第十三話『降魔術』
高く上った太陽が、住宅街を歩く俺達を嫌がらせのように、ジリジリと照らしている。
時刻を知るため、隣を歩くマコちゃんに聞けば、もう十二時近いらしい。どうやら1981年にタイムスリップしてから、丁度24時間が経過しようとしているようだ。
現在所持金は、十万と少し。ついさっきまで、マコちゃんが、その能力をふんだんに使って、パチンコで稼いでくれたお金だ。
……あの短時間での凄まじい大当たりっぷりは、周囲の客や店員まで驚かしていた。その姿は、まさに、……パチプロマコちゃん。
そう心の中で思っていると、不意に隣から不機嫌そうに返事が帰ってきた。
「ボソッと、変なあだ名を呟かないで下さい。それなんか、不名誉です」
言われたので視線を向けると、強い日差しの下、日影のない道路を歩くせいでだろうか、非常にきつい目つきになっているマコちゃんがこちらを睨んでいた。
っと、それより、
「あれ? 俺今声に出してた?」
「おもいっきり出してましたよ……」
言いながら目を伏せられた。その仕草や声は、呆れた、という気持ちを前面に押し出す演技のようにも見える。初めて会ったときから、芝居がかった動きをする奴ではあったが、嫌味を言うときや、今のようなときは、それが顕著なようだ。
それにしても、俺、声出してたんだな。声を出しているつもり、全くなかったんだけどな……
ジリ……っと、照りつける日差しは、会話が途切れたことで一層強くなったようにも感じる。鼻の頭に浮かんだ玉のような汗が、熱気を反射するアスファルトに落ちて、消えていった。
今俺達は、俺達の元いた街である埼玉県華言市に向かって絶賛徒歩移動中だった。なぜ徒歩移動なのかというと、都心から放射状に伸びる路線では埼玉圏内の横の移動は、意外と難しい、つまり遠回りしないと着けない、だから交通費勿体無い、という理由だ。さらに言えば、昨日結構歩いたので、残りの徒歩距離必要距離は、結構短くなっていたからだ。
で、肝心の華言市に帰る理由だが、
「……行けば、すげー強いお化けが見つかるんだっけ?」
「いえ、その情報が見つかるかもしれない、というだけです」
良くはわからないが、マコちゃんにはあてがあるようだった。うちの街に、そんな強いお化けがいるとは思えないんだけどな……
……マコちゃんに聞いた話では、幽霊とか妖怪とか化け物とかは、A~Eの五段階のランクで分けられているらしい。
Eは消える寸前の霊で、Dは人間の霊とか。Cは妖怪や強い悪霊で、Bは強い妖怪や天使や悪魔、それに一部の神様が該当するらしい。
そんでもって、俺達が探しているAランクってのは、誰でも知ってるような神様や、誰でも知ってるような神話上の化け物、らしい。
ちなみに、てけ子は、最初Cランクで、俺にやられてDランクに落ちたらしい。
っと、そうだ、てけ子で思い出した。昨日は、あまりに衝撃的だった上、聞きづらかったから聞けなかったけど、あの人が本当にてけ子なのか、てけ子に聞いてみないと。
日差しのせいでポケットの中に隠れているてけ子を、ポケットの中を覗きこむ形で見つめ、話し掛ける。
「……なあ、てけ子って、……1981年に、死んだのか?」
「キー……」
しばらく思案した後、てけ子は目を伏せて首を横に振った。その仕草は、
「わかんないって、ことか?」
「キー……」
今度は肯定。以前、自分のことは良く覚えてないって言ってたもんな。じゃあ、質問を変えてみるか。
「てけ子が死んだのって、電車に轢かれたから、とかだったか?」
「キー。キキキー」
今度も肯定。しかも強い肯定だった。電車に轢かれて、下半身が無くなって、それで死んだ、ってことらしい。
だとすると、あの人がてけ子だ、って気がしてくるな。電車に轢かれかけてたし。
……つまり、昨日のあの人は、俺とマコちゃんが居なかったら…………
いや、想像するのは止めよう。仮定の話しをしてもどうしようもない。それよりも、もっと効果的な質問をしてみよう。
てけ子は自分の享年は覚えていたんだから、1981年の誰でも知ってるような流行とかについて聞けば、その記憶の有無で、てけ子がこの時代に生きていたかがわかるはずだ。
「…………………………」
………………1981年の流行とか、しらねー……
……こうなれば、後はもう、困ったときのマコちゃん頼みしかないな。覗き込んでいたポケットから顔を上げ、隣を歩くマコちゃんの方に声を掛ける。
「……マコちゃーん、1981年って、何が流行った年?」
「……なんですか、ポケットに向かってぼそぼそ喋っていたと思ったら急に。……流行といいますと、なめ猫とかですかね。あとはチェッカーズとかじゃないですか?」
「なるほどな、サンキュー」
よし、さすがマコちゃんだ。三十年前の流行をなぜか知ってる。……まことさんじゅうななさいは伊達じゃないな。
「ぶん殴りますよ!? 誰が三十七歳ですか!」
おっと、また声が出ていたようだ。隣は、暑さに負けずとぶち切れてるが、気にせず、てけ子にいろいろ聞くとしよう。
「なめ猫って覚えてる?」
「キー」
再度覗き込んだポケットからは、肯定の動作が見て取れた。つまり、1980年代にいたのは間違いないと。
「チェッカーズってわかる」
「キキキー、キキキー、キキキキキ~、キキキキキーキキ、キキキキキー」
「いや、歌わなくていいから。知ってるのはわかったから」
どうやら、結構好きだったらしい。てけ子が歌ってくれた曲は、俺も聞き覚えがある。曲名までは、思い出せないけど。
うーむ、どうやら、てけ子がこの時代に居たのは間違い無さそうだな。チェッカーズ歌えるし。
……だけどまあ、だからと言って、どうするというわけでもない、か。また会うわけでもないのだし。
「あれ、こんにちは。奇遇ですねー、こんなところで会うなんて」
隣から発せられた不穏な言葉に、ポケットに向けられていた視線を跳ね上げると、そこには……
「あ、えっと、こんにちは。あの、昨日はどうもありがとうございました」
半袖のシャツに淡い青色のロングスカート、それらに映える黒く艶やかな長い髪をしたてけ子疑惑の女子高生がいた。そして、その隣には、彼女の友達と思われる女子高生も一人いる。
「あれ、真里、知り合い?」
マコちゃんと話す友達が気になるのか、昨日の女子高生の隣に居た子が、口を挟んでいた。そちらの見た目は、ジーパンにTシャツとジージャンという簡単な服装に、活発そうなかなり短めの髪と幼めの顔立ち。その上で、優しそうな目元などから漂う女性らしさもある、そんな人だった。
あれ、こいつ、どこかで見たことがあるような…… いや、この時代だ、気のせいか?
…………もう会うこともあるまいと思っていたてけ子疑惑の人との不意の再会と、その友達にある変な既視感に驚く俺を他所に、二人は会話を進めていく。
「あ、うん。昨日電車に轢かれそうになったところを助けてもらってね」
「なにその状況…… あんた大丈夫だったの? てか、どうやって助けられたの?」
「えーっと、どうだったかなぁ」
二人の女子高生の会話を、聞いていると、なにやら不穏な方向へ話が向かっているようだ。隣のマコちゃんの顔を見れば、苦笑いを浮かべている。
黙って聞いていると、二人の話は、どこかで結論にたどり着いたらしく、真里と呼ばれていた昨日の女子高生が、俺達に向き直り、やや緊張したような面持ちで口を開いた。
「あの! 昨日は全然お礼が出来なかったので、もし良かったら、これから一緒にお茶でもどううですかっ?」
「「はい?」」
思わず、マコちゃんと二人で聞き返してしまった。この際、お礼の発想が古くさい、というのはいいだろう、三十年前だし。
だが、それにしたって、急だった。いや、俺達はあんまりこっちで人に関わらない方がいいと思うんだよなぁ……
「……どうする?」
どっちにしろ、俺一人で決めることではないので、隣の爽やか苦笑い君に意見を求めてみる。すると、爽やか苦笑い君は、爽やか苦笑いを崩さないまま、俺のほうを向き、爽やかにこう言った。
「まあ、我々も急いでいるわけではありませんし、いいのではないでしょうか?」
それは、相手方にも聞こえたようで、真里と呼ばれていた方がホッとしているのが見て取れる。彼女は、胸の前でポンっと手を合わせると、口元をほころばせて、喋り出す。
「よかった、では、どちらに行きます?」
「ちょっと真里、決めてなかったの?」
「え? お茶に誘っちゃえばって言ったの真美ちゃんの方でしょ?」
「え? でも、あたし何も考えてないよ?」
二人は、またも二人の世界に入ってしまった。マコちゃんは相変わらずの爽やか苦笑い
……微妙に腑に落ちないな。真美、ねえ……
「……こっちじゃあんまり動かない方がいいんじゃないのか?」
腑に落ちないので、マコちゃんに耳打ちしてみる。すると、マコちゃんも耳打ちで返事をしてくれた。
「これはこれで情報収集になるかもしれないので、好都合といえば好都合です。だからオッケーですよ」
「そんなもんか?」
「そんなもんです」
そんなふうに話していると、向こうも話がまとまったようで、俺達四人は、駅前の喫茶店に移動することとなった。
着いた店は、俺から見れば、レトロな雰囲気が漂う喫茶店、という印象だった。案内されたテーブル席に、俺とマコちゃんが並んで座り、俺の前には真里と呼ばれた子が、マコちゃんの前には真美を呼ばれた子が座っている。
天井ではあのよくわかんねーでかいプロペラみたいなやつが回り、隅に置かれたジュークボックスからは八十年代の懐メロポップスが流れる。そんな店内で、最初に口を開いたのはマコちゃんだった。
「改めて、自己紹介でもしませんか? 昨日は、この無愛想君のせいで名乗れませんでしたし」
無愛想君とは散々だな。でも、偽名を使ってるこいつはいいにしても、俺はこの時代で本名を名乗っていいのだろうか? 気になることもあるし……
「そうですね。まだ挨拶もまだでしたね。……なんかすみません、そんな状態で連れてきてしまって」
考え込んでいると、俺の正面で真里さんが申し訳無さそうにしていた。この腰の低さ、てけ子っぽくもあるなぁ…………移動中、こっそりてけ子に聞いた感じだと、間違いなさそうだったし。
ま、深く考えても仕方ないか。せっかくだ、俺も会話に参加しよう。
「で、誰から自己紹介するんだ? 俺からは嫌だぜ」
一番は嫌なのでそれだけ言うと、隣の奴が、眉間に指を当てながらこちらを睨んでいた。
「全く、貴方という人は…… では、私から始めさせてもらいますね。水月マコトと申します。十六歳、高校一年生ですね」
おおっと、サバ読んだぞ、こいつ。うわー…… と、白い視線を向けていると、すぐさま反論がきた。
「あのですね、以前十七と言いましたが、数えで、の話です。この国で採用されている満年齢ですと、十六です。嘘はついていません」
なんだ、結局タメか。まあ、こいつがいくつだろうと、これからもタメ語のままだろうけどさ。
そんなことを考え、運ばれてきたアイスコーヒーをちびちび啜っていると、
「あの、数えで、とか、この国では、とか、もしかして帰国子女なのっ!?」
マコちゃんの正面、真美と呼ばれていた子が、身を乗り出して、目をキラキラさせて聞いていた。
「うっ…… 別に、そういうわけではないのですが……」
そりゃ、西暦3998年の未来から来ましたのでー、とは言えないわな。
「えと、そうだ、真美さん、でしたっけ? 自己紹介どうぞ」
マコちゃんはそう言って、自己紹介を押し付ける、という荒業を使い、出身地の話題から逃げていた。こいつ、嘘つくの下手になったんじゃないか?
それでも、真美を呼ばれていた子は、綺麗にはぐらかされているようだった。
「へ? 次、あたし? えーっと、鷹園真美です。代場高校二年生の十六歳です。よろしくお願いします」
「げほっ!」
思わず、口に含んでいたコーヒーで咽てしまった。すかさずマコちゃんから鋭い突っ込みが入る。
「ちょっと貴方、女性の自己紹介で咽るなんて失礼ですよ」
「いや、すまねえ…… 悪気も悪意も他意も、ないんだ……」
だが、これで咽ないでいるのは無理だ! 何故なら! 鷹園真美って! 俺の母さんの旧姓と! 完全に同姓同名なんだぞ! びっくりしたってレベルじゃねえ! 母さんの年齢考えると、三十年前は、十六歳だから…………どんぴしゃじゃねーか!
「えっと、続けるよ? それで、ここにいる真里は双子の妹なんですよ」
「がはっ!」
「いい加減にしてくれます!?」
「いや、ほんとすまねぇ……」
まさか、てけ子が俺の叔母さんだったなんて……
「じゃ、あたしの自己紹介はこの辺で。次は、真里やりなよ。彼は、なんか咽てて大変そうだし……」
真美さんは、そう言って、自己紹介を終えた。いや、嫌な予感はしてたんだよ、母さんが真美って名前だったから。それにしたって、まさか本人だとは思わなかったな……
「えっと、鷹園真里です。姉と同じく代場高校の二年です。一卵性の双子なのに、似ていないってよく言われます。あの、昨日は本当にありがとうございました」
自己紹介をしつつ、俺に対して頭を深くさげる真里さん。なんというか、むずがゆい。昨日も言ったけど、また言うか。
「……そんな気にすんなよ」
「そうですよ。実際、助けたの私ですし」
「え? そうなの? あたし現場見てないから知りたいんだけど、どんな感じだったの?」
「うっ…… それは、その…… あ、真美さん、グラス空いてますよ? 何か頼みます?」
「え? あ、そうだなあ」
マコちゃんがまた自爆したが、強引な話題転換で切り抜けていた。さて、次の自己紹介は、俺か……
「俺は、八幡龍樹だ。高校一年の、十五歳だ。よろしく頼む」
本名を名乗るかどうか、凄く迷ったが、どうせ大した影響はないだろうということで、決行した。だが、
「八幡龍樹さん、ですか。このご恩と共に、その名前は忘れないようにします」
「八幡龍樹くん、ねえ。なんだかキミ、変に親近感がわくのよねー」
大した影響がありまくる予感しかしなかった。そりゃ、親近感わくよな、息子ならさ。
俺が自己紹介を終えた気になっていると、真美さんが何かに気付いたようだった。
「あれ? 二人とも高校名言わなかったけど、同じ高校なの? てか、どこなの?」
「「うっ……」」
これは、答えるとボロが出るな…… 代場高校です、とは言えないだろう…… 真美さんも真里さんも代場高校らしいし。うーん……
「……マコちゃん、どうする?」
「えーっとですね…………私たち、実は未来人なんですよ! だから高校名は言えないのです」
「げほっ!」
何故、そうなるっ!? 今の間は、それを隠すための言い訳を考えるんじゃなかったのか!? って、ゆーか、そんなに簡単にばらしていいのか!?
「ふふ、水月さんって、面白いねー。未来人って、そんなアホな。まあ、言いたくないなら、言わなくていいと思うよ」
「くく……未来人って、くくく……」
てんぱる俺を他所に、二人は冗談として受け止めていたようだった。真里さんに至っては、肩を抱いて俯いてぷるぷると震えている。てけ子もそうだったけど、この人のツボもわかんねー……
「それでさ、二人って……」
それ以降の会話は、世間話だった。俺達は、困ったことがあると、マコちゃんの鉄板ギャグになった、未来人ですので、によって切り抜けていった。
さて、そうこうして三十分が経過した頃。いよいよといった感じでマコちゃんが本題を切り出した。
「あのですね。実は私たち、強い幽霊を探していまして、それでどなたかお知り合いに詳しい人はいませんか?」
「「なんでまた……」」
切り出したはいいが、二人とも綺麗な双子シンクロでドン引きしてくれた。当然とも言える。いきなり幽霊を探してる、なんて言われたら普通は引くもんな……
しかし、気にせずマコちゃんは続けた。
「それがですね、未来に帰るために必要なんですよ。非常に困ったことに」
その内容は、余すところ無く本当のことだった。まあ、これ嘘にしか聞こえないんだし、嘘つくよりはいいのかもしれない、ってことで良しとしとくか。
「未来って、幽霊の力で帰るようなものなのですか?」
「タイムマシンとかじゃないんだね。SFならSFで、設定一貫させて欲しいなぁ」
だが、テンションの落ちた二人からは、今までの流すような返答ではなく、真里さんからは当然の指摘が、真美さんからはダメ出しが、返ってきた。ホントのことなのに。
……てか、そもそもタイムマシンってなんだよ。現時点からみた未来人の俺でも知らねーぞ? DMC-12(デロリアン)か? あのガルウィングの外車持ってくればいいのか?
……今まさに自分の状況が、あの映画と重なって悲しくなる俺の隣で、マコちゃんが頭を掻きながら悶えていた。そして、
「ああもう! 八幡君、説明するのが面倒です! 任せます!」
「それは、人に物を頼んでる態度じゃねー! 真美さん達に対しても、俺に対しても!」
最近、マコちゃんが猫を被るのすら放棄してる気がしてならない。クビになったりして、色々吹っ切れたのかもしれねーけどさ……
「「「「………………」」」」
そして全員が沈黙。
「…………お前、本当に説明放棄かよ。えーっと…………タイムマシン、壊れたんだよ。それで、このアホの超能力で、俺達の身体を冷凍睡眠されて未来に帰るってことになったんだが、現状こいつの力が足りなくて、こいつの力の源が幽霊だから、強い幽霊捕まえて燃料にしないと帰れねーんだ。はい、説明終了」
若干変えたが、まあ、筋は通ってるし、そんなに嘘もついてない、よな。
「え!? 水月さん超能力使えるの!? 見せて見せて!」
「私も、見たい、です」
俺のザックリした拙い説明で二人とも納得し、テンションも戻ったようだったが、いらんこと言った感は否めない結果になった。
「………………八幡君」
「睨むな。減るもんじゃねーんだし、見せてやりゃいいだろ」
「……減りますよ、私の寿命が」
「……うそ、だろ?」
「はい嘘ですけど」
「てめぇ……」
「で、何したらいいんですかね?」
俺に無駄な嫌がらせをしたマコちゃんは、鷹園姉妹の方を向いて首をかしげていた。確かに、超能力って言っても、こいつのは、ちょっとアレだからなぁ……
「えっと、水月さんは、何が出来るのですか?」
「何と言われましても…………なんでも?」
「じゃあ、スプーン曲げて!」
「出来ますけど、店に迷惑ですよ…… そうだ、スプーン浮かせる、とかどうでしょう?」
言いながら、真里さんが食ってたパフェからスプーンを受け取り、それをまるで手品でも始めるかの如く、右の手のひらの上に乗せる。
そして、ぼそっと、本当に小声で、
「……空間凍結」
そう呟いた。
すると、スプーンは、マコちゃんが、その場からスッと手を引いても、その何も無い空中の空間に、固定されたかのごとく留まっていた。
「え? うそ? ホントに?」
「……凄い …………凄い」
二人とも、驚愕で目を見開いていた。もちろん、俺も。
「ねえ、これって触っても大丈夫?」
「大丈夫ですよ」
聞くが早いか、真美さんは宙に浮かぶスプーンを、触り、握り、叩き、引っ張り、いろいろと試していた。しかしスプーンは微動だにせず、それに取り付く真美さんの姿はパントマイムにすら見えた。
そのまま五分ほど、真美さんはスプーンと格闘すると、その力を信じたようだった。
「いやー、超能力って、ホントだったんだねー」
「ええ、まあ」
マコちゃんは、返事をしつつ真美さんの手汗べっとりになったスプーンを、元に戻す。
「えっと、もしかして未来から来たってのも、本当なんですか……?」
「まあ、な。俺が2011年。こいつが3998年から、だな」
「近未来と遠未来なんですね」
「うわ、わかりづらっ。映画だってもっとわかりやすくするのに」
そんなこと言われても、これが事実なんだから、困るな…… ホント、なんでこんなわかりづらい状況になってるんだろうな……
「そんなことはどうでもいいのです! 私が遠未来出身とか、どうでもいいのです! それより、どうなんですか、幽霊に詳しい知り合いは!」
マコちゃんが年代を出したせいで、若干ご乱心だった。だがマコちゃんの言うとおり、俺達にとっての本題が、全く進んでいない。
だがまあ、幽霊に詳しい知り合いなんて…………いや、いるのか? 俺の母親とてけ子だろ? 何があっても不思議じゃないが……
そう考えて固まる俺の前で、鷹園姉妹は顔を見合わせていた。そして一拍おいてから、姉の真美さんが、口を開いた。
「いるには、いるよ。うちのクラスの転校生が、親が民俗学者だとかで、結構詳しいらしいんだ」
その内容は、意外にもしっかりした話だった。俺達にとって、役立ちそうな話でもある。しかし、妹の真里さんは、浮かない表情。
「でも、彼、結構気難しいといいますか、最近気を病んでまして……」
「気を……? どうゆうことだ?」
「会えばわかるよ。真里もお礼がしたいって言ってたし、紹介するくらいは出来るけど、どうする?」
真美さんは、そう言って不敵に笑う。食えない人、そんな印象を抱くが、これ母親なんだよな…… なんかやだな……
それしにても、会えばわかる、ね。それほどまでに気を病んでる人とは、知り合いになりたくないが、仕方ないか。
ふと横を見れば、思案顔のマコちゃんが目に映る。そういえばこいつ、最初から、何か知ってたな…… そのまま見ていると、マコちゃんは机上から視線を上げ、こう言った。
「……その方の、名前を教えてもらえませんか?」
鷹園姉妹はそろって、何故、という顔をしていたが、すぐに真美さんが、その問いの意味に気付いた様子で答える。
「……アイゼンだよ、アルグ=アイゼン。ドイツからの転校生」
アイゼン、その名前には、聞き覚えがある。……また、知り合いか。期待、出来るのか?
「……これは、予想以上に収穫ですね。ふふ……」
しかし、期待度の低い俺とは裏腹に、マコちゃんは邪悪な笑みを浮かべて、小さくそう呟いていた。
……こいつ、俺に言ってないことで、かなり重要なことがあるんじゃないのか?
「紹介、是非お願いします。なるべく早い方がいいのですが、どうでしょう?」
マコちゃんは、俺の視線を無視して話しを進めていた。まあ、こいつも改心してるなら、信じてやった方がいいのかもしれねーんだけどさ……
……その後俺達は、直ぐにアイゼンさんの家へ向かうこととなった。電話に出ない人らしいので、それしか方法が無いのだとか。まあ、携帯もパソコンも無かったら、そうなるのか。そんな暮らし、想像も出来ないが。
喫茶店を出て、四人で歩くこと三十分。いつのまにか住宅街だったはずの周りの風景は、緑が多くなっていた。細い道の左右には、広がるのは、公園だろうか? なんにせよ、天然の日陰は、意外と涼しかった。
「おい、こっちであってんのか? 住宅地っぽくないぞ?」
しかし、散歩としては素晴らしくても、目的を持って歩いていると、不安にもなる。
「確か、この霊園の間を抜けた先だったはずです。間違ってはいないと思いますけど……」
真里さんの先導で、真美さん、俺、マコちゃんの順で歩く。それにしてもこれ、霊園だったのか…… 道理で涼しいわけだ。
「あ、見えてきました。あれです、あれ」
先頭で歩く真里さんの声に、視線を伸ばせば、道の先の木々の間から、一軒の洋館が見えた。白い外壁と、それに絡む無数の蔦。少し寂れた雰囲気がかもし出すのは、ホラー映画の舞台になりそう、といった様相。
……ピンポーン!
家の前に着くなり、インターホンを押す真美さん。しかし、いくら待っても反応は無い。
「誰も出てきませんね」
「どーゆことだ、留守か?」
「いえ、日中に外出するような人じゃないんですけど……」
「……あれだよ、居留守だよ。……連打してみますか」
言いながら、再度インターホンのボタンに指を伸ばす真美さん。そして、
ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ……………………
ぴんぽぴんぽぴんぽぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴ……………………
その連打フォームは、肘から指先までに力を込め、指先を細かく振動させる、というもの。現代おいては、中々見られなくなった綺麗なたたき撃ちだった。
すげえな、池袋のゲーセンだって、あそこまでの技術の人はいないぞ……
俺が心底感心する中、秒間十五回を超えるような素晴らしい連打が、三十秒ほど続いていると、ガチャっと、玄関の扉の鍵が回されたようだった。
次いでノブも回され、綺麗な植物の装飾が施された金属の扉が開かれる。
そしてその向こうから顔を出したのは、ぼさぼさの赤毛に、目元にはクマ、白い肌には不健康さしか感じない、そんな白人の青年だった。俺の知るアイゼンさんに、似てないわけではないが、イメージはかなりかけ離れている。
青年は、不機嫌そうに寄せた眉間のしわの元、眠そうな目つきで連打の主を睨みつけている。
「……やはり貴様か、鷹園真美。死ね」
そして、口を開いたかと思えば、小さく低い声の流暢な日本語で、死ね。知り合いのようだが、仲はよろしくない様子だった。
「……アイゼン、あんたに客なんだけど。幽霊探してるんだって」
「幽霊? そこの墓にでも行けば、いくらでもいるのではないのか? そんな奴ら、俺に振るな。死ね」
ビキィ!! と、なにやら不穏な音が聞こえた、気がした。アイゼンさんと話す真美さんの背中に、鬼が見える。
「あんたね……! いっつも死ね死ねうっさいのよ! 根性叩き治してやるから、そこに正座しなさい!」
バキゴキ……メキゴキ……
驚くほど大きな音で、拳を鳴らす。その姿は、様になりすぎていて、なんというか、凄く怖い。
ゴゴゴ…… そんな音が聞こえてきそうな気迫を纏い、アイゼンさんに近づく鬼の前に、バッと、真里さんが割り込む。
「姉さん待って、待って! ほら、アイゼン君も謝って。姉さんもだよ」
両手を広げ、真美さんを制しつつ、二人を仲裁する真里さん。どうやら、いつものやり取りのようで、アイゼンさんも真美さんも、すぐに、
「「チッ! すみませんでしたあ」」
でかでかと舌打ちした後、謝っていた。もちろん、相手の目を見ないで。そしてアイゼンさんは、はあ、とため息をついた後、俺とマコちゃんを一瞥すると、真里さんに向き直る。
「……で、なんだ、俺に幽霊の話が聞きたいというのか? そこの二人が」
「そう、そうなんだよ。強い幽霊を探しているらしくてね」
「ふーん。まあ、いい。ここは暑い。中で聞こう……」
アイゼンさんは、扉を押し開くと、どうぞ、といった感じで家の中へ戻っていった。真里さん、真美さんと、その後をついて家の中へと入っていく。
「おじゃましま……八幡君は何をそんなに怯えているんですか?」
「いや、真美さん見てたら幼少期のトラウマが……なんでもない。おじゃまします」
……そういや、俺の母さんは、怒ると手が付けられなかったっけな。
案内されて入った家は、外観と異なり、普通の日本の住宅、といった風だった。玄関で靴脱いだし。
客人用と思われるスリッパに履き替え、板張りの廊下を通った先、通されたのは、ガラステーブルと、それに向かいあった形でソファの設置された応接室だった。
アイゼンさんは、俺達が部屋に入るのも確認しないまま、奥のソファにどっぷりと腰を掛け、真美さんと真里さんも、特に断り無くその向かいのソファに腰掛けた。
俺とマコちゃんが部屋の入り口でその光景を見ていると、アイゼンさんが訝しげな表情でこちらを見ている。
「ん? どうした、座らないのか?」
「あ、いえ、そういったわけでは。ありがたく掛けさせていただきます」
アイゼンさんに言われ、マコちゃんはそそくさと姉妹の隣に座った。俺もそれにならって、マコちゃんの隣に腰掛ける。
全員が着席したのを見届けると、非常に面倒、そんな表情のアイゼンさんが口を開く。
「で、鷹園真美、こいつらは、なんだ?」
「真里の恩人。強い幽霊を探してるらしくて、幽霊に詳しい人を探してるんだって。だから真里の件のお礼も兼ねて連れてきた」
「俺も暇ではないのを、貴様も知っているだろう? 何故、鷹園真里の礼に、俺が使われねばならんのだ」
「うっさいけち」
「ま、まあ、姉さんもアイゼン君も、落ち着いて、ね? あの、アイゼン君、私からもお願いしたいんだけど、ダメかな?」
「ふん、まあ、そこまで言うのなら、いいだろう」
……姉妹とアイゼンさんの会話を見ていて、わかったことがあった。真美さんとアイゼンさんは険悪だが、アイゼンさんは真里さんには優しいようだ。
「でだ、強い幽霊、といっても、具体的に、どんなものを探してるんだ?」
言われて思うが、俺は具体的に何を探しているのか把握していなかった。これには、マコちゃんに答えてもらうか……
……そんな俺の思いを汲み取ったのか、マコちゃんは、静に、語り出した。
「……サタン、ルシファー、サマエル、イブリース、アーリマン、他化自在天、まあ名前なんてどうでもいいんですが、そういったものです。いわゆる魔王ってやつですね。貴方の、専門分野でしょう?」
そう言いきった後、沈黙が部屋を包む。マコちゃんの口から紡がれた名前は、どれもメジャーな、俺でも知っているような、そんな伝説上の存在だった。
向かいのソファでふんぞり返るアイゼンさんの視線が、さらに鋭くなる。
「……貴様、何者だ? どこまで知っている?」
「何も。ただ、魔王に関して知りたいだけの女子高生ですよ」
「気に入らんな…… 貴様の着ているその制服、それが制服の高校など無いというのに、女子高生か」
その視線の鋭さは、これを尋問と言ってもいいくらいだった。しかし、アイゼンさんの指摘も当然だ。今の代場高校はブレザータイプの制服だが、昔は詰襟とセーラー服だったのだ。
「………………み、未来人ですので」
「ふん、まあ、なんでもいい。探している、だったか? よし、貴様は使えそうだ、手伝え」
「えっ!?」
ガタッと、ソファから勢い良く立ち上がるアイゼンさん。そして、そのままマコちゃんの腕を掴んで引っ張る。
「ちょっ、あの、何を?」
「探してるんだろう? なら、俺の手伝いをすることが、近道だ。貴様らは、そこで適当に待ってろ。勝手に帰ってもいいぞ。むしろ帰れ」
バタバタバタ…… そんな音と共に、アイゼンさんはマコちゃんを連れていってしまった。まあ、あいつ強いし、大丈夫だろう。
「いっちゃったねー」
「そうだね」
結構な騒動が目の前であったのに、鷹園姉妹は気の抜けたようなボーっとしたようすだった。慣れたもの、というのが正しいだろうか。
「いつも、ああなのか?」
「だいたい、ああね。ところで八幡君、水月さんってキミの彼女でしょ? いいの? 放っておいて」
「彼女じゃない。それに、あいつは強いから、放っておいても大丈夫だろ」
「え? 彼女じゃないんですか? 意外…… え? じゃあ私にもチャンスは……」
「何を言ってるんだ、何を……」
本当に、この姉妹の考えていることはわからない。一応は親や親戚のはずなのに、わからない。
……この人たちもそうだが、アイゼンさんも、わからないな。何をしようとしてるんだろう?
「なあ、アイゼンさんって、どんな奴なんだ?」
「根暗で、お化け研究のムシ。学校サボりまくり」
「姉さん、その言い方はあんまりだよ。……アイゼン君、妹さんがいましてね。溺愛してるのですが、彼女が病気になってからは学校に余り来なくなっているんです」
「ふーん……」
気を病んでる、ってのはそのことから来てるのか? さっき会った感じだと、イマイチわかんなかったが。
そんな会話を繰り広げつつ、待つこと三十分。ただ待つことに飽きた真美さんが、部屋のタンスや食器棚を弄りだした頃、
バーン!
と、力強くドアが叩き開けられ、アイゼンさんとマコちゃんが帰ってきた。
「ククク…… 最高だ。よもや、これほどまでとはな……」
「帰りたい、です……」
テッカテカ光るアイゼンさん。そして、対照的に元気の無いマコちゃん。なにが……
「……なにが、あったんだ?」
「そこの黄色頭! 良くぞ聞いてくれた! この俺の召喚陣が、いよいよもって完成に近づいたのだ! この電波未来人女のおかげでな」
叫ぶアイゼンさんの目には、キラキラと光が宿り、口元は大きくにやけ、邪悪な野望を叶えた悪玉、そんな様相だった。
……黄色頭、に関してはまあいいか。それよりこれじゃあ、マコちゃんがぐったりしていることの説明にはなってないな。
……いや、それは後でいいか。気になることは、他にもあることだし。
「……召喚陣、ってことは、それで魔王とやらを呼び出す気か?」
「その通りだ。中々理解が早いではないか、黄色頭」
「……お褒めに預かり、ありがとさん。……んで、どうなんだ? 帰れそうなのか?」
全く嬉しくない褒められ方をして、しかも話が進まなさそうなので、マコちゃんに話しを振る。かなり疲れているようだったが、それでもマコちゃんは答えてくれた。
「……そうですね、なんとかなりそう、です、ね……」
息も絶え絶え、といった様子。本当に何があったんだよ…… しかし、これは朗報だ。なんとか、帰れそうだからな。
帰れる。その事実に一人ホッとしていると、俺が向く出入り口とは異なる方向、俺の背後から、小さな声が聞こえる。
「そっか、八幡君たち、帰っちゃうのか……未来に……」
「せっかくお知り合いになれたのに、寂しいですね」
振り返れば、鷹園姉妹が、本当に寂しそうに、こちらを見ていた。
……せっかく母さんに会えたんだから、もっと話しておけばよかったな……
「さあ、行くぞ。もたもたしては居れん、早く降魔術を完遂させようではないか!」
後ろではアイゼンさんが叫んでいる。話すにしても、もう、時間はあまりなさそうだ。
「じゃ、あたしたちはお暇しましょうかね。アイゼン、助かった。あんがと」
「じゃあまたね、アイゼン君」
鷹園姉妹も立ち上がり、本格的に時間が無くなってきている。……何か、何か聞きたいけど……
「……なあ真美さん、神様って、いると思う?」
「え? 急に何? ……うーん、いるんじゃないかな? 良い事したら、きっと見ててくれて、その分その人に良い事がきっとあると、あたしは思うよ。八幡君は真里のこと助けてくれたんでしょ? じゃあ、その分がきっといつか来るよ」
「……そっか、ありがとう」
「じゃ、元気でね」
真美さんはそのまま、扉を出て行こうとしていた。出入り口には、マコちゃんとアイゼンさん、それに真里さん。部屋の中には、俺一人。
真美さんは、そのまま部屋を出て行った。真里さんも同様に出て行ったが、部屋を少し出たところで、何かに気付いたようで、こちらを振り向いた。
「……あの、八幡君が帰るのは三十年後、なんですよね? じゃ、じゃあ、もし良かったらですけど、無事帰れたら、私たちのこと探しに来てくれませんか? あの、私、四十過ぎになってますけど、きっと覚えてますから」
「……………………ああ、絶対、探しに行く」
「はい! お願いします!」
真里さんは、輝く満面の笑みを俺に向けた後、長く綺麗な髪をぱたぱたとはためかせて帰っていった。
「…………行くか。いや、帰るか。俺達も」
「はい。……あの、八幡君、顔が怖いですよ? どうか、しましたか?」
「……うるせー、元からだ。なんでもねーから気にすんな」
精神的にボロボロになって、今肉体的にもボロボロになっているのに、人の心配を出来るアホをあしらいつつ、俺も部屋の出入り口へと向かう。
「ふむ、貴様らのことには全く興味がわかんな。さ、ゆくぞ」
心底興味なさ気なアイゼンさんに促されて、俺達は召喚儀式の行なわれている部屋へと向かっていった。
連れられるまま、家の二階に上がり、そこからさらに、家中央部と思われる部屋に行き、今度は階段を二階分以上下りると、その部屋はあった。
途中から階段を構成する材質は石に変わり、部屋の前まで来て石のままだった。そして、石張りの壁に囲まれた巨大な鋼鉄の扉を、観音開きに開けると、部屋に着いた。
部屋の中は薄暗く、明かりは部屋の隅で細々と燃えるロウソクしかないようだった。ようやく目がなれて辺りを確認すれば、部屋中央には、円形の魔方陣のようなものが描かれ、円の中に描かれている角の多い星のようなもの頂点には、なにやら鉱石と思われるものが置かれていた。
「……すげーいかにもな場所だけど、ここか?」
「いかにも」
「いや、あんま面白くねーぞ?」
「ふん、貴様ら凡人にはわからんのだ、この天才のセンスがな。さて、始めるぞ、電波未来凡人助手A」
アイゼンさんは、腕を左右に広げながら、芝居がかった様子でこちらを振り返り、俺の隣、マコちゃんに対して、そう言った。
マコちゃんを見れば、げんなりした様子で、俺のほうを見ているかと思うと、手をこちらに突き出した。
「はぁ…… 八幡君、例の瓶を」
「例の瓶って、これか?」
瓶に他に心当たりは無いので、ポケットから、やや大きいオレンジ色の牛乳瓶のような瓶を取り出す。瓶は、この暗い部屋の中でも煌々と輝き、辺りを弱く照らしているようだった。
「なんでこれがいるんだよ」
「生贄ですよ。強い霊体を呼ぶには、そこそこ強い霊体が必要なんです」
「ふーん。そういうもんか」
マコちゃんの説明でわかったような気がしたが、生贄って普通、瓶に詰まったままじゃない気がする。けどま、わかんねーことは詳しい奴らにまかせることにし、瓶を、ポンっと、突き出されたマコちゃんの手のひらの上に瓶を乗せる。
「ほらよ」
「ありがとうございます」
マコちゃんは、俺から瓶を受け取ると、床に描かれた円の中心点と思われる位置に、瓶を置いた。
アイゼンさんは、その様子を満足そうに眺めると、部屋の隅から、何かの入った瓶を取り出した。暗くてわからないが、中身が液体なのは間違い無さそうだった。
アイゼンさんは、それを持ったまま円の中に入り、それと入れ替わりにマコちゃんは俺の元まで戻ってきた。
円の中心付近、瓶の傍に立ったアイゼンさんは、瓶の明かりで下から照らされる中、こちらを振り向き、口を開いた。
「……さて、この生き血を捧げれば、儀式は完遂されるわけだが、覚悟はいいか?」
しかし、覚悟以前に、その言葉には、聞き捨てなら無い箇所があった。それは、
「……生き血? おい、まさかそれって…… 誰かを犠牲にしたってことか……?」
「ん? 何を言っている。そこの阿呆助手から、先ほど少しばかり貰っただけだ。誰も犠牲になどしておらんわ」
「……そうか、ならよかった。中断させて悪かった。もう覚悟は出来ている」
「ふっ…… いい顔をするではないか、黄色頭」
「へっ…… そりゃどうも」
沈黙が、辺りを包み込む。俺とアイゼンさんの間で、何かが芽生えた、そんな気がする。
「ちょ、ちょっと待ってください! なんですか、この空気! 私が犠牲になってますよ!? 血、抜かれてますからね!?」
辺りに漂ういい空気をぶち壊したのは、言うまでも無く俺の隣のマコちゃんだった。嫌々目を向ければ、困惑と怒りの入り混じった表情で、俺とアイゼンさんを指差している。
でもなあ、
「……いや、いいだろお前がちょっと血抜かれたくらい」
「私の扱い酷くないですか!?」
「……もしかして、リッターで抜かれたりしたのか?」
「いえ、100ccですけど……」
「献血の半分じゃねーか! それぐらいで騒ぐなよ……」
「はい…… ごめんなさい…… 注射、嫌いなんですよ…… でも、あれですね、うら若き清純な乙女の血が必要ならば、私しか居なかったわけですし、我慢すべきですよね。ホントに」
「……うら若き? 清純な? 乙女?」
「ぶ・ん・殴・り・ま・す・よっ!? アイゼンさんもなんか言ってやって下さいよ」
「……補足するなら、未成年の女性ならば誰でもよかったぞ。鷹園姉妹でもよかったんだが、こいつだとなんとなく罪悪感が沸かなさそうだったからな」
その言葉を聞いて、ガクゥッ! っと、そんな擬音が見えそうな動きで、マコちゃんは膝から崩れ落ちた。俯くその表情は見えないが、もしかしたら泣いているのかもしれない。
「お、おい、大丈夫かよ……?」
「ち、ちくしょう、回り敵ばっかかーーーーーーー!!!!」
……魂の叫びは、石造りの地下室の壁に反響して、クワンクワンと、俺の脳を揺さぶっていた。面白いからって、弄りすぎたか…… 少し反省しよう……
五分ほど経って、興奮状態のマコちゃんも元に戻り、俺の耳鳴りも回復したので、いよいよ儀式を開始することになった。
アイゼンさんが、瓶に入ったマコちゃんの血を、魔方陣の各所に振りまいていく。
……密閉された地下室だ。血の臭いが充満するかと思ったが、そんなこともなく、振りまかれた血は、なぜか沸騰しているかのように蒸気を放ち始めた。
「さあ、始めるぞ! ククク…… ようやく、長年の希望が叶うのだ……」
その言葉が終わるか終わらないかというときすでに、部屋の空間は歪んでいたようにも思う。
それは、予想に反して、上から現れた。天井、その空間を、まるでガラスを割ったように裂いて、巨大な影の塊が、降りてきたのだ。
影の固まりは、部屋の中央に留まると、その密度を高め、直径1メートル程の球体の形をとっていた。そこからさらに、形を変える様子は見受けられない。
「あれが……魔王……?」
「はい、恐らくは」
隣のマコちゃんも、それだけ言うと、黙って真剣そのものの眼差しを向けている。現れた存在の発する威圧感、いや、圧倒的な、力そのものとも言うべき圧は、俺に畏怖の念を抱かせるには十分すぎるほどだった。
『……何用だ? いや、愚問か。……これは規定事項だったな』
不意に聞こえた言葉は、ありきたりな表現をすれば、脳に直接響いてきているようだった。なぜなら、音源がわからない。性別も年齢も判別できない。もはや、声ではなく、その意図している内容が、脳に流れ込んできたと言うべき感じだった。
「ふむ、流石だな。さて、呼び出され、やるべきことがわかっているなら手っ取り早い。さっそく仕事をしてもらおうか」
俺もマコちゃんも畏怖の念を抱くこの状況において、アイゼンさんだけは臆せず、魔王に向かっていっていた。
『……勇敢さは、時に取り返しのつかぬ過ちを引き起こす。まあ、いい。……望みには、逸れ相応の対価が求められる』
声は、全てを知っている、そんな余裕を見せていた。魔王って、何者なんだ?
「対価か、俺の命くらいはくれてやる。それでは足りんか?」
この人は、何を言っているんだ? 命は、そんなに簡単に投げ捨てていいものじゃないだろ?
……この人が死んだら、悲しむ人が絶対にいるんだから。だったら、こんなこと……
「……おい、てめえ……」
『足りんな。ふっ、……貴公と、貴公の子孫、その全ての魂を、少しずつ貰う』
しかし、俺が口を挟む前に、影は、アイゼンさんに対価を伝えていた。その対価は、もはや、一族への呪い、とも言える内容。
「それで構わん。が、具体的なことを聞かずに契約するほどの阿呆でもない。さあ、言え」
『死後、その霊魂が即座に我が糧となる。末代までな。他は、魂の欠損により成長が遅れる程度だ。こちらは、人としての生を送る上で、差したる問題にはならんはずだ』
「なるほど。よし、それでいい。さあ、願いを叶えよ、魔王!」
影は、その叫びを聞いたあと、一瞬にして増大し、部屋を暗黒の闇で包み、さらに、部屋の外までも包み込んだようだった。
そして、数秒。闇は、再度1メートルの球体に戻った。その場には、はたりと倒れこむアイゼンさんの姿がある。
「アイゼンさん!」
俺が駆け寄ると、幸い、息はあり、気絶しているだけのようだ。アイゼンさんを抱え、視線を上げれば、影が、その形をウネウネと変化させていた。
そして出来た形状は、黒く邪悪な気配を纏ったアイゼンさんそのもの。
「……それが、魂を貰う、ということの結果ですか」
『左様だ』
今度の声は、影のアイゼンさんの口の動きと同時に、発せられていた。しかし、依然として、直接意識に語りかける方法のままではある。
俺がアイゼンさんを抱えたまま、視線を外せずに固まっていると、カツカツと、マコちゃんがこちらに歩み寄ってくるのがわかる。
「なるほど。全ての合点がいきましたよ。あの時間において、貴方が顕現していた理由も、その形態の意味も」
気付けばマコちゃんは、俺の隣まで来ていた。……こいつは、何を知っている?
『刻の過客か。対面は、これが初だな。……貴公らの望みも、把握している』
「俺達のことも、お見通しってわけか。……すげえもんだな、魔王って奴はよ」
せめて自身の萎縮を取り払おうと精一杯出した強がりにも、魔王は表情一つ動かさない。その代わり、マコちゃんが、顎に手を当て、俺の言葉に返事をくれた。
「八幡君、……観測機器がないので正確なことは言えませんが、恐らくアレは、全ての平行世界とその全ての時間における、アレの同一存在との、情報の同期を行なっています」
『良い洞察力だ』
「差し詰め、三千世界の観測者とでも言ったところでしょうかね。さて、貴方はあの不出来な瓶とは違い、こちらの願いを正確に把握しているんでしょう? ならば、まどろっこしいことは無しです。叶えて下さい、我々の願いを」
マコちゃんは、余裕を取り戻した様子でそう言った。……魔王もとんでもねー奴だが、こいつも肝が据わりすぎだな…… しかし、本当にいいのか? こいつに頼ってしまって? いや、だが、他に方法は無いんだし……
俺が悩む前では、魔王が、アイゼンさんの容姿で、その口を開いていた。
『……よかろう。さて、対価だが……』
ゴクリ…… そんな音が、自分の喉から聞こえてきた。
『来るべき時、その時に、要求しよう。今はまだ、その存在だけ知っておいて貰えれば構わない』
「……どうゆうことだ?」
「……これから先の未来において、我々に何かさせたい、ということでしょうね。しかし、現時点においては、それすら伝える気はない、と」
『そう言うことだ。実に良い考察力だな、過客よ』
魔王は、腕を組んで、俺達を、見下ろす。その表情は相変わらず何の感情も映しておらず、気味が悪いことこの上なかった。
「……仕方ありませんね、その対価で、いいでしょう。異論はありますか? 八幡君」
「いや、ねーよ。仕方ないんだろ? なんか、借金みたいで嫌だけどよ」
俺達の同意を確認すると、魔王は組んでいた腕から、右手だけ顔の高さまで上げると、パチン! と、大きな音で指を鳴らした。
『これで、この時間軸が、貴公らの元居た時間軸へと流れるだろう。そしてこの時より、この時代に着いた地点から無数に分岐した貴様らの収束が始まる』
「……随分親切ですね、魔王様は。帰還漏れの平行可能性すら消す、というわけですか」
『……早く冷凍睡眠に入らないと、収束の影響で気絶するぞ?』
マコちゃんと再度腕を組みなおした魔王の交わす話の内容はわからんが、きっと、こいつは親切心なんかで何かする奴じゃないだろう。何か目的があって、俺達を都合の良いように操作している、そんな気がしてならない。
「……それが本当なら、急ぐ必要がありますね。至急、この部屋ごと、時空間を凍結しますか。八幡君、アイゼンさんを、部屋の外に出しておいて下さい」
「あ、ああ。わかった」
真剣な声に思わず気おされたが、直ぐにアイゼンさんを、部屋の外、鉄の扉の向こう側に寝かせる。……本当は、応接室のソファに寝かせたかったが、そこまでの余裕はなさそうだ。
部屋に戻ると、マコちゃんの体から凄まじい光が迸っているのが見える。それは、幽霊が見えるときと同じように見え、これがこいつの能力使用、それも最大規模のせいで漏れているエネルギーだと直ぐにわかった。
邪魔しないように、そっと近づく途中、頭に鋭い痛みが走った。視界も歪み、立っていることすらままならない。暗転していく視界の中では、この時代に着いてからのさまざまな場面がフラッシュバックする。
しかしその内容は、俺が真美さんだけと話していたり、電車をマコちゃんが素手で止めていたりと、無いことばかりだ。これは、一体……
「マズイですね、収束が始まりましたか……」
その声で、意識を辛うじて現実に戻せば、視線の先ではマコちゃんが、苦い表情を浮かべている。
「どうゆう、こと、だよ……」
「……分岐していた別世界の私たちの記憶が流れ込んできているんです。詳しくは、説明している時間がありません!」
答えるその姿は、苦しそうに見える。俺だけじゃなく、こいつも、同じ状態なのか……
……ということは、
「キー……」
「やっぱり、お前もか…… ん? おい! てけ子! お前、今にも消えそうじゃないか!」
痛む頭を抑えながら、ポケットからてけ子を出すと、その身体は淡い光を放ち、光の粒になって、隅の方から次々消えていっている。
「……まさか、俺が、真里さんを助けたから?」
「おそらくは、そうでしょうね…… この時間軸が元の時間に繋がるということは、そうゆうことです……」
「そんな……」
手のひらに乗せたてけ子が、いつもより、軽い、気がした。
「キー……」
「やめろよ、そんな、何かを悟ったように首を振るのは、やめろよ……」
「キー……」
「なんで、なんでお前は、自分が消えるってのに、笑顔なんだよ……」
頬が熱い…… 俺は、泣いているのか……?
……不意に、脳内に声が、聞こえた。
「……未来で、八幡様が助けた私に、鷹園真里に、よろしくお願いします…… 私は、短い間でしたが、あなたといられて、楽しかったです…… ありがとう……」
「やめろ、消えるな、てけ子……」
掻き消えそうな俺の声を嘲笑うかのように……てけ子は、俺の手の中で、光になっていった。
……最後まで、笑顔で。
「……空間、凍結……」
直後に聞こえたその声の直後で、俺の、この時代での記憶は途切れた。
……いくら記憶が混線しても、それによって、俺が、俺じゃなくなっても、絶対に忘れないだろう。てけ子という相棒が、いたことを……




