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第七話『学校の怪談(後)』

 本校舎の四階。静まり返った、そこの廊下を、懐中電灯を頼りに、帰る為に、階下へ向かう階段を目指して、瑞希と二人で歩く。さっきまで俺たちを照らしてくれていた月明かりは、雲に入って怠けているようだ。全く、暗くて困る。

 本来なら、一番近くにある階段を使って帰るところなのだが、謎の爆発によって使えなくなってしまったので、廊下を通って、反対側の階段を使おうとしているわけだ。

「はぁ…… ホントさっきのはなんだったのよ……」

 懐中電灯で足元を照らしながら、横を歩く瑞希が愚痴る。その足取りは、先ほどまでのハード鬼ごっこのせいで、当然の如く重い。

「……てめーが脅迫とかピッキングとか、ロクなことしないから、バチが当たったんじゃねーか?」

 だとしたら、俺は完全にとばっちりになるけどな。

「そりゃまた勘弁して欲しいバチね…… てゆーか、神様とか全く信じてない癖に、よく言うよね……」

「信じてねーからこそ、テキトーなことが言えるんだ……ん?」

 ペタ……ズルズル……ペタ……ズルズル…… 微かに、そんな音が聞こえた。なんだ? さっきからどっかに行ってる骨野郎か? だとしたら、非常に面倒だな……

「どうかした、タツキチ?」

「……いや、なんか、変な音しないか?」

 ペタ……ズルズル……ペタ……ズルズル…… 音はまだ続いている。正体を確かめようと、視界の先、廊下の奥の暗闇に目を凝らしても、黒い闇が写るばかりで全く確認できない。

「……確かに、聞こえる。てかさ、なんか、近づいて、来てない……?」

 言われてみれば、徐々に大きくなっている気がする。後ろが大破した階段では、接触は避けられないか。

「……照らしてみてくれ」

「……うん」

 瑞希に頼み、懐中電灯で、敵の姿を確認しようとするが、

「あ、あれ? 故障? 電池切れ?」

 チカ……チカチカ……と、弱々しい明滅のあと、俺たちの唯一の光源である懐中電灯は、沈黙した。故障や電池切れにしても、廊下の奥を照らそうとした直前とは、出来すぎなじゃないか?

 ペタ……ズルズル……ペタ……ズルズル…… 音の主はもう、すぐそこまで来ているようだ。

 不意に、月が雲間から顔を出し、視界が照らされた。

「ひっ!」「なっ……」

 そこにいたのは、セーラー服を着た、女子生徒。腹ばいになり、腕の力で、廊下を這って移動している。顔は、長い前髪で隠れて見えないが、良い顔をしているようには、思えない。

 そして、見えない表情だとか、うちの制服はブレザーなのに着てるのがセーラー服だとかが、些細な問題に思えるほど、インパクトがある、存在していない下半身。

 腰周りのセーラー服はボロボロで、ここからではよくは見えないが、どうやら内蔵らしきものが、チラチラと顔を出している。

「……てけてけ」

「……なんだ、そりゃ?」

 ボソっとつぶやいた瑞希に、即座に聞き返す。不思議な感じだが、奴から圧倒的な威圧感や存在感は感じても、あの人体模型たちのような殺気は感じない。無害系か……?

 だが、何か、別の感じの何かも、ヒシヒシと伝わっては来ている。それが、何かはわからないが……

「……こーゆー見た目のお化けが出る、っていう怪談。てけてけに会うと……」

 瑞希は、そこで一旦言葉を切った。奴は、その間もズリズリと近づいてきている。殺気は感じないが、なんだろう、嫌な予感がする……

 ふと、てけてけと言う幽霊は、俺たちの2mほど手前で、動きを止めた。そして、上半身を上げ、俺たちのほうに頭を向ける。

 その動作に、俺は身構え、瑞希は半歩ほど後退った。てけてけはそのまま、長い髪の切れ間から覗かせた綺麗な唇を開いた。

「……ねぇ、その足、ちょうだい?」

 吐き出された言葉は、かすれるような小さな声だった。だがそれは、声でも内容でもないところで、俺を震え上がらせるに足りるものだった。

 わかった、こいつが発しているものの正体が。それは、狂気。理解出来ないまでの、狂気だ。

 だが、だとすれば、こいつは、あの人体模型よりもヤベェ奴ってことになるな。あいつらの殺気よりも遥かに大きい、狂気で満ちてやがるんだから……

「タ、タチキチぃ……」

 瑞希が、俺の後ろに完全に隠れる。一瞬、そっちに顔を向け、小さく頷く。てけてけは、まださっきの体勢のままだ。

「オイコラ化け物、よく聞け。俺の自慢の健脚は、てめーにくれてやれるほど安かねーんだよ!」

「そう……じゃあ、もらうね」

 流れなど無視して、てけてけはそう言い、体勢を戻し、ジリジリとこちらに近づき始めた。どうやら、会話が出来る相手ではないらしい。

「……逃げるぞ、瑞希」

 てけてけの動きにあわせながら、ジリジリと後退しながら、小声で言う。

「どーやって!?」

「……俺が奴に蹴りを入れるから、それと同時に横を走りぬけろ」

「そんな…… タツキチはどうするの?」

「わからねーけど、それしかねーだろ! いくぞオラアッ!」

 小声での相談を切り上げ、一気にてけてけの前まで飛び出ると、低い位置にいるてけてけを、サッカーボールの如く蹴り飛ばすべく、足を振り上げる。

 横を見れば、瑞希がダッシュで廊下の先へ走るのが見える。てけてけは、瑞希を追おうとしたが、俺の蹴りに気付き、それを受けるべく、右の手を俺の蹴りに合わせて突き出してくる。

 パーン! という音が響く。直後、静寂が辺りを包む。

「なっ……」

 俺の蹴りは、右手一本で受け止められてしまっていた。そのまま、右手で掴まれた脚は、ピクリとも動かない。

 いや、脚どころか、全身が動かなくなっていた。金縛り、というやつだろうか。こいつは触れているだけで、人を金縛りに出来るのか?

「タツキチっ!」

 言葉も出せないせいで、返事も出来ない。俺を放って先に行け、そう言いたいが、無理なようだ。これは、本当にマズイな……

「……じゃ、もらうね」

 宣言通り、脚が引っ張られるが、俺は動けない。ビキッ、っと間接が悲鳴をあげる。痛てぇ……このまま本当に脚が引き千切られるんじゃねーかと言うくらいの激痛だ。だが、こいつの金縛りは、悲鳴さえ出すことを許さないらしかった。

「タツキチっ! タツキチっ!」

 瑞希が必死に俺を呼んでいる。こいつの前で悲鳴を上げずに済んだのは、よかったかもな…… あまりの激痛に、関係の無い考えが、頭に浮かび出す。そういや、ガキの頃からずっと瑞希に振り回されてたな。そんで、その度、助けを求められて、俺が突っ込んで、俺だけ怒られる。懐かしいな。

「そうだっ、あれで…… て、てけてけっ、こっちを向きなさいっ!」

 瑞希の叫びが廊下に反響し、俺は意識を現実に戻した。微かに動く眼球で、その様子をみれば、何かを取り出し構えているようだった。

 何をするっていうんだ、いいから逃げろ…… そんな思いも空しく、てけてけは器用に首だけ後ろに回し、瑞希を見ているようだ。俺の脚に掛かる力と、金縛りは、継続したままで。

 てけてけが首を向けた直後、パシャッ、という音と共に、まばゆい光で、俺の目が潰れた。あまりの閃光にクラクラと、数歩後退する。

 そう、何故か後退出来た。てけてけが、俺の脚を離したらしい。ということは、てけてけは瑞希に……?

「タツキチ! こっち! 急いで!」

 どうやら俺の悪い想像は、外れたらしい。すぐさま、真っ暗闇の中、瑞希を信じて走り出す。すぐに、瑞希に手を握られ、そのまま案内を任して、さらに走り続ける。

 お互いの、走るペースは、さっき嫌っていうほど、確認済みだ。目なんか見えなくても、走れる。

「さっきの、カメラのフラッシュか?」

「うん。でも、こっちも故障しちゃったみたいで、もう一度試そうとしても全然ダメ……」

 どうゆうことだ? あいつに、機械を故障させる能力まであるっていうのか? だとすれば、勝ち目なんてあるのか?

「やっと、目が慣れてきた」

 走ってる途中で、やっと瞳孔が開き、少ない光でも、辺りが確認できるようになった。みれば、もう廊下の端まで走ったようだった。

「よかった、ちょうど階段だよ」

「ああ」

 そのままの勢いで階段に入り、駆け下り、踊り場に着き、さらに下りようとしたとき、ありえないものが目に入った。

「……うそ、なんでいるの?」

 それは、どうやってか先回りしたてけてけだった。踊り場の先の階段、その三階寄りの位置に、てけてけはいた。まさか、ワープ出来る、とか言わねーよな……

 これは、マズイな。後ろに行っても、いずれ行き止まり。瑞希の言う分には、さっきみたいにカメラのフラッシュで逃げることも出来ない。掴まったら、というか触れられたらアウト。まさに八方塞じゃないか。

 ……いや、一つだけ、方法がある、な。

「……俺が囮になるから、瑞希は逃げろ」

「そんなこと出来るわけないでしょ!」

「……じゃあ、時間を稼いでるから、誰か呼んで来い。こいつは、俺たちでどうにか出来る相手じゃなさそうだ……」

 この時間の学校に誰がいるのか知らないが、あんな化け物、幽霊が見えるだけの他称不良高校生と、ピッキングが得意な女子高生じゃ、どうしようもないから。

「……そんな。でも、どうやって?」

「俺があいつを飛び越えて、三階に引きつける。瑞希は、その間に一階まで行け」

「……大丈夫なの?」

「あんな奴にやられる気はねーよ」

 下を見ると、てけてけは、一段一段、嫌がらせのように登ってきていた。どいつもこいつも、じらし上手で結構なことだ。

「……ねえタツキチ、これあんたに預けるから、後で、絶対返してよ?」

 下を見て、飛び時をはかっている俺に、後ろから声をかけられた。振り返れば、ピッキング道具とかカメラが入っているであろうポーチが、俺に突きつけられていた。

「わかった、約束する。必ず、返す」

 返事をして、突き出されたポーチの持ち手を握ると、違和感。よく見ると、なんか、バネというかゼンマイの中身というか、なんとも言いがたいものが飛び出していて、それごと持ち手をにぎってしまったらしい。

「……これ、なに?」

 暗がりの階段で、バネのようなゼンマイの中身のようなモノを指して、一応聞いてみる。

「……えっと、最初の生物実験室で、驚きの余り掴んで持ってきちゃった何か、みたいな? 机の上に出しっぱなしだったくらいだし、多分ゴミ、かな」

 ああ、俺の幼馴染に、窃盗罪が追加されたようだ。

「……そうかい。じゃあ、俺は行くぜ」

 一気に緊張感が削がれてしまったが、まあいい。階段を一気に蹴り出し、てけてけの頭上を飛び越える。

 俺の行動に、唖然としたのか、てけてけが視線で追ってくるのが、空中で確認できた。よし、このまま、俺の方へ来い!

 三階に着地すると、すぐに振り向き、階段を仰ぐ。すると、そちらも丁度振り向いたところ、といった感じのてけてけと、目が合った。まあ、目が前髪で隠れている以上、想像でしかないけどな。

「オラ来いよ、根暗前髪っ! てめー如きが黒髪伸ばして、アジアンビューティー気取りなんて、ちゃんちゃら可笑しいぜ!」

「…………………」

 てけてけの返事はなかったが、俺の方に向かって、ズリズリと近づいてきた。俺、もしかしたら幽霊を煽る才能あるんじゃね?

「タツキチっ! 無事でいてよ!」

「ああ」

 軽く返事をして。三階の廊下を走り出す。ときおり、後ろからてけてけが付いてきていることを確認しながら。


 ***


「おかしくないか? もう、確実に五階分以上、階段を下りたはずだ」

「そう、だよね……」

 帰るという決心した後、大破したのとは別の階段を、僕たちは下っていた。窓が無く、月明かりさえ得られない階段は非常に暗い。不動さんの持つ懐中電灯だけが、僕たちの便りだった。

「おかしいッスよね…… いつからこんなことに……」

 歩擲の言葉で、こうなったまでを改めて考えてみる。たしか最初は、三階から二階分下りた、一階と思われる階で、外に出た。するとそこはまだ二階だった。といった感じだったはずだ。

 それで、数え間違えたかと思い、さらに下りても、また二階。さらに下りても、また二階、といった感じで、延々と二階をループさせらているのだ。

 一体どうなってしまったのか、わけがわからない。頭がおかしくなりそうだった。

「のぼってみたら、どうなるかな?」

「そうだな、試してみるか」

 アイゼンの提案を聞いて、先ほどまで延々と下りてきた階段を上る。すると、今度もまた二階だった。

 どうやら、二階から出れなくなってしまったらしい。

「これ、マズイんじゃないッスかね……」

「そうだな。早くなんとかしないと、マズイな」

「……やっぱりこれも、幽霊とかの仕業、なの?」

 歩擲の発言に返していると、不思議な現象に連続で遭遇したのが堪えたのか、割と元気を無くした不動さんが聞いてくる。

「間違いないだろうね。こんなおかしなことが、普通の物理現象であるわけがない。だが……」

 今回の問題はそこではないのだ。一番の問題は“敵が見えない”ということだ。これでは、既に敵の手のひらの上、最悪腹の中、という状態もあるかも知れないのだから。

「窓とか、どうかな?」

「試してみるか」

 アイゼンの二度目の提案に乗り、廊下に出て、手近な窓に近づく。歩擲が窓に手をかけ、その鍵を開けようとしたが、全く動かないようだ。

「開かないッスね……」

 そう言って、歩擲が残念そうな顔でこちらに戻って来た。

「今、歩擲が力を込めたとき、かすかに霊力が見えた。恐らく、壊すのも無理だろうね……」

 敵は、どこかにいて、この二階全体に対して、その力を使っている、ということだろう。かなりの広範囲だ、中々恐ろしい奴、ということになるな。

「霊力の元とか、わからないの?」

「わかったら、すぐに向かっているさ」

 提案を失ったらしいアイゼンの質問に、答える。せめて、心当たりでもあれば……

「そうだ、不動さん、この校舎の二階に出る怪談って、何があるかわかるかい?」

「え? わかるけど、こんな内容の怪談、なかったよ?」

「いや、それでもいい。今は、何でもいいから手がかりが欲しいんだ」

「えーっと、たしか、目の動く肖像画と、踊り場の鏡の悪魔、かな」

 目の動く肖像画か、さっきまで何度も通った階段の踊り場にあったモノだろうか。鏡は、大破した階段の下にあるのが、それだろう。

「……あの絵だとするなら、には何も感じなかったッスね」

「そうだな、僕も特に感じなかった。じゃあ、鏡の悪魔、とやらの方に向かうか」

 そして僕たちは、また長い廊下を歩き出す。先に待ち受けるのは、本当に悪魔なんだろうか。


 ***


 月明かりが、大きな穴から差し込んでいた。俺は、大破した階段に腰掛け、集中して、作業を進める。視線の先には、煙を噴出している衝気圧搾推進編上靴(ラムジェットブースター・レッグ)

 まさか、転んだだけで壊れるとは、この俺も予想外だった。水がいけなかったんだろうか? それとも、走り回ったことだろうか?

 そもそも、空を飛ぶ用の装備だから、考えれば要因は多々見つかるな。要反省だ。後日こいつの改善も行なっておくか。

 それにしても、先ほどまで四人組の学生が来たり、その前はDランクの物理体所持霊体が上に居たりと、21世紀の学校は中々に愉快らしいな。まあ、どいつもこいつも、暴走した衝気圧搾推進編上靴(ラムジェットブースター・レッグ)の光学迷彩機能のせいで、俺のことを見つけられなかったようだが。

 そう言えば、四人組の方が、圏外だなんだと言っていたが、どうやら電波妨害機能まで暴走しているようだな、こいつは。

 21世紀での隠密音速飛行の為の機能が、全てアダになるとは、ふははは、なんとも皮肉なものだな!

「おじさん、にやにやしながら修理しててキモい」

「うるさいぞ、クソガキッ! 俺はお兄さんだと言ってるだろうが!」

 ふぅ、どうにか外すことが出来た。まったく、困った脚だったが、ふははは、我ながら流石だと言いたい。……少し空しいな、さっさとしまうか。

 視線をあげると、以前のサイコゴーストのなれの果てが、漂っていた。む、こいつ、以前より干渉力が増してるな…… D下位から、DとCのボーダーくらいになっている。どうゆうことだ?

 さらに、霊子計によると、上階にCランクが一体と、下階にもCランクが一体か。これは、ますます妙だな。さらに詳しく見てみるか。

 チチチ……チュィーー……… 目の中でレンズの動く音がする。霊子計を限界まで稼動させたときに出る微かな音だ。これで、階下のCランクを細かく解析してみる。 

 ふむ。集合霊、これは偶像神格か。元は噂話だろうが、そこからこうなったとは、考えにくいな。さらに、細かく見ていくと、見つけた、こいつの秘密。

 巧妙に偽装されてはいるが、空中に干渉力供給ラインが存在している。ふーむ、これは21世紀の人間の仕業じゃないな。

 うーむ、ソラは危なくなれば俺を呼ぶだろうし、呼ばれるまでに、俺のほうで解決しておくか。

 俺は、しばらく腰掛けたせいで、少し暖かくなっていた階段から腰をあげ、移動を開始した。

「おじさん、ばいばいー」

「だから俺は、お兄さんだ!」

 振り向いて、訂正を入れつつ、下階を目指し階段を下りていく。どうやらクソガキは、別に着いて来ないらしい。

 下りた先の階段から、そのまま廊下へ行き、干渉力供給ラインを辿って着いた先は、コンピュータ室、と書かれてあった。コンピュータか、俺にとっては親戚みたいなものだな。いや、先祖か。

 横開きの白い扉は、どうやら施錠されているらしかった。だが、俺の前で、その程度の施錠など、無いが等しいな。

 扉に手をかざすと、“偶然”鍵は開いた。中に入ると、箱状のモニターが多数乗った、大きな机が三列ほど並んでいる。

 それにしても、これ、モニターなのか? 非常に大きいな…… この時代は既に液晶モニターは開発され、導入されている、と聞いていたのだがな…… それにこの、キーボード、初めて見るな。まあ、思考入力じゃないのなら、手で打つということになるのか……

 一通り、見回していると、隅にあるコンピュータ、それ一台だけが他と違っていることに気付く。それだけが、電源が入っていないはずなのに、微弱な電磁波を発しているのだ。内蔵メモリの発するものとは、異なる電磁波を。

 さっそく、そのコンピュータの前に座り、電源を入れてみる。が、点かない。ふむ、ならばしかたあるまい。上着の内側に手を突っ込み、やや大きめのケースを取り出した。

 開けると、中には手甲が二つ。これは、対霊体七つ道具(アストラル・アーマメント)が一つ、物理現象干渉手甲(イレギュラー・ブースト・ガントレット)。これで、電子の移動に干渉し、強引にアクセスするとしよう。

 本体に、手甲をはめた手を乗せる。モニターは点いていないままだが、俺にはこれだけで、何が起きているのかわかるのだ。

 さて、貴様は何をしている、コンピュータよ…………… 中を探ると、この時代のウィルスによる動作不良に偽装された裏で、この時代から見ればありえないほど膨大な容量を使用して動くプログラムがあった。

 ふむ、これは、この学校の全てのコンピュータに対するウィルスのようなもの、らしいな。内容は、あらゆる場所へのサブリミナルの発信と、特定霊体への干渉力の送信か。

 サブリミナルは、教材や連絡などのプリントや掲示物、放送などの音源、その他コンピュータのモニターにまでに及ぶのか。内容は、怪談に対する疑心の低減、ね。なるほど、それで怪談が増えた、というわけか。

 ふむ、これは未来からの違反過干渉に当たるな。削除しておこう。犯人は、十中八九あの犯罪組織に違いあるまい。やはりもう来ていたか……

 ……だとすると、目的は、やはりソラ、だろうな。ふむ、先行き不安だな。まあ、この俺が倒されるわけがないだろうから、問題はないか、ふはははは。

 さあ、目的は果たしたし、ソラと合流しに行くか。これでこれからは怪談も減るだろ

 これで、ここの生徒どもの安全も高まり、犯罪組織どもの陰謀も砕けて、一石二鳥だな。


 ***


「………………………」

 ゼロさんを探して本校舎三階の階段にたどり着いた私は、あまりの光景に言葉を失っていた。ある程度予想が付いていたこととはいえ、見慣れた校舎の階段が無くなっていたのだ。これは、中々にショッキングな映像だ。

 辺りを見渡すが、ゼロさんの姿はない。ついでに、駆けつけてきた警備員の姿もない。だが、いつ現れるか分からないので、この場から離れることにする。私は極力、こんな馬鹿な事件の関係者でいたくないのだ。

 実は、こうやって探し回らなくても、霊子計で呼べば、すぐに着てくれるのだろうという気はしている。だけど、その場合登場と同時にまた何かが破壊されそうで怖いので、緊急事態じゃないなら使わないようにしようと決めたのだ。

「あれ? おねーさん? こんなところで何してるの?」

 不意に声をかけられて振り向くと、白いワンピースに白いつば広の帽子を被った、色白の小学校低学年女児が浮かんでいた。言わずもがな、瑠璃ちゃんだ。

「あ、瑠璃ちゃん、いたんだ……」

「いたよー、実は割とずっといたよー、出てきてなかっただけでねー、っておねーさん、あの変なむしめがねなしでも、あたしのこと見えるの?」

「あれ? ほんとだ、見えるや」

 言われるまで気付かなかったが、私は肉眼で彼女を知覚していた。声も聞こえるようだし、大分安定して見れるようになったらしい。

「ほほう、ぱわーあっぷしたようだね。じゃあ、これは見える?」

 そう言った直後、瑠璃ちゃんが消えた。あれ? どこにいったんだろう。

「見えないよ? どこいったの?」

「正解は、ずっと目の前にいた、でしたー。ぱわーあっぷしたと言っても、あたしが見せる気無くすと、見えなくなるんだねー」

「そうみたいだね。いつも思うけど、幽霊って便利だねー」

 言った後で、失言だったと気付く。……彼女は、好き好んで死んだわけではなかったはずだ。

「でしょ」

 だが瑠璃ちゃんは、そう言って微笑んでくれた。やっぱり、彼女はいい子だと思う。もう、大切な私の友達だ。

「そう言えば、瑠璃ちゃんって、普段はどうしてるの? 幽霊も夜は寝るの?」

「寝ないよ。ふだんか、そうだねー、この学校の怪談の約半数があたしだ! って言えば何してるか、わかるかな?」

「……ごめん、全然わかんない。……えっと、怪談っていうと、四階の女子トイレが開かない、ってのとか?」

「それ、あたしー」

「……肖像画の目が動くのとか?」

「それもあたしー」

「……あとは、調理実習室に潜む殺人鬼とか?」

「あ、それは、ケンさんだ……」

「誰それっ!? 怖いよ! 一番あったら嫌な怪談が、瑠璃ちゃんじゃなかった上で、居るなんて、怖すぎるよ!」

「いや、誰って、殺人鬼だよ、そりゃ」

「知らないよっ! いや、知ってるけど、そう言うことじゃないでしょ! てか、瑠璃ちゃん知り合いなの!?」

「あ、ごめん、ケンさんこの前引退したんだった…… ケンタッキー州に帰って、ポテトでも作るってさ」

「まさかのアメリカ人!? 怪談って、引退とかあるの!? それ以前に、幽霊じゃなくて人間だったの!?」

「さあ?」

「結局、またいつものでまかせっ!?」

「えへへー」

 可愛く笑えばいいってもんじゃないでしょ、可愛いから許すけどさ。それにしても、この幼女、ホントにダメ人間候補生だな…… 門戸先生を見て育った結果か……

「もうっ。ところで瑠璃ちゃん、ゼロさん見なかった?」

 瑠璃ちゃんと一通り楽しく会話したところで、ようやく本題に入る。忘れるところだったけど、あの破壊神を早いところ確保しなくては。

「オジサン? そこの階段通って、下に行ってたけど?」

「え? ホント? 入れ違いになっちゃったのかな……」

「じゃないかなー、下りていったの、結構前だったし」

 そうか、じゃあさっさと向かわないと、何しだすかわかったもんじゃないな。

「わかった、ありがとう瑠璃ちゃん。せっかくだし、一緒に行く?」

 人に会ってしまうと、これから暗い夜の学校で一人に戻るのが、非常に嫌になってくる。だから、つい、誘ってしまった。彼女がゼロさんをどう思っているのかは、よくわからないけど。

「んー、ついて行きたいけど、あたしやらなきゃいけないことがあるんだよね~」

「なにかあるの? まさか、学校の怪談としての仕事、とか?」

「ううん、ちょっとした、つみほろぼしってやつ? あたしって、つみつくりなおんなだからさぁ」

「……ゴメン瑠璃ちゃん、本気で意味がわからなかった」

 この子、何しに行く気なの? それよりも、何したの? なんだろう、すごく不安……

「まあ、気にしないほうこうでー。終わったらそっちいくね」

「あ、うん、わかった」

「じゃーまた」

「うん、またね」

 それだけ挨拶を交わして、来た階段を戻り、二階へ向かう。一人になると、やっぱり寂しいな。

 さっきの瑠璃ちゃんの言い方だと、ゼロさんは三階から下の階に行った、という感じだったから二階か一階にいることになるはずだ。

 そう思い、二階の廊下通って、探してみるが、居ない。二階じゃないのかな。少し怖かったせいもあり、二階の廊下を一通り見て、端っこの階段まですぐに来てしまった。

 じゃ、一階のほうに行ってみるか、そう思い、階段に差し掛かったとき、ドンッと、何かが私にぶつかった。

「「きゃっ!」」

 ぶつかったのは、人のようだ。私同様、よろけている。

「……ひ、人?」

「そちらも、人、みたいですね……?」

 人といわれれば、私は人だ。とりあえず、よくわからない返事をしてしまった。

「……その声、そらっち?」

「え? 千寿さん? どうして、こんな時間にこんなところに?」

「えっと、それは、話すと長くなるんだけど、ってそうだ、そらっち、タツキチがピンチなんだっ! 助けてあげてっ!」


 ***

 

 深夜の本校舎三階。俺は、本日何度目かもわからない、廊下ダッシュを行なっていた。さっきまでと違うのは、俺の隣に、瑞希がいないこと。後ろにいるのが、人体模型&骨格標本ではない、ということくらいか。

 チラりと振り向いて、後ろから来る上半身だけの幽霊を見れば、俺の暴言に怒ったらしく、先ほどまでとは変わって速度を上げてきていた。

 その、両手を使った走行は、なんとも形容しがたい気持ちの悪さがあった。赤ちゃんのハイハイは、割と可愛らしいのに、速度が上がるだけで、こんなにキモくなるとは知らなかった。

「なんか、使えるもんねーのかよ……」

 そう、ボヤキ、渡されたポーチを漁るが、よくわからないバネのようなゼンマイのようなものが邪魔で、よく見えない。このゴミを取り出して、中を再度漁るが、ボイスレコーダーにデジカメに、工具しかなかった。

 盗品に、盗聴・盗撮・不法侵入の道具か…… そう考えると、あいつマジ駄目だな…… 切なさを背負いながら、走り続ける。

 ふと気になったので、月明かりに照らされた廊下で、ゼンマイっぽいゴミを見てみる。暗い廊下ではわからなかったが、鉛色をしているテープというかリボンというか、そんなものだった。何十にも巻かれた束で、やはりゼンマイが近いように思う。触った感じから、鉄ではないようだが、紙やプラスチックでもなさそうだ。

 これは、ひょっとして、アレか……? でも、ここであっても、使い道が無いぜ…… 仕方ない、先ほど同様に工具のドライバーを投げつけるか……

 取り出したのは、一本のプラスドライバー。走りつつ後ろを確認しながら、その距離を確かめ、振り向きざまに一気に投げつける。

 ブンッ、という空を切る音と共に、プラスドライバーは飛んでいき、吸い込まれるようにてけてけの方に飛んでいったが、

 カーン……

「嘘だろ……」

 俺に耳に届いたのは、プラスドライバーが床にぶつかった音だけだった。プラスドライバーは、てけてけの身体を、すり抜けたのだ。まさか、物に触れる、ということさえも、任意でオンオフ出来るって言うのか? ますます勝ち目がないな……

 諦めて再度走り出す俺を、口元に狂気の笑みを浮かべたてけてけが追ってくる。そうして、廊下もなかほどまで来たとき、不意に、俺に声がかけられた。

「困っておるようじゃな、青年」

「……ああ?」

 咄嗟に返事をして、声がした横を向けば、俺に並走する形で浮かんでいる、小さい女の子の幽霊がいた。白いワンピースに、白い鍔広の帽子という、いかにも夏っぽい格好の、7歳か8歳くらいの子だ。まだ五月だってのに、気の早い格好だな。

 しかし、どうしたわけか、こいつにもそれらがぶっ飛んでしまうような、外見的な特徴があった。それは、仙人のような白い髭だった。多分、付け髭だろう。

「……なんだ、てめー」

 走りながら、少し距離を取り、聞いてみた。こいつが、あの人体模型に対する骨格標本のように、てけてけに対する仲間幽霊だと非常にマズイな。そんな考えが脳内をグルグルと回り続ける。

「わしか、わしは瑠璃老師じゃよ。貴様に知恵を授けてやらんこともない」

 幼女は腕を組んで飛行しながら、髭をさすったりして、そんなことを言った。怪しいことこの上ない幽霊だな…… でもこいつ、会話出来るのか……

「なんだよ老師って。てめーガキだろ」

「ふぉっふぉっふぉ、老師と呼ばないと、あいつの弱点を教えてやらんぞ?」

 なんだこいつ、てけてけの仲間って訳じゃない、のか? それに、弱点?

「……別に頼んでねーし」

 つい、子どもに対するのと同じ感じで返答してしまった。しかし、何が目的なんだろう、このガキ。

「ええっ!? 頼んでよー。じゃないと、あたし何のために出てきたか、わかんないじゃん」

 老師キャラを投げ捨てて、泣きそうな声で、そんな叫びが響く。ますますわからない上、面倒くさそうなガキであることが、判明した。

「知るかよ。それより、老師キャラはどうした、老師キャラは」

 こういうガキは、冷たくあしらうのが一番だ。向こうから接近してきて、尚且つ目的のわからない幽霊が、一番面倒なのだと、俺の経験が言っている。

「あ……、うぉっほん。そうじゃ、あのてけてけの奴の弱点じゃったな。知りたくないのか?」

「…………てめーが、あいつの弱点を俺に教えるメリットってなんだよ?」

 仕切りなおして老師モードに戻った幼女は、話も仕切りなおした。会話が通じる相手のようだし、目的も聞いてしまうのがいいだろう。そう思い聞いてみた。

「めりっと? じゃくさんせいの?」

 だが返ってきたのは想定外の答え。そうだよな、幼女にとっちゃあ、そっちだよな……

「ちげぇよ。教えて良いことがあるのか、ってことだよ……」

「なるほど、おにーさん頭良いね!」

 なんで俺は、幽霊に追っかけられながら、幽霊にメリットの意味を解説しているんだろう…… 頭が痛くなってくるな……

「えーっと、めりっと、だよね。めりっとは、あたしがあいつのこと嫌いだから、かなー」 

「……なんでまた。同じ幽霊じゃねーのか?」

 俺から見たら、どっちも幽霊だ。幽霊同士でも、喧嘩ってするんだろうか? 気になって、スルーするつもりが聞いてしまった。そういや、こいつの老師キャラ、完全にどっかいったな。

「同じ幽霊だからだよ。だって、幽霊で、女の子で、足とかを奪う系の怪談で、ってこれ以上無いくらいに被ってるんだよっ!? しかも向こうは狂気系美人だし……」

「妬みか…… アホくさ…… てゆーかお前も足とか奪うのかよ」

 ゾッと寒いものが背中を走るのを感じる。こいつ、こんな顔して……?

「ううん。あたしはもう、足奪うのから足洗ったよ」

「え? 何お前、足洗う怪談なの? 妖怪足洗い小僧?」

「ちーがーう! 何その妖怪! あたしは小僧じゃ無いし、なんとか小僧って付ければ何でも妖怪っぽくなると思ったら大間違いだよ!」

「ふーん。まあ、なんでもいいけどよ」

 なんだ、こいつは無害系か。よかったよかった。さて、ウゼーし、こいつどっかいかねーかな。

「で、聞きたくないの? あいつの弱点?」

「まだそれか…… 要は、俺にあいつを倒して欲しいと?」

「まあ、そうだね。あとは、純粋におにーさんを少し助けてあげようかな、って思ったんだけどね」

「……なんだそりゃ」

「……てへっ」

「……気持ち悪っ」

 なんだろう、この、ほんの少しの後ろめたさを内包したような誤魔化しスマイルは…… 7、8歳の幼女のする顔じゃ、ねぇな…… しかしまあ、話聞かないと俺に付きまとうんだろうし、聞くだけ聞くか。害も無さそうだし。

「で、なんだよ、弱点ってさ」

「それはじゃな……」

 唐突に思い出された老師キャラによって解説された弱点は、意外でもなんでもないものだった。でもこれは、もしかしたら、勝てる?

「じゃ、あたしはこれで」

 走りながら、どうすればいいのかと、作戦を必死で練っていると、言いたいことだけ言った幽霊の似非老師は、どこかに行ってしまった。

 しかし、この『てけてけぶっ殺作戦』だが、何かもう一つだけ、確証がないと……

 ズッテーン!!

「え?」

 足をとめて振り返ると、壮大にこけて、肘から床に落ちたらしく、肘を抑えて転げ回るてけてけがいた。

 コロコロコロ……

 てけてけの元から俺の足元に転がってきたものを見えれば、単一マンガン乾電池。さすが単一マンガン乾電池先生だな。それにしてもあいつ、普段は非透過状態で移動なのか。これは、最後のピースが揃ったぞ。行ける!

 このてけてけの悶えタイムを無駄にしないためにも、とりあえず電池先生を拾って、また走り出し、俺は作戦実行の地へと急いだ。


 ***


 閉じ込められた二階で、長い廊下を、ひたすら歩く。この廊下までもが、ループしているんじゃないかと思うほど、僕たちは疲れていた。何せ、徒労と意味不明な出来事の連続だ。いったいどうして、元気はつらつでいられようか。

「……ねぇ、孔雀、私さ、トイレ行きたいかも……」

 カツカツと上履きの靴音を響かせて歩く中、細い声で、不動さんが呟いた。確かに、結構な時間が経ったように感じるが、トイレに寄る余裕は無かった。そして今、脱出できるのかどうかも怪しい状況だ。人間、出来ない状況になったときの方が、したくなるという、奇妙な心理がある気もする。

「そうだな。この階のトイレが使えるかわからないが、寄ってみよう。僕も、トイレには行きたい」

 それだけで会話は終わり、後は皆、また無言で歩きだす。すると、すぐに廊下の終わり近くのトイレに着いた。

「あ、使えるっぽいね。じゃあ、ちょっと待っててー」

 パタパタとトイレに駆け込む不動さんを見送り、僕も男子トイレに向かうことにした。トイレの中も、電気が点かないので非常に暗いが、携帯電話の明かりで、なんとか頑張れた。

「ふぅ……」

「なんだ、歩擲もトイレか」

 横で声がして、見てみれば歩擲だった。ということは、アイゼンもいるんだろうか?

「そうッスね。でも、アイゼンが外で待ってるんで、早く出たほうがいいッスよ」

「そうだったのか」

 てっきり、全員一緒の行動だと思っていたのだが、別にそんなこともないらしい。そういうことなら、確かに早く出た方がいいな。

 用をたし終え、蛇口を捻って、水で手を洗っているとき、

「わ、なな、何、キミっ!」

 そんなアイゼンの叫びが、外から聞こえてきた。すぐさま手を拭くもの、そこそこに飛び出す。

 飛び出した先の、廊下にあったのは、予想もしなかった光景だった。そこには、ラガージャ・アイゼンが、二人いた。

「……どうゆうことッスか?」

 歩擲の混乱も分かる。全く同じ容姿の人間が、二人いるのだ。顔も、服装も、体格も、何もかも一緒。身近に一卵性の双子がいない人は、結構驚くような光景だ。

「双子だった、とかじゃないよな」

「「違うよ、ぼくは一人っ子だよ」」

 僕の、真っ先に消したい可能性は、消えてくれた。綺麗にハモッた声で。

「となると、どっちかが偽者、ってことッスかね?」

「「歩擲くん、こいつが、さっき踊り場のほうから来た偽者だよっ!」」

 完全に一致した動きで、お互いを指差す二人のアイゼン。なるほど、本当にどちらかが偽者らしい。しかし、霊の仕業だとしても、このアイゼンは、どちらからも強い霊力は感じないな上、霊力的にも見分けがつかない。これでは、ほぼお手上げだ。

「……うーむ。とりあえずは、不動さんを待とう」

 僕と歩擲よりも、不動さんの方がアイゼンと親しい。だからこそ見抜ける何かに、期待するしか他は無さそうだ。

 少しして、不動さんがトイレから出てきた。少し警戒しながら、辺りの様子をうかがうような、慎重な足取りで。

「……さっき、アイゼンの声がしたけど、何かあったの?」

「どうもこうも……」

「「不動さんは、僕が本物だってわかってくれるよねっ!?」」

 僕が状況を説明しようと、しゃべりかけたとき、二人のアイゼンが同時に口を開いていた。

「わっ、わっ、なにこれ、どゆこと?」

「どうやら、どちらかが偽者らしい。僕らには、さっぱり見分けがつかないんだ」

「そっか、鏡の悪魔か…… 自分そっくりの悪魔が現れるって怪談なんだけど、こうなるなんてね……」

 概要を把握してなかった僕だったが、その一言で理解が出来た。……悪魔は、混乱する僕らを見て、せせら笑う、そんな趣味の持ち主なのだろう。

 すぐさま状況を理解してくれた不動さんだったが、顎に手を当てて考え込んでいる。

「どうだい、不動さん、本物を見分けられそうかい?」

「うーん、どうかなぁ。ねぇアイゼン、生年月日と血液型は?」

「「平成六年の七月十七日、AB型だよ」」

 二人のアイゼンは、同時に答えた。これは、あっているかどうか確認するまでも無く、あっているのだろう。

「うーん、じゃあ私とアイゼンしか知らない秘密とか、いってみる?」

「「秘密かぁ。一年生の頃に、孔雀くんに送られた無記名のラブレターの差出人が、不動さんだったってこととか?」」

 え? ……え? そう言えばそんなこともあったが…………え?

「………………ねぇ孔雀、こいつら二人とも倒せば解決するんじゃない? そうしようよ」

「いや、そうかも知れないが…… あのラブレターって……」

「「そうかも知れないって、酷くないっ!?」」

「もー! 高校に入学して浮かれてた恋する乙女の過ちを、蒸し返さないでよっ!」

 過ちなのか、僕にラブレターを送ったことは…… 少し傷つくな……

「「あとは、不動さんも幽霊が見えるようになりたくて、必死で特訓してるとか?」」

「いやさ、してるけどさー。なんかバラされると、気恥ずかしいってか、なんていうか、もー!」

「…………そんなことをしていたのか」

 彼女は意外と、真面目で努力家なのかもしれない。何のためかはわからないが、見えていいことのが少ない能力を、自分から身に付けようとしているのだから。

 しかし、これまでアイゼンは同時にしゃべるばっかりで、全然尻尾を出さなかった。これは、不動さんで判別不可能なレベルなのかもしれない。

「……悪魔の苦手なものを試す、ってのはどうッスかね?」

 三人がギャーギャー言い合っているの尻目に、どうしようか途方に暮れているとき、歩擲が、建設的な意見を出してくれた。悪魔の弱点か、なかなか素晴らしいアイディアだ。

「……苦手か。鏡とかだろうか?」

「あ、私手鏡持ってるよー」

 一般的に、悪魔は鏡が苦手な場合が多い。騒ぎあいを切り上げた不動さんが、カバンから小さい鏡を取り出しながら、会話に参加してきた。

「よし、じゃあアイゼンに向けてみるか」

「ほれっ、ほれほれほれっ」

 不動さんは、掛け声と共に、アイゼンの目の前に鏡を出してみたが、

「「ぼくは別に、なんともないよ」」

 どちらも効果無し。まあ、鏡の悪魔が、鏡が苦手なわけないか。あとは、聖水や聖なる光だった気がするが、この場には用意出来そうもない。後この場にあるのは、塩くらいのものだ。

「……駄目そうだな。塩でも、かけてみるか?」

「よし、わかった」

 悪魔に塩が効くのかは、わからないが、それくらいしか、もう出来ることが無い。そんな駄目元の提案に、不動さんは乗っかってきた。頷くと同時に、またカバンをゴソゴソと漁り、除霊用の塩を取り出した。そして僕のほうに突き出す。

「はい、孔雀。あんたが撒いた方が、効果ありそうだし、そうしてよ」

「ああ」

 不動さんから塩を受け取り、その袋を開け、中から一つまみほどの塩を手に取る。アイゼンには申し訳ないが、これくらいは勘弁してもらおう。

「「ねぇ、なんかぼく抜きで話が進んでるけど、塩とか、かけられちゃうわけ? ちょっと嫌だなぁ……」」

 ズリズリと、後退るアイゼン相手に、僕は塩を持って近づく。どうゆう状況なんだろうな、これ。現状、二人とも逃げているから、どちらが偽者という尻尾は、まだ出していない。

「……歩擲、キミに近いほうのアイゼンを捕まえておいてくれ」

「……ウッス。アイゼン、すまん」

「歩擲くんっ!?」

 歩擲が後ろからアイゼンの両肩を掴み、捕まえる。じたばたともがいてはいるが、逃げ出せるはずもない。

「すまないな。だが、たかが塩だ。キミが本物のアイゼンなら、問題無いはずだろ?」

 そう言って、アイゼンに塩を振り掛けようとしたとき、

「なっ!」

「えっ?」

 歩擲と不動さんの驚きがハモる中、アイゼンは、恐らく驚異的な怪力で、その拘束を振りほどき、僕たちと対峙した。

 月明かりに照らされたアイゼンの目は、黒く濁り、感情を読み取らせない異質なものだった。表情も無く、その奥に居るもう一人の方のアイゼンも、不安そうに様子を見ている。

「キミの方が偽者、それで間違い無さそうだね」

 アイゼンは、僕の問いには答えず、後ろ、恐らく本物のアイゼンの方を向いた。無言の背中からは、言い知れぬ威圧感を感じる。霊力ではない、威圧感。

「っ……きみは……」

 一瞬、本物の方のアイゼンが呟き、表情がこわばるのが見えた。なんだ、何に気付いたというんだ? 危機感を感じ、僕と歩擲はすぐに動き出そうとした。

『消え去れ、雑魚よ』

 だが、動けなかった。どこから発せられたのかも分からない、地獄の底から響くような声と、一瞬感じた、異常な、本当に異常なまでの霊力に、全身がこわばり、足が前に出なかった。

 これは、あの土蜘蛛すら上回るのではないか、一体何が…… わけがわからない。激しい混乱の中、本物と思われるアイゼンの姿が、霧に包まれた。

「……なに? なにが起きてるの? なんかヤバイ気配したし……」

「……僕が聞きたいくらいだ」

 あの異常さを感じ取れたらしい不動さんの問いかけで、なんとか声を絞り出すことに成功した僕の前では、アイゼンを包んでいた霧が晴れた。

 そこに居たのは、アイゼンではなく、ヤギの頭部と筋骨隆々とした肉体、それにこうもりの羽を持つ化け物。悪魔だった。

 2mはあろうかという悪魔からは、強い霊力を感じる。だが、先ほどのものに比べれば、酷く小さくも見える。どちらにしろ、僕に対処できるレベルではないのは明白だったが。

「本物の、アイゼンは……?」

「……わからない。どちらも偽者だったのだろうか? しかし、マズイな、こんなものがいるなんて……」

 どう戦うべきか、いや、どう逃げるべきか、必死で考える。だが、悪魔と、手前側のアイゼンは、僕たちの存在を、さも居ないかの如く無視をしていた。

 その証拠に、悪魔は、手前のアイゼンで、膝をつき、深く頭を下げ、消え去ったのだ。そして、その場に倒れ込むアイゼン。何が起こったのか、全く持って意味不明だ。

「……どうなったの?」

「……わからない」

「と、とりあえず、しっかりするッスよ」

 茫然自失とする僕と不動さんに対して、比較的冷静だった歩擲は、アイゼンに駆け寄って、その様子を確かめていた。

「……呼吸も脈も正常ッスね。気絶してるだけ、みたいッス。その他も、特に異常は無いみたいッスけど……」

「そうか。ということは、こっちが本物だった、ってことか」

 状況がどうなったのかはわからないが、悪魔の気配も、あの異常な霊力も、感じなくなっている。今なら、もしかしたら、出れるかもかもしれない、そう考え、ツカツカと窓に近づき、開けてみる。

 すると、窓はすんなりと開き、涼しい風が、髪を揺らしてきた。

「……どうやら、この迷路から開放されたらしいな。外に出て、門戸先生に連絡して、アイゼンを見てもらうおう。僕たちじゃ、わからないことだらけだ」

 開けた窓を閉め、アイゼンと歩擲の傍に行く。アイゼンは、寝ているような、そんな感じだった。

「よし歩擲、アイゼンを担いでいってくれるか?」

「ウッス」

「じゃあ、行こう」

 二人は無言で頷き、僕たちは、今晩どれだけ歩いたかも分からない廊下を歩き、帰路に着いた。後ろは、平静を取り戻した、ただの廊下があるだけで、そこに悪魔や、それ以上の何かがいたとは、感じさせないような光景だった。


 ***


 深夜の学校を走る。走り、続ける。てけてけが一定のところまで付いて来るのを確認した俺は、それを振り切る速さで走り続ける。

 何度か先回りされることがあったが、それには法則があるようで、ワープだと思ったのは、単にあいつの透過能力による、壁のや床のすり抜けでの、先回りに過ぎないようだった。

 だから、俺が直線で逃げ続ける限り、あいつは先回りできない。直線でない場所では、上手くフェイントを仕掛け、先回りを誘導することで、回避できた。

 目的地までは、比較的直線での移動が可能だったので、かなりの差をつけて、どうにか到達することが出来た。

 目の前の教室は、調理実習室。そう、あの似非老師から聞いた幽霊の弱点、塩がある場所だ。早速入ろうと、扉に手をかけると、当然の如く鍵が掛かっていた。

「チッ、めんどくせぇ。オラァ!」

 バキッ!

 ピッキングなんて器用な真似が出来ない俺は、問答無用でドアを蹴破る。横開きの扉は、そのスライド部分から外れて、二枚がくっ付いたまま、内側に倒れた。鍵の意味を問いたくなるが、俺の知ったことじゃないな。

 倒れた扉を踏みながら入った教室内は、暗かった。暗さのせいでいまいちわからないが、流し台とコンロが付いた机が、八つほど並んだ広い教室。以前一度だけ、授業で使ったことがあった。そのときは、クラスメイトが小麦粉床にぶちまけて、掃除が大変だったっけなぁ。

 そんな感慨に浸りつつ、早速塩を探す。てけてけから一定距離離れたことで、復活した懐中電灯を頼りに、ざっと見わたすが、置いてありそうなところは見当たらない。

 恐らくは、隣にある調理準備室にあるだろう。前使ったときは、遅刻したから覚えてないが。

 さて、そちらに向かうべく、実習室内から準備室内への扉行くと、鍵は開いていた。どうやら、そとの廊下からの扉だけが施錠されているらしい。

「あった。これだな」

 中は狭く、すぐに目当てのものは見つかった。準備室の方の戸棚から、袋に入った塩を取り出す。結構な量が入った袋だ。これで、よし。あとは、アレがあれば…… ああ、よかった、あった。

 俺は、準備室の隅においてあった、やや大きい、あるモノを、引っ張り出す。それと塩を持ち、実習室の方に戻ると、不意に懐中電灯が明滅を始めた。あいつが近づいてきてるってことか……

 奴が来ても、少しは辺りが見えるように、カーテンを開けて回る。雲間から顔を出している月が、消えかけの懐中電灯よりも、頼もしかった。

 最後のカーテンを開け終わったとき、ペタ……ズルズル……ペタ……ズルズル…… という、モノを引きずるような音が、俺の耳に届いた。いよいよ本格的に、近くに来たようだ。

 ポーチの中から、先ほど作っておいた『てけてけブッ殺作戦』の肝である、仕掛けを取り出し、近くの机の流し台の中に置く。そして準備室にあった、あるモノは、その机の影に隠した。

 ペタ……ズルズル……ペタ……ズルズル…… とうとう音は部屋の前まで来た。そして、俺が蹴破った扉から、上半身だけの女子生徒の幽霊が、這って入ってきた。

「よう、もうダッシュで追っかけてこねーんだな」

 何気なく、気取られないように、話し掛けつつ、流しの中の仕掛けを起動させる。

「……やっと足をくれる気になったのね」

「相変わらず会話出来ねーやつだな…… ちげーよ、てめーをぶっ殺して、帰る気になったんだよ」

「……そう、じゃあもらうね」

「出来るもんならな!」

 叫びながら、塩を一掴み握り、投げつける。空中に散布された塩は、てけてけに命中したが、てけてけは、ニヤニヤとしていた口元をきつく結んだ以外、リアクションなし。やっぱ、俺程度が食塩撒いたくらいじゃ、倒せねーか。だが、

「表情に余裕がなくなったんじゃないか? ああ?」

「…………」

「どうした? 急に口数が減ったな! やっぱ塩は効くか?」

 仕掛け起動までの時間を稼がねばならない。そこまで効いてないのはわかっているが、虚勢を張って、塩を投げ続ける。気付かせないためにも。

 てけてけは、無言で、ジリジリと接近してくる。その様子は、鬱陶しい、と表現するのが最もあっているように思える。歩みは遅いので、少なからず、塩に効果はあったようだ。だが、煽って塩を撒いているうちに、目の前まで接近されてしまった。これは、マズイな…… 仕掛けの時間を稼ぎきれてない……

 両手を伸ばして、上半身を突き上げたてけてけは、その顔を俺に向け、口を開いた。

「……じゃあ、もらうね」

 俺に塩を掛けられ続けながらも、俺の足に手を伸ばしてくる。ヤバイ、これはヤバイ。仕方ない、予定変更だ。

「俺の奥の手が、塩だけだと思ってもらっちゃ困るな!」

 バックステップで距離を取りつつ、机の陰に隠しておいたあるモノを手にとる。それは、俺の足ほどの長さがある、長い棒状をした機械。その棒の先端付近には、半透明の大き目の機関がついている。半透明の中を見れば、エンジンの気筒を思わせる、複数のノズル。棒状の反対側には、持ち手のついた、そんな機械。

 そう、ワイヤレス掃除機だ。

 両手で持った掃除機を、まるで銃火器のように構え、その吸引口をてけてけに向ける。

「幽霊ってのは、普通、空気に取り憑いてるんだろ? だったら、空気の流れを乱されちゃ、上手くうごけねーよな!」

 これも、あの似非老師の教えだ。それだけでやられることはないけど、非常に鬱陶しい、とのこと。

 構えたまま、スイッチを入ると、コォォォォォーーーーーーーーーーという比較的静かな音と共に、吸引が始まる。

 吸引を開始した、掃除機を、てけてけに向ける。てけてけは、一瞬こちらに吸い込まれかけたが、なんとか踏みとどまっていた。やはり、これだけではダメなようだ。

 老師も、幽霊は空気に取り憑くが、取り憑く空気を次々と移すことも出来る、と言っていた。それによって、壁抜けを行なうらしいし。

 不意に、掃除機が動かなくなった。また、こいつの故障される能力か…… クソッ仕掛けは、まだか…… そう願ったとき、

 ボッ! っという音と共に、俺とてけてけの大体中間くらいにある机の、流し台の中から小さな火が上がった。仕掛けが、無事起動したのだ。夜間は、電気やガスさえも止まってしまっている、この学校で、幽霊に追いまわされながら火を起こす、唯一の方法。

 拾った単一電池二個を電源に、ピッキング用の針金を回路本体、シャーペンの芯をフィラメントとした、加熱装置。過熱部分には発火温度の低いティッシュペーパーを巻きつけただけ、というお粗末なものだが、どうやら成功したらしい。

 走りながら、テープで電池や針金やシャーペンの芯を固定したり、なかなか大変だったが、火がついて何よりだ。

 ギリッ…… 何かの音が聞こえた。見れば、目の前のてけてけが、非常に険しい表情をしている。今のは、奥歯の音か。

 だが、こいつのことなんて、しったこっちゃねえ。一気に、火を上げている流し台の前まで駆け出す。同時に、てけてけも、俺に向かって駆けてくる。

 マズイな、今触れられたら、全てがパァだ。いや、パァどころか、こいつの金縛りで動けなくなったら、それでおしまい、デッドエンドじゃねーか。

 流しへ駆ける中、ほんの1mも無い距離が、凄く長く感じる。てけてけの動きも、俺の動きも、全てが、スローで再生される。

 俺が流しの前に立ったのと、てけてけが俺の足に触れたのは、ほぼ同時だった。

「……何しようとしたかはしらないけど、足、もらうね」

 てけてけは、勝ち誇ったように、歪に口元を吊り上げて言った。俺の身体は、もう動かない。左手で掃除機を持ったまま、流しの前で完全に固まっている。だが、俺がポケットから取り出していた、あのゼンマイ状の物体は、既に流しから上がる火に当たっていた。

「ざ、んねん…… おれ、のかちだ……」

 動かない口を無理やり動かし、てけてけを見下ろしながら、そう言ってやった。直後、右手で持つゼンマイ状の物体が燃え出し、白い眩い光を放ち始める。あまりの輝きに、目が潰れるかと思ったが、それはてけてけも同じなようだった。

 瑞希が、間違って持ってきたと言っていたゼンマイ状の物体、それはマグネシウム。理科の実験用のマグネシウムリボンだ。マグネシウムは、燃焼時、強い白光を発する。その燃焼は、水中や二酸化炭素中でも継続するほど強力だ。

 眩い光の中、体が自由になるのを感じる。そのまま、燃えるマグネシウムリボンをてけてけの目の前に投げつける。

 てけてけは、俺以上に強い光が苦手らしく、両手で顔を覆って、動けないでいた。よし、予想通りだ。

 幽霊ではなく、こいつ個人の弱点、それは、光。最初から明かりを消してきたり、カメラのフラッシュを故障させたときから、気付いていた。それに加えて、その前髪は、光に対する嫌悪の象徴とも言える。

 燃えるマグネシウムリボンとてけてけを見下ろしていると、左手に持った掃除機が動き出した。どうやら、本格的に弱ってきたようだ。今しかない。

 ドザァ!

「キイイイイイイイイイヤアアアアアアアアアアーーーーーーーーーーーーー!!!!」

 塩を袋ごとぶちまけ、てけてけに浴びせると、耳を劈く悲鳴。どうやら、弱っていると、かなり効果があるらしい。ところどころから、酸を被ったような煙を上げている。

 塩での悲鳴をあげ終わったてけてけは、ふらふらと、動き、目の潰れたまま逃げようとしていた。

「逃がすかよ!」

 掃除機を向け、一気に吸い込みながら、そう叫ぶ。てけてけは、床に爪を立てて、必死で抵抗しているが、ガンガンこちらに吸い込まれてくる。  

 電池で転んだとき確信したが、こいつの基本状態は、物質に触れられる状態、ということなのだろう。だから、弱れば、そう為らざるを得なくなる。だから塩と光で弱った今、次々と取り憑く空気を変えること、つまり物質透過状態になることが出来ないようだ。それに加えて、掃除機を故障させることも出来ないらしい。

 キー…… キキキー…… 爪が床を擦る嫌な音が俺の耳に届く。だが吸引は止めない。てけてけは、さらに吸い寄せられ、とうとうてけてけは吸い込まれた。大量の散らばった塩と共に。

 半透明の掃除機の中は、凄惨たる光景だった。掃除機内の高速で流れる空気によって、塩にもまれ続け、そのままに勢いで塩のへばりついたフィルターに激突する。どんどんと、溶けて弱くなっていくのが見えた。そして、フィルター後の六つの気筒部分で、その身体は六分割され、中心であろう部分以外は、切り取られたことで消滅した。まるで、巨大なミキサーのような、そんな恐ろしさだった。

 しばらくすると、ポン! という音と共に、何かが排気口から出てきた。見れば、さっきの六気筒の部分で残った中心だけで再構成された、小さなてけてけだった。その大きさは、手のひら大。よく見えないが、細部はいい加減になっているらしく、以前のようなはみ出した内蔵のような気持ち悪さはない。それだけでなく、狂気や威圧感は感じず、存在感も希薄になったようだ。

「キー! キー!」

 小さいてけてけは、這いまわりながら、さかんに叫んでいる。非常にうるさいな。へんな虫に見えなくも無いし、踏み潰してやろうか…… いや、もうここまで来れば無害なんだし、トドメを差さなくてもいいか……

「おいてめぇ」

「キー?」

 てけてけの襟首辺りを摘み上げて、顔の目の前に持ってくる。触れていても、以前のような金縛りにはならない。本当に無害なようだ。

「もう悪さしないか?」

「キー……」

「曖昧な返事だな、このまま塩漬けにしてやってもいいんだぞ?」

「キー、キキキー!」

 てけてけは首をブンブン横に振って、その意思を表してくれた。

「悪さしないか?」

「キー! キー!」

 今度は縦に首を振った。なかなか聞き分けが良くなったみたいじゃねーか。言葉を話せなくなってるのに、会話が成立してる気がする。

「ふぅ、これで一件落着だな……」

 ため息をついて、まだ目の前に持ってたてけてけをなんとなく見ると、目が合った。今度は、前髪越しではなく、しっかりと。どうやら、ぶんぶん頭振って、髪が乱れたらしい。

「お前、意外と可愛い顔してるんだな……」

「キ、キー……?」

「いや、なんでもない。前髪、切ったほうがいいと思うぞ」

 そう言って、てけてけを机の上に置いた。さて、帰るか、っとその前に瑞希を探さないとな。片付けもせず、ポーチだけ持ってフラフラと帰ろうとしたとき、

「キー!」

 後ろから呼び止められた。

「なんだよ、なんか用か? 元に戻せってんなら、俺には無理だぜ?」

「キー」

「そうじゃないって?」

「キーキー」

 てけてけは、身振り手振りで、何かを伝えようとしていた。なんだ、これ、自分を、運べ、ってことか?

「……どっかに連れてけってか?」

「キー」

 どうやら合っていたらしい。どこだろう? まあ、途中まで持ってってやるくらいなら、いいか。

「わかったよ。で、どこ行きたいんだ?」

 てけてけを肩に乗せつつ、行き先を聞いてみた。が、

「キー」

 首を横に振られた。行きたいところは、ないってことか?

「連れてけって言ったのは、てめぇだろ? まさか、俺に着いていきたい、とか言わねぇよな?」

「キー」

 ビンゴだったらしい。

「マジかよ…… まあ、いいけどよ。……でもなんでだよ? さっきまで戦ってたのに」

「キー?」

「いや、俺が聞きてえよ! やっぱお前しゃべれないの面倒だな! YesNo質問でしか会話出来ねーじゃねーか!」

「キー」

「いや、Yesじゃなくてよ…… あー、何か疲れた。もう、どうでもいっか……」

 疲れ果てた俺は、てけてけを肩に乗せたまま、フラフラと調理実習室から出た。激闘の末の、よくわからない結末だが、なんとか生きて帰れそうだし、万々歳だな。


 ***


「八幡君が、ピンチって、どうゆうこと?」

 階段で、千寿さんに会った私に、思わず聞き返したくなるワードが飛び込んできた。ピンチって、事故か何かだろうか? マッハ3の突撃も何度かあったし……

「えーと、信じてもらえるかわかんないんだけど、てけてけに襲われて、それで……」

「……てけてけ?」

「足を奪う悪霊なんだ! このままじゃ、タツキチが殺されちゃう!」

 聞いた途端、聞き返すこともせず、霊子計を取り出し、指を走らせていた。足を奪う悪霊の怖さは、誰よりも知っているつもりだ。

 以前と異なり、そこに表示される文字は読める。人型のマークをタップすると、浮かび上がる緊急回線の文字。その後に続くは、AR01と書かれた、一件の連絡先。迷わずに、そこをタップする。

 直後、ダン! と音がして、階段の上階から人が飛び降りて来た。そして、銀髪をはためかせながら、私の方に振り向き、口を開いた。

「呼んだか、朱城ソラ」

「はい、呼びました。相変わらず早いですね」

 呼んで1秒しないうちに来るなんて、人間業ではないが、彼は人間ではない。さすが無敵(今のところ)の人造人間だ。

「……そらっち、こちらのカッコイイお兄様は、どちらさまで?」

 ……え? どちらさまだろう? 未来からの人造人間様とか言ったら、確実に友達が減ることになる上、病院を紹介されかねない。

「あー、えっと、その…… そう、私の親戚のゼロさん、です。外国人で、日本の学校に興味があるとかで、そう、その、案内してて、ね」

 急遽、親戚にしてしまった。苦しい言い訳だが、未来人よりはよっぽどマシだ。あとは、ゼロさんが空気を読んでくれれば……

「……朱城ソラの従兄弟の旦那の弟の、ゼロ=アストナーだ。よろしく頼む。呼ぶときは、ゼロでいい」

 やった、空気読んだ! 奇跡! やったぜよっしゃあ! 私の従兄弟が結婚してることになったり、その場で考えたっぽい偽名とか超気になるけど、そんなのどうでもよくなるくらい嬉しい!

「あ、どうも。朱城さんの友達の千寿瑞希です」

「あ、そうだ千寿さん。ゼロさん、霊能力者なんだ」

 千寿さんの自己紹介を聞いてから、ゼロさんをここに呼んだ理由とも言うべき、最重要情報を渡す。すると、千寿さんは、私からゼロさんに向き直り、しゃべり出した。

「霊能力者なんですか? あの、会ったばっかりでこんなこと頼むのは、失礼ですが、一つお願いがあります。私の友達が、今悪霊に襲われてて、ピンチなんです。助けてください」

「ああ、いいだろう。貴様の友達とやらは、一人か?」

 妙に優しいゼロさんだった。なんだろう、霊には厳しいけど、人には優しいとか?

「はい、一人で逃げているはずです」

「ふむ、だとすると、向こうか。よし、早速行くとするか」

 ゼロさんは、そう言って、廊下の先を指差した。向こうにあるのは、理科室棟?

「はい、お願いします」

「……ゼロさん、意外と優しいんですね?」

「ふ、俺は何時だって優しいさ」

 あれ? 今のボケ? 突っ込み損ねちゃったよー。 ……さて、行くか。私たちは、無駄な会話で無駄にした時間を取り戻すべく、廊下を走り出した。


 月明かりの廊下を走る。例によって、ゼロさんはやたら速かった。ややバテつつも、走っていると、不意に私の目の前に、小学生女児が浮き上がった。

「はろー、おねーさん」

「え? あ、瑠璃ちゃん?」

「いえーす、おふこーす」

 走る私の目の前で浮かぶ小学生女児こと、瑠璃ちゃんは、そのまま私に並走する形で浮き、ついてきた。

「さっき言ってた用事は、もう済んだの?」

「うん。まあ、あれで大丈夫でしょー、って感じになった」

 全く分からないけど、大丈夫そうな感じになったのなら、それはいいことだろう。それにしても、この子の対人関係は、わからないな……

「そらっち、急に一人でしゃべりだして、どうしたの? ……何か、いるの?」

 しまった。普段は、携帯で電話する振りとかしながら、気をつけて会話しているのに、気が抜けていた……

「えっと、その、あー……」

「別に隠すほどのことでは無いだろう?」

 それもそう、なのか? なんか、私幽霊見える~とか、痛い感じしないかな?

「……千寿さん、私、実は、幽霊が見えるんだ」

「ええ!? そらっちも!? ってか、怖がりなのに、大丈夫なの?」

「え? 普通にダメだよ?」

 大丈夫なわけないじゃん。私が怖がりなの、多分一番良く知ってるじゃん。

「そっか、苦労してるんだね…… 私もう、そらっちに怪談話して、怖がらせて楽しむのやめるよ……」

 あー、やっぱ楽しんでたか…… 私も怖い話で仕返ししてやりたいなぁ。でも怖い話仕入れる段階で、自爆しそうだな……

「……む?」

「ゼロさん、どうかしましたか?」

「いや、なんでもない。この時代の学校は、凄まじく面白いところのようだな」

 一瞬怪訝な表情を浮かべたゼロさんだったが、よくわからないことを言っていた。学校って、そんなに面白いかなぁ……

 そうこう話しているうちに、私たち四人は、理科室棟一階に着いた。一階は、家庭科系の特別教室があるんだったっけかな。

 廊下で、特別教室のうちの一つ、調理実習室の前で立ち止まったゼロさんに合わせて、息を切らして立ち止まる。よく見れば、調理実習室は、ドアが外れていた。

 しばらく見ていると、その外れたドアの先の暗闇から、一人の男子生徒が、現れた。

「あれ、瑞希と、朱城だっけ? それに、似非老師と、誰だあんた? って、何だこのメンツは?ぞろぞろと、俺をお出迎えか? それとも、何かあったのか?」

 出てきた男子生徒、八幡君は、出てくるなり、私たちを順々に見渡して、そう言った。

 ……あれ、彼、瑠璃ちゃんが見えてる?

「タツキチ! 無事だったの!? あのお化けは?」

「まあ無事だぜ。あいつなら、ほれ、ここにいるぜ」

 八幡君は、肩から何かをつまむような動作をすると、それを千寿さんの目の前に出した。

 その手には、何も掴んでないように見えるが、なにかいるのだろうか?

「え? ここになにか、いるの?」 

 私同様、千寿さんも見えない様子だった。うーん、なんだろう。会話の流れからすると、てけてけとやらが、あそこにいるのだろうか?

「ざまぁ」

「瑠璃ちゃん!?」

 一瞬、すごーく嫌な表情をしていたような気がしたが、気のせい、ということにしておこう。

「貴様、それは、貴様が倒したのか?」

「ん、まあ、そうだけど。ところで、あんた誰だよ?」

「俺か、俺は「私の親戚のお兄さんです!」

「…………」

 危ない危ない。今、絶対、アストラルリターナーとか言うつもりだったよこの人。油断も隙も無いな、全く。ゼロさんに、無言で怖い目で見られてるけど、まあいいか。

「まあ、いいか。で、貴様は、それをどうやって倒したのだ?」

 ゼロさんが、意外なことに、他人に興味全開だった。千寿さんに優しかったり、八幡くんに興味持ったり、わからない人だ。

「ああ、倒した方法か? んー、秘密ってことで」

「むう……」

「さて、タツキチ無事だったし、今度こそ、帰ろうか」

 うなるゼロさんを横に、千寿さんが、私達全体を向いて言った。そうだ、私たちも、そろそろ帰った方がいいだろう。壁ぶち破った事件の関係者にされたくないし。

「ゼロさん、私たちも帰りますか?」

「ふむ、そうだな。今日はこれくらいにして、帰るか」

 こうして、私の霊視特訓一日目は、終わった。一日目にして、ありえないドタバタっぷりだった気もするが、この人に依頼した時点で、こうなるのは仕方なかったのかもしれない。

「あ、ゼロさん、壊した校舎、全部明日までに直しておいてくださいよ?」

「ふはは、もちろんだ。この俺が徹夜すれば、余裕で終わる! ふはははは!」

 さて、どうやら、壊れた校舎が一晩で直るという怪談が、追加されそうだ。


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