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第十四話『人造霊』

「朱城、こいつはうちでしっかり見とくから、今日はもう帰って休め」

「はい……」

 目の前では、ゼロさんが布団で寝かされていた。本当に寝ているように見える彼は今、呼吸はおろか、心臓の脈拍すら、止まっている。

 ……ゼロさんが屋上で倒れた後、私は先生に連絡し、他の図書委員の先輩にも助けてもらって、なんとか先生の家まで、彼の身体を運び込んだ。

 その間も、先生の家に付いてからも、彼は目覚める気配を見せていない。

「……じゃあ、帰ります。本当に、ありがとうございます……」

「気にすんな。……医者に見せるわけにはいかないだろうけど、まあ、俺の方でもなんとかやってみるよ」

「……ありがとう、ございます」

「おう、しっかり休めよ」

 先生の言葉を聞きつつ、ふらつく足取りで帰ろうと、例の離れの襖を開けると、千寿さんが、居た。……私の進路を塞ぐように、立って。

「…………ねえ、タツキチは?」

 低く発せられた声とともに、千寿さんと視線が合う。鋭く、そして威圧するように細められた目から放たれる眼光に、思わず、目を逸らす。

「…………ねえ、目を逸らさないでよ。タツキチは? 答えてよ、タツキチはどうなったの?」

「……ごめん、わからない」

 ……私には、わからない。ゼロさんすら、わからなかったのだから、私にわかるはずが、ない。

 ダンッ!

 勢い良く踏み出された右足に、床が鳴る。そして、

 グッ……

 千寿さんは、私の制服の胸元を掴み、ギリギリと、私を持ち上げていた。

 ……痛い。

 でも、声には出ない。

 ……痛いのは、身体だろうか? それとも……

「…………タツキチは、そらっちを助けるために、あの闇の向こう側に行ったんでしょ? だったら、タツキチに会ったんでしょ? どうなったの? タツキチは、どうなったの?」

「……八幡君は、私たちの敵に回って、それで、離れちゃって…… その後、私たちは脱出して、それで、船が、爆発して……」

「それで?」

「……その後は、わからない……」

 ギリギリギリ……

 千寿さんの、私を握る力が増すのを感じる。……嫌だな。……友達だと、思ってたのにな……

「……タツキチは、どうなったかもわからないのにっ! なんで、なんでそらっちだけ、何事もなかったかのように帰ってきてるのっ!? タツキチは! あんたの為に、死んだかもしれないの……?」

 最後の語気は、弱かった。私も、千寿さんも、出すのが躊躇われた言葉。……私のせいで、友達が、大切な友達が、死んだ、かも、しれない。

「ごめん……ごめんね…… 本当に、ごめん……」

 気付けば、私は泣いていた。隠すこともせず、ボロボロと涙がこぼれ、頬を伝う。

 しかし、千寿さんの力は、さらに強まる。

「あんたが泣いたって! タツキチが帰ってくるわけじゃ、ない! ……タツキチに何かあったら、私、死んだタツキチのお母さんにどんな顔、向ければいいの……? タツキチのこと、頼まれたのに……」

「ううぅぅ…………」

 もう、言葉は出なかった。出せなかった。……なんで、私、生きてるの? こんなに無力で、こんなに無能で、こんなに、人を悲しませて……

 ……涙で滲む目で、少し顔を上げれば、千寿さんも、泣いていた。……嗚咽を漏らす千寿さんは、再度私を強く引き、口を大きく開けた。そして……

「あんたがっ! タツキチの……」

「そこから先は、言ってはいけない」

 千寿さんが叫ぶ途中で、その声に、別の声が、被さった。千寿さんと共に、声のした方を向けば、一人の男子生徒が眼鏡を人差し指で押し上げつつ、こちらを向いて立っていた。

「……孔雀、先輩?」

 嗚咽と共に、声が、漏れる。先輩は、私のその声には返事をせず、はぁ、っと深くため息をついて、再度こちらを向いた。

「……今、朱城さんを責めることに、意味は無い。これは、わかるか?」

 呆れたような、それでいて心配するようなその声は、私ではなく、千寿さんに向いていた。

「……っ、そう、ですね。でも!」

「でも、じゃない。……八幡君のことが心配なら、その消息を掴む為に行動すべきだろう。……今現在、彼の消息を知っていそうなのは、あの銀髪の男のみ。だったら、あの男を目覚めさせる方法を探すのが、八幡君の件にも通じるんじゃないのか?」

 孔雀さんの言葉は、内容の割りに、優しい口調で紡がれていた。それは、なだめるような、説得するような、そんな温かさを持っている。

 その言葉を聞いた千寿さんは、静に私から手を離してくれた。そして、私に背を向けると、

「…………帰ります」

 それだけ言って、彼女は帰っていった。私に、顔を向けないまま。

 ……手を離されて、腰が抜けている私がその場にへたり込んでいると、孔雀先輩は、再度ため息をつきながら、私の方に歩いてきた。

「……朱城さん、彼女も、余りのことに気が動転して、精神的に不安定になった上での発言だったろうから、責めないで上げて欲しい」

 孔雀さんは、言いながら、私の傍でしゃがみ込み、手を差し出してくれた。その目には、辛そうな色が写っている。

 ……気が、動転しているは私も一緒だな。そんなことを思いながら、働かない頭で、孔雀先輩の言葉に、なんとか、返事をしようとする。

「……そんな、責めるだなんて……」

 私が、それだけ言ったとき、

 ドタドタドタドタ………………!

 廊下を猛ダッシュする音が聞こえ、それと同時に、女性の叫び声が聞こえてきた。

「あーーーーーー!!! 孔雀が! 女の子泣かしてるーーーーーーー!!!!」

 その絶叫の音源は、見る見る近づいて、私と先輩の前に立った。相変わらず、何が起きているのか理解できない頭で、反射的に顔を上げれば、不動先輩が、にやけながら立っていた。

「……へ? ……は? ……え?」

 顔を上げたことで目の前の状況を、認識はしたが、結局理解は出来なかった。口から出るのは、声と言えるかも怪しい何かのみ。

 ……私が半フリーズしつつも、状況を理解しようとしていると、視界に全フリーズしている人物が写った。

 その全フリーズの主は、ぎこちなく動きながら不動先輩の方を見上げると、ぎこちなく、口を開く。

「あの、これはだな、そうじゃなくてだな……」

 意味を成していない、それは、今の私でもわかった。聞いている不動先輩も、かなり呆れた様子。

 しかし、不動先輩が、ぎこちなく動く孔雀先輩に対して取った行動は、私の予想外のものだった。

 不動先輩は、孔雀先輩の首根っこを掴んで立ち上がらせると、

「……わかってるって。ほら、孔雀はもう向こうに戻りなよ。…………女の子の泣き顔を見たい、なんて最悪な趣味はないでしょ?」

 そう言って、私の隣に腰掛けた。立ち上がった孔雀先輩の方は、こちらに背中を向けつつ、直ぐに何かを理解したようだった。そして、

「…………すまん、任せる」

 それだけ言って、去っていった。


 離れを出て少しした、本館との間の渡り廊下で、不動先輩と二人で座り込む。

 最初、ハンカチを貸してもらったが、それ以降特に会話はなく、屋根と柱と床だけの渡り廊下を、風が通り抜ける音だけが、聞こえる。

 気付けば、辺りは暗くなっていた。いつのまにか、日が落ちたようだ。

 どれくらいの時間が経ったのかもわからなくなった、そんなとき。

「……ねえ、朱城さん」

 隣で、不動先輩が、私に呼びかける。……私はまだ、めそめそしていて、返事すらしない。

「……辛かったら、泣いてもいいと、私は思うんだ。だからね、私の胸、使ってくれないかな?」

「……え?」

「……思いっきり泣いて、それから、前向きになればいい、でしょ?」

 私が、返事をする前に、先輩の腕が、私の肩に回され、優しく引き寄せられた。

 そしてそのまま抱きしめられる。……先輩の胸の中は、温かかった。

「……私、また、みんなで、楽しく過ごせると思ってたのに…… その為に、頑張って、戦ったのに…… 瑠璃ちゃんも、八幡君も、ゼロさんも、何一つ守れなくて、千寿さんにも嫌われて、みんな、私の元から居なくなって…… それで、もう、どうしたらいいか、わからなくて……何も出来ない自分が嫌で……」

「……じゃあ、どうしたらいいか、一緒に考えようよ。一人じゃ出来なくても、みんなでなんとかしよう。きっと大丈夫だよ。私もまた、みんなでお泊りとか、したいから……ね?」

「………………はい」

 それから私は、子供みたいに大声で泣いた。私が、わんわん叫んでも、それでも、先輩は優しく抱きしめ続けてくれた。


 ……一頻り泣いた私は、先輩に連れられて、以前に二度ほど通された、除霊用応接室に向かった。

 扉の前に立つと不動さんは、深く息を吸い込み、

「おっまたーーー!!」

 叫びながら扉を開け、先に部屋に入っていった。

 私も続いて入ると、部屋中央の卓袱台の脇に腰掛けていた孔雀先輩が、額に手を当てながら、不動さんに向けて何か言っている。

「……全く、キミには品というものが……っと、朱城さん。その、もう大丈夫なのか?」

 それは、割と切実な文句にも聞こえたが、途中で私に気付いたことで、私への言葉に変わっていた。

「はい。おかげさまで。泣いたら、すっきりしましたから」

 きっと、今の私の、真っ赤な目で言っても説得力は無いだろうな、と思いつつも、本当のことを言う。

「うんうん、よかったよかった」

「そうか……?」

 不動先輩の、腕を組んだ満足そうな様子とは対照的に、孔雀先輩はまだ不安そうだった。

「うーん……」

 そう唸る孔雀先輩は、カバンから、缶のようなものを取り出すと立ち上がり、私の目の前に突き出した。

 良く見るとそれは、ジュースの缶のような見た目と色合いをしていた。

「これは……?」

「少し前に買ったココアだ。飲むといい」

「えっと……?」

「ああ、すまない、甘いものは嫌いだったかい? いや、それともアレルギーがあるのかい?」

「いえ、そうゆうわけじゃ、ないんですけど、どうして、私に?」

「疲れているだろうし、喉も渇いているだろうと思ってね。ああ、お金のことなら気にしなくていい。不動さんの財布から抜き取った小銭で買ったものだから」

「ちょっ、何してんの、あんた!」

「冗談だ、本当は先生がくれた百円で買ったものだ。だから、まあ、どっちにしろ気にしなくていい」

「……じゃあ、ありがたくいただきます」

 そう言って、先輩からココアを受け取る。正直なところ、喉も乾いていたし、疲れてもいるので、非常にありがたかった。

 ……受け取ったココアは、常温でぬるくなっていた。缶に、アイスなのかホットなのか書いていないせいで、どっちなのかすらわからなくなっていた。

 それでも、さっそく飲んだココアは美味しく、その甘さは疲れた身体に染み込んでいくようだった。

 ……それにしても、なんだろうな。“先輩が、気を利かせてココアをくれた”これって、結構どころか、かなりカッコイイ瞬間なのに、そんな気があまりしないのは。

「……いっつもいらん事しゃべるからスマートに決まんないのよ……気が利くところまでは、いいのに……」

 私の疑問には、不動先輩がボソッと呟く、という方法で答えてくれた。そうか、それでか…… でも、先輩達、本当に良い人たちだな。

 ……二人が居なかったら私、どうなっていたか……

 私が、ちびちびとココアを飲む横で、不動先輩が自分のカバンを手元に引き寄せていた。

「朱城さんが、それ飲み終わったら、帰ろっかねー」

「すみません、お待たせしちゃってて…… 今も、さっきも……」

「いいってことよ! 今日は、送ってくね。遅くなっちゃったし、ふらふらの朱城さんを一人では帰せないから。ちなみに、孔雀も一緒ね」

 そっか、それで孔雀先輩、待っててくれたんだ。本当に、頭があがらないな……

「僕が、一応の戦力ということになっている。……また何かあったとき、僕で足りるかどうかはわからないが、いないよりはマシだろう」

 孔雀先輩も、カバンを手元に置きながら、真剣な顔で、そう言った。……そっか、私今、狙われてるんだっけ……

 そう言えば、歩擲先輩とアイゼン先輩は、どうしたんだろう? ゼロさんをここに運んだときには、居たような気がしたけど。

 ……ココアをちびちと飲む間、会話が無いのが辛いので、聞いてみる事にした。

「……歩擲先輩と、アイゼン先輩は、先に帰ったんですか?」

「あー、歩擲とアイゼンは、千寿さんを送っていったよ。あの子も、ふらふらしてたからねー」

「そう、ですか……」

 千寿さん、私のせいで……

「……キミが、気に病むことではないよ。さあ、そろそろ行こうか」

 俯く私に掛けられた孔雀先輩の声には、悲しみが篭っているようにも聞こえる。

 ……気付けば、もうココアは空だった。

「……ごちそうさまでした」

 ……それだけ言った私は、缶を強く握り締めたまま、先輩二人に連れられて、先生の家を後にした。


 マンションの玄関で先輩に別れを告げ、帰った我が家は、案の定誰もいなかった。

 物の少ない居間を通り抜け、自室に直行する。……今日の朝、ここを出たはずなのに、それが、何週間も前のことのように思えて仕方が無かった。

 ……先輩達、帰路の間中ずっと私のこと励ましてくれたな……

 はたして、私にはそれだけの価値があるんだろうか……?

 制服のままベッドに倒れこみ、まとまらない思考を、まとめようとするが、どうにも上手くいかなかった。

 ……消えてなくなりたい…… でも、私が死んだところで、何が解決するわけでもないな…… いや、私を攫いたい未来人の計画の阻止には、なるのか……

 ……ゼロさんは、意識不明。八幡君と水月さんは、二人揃って消息不明。

 そして、瑠璃ちゃんは、私が攫われた直後、追いかけてどこかに行ったきり、行方不明らしい。私も、あの船から脱出した後、一度も姿を見ていない。

 ……本当に、消えちゃったのかな……

「ぐすっ……」

 私はまた、いつの間にか泣いていたようだった。流れる涙が、枕に染み込んでいくのを、感じる。

 ……そしてそのまま、いつの間にか、眠ってしまった。


 ……気が付いたとき、部屋の明かりは消えていた。帰宅した両親が、消してくれたのだろう。

 暗闇の中で、時間を確認しようと、ポケットから携帯を取り出してみれば、夜中の二時だった。

 ……時間を確認したとき、二つ折りの真っ赤な携帯、その外側の画面で時間を確認したのだが、良く見れば、そこに小さく、メールの着信を知らせるアイコンが点灯していた。

「誰だろう……?」

 疑問に思いつつも開いてみれば、先生からだった。内容は……

『無事に帰れたか? 色々と言いたいこともあるが、まあ、疲れてるだろうから、用件だけ伝える。

 ゼロワンの状態は、人間で言うと、霊体が抜けている状態だ。霊体がどこかに行っているのであれば、捕まえてきて身体に押し込めば、起きる可能性がある。

 だから、俺は幽体離脱して、あいつの霊体を探し回ったんだが、見つからなかった。もし、明日余裕があるなら、朱城も、あいつが行きそうな場所を探して見てくれ』

 読み終わって、直ぐに返信しようと思ったが、時間を考えて、やめた。

 うーん、ゼロさんの霊体が、抜けている、か…… いわゆる幽体離脱して、帰って来ない状態、なのかな?

 そう言えばゼロさん、以前、自分はAIと人造霊体で思考が動いてるって、言ってたっけ。

 あと、ゼロさんが行きそうなところか…… 一応、心当たりは、ある、かな。

 私にも、出来ること、ありそうだな。

 ……思えば、泣いて、一眠りして、かなりすっきりはしていた。後ろ向きな思考が、無くなったわけではないけど、それでも、前向きに考えられるようには、なっていた。

 よし、私にも出来ることがあるんだったら、明日に備えて、寝よう! そう思って、シャワーを浴びに行こうと、ベッドから立ち上がったとき、

 ブー…… ブー……

 と、携帯のバイブ音が、聞こえた。

 妙だな…… 私の携帯は、今、手に持ってる。そして、これは別段振動していない。

 と、なると、私の部屋で、何が振動しているのだろう? 

 ブー…… ブー……

 音は、まだ続いている。……真っ暗闇の中、音のみを頼りに、部屋の中をさまようと、私は、自分のカバンにたどり着いた。

 不審に思いつつも、開いてみれば、中は何かの光で満たされている。そのあまりに眩しさで、思わず目を細めながら、カバンから、音源兼光源を取り出すと、それは霊子計だった。

 ……なんだろうこれ。なんで、鳴りながら光ってるんだろう?

 今までになかった霊子計の状態に戸惑いつつも、画面を良く見てみれば、何か書いてある。その言葉は、


【音声通信 応答/拒否】


 ようは、電話が掛かっている、ということらしかった。誰から? 何故霊子計に? など、疑問は尽きなかったが、とりあえず、ゼロさんに関する何か重要なことだろうと判断し、出ることにした。

 指で、応答、と書かれた部分をタッチすると、振動と光は止まり、代わりに、通信中、という表示になった。

「……も、もしもし……?」

 意を決して、霊子計に向かって、話し掛ける。すると、直ぐに返事があった。

『こちら、新統合政府新世界教団対策本部。AR01の機能停止を及び全兵装の機能停止を確認。その後、予備兵装霊子計のみ、独立動力にて、活動を確認。よって、連絡した次第なり。応答求む。もっしもーし?』

 聞こえた声は、電話越し特有のくぐもった声だったが、それでも、女性のものだとわかった。

 それにしても、早口すぎて、わからなかった…… 未来の人なのは、確かみたいだけど。

「えっと、あの、もしもし? どちら様ですか? 聞き取れなかったですけど……」

『え? もっかい言えと? 無理。めんどい。言い切った感にかられてカンペ投げちゃったし……』

「カンペ……? あれ? てゆーか、日本語っ!?」

 そう、一回目は早口で聞き取れなかっただけで、二回目は普通に聞き取れて理解も出来た。……霊子計に音声通信を掛けているこの声は、日本語だったから。

 ……日本語であることを指摘すると、しばらく応答が途絶えた。と言っても、ほんの数秒、会話に間が開いた程度だけど。

 そんなわずかな、沈黙の後返ってきた返事は……

『べ、別にあんたの為を思って日本語で話してるわけじゃないんだからねっ!/// きゃっ言っちゃったっ///』

「いや、ちょっ、言っちゃったじゃなくて…… って、え? ツンデレ!? てゆーか、マジで何で日本語なんですか!?」

 電話の声は、最初、機械音声かと間違う程のノリだったはずなのに、話し始めると、アホ程テンションが高かった。というか、アホだった。

『いや、ほら、別にいいでしょ、私が日本語話しても。きっといつか明らかになるよ。うん、きっといつか。……然るべき時に、然るべくして、知るだろう。今はまだ、その時では無い』

「それ、決めてないときの言い回しですよね!? もしくは、考えてないとき! てか、さっきは突っ込みそびれましたけど、この“///”って何ですか!? この、メールとかで使う赤面を表す記号が、何故会話で、しかも電話で出てくるんですか!?」

『いや、ほら、私、博士だし? てか、あなた、中々にメタいねー』

「どうゆう理屈!? あと、あなたが言うなーーーーーーーー!!」

『私はいいのよ、博士だから。てか、あなた、テンション高いねー』

「だから、どうゆう理屈!? あと、やっぱ、あなたが言うなーーーーーーーー!!」

 もう、なんなんだ、この人。話していると、テンションが持っていかれる。ああ、疲れた。……そういえば、久しぶりに、大声で突っ込んでる気がするな…… ん? 大声?

 私が失敗に気付いたときにはすでに、コンコンと、部屋の扉がノックされた。

「ソラちゃーん? 大きな声が聞こえたけど、こんな夜中にどうしたのー?」

 扉越しに聞こえたのは、お母さんの声。……そうだよ、今、家族いるよ。完全に失念してたよ……

「な、なんでもなーい! なんか、デカイ虫が出て慌ててただけー! もう窓の外に追い出したから大丈夫!」

「そう。じゃあ、おやすみ。明日休みだからって、いつまでも起きてちゃダメよ?」

「わかってるよー。おやすみー」

 扉越しにそれだけ会話を交わすと、ぱたぱたと、扉の外で足音が遠ざかっていくのが聞こえた。危ない危ない……

「ふう……」

『……母親、か。……大切にしなさいよ?』

 ボソっと呟かれた、声は、哀しさと恋しさ、そんな感情が篭っているようにも思えた。

「……言われなくても。……そう言えば、さっき自分のこと、博士、って言ってましたけど、もしかして、あなたが、ゼロさんを……?」

『大正解。流石、中々に頭が切れるね。……いい男でしょ? 彼』

 そうか、やはりこの人がゼロさんを……

 ……ゼロさんの製作者、ねえ…… 十日前、彼を初めて見たときから、ずっと思ってたけど……

「趣味、悪っ!!」

『酷いっ! カッコイイじゃん! 目鼻立ちクッキリしてて、まつ毛の超長いぱっちり二重のおっきな澄んだ青眼で、髪は綺麗なアクアシルバーでその上さっらさらで、肌も透き通るように白くて綺麗で、手も足も長くて、背も高くて、やや筋肉質なのにムキムキじゃなくて細身の完璧なモデル体型で、澄んだ爽やかな美声で、頭も良くて、身体能力も高くて、強くて、出来ないことなんて無いくらい万能で、でもそれを鼻に掛けない性格で、明るく前向きでよく笑って、それでいて真面目で、素直で、回りを引っ張っていく積極性があって、自分に自身を持ってて、気配りが出来て、空気も読めて、優しくて、ちょっと偉そうな小悪魔的魅力もあって、最高じゃない! 何が不満なの!?』

「う、うわぁーーーーーーーー……………………」

 怖い、何この人、超怖い。マジで怖い。もう、幽霊とか妖怪とか目じゃないくらい怖い。

『ちょっ、どん引かないで! お願いだから!』

「うわー……」

『……マジな話、どうなの? 気に入らない感じだったの?』

 二度どん引いたら、博士は若干心が折れているようだった。それにしても、マジな話、か。

「……いや、嫌いじゃないですよ。カッコイイと思いますよ。でも、あの性格は、どうなんですか……」

『え? あれ、ダメ? アウト?』

「……ええと、アウトというか、なんというか…………ボーク?」

『投球動作の反則(ボーク)!? 投げれてすらないの!? ……うわー、なんかすみません。調子乗ってました……』

「いえ、なんか、こちらこそ、すみませんでした…… ゼロさんのこと、嫌いじゃないですし、いっぱい助けられてるんで、彼の良さも凄く良くわかりますから……」

 なんとなく、お互いに気まずくなってしまった。それにしても、この人とは、なんか話しやすいな。ノリも比較的合うし。

 しばらく沈黙が続いた後、霊子計からは、真剣そうな声音が聞こえてきた。

『……ちょっとは、元気になった? きっと元気なくしてるだろうと思ってたんだけど、違ったかな?』

「えっ? まさか、私を励ますために、あんなにボケたりしたんですか?」

 ……ちょっと、じわっと来てしまった。彼女が、どこまで知っているのかわからないが、ゼロさんが起動停止して、攫われかけて、不安になってるかもしれない私を、元気付けようとしてくれた、ってことなんだろうか? 会った事も無い、私を。

『へ? ああ、うん。そうそう。そうだよ、励ますためにね。うんうん』

「違うのかよ! 私の感動返せよ!」

『いや、からかうの楽しいな、とか。必死に突っ込む姿マジ可愛い、とか。思ってないよ?』

「嘘つく気あるの!? 下手すぎでしょ、もうちょっと隠す努力して!」

『まあ、それはいいんだよ。あなたも元気になったみたいだし、こっから本題だからね。……なにも、雑談する為に、未来から掛けてるわけじゃないから、ここからは、シリアスにいくよ』

「……はい」

 思わず、息を呑んでしまった。それほどまでに、真剣そのものの声で、博士はしゃべり出した。

『……あなたは、……あれ、言うことメモった紙がない!』

「シリアスはどうした! シリアスは!」

 出だしは、シリアスだったのだが、拍子抜けにも程がある発言だった。なんて締まらない人だろう……

『あ! ありました、ありました。お騒がせしましたー。いやーまさか“悪鬼羅刹ブッ殺し”の下にあるとはねー』

「…………なんですか、その物騒な名前の物は…… 兵器か何かですか?」

『え? 日本酒だけど?』

「…………まさか、飲んでるんですか?」

『飲んでない、飲んでない。……この通信終わったら飲もうと思っただけで、ね』

「うわー、引くわー……」

『別にいいでしょ! 私、こっちから出来ることほぼ無いし、もう22歳なんだから!』

「え? 意外と、若いんですね…… って、あれ? ゼロさんが稼動開始から二年って前言ってたから、20歳の時に、完成させたんですか!?」

 あんな凄まじい人造人間が、一年やそこらで出来たとは思えないから、20歳より、ずっと前にから造ってたことになるはず…… だとすると、もしかしてこの人凄い天才? こんなにアホなのに?

 ……そう思い、私が感心する裏では、博士が何か焦っている様子だった。

『ああもう! 話が逸れる! そうだよ20歳のときに完成させたよ! 厳密には試作機だけど! でも、それは今どうでもいいの! 今度、時間のあるときに話すから! ええと、何だっけ…… そう、朱城ソラ、あなたは狙われているっ!』

「知ってるよっ!」

 シリアスの、欠片もなかった。

『まあ、待って待って。話は最後まで聞くものでしょ。それでえーっと、そう、増援は送れないから、AR01を一刻も早く復旧させなさい』

 一転して、博士はテンションを落とし、そう言った。

 そうか、増援は、来ないのか。……そういえば、なんで、ゼロさんって、一人で戦っているんだろう?

「増援が送れないのって、なんでですか?」

『今、というか時空潜行機(タイムマシン)の発明以来ずっとなんだけど、こっちの世界には対時空移動防壁ってものがあってね。敵も味方も、過去に飛べないようになってるのよ。ちなみに、未来に帰還する分には、割りと自由だけどね』

「なるほど。でも、なんでそんなものがあるんですか?」

『……世界は無数に枝分かれしている。よって、朱城ソラもまた無数に存在する。防壁がなければ、未来人は過去に行き放題。そうなれば、無数に存在する朱城ソラ全てが護衛対象になり、守りきるのは不可能になる』

 ……うーん、なるほど? 平行世界的な、話だろうか? まあ、過去に飛べない、ということに関して納得できれば、増援の疑問は解決したことになるな。でもそれだと、

「なんで、今の状況になっているんですか?」

『……防壁は、過去に二度破られてるの。完璧じゃなかったせいでね。……一度目の話は、今は関係無いからおいといて、二度目の方の話をするね。

 ……こっちの時代で六年前、教団に防壁を突破出来る時空潜行機(タイムマシン)の開発という動きがあってね。

 この六年間、私たちは、開発の阻止・防壁の強化・もし突破されたときの対策、この三つを同時に進めた。でも、開発の阻止は失敗、防壁強化も間に合わず、防壁は突破された。幸い、完成した教団の時空潜行機(タイムマシン)は一艘だったから、その出発と同時に、唯一達成していた“もし突破されたときの対策”である、時の楔を有したAR01を過去に移動させたってわけ。皮肉なことに、防壁はその直後に強化されたのよね……』

 ……悔しさの滲む声が、霊子計から響いていた。……そっか、そんなことが、あったのか。

「大体、理解しました。でも、それだと、過去からの時間移動は制限されてない、ですよね。一度でも突破されたら意味がないんじゃ……」

『その為の、“時の楔”よ。打ち込まれた時間の分岐を阻止し、時間移動も、楔で繋がれた私たちのいる未来にしか出来なくする、延長防壁。防壁が強化されたことも相まって、奴らは、そっちの時代に追い詰められているわ』

「……なるほど。……え? でも、だとすると、八幡君は、どこに……?」

 過去からの時間移動が制限されているのであれば、八幡君は、どこに行ったんだろう? ゼロさんの言い方だと、時空間跳躍に巻き込まれてどこかにいった感じだったけど……

『えーっと、事故で防壁の隙間ぶち抜いて、どこかへ、って感じかな。いやまあ、でも、大丈夫でしょ、報告だと、あのアホも一緒らしいし』

 そんな簡単に抜ける防壁で大丈夫なんだろうか…… いやでも、あの事故っぷりなら、何が起きても不思議じゃない、か? それにしても、

「あのアホって、水月さんのことですか……? お知り合い? でも、敵ですよね?」

『いやまー、そーなんだけど、まあ、察して(テヘッ)』

 ……なんだろう? この人が敵と通じてるとか? それとも、元仲間とか?

 うーん、わかんないな…… テヘに突っ込むの止めるか、付け上がりそうだし。

「……これが本題だったんですか?」

 それを言うと、霊子計越しに、はあ、というため息が聞こえてきた。

『……結局逸れに逸れた…… こっから先が、本当に本当の本題だからね。AR01の現在の状態は、人造霊体の完全乖離によって起きているの。だから、人造霊体を捕獲して、AR01に再結合させなさい。その為の手順を、今から言うから』

「はい、お願いします」

 霊子計の向こうでは、ごそごそと音がしている。……そうだ、私も、メモの準備をしよう。

 カバンから、メモ帳を筆記用具を引っ張り出したとき、丁度向こうも準備が整ったようだった。

『じゃあ、いい? 言うよ? まず、この通信が終わったら、霊子計の裏を見て、そこにある蓋を、スライドして開けなさい。そしたら、ガラス製の電池みたいな物が入っていると思うから。で、それは真空霊管って言う、霊子計の予備バッテリーで、一度だけ、霊体を捕獲出来る道具なの』

 何かを見ながら、とでも言うべき感じの話し方で言われたのは、霊子計の構造だった。

「……それで、捕獲しろ、と?」

『そうゆうこと。使い方は、真空霊管のマイナスの先端を霊体に押し当てて、プラスの先端を強く押し込むだけ。簡単でしょ?』

 確かに、簡単に聞こえる。使うだけなら。でも、

「霊体に、ゼロ距離まで接近しないと使えないんですか……」

『そこはあなた、自分でなんとかしなさい。大丈夫よ、人造霊体は襲ってきたりはしないから。……それで、無事捕獲したら、AR01の首の後ろ、その下のほうの肩甲骨の間くらいに、小さなつまみがあると思うから、それを回して、蓋を開けなさい。そうしたら、中に空の真空霊管が入ってるからを取り出して、代わりに人造霊体を捕獲した真空霊管をぶち込んで、蓋閉めて、終わり。あとは、勝手に再起動すると思うから』

 今度もまた、何かを見ながら話している、そんな口調だった。

 うーん、聞く分には、簡単そうに聞こえるけど……

「わかりました。……頑張ります」

『応援してるわ。……彼、多分、高い所が好きだから、その辺を探せば、いるかもしれないから…… それじゃあね。頑張って』

「はい。ありがとうございました」

 それで、博士との交信は終わった。凄く長い時間話していたように感じる。

 ……博士の最後の発言、それは途中、酷く物悲しい声で紡がれていた。

 ……人造霊体を指して、彼、と言っていたけど、人造とはいえ、ちゃんと人格があるってことかな……

 なんにせよ、だ。ゼロさんを起こす希望は残ったんだ。やるしかない。こんな私でも、励まして、応援してくれる人が居るんだから。

 さっそく霊子計の裏を見れば、確かに蓋があり、開けてみれば、ガラス製の単二電池くらいの小さな管があった。

 それを確認した私は、無くさないように霊子計に入れたままにして、再度眠りについた。


 翌朝、九時過ぎにゆっくり起きた私は、結局昨日浴びれなかったシャワーを浴びて、再度制服に着替え、学校に来ていた。

 学校、昨日の晩に先生からのメールを見て思いついた、ゼロさんの霊体の居そうな心当たりがある場所。

 高いところが好き、というヒントももらった。

 私がゼロさんに呼び出された唯一の場所が、私の頭から離れなかった。

 休日で、電気のついていない、薄暗い階段を上る。四階を過ぎても、まだ上る。

 ……そしてたどり着いた階段の終着点。その先にある灰色の錆付いた扉を押し開くと、風が吹きぬけ、眩しい日差しが降り注ぐ。

 目を細めながらも、扉の先、屋上に出ると、隙間から雑草の生えたコンクリタイルの床と、鉄製の高い柵目に入る。

 すぐに出入り口の建物傍にある貯水タンクを振り仰ぐ。だが、以前のようにその上に、尊大な友人はいない。

 腰の高さほどの、貯水タンクを囲む柵を乗り越え、錆付いたはしごを上り、貯水タンクの上へと向かう。

 ……上りきった貯水タンクからは、晴天の空から降り注ぐの陽光に照らされた街が一望できた。

 ミニチュアみたいに見える建物や車たち。毎日使う通学路やよく利用する近所の店、遠くには駅と線路も見える。

「……凄い」

 思わず声がもれる。自分の慣れ親しんだ街が一望できるというには、それほどまでに、新鮮な光景だった。

 貯水タンクの上に腰掛けて、ぼーっと、街を眺めていると、私の隣に、静かに音を立てず、誰かが座ったようだった。

 そちらを見ずに、街を眺めたまま、静かに声をかける。

「……探しましたよ」

 ……なんとなく、見ちゃいけない気がした。だから見ていないけど、隣の人は雰囲気で、ゼロさんなんだとわかった。

「……ここからの景色は、何時見ても素晴らしいな」

 声は、透き通るような響きを持って、私の胸の中に届いている、そんな気がした。

「……好きなんですか? 高いところからの風景」

「ああ。昔から、な」

「そうですか。……そういえば、ゼロさんの好みって、初めて聞いた気がします。思えば私、ゼロさんのこと何も知らないんですね」

 私が知ってる好みといえば、飛び道具が嫌いなことくらい。

 ……懐かしいな、瑠璃ちゃんが悪霊だったときだっけ。ホント、ずっと助けられっぱなしだな。でも、今度は、私が……

 そう、決意を固める私に返ってきた言葉は、

「……すまない、ソラ。俺は、キミを、守れなかった……」

 重く重く深く深く、胸に突き刺さる、そんな響きだった。

 ……あれ? 私のこと、名前で呼んでる? それに今、“キミ”って……

「……あなた、誰、ですか?」

 思わず隣を向き、その容姿を確認すると、そこにいたのは、比較的短い銀髪をした青年だった。その容姿は、どことなくゼロさんに似ている。

 ……そして、身体が少し透けているから霊体なのがわかる。

 青年は、私が顔を向けてもなお、正面を向き、街を眺めていた。そして、そのまま口を開き、

「……ただの一人の戦死者だ。俺の名前に意味なんて無いし、もう、忘れた」

 酷く物悲しい声でそう言った。

「あなたが、ゼロさんの人造霊体、なんですか?」

「人造、というのはわからんが、AR01の霊体ということなら、そうだ」

 青年は、前を向いたままだったが、私の質問には答えてくれていた。そして、その回答は、やはり、と言った感じだった。

 ……人造、というのがわからない、って人造霊体じゃないってことかな? それとも、自分が人造霊体だとは、思ってない、とか? ……そもそも、人造霊体が何なのかわからない私には、わかりようがないか。

 さあ、どうしよう。彼に、ゼロさんの中に戻るように言ったら、素直に戻ってくれるだろうか? でも、言うしかない、か。

「……ゼロさんの中に戻る気は、ありますか?」

 風に消えていくような私の言葉の後、風の音だけが、私たちの間を満たしていた。

 ……私の手の中には、晴天から降り注ぐ光を反射して、キラキラと輝く小さなガラス管がある。……無理やりにでもこれを使えばいいんだろうけど、私は、それじゃいけない気がしていた。

 ……しばらくの沈黙の後、風がやんだ。それと同時に、青年の、呟くようなか細い声が聞こえてきた。

「……怖いんだ、俺は。……また、キミを守れないかもしれないのが。またキミを、泣かせてしまうかもしれないのが」

「……一体、なんの話をしているんですか……?」

 最初にも言っていたけど、私を守れなかった、ってのは、どうゆうことなんだろう。私が、今こうしてこの時代に居る以上、ゼロさんは私を守れているんじゃないのか?

 私が必死で考えていると、青年は、初めてこちらを向いた。それにより、青年の、この澄み渡る空よりも深く青い双眸が、私を捉える。

「そうか、キミは、俺の知っているソラじゃ、ないのか。……すまない、記憶が混乱しているようだ」

 瞳の奥に悲しみを湛えながら放たれた言葉の、意味は、私にはわからない。……過去に、何があったというのだろう……

「……私に、何があったんですか?」

 震える声で、その言葉を搾り出す。……聞くのが怖くないわけじゃない。それでも、知っておきたかったのだ、ゼロさんや博士、そしてこの青年の戦うに至った経緯を。

 ……私の声を聞いた青年は、眼を伏せ、苦しそうな顔をしながら、口を開いた。

「……朱城ソラは、攫われているんだ。過去に、一度だけ」

「そう、ですか……」

 ……それは、直前の発言からすれば、ある意味予想通りでもあった。だが、改めて口に出されて、そう、明言されると、私の心に重く圧し掛かる。

 ……昨日、攫われかけたとき、きっと辛いのだろうと想像した。

 ……それは、単なる想像に過ぎないはずだった。なのに、今、その想像の境遇に陥った自分が、現実に存在すると言われた。これは、かなり 堪える……

 …………私が攫われてるってことは、つまり、この人は、そのときに……

「…………俺は言わば、AR01の前任者だ。だが俺は、AR01とは、比べ物にならないくらいに、弱く……キミを守り通せなかった……」

 吐き出す言葉の全てが、苦しそうだった。凄く、辛そうだった。

 ……言葉の端々から、“私”に対する、思いを感じる。

 ……私は、それほどまでに、価値があるの?

「…………あなたにとって、“朱城ソラ”って、どんな人なんですか?」

「……その笑顔と未来の幸せを守りたいと、本気で思える、最愛の、友人だ」

 真っ直ぐに私を見据えて言われているのに、その言葉は、私を見てはいなかった。

 青年はどこか遠い目で私を見つめていた。それは、私の知らない、在りし日の幻想を見ているのかもしれない。

 ……けれど、少しだけ嬉しかった。……こんなに思われてる“私”もいたのだから。

「……過去の私は、愛されていたんですね。嫉妬しちゃうな……」

 思わず、そんな言葉がついて出てしまうほどに、私は自分に価値が見出せていなかった。

 ……失言だったな、これは。何を羨んでいるんだ、私は……

 そう思い、心を痛める私に返って来たのは、予想外の返事だった。

「何を言っているんだ。今のキミだって、多くの人に愛されているじゃないか。両親や友人だけじゃない。多くの人が、キミを守る、その目的の為にあいつを造ったんだ。みんな、キミに、この時代で幸せな未来を掴み取って欲しいんだ」

 今度は、しっかりと私を、今ここにいる私を見て、そう言っていた。

 ……やっぱりまだ、自分の価値はわからない。

 ……でも、望まれているなら、愛されているのなら、その思いを無下にせず、頑張って生きてみようと、少しだけ、思えた。

 だったら、やることは一つだ。

「……私、頑張ります。私に対する人の想いを無駄にしないように。だから、一緒に戦って下さい。大丈夫です、ゼロさんは負けませんよ。……だって、多くの人の想いが詰まっているんでしょ?」

 柄にも無くそんなことを言うと、青年は、驚いたように目を見開いていた。

 そして、表情を決意の篭ったものに変え、

「ああ、もちろんだ!」

 そう、言ってくれた。そして、少しはにかんだ後、視線を正面に移し、こう付け加えた。

「……だが、今はもう少しだけ、この景色を眺めさせてくれ。……もう二度と、拝めないと思っていたから」

「……はい!」

 それからしばらくの間、二人で景色を眺め続けた。二人の間にあるのは、心地の良い沈黙と、風の音だけ。

 そしていよいよ太陽も高くなってきた頃。青年は、私の手を取りながら、真空霊子管を自分の胸に衝き立てて、笑顔でその中に消えていった。


 ……私が異変に気付いたのは、貯水タンクから下りて、再び、屋上に足を付けたときだった。

 その男は、屋上の出入り口を塞ぐように立っていた。

 黒いロングコートに、日本人離れした長身。

 風になびくは、長く伸びた深紅の髪。

 ニヤリと歪んだ口元は、獲物を見つけた肉食獣を連想させる。

 ……思えば、教団が、ゼロさんがいない、この絶好の機会を逃すわけが、なかったのだ。

 ……そんな絶体絶命のピンチの中、私の、最初の戦いが始まる。


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