5話:取引き
「ぷはー、美味かった。ごちそーさん、レオン」
「まさか本当に支払わされるとは……」
お店を出た頃には外は夕暮れ時だった。空は橙色に染まり、人々も家に戻り始めている。すぐに闇夜がやって来るからだ。アシリギ達も家に戻る為、のんびりとした足どりで道を歩いている。その一歩離れた後ろからはフードを深く被ったクロアが付いて来ていた。
「お前明日はどうするんだ? また魔物のスケッチか?」
「ん~、もう殆ど描き終わったからなぁ……出来れば他の街に移動したい」
作品集を完成させることが目的のアシリギにとって、既に殆どのものを描き終えたこの街に留まり続ける理由はない。製作に没頭するのも良いが、それよりも今はより多くの景色や芸術品を見たいのだ。
「だけど、一つだけ心残りがあるんだよ」
「おいおい、まさかそれって……〈主〉か?」
レオンはアシリギの心残りを見抜き、嫌そうな表情を浮かべる。ガシガシと頭を掻き、レオンは短くため息を吐いた。
「あれは最難関ダンジョンの奥底に眠ってるって話だろ? 冒険者達も出会うのを恐れて近づかない程だとか」
「そうなんだよ。だから目覚めてくれないかなーって」
「それは流石に勘弁だわ」
アシリギが狙っているダンジョンの主は一般の冒険者でも見つけられないくらい深い階層に眠っている。前に活動が確認出来たのも数年前だ。そんな魔物を見つけるのは一苦労な為、アシリギとしてはさっさと冬眠から覚めて欲しいというのが本音だった。
「まぁ、仕事もあるし、まだもう少しはこの街に居るさ」
すぐに次の街に移動する訳ではない。方針も決まっていないし、製作に集中したい日もある。その間にダンジョンの主が目覚める可能性もある為、ひとまずはのんびり過ごすことにしていた。
レオンもそれを聞いて安心したのか、張っていた肩の力を抜く。彼からしてみればアシリギがまた何か仕出かすのではと不安だったらしい。
その後、三人は分かれ道に差し掛かる。そこでレオンは分かれることとなった。
「んじゃまた仕事の時はよろしくなー」
「あいよ。その時はしっかり依頼料も払ってもらうぜ」
「けっ、分かってるよ!」
アシリギとクロアに別れの言葉を言い、手を振りながらレオンは去っていく。一応は幼馴染である為、アシリギも軽口を叩きながら手を振り返して見送った。
レオンが見えなくなった後、辺りに人が居ないことを確認してからアシリギは後ろに居るクロアの方に身体を向ける。
「……んで、お前はどうするんだ?」
「…………」
話し掛けてもクロアはすぐに返事をしようとしない。表情を伺おうにも深くフードを被っている為、その顔色を確認することは出来ない。
食事の時にアシリギの師匠がクロアの祖父だと分かって以来、彼女は一言も話さなくなってしまった。自分の祖父のはちゃめちゃな行動に恥ずかしくなったのかも知れない。
「貴方は……何故かは知らないけれどおじいちゃんに認められた。金の筆を持っていることがその何よりの証拠」
ようやく口を開いたかと思えば、クロアはアシリギを指差しながらそう言って来た。その口調は何だか不満げで、アシリギを敵視しているようにも見えた。
「正直に言うと、同じ筆を持つ者として貴方を見極めたいと思っている。貴方のどんなところをおじいちゃんが認めたのか、興味あるから」
クロアにとってアシリギは無視出来ない存在である。魔王に認められた者しか持つことが出来ない金の筆を、人族でありながら授かり、自分の祖父に認められた。そんな存在、クロアかすれば正直に言うと面白くない。自分が苦労して授かれた金の筆を、アシリギは幼少の頃から授かっているのだ。そんなことを知れば多少なりとも妬みがある。だからこそ知りたい。アシリギがどのような才能を持っているのかを。
(それに、金の筆を操ってることも気になるし……)
クロアはアシリギから視線を逸らし、自分の金の筆を見つめる。
金の筆を持つことは魔族にとって大きな意味を持つ。ただ実力を認められるだけでなく、強大な力を秘めているのだ。故に金の筆を介して創造魔法を使うアシリギは、金の筆を使いこなしていることになる。
自分よりも一歩先を行っているアシリギにクロアは複雑な気持ちを抱いた。
一方でアシリギの方はクロアの言葉を聞き、見るからに不愉快そうな表情を浮かべていた。
「え、嫌だよ。だってお前仮にも王女なんだろ? 俺が誘拐したとか思われたら嫌じゃん」
「え、ええぇ~~……?」
アシリギは良くも悪くも自分勝手である。どんなことに対してもそれが自分に得があることか、それとも損となるかをきちんと分析して判断する。そして利がないと判断すれば、きっぱりとそれを切り捨てる。
同じ金の筆を持つクロアという存在は確かに興味があるし、魔族としての彼女の魅力も捨てがたい。特に彼女から得られる情報は自分に多くの新しい発見をもたらしてくれるだろう。だがそれと比べて危険性の方が高い。第三王女と言え魔族の王女が傍に居るのは人間界において大きなデメリットだし、間違って正体が明るみになった時、自分は反逆者として扱われてしまうかも知れない。魔族側の方からしても、自分は王女に近づいた不届き者として扱われる可能性がある。どのような結末になるかは分からないが、アシリギはどうしてもクロアが傍に居ることを良しとすることは出来なかった。
「だ、大丈夫だよ! ちゃんと国では準備を済ませて来たから、追手は来ないはず!」
「人間の大陸ではどうするつもりなんだ? 一発でも顔を見られたらアウトだぞ」
「そ、それは……ッ」
クロアは必死に説得しようとするが、アシリギは首を縦に振ろうとはしなかった。
なまじ彼が言っていることも正しい為、クロアは悔しそうに唇を噛みしめる。彼女の容姿も相まってその姿は子供が怒られているようにも見えた。
「どうせここに来るまでも色々危ない目にあったんだろ。魔族がこの大陸に居るなんて危険なんだよ。だから大人しく帰れ」
「…………ッ」
この街に来るまでもクロアはたくさんの人族の街や村を訪れたはずである。その間ずっと正体を隠し続けられた訳がない。転んだ拍子にフードが脱げてしまうような子である。確実にミスをしているはずだ。
そうアシリギが指摘をすると、クロアはバツが悪そうな表情を浮かべて視線を逸らした。案の定何かミスをしたのだろう。
アシリギはため息を吐き、その場を後にしようとする。だが突如、俯いていたクロアが顔を起こすと、声を上げた。
「りょ、了承してくれないならアシリギの名前を兵士に言うよ! 人間の協力者だって!!」
「はぁぁぁぁ?」
突然のクロアの発言にアシリギは振り返り、目を丸くする。彼女の言っている意味が分からず、アシリギは不可解そうに眉間にしわを寄せた。
「お前、まさか脅しのつもりか?」
「…………」
試しにアシリギが尋ねてみると、彼女は険しい表情で沈黙を続ける。肯定の意味なのだろう。アシリギはそれを見て面倒くさそうに息を吐き、頭を掻いた。
彼女は本気だ。本気で人族の世界を体験したいと思っており、それだけの覚悟がある。例えどんなことが起ころうと、どんな苦難があろうと、彼女はそれに立ち向かうつもりなのだろう。そのような相手は特に面倒だ。なにせ何を言っても考えを変えない馬鹿になってしまうのだから。
(……まぁ、魔族はスケッチしたことないから貴重なモデルになるし、師匠のことも色々聞きたいから……良しとするか)
アシリギはもう一度損得を計算し、自分を納得させる為に心の中でそう言い聞かせる。そしてクロアの方に視線を向けると、諦めたように肩を落とした。
「……分かったよ。好きにすりゃ良いさ。元々俺は他人なんだし、お前が何をしようと止める権利はないからな」
「……!」
アシリギの言葉を聞いてクロアは瞳を輝かせ、嬉しそうに表情を緩ませる。そんな純粋な態度にアシリギは呆れたように大きく息を吐いた。
「だがこの街でどう生活するつもりだ? 金は十分にあるのか? 寝床は確保してるのか?」
「え? ぁ、えっと……」
突然の質問にクロアは戸惑うように怯む。それを見てアシリギは意地悪な笑みを浮かべた。
食事の時の様子と言い、見た目からしてクロアは資金が足りていないように見える。そもそも正体が知られてはならないのだから、ろくに人前に出られないのだろう。そんな状態で満足な生活が出来る訳がない。今までは野宿という手段もあったかも知れないが、このアルファルマの街ではそうは行かない。見すぼらしい格好をして夜道を彷徨っている者などすぐに兵士に連れて行かれてしまう。
「そ、それは、その……」
クロアは困った様子で自分の懐にしまっておいた袋を見つめ、中身を確認する。だが手応えがなかったのか、彼女は綺麗な紫色の瞳を揺らした。
(こういうところで脅しを続けないところが、やっぱガキだよなぁ……)
先程は脅しで強要して来たくせに、今度はその手段を忘れている。そういうところが非情になり切れない子供だとアシリギは見下した。だがそれは同時にクロアが悪いことの出来ない純粋な子であるという証明でもある。
「ないならウチに来い。お前みたいな爆弾が外でウロチョロされたら迷惑だし、それで俺の名前を兵士に告げ口されちゃ困るからな」
アシリギは大層不愉快そうな表情をしながらもクロアを受け入れることにした。
どうせ放置していても彼女はこの街に居続ける。それならいっそのこと手元に置いておいた方が安心だと、彼は判断したのである。
「えっ、良いの……?」
「別に大した問題じゃないさ。ちょっとモデルになってもらえりゃ家賃もタダにしてやる」
「え、ええッ……?!」
そろそろ辺りも暗くなってきた為、アシリギは家に帰る為に歩き出す。クロアは慌ててその後を追い掛けた。
「ちょっと待って! そ、それ脱ぐやつとかないよね?!」
「さぁ、知らねー。来るか来ないかはお前の好きにしろ」
「あ、ちょっと! 待ってよ! アシリギってば……!!」
クロアの質問に対してアシリギは適当に返事をする。すると彼女は怒っているのか困っているのか分からない曖昧な表情を浮かべた。それを見てアシリギは愉快そうに笑う。
また一つ、興味深いものが出来た。