07 前世の記憶。
「白状なさい! あの言葉の意味は何っ?」
「何のことだか、わからない」
「悪役令嬢って言葉よ!」
とぼけるジェレミーに、ぴしゃりと言い放つ。
「オレは別にいいけど、この格好は令嬢としてどうなの?」
「私の質問に答えてからよ!」
異性に馬乗りになって押し倒している状態は、令嬢としてまずい態勢だが、こうでもしなくちゃ逃げられそうだ。
「はいはい。”知っている”からだよ」
観念したように、ジェレミーはそう答える。
「……知っているって、何を?」
「シェリエル様が、悪役令嬢だってこと」
私は思わず、ジェレミーの上から退いた。けれども、手だけはしっかり掴んで放さない。
「何故知っているの?」
「忘れた? 入学式前に話したじゃん。”君は君でいいじゃないか”ってね」
入学式の前日。エールー車で話していたのは、彼だったらしい。私は断片的に思い出した。
あの日、確かに向き合うように座って話していたはずだ。
「【シェルルーン学園〜恋の魔法〜】の世界だろ」
「っ……なんでそれを」
「前世の時、妹が夢中になってやっていたのを見ていたからさ」
私は瞠目した。ジェレミーは起き上がって私と向き合う。
「ジェレミー・ダンビル。攻略対象の一人だろ」
「……何故……前世の記憶があるの?」
「気まぐれさ。中学の頃、前世の記憶を思い出す魔法を使ってみたんだ。それで思い出した」
前世の記憶を思い出す魔法。
それを聞いて唖然とした。
「まさかっ」
私にかけたんじゃないでしょうね、と自分を指差す。
ジェレミーは首を横に振った。
「そんなまさか。勝手に魔法をかけたりしないよ。オレはただ何か悩んでいる様子の君に、声をかけただけだ。悪役令嬢だったから、どんな人かと興味本位で話してみたんだよ。覚えていない?」
「……よく、覚えてないわ。記憶が蘇ったせいで、あなたのことも覚えてなかったもの」
白状をする。そう言えば、デジャブを感じると上の空だった。
「そうだと思った」とジェレミーは笑う。
「オレは”何を悩んでいるか知らないけれど、君は君のままでいいんじゃないか”って言っただけ」
金色の瞳が、私を見つめる。
「確かにぼんやりしていたけれど、そっか。エミリーに全然敵意を示さないからおかしいと思ったけれど、君も同じ前世だったんだね」
同じとは、前世で乙女ゲームに触れていたことか。それとも同じ地球人だってことか。
「ええ……偶然ね。私は……プレイ中に交通事故に遭って死んだの」
「それはお気の毒」
「ええ、全くよ」
躊躇したけれど、私は自分の前世を打ち明けた。
ジェレミーはちょっと驚いた様子だ。
「ちなみに、オレは病死。生まれた時から病弱でね。それで妹がよくハマったゲームを、オレに話しては見せてくれたんだ。乙女ゲームなんて、オレは興味なかったけれどね」
「それは……お気の毒」
「いいんだ」
ジェレミーも、自分の前世を打ち明けてくれる。
会話が途切れて、沈黙した。
「それで、あなたはどうするつもりなの? エミリーと、その……」
「くっつく気はないよ。ドジっ子は、オレの好みじゃないし。気まぐれに今現在どんな状況なのか、把握するために一緒にいるだけだ」
ジェレミーは肩を竦めて見せる。
「そっちこそ、悪役をこなすつもりなのかい?」
「そんなまさか。悪役令嬢なんてまっぴらごめんだわ。私はただ平穏に魔法学園を満喫したいだけなの。無駄な争いはしたくない」
私が答えると、ジェレミーはその肩を震わせて笑った。
「平穏じゃなくてもいいんじゃない? せっかくの魔法学園なんだ、少しはスリルが起きてもいいじゃん」
そう言って頬杖をついて、不敵に笑う。
不安を煽る発言だ。アイリーンと気が合うかもしれない。
「スリル? こっちは悪事をやると、召喚獣に食い殺されてしまうかもしれないフラグがあるのよ。嫌よ、絶対」
「何、そんなに召喚獣に嫌われてるの?」
ジェレミーはおかしそうに吹いた。
「悪事を働こうとして食い殺したケースがあるって、キリン先生が教えてくれたの」
「でも悪事なんてするつもりはないんだろう? それなら心配することない」
「心配なのは、私だけじゃなく、アイリーンとジェイコブも悪役になることよ……」
エミリーに敵意を抱くのは、私シェリエルだけじゃない。幼馴染のアイリーンとジェイコブも、嫌がらせをするシナリオがある。
「あれ。悪役は君だけじゃなかったっけ」
「アイリーンとジェイコブも嫌がらせをするのよ……ジェイコブはクラウドとの仲を引き裂こうとして、アイリーンは昔から私達幼馴染の悪知恵なのよ。悪巧みを考えるなら、彼女よ」
「へー。じゃあアイリーンに気を付ければいいね」
アイリーンは今の所止めているけれど、いつジェイコブがアイリーンに相談するかまではわからない。そこまで見張っていられるかどうかも自信ない。
サクサク、と草を踏みしめる音が近付いてきた。
振り返るとちょうど太陽があって、目が眩んだ。
「何やっているんだ、シェリエル。ジェレミー」
声の主が、クラウドだと気が付く。金髪と青い瞳を持つクラウドが、見下ろしていた。
「あら、クラウド。何ってお喋りしているだけよ」
笑顔を繕う。上手に笑ったはずなのに、クラウドは怪訝な顔をする。
視線の先は、私が掴んでいるジェレミーの手首だった。パッと放す。あやしみいぶかる顔をしたのは、これのせいか。
「クラウドこそ、どうした?」
ジェレミーは解放された手をクルクル回しながら、クラウドがここに来た理由を尋ねた。
「エミリーが今日もいないことを心配して捜しにきた」
「オレは気まぐれなの。気にしない」
「はぁ……そうだな」
ジェレミーの返しに、クラウドはため息をつく。そして手を差し出してきた。私の目の前にある手を見て、キョトンとする。
「いつまでそこに座っているつもりだ? シェリエル」
「ああ、そうね。戻るわ」
クラウドの手を借りて、立ち上がった。スカートについた砂を叩いて落とす。
「じゃあ……また今度。ジェレミー様」
「またね、シェリエル様」
座ったままのジェレミーは、にんまりと私とクラウドを見送る。また話すことになりそうだ。
クラウドと、肩を並べて食堂に戻る。
「……久しいな。こうして二人でいるのも」
「そうね、いつぶりかしら」
幼馴染四人でいつも一緒にいた。クラウドと二人きりなのは、とても久しぶりだ。いつからだろうと記憶を辿る。
「……そうだ、週末のパーティー、一緒に行こう」
「そう言えば、招待状が届いてたわ。でも……気が乗らない」
「何故だ?」
だってエミリーも来るのでしょう。ジェラルドやアーウィンも。
私は頬に手を当てて悩む。
ライナー子爵から、招待を受けているダンスパーティーがある。そこで乙女ゲームのシナリオでは、クラウド・ジェラルド・アーウィンの誰かと踊るはず。踊らなければ、三人のルートではないということになる。ジェレミーか、ジャスパーか、アロガン先生。
誰と結ばれるのか、はっきりするかもしれないパーティー。一応見ておこうか。そうすれば、誰を避ければいいかわかる。
でもどうだろう。ゲームでは選んだ相手に固定されるけれど、現実もそうなる?
そうならなければ、複数の攻略対象と恋の駆け引きが始まる?
それとも、恋愛なんて、始まらない?
「クラウド。エミリー様を誘ったら?」
そう言えば、クラウドは一目惚れしたはず。
「両親に勘繰られてしまうじゃないか」
クラウドが嫌がる顔をする。私と行った方が無難なわけだ。
許婚関係ですものね。口約束の。
「そうね。じゃあ行きましょう」
「わかった。寮の玄関前で待っててくれ」
「ええ」
頷くながらも、考える。
もしも運命の人がいるのならば、エミリーの運命の人は攻略対象の誰になるのだろう。それとも他の人だろうか。
そんな疑問に小首を傾げる。
「もう距離を置かなくてもいいんだな」
クラウドは、屈託のない笑顔で言った。
「いいえ。一時的なものよ、クラウド。私達は距離を置いた方がいい」
「まだ言うか!」
「両親には上手く誤魔化しましょう」
「仲良いフリをする恋人同士か!」
「その方が皆のためだわ」
「いい加減にその設定やめてくれ!」
冗談なのに。
クラウドは、頭を抱えてまで嘆いた。
「じゃあ、週末に」
「……ああ、週末に」
食堂についたから、私とクラウドは離れる。クラウドはエミリーの元へ、私はアルティの元へ。
「どこに行っていたの? シェリエル様」
「ちょっとジェレミー様とお話していただけよ」
「何話したの?」
「大した話ではないわ」
アルティとアイリーンの質問を適当にかわして、一緒に中庭でランチをとった。美味しいサンドイッチ。
「そうだ、アイリーン。週末のパーティーには行くの?」
「ええ、行くわ。一緒に行く?」
「クラウドと行く約束をしたの」
「あっれ、距離を置くんじゃなかったの?」
「あなたとも距離を置きたいのだけれど?」
「いやーん、意地悪言わないでー」
もちろんのように、アイリーンもパーティーに行く。
「アルティはどう? 貴族のパーティーに行ってみたい?」
「うん!」
「じゃあアルティも正装しなくちゃ」
「放課後は仕立て屋に行きましょう」
「さんせーい!」
アルティが興味津々に頷いたから、連れて行くことを決定した。
アルティの正装を見繕ってもらうために、仕立て屋に行く。
放課後、エールー車で街の駅に降りる。三人で歩いて、贔屓にしている仕立て屋に入った。
女性店員にアルティの採寸をしてもらう。アルティはくすぐったそうにしていた。そんなアルティには、淡いオレンジ色の背広を作ってもらうことする。ネクタイはアルティの髪に合わせてオレンジ色。
あっという間に魔法で作ってもらえた。
「私はアルティに合わせて、オレンジのドレスにしましょう」
「シェリエル様とお揃い? やった」
アルティは喜んでくれる。オレンジのドレスに決まりね。
「あたしはどうしよー。オレンジは似合わないしなー」
「フレイアのようなドレスで、淡いピンク色なんてどうかしら」
「んー! それがいいな! そうしよう!」
アイリーンは自分の召喚獣のようなドレスに決める。
「それで、アイリーンは一緒の場所で行く?」
「えー? 許婚二人の間に入れないよー」
アイリーンがニヤつく。またからかう。
「言っておくけど、ジェイコブもアルティもいるわよ」
「いいからいいから。たまには二人の時間を大切にして」
「いらないわよ、そんな時間」
私はため息をつく。結局アイリーンは頷かなかったので、別々にパーティーに行くことになった。
ダンスパーティー当日。
オレンジのドレスを着た。ウエストがキュッと締まって、腰から下がふんわりと広がるプリンセスラインタイプのドレス。
白金の髪はブラシでよくとかして、そのまま下ろす。耳飾りをつけて、首飾りをつけた。
秋だから、ロング手袋をはめる。それでも寒いと感じたら、ボレロを着よう。
アルティにも、背広を着させる。ベストに上着、そして七分丈のズボン。クリンとはねた髪は、ワックスでオールバックに決めてみた。
「かっこいいわ、アルティ」
「えへへ。シェリエルは綺麗!」
「ありがとう」
支度がすんだから、アルティと手を繋いで寮を出る。
そこにクラウドと従者のジェイコブが立って待っていた。二人とも決まっている。クラウドは燕尾服だ。ベストはオレンジっぽいブラウンで、上着は黒。それにシルクハット。かっこいい。
「綺麗だな、シェリエル」
「お世辞はいいの。クラウドこそ、かっこいいわ」
「君こそお世辞はやめてくれ」
差し出すクラウドの手と自分の手を重ねて、階段から下りた。やれやれっといったやり取りをしては、馬車に乗り込む。
ジェイコブは、御者と肩を並べて座る。
「やぁ、アルティ。かっこいいじゃないか」
「えへへ、クラウド様もかっこいいよ」
「それはありがとう」
馬車の中は、私とアルティとクラウド。二人とも、にこやかに話す。そんな様子を見ていると微笑ましくなる。
クラウドのような燕尾服もよかった。次のパーティーは、アルティに燕尾服を着させよう。
三十分程度でライナー伯爵家の邸宅に到着する。華やかな音楽が、外に漏れていた。
クラウドにリードされて、中に入る。大きなシャンデリアが垂れた広々としたダンスホールには、もう着飾った貴族達が踊っていたり、隅っこで談笑したりしていた。
「わぁ、キラキラ」
アルティは目を輝かせて、周囲を見渡す。
先ずはライナー伯爵夫婦を見付けて、挨拶をする。それから、一曲クラウドと踊った。その間、アルティが一人なので、心配でずっと目を配っておく。変な人に話しかけられたら、嫌じゃない。
クラウドと踊ったあとは、アルティと踊る。
生の演奏に合わせて、軽やかに踊った。アルティは楽しげに弾んだ。
「シェリー、アルティ」
一曲終わると、アイリーンが話しかけてきた。マーメイド風の淡いピンク色のドレス。綺麗だ。
「素敵ね、アイリーン」
「シェリーこそ素敵!」
褒め合っていれば、ちょっと会場がざわめいた。
何かと思えば、ジェラルドがエミリーと踊り始めていたからだと気が付く。エミリーはピンクのマーメイド風ドレスだった。だから、アイリーンの反応はよろしくない。
「被った……」
「……まぁまぁ」
「ドジで大恥かけばいい」
「まぁまぁ」
アイリーンが呪いのように呟く。けれども、ジェラルドは完璧にリードして、ドジをさせずに踊り切った。
ジェラルドルートに入ったのかしら。
ジェラルドルートとアーウィンルートは、兄弟でエミリーを取り合う形になる。
と思いきや、次はアーウィンと踊り始めた。
双子ルートだと!? どっちを選ぶの!?
穏やかに笑いかけるアーウィンと、頬を赤く染めて笑みを返すエミリーを、目で見張った。ちょっと躓くエミリーを優しくフォローするアーウィン。
そんなアーウィンが、次にエミリーを託した相手はクラウドだった。
三人とも踊るのかよ!
「……本当にうざくない? エミリー・ステターシン」
アイリーンのイラついた声に反応して、顔を見てみる。睨んでいた。エミリーへの苛立ちがふつふつと募ってしまっている模様。
「シェリエル」
「!」
ビクンッと震え上がる。後ろを振り返ると、アーウィンがいた。
「え、どうしてそんなに驚くんだい? ごめん」
アーウィンは頬を掻いた。
「いえ、こちらこそ。ごめんなさい。何でしょう?」
「ダンスを申し込もうと思って。一曲踊っていただけませんか?」
「えっ」
思わず言葉を失う。吸血鬼王子弟にダンスを申し込まれた。
早く踊りなさいよ、と言わんばかりに背中をアイリーンに叩かれる。
「いや、オレと踊れ」
手を差し出すアーウィンの前に割って入ったのは、ジェラルド。
「帰る前にお前と一曲踊ってやる」
「まぁ……嬉しいですわ、ジェラルド殿下と」
「ジェラルドだ」
「殿下と踊れるなんて夢のようですわ。嬉しい!」
ニッと笑みを浮かべて、喜んだフリ。
「でもすみません、ゴホゴホ……ちょっと具合が悪くなってしまって、これから帰るのですわ」
「大丈夫かい? シェリエル」
顔を背けて咳をする。アーウィンは騙されてくれて、心配してくれた。でもジェラルドの方は、私を睨んでいる。仮病を使ってダンスを断っているとバレていた。
「クラウドに先に帰っているとお伝えください」
私は弱々しい笑みで、アーウィンに頼んだ。それからアルティの手をとって、会場を出ようとする。次の瞬間、目の前にジェラルドが立ちはだかった。
銀色の瞳が、問い詰めてくる。
”そんな仮病が通じると思うか”と。
「……一曲だけ、踊りましょうか」
「それでいい」
私は抗うことをやめて、ジェラルドと一曲踊ることにした。
ジェラルドは機嫌を直したように笑みを浮かべて、私の手を取る。まだ途中の曲に乗って、踊り始めた。
グルリグルリ、と回るダンス。私とジェラルドは見つめ合った。綺麗な瞳だとつくづく思う。真っ直ぐにその瞳を見上げて、好意的な笑みを向ける。
ジェラルドは、また機嫌が悪い顔をした。眉間にシワを寄せて、ギラついた銀色の瞳。
片や微笑んでいて、片や睨んでいるペアは、注目されたのだった。
12話で終わります。
20170915