06 黒猫を追う。
隠れんぼの鬼になったのは、アイリーン。
私とアルティは仲良く手を繋いで、隠れ場所を探した。そして辿り着いたのは、図書室Bだ。城の端っこの塔の中にあって、円形の壁にぎっしりとある本棚に本が詰め込まれていた。
中央にも本棚が三つ、並んでいる。そして机も。
それから、居たのはたった一人の生徒。
白いローブを着た緑の髪のジャスパー・リビアン。
「失礼しました」
目が合って、すぐに踵を返す。関わりたくない。
「待って」
呼び止められたものだから、驚愕してしまう。
何故だ。呼び止められる理由はないはず。内心、ビクビクした。でも顔は笑みを保つ。
「えっと……トリアのフェリュンを召喚した生徒ですよね」
名前はわからない様子で、とりあえず話し掛けてくる。女の子のように目が大きくて、どちらかと言えば綺麗な顔立ちの男子生徒だ。
用件は、召喚獣についてみたいだ。
「はい。シェリエル・サリフレッドですわ」
「ジャスパー・リビアンです」
関わりたくない気持ちと好奇心が戦ったあと、好奇心が勝ってしまった。
「それで、私のフェリュンに何か?」
「その、フェリュンに”気に入らない”と言われていましたよね?」
「……ええ、言われていました」
空耳じゃない。ちょっと落ち込みつつも、話を進めることにした。
「……何故ですか?」
「何故でしょう……見当もつきません」
「普通、召喚獣は好んだ魔力の相手に惹かれて、召喚陣から出てきます。主を嫌う召喚獣なんて、今まで聞いたことありません」
「……何故でしょう」
どんどん落ち込んでしまうのだけれど。
魔法科No.2になるジャスパー・リビアンは、きっと今調べていたところだったのだろう。手にしている本は、どれも召喚獣という単語が入っていた。
「訊いてみませんか?」
「はい?」
「召喚して尋ねてみるのです」
またしても、関わりたくない気持ちと好奇心が戦う。勝者は好奇心だった。
私は首を縦に振る。アルティも手を繋いだまま、近くのバルコニーに出た。そこにジャスパーは、チョークで召喚陣を書く。
「召喚獣の召喚は、召喚獣の身体にあった紋様を書くだけでも有効ですが、今回はさっきの儀式と同じ魔法陣を使いましょう」
「はい」
「では、入って名前を呼んで、喚び出してください」
ジャスパーが書いてくれた大きな魔法陣の中に足を踏み入れて、私は魔力を注ぎ込みながら、名前を呼んだ。
「フェリュン」
それだけで、宙から燃え上がるように火の粉が散り、フェリュンが姿を現わす。
不機嫌な「グルル」という声を出した。
「何の用だ、小娘」
これまた不機嫌な刺々しい声。
「私はシェリエルです。その、尋ねたいことがあります」
ジャスパーと目を合わせてから、私はフェリュンに話し掛けた。
「何故、”気に入らない”と言ったのですが?」
真紅の瞳が細められる。
「”おまえ”が気に食わないと言ったのだ! それだけのことで我を喚び出すな!」
怒鳴られた。八重歯を剥き出しにした怒った顔はとても迫力があって、私もジャスパーもアルティも震え上がる。
プイッと顔を背けると、フェリュンはまた火の粉を撒き散らして消えてしまった。
もふもふに嫌われてしまった……このショックをどうしてくれよう。
「なんか……余計なことをしてしまったようで……申し訳ありません」
ジャスパーは罪悪感を抱いている表情で謝ってきた。
「いいのですわ……私も賛同しましたし、ジャスパー様は悪くありません。私の方が、何か悪いのでしょう」
「……本当にすみません。魔法陣は消しておきます」
「ありがとうございます」
片付けはジャスパーに任せて、そのバルコニーから出る。
傷付いた。何故フェリュンに、あんなに嫌われてしまっているのだろか。
「何かわけがあるんだよ」
「そうね……」
「泣かないで、シェリエル様」
「泣いていないわ」
泣くほどじゃない。これからゆっくり付き合っていこうと思う。守護精霊と同じで、契約は一生もの。先はまだまだ長い。
悪いところは直して、好きになってもらえばいい。
攻略対象より手強そうだけれど、頑張ろう。
「シェリー、アルティ、見ーつけた!」
「あ」
「わっ」
廊下でばったり会ってしまったアイリーンに見付かってしまった。
今日の隠れんぼは、負けだ。
結局、その週はジェレミーにあの言葉の意味を問うことは出来なかった。
翌週にはあの逆ハーレムに、ジャスパーが加わっていた。そういうシナリオなのだ。何故かエミリーに逆ハーレムのように集まって、親しくなる。
ドジなエミリーを放ってはおけないと言って集まるのだが、本当のところは何だろう。
主人公パワー?
そんなことよりも、ジェレミーのことだ。何故”悪役令嬢”という単語が出てきたのか、理由を尋ねないといけない。
おかげで勉強が捗らないのだ。
「……今日こそはジェレミーを捕まえるわ」
「なんで?」
「ちょっと訊きたいことがあるの」
「ボクが訊いてこようか?」
「……頼める?」
アルティに訊きに行ってもらうのもいいかもしれない。
でも”悪役令嬢”なんて単語が、アルティを混乱させてしまうかも。出来ない。頼むことはやめよう。自分で確かめる。
「でもせっかくだけれど、自分で尋ねるわ」
「そっか……」
アルティはちょっと気にしたけれど、それ以上は言ってこなかった。
制服に着替えて、ラウンジに向かう。ジェレミーの姿を見付けたけれど、相変わらずエミリーと一緒だ。離れている時を狙わなくては。
「ねーさー。エミリー・ステターシンって本当にうざくない? 何あれ、囲まれて嬉しそうに笑ってるじゃん」
エミリー達のテーブルを見て、アイリーンが言う。離れているからその発言は届かないが、ひやりとさせられる。
「アイリーン。彼女のことは気にしないの」
「だってークラウドに、吸血鬼王子に、召喚獣三匹も召喚した天才のジェレミーだよ。ジャスパーって生徒もなんか優秀らしいし、皆も言っているよー?」
「……そうだけれど、気にしたら負けよ」
アイリーンが、何かしでかさないように釘をさす。
他の女子生徒の気にも障ってしまっているようだ。無理もない、顔触れの集まりだもの。
伯爵の息子のクラウドに、魅惑的な吸血鬼双子王子のジェラルドとアーウィンに、天才のジェレミーに、才能あるジャスパーだ。どれも顔立ちが整っていているときた。
アイドルのようにキャーキャー悲鳴を上げる対象の彼らの輪に、一人だけ女子生徒が特別扱いされていては、見ている方は面白くないだろう。
そんなの気にしなければいいじゃない。
目には入れなければいいのだ。
「気にしないの」
「シェリーはちょっとは妬いたらどうなの? 許婚でしょ、クラウドは」
「口約束のね」
「でも幼馴染で許婚が、他の女の子にべったりしてたら嫌でしょ。なんで冷静なの? 変だよ、シェリー」
私は変だと言われても、怒らなかった。別に気にしない。
「アイリーンこそ、気にしちゃって、もしかして誰かに気があるの?」
「そんなんじゃないよー」
笑って、その話は終わりにした。
登校の時も、エミリー逆ハーレムはあったので、他の車両に移る。
ジェレミーといつ話せるだろうか。ジェレミーの気まぐれを待つ。ああ、そう言えば、ジェレミーがよく中庭の木の上にいるという描写が多かった。中庭にいれば、会えるだろうか。
問題はシャルルーン学園には、複数の中庭があるということ。どこの中庭だったか、思い出せない。
その昼休みのことだった。
ランチをとっていたけれど、エミリー逆ハーレムの中にジェレミーの姿がないことに気が付く。今日は気まぐれで離れたみたいだ。
チャンス!
でも中庭に出てみれば、木の上に彼の姿はなかった。
アイリーンとアルティを連れてウロウロしていれば、食堂の入り口から出ていく姿を見付ける。
「アイリーン、アルティ。待ってて!」
私は二人を置いて、彼の姿を追った。
ジェレミーは廊下を曲がって、螺旋階段を上がる。私も螺旋階段を駆け足で上がって、追い掛けた。
二階の廊下に出ると、その先にジェレミーの後ろ姿を見付ける。
「ジェレミー様!」
呼べば、ジェレミーが振り返る。黒髪を靡かせ、金色の瞳を私に向けた。すると、笑う。にんまりと瞳を細めて、口の端を吊り上げる。
そして、タッと駆け出した。
私を振り返ったくせに走り出した! 何のつもり!?
私は慌てて、駆け出して追う。
「おい、シェリエル嬢。廊下を走っちゃだめだぞ」
「アロガン先生。失礼しました、うふふ」
アロガン先生に、危うくぶつかりかけた。昼休みはいつもここを通って、食堂に行くみたいだ。笑って誤魔化して横を通り過ぎる。
ちょっと早歩きでジェレミーを追うことを再開して、廊下を曲がったところで猛ダッシュ。
ジェレミーは、今度は階段を下りたらしい。まるで猫を追い掛けているみたいだ。捕まえそうで、捕まえられない。黒猫の尻尾を、追っているようだ。
一階に下りて、次は三階に上がって、廊下を走った。
そうして、私はジェレミーを見失う。逃げられた。
結局その日も、ジェレミーに問いただすことは出来ずじまい。
翌日、魔法生物が終わったあとに、ジャスパーに声をかけられた。ジェレミーを捕まえようと思ったけれど、彼は忽然と姿を消してしまう。
何なんだ、あの黒猫男!
「シェリエル様。ちょっといいですか? フェリュンのことなのですが」
「なんでしょう、ジャスパー様」
「ああ、僕のことは様付けしなくてもいいですよ。僕は庶民ですから」
「私がそう呼びたいのですわ」
私は微笑んでそう返す。
ほら、距離が出来るじゃない。
「トリアについて少し調べたのです」
「何かわかりまして?」
立ち話も何だから、入り口近くの席に座った。アイリーンは先に行くと大講堂を出て行く。アルティはもちろん一緒だ。
「どうやらトリアは、闘争心に惹かれるみたいです」
「闘争心、ですか……」
「だからシェリエル様が持つ闘争心に惹かれて、出現して契約をしたのでしょう。それでフェリュンが”気に入らない”と言ったのは……」
「闘争心が、なかったから?」
「そういうことだと思います」
闘争心は持ち合わせていないと自覚している。
闘争心を剥き出しにしていないから、気に入らないと言った。
「フェリュンを召喚したのか?」
キリン先生が歩み寄ってくる。話が聞こえたらしい。
「はい、先生。どうも嫌われているらしいのです。ジャスパー様がそれを調べてくださって……」
「ふむ。我も初対面から険悪になるケースは初めて見た。だが、そうだな……過去には、召喚獣が主を食い殺したという事件が起きたことがあるくらいだ」
え、と私は青ざめた。
ジャスパーも初耳らしく「本当ですか?」と聞き返す。
「ああ、すまない。脅かすつもりはない。その召喚獣は追放されたから、大丈夫だ。フェリュンではない。元は二面性のあるドゥエだった。何、悪いのは主だったそうだ。悪事を止めるために食い殺したそうだが、主殺しは召喚獣の中で禁忌だった故、追放した」
悪事を止めるため。ゾッとする話だ。
悪役ポジションである私が、悪事を働いたら食い殺されるのではないかと、想像してしまった。フェリュンの口なら、私の頭をもぎ取れる。
心配してくれたのか、アルティが頭を撫でててくれた。
「攻撃的なトリアでも、そう易々と禁忌を犯さない。そう青い顔をするな。シェリエル嬢。怖がらせる話をしてしまって、すまない」
キリン先生は、申し訳なさそうに謝る。
相当、私は怖がって見えるらしい。
「大丈夫ですわ、先生。一生は長いですし、仲良くなれるように努力しますわ」
私は精一杯の笑顔を作った。
悪役令嬢の役をこなしたら、もれなく死亡フラグが立つんじゃないかと恐怖する。
待って、あの乙女ゲームはそんなデンジャラスなものではなかったはず。大丈夫よ。死亡フラグなんてないわ。大丈夫。フェリュンと上手くやれるわ。
「では次の授業がありますので、失礼しますわ。ジャスパー様、どうもありがとうございました」
「いえ、礼には及びません」
ジャスパーは礼儀正しくていい人だ。笑みを送ってから、キリン先生に頭を下げてアルティと大講堂を出た。
「ボクが守るよ、シェリエル様」
「……ありがとう、アルティ」
アルティは日向のように温かな笑みを見せてくれる。
その昼休み。またジェレミーがエミリー逆ハーレムにいなかったので、アルティ達を置いて捜しに行く。すると三階の廊下の壁に立っていた。
「ジェレミー様!」
呼べば、待ってましたと言わんばかりの笑み。
すると、窓に足をかけて、ジェレミーは飛んだ。
な、なっ!?
その窓から外を見れば、中庭にいる。見上げるジェレミーが、べーっと舌を出した。
うわ。腹立つ。追い掛けられないと思っている。
背を向けて歩き出すジェレミーを追ってやろうと、私も窓から身を乗り出した。そして飛び込む。
「風よ(ヴェンド)!」
風の魔法を踏み台代わりにして、宙を階段を下りるように進んだ。そしてジェレミーの背後をとった。
彼が振り返ったと同時に、飛び込んだ。
「捕まえたっ!」
ジェレミーを押し倒して、上に馬乗りになる。
目を真ん丸に見開いたジェレミーは驚いた様子だけれど、やがてにんまりと笑った。
「捕まちゃった」
今にもスルリと抜けて逃げてしまいそう。だから、私はジェレミーの腕を掴んだ。絶対に逃さない。