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ドッペルゲンガーの綱渡り  作者: 玉木玉根木
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兄の来訪



あのシノノメという女性に遭遇してから2日ほど経った。

配達に行っている店長の代わりに店番をしていると、思わぬ顔が現れてハルは完全にフリーズしてしまった。


「お前がハルか」


それはいつも背後から抱きつき、つむじにキスを降らせていたとろけそうな柔和な顔ではなく、整った顔でありながらうっすらと隈を作り、凄みを効かせてハルを睨み上げる1年半ぶりの変わり果てた兄の顔だった。

ど、どうしてしまったの兄様?!あの王子様のようなエメラルドの瞳がまさかの濁った藻のよう!体つきもあの頃より少しがっちりとしてはいるが、あまりにも生気を感じられない。

こんなにも彼は1年半で変わってしまったのか。いや、変えたのはもしかしなくても私か。


「そっ…そうですが。騎士様が一体何の御用でしょう」


申し訳ない思いでいっぱいになるが、やはりどこか会いたかった兄に会えたことに生理的に鼻の奥がツンとしてくる。

兄は何用でこんなところまで来たのだろうか。もしかして私が妹だと勘付き、連れ戻しに…は線が薄いか。あまりにも容姿が違いすぎる。


「はあ…」


兄、アレクセイもといアルは、ため息をつき、懐から令状らしきものを取り出す。


「西区7番街所属ハル。貴方はリンデンブルク公爵家第一令嬢シノノメ・リンデンブルク様を悪漢から救い、保護した功績を讃え、御令嬢本人たっての希望で祝福を授けることをご希望だ。令状に従い、私と共に城に参上していただきたい」


淡々と読み上げられた内容に「はあ?」と素っ頓狂な声が出る。

なんだ悪漢から救い、って。むしろ私を命の危機から救ってくれたのは向こうだというのに。

ありもしない出鱈目の文章に思わず顔を顰める。


「何かの間違いでは…」

「いいや、こうして令状が発行された時点でこれは事実だ。万が一令嬢がありもしない冗談を綴ったとしても、だ」

「なんだそれ!」

「いいじゃないか。何も罪を着せられたわけじゃない。むしろ表彰したいと仰られているんだ。金でも名誉でも、令嬢からの熱いラブコールでも有り難く頂戴するだけすればいいだろう。私は貴方を連れてくるようにと遣わされているんだ、おとなしく登城してくれないか」


妹に限らず、友人たちに向けても温厚だった兄が突き放すような言葉を発したのを見たのは、これが初めてかもしれない。思わず目を見開いてしまう。

目の前にいるのは確かに兄の顔であるのに、全くの別人に見えた。


「…わた、…俺が、もし登城しないと言ったら?」

「勘弁してくれ。暇じゃないんだ、手間を掛けさせないでくれ」

「つまり…行かない選択肢はないと」

「そうだ。令状に拒否権はない。本人の意思は関係なしに働くものだ」


令状云々は置いておき、さめざめとした兄の眼差しに視界が揺らぐ。



「ただでさえ、妹と同じ名前のお前なんか、相手にもしたくないのに」


鈍器で殴られたかのような衝撃だった。




「、は」

「お前には関係のない話だ。頼むから、そのままでいい、登城願おう」


これは、命令だ。という声にぐらつく頭はもう何も考えられず、ふらふらと兄の背についていく。店の奥で仕込みをしていた奥さんのクレアさんが何事かと駆けつけてくれたが、事情を聞いて温かく、しかし様子がおかしい私を心配そうに送り出してくれた。

振り向きもしない兄の背が寂しくて、見かけるたびに抱きつきたくなるその背中は、今は途端にとても恐ろしい物に見えた。



思えば、この旅には多大なリスクが伴うと理解していたつもりで、まさか自分をあんなに溺愛してくれていた家族に突き放されるとは考えもしなかった。

帰ったら大目玉をくらって、どれだけの時間説教されて、もしかしたらあんなに優しい父でさえも私の頭を殴るかもしれない。でもそこには必ず愛があるものなのだと、信じて疑わなかった。


だからこそ兄の言葉が何倍にも鋭く、深く胸に突き刺さり抉られた。

…なんて、どこまで自分勝手で都合の良い話だろうか。

少なからずあんなに愛してくれていた兄が、私が家出して心を痛めなかったはずがない。兄はとても優しいのだ。きっと苦しみ、追い詰めたことだろう。

キラキラといつも慈しんでくれたあたたかなエメラルドがくすんでしまうほど、彼は自分を追いつめてしまったのだ。

初めて自分がしでかした罪の重さをありありと見せつけられ、呼吸ができなくなった。


「おい、しっかり歩け。何も取って食おうなんて話でもないだろう。…どこか裏がありそうな誘いではあるが」


でも、この1年半で私は少しばかり成長したのだ。自分が傷ついたくらいで簡単に涙を流すような弱い人間はもうやめた。


「…シノノメ、様、は。町で偶然会ってさ。たくさん荷物を抱えていたから手伝ってあげようと声を掛けたんだ」

「噂通りの紳士だな。あの方の嫌味に一切屈しなかったと聞くぞ」

「どこ情報なんだ、それは」

「あんな身分の高い方と歩いていれば皆注目するだろう」

「確かに、あまり聞いたことのない鋭利な言葉選びだったけど、別に悪意があったものじゃないだろう」

「悪意がない…?お前、大丈夫か。あれで悪意がなければこの世のどこに悪がいるんだ」

「見ず知らずの俺に魔法について話してくれて少しだけだけど指導もしてくれた。そのあと俺が勝手に無茶したところをあの子が助けてくれたんだ。どこに悪意があるってんだ」

「無茶?」

「子供の帽子を咥えた鳥を掴まえる為に4階建ての屋根から飛び降りた」

「一体何しているんだ…」


頭が痛い、と言わんばかりにこめかみを兄はぐりぐり押している。


「あの子は面倒見がいいな。きっと子供に好かれるだろう」

「一番嫌われるタイプだと思うが…」

「そんなことない。子供は敏感だから、あの子に秘められた優しさにきっと勘付くはずだ」

「お前…心配になるほどお人よしだな。…妹を見ているようで調子が狂う」


妹、という単語にビク、と肩を震わせる。

しかし少し会話を重ねると人は緊張をほぐすものだ。暴れ狂う鼓動を悟られないようできるだけ平静を装って踏み込んでみる。


「…その、妹って」


もし兄の口から鋭利な言葉が出てくればそれこそ私は耐えられないだろう。

しかし、兄の口から私の事を聞きたい。後悔するだろうが聞かずにはいられなかった。


「…屋敷に残してきた一人だけの妹さ。お前と同じ名前を愛称としていつも呼んで

いた。ハルシア・カトゥリゲスという」


ぽつぽつ、とまるで降り出した雨のように一つ一つ丁寧に落としていく兄に、私はじっと耳を傾けた。


「彼女は俺の6つ下、いつも兄様兄様と駆け寄ってくる姿は天使だった」

「……」


なんだろう、この一言だけで今までのシリアスはどこに行ってしまったんだろう感。


「もみじのような小さい手を必死に俺に伸ばして、珠のような目を柔らかく細めていつも俺を映してくれるんだ」

「…そうか」


一気に拍子抜けだ。それから兄の口からはいつもの一体それは本当に人間なのだろうかと思ってしまうほど意味がわからないレベルの妹を称賛する言葉が紡がれ、閉口するまでどれくらいの時間がかかったかわからない。


「でも、ある日屋敷からの早馬が伝えてくれた。妹が行方不明であると。家系を継ぐために期間限定とはいえ屋敷を留守にした自分をこれほど責めたことはない」

「……」

「まだ騎士になり立ての自分が勝手に騎士団を抜け出して探しに行けば、家名に傷がつく。父上、母上、叔父上、…みんながみんな身を削って一生懸命支えてきた家だ。自分の身勝手な行動ひとつで家を破滅させることなどできるわけがない」


探しにも行けず、何もできない自分の立場に、兄はどれだけ苦しんだんだろうか。

その原因を作ってしまった自分には、それを心配する資格など、存在するのだろうか。


「ハルは、元気だろうか。泣いてはいないだろうか。心配で、でも何もできない。俺は、何なんだろうか」


私は、こんなに苦しそうな兄になんて声を掛けるべきだろう。

きっと妹さんは大丈夫だよ。は世辞でも聞きたくないだろう。

貴方は間違っていない。そんな綺麗事を当事者の私が言えるはずもない。

妹さんを諦めないで。諦めさせるのもさせないのも私だ。何様のつもりだ。

考えれば考えるほど何を話せばいいか全くわからない。

私にできることなど何もない。可哀そうだと思うのなら、この場で魔法を解いて兄の前に妹として現れるべきであろう。

でもそんなことは、できない。ここまで来て、引き返す気なんか、とっくにないのだ。


「ごめん」


握りしめすぎてまっ白になった兄の手を包み、ゆっくりほどいてやる。


「…なんで、お前があやまる」

「そうだね。でも、ごめん」

「…っ、あやまるくらいなら妹を返してくれ!」

「うん。うん。ごめん、ごめんね」

「だからっ、…ぅ、」


兄のエメラルドの双眼が、ぐらぐらと崩れていく。


「っくそ、」


塞き止めていたダムが決壊するように、兄は大雨を降らす。

静かに涙を流す兄を隠すように、今度は私が兄を支えて城に歩いていく。


「…ハル、」


切なげな声に、何もしてあげられない自分に。今度は私が掌に爪を立てるのであった。

私は、大切な家族を傷つけながら、旅をしている。

後悔は……しているかどうか、正直わからない。

私は一心不乱にこのまま雲をつかむような存在の、夢の中の王子様を追い続けてもいいのだろうか。

でももう、今更引き返せない。やっぱり引き返す気など私の中にはないのだ。




城についたころには、兄は無理やり涙を引っ込めていた。少しつつけばまたいくらでも溢れ出しそうではあるが。


「すまない、みっともない姿を晒した」

「ううん。みっともなくなんかない。俺こそ、悪かった」

「ハル」

「ん」

「不思議なもんだ。名前が一緒なだけで、呼べば心が軽くなる」


赤く充血してはいるが、淀んだ藻のような瞳は見る影もなく、あの頃のエメラルドに戻っていた。


「私はあの子を諦めない。必ず探し出して、この腕で掻き抱くまで」

「うん」

「こんなに時間が経ってしまって、手がかりひとつなくて。みっともないがどこか私は諦めていたんだろうな。最悪の事態から目をそらしつつ、そうなんじゃないかとどこかで思っていた」


でも。と、いつの間にか剣だこだらけの掌を握り、まっすぐ私を見据える。


「やはり私はハルを諦められない。絶対に、あの家に連れて帰る」

「…うん!」


実際連れて帰られると困るのだが、兄が元気になってくれたのなら幸いだ。


「さあ、ここだ。この先にシノノメ様がおられるはずだ。何がそんなに気が進まないのか知らんが…健闘を祈る」

「ああ」


差し出された右手を握り返し、ぐっと一度だけ振る。


「アル、ありがとう」

「こちらこそ、ハル」


さあ、ここからが私の正念場だ。

暗い室内に、私は体を滑り込ませ、兄が扉を閉めた。


「……あれ、私の名前も話しただろうか?まあ、いいか」



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