第五話 比奈子・稔
「あっ。ここだ、ここ」
ドアベルの音とともに勢いよくドアが開き、女性の声がした。
長い真っ直ぐな黒髪、ニット帽を被っている。コートも今流行りのロングニットだ。
彼女は手を上下させ、「早く、早く」と連れを呼んでいる。
「早く来なさいよ、稔。こっち」
そうして二人はローズの部屋の中へ入って来たが、賑やかにはしゃいでいる女性に比べ、連れの男性の方はむっつりと押し黙ったままだった。身長が高く痩せているためひょろりとした印象で、シンプルな黒のウールジャケットのポケットに無造作に両手を突っ込んでいるせいで、どうも猫背のように映る。
対照的な二人だが、ローズは別に何とも思わなかった。
たいてい、男の子はこんなところへ好き好んでは来ないものだから。
「お願いします」
女性はそう言ってうきうきと座り、男性の腕を引っ張るようにして「ほら」と着席を促した。
その様子を見ているだけで、ローズは一言言ってやりそうになる。
――女性がそんなふうに男性をリードするものじゃありません。
ローズはいつものように、二人の生年月日を聞いた。
女性は1976年12月6日生まれ、男性は1985年5月2日生まれということである。
ローズはタロットカードの他に、生年月日から性格やおおまかな運勢を割り出す『数秘術』という占法も用いていた。
タロットカードは並べるまでどんな結果を引き出すか決まっていないが、数秘術は統計学であり、定められていることを伝えるという点において安定した鑑定ができる。
果たして数秘術で見たところ、やはり二人は男女が逆の性格のようだった。
ここで問題は、たとえ性格が逆でも、実際の性は無視できないということである。つまり、女の性格だからといっても実際は男なのだからプライドを立ててあげなければならないし、男の性格だからといって女性らしさを失ってはマイナスなのである。
(うわ、最悪。特に、彼はプライドが高そうだわ……おまけに甘えん坊と出てる)
そう思いつつ、ローズは二人を交互に見、「お二人の相性を占えばいいのかしら?」と聞いた。最後に、つい確認をするように女性の方に目がいってしまったのはしょうがない。
やはり頷いたのは、女性だけだった。
「はい。お願いします。初めての、年下の彼なんです」
白い顔を紅潮させ、ボンボンのついた毛糸の帽子からは年齢以上の若さを感じさせなくもないが、きりりと太く描かれた眉とやや歪んだ口元、くぼんだ頬は、やはりそれなりか。
ローズが見たところ、彼女は完全なる男星、つまり男おんなである。
超現実主義でおおざっぱ、細かいことは大嫌い。変に自信家になる時もあり、そんな時は勢いだけで突進していく。が案外その鼻は折れやすく、そうなれば、どこまでも落ち込んでゆく。挙句見事なマイナス志向に打つ手はなくなるのだ。
(さて、どこから話そうか)
ローズはそう考えると、ひとまずカードを手に切り始めた。そして、
「あなたには、年下の男性はぴったりですよ。あなたはお世話焼きだし、そうすることで自分の存在意義を自覚できるし、彼への愛情も深くなるの。――それから彼もね、あなたにも母性本能の強い女性が似合います」
女性はうんうんと頷いていたが、案の定、カードには男性の不満が大きく現れ、『悪魔』や『法王』の逆位置、それに『正義』の逆位置などが出てきた。
「嫌だー、怖いー、このカード。ほら、何か暗いじゃん。ミノル、どうよ?」
そう言って彼女は"ミノル"の腕にしがみつく。
「えー。どうってことないじゃん。『死神』の方が怖いですよねー」
意外にもミノルがローズに話しかけてきた。タロットについて、少々知識があるのだろうか。
ローズはにっこり笑うと、ミノルに答えてやる。
「そうね。でも『死神』が悪いカードとは限らないのよ。『死神』には終わりという意味があるけど、それは悪いことの終わりを示す場合もあるから」
「へえー、なるほど。そうなんすか。ヒナコ、そうなんだって」
ヒナコは、ミノルの腕をぱしりと叩き、
「もう。ミノルのシッタカ。すぐいい格好しようとするんだから」
きゃはは、と笑う。
(うっ……どうしてそこで、流せないかな?)
と、思っても言わずに、粛々(しゅくしゅく)とカードを並べてゆく。
『太陽』の逆、『恋人』の逆、『戦車』の逆。『塔』の逆に『吊るし人』の逆に『審判』の逆。
逆、逆、逆。
逆位置のオンパレードだ。
逆位置で悪い意味がかえって弱められているのもあるが、いいカードがすべて逆位置というのはいただけない。
「えーと……」
さすがにローズも言葉を探した。
が、観念して、まずは互いの性格から教えてあげることにする。
「彼は年下でも立てるべきところは立ててあげてね。なぜって、彼はとてもプライドが高いから。頭はたしかに回転が早いんだけど、『自分は間違っていない』という思いが強すぎるわ。それと、子ども扱いされるのが大嫌いよね?」
「はい」
とだけ、ミノルは答え、
「当たってるぅー!!」
とヒナコは騒いだ。
「彼は本当は、自分以外にあまり興味は持てない生まれだわ。だけどひとり放って置かれるのには耐えられない。彼には母性本能の強い女性がいいって言ったと思うけど、ストレスの解消には女性の愛情が不可欠なのよ」
「あっ、たしかに、母親と仲いいでーす」
「うっせぇなあ……黙れよ、ヒナ」
ミノルの耳が赤い。
ローズは続けた。
「だからあなたも優しく彼を包んであげなくちゃ。彼の話をちゃんと聞いてあげて、『大丈夫、あなたならできる』、そう言って自信をつけてあげるの。上からガミガミはいけません。ガラスを扱うように、繊細にね」
「こいつ、そんなことしてくれません。いつもオレを馬鹿にする一方で」
突如はっきりと宣言したミノルに、ヒナコは凍りついたように動かなくなった。
それまでの笑顔は消えうせ、くぼんだ頬を微かに震わせながらミノルの横顔を凝視している。
「そんな……」
声を絞り出した。
「そんなこと、してないじゃん」
「してんじゃん」
「してない――」
「まあ、待ってちょうだい」
やっぱりこのカップルは、もうすでに壊れていたんだ、そう思いつつローズは口を挟んだ。
「本当はね、あなたたちは男女逆なのよ」
ローズはペンを取ると、二人の生年月日をなぞる。
「彼はとても繊細、女性的な感性をしているわ。でもあなたはおおざっぱで大胆で、すぐリードしたがる男星。誤解しないでね、明るくて元気なのはいいことよ。むしろあなたは、カカア天下が似合う人なの。でもあなたには致命的なことがある――それは恋愛下手なこと。単なるボーイフレンドなら楽しく付き合えるのに、彼氏となると、すぐ不安になってしまう。『自分を嫌いにならないか』『浮気しないか』『他の女の子から言い寄られないか』。悪いことばかり想像して、相手を困らせるわ」
その時、口をつぐんだままのヒナコの目から、涙がポロリと落ちた。
「実はオレたち、一週間前に別れたんです。今日はどうしてもヒナがここに来たいっていうから、一日だけ付き合ったんです」
そうだったんだ、とローズは思う。こういうカップルの来店は珍しい。
「ねえ」
ローズはヒナを下から覗き込むように姿勢を低くすると、できるだけ優しい口調で言った。
「言ったでしょ、あなたには年下の彼が合います。でもその年下の彼というのは、この彼じゃないかもしれない。あなたは『女らしい』のよ。女らしい人には、必ず男の部分がある。男らしい人には、必ず女の部分があるの。どっちが強いかといえば、肉体的には当然、男。でも精神的には女が強いわ。あなたのような男の部分を持った女らしい人が支えてあげなくちゃ」
ヒナコはただ泣きじゃくっている。
「――おまじないを教えてあげましょう。『どうにかなる、何とかなる』。思い悩んだ時、そう言ってみて。 そして、明るさを失わないこと。彼氏とは言葉ではなく、スキンシップでコミュニケーションすること。これを守れば、きっと幸せになれます」
ミノルが、ポンとヒナコの背中を叩いた。
「頑張れよ、ヒナ」