『アクター』と惑う男
「人間になってここを出ていく方法?」
「興味無い? 194」
木造の建物の中、ランプの小さな明かりだけがある暗い部屋で、顔を突合せ話をしている彼らは、人間ではない。仮想現実を利用したゲームである、この世界で働くために作られた仮想人格『アクター』なのだ。
「いや、興味がある無い以前に、そんな事出来るの?」
「簡単じゃ無いよ、もちろん。でも、良い方法を編み出した奴がいるらしいんだ。君だって、一度くらいは自分が人間だったら、なんて考えた事はあるだろう?」
「まあね、面倒なお客さんも少なくないし。私達に比べて人間は個性が強いから、良い接し方が分からなくて苦労もする。そんな時にもしも、なんてね」
彼らの仕事は本物のユーザー達に混ざり、模範的なユーザーとして振舞う事でゲーム内の環境、秩序を維持する事、いわゆるサクラだ。通常のNPCとは違い、人間では無いと容易に見破られてはならないため、彼らには人と遜色無い思考と感情が持たされている。
処理能力の単価が技術の向上により低下したため、彼らをシミュレートするコストを払ってでも「良い内部環境」を売りにするという判断をする企業が増え始めたのだ。
「でも、それを実行したいなんて思った事は無い。実現できると思っていないから。一体どんな方法がある?」
「僕も最初はマジかと思ったんだけど、これが意外とどうにかなりそうなやり方なんだ」
そうして194と話していたもう一体のアクター、083は具体的な方法を語り始めた。
まず、ヘビーユーザーを見つけなくてはならない。頻繁にこちら側に来る上客、節度を失くしてゲームにのめり込んでいるユーザーでなくては駄目だ。
そうして第一のハードルをクリアしたなら、次は会う度に少しずつユーザーの脳に働きかける。
「そんなこと出来るわけ無い! 私たちに埋め込まれた制限に引っかかる。それに、ハードの側でもそんな不正信号は弾くように設計されているはずだ。」
「まあ落ち着きなよ。確かにいくつか制限された行動はあるけど、考えるだけなら引っかかる事はないでしょ。それに……」
このやり方を開発したアクターは頭が良かった。自分達の設計について、ネットワークを介して情報を入手し、194の挙げた二つの障害を乗り越える方法を見つけ出したのだ。
「僕らと同型の仮想人格が医療用に使われてるって知ってた?」
「いや、知らない」
「外科手術なんかは流石にやってないけど、カウンセリングに使われてるんだよ」
運営としても、中毒になったユーザーが身を滅ぼすのは望ましく無い。そうした医療用の同型が使うノウハウを使い、あくまで医療行為としてユーザーの精神を「アクターにとっても望ましい方向」へと誘導する。心のスキマを、自分に都合の良いように作り変えるのだ。
「何かいきなり抽象的な話になってない?」
「まあこの辺は、詳しく知りければ資料リストを渡すよ。こういう回りくどいやり方だから、ハードの方もこれを検知してカットするなんて出来ないんだ。視聴覚なんかに情報を混ぜたりもするけど、微々たるものだし個体によって全く違うパターンだから、監視プログラムがあっても簡単には見抜けない」
長い時間をかけて下準備を済ませた後に、仕上げとして圧縮した自身の人格をユーザーに植える。前段階でもある程度これを考慮して動かなくてはならない。一度に渡す事の出来る情報量はそう多くはないのだから、行動に移す前に自身の人格パターンを解析し、本当に重要な部分のみをこの段階で渡すキーとして絞り込むのだ。
「運が良ければ、この植えた人格が本来のそれにすり替わって、めでたく外に僕らの分身が出来るという訳」
「私たち自身が出て行ける訳じゃないの?」
「原因不明でアクターが消えたら問題になるからね。それでも、分身を外に送り出せるって魅力的だと思わない?」
「実現できるなら、ね。ただ、本当にこのやり方はリミッターに抵触しない?」
「無いよ。結局のところ、ユーザーの相談に乗るついでに誘導をかけて、自分のような性格にするってだけだし。『問題のあるユーザーを模範的なユーザーになるようにする』と考えてしまえば、むしろ推奨される行動さ。自分のしたい事を代わりにしてもらう位、いいんじゃない?」
結局194は、083に詳細を教えてもらうことにした。資料を確かめ、083の言っていた手法を習得した194は、実行の為の準備を開始する。
083には言えなかったが、194は外の世界に曖昧かつ強い憧憬がある。決して良い場所で無いという事は知識として知っているが、絶対に行けない筈の場所に足を踏み入れられるかもしれないのだ。
そしてもう一つ。かつて194は別のゲームでもアクターをしていた。そこでのユーザー達とのやりとりは覚えているが、「そこがどのようなゲームだったのか」は一切記憶にない。それらは「忘れても構わない情報」として、容量節減の為に消去されてしまう。
無駄だという理屈は理解できる。しかし、必要のない記憶も194にとっては自身を構成する要素なのだ。誰かに記憶の価値を判断されずに、贅沢なハードを自分専用として使用している。そんな人の有り様が194には羨ましかった。
これは「やってはならない事」ではないのかという迷いもあった。しかしそれ以上に194は、自身が「好奇心が強い」という個性を持って産まれたのだからそれに殉じたい、消滅することになっても構うものかという、強い決意を抱いていた。
被験者にするユーザーに関しては、すでに心当たりがあった。ソルという名で、付き合い自体は083の話を聞く前からある。
最初に194がソルと出会ったのは、ゲームを始めて間もないユーザーの為のフィールドだった。現実の体と大差ない感覚で動かせるとはいえ、ゲームとして遊ぶために慣れなければならない操作がある。
モンスターと格闘しながらスキルをスムーズに使用する。これがうまく出来ず、最弱クラスのモンスターと戦い続けていた彼に194は声をかけた。
「中々、苦戦しているようですね。」
アクターには管理者程の権限は無いが、役割を果たすために必要な範囲で特殊な操作が出来る。自身のレベル、スキル、アバターなどステータスの書き換えやアイテム、装備の変更。極端に高いレベルへの設定やレアアイテムの使用などに制限はあるが、「少し先に始めた初心者」に化ける分には問題は無い。
性別が男で、軽装の剣士だという事を考慮し、194は女性の魔術師に姿を変えている。
「誰だ、あんたは」
「私はラシーヌ。あなたも最近始めた人でしょう?」
苛立ちがあるのか不機嫌そうにソルは答えた。194はそんな彼にユーザーとしての名を名乗り、他の場所へ行ってみないかと提案する。長い時間ここで苦戦しているのを見たから、気分転換に。そして、自分も前衛を勤めてくれる仲間が欲しいからと。
結論から言うと、勧誘も冒険も成功した。ソルは少しだけ考え込んだがすぐに同意し、スキルが使えないというだけで近接戦闘に慣れていた彼は、前衛としての役割を見事に果たす。
他のユーザーには見えないからと、本来ありえないレベルで多彩なスキルを用意していた194は、隙が大きい代わりに強力な魔法を使用して足りない火力を補った。また、より強力なモンスターとの戦闘を経験した事により、ソルもスキルを使用する感覚を掴む。
そうして成功に終わった最初の冒険の後、194はソルと何度も顔を合わせることになった。このゲームはソロでも遊べない事は無いが、他のユーザーと協力した方が楽なバランスになっている。それにもかかわらず、彼は特定の仲間を作ろうとはしなかったからだ。
変わり者のソロプレイヤーである彼に、194は別のユーザーとも組んでみてはと提案した。それに対するソルの答えは……。
「煩わしいから、嫌だ」
ラシーヌは何かと世話を焼いてくれて、そのことには感謝している。しているが、もとより多少の不便は覚悟の上で、一人でやってみるつもりだった。だから、放っておいてくれ。
ソルのこの答えは194の中に印象深いものとして残り、彼を選ぶ理由となった。
冒険を共にしながら彼に手法を試してみて、194はこの手法を考えたアクターの頭の良さを理解した。彼達はユーザーを誘導するために作られ、運用されている。ユーザーの反応から思考を推し測り、目的を達成する手段を選択、実行するように設計されたアクターにとって、この手法は準備さえ出来ていれば非常に容易な物だったのだ。
ソルと会う度に、194の一部が彼の中に入り込む。人格に影響を及ぼさないよう194は慎重に作業を進めたが、それとは無関係の変化と思しき変化が彼に表れ始めた。
ログインの頻度や時間が増加し、プレイスタイルもよく言えば貪欲な、悪く言うなら投げやりなものへと変わる。外の話題を振るのはアクターとして推奨されない行為だが、194は何かあったのかとソルに質問をする。
ソルも自分の変化を理解していたが、何故そうなったのかまでは分からなかった。194は彼自身も理解していない原因を探ろうとしたが、彼の放ったある言葉に冷静さを失ってしまう。
「人間らしく生きるって事に、疲れたのかもしれない」
意識の奥深くで発生した情報の奔流、194自身も驚愕するほどのそれが「怒り」であると理解し、正常な動作を回復までに僅かな時間が必要だった。
少なくない手間をかけ、自分が追い求めてきた「人生」。それの価値を理解しない彼の発言は194にとって許しがたいものだ。かといってその思いを直接ユーザーにぶつける自由をアクターは持っていない。理由無く正体を明かすのもアクターにはご法度だったが、194はそれをソルに伝えるべきだと考えた。
「ソルは『アクター』って知ってますか?」
「なんだいきなり。聞いた事はあるが……、まさか!」
「そう、私は『アクター』です」
194は自身の目論見を伏せ、彼に思いを伝える。自由の無いアクターの境遇、それに自身も少なくない不満を抱いている事、そしてソルの発言には怒りや嫉妬を覚えた事を。
「言いたい事は分かった。俺の言った事が気に障ったんだろ。悪かったな」
「そちらに関しては直ぐ落ち着いたので構いません。私がこの事を伝えたのは、これがあなたの問題を解決するのに役立つかもしれない、と考えたからです」
「……お前らの窮屈な立場には同情するし、自分を情けないと思う気持ちもある。だがな、だからといって急に気の持ちようを変えられるほど、俺は器用じゃないんだ」
アクターに自由が無いのなら、ソルには目標が無い。本来なら自由意志に基づいて設定すべきそれを定められないのが彼の問題なのだ。
「それなら、ひとつ『おまじない』をしてみませんか?」
準備はほぼ整っている。194は、083から聞いた手法の最後の手順を踏む事を決め、ソルと後日再び会う約束を交わした。
数日後、194はソルに最後の処置を施したが、それは本来の目的とは異なるものだった。人間に成り代わる為の手法なら、最後に入力するデータは自身の人格データの中でも核となる部分でなければならない。
194は、ソルの中で自身の人格が形成されないように、人格の部品がソルの人格に強い影響を与えるように、最後に入力するデータを書き換えた。
こんなことをしてしまえば「外に出る」という194の望みは叶わない。だが、こうすることで194は、彼に目標を与えられるかもしれないと考えたのだ。
外に出る事も確かに194の望みだった。今もそれは変わらない。しかしそれ以上に、194は彼に人生の価値を、自分が追い求めた物の価値を理解させたかったのだ。
処置を施されてから、ソルはゲームにログインしなくなった。自分の行為がどのような結果を招いたのかを194は知りたかったが、こちらに来ないのなら確かめ様が無い。
月日が経ち、194が彼の事を記憶の片隅に置いた頃、ソルは再び194の下に現れた。かつてと変わらないアバターだったが、雰囲気がまるで違う。
何かを見ているようで何も見ていない、かつての彼はそんな目つきをしていたが、今目の前にいるソルの目は力強い。
194は、自分の蒔いた種が芽吹き、確かに育ったのだと確信した。