第三話『コックリさん』
まだまだ沈む気の無い五月の太陽に照らされて、私は図書室の中、一人でぼーっとしていた。例によって、図書委員の仕事だが、例によって、私以外に人はいない。
ぼーっとしながら考えていることは、もちろん昨日の幽霊関係のこと。まさか幽霊なんてものに関係を持つ日が来るとは思わなかったが、それ以上に、あのお兄さんのことが気になる。
時空間跳躍型対霊体人造人間第零壱号(アストラル・リターナー ゼロワン)とか言ってたっけか。前後の幽霊のことを含めても、未だに信じられない。それに門戸先生が霊能力者だったというのも、意外過ぎる話だ。
全部夢だと言われるか、ドッキリだった方が、まだ納得が行く。だが、夢でもドッキリでもない証拠に、私のカバンの中には、昨日ゼロさんから預かった、霊子計と呼ばれるものが入っている。これの存在が、昨日のことが夢ではなかったと、私に強く主張していた。
「はぁ……」
自然とため息が出る。私にどうしろって言うのだろう。幽霊とか、怖いから、勘弁して欲しい。やることもないので、昨日預かった霊子計を弄ってみる。
カバンから霊子計を取り出し、いろいろな角度から見てみる。電源と思われる部分は、すぐに見つかり、入れてみると、霊子計の大半を占めるレンズの部分が少し明るくなった。どうゆう仕組みなんだろう…… まあ、気にしたってわからないし、いいか。
電源を入れてしばらくすると、よくわからない文字が、霊子計のレンズに表示される。レンズ外周にはアイコンのようなものも表示されている。見たところ、霊子計に操作用のボタンは無い。ということは、レンズに触れて操作するということだろうか。わかりやすくお化けが描かれているアイコンに、触れてみた。
すると、上部に数字、下部左下にカラーパレットのようなものが表示され、レンズ中央には、小さい十字が現れた。これは、照準のようなもの、だろうか。
試しに、部屋の中を見てみる。特に何も無いようで、数字もカラーパレットも反応は無い。
次に、自分の手を見てみた。カラーパレットには、灰色が表示され、上部に250と表意されている。見ていると、上部の数字の下一桁は忙しなく上がったり下がったりしている。これは、私も生きているから霊体を持っている、だから霊子計に反応がある、ということだろうか。数字が、ゼロさんの言っていた密度だとするなら、きっと、血液の流れとかで密度がブレるから、数字が動いているのだろう。
バサバサ……
誰もいないはずの図書室で、急に物音がした。昨日の今日だからか、驚きは少ない。音がした方を向いてみると、閉まった窓の横のカーテンが揺れている。
怖いな…… 驚かなくなったからといって、怖くなくなったわけではない。目の前では、明らかに不思議なことが起きているのだから。
だが、これはいい機会だ、試しにあの揺れているカーテンを見てみよう。勇気を振り絞って、霊子計を覗く。
そこには、カーテンに絡まって遊ぶ、小学生女児がいた。というか、昨日の瑠璃ちゃん、だっけ? その子だった。
瑠璃ちゃんは、こっちが見ていることに気付くと、とことことこちらに歩いてきた。
「あれ? おねーさん、あたしのこと見えるの?」
「えっと、見えるけど。あれ? 瑠璃ちゃんだっけ、成仏したんじゃ……」
「うん。でもなんか、まだいるの。今度は、遊ぶだけだけど」
笑顔の瑠璃ちゃんは、昨日みたいに怖い顔ではなかった。こんな幽霊なら、怖くないな。今の私は、霊子計を通してでしか見ることが出来ないようだけど。
今気付いたけど、これ、声も、霊子計から出てるんだ。
「遊ぶだけ? ……じゃあ、昨日みたいに手と足を取ろうとしたりは」
「もう、しないよ」
「そっか」
よかった、これなら、もう、普通の女の子と何も変わらない。
「ねー、おねーさん、遊ぼう? さっきまで一人で遊んでたけど、あきちゃった」
「うーん。私も図書委員の仕事があるから……」
そんな感じでじゃれられたけど、どうしよう? こんな人のいない図書室の受付なんて、サボっても大丈夫な気はする。でも、だからと言って、堂々とはサボれないし、幽霊の女の子と何をして遊べばいいのかも、わからない。
目の前で、ふよふよと浮いている瑠璃ちゃんは、人形の様に可愛かった。くりくりした大きな目と、さらさらの黒髪、それに昨日とは見違えるように綺麗になっている白いワンピースと鍔広の帽子。
可愛さに見とれながら、どうしようか考えていると、ふと、瑠璃ちゃんの表情が、疑問符を並べたようなものになった。
「……あれー?」
「どうか、した?」
「んーとね、なんか今、呼ばれた気がした」
私には、何も聞こえなかったけど、どうゆうことだろう。あ、もしかして、
「……それは、天国的な、こと?」
「違うと思う」
「じゃあ、誰かに呼ばれた、ってこと?」
「たぶんそうだね。こっちかな」
そう言って、瑠璃ちゃんが指した方向は、図書室の外だった。なんだろう、この学校の中なんだろうか。
「心当たり、とかある?」
「うーん、一幸おじ……お兄さんは、こんな呼び方しないと思うし……」
門戸先生では、無いと。じゃあ、誰なのだろう。心当たりが無いのなら、確かめようは、行ってみるしかないのだけど。
「……どうするの?」
「ひまだし、行ってみようよ。ね?」
「それは、私も行くってこと、だよね?」
「うんっ!」
笑顔で言われた。仕方ない、どうせ人は来ないのだし、少し留守にしても大丈夫だろう。こんな笑顔で頼まれては、断れない。
「じゃあ、行こうか。案内は、任せるからね」
霊子計を持ったまま、席を立つ。これが無いと、瑠璃ちゃんの案内に、付いていけないから。
瑠璃ちゃんの方は、頷くと、浮かんだまま、図書室のドア方へ行く。慌てて後を追いかけると、こっちを一瞥し、そのままドアをすり抜けていった。この子の移動方法は、歩いたり飛んだりで、自由だな。どっちでもいいのだろうか。
瑠璃ちゃんと共に、図書室を出る。廊下に他の生徒はいない。よかった、これでおかしな虫眼鏡をもって徘徊しているところを、見られたりはしなさそうだ。
ちなみに、図書室前の廊下に、人がいないのは割りと当然だったりする。なぜなら、図書室は、授業を受けててる教室のある本校舎とは、別の校舎にあるからだ。
図書室があるのは、通称、図書館棟と呼ばれている四階建ての建物で、一・二階が文系の授業の資料室や準備室、三・四階が図書室だ。
三階の方が、普段私のいる図書室で、生徒が普通に利用していい図書室。四階の方は古書とか、先生方の資料の意味合いが強い本を保存しているとかで、生徒の立ち入りは許可が必要らしい。図書室の中を通って、三階から四階に上がることも可能らしく、現に図書室の奥には上階への階段がある。多分、造られたときは、行き来できるようにするつもりだったんだろう。
そんな風に図書室のことを考えていた私の目の前では、腕組みした小学生が空中に漂っている。不思議な光景だ。
「あっちかなー」
瑠璃ちゃんが、指し示した方向は、
「……理科室棟?」
通称理科室棟と呼ばれる校舎のある方向だった。現在地の図書館棟と隣り合って建っている、四階建ての校舎で、理系の授業の資料室や準備室とか生物や科学の実験室なんかの、いわゆる理科室が入っている建物だ。
「うん。名前はしらないけど、たぶんそれだよっ!」
さて、そういうことなら行くとしよう。私自身、ほとんど行ったことのない、理科室棟へ。
見ると、瑠璃ちゃんは、壁を抜けてそのまま、図書館棟三階から理科室棟三階へ行こうとしていた。
「ちょっ、ちょっと待って、私、それ出来ない」
「へ? あ、そっか。じゃあ階段で下りて、外出て、また上るの? 」
「三階間は行き来できないから、そうなるね」
「うえー、めんどくさい」
表情は本当に面倒そうだった。三階間どころか、二階間ですら行き来できないのだから、私も面倒だとは思うけど。
……あれ? 上るってことは、理科室棟の二階以上の階に、呼んだ人がいるってことなんだろうか。
「……瑠璃ちゃんは、あっちの建物の何階から呼ばれたの?」
「たぶん、三階かな?」
……理科室棟の三階って何があったっけなぁ。まあ、行けばわかるか。
「じゃあ、行こうか」
「うん。まだ呼ばれてる気がするし、早く行こう」
さあ、ツーダウン・ツーアップの運動だ。日頃から運動不足だし、いい機会だ、と前向きに捉えていこう。
「ふぅ……」
「着いたね、三階。あの、一番奥の教室から呼ばれてるよ」
上り終わった階段の脇で一息ついている私に、瑠璃ちゃんが声をかける。えーっと、奥って言うと……
「……生物、資料室?」
うわぁ…… なんか、怖いものがいっぱいありそうな教室だなぁ。ホルマリンとか骨格標本とか人体模型とか。嫌だなぁ。
「……行くん、だよね?」
「え? そのために来たんでしょ?」
「そう、だけど……」
「じゃあ行こう」
「うん……」
おっかなびっくり、生物資料室近づく。窓から、見られないように姿勢を低くしつつ、なんとか扉の前までやってきた。
「瑠璃ちゃん、部屋の中、覗ける?」
部屋の中に人がいるのかは、まだわからないが、気付かれたら嫌な気もするので、小声で頼んでみる。
「うん。ちょっと見てみる」
私の頼みを快諾した瑠璃ちゃんが、扉に顔を突っ込んで、中を見てくれた。便利だな、幽霊って。
「んーとね、なんか、三人おねーさんがいるよ」
「それって、私と同じ制服着てる?」
「うん」
ということは、うちの生徒だろう。試しに霊子計を扉に向けてみると、数値250前後の薄い黄緑の人影が写る。どうやら、扉越しでも大丈夫なようだ。優秀だな、これ。
ええと、さっき見た私も250前後だったから、おそらく中の人は幽霊とかでは無いだろう、と考える。
「何、してるかわかる?」
「なんか、紙見ながら、つくえかこんで座ってる」
なんだろう、普通にレポート書いたりしてるのかな。だとすると、邪魔したら悪いな。そう思い、扉の前で座り込んだまま、ボーっとしていると、不意に中の声が聞こえてきた。
「……コックリさん、コックリさん、聞こえていましたら、おいでください。コックリさん、コックリさん……」
コックリさん……? あの、五十音表みたいな物の上で、十円を動かす、占いみたいなのだったかな?
「あ、呼ばれた」
「え? どうゆうこと?」
「わかんない。とりあえず、行ってみる」
「大丈夫、かな?」
「大丈夫でしょ」
それだけ言い残して、スーッと扉の中へ入っていく瑠璃ちゃん。そういえば、コックリさんってお化けを呼んで、どうこうする儀式だって話もあったような気もするなぁ。
「呼んだ?」
中に入った瑠璃ちゃんの声が聞こえる。反応は、無い。
「無視しないでよー」
反応なし。
「むー。あ、この十円動かせるや。よし、これでイタズラしてやる」
いいのかな? そういや瑠璃ちゃんって念力とか使える子だったっけ。
「コックリさん、コックリさん、あ……十円が」
『き・た・よ』
「……今、動かした?」
「私じゃないよ」
「きたよ、ってことは、本当にコックリさん?」
中の三人が、そんな声を出しているのが聞こえる。どうやら、本当にやっているようだ。
「ふふふ、驚いてる驚いてる。もっとやってやろう」
そりゃ、そうだろう。しかし、まあ、21世紀の高校生がコックリさんやってる、ってのも大分驚きだけど。
今なら、少し扉を開けて中を覗いても、バレない気がする。よしっ…… 音を立てないように気をつけながら、少しだけ扉を開く。そして、その隙間から覗き込むように、霊子計越しに中を見る。
『こ・っ・く・り・さ・ん・だ・よ』
霊子計で覗いた部屋の中には、机を囲む三人の頭上に浮かび、十円を動かしているらしい瑠璃ちゃんがいた。
「ほら、やっぱりコックリさんだよっ……」
「うわぁ、まさか本当に来るとは……」
「何、あんたたち信じてなかったの? とりあえず、来てもらったんだから、何か聞いてみようよ」
「そうだね、じゃあ、五組の八幡くんに彼女がいるか、わかりますか?」
霊子計の先にいる瑠璃ちゃんが、困ったようにこちらをみる。
「……おねーさん、八幡くんってわかる?」
八幡くん? どこかで聞いたような、そうでもないような…… まあ、仮に八幡くんを知ってたとしても、彼女がいるかどうかまで、友達の少ない私が知ってるはずがないので、首を横に振っておく。
しばらくふわふわしながら考え込んでいた瑠璃ちゃんだったが、突如何か閃いたように、十円の上に移動した。そして、
『か・れ・し・が・い・る』
「……彼氏が、いる?」
「え? ……え?」
「うそ…… 八幡くんって、ホモだったの?」
そこには、いい仕事した、と言わんばかりの表情をした小学生女児が浮かんでいた。目が合うと、ビシッという音が聞こえそうな程の仕草で、親指を立ててきた。
いやいや……
「八幡くんは、ホモなんですか?」
「あ、これ、“はい”と“いいえ”は別であったんだ。じゃあこっちのが動かす量が少なくて楽じゃん。よいしょっと」
瑠璃ちゃんは、そう言うと、躊躇いもなく、十円を、
『はい』
と書かれたところへ、持っていった。ホモの意味わかって“はい”にしてるのかなぁ? わかってるんだとしたら、最近の小学生って怖い。
「そ、そんな…… 八幡くん……」
部屋の中で、女子生徒が一人、崩れ落ちる。……まあ、好きな男子がホモだったら、私も凹む。世の中には、だがそれがいい、と力強く言う人もいるかもしれないけど、私は違う。どうやら、部屋の中の彼女も違うようだった。
「つ、次の質問行こうか」
「そ、そうだね。えと、部活の顧問の先生がウザイんですけど、弱みとか知りませんか?」
一人はうな垂れたまま、十円に指を乗せているだけ、もう二人は、居たたまれないのか、うな垂れている子をそっとしておいている。
ふと視線を上げると、再度、どうしよう、という視線を投げかけられた。そもそも部活って何部? そう思い、首を傾げる。
『な・に・ぶ・?』
「……何部? ってことかな?」
「じゃない? コックリさん、私たちの部活は把握してないのに、八幡くんがホモだってことは知ってるんだね……」
瑠璃ちゃんとのアイコンタクトは成功したが、そもそものコックリさん自体に疑問を持たれていた。まあ、その調子で疑って、八幡くんがホモだってことも疑ってあげて欲しいな。そうじゃないと、自分とほぼ無関係のところで、言われもなくホモと断定された八幡くんが不憫すぎる。
「私たちは、生物部です、コックリさん」
「……おねーさん、生物部のこもん? だっけ? それの弱みってわかる?」
……また質問を、そのまま私にパスですか。知るはずないでしょ、友達少ないし、部活にも入ってないんだから。それにしても、“顧問”はわからないけど、“ホモ”はわかるんだ。この子の語彙、不安になるな……
色々突っ込みたいけど、中の人たちにバレても面倒そうなので、仕方が無く、また首を横に振る。
すると、先ほど同様に、瑠璃ちゃんはふわふわ浮かびながら、腕組みして考えはじめ、またロクでもないことを思いついた様な顔をして、十円の上に戻った。
『じ・ょ・そ・う・へ・き』
「……女装癖、かな?」
「え? いやほら、除草癖かもしれないよ?」
除草癖って、なに……? 草刈るのが快感とかだったら、確かに変態っぽいけど……
「もしくは、助走癖とか?」
意味がわからない。その人は、普通にジョギングが趣味とかじゃダメだったんだろうか。
「あとは、序奏癖か……」
……イントロクイズ大好きっ! みたいな感じ? いや、ないな……
「他は、無いよね。どれだろうね」
普通に考えて、女装癖だろう。何故迷う。
「うーんでも、女装癖以外は聞いたこと無いし、女装癖なんじゃない?」
「えー? だったら、おかしいじゃん。あの先生、女でしょ? 女が女装って、どうゆうことだよ……」
あ、なるほど。女の先生だから、真っ先に女装だと思わなかった、ってことか。ふと視線を上げると、あばばばばやっちまったぜ、みたいな顔をした瑠璃ちゃんと目が合った。
「おねーさん、どうしよう……」
……黙って、首を横に振っておく。こんなときの対処法なんて、知ってるわけがない。
『じ・つ・は・お・と・こ』
「……実は、男……?」
「……う、うそぉ?」
凄く、苦し紛れ感溢れる、言い訳だった。そんなもの、信じてもらえないだろう。この子は何を考えているんだろう。いや、何も考えてないのか。
「でも、ほら、この前……」
「え? ああ、確かに、あのときか……」
「「実は、男、か……」」
だが、私の考えとは裏腹に、何故か納得されていた。生物部の顧問の先生は“この前”何をしたんだろう……
気付けば、生物資料室の中には、うな垂れる三人の女子生徒がいるだけになった。なんだろう、凄く不毛な、会話だった、そんな気がする。三人は机に突っ伏したままで、動く様子はない。
……奇妙だな。ショックだったにしても、ここまで微動だにしないってのは、何故だろう。霊子計で見てみると、数値が200前後まで下がっている。どうゆうこと?
「おねーさん、この人たち、寝ちゃったみたいだけど……?」
そう言われて、彼女達が気絶していることに気付く。恐る恐る部屋の中に入ってみるが、起きる気配はない。
部屋の中は、私が想像していたよりも、狭かった。縦長の部屋には、長い机が一つあるだけで、それ以外は本棚。難しそうな生物学の本や、資料なんかが積まれている。幸い、私が想像していた怖いものはなかった。
「これ、瑠璃ちゃんがやったわけじゃない、んだよね?」
「うん。あたしじゃないよ」
だとすると、なんだろう。ガス漏れによる集団気絶だろうか。それなら、ここにいる私も危ないな。
即座にポケットからハンカチを取り出し、口元に当てる。次に、周囲を警戒するが、開きっぱなしのガス栓や、有毒ガスを発生させそうな玉ねぎなどの植物は、見当たらなかった。
ここが危険かどうかは、まだわからないけれど、彼女達の状態を確認しないといけない。でないと、これが先生に連絡、もしくは救急車を呼ぶほどの自体なのかどうかさえ、わからないから。
背中が動いているから、三人とも呼吸は大丈夫そうだ。念のため、脈も確認しておこう。
「……あれ? 腕が動かない?」
脈を測るため、腕を取ろうとしたら、その腕が動かなかった。いや、厳密には腕ではなかった。三人とも、十円玉から、指が離れないのだ。それはまるで、接着剤で張り付いているかの如くだった。
おまけに、十円玉は動かそうとしてみても、全く動かないし、持ち上がりもしない。いったいどうゆうことだろう。
「……瑠璃ちゃん、これ、どうゆうことか、わかる?」
「……ごめん、わかんない。でも、たぶん、誰かのしわざ」
なるほど、やはりこれは、そうゆう事態か。口に当てていたハンカチを、ポケットに戻す。そして代わりに、ポケットにしまっていた霊子計を取り出す。
ズ……ズズズ……
「……動いてるね、十円玉」
「……あたしじゃ、ないよ」
『に』
……に?
『く』
……にく?
『い』
……憎い?
『にくいにくいにくいにくいにくいにくいにくいにくいにくいにくいにくいにくい』
「ひっ」
思わず、後退るってしまった。十円は狂ったように、“にくい”と繰り返している。
「おねーさん! あそこ!」
瑠璃ちゃんの叫びで、逃避しかけた意識を現実に戻す。瑠璃ちゃんが指す先を、霊子計で見ると、狐の面を付けた、和服を着た女の子が中に浮いていた。暗い、すごく暗い色をしている。紫色だろうか、暗すぎてよくは、わからないけど。
数値は82800だった。これは大きいんだろうか。瑠璃ちゃんの方を見ると、78600と表示される。つまり、瑠璃ちゃんより密度の大きい霊ということか。それにしても、人に比べて数字が大きいな。二人とも、凄い幽霊ってことなんだろう。
そんなことを考えている間に、狐面の方は戦う気満々らしく、準備を整えていた。その証拠に、手には、どこからとも無く出した、鉄製と思われる杭が握られている。
「おねーさん! あたしの後ろに下がって!」
その叫びと共に、瑠璃ちゃんが私と狐面の間に飛び出した。言われた通り、ジリジリと後退する。私の後ろでは、まだ動いているらしい十円玉が、ズリズリと音を立てている。
ブンッ……
「くっ……!」
狐面の手にしていた杭が、瑠璃ちゃんに向かって、投げられた、らしい。私には目で追うことが出来ないほどの速さだった。杭は、突き出された瑠璃ちゃんの手の前で止まっている。そして、しばらく空中で静止した後、床に落下した。
「あたしのばりやーで、ギリギリだなんて、やるじゃん」
「………」
狐面は無言だった。それが逆に恐ろしくもある。
「瑠璃ちゃん、大丈夫?」
「まだ大丈夫だけど、さっきのあの鉄の棒がいっぱい飛んでくると、さすがにまずいかも」
どうしよう、私のせいで防戦一方になってしまっている。なんとかしないと、そう思っていると、事態は悪い方へ向かっていった。
狐面の手に、どこから出したのか、両手で合計八本の鉄の杭が握られていた。
「あれは、まずいなぁ」
どうする? 何か、何でもいいから、策は…… そうだ、この霊子計にゼロさんへの連絡方法があるとか言ってた気がする。それを見つけられれば……!
見れば、狐面は左右の手を振りかぶっている。間に合うか。霊子計の画面隅にある、人の上半身のようなマークを指で叩く。さらに、その後ポップしてきた、よくわからない文字も指で力強く叩く。狐面から鉄の杭が放たれ、飛んでくる杭が見える、そんな気がした。そんな中、
ガッシャーン!! ドスッ!ドスッドスッ……
私たちと狐面との、間にある窓をぶち破って、何者かが部屋に入ってきた。そして、私たちと狐面の丁度中間に立ち、狐面の放った鉄の杭全てを、その身に受けていた。
「呼んだか、ソラ」
乱入者は、アクアシルバーの髪をなびかせながら振り返り、まるで埃でも払うかの如く、身体に突き立っていた鉄の杭を払い落とし、そんなことを言った。
「あ、はい、呼びました。えっと、大丈夫ですか、ゼロさん」
「ふはは、この程度で、この俺が、傷つくわけがないだろう?」
どうやら、杭は刺さっていたわけではないらしく、見たところ完全無傷だった。どれだけ強いんだろう、この人は。
「ふはは、この俺が来たからには、ワンサイドゲームだ! 覚悟はいいか、そこの着物お面っ!」
カシャッ……という割れたガラスを踏む音と共に、そんな叫びが、狭い部屋の中で木霊した。
「………」
対する狐面は、ゼロさんの叫びにも無反応。この霊は、会話出来ないのかもしれない。
「ふん、反応なしか。つまらん奴だ。……霊子密度はDランク、カラーはダークパープル、動物霊をコアとした集合霊体か。捕獲する意味は無いな」
Dランクというのは、どうゆうことだろう。数値が80000前後はDランクなのだろうか。
「っと、もう一体いるな。貴様は、昨日のクソガキか。見たところDランクまで弱体化しているとはいえ、あれで消えてないとは、妙な奴だ」
「えと、もう敵意はないみたいです。私のこと守ってくれましたし」
瑠璃ちゃんを睨むゼロさんに、それだけ伝える。やっぱり、昨日より弱体化してるんだ。昨日の力なら、あの鉄の杭くらい、念力でどうにか出来るだろうとは思ったけど。
「ほお、ますます妙な奴だ。まあいい、昨日の人形直しと合わせて、これで貸し借り無しだな」
「……まあ、いいよ。おじさんには、今助けられた気がするから、結局借りがある気もするけど」
「ふん、勘違いするな。今のは、ソラを守っただけに過ぎない。貴様を助けたわけではない。あと、俺はお兄さんだ」
「……つんでれ?」
「そう、かな……?」
そうこうしているうちに、また鉄の杭が飛んできた。そして、ゼロさんに刺さる。
ドスドスドスドス……
「くっ…… こちらの会話もお構いなしか。それはそれで間違ってはいないが、なんか釈然としないな。……ふむ、この杭は霊子構造体か。ならば、」
そう言いながら、コートの中に両腕を交差させて突っ込む。
「高速換装! 霊子構成体干渉手甲!」
叫びながら出てきた腕には、昨日の機械ゴテゴテ手袋が装備されていた。
「あ、お人形さん直してくれたやつだ」
「それで、戦えるんですか?」
「当たり前だ。これら対霊体七つ道具はあくまでも、“武装”だ。昨日はそれを応用して、兵器とは異なる使い方をしたにすぎん」
そんな会話をしていると、またまた鉄の杭が飛来する。今度も八本だ。
「ふ、俺に一度使った攻撃は、効かん!」
「「……え?」」
なんか、二回ほど受けた気が…… しかし、ゼロさんの宣言自体は、その通りだったようで、全ての杭が、ゼロさんの手前に、カンッカララン……という音を響かせて落下した。
「今、何をしたんですか?」
「霊子計で見てみろ」
言われて、霊子計で覗くと、ゼロさんの手には、黄緑色の光の剣が二本握られていた。これで斬り落とした、ということだろうか。見れば、杭は全て斬られている。
「その、剣は……?」
「ふはは。いいだろう、説明してやる。この手甲が、霊子構造体に干渉出来るということは、自ら放った霊子を構造体に変え、それに干渉することも可能ということだ。名付けて、霊子双光剣。形状は、剣以外でも自由自在だ」
説明しながら、ヒュンヒュンと両手に持つ剣を振る。見た目は、非常に軽そうに見えるな。昨日の説明の通りなら、あれは物質的には、空気でしかないことになるから、当然か。
「……そんなもの持ってるなら、なんで昨日の瑠璃ちゃんとの戦いで使わなかったんですか?」
「ふむ。もっともな指摘だが、これで斬れるのは霊子構造体のみだ。昨日飛来したのは、念力で浮いた通常の物質だっただろ? それに対して、今回の杭は霊子構造体、だから斬れる、というわけだ」
「なるほど」
「あれ? あたし、実はすごい?」
会話しながらも、次々襲い来る鉄の杭を斬り落としていく。私の目では、ゼロさんの剣捌きは、見えない。
「さて、そろそろ終わりにしようか」
そう言いながら、降り注ぐ鉄の杭の嵐を、全て斬り落としながら、ゆっくりと歩き、狐面に近づいていく。
「………!」
とうとう目の前まで近づかれた狐面は、流石に動揺した様子だったが、もう遅い。
「チェックメイトだ。さらばだ、着物お面」
ズバシュッ! 大気を切り裂く音を轟かせた斬撃の後には、光の粉となって消える、狐面があるだけだった。
「これで、解決、ですか?」
「ああ、多分な。そこの奴らも、じきに起きるだろう」
剣を消したゼロさんは、手袋を外しながら、こちらに戻って来ていた。
「この窓とか、どーすんの、おじさん」
「俺はおじさんではないが、そうだな、後で直しておく」
そういえば、大破した昇降口の今朝登校したら、直っていた。夜な夜な修理をしているのだろうか。
「……あの、根本的なことなんですけど、さっきゼロさんが倒したのは、一体?」
「あれか、推測になるが、そこの召喚陣で呼び出された霊体だろう。元は狐の低級霊だったが、なんの因果か信仰を集めてDクラスまで成長したんだろう」
コックリさんって、召喚陣だったんだ。ということは、コックリさんを信じてる人からの、感情で強くなってたってことだろうか。さっきの感じだと、未だに信じてる人多そうだもんな。
「大体わかりました、ありがとうございます。あと、気になったんですが、霊子計に表示される数字って、霊子密度ってものですか?」
「いや、霊子密度に感情度数を加算した、干渉力と呼ばれる数値だ。確率や物理法則への影響力を表すのに使う数値だ。まあ、なんだ、密度が硬度、いわゆる防御力なら、干渉力は攻撃力みたいなものだ。まあ、感情の増加で密度は増す、ということからわかるように、大抵の場合は比例する。だから密度と考えても問題は無いがな。普通の人間の平常時が200~300で、さっきの奴が82800だったか?」
「はい、確かそうでした」
「うむ。干渉力1000から100万までが大体、霊子密度Dクラスに相当する。昨日のクソガキの数値は忘れたが、霊子密度Cクラスだったはずだから、昨日の時点では100万以上だったのは間違いないな」
100万か、Cですら、大分数字が大きいんだなぁ。だとすると、それをたやすく破ったこの人は、かなり凄いんではないか?
「……ちなみにゼロさんは、どれくらいなんですか?」
「ふはは、俺か、俺はな、最大で一兆だ! ふはははは!」
高笑いだけが、部屋に響く。一兆かー…… 今時、小学生でも言わなさそうだなぁ……
「…………じゃあ、彼女たちが起きる前に、撤収しましょうか」
「そうだねー」
リアクションに困るほどの数値のインフレがあったので瑠璃ちゃんを連れて、生物資料室を後にする。
「おい! 反応無しか! 一兆だぞ!?」
後ろでは、リアクションを求めて叫ぶ声がするが、スルーしよう。昨日の今日だって言うのに、こんな意味不明なやり取りに、大分慣れてきてしまった自分が、少し嫌だった。
ああ、どうやら、私の日常は壊され、オカルトとSFの乱れ飛ぶ、不思議な日々が始まってしまったらしい。だがまあ、これはこれで、退屈しない分はマシなのかもしれない。今までの退屈な日々に比べれば。