自分ってどうしてこんなに好みが多いんだろう?
はじめまして、見埜と申します。
この度は、このエッセイを覗いて下さり、ありがとうございます。
はじめに注意書きをしたいと思います。
このエッセイは、あくまで見埜の個人的な見解、価値観、考え方、あるいは偏見で成り立っております。
「こんなのありえない」、「意見が合わないから訂正しろ」等の感想を持たれる方もいるかもしれません。
ご注意ください。
誤字脱字、表示上の問題で、読みにくい場合もあるかもしれません。
誤字脱字(他にも改行がおかしいなど)はなるべく訂正していきますが、表示上の読みにくさは対応しかねる場合がございます。
あらかじめご了承ください。
このエッセイは、個人的な主観で書きなぐっておりますので、「話が飛んでいる(可能性大)」、「理論展開が意味わからない」ことがあるかもしれません。あらかじめご了承ください。
このエッセイは、「対人」を考えていません。
あくまで、物語の中のキャラクターや物語そのものに対しての好みを言及します。
「現実の人」に対する好みは含まれません。
また、しつこいようですが、あくまで個人的なものです。
見埜は女です。
男性視点ではありませんので、共感しにくいこともあるかもしれません。
「あー、見埜って女はこんなのなんだ」、と読んでいただけたら幸いです。
あらかじめご了承ください。
見埜は若輩者です。
いたらない点が多々あるかと思います。
その時も、感想やメッセージでお伝えください。できる限りの対応をしたいと思います。
※メッセージを送っていただく場合は、このエッセイを読んだことを添えてくださるとありがたいです。
以上の点を、「生あたたかいまなざしで、広い心で許そう」という方、どうぞ、ご覧ください。
せめてもの暇つぶしになりますように祈っております。
☆
では、本題に入りたいと思います。
このエッセイは、「見埜ってどうしてこんなに好みが多いんだろう?」ということがテーマです。
つまり、「見埜はどうして気が多いのか」ということです。
最近、友人との会話で改めて「見埜は好みの幅が広いよなぁ」と感じ、「エッセイでも書いてまとめるか」と思い立ちました。
完全に自己満足のためなのですが、まだ見ぬ同志がいて、共感を得られるかも、と浅はかにも考えてエッセイを公開しました。
誰か仲間がいるといいな。
くだらない欲望はさておき。
見埜は本当に好みの幅が広いです。
小説、ゲームなどの物語性のあるものは、キャラクターも物語の種類も幅広く好きなものがあります。
例えば。
キャラクター(男子キャラに限ります。)ならば、「ツンデレ」、「クーデレ(クールなやつがデレる)」、「影のあるやつ」、「純真無垢なやつ」、「苦労人」、「性別を感じさせない人」...などなど。
キリがないのでここまでにします。
一見すると統一性がないですね。むしろ、嫌いなやつ以外は好きと言えるかもしれません。
物語の種類も、「恋愛」、「ファンタジー」、「推理」...などなど。
この分類をさらに分類分けしたら、とんでもない数になります。
例えば、「ファンタジー」なら。
「異世界転生モノ、トリップもの」、「悪役転生」、「異世界を舞台にした恋愛」、「冒険者、勇者」...などなど。
うん、キリがないです。
ほかは割愛させていただきます。
見埜の好みが幅広い(節操なしとも言えます。)のはお分かりいただけたかと思います。
この先では、主にキャラクターの好みについて吐き出そうと思います。
物語の好みにも戻りますので、ご注意ください。
ある時、ふと思いました。
「なんでこんなに好みが多いんだろう?」
「好みが多い=好きなキャラが多い」
というのは、見埜の感覚です。
そして、その「好き」は、物語の中のキャラクターに感情移入していたとしても、見埜の中では、「恋愛感情」に近いのです。そのキャラクターに「愛着という名の執着というこだわりを持つ」、という意味で。
しかも、同じ作品のキャラクターに飽き足らず、色々な作品のそれぞれのキャラクターが好きになるのです。
悩みました。
それはいわば、気が多くて移り気で、「みんな愛してるから許して」と言わんばかりの不誠実な態度ではないかと。
もちろん、対象はあくまで創作物のキャラクターです。
気にしなくていいこととは思います。
けれど、キャラクターたちが好きすぎて、見埜は自分の態度に違和感を持ってしまったのです。
そうして、考えました。
結果。
「面白い作品が多いからじゃん」
この結論にいたりました。
これは自分で自分に目からウロコでした。
なぜなら、キャラクターへの「気持ち」を考えていたら、その大元の作品への「気持ち」にたどり着いてしまったから。
客観的に見たらまた別ですが、主観的に考えていたので、かなり意外に思えたのです。
(冷静になればアホな悩みだな、と思えます。)
ではなぜ、「面白い作品が多い」から「たくさんのキャラクターを好きになる」のか。
それはもう、明らかに、その物語の魅力にやられてしまったからです。
物語には多くの要素があります。
まずは世界設定。
そこがどんな世界で、人々はどんな価値観を持ち、どんな文化の中で生きているのか、どんな生き物がいるのか、どんな現象が起こるのか...などなど。
それからキャラクターたち。
(上記の環境の中で、)どんな気持ちで、どんな条件(持って生まれた才能や容姿などの特徴)で、どんな性格で、どんな人と関わって生きているのか...などなど。
見埜がない頭でざっと思いつくだけで、キリがありません。
それだけ、作品には要素があり、その要素を決定づけるには、その作者さんの考えがあります。
つまり、「作者さんがいかにしてひとつの世界を作り上げるのか」が、見埜の好みに触れるか否か、に繋がるのだと思います。
作者さんが作る、「世界」の要素の中には、上記にもあるように、キャラクターが欠かせません。
物語の魅力としては、大きなものではないでしょうか。
作者さんが一生懸命考えて作り上げたキャラクターたちは、多くの魅力があると思うのです。
そして見埜は、その魅力にやられまくっています。
突然ですが、好みとは、「共感」だと思います。
共感が多ければ、「好き」も大きくなります。
結局、見埜は多くのことに「共感」するのだということですね。
そして、共感が多い作品を好きになっています。
そして、たくさんの物語が、その中で生きるキャラクターたちが好きなのです。
つまり、好みの物語が多いということです。
★
以下は話題が変わります。次の★まで飛ばしていただいても構いません。
(余談ですが、)
「好みの物語が多い=好みのキャラクターが多い=気が多い」ことがいいのか、悪いのか、という疑問が生まれました。
上記にも書きましたが、これは「気が多い」ことに繋がってしまいます。
「気が多い」ことがいいかどうかの意見もはっきりしたものではないと思いますが、少なくとも、見埜はいいと思っていませんでした。
けれど、面白い好みの物語に罪はありませんし、もちろんその中に生きているキャラクターたちにも罪はありません。
では、それを好きな見埜には罪があるのか?
そこまで考えてみて、あるなしは決められないことに気づきました。
なぜなら、自分次第だと思ったからです。
価値観はいくらでも変えられるし、細かい条件だってつけようと思えばつけられます。
考えていて、くだらなく思えてしまったんです。
それなら、そこに結果を求めるのはやめて、ただただ、物語やキャラクターを好きでいたらそれでいいじゃない、と。
★
え?ここまでぐだぐだ書いといて、結論がこんなくだらないなんて?
見埜もそう思います。(おい。)
あらかじめご了承願ったように、これはあくまで見埜の個人的価値観です。
ですが、見埜にとってはひとつの真剣な悩みと真剣な答えです。
くだらなくて真剣なことなのです。(しつこい。)
つまり、見埜は物語が大好きだし、キャラクターたちが大好きなのです。
もちろん、好みでないものはあります。
そちらの方がはっきりしているくらいです。
(ですが、いつ好みに変わるかはわかりません。)
そして、それらも大切なものだと思います。
なぜなら、それら「好みでないもの」がなければ、「好みのもの」なんて生まれないからです。
(対の存在という意味で、です。)
〇
改めて結論。
(本当にぐだぐだとわかりにくいので。)
見埜の好みがなぜ多いのか、の答えは、好きな要素の物語が多いから、です。
〇
☆
見埜の見埜による見埜ための、くだらない自己満足に最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
くだらない自己満足なので、当然、主観的でございます。
そのため、見埜が全く気づいていない矛盾点などもあるかと思います。
気になった箇所の答えが知りたい、など。
ここ突っ込みたい、など。
遠慮せず気軽にぶつけてください。
感想を貰えるだけでも嬉しいです。
評価ポイントを入れくださるだけでも大歓迎です。
見てくださっただけでも大変ありがたいです。
長々と失礼しました。
ここまで読んでいただきありがとうございます。