86 強奪
本当は前話の段階で書くべきだったのですが、忘れてしまっていたので再度お知らせを。
学園編の最後に番外編を入れています。
よろしければご覧ください。
86
旅立ちは密やかにしてもらった。
太陽も昇りきらない時刻。
南門で僕とリエナを見送るのはごくわずか。
武王とレイア姫。そして、数名の門番のブラン兵だけ。
あとヴェルもいるのだけど、こちらは旅装で見送られる側だった。
いや、来た時みたいなお祭り騒ぎをされても困るし、ブランの物資はもともと少ない上に、これから奪還作戦などを実行していくなら節約して貯蓄しないといけない。
あまり武王の思い付きで消費されてしまうとヴェルの胃に穴が開きそうだ。
既に『シズ湖伝説』とか『竜を屈伏させた者』とか『武神』とか『幼女虐待』とかもうふたつ名なのかわからない話まで出てきてしまっている。目立つことも噂されることも覚悟しているけど、このノリに付き合うのも限度がある。
あ、湖はブランの生活用水として活用するそうなので治水工事の基礎は手伝いました。といっても、地面を強化魔法でひたすら吹っ飛ばして川を作る簡単なお仕事でしたけど。
最後の名称には触れるな。いいな?触れるなよ?
泣くから。どんぴきするほど泣くから。
ふふ。この噂がラクヒエ村に届いたらと思うと気が遠くなるんだよなー。お母さんがニコニコと槍を振り回し、お姉ちゃんが泣き崩れたりする光景ばかり想像してしまう。
いや、考えたらダメだ。あれは事故。引きずるな。
「じゃあ、半年後に」
「おう。俺とルーが戦う振りするのもそこらが限界だろ。その間に出来るだけの準備をするぞ」
「スレイアとの交渉は私にお任せください」
ヴェルはスレイアまで同行することになった。
はたして、この国から半年間もヴェルがいなくなって大丈夫か心配だけど、諸々は他の文官に託しているそうだ。ニルヒム家の一件で内憂はすべて排除したというヴェルの手腕を信じよう。
忙しくなるのは間違いない。
バジスを奪還するなら原書という巨大戦力をどれだけ多く確保できるかで戦いの厳しさが変わってくる。
市井に流出したままだったり、他の貴族が隠し持っていたりするかもしれない原書を探すのは両国に任せるとして、妖精が集めているという原書は僕が頑張ろう。
いや、第6始祖研究のためでもあるけどね。
「先生!やっぱりオレも連れてってくれよ!」
ずっと俯いていたレイア姫が飛びついてくる。
うーん。旅立ちが決まってから毎日これだ。
武王が『行きたきゃいいんじゃね?』と軽い調子で許可するから断るのが大変だった。
1本取れたら連れて行ってあげるという約束になり、それから延々と撃退すること既に20回以上。
「ダメです」
「……どうしても、ダメか?」
上目使いとかどこで覚えてきたんだ10歳児。
慕われて悪い気はしないけど、向かう先は人間の常識も道理も通じない異国だ。一国の姫を連れていける場所じゃない。
膝を折って視線を合わせ、できるだけ誠実に目を見て語りかける。
「レイア姫。別に君が憎くて断っているんじゃないんだ。わかってくれないかな?」
「……わかった。でも、最後に先生から1本取ってやる!」
そういうとレイア姫が隠し持っていたらしい2本の木剣を構えた。
まあ、これで半年は会えなくなるのだ。最後に付き合うのもいいか。
リエナに荷物を預けて、白木の杖を片手に距離を取った。
「武王、合図を」
「おう。はじめ!」
早っ!
もうちょっと空気を読むとかさあ。
などと心でつっこんでもいられない。
レイア姫が初めて手合せした時のように低い姿勢で突撃してくる。
さあて、右か左か、意表をついて蹴りか。傾向としては左の薙ぎが多いけど。
「えい!」
レイア姫が左の木剣を投げ上げた。
投擲ではなく放り投げただけ。こっちの方に向けてはいるけど届きそうにないな。
らしくない戦術だ。
持ち味のスピードで真正面から戦うタイプなのに珍しい。
「上に注意を向けたら……」
下だろと杖を下段で構えると、案の定そちらに右の木剣が来た。
けど、これも予想と違う。レイア姫はこっちの剣も投げてきたのだ。
そして、無手のまま一層速度を上げて突っ込んでくる。
(速いな)
冷静に足元の剣を払い飛ばしながら分析する。
無手になったレイア姫は走ることに集中しているせいか、今までよりも一段上の速度で迫ってくる。
ここからは拳・蹴り・当身・投げの4択。
さあ、集中して挙動の全てから行動を予測しろ。
蹴りの間合い、通過。
拳の間合い、通過。
当身と投げの間合いも超えてって、体当たりじゃなくてただの激突になるぞ!?
正面衝突を避けようと後ろに下がろうとしたらここで飛びついてきた。
空中では回避もできず、下げていた杖を振り上げる暇もなく、首に抱き着かれる。
(首を絞める気か!?)
振りほどこうと腕を掴んだ瞬間だった。
頬に湿った柔らかい感触が当たった。
「……せいやー」
「きゃんっ!」
とりあえず、そのまま裏投げを執行。
突進の勢いも追加して盛大にレイア姫が吹っ飛んでいった。
尻餅をつきつつも先程の感触を思い出す。
(……チューされた?)
うわ!
意識した途端に顔が赤くなったのが自分でもわかる。
いや、だって、家族以外からされたのって、初めての経験だし。いやいやいや、相手は10歳の女の子ですよ!照れたりなんてしないって!ほら!運動したから体が火照っているだけだって!
素っ転んだレイア姫に視線を送るとこちらも赤くなりながらもしてやったりという顔をしている。
ついでに武王が大笑いしてやがる。
あのスタートの合図も僕の動揺を誘うための罠かよ。最初から結託していたな。
顔を押さえて溜息をもらす。
「ああ。1本取られたな」
卑怯とか勝負とかじゃなくて心理的に。
してやられたと思ってしまったのだからしょうがない。
そして、気づく。
背後でぶうんぶうんと振られるしっぽの風切り音に。
恐る恐る振り返ればリエナさんが見たこともない影を背負って立ち塞がっていた。
(何か言わなくては、いや今はまず逃げるべきでは、けど……)
ぐるぐる考えているとドンと槍が足の間に突き立てられる。
あ、逃げ場がなくなりました。
リエナさん、僕の両肩を掴んでどうするつもりですか?
いや、顔を掴まれる方が辛いんでまだ肩の方が……ダメ?
あ、あの、顔、近い。近い近い!ちか、んぐ!んんんん!ふはっ!んーーーーーーー!?
そして、奪われた。
衆人環視の中、リエナが満足するまでたっぷりと。
武王は更に大声で笑いだして、レイア姫はなんか羨ましそうにしていて、他の人たちは展開についていけずにポカーンとしている。
結局、僕が呼吸困難で意識を失いかけるまで強奪は続いた。
情緒も減ったくれもないファーストキスでしたよ……。
おかげで鼻血も噴かなかったけどさ。
もうちょっとロマンチックにね?
シチュエーションとかも、ほら。
「……じゃあ、これで」
「おう!元気でな!」
ぬけぬけと肩を叩いてきた武王の顔面に一撃いれといた。
うん。余計な力みのない綺麗な拳打だったね。油断していたとはいえ武王がもろに喰らったぐらいだから相当なものだ。
こんなところで開眼するなよ、僕。
素直に喜べないじゃないか。
手を振るレイア姫たちに見送られながら、やたらしっぽがピンと立って上機嫌のリエナと、居づらそうなヴェルを連れて門から距離を取る。
そして、バインダーから魔造紙を2枚。
「いけ。『刻現・武神式・剛健』と『封絶界――積鎧陣』」
100倍の魔造紙。いつかのドライブシュートコンボだ。
いや、さすがに自分で自分を蹴るのは無理なので、普通に2人を両脇に抱える。
さあて、色々とスタートダッシュで不意打ちを食らってしまったけど、せめて出発は派手にいこうじゃないか。
一歩で既に最高速度。
爆発じみた衝撃波を残しつつも低い弾道で無人の荒野を低空飛行。
接地と同時に地面を蹴り飛ばす。
二歩目はステップのつもりが大跳躍になった。
皆、空を自由に飛びたいかい?
あれあれあれ?雲の上まで跳んできちゃったぞ?
うーん。絶景だねえ。
おおう。大陸が見下ろせるなんて役得だよ!
両脇でリエナは興味深そうに景色を見回している。ヴェルは失神寸前の青い顔をしていた。
まあね。驚きもするよね。
うん。ボクもこれはちょっと加減を間違えたっぽくてドキドキだ。
ブランから戻るのに10歩ぐらいは掛かるかと思ってたのに2歩を待たずに国境の山脈に移動しちゃったんだもん。
あー、結構鍛えたからなあ。強化の割合が増してるのかな?
「ってあぶなあ!」
現実逃避していたら山脈に激突しかけた。
両膝を使って落下の衝撃をそのまま跳躍のエネルギーに変換して三歩目のジャンプに変える。
いや、結界と強化の装甲があるから怪我なんてしないけど、直撃とかしたら山崩れとか起きそうだし。
さて、体は再び遥か空の上。
空中散歩という名の自由落下。
雲の隙間からスレイアの景色を楽しめる時間帯です。
ところでさ、このままだとスレイアのどこかに着地することになりそうなんだよ。
計算が得意な人にお願いしたいのだけど、人間3人分の重量が雲の上の高さから減速なしで落下した時の衝撃はいかほどになるでしょうか?
僕は正確な計算式なんて知らない。
でも、戦車の砲撃ぐらいになりそうな気がするんですけど。
「この移動は封印しよう」
100倍はダメだ。せめて50倍で走るぐらいにしないと。
僕は心に決めて落下を開始した残り数十秒で着地の瞬間に備えた。
何とか、綺麗に着地を決めましたよ?
うん。クレーターができるのは仕様です。
被害者がいなければ成功だよね?
リエナ:……待たせすぎ。
シズ:すいません……。
いや、返事のこと忘れたわけじゃないんですよ。
色々あるのです。




