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秋晴れ

作者: 聖音

 風がほんの少しだけ入り込み、アイボリーのカーテンの裾が揺れて頬に触れ、少女は目を覚ました。

 窓際の席は最高だ、と少女は外を見る。見上げれば、鈍い銀色の窓枠の向こうに、目が冴えてしまうくらい鮮やかな青色の空が見える。綿のようにふわふわの白い雲はほんの少ししかなく空気はからっとしていて、過ごしやすい。秋晴れだ。

「今月のティーンの特集見た? リアル恋シリーズ! 教師と生徒だってー!」

 前の席を囲んできゃあきゃあと騒ぐ友人たちの言葉に、少女はぴくりと、一瞬だけ肩を震わせた。

「美奈、美奈は見た?」

 これこれ、と雑誌のページを開いて揺らして見せる、前の席に座る友人を見て、美奈と呼ばれた少女は表情を変えることなく、しかしやけにゆっくりと頷いた。

「ヤバイよねー、これこれ! 空き教室でキスしちゃいました、だって! うちの学校でもこんなのあるのかな」

「こんなの創作とか妄想じゃないのー? だって実際先生ってさぁ……あ、でも、木村先生と山本先生なら、アリ?」

「わーアリアリ! ありえそう! 山本先生とか男なら放っておかないよね、うちの男子やたら美術張り切るじゃん。だけど木村先生は絶対カノジョいるでしょ、あんだけ美形なんだし選り取り見取り!」

「それ、遊び人みたいじゃない? むしろその二人が付き合ってたりして」

「ヤダー! 止めて、想像しちゃう」

「なにを!」

 きゃはは、と立って笑う彼女たちは、後ろの席でくったりと机に頬をつけた美奈を気にした様子はない。……美奈の表情は何も変わっていないのだが、ただ一人、笑うことなく雑誌を持つ少女が気遣わしげに一瞬美奈を見た以外、いつもの光景。

 春から半年、担任が「好きに席替えしてくれ」と言った為に仲間同士で集まったこの席は変わることがなく秋を向かえ、これは馴染んだ日常だ。



「美奈」

 うとうととしていた美奈が呼ばれて目を開けると、前の席から顔を覗き込んだ友人が「もうすぐ授業」と教えてくれる。

「ほら、ほっぺに痕ついてる。昼休み寝てたって先生にバレちゃうよ?」

「亜樹、私は別に……」

「またそんなこと言って。ほら、髪で隠しちゃいなよ」

 そういうと亜樹は美奈のシュシュを勝手に引っ張って解き、頬を隠すように髪を垂らす。癖のない真っ直ぐな黒髪はさらさらと流れ、窓から入り込んだ風に乗って僅かに舞う。

「いいなぁ、美奈の髪真っ直ぐでさらさらで、すごく羨ましい。私ほら、癖がすごいから」

「亜樹の髪は……ふわふわで、可愛い。私も染めたりしてみようかな」

「ええ、もったいないよ! こんなにきれいなのに! っていうか、校則違反!」

「……そっか」

「うん、そう! 綺麗だから必要なし!」

 他意なく褒めてくれる亜樹の言葉に、美奈は少し俯いて曖昧に返事を濁す。

 私はあなたが羨ましい、と出かけた言葉を飲み込んで、美奈は鞄の中から現代文の教科書を探し出す。

「……現文の教科書だけ、いっつも鞄から出てくるね、美奈は」

 こっそりとささやかれた言葉で、美奈は今度こそわかりやすく目を見開き息を呑んだ。

 それを満足気に眺めた亜樹は微かに息を零して笑うと、可愛い、と言いながら美奈の頭をくしゃくしゃと撫でる。

「あ、ごめん髪くしゃくしゃに……ってまたすぐ戻った。ほんと羨ましい、美奈の髪」

 風に吹かれてするすると戻っていく髪を感心したように亜樹が見た時鳴った鐘の音と同時に、がらりと扉が開く。

「授業始めます。ほら、席に戻りなさい」

 黒板の前にたむろしていた男子生徒数人を手でひらひらと席に追いやった教師は、だらだらと戻る男子生徒が最後に美奈の丁度隣の席に座ったのを確認すると、教卓に持ってきた教科書や資料をどさりと載せ授業開始の挨拶をする。

 教科書から視線を移さないまま「着席」の合図で座った美奈は、一度表紙を指先で撫でた後ぱらぱらとページを捲り、ペンケースからお気に入りの、きらきらしたピーズのチャームがついたシャープペンシルを取り出す。


「眠くなるよな、木村の授業。特に金曜なんて午後一だし」

 隣の席の男子がこっそりと美奈に声をかける。顔を上げた美奈は、男子生徒が目を細めそう語るのを見ながら、「そうかも」と小さく頷いた。

 美奈達のクラス以外でも、現代文の木村の授業は眠くなると評判だ。

 教科書に載せられた文章を、柔らかい声で穏やかに読み続ける木村は要点だけを黒板に纏め、『聞く、書く』がメインである為に睡魔に抗いにくい。

 であるのに、たまに語る内容や黒板に書かれた要点というのが重要な上に、テストが容赦ない厳しさである為に睡魔に負けては後悔する事になる。

 だが、美奈はこの時間が好きだった。特に金曜の午後最初の授業が一週間の中での一番の楽しみだ。

 周りには一週間の疲れもあってか、あくびをかみ殺した表情の仲間たちが大勢いるが、美奈はただひたすらに教科書を目で追い、黒板にチョークが擦れる音がすると顔を上げてノートに書き写す。睡眠導入剤とすら噂される穏やかな声は、美奈にとって何よりも授業が捗る環境音楽のような存在だ。

 ノートに黒板の内容を書き写していると、ふと教壇に立つ教師の顔を正面から捉えてしまった美奈は、ほんの少し慌てたように顔を俯かせた。

(……また)

 美奈は、木村の顔を正面から見ることが多いと気づいた今年の春から、木村が黒板に向かっていると『音』で確信できる時以外はあまり顔を上げることはなくなった。

 顔は正面を捉えるのに、黒縁眼鏡の奥の瞳は決して視線が交わる事がない。

 木村の視線は常に美奈より少し前にある気がして、美奈はとっさに引き結んでしまった唇を隠すように俯く。耳の横を、さらさらと自身の髪が流れていくのにも気づかず、再び流れた音楽を聞きながら必死に教科書の文字を追う。


「……朝倉ってなんか楽しそうだよな」

「……え?」

 再びひそめられた声が右側からかけられた美奈は顔を上げる。朝倉、は自分の苗字であるが、その後に続けられた言葉に動揺してしまう。

「いっつも眠そうじゃないし。俺、だめ。木村の声聞いてると眠くなる」

「そんなこと言ったら」

 駄目だよ、と続ける前に、小さく笑った男子生徒は少しだけ顔を美奈に近づける。

「だってほら、普段あまり表情変わらないのに、現文の教科書読んでる時の美奈って少し嬉しそうだし。成績、いいもんな。好きなのか?」

「あっ、の……」

 突然名前を呼ばれてどう返したらいいのだ、とありありと混乱した表情を浮かべてしまった美奈を見て、男子生徒が再び口を開いた時。ふっと翳った気がして美奈が視線をずらした先に、ぴしっとセンタープレスの効いたスラックスが視界に入り、美奈の心臓だけがわかりやすく跳ねた。

「清水に、朝倉さん。僕の授業を聞かないとは、余裕がありますね?」

 穏やかなのに僅かに冷たさを含む声に、思わず顔を上げた美奈の視界に微笑んだ木村の顔がいつもより近い距離で映り、美奈は手にしていたシャープペンシルを落とす。

 慌ててお気に入りのそのシャープペンシルに手を伸ばした美奈だが、先に伸ばされた骨ばった手が先に床に届き、長い指に先にシャープペンシルを掬われてしまった。

「あっははー、眠気覚ましっすよ木村センセ」

「そうですか、僕の授業は眠いと、そういうことですね」

「滅相もございません!! な? あさ……美奈!」

「えっと、あの……」

 長い指に絡み取られたシャープペンシルが気になってしまい顔を上げられない美奈が、名前を呼ばれた事も気づかず、おろおろと視線をさまよわせる。

「……仕方ありませんね、清水と朝倉さんは放課後国語科準備室に来なさい」

「え!? 呼び出しってきつすぎませんか!?」

「ちょーっとしたお手伝いをお願いするだけですよ。いいですね」

 目を見れない美奈が見つめた口元は笑みを作っているが、なぜか反抗できないような声音に美奈はこくこくと頷いた。もっとも美奈に反抗する気持ちなどなかったのかもしれないが、隣の席の清水は口を尖らせて「はーい」と投げやりに返事をする。ぼそりと「腹黒教師め」と呟いていた気がしたが、聞かれたのではないだろうか。

「はい、朝倉さん」

 差し出されたシャープペンシルを慌てて受け取った美奈が小さくお礼を言い切る前に、木村はさて、と教科書を手にしまた穏やかな声で続きを読み上げ歩き始める。

 教壇へと戻る前に、降ろしていた木村の手が僅かに美奈の前の席の机に触れたのに気づき、美奈は眉を顰めぐっと唇を噛む。

 偶然、偶然、と胸の中で唱えながらぎゅっとシャープペンシルを握り締めていた美奈が慌てて教科書に視線を移すと、ふふ、と小さな笑い声と共に前の席から伸びた指先が、ここだよと木村が読み上げている部分を指差した。

「あ、ありがとう亜樹」

「どういたしまして」

 短い会話を交わして、今度こそ授業に集中する。

 聞こえ始めた黒板とチョークのぶつかる音に、シャープペンシルを持ち替えた美奈は、いつもカチャカチャと静かに聞こえていたチャームのぶつかる音がないことに気がついた。

(あ、チャームが、ない)

 落とした、と慌てて視線を床に向けるが、そこに見覚えのある光るビーズは見当たらず、金の細い鎖も見つけることができない。

(でも)

 ぎゅっと一度シャープペンシルを握った美奈は、気持ちを切り替えて再びノートに向かう。

 やがて聞こえた鐘の音に、勇気を振り絞って顔をあげた美奈は、再び視線が交わることがない先生の表情を見て、ふっと肩を落とした。



「行こうぜ美奈」

「え、何、なんで清水ってば急に美奈のこと名前で呼び出すわけ?」

「別に、なんとなく。呼び出された同士をだな」

「つか、あんたのせいでしょーが!」

 亜樹と清水が話すのを聞きながら、やや落ち着きなく荷物を鞄にしまいこんだ美奈は、胸の辺りで作った拳をもう片方の手で握りこみながら立ち上がる。

「あ、あの。亜樹、行って来る」

「うんうん、待ってるよ。帰り、アイス食べていこう」

「はあ? お前、いくら今日天気良くたってもう冷えてくるだろ、秋だぞ秋」

「うるさいな、清水は黙っててよ」

 楽しそうに会話する二人をほんの少し羨ましく思いながら、美奈は少し足早に教室を出た。

 心臓が喉元にあるように自己主張しているのを感じながら、どこか落ち着かず思わず自分の足はきちんと床についているよな、と馬鹿なことを美奈が考えたとき、後ろからどたどたと足音が響く。

「待てって、美奈。一緒に行こう」

「あ」

 すっかり忘れていた事を心苦しく思い、慌てて清水に謝罪する。

 しかし気にした様子がない清水の話をあれこれと聞きながら階段を下り、国語科の準備室に足を踏み入れた時には、美奈は心臓の煩さに「失礼します」と声を出した筈の自分の言葉すら聞き取れず、ふらつきそうになる足元ばかりを見つめて窓際の教師のそばを目指す。

「ああ。待っていましたよ」

 教室より近い距離で聞こえる穏やかな声に、美奈は落とした視線の先にある靴を見つめた。サンダル履きの教師も多いが、木村はきっちりと靴を着用していた。

 汚れひとつない靴を見ていると、さて、となにやら本を纏めだした木村は、何冊も纏めたそれを清水に押し付けるように渡した。

「これ、第二職員室の僕の机の上に置いておいてください」

「え? それだけ?」

「それだけですよ? ああ、もっと厳しい罰がいいだなんて清水もなかなか」

「わー違います違います! つか重たいなこれ! ったく。美奈、行こうぜ」

「あ、うん……」

「あー、朝倉さんはこっち。このプリント、下のページ番号順に並べてください。これだけですから」

 薄いプリントの束を渡されて、少し目を丸くしな美奈は呆然とそれを見つめる。

「なんだ、それなら俺も一緒に」

「おや、清水はずいぶん手伝いにやる気があるようですね。なら他にも」

「いいえ! じゃあ、美奈、長谷川と教室で待ってるから」

「あ、うんわかった」

 慌ただしく本を抱えて出て行く清水の後姿を見ながら、美奈はほんの少し落ち着かない気持ちでプリントに視線を落とす。

「長谷川さんを待たせていましたか」

「あ、……はい、えっと、大丈夫です。すぐにやります」

 先生の声に意識を引き戻されて、美奈は慌ててそばにあった机の端を借りてプリントを並べ替え始める。

 長谷川は、亜樹の事だ。亜樹を待たせてはいけないと思うのに、思いがけないこの状況に心のどこかで僅かに喜びがあふれ出す。

「じゃあ、木村先生。私は部活に顔を出してきますから」

「ああ、了解です水嶋先生」

 ふとそんな会話が聞こえて顔を上げた時、国語科準備室に美奈と木村以外の人間がいないことに気がつく。

 ぐらっと視界が揺れた気がした美奈は慌ててプリントに視線を落とすが、三十番程までしか番号が振られていないプリントの順番を並べるだけだというのに指が紙をすべり、うまく行かない。

「あっ」

 突如窓から吹き込んだ少し冷たい風に、プリントがふわりと一枚飛んだ。

 慌てて追った視界の先で、白いシャツに包まれた腕が飛び出してくる。

「危ない……はい、朝倉さん」

 木村は美奈の頭の上から腕を下ろし、プリントを渡すと席を離れた。

「窓閉めましょう。冷たいな、すっかり秋だ」

 そんなことを話しながら窓に腕を伸ばした木村がバタンと窓を閉め切ったとき、美奈はまるで耳鳴りにでも襲われたように思考が遠のいていく気がした。

 心臓がうるさすぎる。


「先生は、"あき"、好きですか?」

 口にしてしまってからはっとして手で口元を隠した美奈をいつもの穏やかな表情で見た木村は、少しして「ええ」とにっこりと微笑んだ。

「読書の秋というでしょう。この時期は本を読むのにとてもいい……ああでも、一番好きなのは春ですね。待ち遠しくて仕方ない」

「そう、ですか……」

 ぼんやりした頭で、手だけは忙しなく動かしながら、どうしてこんなことを聞いてしまったのだろうと美奈は俯いた。やけに胸の辺りが痛む気がしたが、必死に下唇を噛みしめそれを誤魔化す。

「そういえば、朝倉さんは最近おすすめの本はないのですか?」

「え……?」

「ほら、君が一年の時はいろいろ図書室のおすすめの本を教えてくれたでしょう。どれも面白かったですよ。君のおすすめにはハズレがない」

「あ、その。最近はあまり読む時間がなくて」

「……そうですか。受験勉強は、順調ですか?」

 なんだかくらくらしてきた、と美奈はこっそりと机に手をついた。当たり障りなく大丈夫ですと答えながら、たぶんきちんと順番どおりに並び替えられたであろうプリントを手に先生のほうへ控えめに腕を伸ばす。

「ありがとう」

 微笑まれて、無意識に美奈は僅かに口元を緩めた。ほっと息を吐いて、すぐに煩い心臓を意識して「では」と背を向けた美奈に、木村は再度呼びかける。

「朝倉さん。……これ」

「え? あ……」

 木村の手に乗っていたのは、美奈お気に入りのシャープペンシルについていた筈のチャームだった。

 目を見開いた美奈を見て、ああやっぱりと木村は笑う。

「これ"拾った"んです。もしかしてと思ったんですけど、やっぱりそうでしたか。たぶん、落とした時ですね……壊してしまって、すみません」

「いえ、いえ。その、落としたの、私ですし」

 慌てて手の平を向けたとき、木村はそこに落としたりはせず丁寧にチャームを美奈の手のひらに載せた。

 僅かに触れた指先に大げさに美奈の心臓が跳ね、混乱した美奈は慌てて手を引く。

「でもそれ、ビーズが足りないみたいなんです。……何か代わりをと」

「え? いえ! 大丈夫です!」

 よく確認もしないまま、美奈はぶんぶんと首を振った。

 そうですか? と首を小さく傾げた木村を見ながら後ずさるように離れた美奈は、数歩下がったあたりでばたばたと背を向けて走り出す。

「蒼太先生、いらっしゃいます?」

 開けようと思った扉が先に開かれ、目の前に現れた別な教師に慌てて頭を下げ、道を譲る。ふわりと甘い香りに顔を僅かにあげて、ゆるく巻かれた焦げ茶の髪になんとなく目が引かれた。

「ああ、山本先生。会議でしたっけ、今行きます」

 立ち上がった木村が歩いてくるのを見て、美奈は現れた教師を避けるように扉を抜ける。

「あの、し、失礼しました!」

「朝倉さん」

 まだ何かあるのだろうか、と、胸のあたりがやけに冷たいような、熱いような不思議な感覚に混乱しながら顔を上げた美奈の視線の先で、木村は穏やかに微笑む。

「気をつけて」

「は、はい!」

 こくこくと頷いた美奈は、国語科準備室の扉を閉めず慌てて走る。やたら大きく響く足音にだけ意識を向けて。


「あ、美奈お帰り」

 にこにこと笑う亜樹を見て、ちくりと痛みを訴えた胸を押さえるように手を当てた美奈は、ふと握りこんでいたチャームを見る。

「……え?」

 ビーズが足りない、と聞いたのに、なぜか増えている。暖色系の色の中に一粒だけある青い石を見て首をひねった。やたらとキラキラしたそれは他の石より自己主張が強くて、むしろサイズも違う異質なそれを呆然と見つめた美奈はすぐに顔に熱が上るのに気づく。

(まさか、先生……でもこれ、どうしたんだろう)

「美奈? どうしたんだ?」

 ひょいっと清水に顔を覗き込まれた美奈は、チャームを手に握りこんで首を振った。すぐに机に戻って鞄からペンケースを取り出したが、少し考えてチャームを胸ポケットに入れる。

 鞄にしっかり現代文の教科書が入っていることを確認して手にした美奈は、亜樹に待たせてごめんね、と声をかけた。

「ううん。……さて、清水はほっといて行こうか、美奈。話聞かせてよー?」

「え、え!?」

「おい待て、俺も」

「アイスなんて冷えちゃうんでしょー? 清水はばいばい」

「おいひっでーな!」

 がやがやと廊下を進むと、ふと亜樹が視線を窓の外に向けた。

「あ……」

 先の廊下を並んで歩く木村と山本の姿を見つけて、亜樹が眉を寄せたのを見て清水がにやりと笑う。

「はっはーん。もしかして長谷川、木村が好きだったり? 山本には勝てねーだろ!」

「……うっるさいわね清水! あんた、どっかいけ!」

「長谷川こえー! 美奈、俺と一緒に行こうぜ。クレープにしようクレープ」

 騒ぐ二人の後を苦笑して歩く美奈は、ふと木村と山本がこちらを見ていることに気がついた。

「……」

 相変わらず交わらない視線に僅かに浮かんだ落胆を、この距離でわかるわけないんだから、と首を振って追い払う。

「……亜樹、アイスもいいけど、私ちょっと買い物付き合ってほしいな」

「え? うんいいよ、何見るの?」

「文房具。あと、本と……化粧品、も」

 後半になるにつれぼそぼそと小さい声になってしまった美奈の声を正確に理解した亜樹は、驚いて目を大きく見開く。

「化粧品……!? う、うんわかった。任せて美奈! ってわけで私たちは女同士の買い物に行くから、清水やっぱばいばい!」

「ひっでーな。ま、いいか、また今度な、美奈、長谷川!」

「そこまで言うなら私も亜樹って呼べー!」

 ぶんぶんと拳を振る亜樹が、すぐに美奈の手を取った。


「行こう、美奈。暗くなっちゃう前に終わらせよ!」

「あ、ありがとう」


 でもどうしたの、急に。

 歩きながら亜樹に尋ねられた美奈は、曖昧に微笑んだあときゅっと手を握る。

「受験、がんばろうと思って」

「ああ、それで文房具……と、化粧品?」

 首を傾げる友人を見ながら、美奈はそう! と笑って空を仰いだ。





 ふわりと柔らかい風が頬をすべる。

「朝倉さん」

「え……先生?」

 一人校舎を見上げていた美奈はぎょっとして、慌てて手を後ろに隠した。

 握りこんでいたチャームは先生の位置から見えなかっただろうか、と混乱した頭で考えていた美奈に、躊躇いもなく木村は近づく。


「覚えていますか、僕が春が好きだと話したのを」

 ふと、脈絡なく告げられた言葉に僅かに頷く。美奈が忘れるはずはなかったが、それがいったい、と首を捻った美奈に、木村は穏やかに笑う。

「ずっと待っていたんです。今日を」

 あの日とは違う柔らかな風が、木村の言葉を真っ直ぐに美奈に届けた。



おしまい。

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