3話:二人の出会い
本来魔族が人族の大陸に居ることはありえない。彼らは独自に文化を築き、魔の大陸にある魔国〈エルドア〉で暮らしている。干渉があったのは前に人族と魔族の戦争があった時くらいだ。それ以降は互いに不干渉の条約を立てているはずである。もっとも人族と魔族の争いは未だに裏でこそこそと続いてはいるが。
だがいずれにせよ、人族と魔族が険悪な仲であることには違いない。人族も魔の大陸のような恐ろしい大陸には行きたくないと思っているし、魔族もわざわざ人族の大陸に訪れるメリットはないはずだ。
それにも関わらず魔族の少女はこの大陸へとやって来たということは、何か大きな理由があるということである。例えば人族の大陸を支配する下準備とか。
だとすれば普通の人間ならば突然魔族と出会えば警戒するはずであった。相手の目的が何だろうと敵であることには変わりない。普通の人間ならそのような対応をする。そう、普通ならば。
「へー、魔族かぁ。こうして間近で見るのは初めてだな。驚いた。まさか人間の大陸で魔族に会えるとは」
アシリギは魔族の少女に対して警戒心を強めることもなく、物珍しそうに彼女のことを観察した。
歳はアシリギより少し下か、幼い雰囲気が漂っている。表情も小動物のリスのようで、先程からプルプルと震えている仕草と相まってとても可愛らしい。恐らく世間一般的にいうところでは守ってあげたくなるような娘なのだろう、とアシリギは思った。
「う、うぅ……あまり見ないでください」
すると少女はアシリギが危険な存在ではないことを知ると安堵し、同時に恥ずかしそうに自身の角を抑えた。角を見られることが恥ずかしい訳ではなく、単純に自分の身体をジロジロ見られるのが恥ずかしかったのだ。
「その角どうなってるんだ? 頭から生えてるのか? 他にも人族とは違う身体的特徴とかある? 例えば尻尾とか……」
「え、えぇ? えっと、その……」
好奇心旺盛なアシリギは滅多に見られない魔族に興奮し、紙と鉛筆を取り出しながら質問し始める。すると少女は突然迫って来るアシリギに困惑し、グルグルと目を回してしまった。
「あ、そうだ。筆だ。なぁお前、その〈金の筆〉どこで手に入れたんだ?」
ふとアシリギは自分が少女を追い掛けていた理由を思い出し、懐から自分の金色の筆を取り出す。そして少女の腰にぶら下がっている金の筆を指差し、自分の筆も見せながらそう尋ねた。
「えっ……その筆、わ、私と同じ筆っ……何でそれを!?」
「だからそれを俺が質問してるんだって」
少女は自分の金色の筆を手に取り、アシリギの物と見比べて驚いた声を上げる。すると焦った様子で彼と同じような質問をして来た。話が進まないことにアシリギは額に手を当て、ため息を零す。
「おい、君達!」
その時、後ろの通路の方から騎士の声が聞こえて来た。どうやらアシリギ達の事を追って来たらしい。少女は慌ててフードを被り直し、角を隠す。
「君、さっきゴーレムを倒してくれた人だね? ようやく追いついた……」
追って来たのは若い騎士の男だった。上司に追い掛けるよう指示されたのだろう。未熟な雰囲気が漂っている。アシリギは自分に対して害がない存在だと判断すると興味なさげに頭を掻いた。
「素晴らしい戦いぶりだったな。何が何だか分からなかったが、凄い魔法だった。君達は冒険者かい?」
「あー、まぁ、はい。そんなところです」
正直に答えるのも面倒だったのでアシリギは適当に受け応えをする。それにすぐ横には魔族の少女も居る為、同じ冒険者だということにしておくと都合が良い。少女は騎士達に対して敵意はないようだし、隠れるようにアシリギの傍に寄っている。つまり人間達をどうこうしようと考えている野蛮な性格ではないということだ。聞き出したいこともある為、アシリギはこの場は少女を庇うことにした。
「隊長が是非とも話をしたいと言っているんだ。勇者殿も居るし、二人共是非……」
「すいません。こいつさっきの戦闘で怪我しちゃったんで、急いで治療しないと」
騎士の言葉を遮ってアシリギは少女の肩に手を置いた。少女はビクンと身体を揺らし、怯えたような瞳をアシリギに向けて来たが、彼はそっと彼女に囁いた。
「話合わせろ。お前も奴らに正体バレる訳にはいかないだろ?」
「えっ……あ、ぅ」
少女も騎士達の前で魔族と知られる訳にはいかないはずだ。アシリギも騎士達の面倒な話し合いに捕まりたくない為、二人の利害は一致していると言える。すると少女も納得してくれたのか、力なさげにコクンと頷いた。
「だ、だが少し話すだけでも……」
「じゃぁ俺らはこれで。ほら行くぞー」
「う、うん」
断られると思っていなかった騎士はスタスタと移動してしまうアシリギ達を止めることが出来ず、呆然と立ち尽くしかなった。それを良いことにアシリギはスイスイと通路を進んで行き、騎士団と鉢合わせにならないよう、別の通路を使って出口へと向かった。幸い帰りは魔物に襲われることはなく、あっという間にダンジョンを脱出する。そして見張りの騎士達に気付かれないように移動し、街への帰り道へとついた。
「ふー、いやぁ良いもん見れたなぁ。まさか古代兵器のゴーレムを描けるとは。この街に来た甲斐があるってもんだ」
アシリギは腕を伸ばし、息を大きく吐き出しながらそう感想を零す。
今回の収穫は彼にとって色々と大きかった。気になっていた古代兵器のゴーレムをデッサンすることができ、ついでに聖剣の創造も出来るようになった。地味に美味しい。アシリギは見るからにご機嫌だった。そんな彼の後ろではまだ警戒心を解いていない魔族の少女が少し距離を置きながらアシリギの後に続いていた
「そう言えばお前何でゴーレムの挙動が分かったんだ? 熱を発する前に勇者に警告してたよな?」
「…………」
ふと顔だけ向けてアシリギはそう尋ねる。
そもそもはゴーレムのことを魔族の少女に聞こうと思ったのだ。無理に聞き出すつもりはなかったが、こんなことになったのだからついでにと思って彼は軽い口調で質問した。すると少女は少し迷うように視線を動かした後、おもむろに口を開いた。
「魔国では古代文明の研究が進んでいるの。だからゴーレムの性能や攻撃パターンも既に解明している……それであの時は、つい……」
どうやら人間の国よりも魔族の方が古代文明の研究が進んでいるらしい。人間達にとってはただの置物と同義だった古代兵器のゴーレムのことも詳しく知っているのだから、大分調べ上げているのだろう。随分と差が広がったものだとアシリギは興味なさそうに鼻を鳴らした。
(と言うかつい、って……それで天敵の勇者を助けるかね)
あの時の少女は確かに思わず叫んでしまった、という雰囲気だった。彼女は魔族であり、人族に正体を知られてはならない存在である。ましてやあの時あの場所には勇者が居た。魔王の宿敵である勇者を助けようとするなど、普通の魔族ならばしないだろう。このことからアシリギは魔族の少女がかなりのお人好しで、純粋な性格なのだろうと判断した。
「本当は関わる気なかったんだけど、あの勇者がゴーレムの起動スイッチを押しちゃうから……」
「……あいつのせいだったのか」
どうやら魔族の少女は単純に人族のダンジョンが気になって訪れていただけらしい。するとあの勇者が貴重な古代文明が残っている場所をズカズカと荒らした為、誤って起動スイッチを押したとか。それで後から騎士団が駆け付けたという訳だ。これで何故勇者が初級のダンジョンに居たのかも納得いった。そしてアシリギは同時に勇者に対しての評価を下げた。
「まぁ何にせよ、お前に敵意はないってことは分かったよ」
とにかく一番重要なのは少女が危険な魔族かどうかである。今までの立ち振る舞いから見る限り少なくとも彼女に脅威は感じられない。むしろ対話の余地は十分あるように見られる。
ふとアシリギは視線を先に向ける。街の門が見え始めていた。
「で、色々聞きたいことがあるんだけど……とりあえず家来るか?」
もうそろそろ街に到着する為、アシリギは少女の方に振り返ってそう尋ねた。
その中に入れば人に聞かれず話せる場所は少ない。安全な場所はアシリギが借りている宿の部屋くらいしかないだろう。
そのことを伝えると、少女は迷うことなく真っすぐな瞳で頷いた。
「うん……私も、詳しく聞きたいことがあるから」
彼女もアシリギには筆のことで聞き出したいことがあった為、その話を承諾した。
こうして二人は〈アファルマの街〉へと入る。門番がフードを被った少女のことを気にしていたが、アシリギが友達だと伝えると難なく入ることが出来た。そして寝泊まりしている宿に到着すると、早速部屋の中へと入った。
一人が使うには少し広めの空間で、家具は最低限しか置いていない部屋。辺りには画材が散らかっており、床には何枚も絵が置かれていた。
アシリギは少女を適当なところへ座らせ、一応客人へのもてなしとして飲み物を用意する。
「ほい、飲み物。あんま美味しくないかも知れないけど、喉を潤す程度に」
「あ、どうも……」
アシリギがカップで飲み物を手渡すと、少女はお礼を言って受け取る。そして珍しそうに匂いを嗅いだあと、疑うことなくその飲み物を口にした。お口に召したのか、更にもう一口飲む。こういうところは子供らしいなとアシリギは横目でそれを眺め、自身もカップに口をつける。
「それじゃ、まずは軽く自己紹介しておくか……」
そしていよいよアシリギは話を切り出す。まずは互いがどのような人物なのかを知る方が良いと考え、自己紹介から始めることにした。
「俺はアシリギ。職業は芸術師。この街には住んでる訳じゃなくて、色んな所を周って活動してる」
自分の胸に手を当ててわざとらしい会釈をしながらアシリギはそう説明をする。すると少女はカップを両手で持ったまま、気になるようにコテンと首を傾げた。
「芸術師?」
「んー、まぁ、絵を描くのを依頼されたり、珍しい物取って来たりだとか、芸術関連のことをする仕事だよ」
どうやら魔族の少女には芸術師という仕事がピンと来なかったらしい。アシリギは詳しく説明するのも面倒だった為、軽い説明だけしておいた。すると少女はそれで納得したのか、何度も頷く。
「それで、お前の方は?」
アシリギは壁にもたれ掛かり、改めて少女にそう尋ねる。すると少女は持っていたカップに視線を落とすと、僅かに迷うように唇を噛んだ。だが覚悟を決めたように顔を上げると、フードを脱ぎ、黒い角を露わにして口を開く。
「私は……クロア。クロア・ガーロット・エルドア」
魔族の少女クロアは緊張するように僅かに声を震わせながらも、しっかりと言い切って見せた。その名前を聞いて随分と御大層な名前だなとアシリギは思い、改めて頭の中で彼女の名を思い浮かべる。そしてある違和感を覚えた。
「……待て、今エルドアって言ったか?」
アシリギは動揺するように額に手を当て、クロアのことを指差して確認を取った。
何かが引っ掛かる。重要なことを忘れているような時の感覚。その違和感の正体を必死に頭を動かして探す。
「うん、エルドア。それが私のラストネーム」
「お前それ……国の名前じゃねぇか。魔国って〈エルドア〉だろ?」
アシリギはハッと顔を上げ、違和感の正体に気が付く。
どこかで聞いた覚えのある名前だと思えば、そもそも魔族の国の名前がエルドアだ。だとすれば、それが意味することは……。
「そう。だから私は魔王の孫娘。魔国エルドアの第三王女、だよ」
クロアは自分の胸元に手を当て、ニコリと可愛らしく微笑みながらそう言う。その言葉を聞いてアシリギは思わずその場に崩れ落ちそうになったが、何とか意識を保ち、声を絞り出す。
「マジかよ……」
流石のアシリギも力なく笑い、頭を抱える。
あまりにも自分の手には負えないものを匿ってしまった。そう彼は今更ながら自分の行動を後悔するのであった。