第二話『サイコゴースト』
気分がいい。やはり笑うのはいいことだ。俺はよくわからない場所――靴の量から考えておそらくは学校の下駄箱というやつだろう――とにかくそこにてサイコゴーストを撃破した後の、勝利の余韻に浸っていた。
しかし、俺は最高にツイているな。こっちに来て早々にして、霊子密度Cクラスの霊体を捕獲出来た。最初は転送に失敗したかと焦ったものだが、これは中々の滑り出しだ。おっと、俺の仕事はそれだけじゃなかった。副業にかまけている場合ではないな。
「ふぅ」
一通り笑い終えて一息着くと、傍らには先ほどの少女が、呆けた顔で俺を見ている。
「……あの、アストラル・リターナーってなんですか?」
そんでもって、そんなことを聞いてきた。まあ、時空間跳躍型対霊体人造人間って言われただけじゃわからんよな。
「未来から霊体を捕獲する為にやってきた人造人間だ」
わかるように簡潔に答えてやる。これなら理解しやすいだろう。
「……はい?」
聞き返された。どうやら理解出来なかったようだ。ふむ、この時代の人間は理解が遅いらしい。
「未来ってわかるか?」
「わかりますよ」
「そこから来た」
「え? どうやって?」
「そんなもの、時空間潜行機を使ってに決まっているだろう?」
「……ええ!?」
そんなに、驚くことなのか? この時代でもそう言ったものは、空想科学の中にはあるはずだから、すんなり受け入れられると思ったんだがな。
驚く少女をまじまじと見つめる。セミロングの黒髪に、あどけない化粧っ気のない面、身長は150cm前後といったところか。高校生だとするなら、比較的小さい気もするが、この時代の平均身長がわからんからなんとも言えないな。……うん?
こいつは、もしかして……
「……貴様、ひょっとして朱城ソラか?」
「……え? そ、そうですけど…… お兄さん、なんで私の名前を?」
ビンゴだ。どうやら俺は本当にツイてるらしい。到着早々、最重要目的の目標に接触出来た。
「それはだな……」
言いかけて、奇妙な音に気付く。ブロロロロ……と低く響くそんな音だ。これは、内燃機関を積んだ機械の駆動音か? 聞くのは初めてだな。
音の方に目をやると、外からこっちに向かって、前後に車輪をつけた奇妙な乗り物、スクーターと言ったか、それに乗った男がこちらに向かって来ていた。
ふむ、何者だろう? まあ、この時代、俺に敵う者など居はしないので、何者でも構わんが。
男は、スクーターをこの昇降口のそばに停めると、降りてこちらに向かってきた。被っていたヘルメットを外し、傍らに抱えてきょろきょろと辺りを見回している。
「……門戸先生?」
ソラがそう言った。どうやらこの学校の教師らしい。ボサボサの頭に、よれたスーツ姿といういい加減そうな男だ。歳は、20代中盤くらいに見えるが、俺には東洋人の年齢はよくわからん。背は、俺より少し低い175cm前後だろう。
「朱城か。大丈夫だったか? うわっこりゃ酷いな……」
門戸とやらは、昇降口に入るなり、俺とサイコゴーストの戦闘による惨状を見てそう言った。
「えっと、あの、はい、大丈夫ですけど、その」
「そうか。そいつはよかった。あ! あーあ、こんなデカイ穴空けちゃって、どうすんだこれ。俺しーらね」
ソラはしどろもどろに答えている。何を言葉に詰まるところがあるのだろう。一方の門戸はマイペースに昇降口の中を見渡していた。
「……ところで朱城、こいつ何だ? 見たところ人間にも幽霊にも見えないんだが」
門戸は俺を指してそう言った。ほう、俺が人間で無いと見破るとは、こいつ中々出来るな。この時代の人間にしては中々…… ふはは、おもしろい。
「えっと、ですね……って今、先生幽霊って言いました?」
「言ったが?」
「俺は、時空間跳躍型対霊体人造人間第零壱号(アストラル・リターナー ゼロワン)だ」
沈黙が辺りを包む。ふふ、やはり我ながら完璧なタイミングでの名乗りだ。感動で言葉も出まい。
「……だそうです」
「……は?」
「未来から幽霊を捕獲する為に来た人造人間、だそうです」
「……なんだそれ。朱城、頭ぶつけたりしたか?」
「私はなんともありません! というか、本人がそう言っていただけであって、私も信じてるわけじゃありません!」
なんだこいつら、信じてないのか? 全く、この時代の人間はダメだな。
「……なんかめんどくさそうだな。もう頭の沸いた不審者ってことでいいか。よーし不審者、大人しくお家に帰るんだー、警察を呼んでもいいが、アレ意外と面倒だし、この惨状の説明もダルイので、今日のところは見逃してやるから大人しく帰るんだー」
「……何を言っている? そんなことより俺はそこの少女に用があるんだ。貴様の方こそ消えるがいい。あと、俺は不審者ではない」
「……えっ!?」
「あれー? 奇遇だな不審者、俺も朱城に用があるんだよ」
「……はいっ!?」
「だから、俺は不審者ではないっ! あとだな、こっちも遊びじゃないので帰るわけにはいかないのだ!」
「モテモテじゃん。やったな朱城」
「えっ、いや、そうですか?」
ソラは全体的にワタワタしていた。ふむ、もっとどっしりと構えるべきだな。それに引き換え、この門戸という男は肝が据わりすぎている。いや、飄々としていて、掴み所が無いというべきか。確実に只者ではないだろうし、やりにくいな。
まったく、好調な滑り出しだと思ったが、勘違いだったか……?
「……あの、お二人の私に対する用事って具体的になんなんですか?」
しばらくの沈黙の後、ソラが聞きづらそうに聞いてきた。そんなに気を使う必要などないと思うのだがな。
「基本的にはさっきの話の続きだ。未来、人造人間、それから霊体に関して。そんなことを全て説明するのにはやや時間がかかる。ここでも問題は無いが、出来れば場所を移したいな」
そう言っておく。俺がここに来た目的は一言で纏められるほど単純ではないのだ。
「あー……、朱城、お前の腕と肩の傷、それほっとくと治るまで結構時間掛かるから、今日時間あるならうちに来て治療受けてけ、ってのが俺の用事だ。あと、なんだっけ、あすとらるなんとかさんだっけ? もうめんどくさいし、あんたもうち来るか? 話長くなるなら、うちのがいいだろ。ここにあんまりいて、誰かに見つかってこの騒動と関わりがあると思われたくない」
「貴様らにとって得体の知れない俺を家に招きいれると言うのか。ふふ、凄まじい度量だ」
「得体の知れないって言ったって、ここにいた幽霊から朱城を守ったのってあんただろ? 話した感じ、そんなに悪い奴でもなさそうだし、とりあえず話聞いてから判断するわ」
「ふはは、既に状況は把握済み、というわけか。中々面白い奴だ。だが願っても無い提案であることも事実。お邪魔させてもらうとしよう」
「まあ、肝心の朱城の返事がまだだけどな。どうだ? 今日は無理そうか?」
そうだ、ここではソラの返事が重要なのだ。うっかりしていた、この俺としたことが。……門戸の言った、ソラの腕と肩というのは先ほどのサイコゴーストによってつけられた傷か…… 確かに治療が必要ではあるが……
「えっと、大丈夫です。お邪魔させてもらいます」
そう言って、ソラは承諾した。俺からの説明も必要だが、それ以上に治療も重要か。ソラが承諾してくれてよかったように思う。
さて、ではどこかはわからぬが、移動を開始するか。
散乱した箒や何かを踏みながら、三人で表に出ると、空はもう夜の色だった。いつの時代でも、空の色は変わらないな。
……ああ、ここから俺のこの時代での長い長い旅が始まるのか。そう考えると、いつの時代も変わらない空も感慨深いな。
原付を押して歩く門戸、その後ろをソラと俺が続く。ふむ、資料にあったのとあまり違わない街並みだな。まあ、21世紀などこんなものか。内燃機関式の乗り物が主流なのが、わかっていても物珍しい。
さて、歩くこと40分くらい、着いた先は、やたら大きい古風な建物、俺の中のこの時代の知識に照合すると、寺と呼ばれる宗教施設のようだった。この男のいい加減な身なりとは釣り合わない荘厳さを誇っている。
「さあ、あがってくれ。他に人はいるかもしれんが、まあ気にすんな」
門戸は適当な位置にスクーターを停めて、玄関と思われる扉を開けながらそう言った。
「……じゃあ、お邪魔します」
「邪魔するぞ」
二人でそう言って家の中にあがる。中は、板張りの廊下と土で出来ている壁、それに木製の柱を組み合わせた奇妙な住宅だった。これがこの時代の一般的な日本の住宅といった感じか。視覚情報は、所有する知識と問題なく照合されていく。
「んじゃ、こっち来てくれ。お祓い用の部屋があるから」
門戸についていった先は、畳と言ったか、草を編み上げたようなマットが敷かれており、それが十個ほど並んだ程度の広さの部屋だった。部屋にはこれといって何も置いていない。
「ほれ」
そう言われて、門戸から四角いクッションを受け取る。これは、座布団というやつか。この時代のこの国のクッションだな。
「ほれ、朱城も」
「ありがとうございます」
二人で受け取った座布団に座る。門戸も持っていた座布団に腰を下ろした。三人は部屋の中央付近に無造作に座っている。
「んじゃまあ、一応改めて自己紹介でもするか」
「……そう、ですね」
「まあ、構わん」
一応家主が口火を切る形で、俺たちの話し合いは始まった。
「じゃあ、順当に俺から、えーっと、門戸一幸だ。代場高校で司書教諭をやってる。歳は25。そんなもんか? あとは質問ありゃ答える」
ふむ、司書教諭というのは、図書室の管理をしている教員だったか。こいつがそういう仕事をしている姿は想像し難いな。
「……先生は、幽霊が見えるんですか?」
「ああ。見えるし、簡単なお祓いも出来る。言ってなかったか?」
「初耳です……」
「そうか。……うっかり言うの忘れてたのかもなー」
門戸はへらへらとして、ソラの質問に答えていた。お祓いか…… 宗派の力による霊への対応というのは、俺の時代にはもう存在しない技術だ。この機会に見ておきたいとは思う。
しかし、この男がなあ…… 人は見かけによらないとは言うが……
「何故、俺が人間でないとわかった?」
さて、俺も質問出来るのなら、一番気になったことを聞いて見るか。
「なんとなく、人間に見えなかったから」
「なんとなく、だと?」
「そ。まあ、人間そんなもんだよ。質問、こんなもんでいいか? んじゃ次、朱城な」
そう言って、門戸はソラに話を振った。うーむ、上手くはぐらかされてしまった。まあいいか。
「えっと、朱城ソラって言います。代場高校の一年です。じゃあ私も後は質問で」
「あ、じゃあ質問いいか? さっきまで、学校で何があった?」
「えっと、帰ろうとしたら、あの、お化けに襲われました。それで、このお兄さんが助けてくれて、みたいな感じです」
「ふーん、なるほどね」
俺にはさっぱりな内容だったが、門戸はそれで何かが納得いったようだった。あのサイコゴーストのことを何か知っているのか?
「では俺も質問させてもらう。今までの人生で幽霊をみたりしたことはあったか?」
「……いえ、今日が初めて、ですね」
「そうか、わかった」
ふむ、では俺が最初のコンタクトということになるようだ。これは本当にツイているぞ。
「じゃあ私はこれくらいで、いいですかね……? 次は、お兄さんの番ですね」
ソラから俺に、自己紹介のパスが回ってきた。さっきも散々言った気がするが、また言うとしよう。
「俺は、時空間跳躍型対霊体人造人間第零壱号(アストラル・リターナー ゼロワン)だ。ゼロとかゼロワンとか好きに呼んでくれて構わん。だがおじさんとか不審者はやめろ。歳は、稼動開始から2年、外見年齢設定と精神年齢設定は17歳だから、人間換算17歳だと思ってくれればいい。さて、後は俺も質問とさせてもらうか」
何回目かの名乗りを上げた後、他の二人を見習って、質問コーナーを設けてみた。
「17歳!? うそだぁ。お前17だったら、俺も高校生になるぞ?」
「えっ!? 17? 私と二歳しか違わないんだ……」
だが、最初に上がった声は、俺の歳に対する突っ込みだった。そんなに老けて見えるんだろうか。うーむ、設計ミスか、この時代の調査不足かのどちらかだな。
「……質問は無いのか、質問はっ!」
「ああ。質問な、あるぞ、いっぱいある。まず、お前が未来からきた人造人間だということは、一旦良しとしよう。んで、なんでそんな奴が、この時代でゴーストハントなんてしてるんだ?」
ふむ、最もな指摘だな。まあ隠すことでもないので教えてやるか。
「そうだな、まずは、俺の元居た時代について説明してやる。そうじゃないと話がわからんと思うのでな。俺のいた時代は、西暦で言うと、40世紀くらいに当たる。だが、厳密にはこの時代の直接の未来ではないのだ。」
「そりゃまた、遠い未来からきたもんだ。で、直接の未来じゃないってのは?」
「ああ。それはな、俺の居た時代では、五つの並行世界があり、それらの間で交易が行われていた。人類の歴史は大きく五つに分岐し、それ以外は40世紀に到達する前に滅んだ、ということだ」
「……凄い壮大な話ですね」
ソラが話しに相槌を打ってくれる。こいつは話の腰を折らないし、茶化しもしない。いい聞き役だな。
「まあ、そうだろうな。だから、この時代がこれからどこに分岐していくのか、それともどこにも入らずに滅びるのかは、俺にはわからん」
「んで、なんでこの時代なんだ?」
それに対して門戸はどんどん自分の聞きたいこと、疑問をぶつけてくる。これはこれで話しやすいから問題はないな。
「ふむ。それについては、先に五つの世界について説明しておくか。まずエアロパンクと呼ばれる機械工学が発達した世界があった。そことバイオレイジと呼ばれる生物工学が発達した世界で交易が始まった。これが37世紀頃の話だ。そしてその50年後に、ウィアードウェブと呼ばれる電子工学・ネットワーク工学が発達した世界が加わり、そのさらに50年後の38世紀にマッドゴーストと呼ばれる霊体を科学的に解析した世界が加わった。ここまではいいか?」
「霊体を、科学的に解析……? どうゆうことですか?」
「後で話す。で、39世紀に入り、五つ目の世界が現れる。それが4Dだ。ここは、時間の概念を解析した世界だ。この4Dの理論に他の世界の技術が加わり、過去への遡行が可能になった」
「ふーん。なかなかSFだねぇ。話としては嫌いじゃないが……」
「まだ続くがな。さて、いざ時間遡行に挑戦するとどうだ、全ての世界の分岐が始まったターニングポイントである23世紀以前にしか戻れない、ということが発覚した。そして現地での調査の結果、過去での行いは、俺たちのどの世界にも影響、いわゆるタイムパラドックスを起こさなかった。つまりここは、過去であり、独立した世界、言わば六つ目の世界でもあるのだ」
「……だから、あれだけ自由に行動していたんですね」
「そうゆうことだ。まあ、どんな影響があるかわからないから、一応は派手な行動は慎めということになってはいるがな。それで、さっきの質問の答えだが、俺の居た時代では霊体は非常に重要な資源なのだ。だから回収していた」
「資源ってのは、どうゆうことだ?」
「貴様らにわかりやすく例を挙げてやるとだな…… 心霊スポットなどで、車のエンジンが何度掛けても掛からないということがあるだろう。どこも故障などしていなくても、だ。霊体にはその確率の中で起こりうる事象の、その率を操作するという力がある。言わば、1%でも出来ることなら、強引にその率を100%に限りなく近づけることが出来る、というわけだ。逆もまたしかり。時間遡行もこれで可能になった部分が非常に大きい」
「なるほどね、一応筋は通ってるように聞こえるねぇ。で、あんたはその五つの世界の粋を決して作られた人造人間ってわけか?」
「そうだ。俺の身体は、約半分が電子機械、もう半分が生体機械ってところだ。脳は生体コンピュータとそこに搭載されたAIで、人造霊体をそこに組み合わせて感情などの複雑な処理を行っている」
「神を冒涜したような生き物だなぁ。いや、生き物か? 俺がキリスト教徒じゃなくてよかったな」
確かに、キリスト教徒に言わせれば、そうなるのだろうな。人は神の造ったもの、それを人が造るなどおこがましい、ってところか?
「一応、こちらの定義では生き物だ。AIに人権のある世界なんでな。生き物以外で人権がある奴なども、ごまんといる。……まあ、俺には宗教の教義自体は理解出来るが、その信者の気持ちまではわからんから、なんとも言えんな。まあ倫理観の差はあるのだろうが、それを押し付けていいわけではないだろう?」
「ごもっともだな。まあ異文化交流は相手を尊重するところから、だからな」
門戸はそう言って黙った。意外と常識のある奴なのかも知れない。これほどの男が、味方で居てくれれば、ありがたいが、さてどうなるかな。
「あの…… 私の名前を知ってたのは、一体……?」
さっきまでは相槌を打ったりしていたソラが、弱弱しく手を挙げて聞いてきた。
「ああ、その件か。それはだな、俺の任務の霊体回収はおまけみたいなもので、本題は朱城ソラ、貴様の護衛なのだ」
「……それって、どうゆうこと、ですか?」
「貴様は狙われているのだ、未来にあるとある犯罪組織に!」
俺の宣言のあと、一瞬だけ、沈黙が部屋を包んだ。理解が追いつかない顔のソラと、どこか考え込んでいるような門戸。
先に口を開いたのは門戸だった。
「……なんでだ? 歴史は変わらないんだろう? それになんで朱城なんだ?」
最もな疑問だが、一つ見落としているな。
「歴史なんて関係無い。これから先の未来を変えるためだ。朱城ソラには膨大な霊子を制御する能力がある、とされている。それは2011年頃に霊能力の覚醒してから徐々に目覚め始める力だ。それを未来に持って帰り、悪用しようとしている組織があるのだ」
「うそ、私にそんな力があるなんて……」
「そうだ。そんな馬鹿みたいにスケールのデカイ話を信じろってか?」
二人は口々に異を唱えた。ふーむ、やはりこの時代の人間は物事をすぐに理解しない。いや、しているが信じない。突拍子もないと言われればそれまでだが、これは俺にとっては直面している現実なのでな。
他に言い方もない。
「ふむ、信じてもらわなくても、俺は勝手に貴様の護衛をするだけだ。どうやら俺は奴らより前の時間に運良く到達したらしいから、しばらくは安全だろう。だが、気をつけることだ。さて、こんなとこで自己紹介とやらを終わりにしてもいいか?」
もうこちらはほぼ全てのことを話した。稼動を開始してからここまで多くのことを話したのは初めてかもしれないな。
「まあ、だいたい理解はしたさ、納得はしてないけど。んじゃそろそろお祓いの方を始めるか。ちょっと待ってろ」
そう言って、門戸は腰を上げ、部屋を出て行った。
ソラと部屋に二人になって、一分くらいが経った。ここまで来るときの道のり同様、特に会話はない。
「……あの、ゼロさん、さっきの話ですけど」
しばらくして、ソラの方から話し掛けてきた。さっきの話というのは、どっちだ?
「さっきの話というのは、護衛や貴様の力に関しての話か?」
「いえ、そっちじゃなくて、霊体を科学的に解析したっていう話が、聞きたいなと、思いまして」
ああ、そっちか。後で話すと言っていたからな。
「ふむ。では話してやろう。貴様に理解出来るかどうかは、わからんがな。ふはは」
「あ、はい、えーっと、頑張って理解するように聞きますから、よろしくお願いします」
中々良い心がけだった。ふむ、こいつも子どもにしては出来た奴ではあるな。いいことだ。
「では説明するぞ。この世には霊子という物質がある。これは生物の感情を反映し、確率を操作する力を持つ物質だった。それに加え、感情を蓄積し、残留思念のように霊子自体が感情というか一定のベクトルを持つこともある。また霊子は、その密度の上昇に伴い、複雑な思考・生前意識のトレースなどもこなせるようになる性質を持つ。これは確率操作能力に起因しているわけだ。つまり、死者の生前の強い感情によって霊子に蓄積された感情が幽霊の正体というわけだ。具体的には、生きてる人間への憎悪という感情を持って、生きてる人間を殺すというベクトルで動いている、こんなのが一般的だな。感情元が生きてる人間ならば、生霊となる。元が動物なら動物霊だ。ここまではいいか?」
「はい、まだ理解は追いついています。大丈夫です」
まあここまでは触りみたいなものだから、ここで脱落されたら困るのだけどな。
「さて、では続きだが、この霊子、存在場所が少しややこしい。物質の単位としての原子というのは知っているな。その原子は、実はすかすかの構造をしている。そこに存在するのに、中身はすかすかなのだ。その空虚なすかすかな部分こそが、霊子だったのだ。空間としての素粒子とでも言えばいいのか。それはさておき霊子の性質として、霊子から隣り合う霊子へと感情は伝播する、というものがある。しかしそこに原子の動きはない。そして大抵の幽霊はそれにより壁を抜けたりなんかを行う。また、さきほど霊子密度と言ったが、これは単に原子密度とも言える。大抵の幽霊は大気中の原子にその感情を置く。霊子のベクトルによって高密度に圧縮された空気というのも、物質的にみた幽霊の正体ではある。だから大昔の映画で、掃除機で幽霊を吸ったりしていたが、あれは実はそこそこ有効なのだ。さてここまででわかったように、霊子自体はどこにでもあるが、空虚であるも同じ存在だ」
「……少し、わからなくなってきました」
ソラがそう言ったとき、後ろの襖が開いて、袈裟を着た門戸が部屋に入ってきた。
「ちょっと聞かせてもらったが、般若心経にある、色即是空、空即是色っていう考え方に近いように感じるな。まあ、アレで言ってるのとは根本的には違うことだとは思うけど」
「まあ、色即是空、空即是色って言ってしまってもこちらとしては問題無いな」
「え? ……え?」
門戸の追加解説、と言うか独自の理解のせいで、ソラはさらにわからなくなったようだ。まあ、この時代の高校生には少し難しい概念な気もするな。
「さてと、全く新しい切り口で中々興味深かったけど、その話はそんなもんでいーか? そろそろお祓いを始めようと思うし」
「あ、はい。大丈夫です。よろしくお願いします」
「ふ、こいつが聞きたいと言った話だ。こいつの気がすんだなら、俺ももういい」
ソラは今まで通りテンパってそう答えた。そしてそれに合わせて、俺も話を切り上げた。さてこれから何が行われるのか、非常に楽しみだ。ふふふふ……
***
久しぶりに袈裟を着た。こうやって、本格的に除霊なんてことをするのも実に久しぶりだな。そんなことを考えて、俺は経文をわきに抱えて部屋の入り口に立っていた。
目の前には我が可愛い生徒の図書委員である朱城ソラと、電波不審者ゼロワンが座っている。
俺が戻る前に、部屋の中で花を割かせていた未来の幽霊談義は面白そうだったが、適当なところで切り上げてもらった。そうでないと晩飯を食う時間がなくなっちまうからな。
そういやさっき除霊という言葉を使ったが、これからするのはお祓いだけじゃなく除霊も含まれる。まあ、奴らにはおいおい説明すればいいか。
「んじゃ、さくっとお祓いしちゃいますかー」
「はい、お願いします。……でも、そんなさくっと出来るものなんですか?」
「まー、それが意外とさくっと出来るもんなのよ。予防接種よりも簡単お手軽。今回は幽霊本体じゃなくて、その爪跡を消すだけなわけだし」
そんなこと会話を交わしつつ、俺は座ってる朱城に目線を合わせるようにしゃがみこんだ。横では不審者が少年のようなキラキラした目でこちらを見ているが、無視する。こいつは何がそんなに珍しいのか、理解出来んなぁ。
「じゃ、腕の方から行くか。はい、腕出してー」
「はい、これでいいですか」
「おっけーおっけー。ほいっ!」
掛け声とともに、経文で朱城の腕を軽くはたく。これで終わりだ。次は肩か、そんなことを考えていると、
「なんだとっ!?」
「ひぃっ!」
「紙の束を通して霊子を分散される目的を持った霊子を送り込んだだとっ!? 馬鹿な、そんな高等技術を生身の人間が行うとは、俄かには信じがたい…… いやだが現に目の前で……」
横の不審者が何か叫んでいた。なんのこっちゃ。とりあえず、朱城がビビるから急に叫ばないで欲しい。
「……続けていいか? んじゃ朱城、次は肩な」
「あ、はい」
「せーのっ、ほいっ!」
これでお祓いは、終わりだ。本来、穢れを祓うという行為は神道のものだが、まあ坊主がやってもいいだろう。一時期融合してた文化だし。
「ぬう……、その紙の束を見せてくれないか?」
横でぶつくさ言ってた不審者が、そんなことを言ってきた。これは特に変わったところの無い観音経なんだけどな…… まあ見たいってなら別にいいか。
「ほらよ、破くなよ」
そう言って経文を渡す。受け取った不審者は、読めるのかどうかは知らんが、物珍しそうに眺めていた。
「うーむ、この文字列、意味はわからないが、所持者の霊子に具体性を持たすのを補助する力があるのか。不思議だ、こんな技術があったなんて」
そんでもって、そんなことを言っていた。まあ、経文あった方が力入れやすいから、あながち間違ってないんじゃないかな。よくはわかんねーけどさ。
「……あの、これで終わり、ですか?」
俺と不審者の会話を、見守っていた朱城がおずおずと口を開いた。
「まあ、終わりだな。サクっとだったろ?」
「そうですね。ビックリするくらい、サクっとでした。でも、これで何か変わったんですか?」
「あー、それはだな……」
「ソラ、貴様の腕と肩は先ほどまで、あのサイコゴーストによって攻撃色の霊子が蓄積していた。それによって、貴様本来の霊子の働きが阻害される状態にあったのだ。具体的には、関節の稼働に多少の支障を来たすことや、怪我の治癒遅延などが考えらる、といったところか」
「おー、凄いな不審者。よくそこまで見抜けるもんだ」
「ふっ、まあな。……だが俺は不審者ではないぞ」
「で、まあ、さっきやったのはその霊子とやらを俺が取り除いた、って感じかな。これでもう大丈夫だから心配しなくていいぜ」
俺がそう言うと、朱城はどこか驚いたように目を丸くしながら、自分の腕を摩っていた。どことなく、今までのだらしなーい俺を見ていた目つきとはちょっと違う視線にも思える。
「あ、ありがとうございました。……あの、先生、こんなことも出来たんですね」
「まあな、これでもいろいろ幽霊関係の仕事やってるからな。たまにお礼もらう程度の慈善事業だけどさ」
さて、じゃあ次は除霊の方に取り掛かるか、これも本題ではあったしな。
「ところで不審者、お前はとっ捕まえた幽霊を持ち帰るって言ってたが、そいつらはどうなっちまうんだ?」
「資源として使われる。霊子密度Cだと、機械の動力みたいな扱いだな」
「それは、死者の魂を機械動かすためのガソリンにしちまうってことか?」
「内燃機関に例えるなら、そうなるな。まあ、霊体は死者の魂ではなく、生前の感情の残りに過ぎないが」
「……つまり、人造人間ってだけじゃなく死んだひと(ほとけさん)まで冒涜するってわけか」
「……そんなつもりはないが、そう捉えることも出来るな」
「じゃあ、お前は死者の魂を踏み荒らす蛮族ってことにもなるな」
そう言うと、不審者は困ったようだった。何やら難しい顔をして、考え込んでいる。
「……そんな風に思われるとは考えてなかったな。では、俺がこの時代と友好を築けるように、蛮族ではなくなるようにするためにはどうすればいい?」
俺の煽りに対し、意外にもこいつは歩み寄ってきた。幽霊は資源としか考えていないくせに、人には友好的なのか? それとも単にこいつの性格によるものなのか? まあどっちにしろ、この展開はありがたい。
「そうだなー、じゃあまず、今日捕獲したと言ってた幽霊を、俺に預けてくれねーか?」
「うーむ……、霊子密度Cは中々貴重なのだが、まあいいか。霊体捕獲は俺のメイン任務じゃない。ついでみたいなものだ。問題無いだろう」
そう言って、不審者はコートの裏のポケットから、黄色いガラス管を取り出した。あの中に、いるのだろう。
「ありがとう。……そいつさ、俺の友達だったんだよ。悪霊になっちまったとはいえ、ガソリン扱いは、可哀想だからな……」
つい、いらないことを喋ってしまった。まあこれから、あいつを除霊すればわかってしまうことだし、構わないか。
「……先生の友達、亡くなってしまわれたんですか?」
「ああ。少し前にな。自殺だったよ。何か出来たんじゃないか、って随分後悔したもんだ」
本当に、後悔した。俺は、友達を守れなかったわけだから。
「友人か。なるほど、それでサイコゴーストか。合点がいった。……ほら、これに入っている。蓋は捻れば開く。開けたらすぐに出てくるから注意しろ」
「……ああ。わかった」
不審者からガラス管を受け取る。これでやっと、捜し求めてた奴に対面出来る。そう考えて、複雑な気持ちで覚悟を決めようとしていると……
「……あの、サイコゴーストってなんなんですか?」
申し訳なさそうに朱城が聞いてきた。そういや俺もよくはわかってなかったな。なんとなく、言わんとするところはわかるけど。
「サイコゴーストは、基本的には念力などの超能力の使える霊体を指す。その多くが、霊能力者の幽霊だ。おそらく今回も……」
「……ああ。あいつは霊能力者だったよ。うちの近所の小学生でな、幽霊が見えるからって理由で困ってたから、面倒みてやってたんだ。歳は三倍以上離れてたけど、良い友達だったよ」
「……そう、だったんですか」
朱城は暗い表情でそういった。たったこれだけの話で心を痛めてくれるのだから、こいつはやっぱりいい奴なんだな。
「まあ、そうだったんですよ。んじゃこれからこいつを除霊してやるんだが、どうする? 見ていってもいいが、少し危ないかもしれないから、もう帰ってもいいぞ?」
「えっと、せっかくなので、見学させてもらいます」
「俺は貴様に興味が出てきた。見学させてもらおう」
「そうかい。じゃあ蓋開けるぞ」
ガラス管上部を捻ると、黄色い煙が噴出し、それが無色に変わりながら、目の前で女の子を形作っていった。ボロボロのワンピースに、ボロボロの人形、ボロボロの肌。可哀想に、さぞかし辛かっただろう。
「……久しぶりだね、瑠璃ちゃん」
俺がそう語りかけると、何かを思い出したように、女の子が口を開いた。
「かずゆき……おじ……さん?」
「おじさんはよしてくれって、いつも言ってたろ。俺はまだ二十代だよ」
「……そう、だったね」
俯きがちの瑠璃ちゃんは、ボロボロの顔に悲しい表情を浮かべていた。除霊か…… さてどうするのが一番この子の為になるんだろうな。とにかく今は話を聞くしかないか。
「……瑠璃ちゃん、今まで、何してたか教えてくれるかい?」
「……お人形さんをね、直そうと思ったの。直そうとしてたの」
「それは、どうやって?」
この近所で最近、小さい女の子の霊が出ることは、知っていた。そいつが、四肢を要求してくるということも。だから、粗方予想は付いているが……
「……他の人にね、もらって」
「手や足を?」
「……うん」
やはり犯人は瑠璃ちゃんだった。だが、まだこの事件による被害者は出ていない。と、すると……
「でも、いつも邪魔された?」
「……うん」
この街には、俺以外にも、有力な霊能力者が存在している。そのうちの誰かか、あるいは、この不審者のように突発的に現れた災害のようなポテンシャルの持ち主か。
「今日もね、そこのおじさんに、邪魔されたの」
瑠璃ちゃんの視線の先には、ゼロワンがいた。朱城やゼロワンの言ってた通りのようだ。ゼロワンに目を向けると、おじさんと呼ばれたのが気になったのか、何か言おうとして口を開き、空気を読んだのか、何も言わずに口を閉じた。しかし、今にも、ふんっという鼻息が聞こえてきそうな表情だ。まったくこいつは。
「そうか。じゃあ、あのおじさんには、俺から後で言っておくよ。それでさ、瑠璃ちゃん。……なんで、校舎の屋上から飛び降りたりしたんだい?」
「………」
「……言いたくないなら、無理に言わなくてもいいよ」
「……お人形さんをね、取ろうとしたの。それで、そのとき……」
……そんな。
……なんてこった。
……自殺じゃなかったのか。事故だったのか。だとしても……
「なんで、屋上に?」
「……クラスの子がね、あたしはお化けが見えるから、お化けなんだ、って意地悪するの。それでね……」
イジメ、か…… 大人は、俺たちは、何をやっていたんだろうな……
「……瑠璃ちゃんはお化けなんかじゃないよ」
「でも! みんなはお化けだって言った! あたしがお化けだから、お人形さんも壊されちゃった!」
「……そっか。それで……」
「……うん。早くお人形さんを直してあげないと……」
「でもね、瑠璃ちゃん。もし、瑠璃ちゃんがやろうとしてる方法で人形を直せば、瑠璃ちゃんは本当にお化けになっちゃうよ?」
……この件でまだ誰も死んではいない。でも、一人でも殺したら、後には戻れない。死者が紡ぐ憎悪の連鎖に、この子は巻き込まれてしまう。
「じゃあ! どうすれば! いいって言うの!? 死んだお母さんのくれた大切なお人形さんなのに、あたしのたった一人の友達なのに!」
普段、声を荒らげない瑠璃ちゃんが、叫んだ。その声は悲しみと怒りが混在していて、酷く脆く聞こえた。瑠璃ちゃんの黄色く濁ってしまった瞳に、涙が浮かんでいる……
「……友達なら」
俺が…… と。そう、言い掛けたとき。爽やかで澄んだ人間離れした声が、俺の言葉を遮った。
「なあ、その人形を直せばいいのか? それで解決するのか?」
「「え?」」
瑠璃ちゃんと二人で驚愕の声を漏らし、後ろを振り返る。そこにいるのは、言うまでもなく、ゼロワン。
「……できるの?」
「当たり前だ。この俺に不可能は無い。その人形は霊子構成物だろう? それなら普通の人形を直すよりも、断然に楽だ」
こいつは、ひょっとして、ホントに未来人なのか? あの人形は霊体だから、俺でさえ直すのは難しい。だからお手上げだったってのに。
「だが、どうやってだ? あの人形は外からの干渉を、簡単に受け付けるような代物じゃないぞ?」
瑠璃ちゃんの霊の一部であり、霊としての存在理由である以上、そうそう簡単に直ってはくれない。それこそ、あの人形を直すには、瑠璃ちゃんを完全消滅させるのに必要な霊力と同等か、それ以上の霊力が必要だろう。俺一人ではとても足りない、途方もない規模の霊力だ。
だからずっと、俺は手をこまねいていたというのに……
「ふははははは! この俺を誰だと思っている? 今の貴様らにとって難しいことが、容易く出来る。それが未来の技術力だ! ふはははは!」
……笑い方は気に入らないが、直るというのならそれでいいだろう。瑠璃ちゃんにとっては、それが一番いいことだろうし。
「ふはははは! ではクソガキよ、人形をこちらに渡せ」
「……はい、おじさん」
「おじさんではない! お兄さんだ! 直してやらんぞ!」
「………………ごめんなさい」
「ふんっ まあ、いいだろう」
瑠璃ちゃんは渋々といった感じで、人形を渡した。その視線はずっと人形の方に向けられている。四肢がなくなり、髪も剥げてしまった人形。今の瑠璃ちゃんと重なって痛々しい……
「では、始めるぞ」
誰からともなく、ゴクリ……という音が聞こえてきそうな緊張感だった。ゼロワンは、人形をしばし見つめた後、革ジャンの懐に手を入れたかと思うと、そこに収納していたとは思えない大型のアタッシュケースの様な物を取り出した。
「……それ、なんですか?」
「対霊体七つ道具が一つ、霊子構成体干渉手甲だ」
……随分とピンポイントに、今回の事態に適した名前に聞こえる。便利なものだな、未来人さんは。
そんな感想を抱きつつ見守っていると、ゼロワンは床に置いたケースを開く。中からは、外部に機械がゴテゴテと付いた手袋が二つ取り出された。片手ずつゆっくりとそれを装着したゼロワンは、グーパーグーパーしながら動きを確かめているようだ。
「よし」
そう言って、両の手を人形にかざす。目を凝らして、ゼロワンの手元を見つめる。その機械まみれの手が、光を帯びているように見えたかと思うと、全ての指先からワイヤーが伸び、人形の各部位に触れて、まばゆい青白い光を放ち始めた。
「まぶし…… あれ、なんですか?」
まさか、今まで霊能力の無かった朱城にまで見えるほどの、凝縮された霊力とは。
「霊に感じるのと同じものを感じるが、わからん。一人の人間の発する霊力ではないのは間違いないな」
やはり、本当に人造人間なのだろうな。今の状態では、人間だと言われた方が、信じがたい。
「……すごい」
「ああ、本当にすごいな」
俺と瑠璃ちゃんの目の前で、人形はみるみる再生されていった。それこそ、逆再生を見るかの如く。まばゆい光の中で、人形は本来の姿に戻ってゆく。そして……
「ほら、これでいいか? クソガキ」
手袋をはずしながら、ゼロワンが差し出したのは、俺も見覚えがある、球体関節の、可愛い女の子の人形であった。
「…………おじさん、ありがとう!」
「だから、おじさんじゃないと」
「ありがとう! 本当にありがとう!」
「ふん…… まあいい。その調子でありがたく思っておけ」
「うん! ありがとう!」
ゼロワンは照れているようにも見えた。なんだこいつ、普段尊大な割りに、感謝されるのは慣れてないのか? しかし……
「……何故だ? 霊体は資源としか見てないようなことを言ってたのに、何故そこまでしてやったんだ?」
ふと、考えていることが口から出てきた。こいつには、そこまでしてやる義理は無いようにも思える。むしろ、瑠璃ちゃんが成仏するような行動は、マイナスのはずだ。
「ふん。なんとなくだ。まあ、ここで俺の力を見せておいた方が、貴様らが俺を人造人間の未来人だと信じるようになるだろうという思いがあっただけだ」
「意外と、優しいところもあるんですね」
「ふん。気まぐれだ。優しさなどでは、ない。断じて違う」
ゼロワンはそっぽを向いている。嘘をつくのは苦手なようだな。なんだこいつ、可愛いところもあるじゃないか。
「やった、やった。あ……」
はしゃいでいた瑠璃ちゃんの体が、光の粒を発していた。これで、無事成仏出来る、ということだ。
「出発ってことだよ。何、怖いことはないさ」
「……本当? じゃあもうお別れなの?」
「ああ。そうだ、お別れの前に、瑠璃ちゃんの体の傷、治してあげるよ」
光を放っている瑠璃ちゃんの体に向けて、手をかざす。成仏しかけている今だからこそ、彼女の霊体に、俺でも干渉することが出来る。
「わぁ、ありがとう、一幸おじさん」
そこには、笑顔でこちらを向く、生前の瑠璃ちゃんと変わらない姿があった。俺は、友達であった彼女を助けられなかったけど、さらに苦しめることからは救えた。それは、素直によかったと思う。
「おじさんじゃないって、いつも言ってただろう?」
「あはは、そうだったね」
「んじゃ、達者でな。俺もいつかはそっちに行くからさ」
「うん。じゃあ、またね。バイバイ」
そう言って、瑠璃ちゃんは光になって消えていった。きっとあの子なら、極楽浄土にたどり着けるだろう。
「ふぅ……」
「成仏したん、ですか?」
「ああ。多分な」
心配そうに、朱城が聞いてきた。まあ、幽霊が成仏するところなんて、初めて見るんだろうしな。
「ふはは、やはり貴様中々の男だな」
「何がだ? 霊体の人形直すような奴に言われても、嫌味にしか聞こえねぇよ」
「ふはは、そう言うな。おっと、そうだ朱城ソラ、貴様にこれを渡しておこう」
何故か上機嫌のゼロワンは、また革ジャンの内側に手を突っ込んだかと思うと、四角い虫眼鏡のようなものを取り出した。
あいつのコート、四次元にでも繋がってるのか?
「……なんですか、これ?」
「対霊体七つ道具が一つ、霊子計だ。これを通せば幽霊が見えるようになる。その他に、俺への連絡機にもなる。だから持っておけ。さらに細かい使い方は、そのうち話す」
受け取って、説明を聞いた朱城は、訝しげな顔をしていた。そりゃそうだ、そんな胡散臭いものを、一発で信じろという方が無理な話だ。
「いいんですか? そんなもの私に渡して」
「問題無い。俺の眼球には、それと同じ物が既に組み込まれている。それは、言わば予備だ」
「……じゃあ、預かっておきます」
朱城は渡された虫眼鏡を丁寧にカバンの中にしまっていた。得体は知れないが、余りかさばらないのが救いか。
「ふはは、では俺はこれにて失礼するぞ」
「おい不審者、貴様本当に未来人なら、どこに帰るというんだ?」
「ふ、俺は他にもやることがあるのだ」
「そうかい。警察の厄介になっても、俺の名前だけは出すなよ」
「ふははは、この時代の警察如きがこの俺を捕えられるわけあるまい! さらばだ!」
叫ぶと同時に、ゼロワンは疾風の如き速さで消えていた。やはり人間で無いのは間違いない。
「はぁ…… じゃあ、朱城もそろそろ帰りな。遅いから、一応送っていってやる」
「あ、はい。ありがとうございます」
「まー、気にすんな。呼んだのは、俺だしな」
そんな会話を交わしつつ、俺と朱城は家を後にした。外はもう、とっぷり夜の帳が下りている。たまに雲間から見える星の光が、消えていった瑠璃ちゃんの光に重なって見えて、少し胸が苦しいが、この苦しみは、俺が背負って歩んでいくべき苦しみなのだろうと思う。
星空の下で、明日からは、もう少し、真面目に生きてみよう、そんなことを考えていた。