アルバイト
本で読んだよりも世の中は荒々しく、冷たく、非情が蔓延る世界だと、私が気づかされたのは旅立った当日であった。
自分のような成人も迎えていない少女が一人旅など、あまりにも無謀なことはわかっていたので侍女エレーヌの姿を借りて隣町に来ていた。
一番近くの宿屋で安全な部屋に通してほしいと告げれば通常の倍額を払わされた上、他の部屋となんの代わりのない部屋に通された。
夕食をと近くの定食屋に行けば見知らぬメニューばかり。適当におススメを…と言えば一人の女性が頼むような量じゃない膨大な料理達がテーブルに並んだ。
こんな量食べきれない、と早くも屋敷の料理が恋しくなり少し目が潤む。
さすがにやりすぎだと、周りの男性客が手伝ってくれたが、金額はやはり想像どおりであった。
「嬢ちゃんどこから来たんだ?見慣れねえ顔だな」
「いや、俺は見たことある気がするなあ。こんな別嬪さん、見たら忘れるわけがねえ」
がはは!と特定の歳を超えると出てくる中年ジョークに苦笑いしていると、ふと気づく。
そうか、青年の姿で旅をすれば彼の知り合いから声を掛けてくれるかもしれない!
彼を探すのであれば絶対のこの方が手っ取り早い。
私がいちいち声を掛けてこの人知っていますかと尋ねる手間も省けるし、青年ほどの歳なら宿屋にも定食屋もあらゆる店も女だからと嘗められることもなくスムーズに旅が出来るかもしれない!なんて一石二鳥なんだろう!と。
こうして次の日から私は青年の姿で旅をすることになったのだ。
ちなみに服は、変化の魔法を発動すれば記憶の中で彼が来ていたものに着替えることができる。なんとご都合主義な。しかし助かる。もっと技術を高めれば、このカットシャツ以外にも変身することができるようになるだろう。
もちろん彼に姿を変えるのは、人がいるところでだけ。ずっと魔法を使うことはやはり疲れるのだ。
そしてさすがに憧れの人になり続けるのも刺激が強い。不都合なことも多い。特にお風呂とかトイレとか…そういうのに限っては、毎回魔法を解いている。当たり前だ。一応花も恥じらう乙女なのだ。
5か月も旅を続ければ、疲れも出てくれば慣れも出てくる。
最初の方は町をハイペースで渡り歩いていたが、行けども行けども手がかりがなさ過ぎて焦ってもダメなんだと悟った。
疲れも溜まって寝込んでしまったこともあるし、もとよりどれくらいかかるかわからない旅なのだ、少しのんびり行ってもいいだろうと、まあ何とかなるだろう精神が確立し肝が据わって、歳的にまだまだ幼いであろう自分に貫録が出てきてしまった。
しかもまだまだ手持ちの金があるとはいえ、消耗する一方なのだ、金はいつか尽きる。
ならば時間があるうちに少しずつ貯金もするべきであろう。
私は6つ目に辿り着いたこの港町で人生初のアルバイトに挑戦することにした。
何事も経験だとは思うが、どうせならこの旅の目的に繋がることであればいいなと思った。
人との交流が多く、かつ自分のスキルアップになるものが良い。
思えば生まれてこの方子爵令嬢として蝶よ花よと育てられたために生きていく中で必要最低限な自炊というものしかできなかった。
煮物やスープ、炒めものにパン。どうせならちゃんと料理ができるようになりたい。
思い立ったら吉日、大衆食堂に駆け込み、雇ってもらえるように兄の名前を借り、身分も兄の物、証明するものが無い理由としては、騎士団に入団するために王都に向かう途中馬車が山賊に襲われたが得意の剣術で追い払ったはいいものの、逃した山賊がちゃっかり自分の荷物を根こそぎ持って行ってしまった。と我ながらそれっぽいことを言ってのけてすんなり雇ってもらえることに。
ついでに自分は子爵の子息であるため、雑用とかの経験は皆無であるが雇ってもらえる以上他の従業員と同様にしかる時は叱咤しちゃんとこき使ってほしいと告げた。
これは人生経験の上で必要なものだと思ったので本音であるが、その心意気やよし!と店主にえらく気に入られてしまった。
言葉通りこき使われ怒られることも褒められることもあったが、とても優しいオーナー夫婦に実の息子のようにかわいがってもらった。
毎日この恩は忘れないと、出会いに感謝して潜る寝台は毎日お日様のにおいがして柔らかかった。
この大衆食堂に集まるのは港町だからこそ、日に焼けたガタイの良い男性ばかり。昼よりも夜の方が陽気で、たくさんお話をしてくれるのだという事も初めて知った。
「ようアル。今日もクソ真面目に働いてんなあ!」
「バアトルさん。いらっしゃい。麦酒なら冷えているよ」
相変わらず気の利くガキだぜ!とバアトルさんはどかりといつもの椅子に腰を下ろす。
働き始めてもう1か月が経とうとしている。常連さんの顔なら、嫌でももう名前と顔が一致するようになってきた。
そして私の男っぽい言葉も少しずつ様になってきている。
泡立つ麦酒を出せばテーブルに置く前に私の手から奪い取り喉を鳴らして美味そうに飲み干していく。豪快なバアトルさんにかかれば、こんなに大きなジョッキで出しても1杯目は一気飲みしてしまう。そしてお決まりというように、空になったジョッキをテーブルに叩きつけるのだ。
「かあ~!」という大きな掛け声も忘れない。
「今日は鶏の気分だ。味の濃いやつ、頼むぜ」
すかさず突出しの豆に食らいつきながらバアトルさんの今日の至福のひとときが始まったようだ。カウンターの奥からオーナーの「はいよ~」という気さくな声も聞こえた。
「今日は一層疲れたな~。おいアル、暇なら肩たたいてくれや」
「暇でもなければ俺は執事じゃないんだけど。まったく…」
といいつつ、とんとん、と肩を拳で弾むように左右交互に叩けば、「あ~…」とバアトルさんが背中を丸めて2杯目の麦酒に口を付けた。
「今日は一段と肩が岩のようだ~。おつかれさま」
「今日はなあ、なんでも王都の騎士団が隊を引き連れて港につけてきてなあ、これが予定よりも2日も早まったおかげで今船着き場は芋洗い状態さ。はた迷惑なこって」
この町の港は大陸のちょうど中央に位置していることもあって、港の出入りが激しい。
ある程度は何日に何艘船が停泊するのかを把握しなければ溢れてしまうほどだ。
実はこのバアトルさん、船着き場を管理するちょっとお偉いさんだったりする。
…ん、騎士団?
「騎士団?何かあったのかな」
「いいや、定期的に見回りの為に騎士団は港に船をつけるのさ。ただ今回は第三隊だけでなく第五隊も引率してきたのには何かがあるかもしれねえ。おかげでただでさえ数が多いくせに倍の数で来られたんだ。こっちはてんやわんやさ」
騎士団と聞いてギクリとする。
そう、兄はきっと今も騎士団にいるはずであろうからだ。
この姿では私を妹だと判断するわけがないが、妹が家出して未だに帰宅していないことはきっと兄の耳にも入っているはず。
自惚れでなく、きっと血眼になって探していると思うからこそ、見つかるわけにはいかない。
目的を果たさずに連れ戻されては、今後一切家から出してもらえないかもしれないのだ。そのくらいの危険をこの旅は抱えているのだと重々承知している。
「ただの噂ではあるが、第五隊ってのは表向きで、王直属の第一隊だってこともあるらしいぜ?今回ももしかしたらもしかするかもしれねえな」
「王直属の部隊が派遣されるなんて、そんな物騒な…」
「政治についてはあまり詳しくねえが、最近ドゥーヤ国が不穏な動きを見せてるってもっぱらの噂さ。まあおちおち平和ボケもしてられねえってこった」
ドゥーヤ国。このわれらがプラナリア国に隣接する大国だ。プラナリアより国土は三倍もあるが、我がプラナリアの誇る騎士団の名声は高く、この世界でプラナリアの軍事力に肩を並べる国はいない。…はず。
慢心するわけではないが、プラナリアに盾突こうとする輩がいるとは考えにくい。
「国の問題の多くは公になる前にお偉いさん方が片しちまうから、噂でも国民の耳に入る話は一概に一蹴するのは気が早えってこった。火のないところに煙は立たねえからな」
何時の間にかバアトルさんの目の前にはおいしそうなから揚げが出ており、はふはふと頬張るバアトルさんをじっと見つめる。
このおじさんはガサツではあるが、どこか意味深なことを言う時がある。他意はないのかもしれないが、どこか聞き流せずしこりが残るのだ。
「ガキが、んな難しい顔すんな。ほら、からあげくっとけ」
「んん!あっつ!」
突然のから揚げの来訪に驚いてはふはふと悶えていると、がはは!とバアトルさんの豪快な笑いが響く。
奥ではオーナー夫婦が愉快そうに笑っているのが見えた。
アルバイトをさせてもらいつつ、下宿までさせてもらっているオーナー夫婦には本当に頭が上がらない。息子さんが使っていたと言われるお部屋がそうだが、欲を言えば娘さんの部屋が良かったです。
夜は魔法を解いて13歳に戻るからね。できれば女の子の部屋が好ましいよね。なんて進言したら解雇されるかもしれないので言わないが。
あ、この度誕生日を迎えて晴れて13歳になりました。そこらへんの13歳よりもかなり人生経験豊富だと言い切れます。
あくびを漏らしつつ寝間着に着替え、明かりを消して寝台に潜ってから小1時間ほど経った頃だろうか。
何やら遠くが騒がしい。
飲んだくれが多い街だ、おそらくまたどこかの酔っ払いが騒いでいるんだろうと、また瞼を深く下ろせば、どうやら声がどんどん近づいてきているようだ。
しかも酔っ払いが叫び散らしているような声ではなく、複数人の声で、誰かを追いかけているようだった。
「……?」
咄嗟にバアトルさんが言っていた「騎士団」が頭を過ぎる。
言いようのないざわめきが眠気覚ましのように燻る。
小さな体のままの方が隠れやすいだろうと判断し、もはや旅を続ける今となっては小さな自分の体に合ったサイズの服は寝間着しか持ち合わせていないので、はしたないが寝間着のまま様子を見に行くことにした。
裏口から外に出、陰からこっそりと通りを見れば、騒ぎはすでにすぐそこまで来ていたようだった。
月夜に照らされても映える、この国では珍しい褐色の肌の青年がどうやら騎士団ともめ事を起こしているようだった。
「剣を捨てろ!」「逃げ切れるとは思うな!」「ただで済むとは思うなよ!」などと怒鳴り散らす騎士団は、第三者から見れば夜中に常識も考えずに騒ぎ立てるチンピラのようだった。
いやはや私も変わったもんだ。騎士団はいわばこの国の名誉。それを掴まえてチンピラ呼ばわりとは、上流階級の家族や友人が聞けばどんな反応をするだろう。
それほど私もこの旅で世間一般の空気に染まったという事かな。
成績を讃えられて王都を行進する騎士団のかっこいいイメージは、いつのまにかいつも偉そうにふんぞり返ってマニュアル通りに動くお堅い人たちというものに変わっていった。
兄の騎士姿を見ればそんなイメージすぐに払拭されるかもしれないが。
なんて騎士団との諍いをちょっとずれた視点で野次馬していると、褐色の青年が動いた。
この国では見慣れない、いや、初めて見た剣の構えに瞠目しているうちに一人、また一人とどんどん騎士団が伸されていく。
体術と剣術が混ざったかのような動きは、まるで舞っているようで、この国の型じゃないことは素人目でも一目瞭然だった。
あっという間に10人ほどを一人で伸した褐色の青年は、その手の甲で額の汗を拭い飛ばす。
なんだか色っぽい人だなあ。なんというか、野性的というか。と13歳あるまじき思考を巡らせていると、邪まな思いが届いてしまったのかばっちりと目が合う。
あ、こりゃまずい。
「………」
「………」
逸らされたのは向こうからだった。気配を感じてばっちり姿も捉えられたが、こんな小娘ごとき敵と見做すほど彼も暇ではないらしい。
褐色の青年はあっという間に通りを駆けていってしまった。
すぐに他の騎士団の人たちが駆けつけ、「追え、逃がすな!」とくまなく周辺を探し始めたので、私も見つかる前に部屋に戻ろう。と踵を返した。
ら、背後にぴったりと褐色の青年が張り付いていたので大声を上げるところだった。
むしろ上げなかったのが不思議だ。あまりにもホラーすぎる。
近くで見れば切れ長の瞳は月の色をしていて、圧倒的な体格差に見下ろされ、私の体は石になったかのように動けなくなった。
「おい嬢ちゃん」
初めて聞いたその声は、今まで聞いた中で一番低いバリトンだった。
「東はどっちだ」
「ひ、東…?」
「そうだ。すまんが急いでいる。さっさと教えてくれ」
確かに、今は夜だから方角を把握するのは難しい。夜も月の位置で方角を編み出すことは出来るが、満ち欠けや周期によっては真逆の方角になってしまうこともある。
まどろっこしいことをしているよりは知っている誰かに聞くのがそりゃ手っ取り早い。
が、追われている途中でするにはあまりにもリスクが高いだろう。
同時に、こんな時にも余裕があるということは彼は相当な実力者だという事だ。
急いでいるという割には声は落ち着いているし、すまないがと謝罪を入れられるあたり相手を気遣うこともできているのだ。
ただ者じゃない、そう思わざるを得なかった。
「東は、あっち。門が1つあるけど、きっと包囲されてる。少し南寄りに1軒だけ、塀より高い屋根を持つ家があるの。登れるならそこから出た方がいいと思うけど」
じっと見つめて話すと、切れ長の瞳がきょとんと僅かに丸くなる。
「…そうか。ありがとな」
がしがしと掻き混ぜるように頭を撫でられ、脳が揺れる。
目尻に僅かに皺を作ったかと思えば、暗い色のカットソーを翻してあっという間に彼は私の目の前から姿を消した。
あっという間すぎて、今のは夢だったのではないかと思うくらいだった。
撫でられたところはほのかに熱く、どこか既視感を覚えるものではあったが。
ほんの少しの間、固まった私だが、騎士団の慌ただしい足音にハッと我に返り、急いで自分の部屋へ音を立てないように駆け上がったのだった。
あんな騒ぎがあったにもかかわらず、翌日は何もなかったかのように街はいつも通りだった。お昼になれば波のように人が押し寄せ、過ぎれば閑散と、その隙に夜の仕込みをしていると、そのうちに仕事上がりの一番客が顔を見せる。
オーナーたちも夜の事に一切触れず、いつもの時間が流れているのが逆に違和感だった。
「そりゃおめえ、面倒事には首を突っ込まないのが一番だからなあ」
「感想くらい言い合ってもいいと思うんだけど」
「感想?騎士団の皆さんがご苦労なことに敵国のスパイをこんなところまでわざわざ追いかけてきたってえのに、まんまと撒かれて残念でしたってか?」
「やっぱり逃げられたんだ」
バアトルさんはやはり知っていた。
しかしそんなヤバイ発言、普通のトーンですべきではないよね。ほら、オーナーが人差し指立ててしーってしている。
「敵国のスパイって、」
「やっぱりドゥーヤだったな。これでやっこさん達はいよいよクロってわけだ。こりゃ国が動くぞ」
「国が動く…戦争が起こるかもしれない?」
「しかるべき時は俺らも覚悟した方が良いかもしれねえな。きなくせえ話になってきやがった」
イカの炙り焼きを咀嚼しながらバアトルさんはやっぱり麦酒を煽る。
戦争かあ…戦争になったら、兄も駆り出させるんだろうか。そりゃそうか。きっと駆り出されるに決まっている。
嫌だなあ、兄様だけ見逃して欲しいと思うのは本当に身勝手な話だ。
「そういやおめえ、騎士団に入るために王都へ行く途中なんだろ?明日にも騎士団の一部は王都に引き返すみてえだぞ。入団者なら乗せていってもらえるんじゃねえのか」
「はっ!」
そういえば、そうだった。そういう設定だった。
いや、忘れていたわけじゃないよ?ちゃんと今思い出した。
ど、どうしよう!確かに次の町に行く為の資金集めとして働き始めたが、当初の設定にあまりにも当てはまる条件ができてしまった。これは逆に断れば疑われるだろう。
もう少し働きたかったが…ここらが潮時か。
「そうですねえ…ここの暮らしが心地よすぎてすっかり抜けていました」
オーナー、おかみさん。バアトルさんも、お世話になりましたとあっさり別れてしまうにはあまりにもさびしい。
「またいつでも来るんだよ。部屋は空いているからね」
そうは言うものの、やはりオーナーの目は少しさびしそうだ。
その日の賄いは私の好きなエビ料理だった。
旅は出会いと別れの連続とはよく言うものの、これがそうなのかと、じわりじわりと実感が湧いて、その夜は年甲斐もなく枕を少し濡らしてしまった。
いや、私はまだ13歳だからまだ許されるか。
歳を忘れないようにわざと年齢を言い張るが、旅を重ねるたびに猛スピードで老けていっている実感が半端ない。
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