ」
確かにレオンと行動を共にすることは多いが、アシリギとしてはあくまでも利用しているだけという節が強い。レオンもそのことを度々言及していたし、アシリギもそのことは自覚していた。それでも二人がまだ友人の関係を保っているのは、やはり互いに信頼しているからなのだろう。
「良い街だなぁ。活気に溢れてて街の人達は笑顔だし、何より街が綺麗!」
周りの景色を眺めた後、クロアはアルファルマの街が気に入ったように何度も頷く。
魔族の国がどういう場所かは分からないが、彼女の口振りからして何かと比べているようだ。それが魔族の街なのか、はたまた別のものなかは分からないが、アシリギは質問せず視線を逸らした。
「お姫様に気に入って頂けたようで何よりだ」
「あ、その呼び方やめてよ。ちゃんとクロアって呼んで」
「お姫様を呼び捨てなんてそんな失礼な真似は出来ませんな」
「もー! ほんと良い性格してるよね。アシリギって」
アシリギがちょっとからかうとクロアはフード越しでも分かるくらい頬を膨らませ、不満を口にした。そんな子供らしい態度にアシリギは面白がり、ますますからかいたくなる。
「アシリギお兄ちゃーん」
すると後ろの方から子供の声が聞こえて来る。アシリギとクロアが振り返ると、こちらに手を振りながら近づいて来る小さな男の子の姿があった。クロアは一応フードを深く被り、アシリギの傍に一歩近づく。
「ん、どうした? 坊主」
「あのね、あのね。お願いがあるの」
近くまでやって来た男の子を見てアシリギは話し掛ける。すると男の子は少し舌足らずな口調ながらもしっかりと大きな声で話し始めた。
「なんだ? 言ってみろ」
「お花畑の絵を描いて欲しいの。綺麗なお花の」
どうやらアシリギに頼みたいことがあったらしい。アシリギは芸術師としてそれなりに活躍しており、色々な意味でその名前は有名になっている。特に子供達からしたら上手な絵を描いてくれる人物は人気な為、アシリギも時折絵をせがむ子供にも会っていた。
「別にそれくらい簡単だが……」
「でもね、でもね。普通のお花じゃなくて、白夢草のお花畑を描いて欲しいの」
「……ああ、なるほど」
アシリギも子供のお願いを断る程無粋ではないので受けようとしたが、男の子は首を横に振ってお願いの詳細を伝えて来た。それを聞いてアシリギは男の子の意図を理解し、納得いったように頷く。
「それは正式な依頼だな?」
「うん、ちゃんと報酬も払うよ」
アシリギが真剣な表情で尋ねると、男の子も力強く理解する。
どうやら本気らしい。きちんと自分がお願いしていることは依頼だということを分かっているようだ。
「払えんのか? ほんとに?」
「足りなかったら僕の玩具もあげる!」
「そうかい、なら分かった。受けてやるよ」
ならば問題ないとアシリギは満足に笑い、男の子の頭に手を置く。すると男の子も嬉しそうに笑みを浮かべた。
「よし、それじゃ少し時間をくれ。早くて今日中に終わると思うから、どうせいつもの所に居るだろ? 完成したら直接渡しに行く」
「うん! ありがとう! アシリギお兄ちゃん」
それからアシリギは製作の詳細を伝え、取り決めを行う。そしてそれが終わると、男の子はお礼を言って手を振りながら去って行った。アシリギもそれを見送り、短く息を吐き出す。
「……今の、ひょっとしてお仕事の依頼?」
「ま、そういうことになるかな。朝から大繁盛だぜ」
クロアはひょこりと横から顔を出し、アシリギのことを見上げる。すると彼は冗談を言いながら懐を漁り、自分の荷物を確認し始めた。
「白夢草ってなに? 普通のお花じゃないの?」
「その辺に咲いている花ではないな。街の外に咲いていて、おまけに魔物も近くに居る」
「ええ~、危ないじゃん」
「ああ。危ないよ」
クロアが怖がるように言うと、アシリギはニヤリと笑みを浮かべる。何だか意地悪な顔だとクロアは思った。
「お前は先に家に帰っても良いぞ。道は分かってるだろ? お姫様は安全な場所にでも居れば良い」
「うっ……」
挑発するようなアシリギの言葉にクロアは言葉を詰まらせる。
わざわざ魔物がいる危険な場所に行きたくない。ただでさえ自分は身を隠さなければならないのだから、あまり危険なことはしない。それがクロアの本音であった。だがアシリギにそんなことを言われてしまえば、黙って帰る訳にはいかない。それでは自分がただのか弱い少女ということになってしまうからだ。
「行く! 私も行くよ!」
「ははは、そうかい。じゃぁ一緒に行くか。精々転ばないよう気を付けろよ」
ぎゅっと拳を握り締めてクロアはそう大声で言う。するとアシリギは面白がるようにケラケラと笑い、歩き始めた。クロアも慌ててその後を追う。
こうして芸術師の忙しい一日が始まった。