魔道士の女性
騎士団と一緒に帰る、と言っても、騎士団の船に乗り込むことは当たり前に出来ず、王都まで航路を特別に一般向けの定期船と並走しての航海になった。
だからオーナーたちにも不審がられずに爽やかに別れられた。これだけは本当に運が良かった。
そして航海中に理不尽なしけに遭うこともなく、あっさりと王都近くの港に着くことができた。
とりあえず、ゆっくりスローペースな私の旅の目的地である王都についに辿り着いのだ。
それは目的の青年が騎士団に所属しているのではないかという私の見解からだ。
あの時剣で私を守ってくれたように、彼は騎士団で国民を剣で守っているのではないかと思ったから。
ただ、それだけだ。だってあの時彼はカットシャツにズボンという普通すぎる格好をしていたから身分も職業も本当に何もわからないのだ。覚えているのは彼の風貌と声と掌だけ。
私にはそれしか手がかりがない。だからこそ、手当たり次第探すために彼になるのだ。
万が一、本人と本人の姿の時に鉢合わせることがあったとしたら、その時は目の前ですぐさま誤解を解こう。
そもそも彼の姿で行動するのだから、不正などあってはいけない。むしろ彼のように誰かを救い、笑顔にさせてみたいと思い始めた。
こんな時彼ならどうするだろう、彼は何をしてくれるだろう。この太陽のような優しい笑顔で私も何かできるだろうか。
王都に入って、アルバイトはもちろん、いつしか誰かの困った声に駆けつけるたり手助けしたりを無意識にするようになっていた。
さすがに王都に入っても兄の名前を使うことは憚れた。
だって本人がいるんだもの。何かの拍子に見つかれば今までの努力はパアだ。
私はおとなしく愛称を使うことにした。あいにく愛称ならばどこにでもいるようなものだったし、何より呼ばれてすぐに振り返ることができる。
兄の名前を使っていた頃は、名前を呼ばれるたびに近くに兄がいるのかと肩を上げていた。あれは申し訳なかった。
「おーいハル!これ届けてくれないか!」
「あいよ!ちゃっちゃと行ってくる」
頼んだぞ~と、店長の気の抜けた声を背中に、焼き立てのバゲットが詰められた箱をよいしょと抱える。
そう、性懲りもなくまた飲食店だ。オーナーたちに魅せられ、あっさり料理の道に目覚めてしまったのである。今度は定食屋でなくパン屋だけれど。
焼き立ての香ばしい香りに顔を綻ばせつつとことこと通りを歩く。
「まあハル。ごきげんよう」
「ごきげんようマリサ。綺麗なトパーズ色のワンピースだね。似合っているよ」
「ようハル!精が出るな!」
「モッゾさん、そうなんですよ最近また腕が太くなったみたいで」
「ははは!俺もパンをダンベル代わりにするか!」
「それならデニッシュがおススメですよ、また来てくださいね」
「今日も眩しいくらい爽やかだなハル、もう太陽が真上だってのに汗ひとつ掻いちゃいねえじゃねえか」
「やだな、さっき着替えたばかりだからだよシニャール」
「ハルー!どこ行くの?あそぼうよ!ねえねえ」
「おお、イリーア。いいぞ、ガイさんの家までどっちが早く着くか競争だ!」
この王都で暮らし始めてもう1年が過ぎ、家を出てから1年半が経とうとしていた。
自惚れではないほどに、優しい住民に受け入れてもらって毎日楽しく過ごさせてもらっている。
ただ、こんなにもたくさんの人に出会ったが、一向に手がかりが見つからない。
私の中には少しずつ、どうしても焦りのようなものが湧いてきた。
「あなたが、ハル?」
こりゃまた、珍しい。
吊り上ったアメジストの瞳にちりばめられたそばかす。面倒と言わんばかりに栗色の髪は雑に一つに纏められている。
西日が燦々と照らす昼下がりでも涼しげな顔で暑苦しいローブを纏っている彼女は王城に勤めているこの国の魔道士様だと、その重々しいエンブレムが語っている。
少し曲がった背だが、なかなかな高身長で、姿勢を正せばきっと凛と艶やかな印象の女性に化けるのだろう。
「ええ、そうですよ魔道士様。俺を知っているんですか?」
「あなた、この西区ではかなりの人気者のようね」
「それはそれは…身に余るお言葉だなあ」
彼女は買い物するために城から下りてきていたのだろう。彼女の細腕では抱えきれないほどの荷物だったから、手伝おうと、思わずいつもどおり声を掛けてしまったらまさか向こうが私を認識しているだなんて。
「そうやって人に媚を売ってチヤホヤされているのね。ばかみたい」
「そんなつもりじゃないけどなあ」
「へらへら笑えばみんなが喜ぶと思ったら大間違いよ。胡散臭いわ」
おお?新しい人種だ。今まで遭遇したことのない問答に私の目が輝くのがわかる。
「言うね~、君は裏が無さそうで安心するよ」
「安心?バカ言わないで。こんな攻撃的な言葉、不快に決まっているわ」
「そうかな?相手の悪いところを注意することができるなんて、勇気がないとできないことだ。格好いいじゃないか」
「あなたってどこまでも偽善者なのね。笑顔で嘘まで付けるなんて異常よ」
「嘘なんかじゃないさ。他の人にはない魅力が新鮮で美しいと思うよ」
「本当に嘘ばっかり。もうついてこないで」
「女の子が重たい荷物を持っていたら持ってあげたくなるのさ。ほら、貸して」
「そう。なら必要ないわ。私は魔法で事足りるもの」
そう言って、彼女の手の内で幾重にも重なっていた買い物袋たちは重力を失ったかのようにふよふよと宙に舞い始める。
すごい。こんなにナチュラルな魔法初めて見た!
「すごい!」
「…まるで初めて魔法を見たかのような反応ね」
「だってこんなにナチュラルで、さらりとやってのけてしまうんだから当り前さ!」
「私を誰だと思っているの」
「ごめん、わからないけど、君はすごく優秀なんだな!」
そう言えば、ついにぽかんと彼女は口を開けて呆けた。
ま、まずいこと言ったかな。
「あなた…ばかなのね」
「失礼だな!でも君を知らないことに関しては謝るよ。ごめん」
「はあ…皆が皆、さすがシノノメ様だと当たり前のように接してくるのに。もういいわ」
「シノノメっていうんだね」
「本当に知らないのね」
「うん。ごめんね」
「もういいって言っているでしょう」
屋敷にいたころに比べ、大衆の中で暮らしていればお偉いさんの名前が耳に入ることは愕然と減っていた。きっと彼女はこの国でかなり有名人であるのだろう。気安く話しかけるべきではなかったかなあ。でも彼女、面白いしなあ。
彼女の歩くスピードに合わせてフヨフヨと荷物たちもついてくる。
その様子が何だか愛らしくて、荷物をつつきながら追いかけていく。
「ちょっと。荷物に触らないで。デリカシーもないのかしら」
「これすごいな!俺も少しだけ魔法が使えるんだけど、これもできるようになるかな」
「あなたの素質とセンス次第ね。一概にできないとは断言できないわ」
「まじか!」
「魔力の出力は個人差があるから検査しないとわからないけれど魔力はあなたがただ歩いたり、腰に提げている剣を振り回すときにだって使っているものだからね。そのエネルギーを上手く変換することができれば物を浮かせられるわよ」
「へえ…!そういうものなのか」
「魔力にはそれぞれ属性があるわ。火であったり水であったり。自分に一番相性が良い魔法が発動しやすいわね」
私は水魔法が得意なの。と手でピストルを作り、ハルに向かってピュッと水を放つ。
「わっ冷た!」
「難しく考えないで。例えば物を拾うために自分の筋を動かすように、風を起こす。意識を体の外に、神経を周囲にも張るの」
神経を周囲に…とつぶやきながらハルは目をつぶる。
「駄目よ、ちゃんと目標に狙いが定まっていない」
「そっか、んん…」
動け~動け~と念じて、ハルは両手を前に突出し、目の前の売り物のリンゴを浮かせようと指をわきわきと動かしていた。
「だめね。全然ダメ。あなたは一日やそっとじゃ習得できないわ」
「悔しいなあ。毎日イメトレして頑張ってみるよ」
「奇跡が起こればそのうち使えるようになるかもね」
「ああ。きっと次は魔法で荷物を持つの手伝うよ」
まだ諦めていないのか…とあきれたような視線がハルに向く。
しかし口調はきついけれど、彼女はきっと面倒見が良いのだろう。鬱陶しいといいつつ、どこか優しさを感じるペースで話してくれた。
これが巷で噂のツンデレなのかと、ハルが感心していると、子供の劈くような泣き声が通りに響き渡った。
「うわあああん!!」
パッと声がする方に振り向けば、小さな子供が通りで泣きじゃくっている。
考えるよりも先に行動したような速さで、ハルが子供に駆け寄る。
「どうした?」
子供の額には小さなひっかき傷のようなものがあった。
「ぼ、うしっ」
黄色い帽子を咥えた大きな鳥が、バザールの屋根を掻い潜って上昇していくのが視界に映る。どうやら鳥に帽子をさらわれたようだ。
あんなに大きな鳥に襲われてこの傷だけで済んだのが奇跡だ。
ほっと息をつくのも一瞬。次の瞬間にはハルはダッと駆け出し、樽に足をかけて露店の屋根に飛び乗る。ピンと張った布の屋根は簡単なトランポリンのようで、飛び乗った反動のまま高く飛び上がり建物の屋根に足をかける。
まるで猿のような突然の身のこなしに道行く人々はこぞって空を見上げた。
「(見事な身体能力…!)」
スイスイ進んでいく鳥に、圧倒的な速さで屋根と屋根を飛び移るハルを追いかける為、荷物をその場に置きシノノメも魔法で宙に浮く。
もう少しで届きそうだ、という時に連なる屋根が終わりを告げた。
ああ、もう諦めるしかない。
そこで止まるのだろうとシノノメが思った瞬間、ハルが一瞬振り返ってシノノメと目を合わせる。
が、すぐに視線は前に戻り、ハルは止まるどころか思い切り屋根を蹴った。
「くそ届けっ!」
あろうことか、ハルは鳥に飛びつき、宙で鳥を抱きかかえて捕まえた。が、足場はもうない!
ハルは近くの家の縁に手をかけて勢いにブレーキをかけようとしたが、あまりの勢いに手が滑ってそのまま落下していく。
キャアア!と遠くで誰かが悲鳴を上げたが、慌てて追いかけてきたシノノメが、地面にぶつかりそうになるハルを地面すれすれの間一髪のところで魔法で宙に浮かせた。
「とんでもなく無茶をするわねこのバカ!」
低い位置から地面にどすっと落とされれば、ハルから「ぐえっ」と潰したような声が漏れ、ハルの腕の中にいる鳥は苦しいと訴えるようにバタバタと羽根は撒き散らしながら暴れていた。
「…うっわ~、もう駄目かと思った!」
「私がいなかったらアンタ今頃ペシャンコよ?!」
「うん、助かった。ありがとう!魔法って本当便利だなあ」
「何を暢気に…!」
「いや、君が助けてくれるような気がしたからさ」
本当ありがとな。とまた屈託のない笑顔を向けられ、何故かシノノメは泣きそうな顔をする。
「死ぬかもしれないのに、出会って間もない人間に、素性も何もわからない人間に命を預けたっていうの?しかも見知らぬ誰のかわからない子供の帽子を奪い返すためだけに」
「そんな難しいこと、一瞬で判断できるような優れた頭は持ってないんだよなあ」
困ったように眉を下げ、乱れた髪を整える。
「ほら、帽子が帰って来たぞ~」
ハルは暴れる鳥を空高く放ち、暢気に持ち主の子供に帽子を被せ、子供ときゃっきゃっと遊んでいる。
「どうして、たかが帽子に…死ぬかもしれなかったのよ?」
「ん?どうしてって…もしかしたら大切な日に貰った宝物かもしれないだろ?な?」
ううん、家にあったただの帽子だよと子供が言うと、ハルはあはは!と豪快にまた笑う。
とんだ肩すかしを食らったのと同時に、とてつもなく強い光を感じてシノノメはぶるりと身震いをする。
「あなたは一体…」
じっと見透かすように見つめてくるもんだから、ハルはあることに気づき、シノノメから気まずくて視線をふいと逸らしてしまった。
そうか、彼女は魔道士だから、もしかしたらこの鏡の魔法にも勘付くかもしれないのだ。
だとしたら、彼女は自分にとって一級の危険人物であると、今更ながらに思う。
自分から絡んでおいてなんだが、彼女には今後あまり付き合うべきではないのだろう。
一抹の寂しさを覚えるが、致し方ない。
「あー、荷物、放り出させちゃってごめんね。これで全部ある?申し訳ないけど、君を送れるのはここまでみたいだ」
少し暴れたおかげで、人だかりがすごい。この騒ぎを聞きつけ、騎士団が駆けつけるのも時間の問題だろう。
「待って。聞きたいことがあるの」
「本当にごめん!騎士団には目を付けられたくないんだ。じゃあまたどこかで!」
ハルは勢いよく踵を返し、人混みに駆けてあっという間に見えなくなった。
「何の騒ぎだ!」とこの西区を担当するおなじみの騎士の顔ぶれが駆けつけたのはその直後であった。
「なんでもないわ。人助けがあっただけよ」
騎士団の登場にざわつく通りにシノノメの声が凛と響く。
「シノノメ・リンデンベルク公爵令嬢?!なぜここに!」
騎士の30代程の男性が咄嗟に膝を地面に着く。その様子を見て、周りの野次馬もシノノメがめったにお目にかかれない公爵令嬢だと知り、道をさっとあける。
「買い物よ。欲しい物があったら買い物するのは当たり前でしょう」
「しかし護衛も付けずに城下へ下るなど、あまりにも危険すぎます。いくら貴方がこの国一の魔道士であるとしても…」
「私に小言を仰る気?随分図太い神経しているのね。それよりもこの喧騒を収めるのが貴方の仕事ではなくて?」
苦虫を潰したような顔を一瞬だが見せた騎士は、一喝して蜘蛛の子を散らすように野次馬を下がらせた。
「シノノメ様。やっとお見つけ致しました」
涼やかに聞こえた声は、いつも聞かされ続けている馴染み深いもので、シノノメはあからさまに眉を顰める。
「ディーク。お供はいらないと命令したはずよ」
「ええ、そのつもりでしたが、どうもシノノメ様の周辺がざわついていたようなので仕方なしに参りました。何かあって責任を取らされるのは勘弁ですので」
シノノメの執事、ディークが現れたのを見て、駆けつけた騎士は自分の出る幕は無いと周りに事情聴取を始めたようだった。
「あなたの減らず口のせいだわ。私がこんなに皮肉れたのは」
「何を仰いますか。私はシノノメ様には到底かないません」
「…あなたよく今まで解雇されなかったわね」
「ええ、優秀ですから」
ナルシストで不躾な態度を改めようともしない執事にため息を漏らすが、彼の優秀さを手放すことができないのは自分自身であると、理解している為ため息は止まらない。
「日も少し傾いてきました。城へ戻りましょう」
「それよりディーク、調べてほしいことがあるの」
「何なりと」
「この西区にハルという青年がいるのは知っているわね。彼の居場所を突き止めなさい」
「いよいよお嬢様も色めき立ってきましたか。庶民に好意を向けるなど、シルビア様がお聞きになられたら沸騰してしまいます」
「気色悪い妄想はやめてくれるかしら。断じて違うわ」
「一丁前に恥じらうなんて、何時の間に気味の悪い技をお覚えになられたのですか」
「本当に首を切られたいのねあなた。いつか本当にしょっ引いてあげる。…本当に違うわ。彼にただならぬ魔力を感じたの」
「魔力、ですか」
「あれほどの魔法は彼の器で使い続けられるものじゃない。…このまま放っておいたら、彼はどうなるかしら」
あの魔法を一刻も早く解いてあげなければ何が起こるかわからない。
そう呟くと、シノノメはカツンと踵を石畳の地面で鳴らした。
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