小国イグニース
連載にする予定ではなかったので数話で収めようと思います。
やっと一作連載が終わったばっかりだったのに。
この国イグニースは東に海が広がり残りの三方を高い山に囲まれた小さな国だ。
そしてその山々の中でも一番高いカリエンテ山には昔から竜が住むと言われている。これは噂でも物語でもなく本当のことだ。
街から遠くのその山々の上を悠々と飛ぶ竜が時々人の目にも映るのだった。
イグニースは小国ながら海と竜に守られた平和な国だった。
小国の人々は働き者で明るく気のいい人が多く見られる。
そしてその小国を収めるのはデフェール王である。彼はこの小国の人々の気質をそのままにとても気の良い王であった。
その王には一人の娘がいた。生まれてすぐに母を亡くしたその子は3歳だが明るく元気で、そして大変愛らしい姫であった。見た目だけは………
「姫様〜、フレア姫様〜、お願いですからでてきてくださーい!」
半泣きで叫びながら走っているのはフレア姫の侍女のカーラだ。
「カーラ、また姫様に逃げられたのか?そろそろ学習しろよー」
庭師のサムが笑いながら声をかけた。カーラはその声に足を止めて顔を向けた。
「サム!だって『喉が渇いたわ。カーラの入れた冷たいレモン水が飲みたいの』なんて可愛らしく言われたらすぐに用意して差し上げたくなるんですものぉ!」
「それでその隙に姫様に部屋から逃げられたんだろ?
昨日は確か『カーラの作ったクッキー』だったろ?その前は『カーラの剥いてくれたオレンジ』だろ?その前は…」
「あーもー!それ以上言わないでよ!
わかってるわよ私だって。そもそもこの城に姫様のお願いを断れる人なんてどこにもいないでしょ!」
「まあ確かに。
でもなぁ、その度に逃げられるんだから何か対策を考えろよな」
涙目で訴えるカーラに呆れた眼差しで容赦なく指摘するサム。そもそも『カーラの剥いてくれたオレンジ』って何だよ!とツッコミたい。
2人がそんなやり取りをしているところに低く何処か甘やかに感じる、だけど聞き慣れた声が届いた。
「フレアならここにいるぞ」
「「イグニート様」」
振り向いた先には長身で立派な体躯。腰まである紅の髪は後ろでゆるく結び、髪と同色の瞳を優しく細めてその腕に抱いた幼い少女を優しく見つめる美しい青年がいた。
ただし、その青年の瞳の中の瞳孔はなぜか縦長だった。
青年の腕の中には日にあたりキラキラ輝く金の髪をした小さな少女。髪と同じ色の長い睫毛に覆われた青年と同じ色の瞳はしっかりと閉じられていた。
「我の膝の上でココの実を食べてそのまま寝てしまったのだ」
愛しげに瞳を細めて見つめそっと髪を撫でた。
「まあ、そうでしたの。
あの、そのまま姫様をお部屋までお連れして頂いてもよろしいでしょうか?」
「ああ、元からそのつもり故構わぬぞ」
優しく抱き直しカーラに着いて城に入って行った。
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「姫様〜、フレア様〜〜」
「カーラ!」
「あ、サム〜〜〜っ、姫様見なかった?」
「相変わらず姫様に振り回されてるなぁ」
そう言って涙目のカーラの頭をよしよし、とばかりに撫でてやる。
「今日はどうやっていなくなったんだい?」
「図書館で勉強されてて、必要な本を一緒に探して欲しいって。それで2人で探してたはずなのに気がついたら姫様いらっしゃらなかったの」
涙目のまま頬を膨らませるカーラを愛しげに見つめるサム。
その視線に気付いたカーラとサムの顔が少しずつ近寄っていく。あと少しで唇がくっつく、というところで
「仲良しねぇ〜」
笑いを含んだ声が聞こえた。
2人がバッと慌てて離れて横を向くとそこにはクスクスと手で口を隠して笑う15くらいの美しい少女がイグニートと呼ばれる青年に腰を抱かれて立っていた。
「〜〜〜〜〜〜っ、姫様っ!」
2人に今の場面を見られたと顔を真っ赤に染めて大声を出すカーラ。
「まあ、そんなに怒らなくてもいいじゃない。2人は婚約しているのだから堂々と口づけくらいすればいいのよ。そもそもそのくらい見せつけないとサムのこと狙ってる子は多いんだからね!」
そうなのである。庭師のサムとフレアの侍女であるカーラは只今婚約中のラブラブカップルなのである。
お城のお姫様付きの侍女が平民のはずもなくカーラは伯爵家の三女。そしてフレアとは乳姉妹でもある。そのような貴族の娘であるカーラと只の庭師のサムの婚約は通常ではあり得ないのだが、実はこのサム、ほとんどの人間に知られていないが侯爵家の嫡子なのである。
貴族であるにも関わらず庭師をしているあたり変わり者と思うなかれ。彼は己の趣味である植物の栽培を有効活用しつつ城の中で働く人間の動向や職務状況を確認しているのである。勿論人事部の執務室でキチンと仕事をしている時もある。庭師をしている時間が圧倒的に長いとはいえ。
そして只の庭師と侮りサボったり陰口を言おうものならあっという間に降格したり、首になったりするのだ。
勿論普通であればすぐにその身元はバレてしまうのだが髪をボサボサにし帽子を被りあちこち土汚れをつけて一応変装しているのである。ちなみにこちらの変装も趣味である。
フレアの言うサムを狙っている、というのは侯爵家嫡男という立場のサム、いや本名サンフレイムを狙う貴族令嬢たちのことである。
身だしなみを整えたサムは栗色の柔らかな髪を長めのショートカットに整え、明るい緑色の目はいつも優しげで通った鼻筋に薄めの唇は文句なしのイケメンである。
そして腰まである金茶のサラサラなストレートの髪を仕事の時は首の後ろできっちりとまとめ、水色の瞳のカーラもまたかなりの美人であり、2人が並んだ姿は美男美女のお似合いなのだ。
「姫様?いつも言いますが今の私は只の庭師のサムです。その私とカーラが仲良くする姿を見せつけると困るのはカーラなのですよ。カーラには侯爵令息の婚約者がいる身ですからね」
「むぅぅっ、わかってるわよ!
でも何でみんな気付かないのかしらね?サムもサンフレイムもおんなじなのに」
プクッと頬を膨らませ拗ねたように話すフレアも愛らしく隣りのイグニートはツンツンとその頬を指先でつつく。
「もうっ、イグ!ほっぺをつつかないで!穴が開くでしょ」
そう言って怒るフレアをクスクスと笑いながら抱きしめるイグニートの胸をポカポカ叩くが全く効果はない。
「今の私をサンフレイムと同じ人物だとわかるのは陛下と姫様と私の上司で父である宰相殿だけですよ。あ、カーラは当然ですけどね」
なぜかこの四人にはどんなに変装してもバレてしまうのである。
「それよりも姫様こそイグニート様と相変わらず仲良しですねぇ」
「あら、当たり前でしょ?大切な婚約者様なんだから。
でもちょっぴりムカつくのはイグには内緒よ?」
チラッとイグニートの顔を見上げて悪戯っぽく笑いながら言うフレアは、当然その言葉がイグニートの耳に届いているのは承知の上だ。
当の本人は片眉をクイッと上げて面白げに笑うだけ。
どんなに悪態をついても冗談だとちゃんと知っているのだ。
そうして今日もいつも通りの一日が過ぎるのだった。
いや、過ぎるはずだった。
その頃国王の執務室ではこの国の王であるデフェール王と宰相が執務机の上の一通の書簡を睨み唸っていた。
「陛下、どうしますか?
というかそもそもなぜ姫様の存在を他国の王が知っているんですかね?」
一国の姫の存在をまるで知らなくて当然のように話しているのにはこの国の特性が理由だ。
前述したようにこの国は海と山に守られている小国だ。ただ山は兎も角海は渡ろうと思えばいくらでも渡って攻めて来ることも貿易もできる。しかし、この国の目の前の海は簡単に渡ることのできないものなのだ。
漁業をするための港もあり、この国の人間なら普通に海に出て魚を採って帰って来ることができる。しかし、少し沖に出ると海流が激しくある航路をたどらなければ決してこの国に入って来ることはできないのだ。そしてその航路は月によって海流が変わるのに合わせて変化する為、この国の慣れた人間でなくてはわからない。
外交もなく本当に閉ざされた国なのだ。しかし気候も一年を通して暖かく作物もよくとれ、また鉱山もあるため生活は自国だけで賄うのに何の問題もないのだ。
そんな平和な、他国との交流の全くない国に他国の王から手紙が届いた。これは一体どういうことなのか。
暫く考えていた王はふと何かに気づいたように顔を上げた。
「そういえば半年前に港にぼろぼろの船が辿り着いたと言ってなかったか?」
「はい。なんでも交易に出たところ嵐にあい方向も何も分からなくなって進んでいるうちに海流に巻き込まれたとか。
確かに着いた時には船はいつ沈んでもおかしくない状態で、乗組員もぐったりしていたと報告がありました。脱水症状を起こしていたから医療院に運んで治療してもらったそうですよ」
「それでその乗組員はどうした?」
「はい。一名は手当が少し遅かったようで着いた晩には亡くなったそうです。残りは11名いましたが、元気になり船が直るまで街で仕事を探して生活していました。二月程でどうにか航海できるまで直すことができたとかで8名は帰って行きました。勿論航路については口止めをして月によって航路が変わることは伝えておりません」
「ん?3名足りんじゃないか?」
「ええ。そのうちの1名はまだ年若くこの国で伴侶となる者に出会ったそうで、そのまま婚姻を結んでその娘の家に入っています。なんでも1人娘だったそうで。
残りの2名はどちらもそこそこな年齢で今回の航海で引退するつもりだったとか。身内もおらずこのままここで老後を過ごしたいと言うので確か海の近くで魚を採ったり漁業の手伝いをして生計を立てていると聞き及んでおります」
そこまで会話を交わしてお互い考え込んだ。
可能性があるとすればその帰って行った者たちだ。
この国では小国であるが故危険も殆どなくフレアもよく街に降りているのだ。街の者たちも顔を知っており、フレアの行動を温かく見守っている。船が港に入ったと聞き、その者たちに他国の話を聞きに行ったと報告があった。
「しかし、仮に姫様の存在を知ったからといって帰って行った者たちはこの国に再び辿り着くことはできますまい。となればこの手紙はどうやって届いたか、ということにもなりますが」
「………考えてもわからぬな。しかし、フレアを嫁に、と言ったところで放っておいても問題ないものか。
この国には入ってこれぬとは思っていても、現実、この手紙が届いておるからのお」
この手紙には国王の1人娘であるフレアを側妃として寄越せと書いてあるのだ。
そして寄越さぬ時はこの国を滅ぼして手に入れる、と。
また嫁ぐ事に合わせて国交を開始、この国で取れる鉱石やこの国でしか採れない珍しい果物などを低価格で卸せと言って来たのだ。
そして、この国を自国の統治下に置き、第二王子を王太子としてこちらに寄越すとも書いてあった。
実際、彼の国がこちらに攻めて来ればあっという間に滅ぼされるのは目に見えている。そして統治下に置く、と宣言するだけあって彼の国はこの世界でも1番の大国なのだ。
その名をクロウカシス帝国。
確かにこの国は閉ざされた国ではある。だからといって外の情報が全くないわけではない。いや、小国だからこそ、自国を守るためにも情報収集は欠かせないのだ。
だが、流石にクロウカシス帝国の上層部の情報までは手に入らない。
どうしたものかと頭を悩ます2人だった。
そこへ
「お父様、美味しいケーキを買って来たの。一緒に食べませんか?
あ、フェルドおじ様もご一緒だったのね。たくさん買って来たからおじ様のもあるわよ」
話の中心となるフレアが入ってきた。その後ろには当然のようにイグニートの姿がある。
自分で茶器を載せたワゴンを押しコテンと首を傾げて可愛らしく誘われたら断れないだろう。
更に父のそばに立っている宰相を目に留め、悪戯っ子のように笑って声をかけた。
実の叔父ではないものの幼い頃から可愛がってくれた宰相の事をフェルドおじ様と呼んで懐いている。
悩みは尽きないがとりあえずは可愛いお姫様とケーキを食べて思考をリセットしようと手紙をしまったのだった。
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その手紙が届いてから一月後、港にはこれまで見たこともないような大きな船が入ってきた。
街の人々はこの大きな船と、そこから降りてきた甲冑を纏った筋骨逞しい兵達に恐れと不安を抱き家の中に早々に入ってこっそりと外を伺っていた。
その兵達の最後にがっしりとした背の高い、銀色の短髪に水色の冷たい目の随分と顔の整った男が降りてきた。
そしてその男に素早く走り寄ったのはあの嵐にあい老後をここで暮らしたいと残った男のうちの1人だった。
「グレイシア様、お待ちしておりました。
航路は如何でしたか?」
「ああ、ジエロの報告のおかげで何事もなく来ることができた。助かったぞ。
さて、では城に案内してもらおうか」
「はっ!」
このやり取りを遠目で見ていた漁師の仲間は何があったのかとジエロを心配そうに見ていた。それなのにジエロはまるで主君に礼を取るように片膝をつき何やら話をしている。更にまるで案内するように城への道を先導しているではないか。
「おい、まさかジエロのやつ…」
「ああ。
俺、城まで報告に行ってくるわ!お前らとりあえずあの船見張っとけ!なんかあったら連絡しろよ」
そう言って男達の中でもリーダー格の1人が城への近道を走って行った。
その姿を見送った後、男達は物陰から船や兵の動向を見張る事にした。
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バタバタバタッ
ガチャッ
「失礼しますっ!」
激しい足音の後ノックもなくいきなり国王の執務室の扉が開かれた。
「何があった?」
それでも国王も宰相も叱責することなく尋ねる。
城の中をバタバタと煩く走り、あまつさえ国王の執務室をノックもなく開けるなど無礼な!と怒鳴られても仕方ないが、何事もなくしっかりと訓練をした城の騎士がこのような暴挙に出ることはないと2人とも理解しているからだ。
「はっ。
港に見知らぬ大きな船が入り、そこから甲冑を纏った兵達が入ってきたと、港の漁師が慌てて報告に来ました」
「何?」
「また、以前助けて港の近くで暮らしているジエロがその船から降りた一際目立つ男を先導してこちらに向かっていると」
「ふむ。なるほどな、そのジエロとやらがどうやったかはわからぬが情報を流していたとみて間違いないだろうな。
よし、門番にジエロとその者を謁見の間に通すように連絡してくれ。
それから、騎士団長に緊急時の配置に着くよう連絡を」
どうやら何も返事をしないこちらにしびれを切らし、クロウカシス帝国が乗り込んで来たようだ、と2人は頭を抱えた。
そこではたと気付きガタンッと音を立てて慌てて椅子から立ち上がる。
「フレアはどこにいる!」
「本日はイグニート様のところに朝からお出掛けです。帰るのは夕方になるとカーラより報告が来ております」
そこまで聞いて安堵した。
「それならまずは大丈夫か。
フレアが戻る前に帰ってくれると助かるのだが、そうはいかんだろうな」
フーッと息をつくも安心はできない。
「一応大国の使者ですよ?流石にちょっと話してすぐに帰る、なんてことはないでしょう。
さて、如何なさいますか?」
「如何も何もフレアにはイグニート様がおるからなぁ。
さて、納得してくれるかのお」
そんな簡単に引き下がらないだろう、と声に出さずとも2人の思いは同じだった。
それからも妙案が浮かぶでもなく2人黙って、窓の外のカリエンテ山を眺めるのだった。
コンコン
「入れ!」
「失礼します。
只今クロウカシスから使者殿がお見えです。謁見の間にお通ししております」
「わかった」
「さて宰相殿、参るとするか」
顔を見合わせ2人して苦笑をもらして立ち上がる。この後のやり取りを想像して足取りが重くなるのは仕方ないだろう。